神道・神社史料集成(古代) 大神宮

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大神宮三座(伊勢国度会郡)


『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年4月甲辰(9日)条

皇師勒而其路狭嶮、人不乃還更胆駒時長髄彦聞之曰、夫天神子等-者、必将則尽之於孔舎衛与之会戦、五瀬命肱皇師不天皇憂之、乃神策於冲曰、今我是日神子孫、而向也、不退還示-祭神-日神則曽不刃、虜必自敗矣、僉曰、然、於曰、且停、乃引還、虜亦草香焉、雄誥、此烏多鷄因改訛也、初孔舎衛之戦、有於大而得難、曰、恩如母、時人因母木飫悶廼訛也、

『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年6月丁巳(23日)条

名草名草戸畔戸畔、此熊野神天磐仍引漸進、海中卒皇舟漂蕩、時稲飯命乃歎曰、嗟乎、吾祖則天神、母則海神、如何我於我於乎、言訖乃抜海、-為鋤持三毛入野命亦恨之曰、我母及姨並是神、何為以灌溺乎、則乎常世矣、天皇独皇子手研耳而進熊野荒坂亦名丹敷浦、丹敷戸畔時神人物咸瘁、由皇軍不時彼処有人、熊野高倉忽夜夢、天照太神武甕雷曰、夫葦原中国猶聞喧擾之響焉、聞喧擾之響焉、此左捓霓利奈宜汝更往而征之、武甕雷神対曰、予平則国将自平矣、天照太神曰、諾、諾、此宇毎那時武甕雷神登高倉曰、予剣号韴霊、此赴屠能瀰哆今当汝庫取而之天高倉下而寤之、明旦夢中視之、果於庫底即取以進之、于時、天皇適寐、忽然而寤之曰、予何-眠若乎、尋而中士卒悉復醒起、既而皇師欲而山中嶮絶、復可乃捿遑不時夜夢、天照大神于天曰、朕今頭八咫郷導頭八咫翔降、天皇曰、此烏之来自大哉赫矣、我皇祖天照大神-成基乎、是時、大伴氏之遠祖日臣命大来-将元啓行、乃烏所仰視而追之、遂于菟田下其所至之菟田穿穿邑、此于介知能務日臣曰、汝忠而且勇、加能導之是以

『日本書紀』神武天皇4年2月甲申(23日)条

詔曰、我皇祖之霊也自降鑑-助朕今諸虜已平、海内無事、-者也、乃霊畤於鳥見山其地号上小野榛原、下小野榛皇祖天焉、

『日本書紀』崇神天皇6年条

百姓流離、或其勢以徳之、是以晨興夕惕、-罪神是、天照大神、倭大国魂二神、-祭於天皇大殿之其神共住不安、天照大豊鍬入姫於倭笠縫磯堅城神神籬、此比莽呂日本大国魂渟名城入姫祭、然渟名城入姫命髪落体痩而不祭、

『日本書紀』垂仁天皇25年3月丙申(10日)条

天照大神於豊耜入姫于倭姫爰倭姫命-菟田筱筱此更還之近江伊勢天照大神倭姫曰、是神風伊勢国、則常世之浪重浪帰国也、傍国可怜国也、欲大神其祠於伊勢斎宮于五十鈴川天照大神始自降之処也、一云、天皇倭姫-奉於天照太是以倭姫命天照太-坐於磯城厳橿之而祠之、然後丁巳年冬十月甲于伊勢国渡遇是時倭太神、穂積臣遠祖大水口宿而誨之曰、太初之時期曰、天照大神、悉皇御孫尊、専葦原中国之八十魂我親大地者、言已訖焉、然先皇御間城天皇、雖-祀神微細未其源以粗於枝故其天皇短也、是以、今汝御孫尊、先皇之不而慎祭、則汝尊寿命延長、復天下太平矣、時天皇中臣連祖探湯而卜之、誰人以令大倭大即渟名城稚姫命食焉、因以渟名城稚姫神地於穴磯於大市長岡然是渟名城稚姫命、既身体悉痩弱以不祭、是以大倭直祖長尾市宿矣、

『日本書紀』景行天皇20年2月甲申(4日)条

五百野皇天照大

『日本書紀』景行天皇40年10月戊午(7日)条

伊勢神于倭姫曰、今天皇之而東征将諸叛故辞之、於倭姫命草薙日本武曰、慎之莫也、

『日本書紀』景行天皇51年8月壬子(4日)条

蝦夷等、昼夜喧譁、出入無礼、時倭姫命曰、是蝦夷等不-就於-上於朝仍令-置御諸山神山-呼隣天皇聞之曰、其神山之蝦夷、是本其情邦畿之是今播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波、凡五国佐伯部之祖也、

『日本書紀』神功皇后摂政前紀仲哀天皇9年3月壬申朔条

皇后武内宿中臣烏賊津使審神千繒高琴頭而請曰、先日者誰神也、願欲于七日七乃答曰、神風伊勢国之百伝度逢県之拆鈴五十鈴宮所居神、名撞賢木厳之御魂天疎向津媛命焉、亦問之、神乎、答曰、幡荻穂出吾也、尾田吾田節之淡神之有也、問亦有耶、答曰、於事代於事代玉籤入彦厳之事代主神有之也、問亦有耶、答曰、有無之不焉、於是、審神者曰、今不而更後有乎、則対曰、日向国橘小門之水所居而水葉稚之出居神、名表筒男、中筒男、底筒男神之有也、問亦有耶、答曰、有無之不焉、遂不矣、而祭、然後吉備臣祖鴨熊襲而自服焉、且荷持田村、荷持、此能登羽白熊鷲其為強健、亦身有翼、能飛以高翔、是以不-盗人

『日本書紀』神功皇后摂政元年2月条

之明年春二月、皇后群卿及百于穴門豊浦天皇之以向京、時麛坂王、忍熊王、天皇崩、亦皇后西征并皇子新而密謀之曰、今皇后有子、群臣皆従焉、必共議之吾等何以乎、乃詳陵、山陵於赤仍編于淡路其島而造之、則毎犬上君祖倉見別、吉師祖五十狭茅宿于麛坂因以東国時麛坂王、忍熊王、共菟餓而祈狩之曰、祈狩、此于気比餓若有事、也、二王各赤猪忽出之麛坂而殺焉、軍士悉慄也、忍熊王倉見曰、是事大怪也、於敵、則引更返於住時皇后忍熊王起之、武内宿于紀伊水皇后之船直皇后之船於海以不進、務古水而卜之、於天照大神誨之曰、我之荒魂不御心広田山背根子之女葉山祭、亦稚日女尊誨之曰、吾欲活田長峡海上五十狭祭、亦事代主尊誨之曰、吾于御心長田葉山媛之弟長祭、亦表筒男、中筒男、底筒男、三神誨之曰、吾和魂宜大津渟中倉之長便因往来以鎮坐焉、則平得海、忍熊王復引退之、而軍之、皇后南紀伊太子於日遂欲忍熊小竹小竹、此也、昼暗如夜、時人曰、常夜行之也、皇后紀直祖豊曰、是怪何由矣、時一老曰、伝聞、如阿豆那比之也、問、何謂也、対曰、二社祝者共合葬歟、因以巷里曰、小竹祝天野小竹祝逢而死之、天野祝血泣曰、吾也生何死之無乎、則而自死、仍合葬焉、蓋是之乎、乃開視之実也、故更各異以埋之、則日暉炳爃、日夜有別、

『日本書紀』仁徳天皇40年2月条

雌鳥皇妃、隼別皇媒、時隼別皇子密親娶、而久之天皇不夫、而親雌鳥皇女之殿織縑女人等歌之曰、比佐箇多能、阿梅箇儺麼多、謎迺利餓、於瑠箇儺麼多、波揶歩佐和気能、瀰於須譬鵝泥、爰天皇隼別皇子密而恨之、然皇后之友于之而忍之勿罪、俄而隼別皇子皇女之以臥、乃語之曰、-捷鷦鷯焉、曰、隼捷也、乃皇子曰、是我所也、天皇更亦起恨、時隼別皇子之舎人等歌曰、破夜歩佐波、阿梅珥能朋利、等弭箇慨梨、伊菟岐餓宇倍能、娑弉岐等羅佐泥、天皇而勃然大怒之曰、朕忍之也、何釁矣私事将于社則欲隼別皇時皇子雌鳥皇伊勢神而馳、於天皇隼別皇子逃吉備品遅部雄鯽、播磨佐伯直阿俄能曰、追之所即殺、爰皇后奏言、雌鳥皇女寔然其殺之日、不身、乃因雄鯽-取皇女所之足玉手玉、雄鯽等追之於素珥僅得免、急走而越山、皇子歌曰、破始多弖能、佐餓始枳揶摩茂、和芸毛古等、赴駄利古喩例麼、揶須武志呂箇茂、爰雄鯽等知免、以急-及于伊勢蒋代而殺之、時雄鯽等皇女之得之、乃二王于廬杵河而復命、皇后令雄鯽曰、皇女之乎、対言、不也、

『日本書紀』雄略天皇元年3月条(457)

元妃葛城円大臣女白髪武広国押稚日本根子天皇、稚足姫皇更名栲幡娘姫皇女、是皇女伊勢大神吉備上道臣女稚一本云、吉備窪屋臣女、磐城皇星川稚宮皇春日和珥臣深目童女春日大娘皇更名高橋皇女、

『日本書紀』雄略天皇3年4月条(459)

阿閉臣国見、更名磯特牛、栲幡皇女湯人廬城部連武曰、武彦使湯人、此武彦之父枳莒喩此流身、-率武彦於廬城使鶿没魚、因其不意而打殺之、天皇聞使-問皇皇女対言、妾不也、俄而皇女-持神於五十鈴河行、経死、天皇皇女在、使闇夜東西求虹見如四五丈者、虹起移行未遠、皇女割而観之、腹中有水、水中有石、枳莒喩由還悔-殺国-匿石上神

『日本書紀』顕宗天皇3年4月庚申(5日)条(487)

日神人、阿閉臣事曰、磐余我祖高皇産事代便奏、田十四対馬下県直侍祠、

『日本書紀』継体天皇元年3月癸酉(14日)条(507)

而此癸酉者、拠-択良文、他皆効此、元妃尾張連草香女目子更名色部、其一勾大兄皇広国排武金日其二桧隈高田皇武小広国排盾次妃三尾角折君妹稚子大郎皇子、出雲皇次坂田大跨王女神前皇茨田皇馬来田皇次息長真手王女麻績娘荳角皇荳角、此娑佐伊勢大神次茨田連小望女、或曰妹、茨田大娘皇白坂活日姫皇小野稚郎皇更名長石姫、次三尾君堅楲女二男、二其一大娘子皇其二椀子皇是三国公之先也、其三耳皇其四赤姫皇次和珥臣河内女一男、二其一稚綾姫皇其二円娘皇其三厚皇次根王女菟皇是酒人公之先也、少中皇是坂田公之先也、

『日本書紀』欽明天皇2年3月条(541)

元妃皇后弟稚綾姫皇石上皇皇后日影皇皇后明是桧隈高田天皇女、而后妃之母妃姓皇女名後勘者知之、倉皇次蘇我大臣稲目宿禰女堅塩堅塩、此岐施七男、六其一大兄皇橘豊日其二磐隈皇更名夢皇女、初侍伊勢大後坐皇子茨解、其三臈嘴鳥皇其四豊御食炊屋姫其五椀子皇其六大宅皇其七石上部皇其八山背皇其九大伴皇其十桜井皇其十一肩野皇其十二橘本稚皇其十三舎人皇次堅塩媛同母弟小姉四男、一其一茨城皇其二葛城皇其三埿部穴穂部皇其四埿部穴穂部皇更名天香子皇子、一書云、更名住迹皇子、其五泊瀬部皇一書云、其一茨城皇其二埿部穴穂部皇其三埿部穴穂部皇更名住迹皇子、其四葛城皇其五泊瀬部皇一書云、其一茨城皇其二住迹皇其三埿部穴穂部皇其四埿部穴穂部皇更名天香子、其五泊瀬部皇帝王本紀多撰集之人、屡後人習読、以刊改、伝写既多、遂前後失次、兄弟参差、今則-覈古其真一往難者、且依撰而-詳其他皆効此、次春日日柧臣女春日山田皇女、橘麻呂皇

『日本書紀』敏達天皇7年3月壬申(5日)条(578)

菟道皇伊勢池辺皇事顕而解、

『日本書紀』用明天皇即位前紀9月壬申(19日)条(586)

詔曰、云々、酢香手姫皇伊勢神日神是皇女此天皇于炊屋姫天皇之日神退而薨、炊屋姫天皇或本云、卅七年間日神自退而薨、

『日本書紀』用明天皇元年正月壬子朔条(586)

穴穂部間人皇其一厩戸皇更名豊耳聡、聖徳、或豊聡耳、法大法主是皇子初豊御食炊屋姫天皇-摂万天皇豊御食炊屋姫天皇其二来目皇其三殖栗皇其四茨田皇蘇我大臣稲目宿禰女石寸嬪、田目皇更名豊浦皇子、葛城直磐村女広子一男、一麻呂子皇此当麻公之先也、女酢香手姫皇

『日本書紀』皇極天皇4年正月条(645)

宮寺之遥見有或一十許、或廿許、就而視之、物便不見、鳴嘯之-覩其旧本云、是歳京於難而板蓋宮為之兆也、時人曰、此是伊勢大神之使也、

『日本書紀』天武天皇元年6月丙戌(26日)条(672)

朝明郡迹太川天照太是時、益人益到之奏曰、所山部王、石川是大津皇子也、便参来矣、大分君恵尺、難波吉士三綱、駒田勝忍人、山辺君安摩呂、小墾田猪手、埿部【目へんに氐】枳、大分君稚臣、根連金身、漆部友背之輩従之、天皇大喜、将男依乗来奏曰、美濃師三千不破天皇雄依之高市皇子於不山背部小田、安斗連阿加東海稚桜部臣五百瀬、土師連馬東山是日、天皇宿于桑名郡即停以不進、

『日本書紀』天武天皇2年4月己巳(14日)条(673)

大来皇女于天照大神而令泊瀬斎是先潔身、稍近神之所也、

『日本書紀』天武天皇3年10月乙酉(9日)条(674)

大来皇女泊瀬斎伊勢神

『日本書紀』天武天皇4年2月丁亥(13日)条(675)

十市皇女、阿閉皇女、-赴於伊勢神

『日本書紀』朱鳥元年4月丙申(27日)条(686)

多紀皇女、山背姫王、石川夫人於伊勢神

『日本書紀』朱鳥元年5月庚子(9日)条(686)

多紀皇女等

『日本書紀』持統天皇即位前紀朱鳥元年11月壬子(16日)条(686)

伊勢神皇女大来、還

『日本書紀』持統天皇6年3月壬午(17日)条(692)

所過神郡及伊賀、伊勢、志摩国造等冠今年調供奉騎士、諸司荷丁、丁今年調-赦天但盗賊不

『日本書紀』持統天皇6年5月庚寅(26日)条(692)

使-幣于四伊勢、大倭、住吉、紀伊大神、以新

『日本書紀』持統天皇6年閏5月丁未(13日)条(692)

伊勢太神曰、伊勢国今年調然応其二神郡赤引糸参拾伍

『日本書紀』持統天皇6年12月甲申(24日)条(692)

大夫新羅調於五伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足、

『続日本紀』文武天皇2年9月丁卯(10日)条(698)

当耆皇伊勢

『続日本紀』文武天皇2年12月乙卯(29日)条(698)

多気大神宮于度会

『続日本紀』文武天皇3年8月己丑(8日)条(699)

于南島献物于伊勢大神宮及諸

『続日本紀』大宝元年2月己未(16日)条(701)

泉内親伊勢

『続日本紀』大宝元年8月甲辰(4日)条(701)

太政官処分、近江国志我山寺封、庚子観世音寺筑紫尼寺封、大宝元-皆准物、又斎宮司准寮、属官焉、

『続日本紀』大宝2年正月乙酉(17日)条(702)

従三位大伴宿禰安麻式部正五位下美努王左京大正五位上布勢臣耳麻呂摂津大従五位下当麻真人橘斎宮従四位上大神朝臣高市麻呂長門正六位上息長真人子老、丹比間人宿禰足島並従五位

『続日本紀』大宝2年4月丁未(10日)条(702)

従七位下秦忌寸広庭杠谷樹八尋桙使伊勢大神

『類聚三代格』1(神封物并租地子事) 大宝2年7月8日詔(702)

詔、伊勢大神宮封物者、是神御之物、
大宝二年七月八日

『続日本紀』大宝2年7月癸酉(8日)条(702)

詔、伊勢太神宮封物者、是神御之物、

『続日本紀』大宝2年8月癸亥(28日)条(702)

伊勢太神宮服料神戸調

『続日本紀』大宝3年6月乙丑(5日)条(703)

従四位上大神朝臣高市麻左京大従五位下大伴宿禰男人大倭従五位上引田朝臣広目斎宮頭兼伊勢

『日本書紀』慶雲元年正月戊申(22日)条(704)

伊勢国多気度会二郡少領已上者、聴-任三等已上

『続日本紀』慶雲元年11月庚寅(8日)条(704)

従五位上忌部宿禰子幣帛、鳳凰鏡、窠子錦于伊勢大神

『続日本紀』慶雲2年11月庚辰(4日)条(705)

従五位下当麻真人楯斎宮

『続日本紀』慶雲2年12月乙丑(19日)条(705)

下二天下婦神部斎宮々人及老皆髻重制也、

『続日本紀』慶雲3年閏正月戊午(13日)条(706)

新羅調於伊勢太神宮及七道諸

『続日本紀』慶雲3年閏正月癸酉(28日)条(706)

泉内親王伊勢大神

『続日本紀』慶雲3年8月庚子(29日)条(706)

三品田形内親伊勢大神

『続日本紀』慶雲3年12月丙子(6日)条(706)

四品多紀内親伊勢大神

『続日本紀』和銅元年10月庚寅(2日)条(708)

宮内卿正四位下犬上幣帛于伊勢太神平城也、

『続日本紀』養老元年4月乙亥(6日)条(717)

久勢女伊勢太神従官賜各有差、是日発入、百官送京城而還、従五位下猪名真人法麻斎宮

『続日本紀』養老2年8月甲戌(13日)条(718)

斎宮寮公文、始用焉、

神祇令孟夏条

孟夏、神衣祭、大忌祭、三枝祭、風神祭、

神祇令季秋条

季秋、神衣祭、神嘗祭、

神祇令常祀条

凡常祀之外、者、皆五位以卜食者充、唯伊勢神宮、常祀亦同、

『続日本紀』養老5年9月乙卯(11日)条(721)

天皇内安殿使幣帛於伊勢太神皇太子女井上斎内親

『政事要略』24(年中行事9月) 11日奉幣伊勢大神宮

官曹事類云、右符案云、養老五年九月十一日、天皇内安殿少納言正五位上紀朝臣男中臣従五位上中臣朝臣東人、忌部大初位□忌部宿禰呰麻呂伊勢大神宮呰麻度会神宮幣無位中臣朝臣古麻訖、
(略)

『令集解』16(選叙令) 同司主典条(不得用三等以上親)

釈云、養老七年十一月十六日太政官処分、伊勢国渡相郡、竹郡、安房国安房郡、出雲国意宇郡、筑前国宗形郡、常陸国鹿島郡、下総国香取郡、紀伊国名草郡、合八神郡、聴-任三等以上也、

『続日本紀』神亀4年8月壬戌(23日)条(727)

斎宮寮官人一百廿一

『続日本紀』神亀4年9月壬申(3日)条(727)

井上内親伊勢大神焉、

『類聚三代格』5(定内外五位等級事) 神亀5年3月28日奏状(728)

太政官謹奏
内外五位不
右謹官位外名之興者、正五位上従五位下相当惣是四階、又選叙云、凡内外五位以上勅授者、云、五位以上不食封之疋屯之則知内外之目旧来殊号、禄料之色未礼数等級豈自今以後、随秩、姓高家門其五位以上子孫歴代相襲冠蓋相望、并明経秀才堪国家大儒後生袖者、即其功者、便当位当-延日但其別勅特授不
外五位
右考限選叙一神祇官卜食-充 伊勢神宮奉幣帛使中臣忌部不使者、駅馬四疋伝馬六疋、如元日者、内八位外七位並外五歩行僧尼忽者下過去、其毎限、下二家人奴-住市即聴、其之日不乗馬辞訣及-尽私自余依令、
位禄位田賻物
右内位禄料減之、如無者停給、三分之
位分資人
右外正五位五人、外従五位四人、女亦同、
右外正五位嫡子従八位上、庶子大初位上、外従五位嫡子従八位下、庶子大初位下、並嫡子大舎人并大学内舎其庶子二宮舎人及諸司史生帳内職分資人等之者准配決、不
父妻
右其父妻者外命婦之朝参之
以前奉 勅、-定内外五位貴賎差臣等商量、具件如前、謹以申聞、謹奏、奉 勅、
神亀五年三月廿八日

『類聚三代格』4(廃置諸司事) 神亀5年7月21日勅(728)

斎宮寮
頭一人、従五位官、助一人、正六位官、大允一人、少允一人、従七位官、
大属一人、少属一人、已上従八位官、
主神司
中臣一人、従七位官、忌部一人、宮主一人、已上従八位官、□部□人
舎人司
長官一人、従六位官、主典一人、大初位官、□~□
蔵部司
長官一人、従六位官、主典一人、大初位官、
膳部司
長官一人、従六位官、判官一人、正八位官、主典一人、大初位官、
酒部司
長一人、従七位官、酒部四人、
水部司
長一人、従七位官、水部四人、
殿部司
長一人、従七位官、
采部司、
長一人、従七位官、□部六人、
掃部司
長一人、従七位官、掃部六人、
薬部司
長一人、従八位官、
以前□~□勅依前件、
神亀五年七月廿一日

『続日本紀』天平元年4月癸亥(3日)条(729)

勅、内外文武百官及天下百姓、-習異-積幻壓魅呪咀-傷百首斬従流、如-住山伝習授業、-印書、符合毒、万方作怪、-犯勅罪亦如此、其妖訛書者、勅出以後五十日内首訖、若限内不者、不皆咸配流、其糺告人絹卅便又勅、毎年-取伊勢神調絁三百神祇中臣朝臣

『正倉院文書』正集15・神亀6年志摩国輸庸帳(729)

志摩国司解 申神亀六年輸庸事
管郡弐、課丁壱仟陸拾弐、正丁九百卅二、次丁一百卅、
輸庸塩、壱伯肆拾玖斛伍斗伍升、
神戸参所、課丁壱伯肆拾壱、正丁一百廿五、次丁一十六、
輸庸塩、壱拾玖斛玖斗伍升、
伊勢大神宮課丁、壱伯参拾、正丁一百一十五、次丁一十五、
輸庸塩、壱拾捌斛参斗漆升伍合、陸拾壱籠漆升伍合、
粟島神戸課丁、伍、正丁、
輸庸塩、漆斗伍升、弐籠壱斗伍升、
伊雑神戸課丁、陸、正丁五、次丁一、
輸庸塩、捌斗弐升伍合、弐籠弐斗弐升伍合、
公納課丁、玖伯弐拾壱、正丁八百七、次丁一百一十四、

『続日本紀』天平2年閏6月甲午(11日)条(730)

制、伊勢大神者、卜食五位已上充使、六位已

『続日本紀』天平2年7月癸亥(11日)条(730)

詔曰、-給斎年料、自今以後皆-用神戸庸調等大神宮禰宜二人位二階、内人六人一年之長

『続日本紀』天平9年4月乙巳朔条(737)

使於伊勢神宮、大神社、筑紫住吉、八幡二社及香椎新羅無礼之

『続日本紀』天平10年5月辛卯(24日)条(738)

使右大臣正三位橘宿禰諸兄、神祇伯従四位下中臣朝臣名代、右少弁従五位下紀朝臣宇美、陰陽頭外従五位下高麦伊勢大神

『続日本紀』天平10年閏7月丁巳(21日)条(738)

外従五位下引田朝臣虫麻呂斎宮長

『続日本紀』天平12年9月乙未(11日)条(740)

治部卿従四位上三原王幣帛于伊勢大神

『続日本紀』天平12年11月丙戌(3日)条(740)

少納言従五位下大井王、并中臣忌部幣帛於大神車駕-御関十箇日、是日、大将軍東人等言、進士無位安倍朝臣黒麻呂今月廿三日丙-獲逆賊広嗣於肥前国松浦郡値嘉島長野詔報曰、今十月廿九日-得逆賊広其罪顕露不疑、処决、然後奏

『続日本紀』天平13年正月癸巳(11日)条(741)

使於伊勢大神宮及七道諸也、

『続日本紀』天平17年6月庚寅(4日)条(745)

左衛士督従四位下佐伯宿禰浄麻幣帛于伊勢太神

『続日本紀』天平18年8月壬寅(23日)条(746)

斎宮従五位下路真人野

『続日本紀』天平18年9月壬子(3日)条(746)

県女王発入、大臣已下送諸司亦送至京而還、

『続日本紀』天平勝宝元年4月戊戌(5日)条(749)

従五位下中臣朝臣益人従五位上、正六位上忌部宿禰鳥麻呂従五位下、伊勢大神宮禰宜従七位下神主首名外従五位民部卿正四位上紀朝臣麻路、神祇大副従五位上中臣朝臣益人、少副従五位下忌部宿禰鳥麻呂幣帛於伊勢大神

『続日本紀』天平勝宝元年閏5月甲辰(11日)条(749)

伊勢斎王為二親退出、

『続日本紀』天平勝宝3年4月丙辰(4日)条(751)

参議左中弁従四位上石川朝臣年足幣帛於伊勢太神又遣使幣帛於畿内七道諸遣唐使等平也、

『続日本紀』天平勝宝5年正月丁未(5日)条(753)

伊勢大神宮神主外従五位下神主首名外従五位内人、物忌男四十五人、女十六人、授各有差、

『続日本紀』天平勝宝5年2月甲午(22日)条(753)

斎宮大神司正七位下津島朝臣小松従五位

『続日本紀』天平勝宝7年11月丁巳(2日)条(755)

少納言従五位下厚見幣帛于伊勢大神

『続日本紀』天平勝宝8年4月乙巳(22日)条(756)

使幣帛于伊勢大神

『続日本紀』天平勝宝8年5月乙卯(2日)条(756)

左大弁正四位下大伴宿禰古麻呂、并中臣忌部幣帛於伊勢大神天下諸国今年田是日、太上天皇於寝殿遺詔、中務卿従四位上道祖皇太

『続日本紀』天平宝字元年6月乙未(19日)条(757)

始制、伊勢太神宮幣帛使、自以後、中臣朝他姓

『類聚三代格』6(位禄季禄時服馬料事) 天平勝宝9年8月8日奏状(757)

太政官謹奏
諸司長上禄法宜
内舎人 大神宮司 神祇宮主 造金銀銅長上
造玉長上 吹角師 鋳銭師 木工長上
右依令、
諸県舞師 堕羅舞師
雅楽諸師従八位
木画長上 造伎楽面長上 截押金薄長上
炙造丹胡粉長上 金画長上 造鋳形師
画師大初位
造墨長上 造紙長上 大蔵作革長上
典薬取乳長上 内膳造餅長上 諸司雑色長上
染師少初位
以前諸司長上労逸不同、春秋禄料亦而式部曹司行来旧例、不優劣渾淆理改、何以勧人、望請、自今以後、長上禄料、労重処多、効軽居少、官議商量、具 天謹以申聞、謹奏、
天平勝宝九年八月八日

『続日本紀』天平宝字2年8月庚子朔条(758)

皇太子受天皇位於大極殿詔曰、明神大八洲所知天皇詔旨良麻止宣勅親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食宣、掛畏現神坐倭根子天皇我皇此天日嗣高御座之業拙劣朕被賜仕奉仰賜授賜閉波受賜受賜懼進不知退不知久止宣天皇勅衆聞食宣、然皇坐天下治賜君者賢人能臣弖之天下乎婆治物良之止奈母聞行、故是以大命坐宣、朕雖拙弱、親王始王臣等相穴奈比相扶奉事依弖之此之仰賜授賜食国天下之政者平仕奉倍之止奈母所念行、是以無謟欺之心以忠赤之誠食国天下之政者衆助仕奉宣天皇勅衆聞食宣、辞別、仕奉人等中仕奉状随一二人等冠位上賜治賜、百官職事已上及太神宮諸社禰宜祝大御物賜、僧綱始諸寺師位僧尼等物布施賜、又百官司人等諸国兵士鎮兵伝駅戸等今年田租免賜久止宣天皇勅衆聞食宣、

『続日本紀』天平宝字2年8月戊午(19日)条(758)

摂津大夫従三位池田斎王事于伊勢太神左大舎人頭従五位下河内王、散位従八位下中臣朝臣池守、大初位上忌部宿禰人成幣帛於同太神及天下諸国神社等、遣使幣、皇太子即故也、

『続日本紀』天平宝字3年10月壬寅(9日)条(759)

従五位下丈部大麻斎宮

『続日本紀』天平宝字3年10月戊申(15日)条(759)

去天平勝宝五年、左大弁従四位上紀朝臣飯麻伊勢大神宮已畢、而伊勢志摩両国相争、於是、尾垂刹於葦武部卿従三位巨勢朝臣関麻呂、神祇大副従五位下中臣朝臣毛人、少副従五位下忌部宿禰呰麻呂幣帛於

『続日本紀』天平宝字4年3月甲戌(13日)条(760)

詔曰、比来、皇太后御体不予、宜天神地諸祝部等各聖体安穏平是以、太神宮禰宜内人物諸社祝爵一普告令之、外従五位上神主首名外正五位下、外正六位上神主枚人外従五位

『続日本紀』天平宝字5年正月壬寅(16日)条(761)

従五位下粟田朝臣足斎宮長

『続日本紀』天平宝字5年8月辛巳(29日)条(761)

大祓、斎内親王一レ也、

『続日本紀』天平宝字6年11月丁丑(3日)条(762)

御史大夫正三位文室真人浄三、左勇士佐従五位下藤原朝臣黒麻呂、神祇大副従五位下中臣朝臣毛人、少副従五位下忌部宿禰呰麻呂等四-幣於伊勢太神

『続日本紀』天平宝字7年7月乙卯(14日)条(763)

従五位下忌部宿禰呰麻呂斎宮

『続日本紀』天平宝字8年9月丁未(13日)条(764)

正親正従五位下荻田王、少主鈴中臣朝臣竹成、神部鴨田連島幣帛於伊勢太神

『続日本紀』天平神護2年7月丙子(23日)条(766)

使丈六仏像於伊勢大神宮

『続日本紀』神護景雲元年8月癸巳(16日)条(767)

-元神護景詔曰、日本国大八洲国照給治給倭根子天皇御命良麻止御命衆諸聞食宣、今年六月十六日申時東南之角甚奇雲七色相交立登在、此朕自見行又侍諸人等共見備都々在間伊勢国守従五位下阿倍朝臣東人等、六月十七日度会郡等由気五色瑞雲起覆在、依此彼形書写以進、復陰陽寮七月十五日西北角美異雲立在、同月廿三日東南角有雲本朱末黄稍具五色、如是奇異雲顕在所由令勘、式部省等、瑞書細勘是即景雲在、実合大瑞世利、然朕念行、如是奇異在大瑞聖皇之御世至徳天地示現賜物止奈毛聞行、是豈敢朕徳天地御心令感動末都流倍岐止奈毛念行、然此大御神宮上示顕給、故尚是大神示給幣流奈犁、又掛御世御世御霊助給慈給幣流奈犁、復去正月二七日之間諸大寺大法師等奏請良倍天最勝王経令講讃末都利又吉祥天悔過令仕奉流爾諸大法師等如理佐比又諸臣等天下政事合理奉仕天之三宝諸天天地多知毛示現賜弊流大瑞良之止奈毛念行、故是以奇之支大瑞受給黙在去止不得之天奈毛諸王多知多知乎天地御恩奉報倍之止奈毛念行天皇御命諸聞食宣、然夫天万物能覆養賜賜物須、大神宮禰宜大物忌内人等爾波叙二級、但御巫以下人等叙一級、又伊勢国神郡二郡司及諸国祝部有位無位等賜一級、又六位以下及左右京男女年六十以上賜一級、但正六位上重三選以上者、賜上正六位上、又孝子順孫義夫孝婦節婦力田者賜二級、表旌其門至于終身田租免給、又五位以上人等賜御手物、又天下諸国今年田租半免、又八十以上老人及鰥寡孤独不能自存者賜籾、又示顕賜弊流乃末爾末仁年号改賜、是以改天平神護三年、為神護景雲元年天皇御命諸聞食宣、又天下有罪、大辟罪已下、罪已発覚、未発覚、已結正、未結正、繋囚見徒、咸-但犯八虐、故殺人、私鋳銭、強窃二盗、常赦所者、不焉、陰陽員外助従五位下紀朝臣益麻呂正五位允正六位上山上朝臣船主従五位下、今検、景雲二年始而書之、員外允正六位上日下部連虫麻呂、大属百済公秋麻呂、天文博士国見連今虫、呪禁師末使主望足、並外従五位下、伊勢守従五位下阿倍朝臣東人従五位上、介正六位下日置造通形外従五位下、大神宮禰宜外従五位下神主首名外正五位下、等由気宮禰宜外正六位下神主忍人外従五位下、参河守従四位下伊勢朝臣老人従四位上、目正六位上紀朝臣門守従五位下、介外従五位下秦忌寸智麻呂、掾民忌寸総麻呂並外従五位上、左右大臣綿人七百五十二位四百五十屯、三位三百屯、四位百五十屯、五位六十屯、外位卌屯、女亦准此、

『続日本紀』神護景雲2年4月辛丑(28日)条(768)

伊勢大神宮禰義季其官位従七度会宮禰義正八

『続日本紀』神護景雲3年2月乙卯(16日)条(769)

神服於天下諸大炊頭従五位下掃守王、左中弁従四位下藤原朝臣雄田麻伊勢太神宮使男神服一具、女神服一具、其太神宮及月次社者、馬形并

『続日本紀』宝亀元年8月庚寅朔条(770)

参議従四位下外衛大将兼越前守藤原朝臣継縄、左京少進正六位上大中臣朝臣宿奈麻幣帛及赤毛馬二疋於伊勢太神若狭国目従七位下伊勢朝臣諸人、内舎人大初位下佐伯宿禰鹿毛馬於若狭彦神、八幡神宮、各一

『続日本紀』宝亀元年10月己丑朔条(770)

天皇位於大極殿-元宝詔曰、天皇詔旨勅命親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食宣、掛奈良宮御宇倭根子天皇去八月此食国天下之業拙劣朕被賜而仕奉負賜授賜伎止勅天皇詔旨受被賜恐受被賜懼進不知退不知久止勅命衆聞食宣、然此天日嗣高御座之業者天坐神地坐祇相宇豆奈奉相扶奉事弖志此座者平安御坐天下者所知物良之止奈母所念行、又皇坐而天下治賜君者賢臣能人得而天下乎波平安治物良志止奈母聞看行、故是以大命坐勅、朕雖拙弱親王始而王臣等相穴奈比奉相扶奉依而此之負賜授賜食国天下之政者平安仕奉止奈母所念行、故是以衆浄明心正直言以而食国政奏天下公民恵治倍之止奈母所念行須止勅天皇命衆聞食宣、辞別詔、今年八月五日肥後国葦北郡人日奉部広主売献白亀、又同月十七日同国益城郡人山稲主献白亀、此則並合大瑞、故天地貺大瑞者受被賜歓受被賜可貴物在、是以改神護景雲四年為宝亀元年、又仕奉人等中仕奉状随一二人等冠位上賜治賜、又大赦天下、又天下六位已下有位人等給位一階、大神宮諸社之禰宜等給位一階、又僧綱始諸寺師位僧尼等御物布施賜、又高年人等養賜、又困乏人等恵賜、又孝義有人等其事免賜、又今年天下田租免賜久止宣天皇勅衆聞食宣、

『続日本紀』宝亀2年11月庚子(18日)条(771)

鍛冶正従五位下気太斎宮於伊勢

『続日本紀』宝亀3年8月甲寅(6日)条(772)

風雨、抜屋、之、伊勢月読神為祟、是、毎年九月、荒祭馬、又荒御玉命、伊佐奈伎命、伊佐奈美命、於官度会郡神宮寺於飯高郡度瀬山

『続日本紀』宝亀3年11月己丑(13日)条(772)

酒人内親伊勢春日斎

『続日本紀』宝亀5年8月庚午(3日)条(774)

使-浄天下諸斎内親王也、

『続日本紀』宝亀5年8月壬午(15日)条(774)

従五位下広上斎宮長

『類聚三代格』1(神物事并租地事) 宝亀5年8月27日官符(774)

太政官符
神郡百姓逃亡口分田地
神祇官偁、御卜所祟、多気度会二箇神郡百姓逃亡口分田地子可而元来国司-合正以後擬者、内大臣偁、奉 施行、
宝亀五年八月廿七日

『続日本紀』宝亀5年9月己亥(3日)条(774)

斎内親王

『続日本紀』宝亀6年2月丙子(13日)条(775)

使於伊-修渡会郡堰且令-視多気渡会二郡宜耕種

『続日本紀』宝亀6年8月癸未(22日)条(775)

伊勢、尾張、美濃三国言、「九月」異常風-没百姓三百余人、馬牛千国分并諸寺塔十其官私廬舎不使-伊勢又分-検諸国被是日、疫神於五畿

『続日本紀』宝亀6年10月辛未(11日)条(775)

従五位下笠朝臣名麻斎宮

『続日本紀』宝亀6年10月乙酉(25日)条(775)

幣帛於伊勢太神

『続日本紀』宝亀8年10月辛卯(13日)条(777)

正四位上藤原朝臣家依正五位下高賀茂朝臣諸雄神祇大参議正四位上藤原朝臣是公兼左大春宮大夫左衛士督侍従如故、正四位下田中朝臣多太麻呂右大従五位上美和真人土生右少中納言従三位物部朝臣宅嗣兼中務従四位下鴨王左大舎人従五位下宗形王右大舎人従五位下藤原朝臣末茂図書従五位下百済王仙宗為助、従五位下賀茂朝臣大川内蔵参議従三位藤原朝臣百川兼式部右兵衛督如故、神祇伯従四位下大中臣朝臣子老兼大従五位下藤原朝臣真葛散位従五位下安倍朝臣謂奈麻呂治部少正五位上多治比真人長野民部大従五位下多朝臣犬養従五位上当麻真人永嗣大判従四位下神王大蔵従五位下安倍朝臣草麻呂斎宮長従四位下石川朝臣名足造東大寺長従五位下紀朝臣門守鋳銭次従五位下藤原朝臣長河中衛少従五位下大中臣朝臣諸魚衛門従五位下百済王仁貞員外従五位下紀朝臣弟麻呂左衛士員外外従五位下大荒木臣押国遠江参議右衛士督従四位下藤原朝臣小黒麻呂兼常陸正五位下粟田朝臣鷹守為介、従五位上紀朝臣家守美濃従五位下安倍朝臣笠成越中従五位下広川王因幡右大弁正四位下田中朝臣多太麻呂兼出雲従五位下藤原朝臣仲継播磨従五位上田中王伊予大納言近衛大将従二位藤原朝臣魚名兼大宰従四位上石上朝臣息嗣従五位下笠朝臣名麻呂

『続日本紀』宝亀9年3月癸酉(27日)条(778)

大祓、遣使-幣於伊勢大神宮及天下諸皇太子也、又畿内諸

『続日本紀』宝亀9年10月丁酉(25日)条(778)

皇太子是、皇太子寝疾久-宿也、

『続日本紀』宝亀11年2月丙申朔条(780)

神祇官言、伊勢大神宮寺、先為-建他而今其祟未止、飯野之外-造便者、許之、

『続日本紀』宝亀11年5月壬辰(29日)条(780)

伊勢太神宮封一千戸、大安寺封一百戸、随復之、

『続日本紀』天応元年正月辛酉朔条(781)

詔曰、以大、者聖人、以心、者仁后、朕然則恵沢壅而不流、憂懼交而弥積、日茲、比有司奏、伊勢斎宮所美雲、正神宮者国家所鎮、之、吉無利、抑是朕之不徳、茲、方知凡百之寮、相諧攸感、今者元正告暦、吉日初開、-赦天天応元年正月一日昧以前、大辟以下、罪未発覚、已発覚、未結正、已結正、繋囚見徒、咸皆赦除、但犯八虐、故殺、謀殺、私鋳銭、強窃二盗、常赦所者、不其斎宮寮主典已上、及大神宮司、并禰宜、大物忌、内人、多気度会二郡司、位二自余番上、及内外文武官主典已上一級、但正六位上者廻如無者、宜-其五位已上子孫、年廿已上者、亦当蔭之又如百姓呰麻呂詿而能棄復三其従陸奥出諸国百姓、久当戸今年田者、所司量貸、又去年恩免神寺封租者、天下老人、百歳已上籾三九十已上二斛、八十已上一斛、鰥寡孤独不者、-加賑孝子順孫、義夫節婦、-表門事、

『続日本紀』天応元年4月己亥(11日)条(781)

伊勢大神宮禰宜正六位上神主礒守外従五位使於伊勢大神皇太子即也、

『続日本紀』天応元年4月癸卯(15日)条(781)

天皇大極殿詔曰、明神大八洲所知天皇詔旨良麻止宣勅親王諸王百官人等天下公民衆聞食宣、挂畏現神坐倭根子天皇我皇此天日嗣高座之業掛畏近江大津御宇天皇初賜定賜部流法随被賜仕奉仰賜授賜閉婆受賜受賜懼進不知退不知久止宣天皇勅衆聞食宣、然皇坐天下治賜君者賢人能臣弖之天下乎婆治物良之止奈母聞行、故是以大命坐宣、朕雖拙劣親王始王臣等相穴奈比相扶奉事依弖之此之仰賜授賜食国天下之政者平仕奉倍之止奈母所念行、是以無謟欺之心以忠明之誠天皇朝廷立賜部流食国天下之政者衆助仕奉宣天皇勅衆聞食宣、辞別宣、朕一人乃未也之岐御命受賜、凡人子蒙福麻久欲為於夜多米爾止奈母聞行、故是以朕親母高野夫人称皇太夫人冠位上奉治奉、又仕奉人等中自何仕奉状随一二人等冠位上賜治賜、又大神宮諸社禰宜祝等給位一階、又僧綱諸寺智行人及年八十已上僧尼等物布施賜、又高年窮乏孝義人等治賜養賜、又天下今年田租免賜久止宣天皇勅衆聞食宣、

『続日本紀』天応元年12月丁未(23日)条(781)

太上天皇崩、春秋七十有三、天皇哀号、摧百寮中外、慟哭累日、詔曰、朕精誠無感、痛酷之情纏懐、終身之憂永結、方諒闇三年以而群公卿士咸倶執奏、宗廟不軽、万機是重、不一日而也、伏乞後奈保山朝者、朕以、霜露未変、荼毒尚深、一旦従天下著六月乃今月廿五始、諸国郡司三日、若遠道之処者符到施行、礼日三度、初日再拝両段、但神郡者不

『続日本紀』延暦元年7月庚戌(29日)条(782)

右大臣已下、参議已上、共奏偁、頃者災異荐臻、妖徴並見、仍-求其神祇官陰陽寮並言、国家恒祀依幣、而天下縞素、吉凶混雑、因茲、伊勢大神、及諸神社、悉皆為祟、吉、聖体不歟、而陛下因心至性、尚今乃医薬在御、-引旬神道難誣、抑有焉、伏乞、曽閔之小詔報曰、朕以、霜露未変、荼毒如昨、而群卿再三執奏、宗廟社喩、事不已、其諸国釈者、祓使-潔国然後乃釈、不楽、

『続日本紀』延暦元年8月己巳(19日)条(782)

詔曰、殷周以前、未于漢厥後、歴代因循、是以、継体之君、受禅之主、莫元、号、朕-承洪于王公之-臨寰今者宗社降霊、幽顕介福、年穀豊稔、徴祥仍臻、思此休天応二延暦元其天下有位、及伊勢大神宮禰宜大物忌内人、諸社禰宜祝、并内外文武官把者、爵一但正六位上者廻其外正六位上者不

『続日本紀』延暦4年4月丁亥(23日)条(785)

従五位上紀朝臣作良造斎宮長

『続日本紀』延暦4年7月甲寅(21日)条(785)

従五位下賀茂朝臣人麻呂斎宮

『続日本紀』延暦4年8月丙戌(24日)条(785)

天皇-幸平城是、朝原内親王-居平斎期既竟、将伊勢神故車駕親臨発入、

『続日本紀』延暦4年9月己亥(7日)条(785)

斎内親王伊勢太神百官陪従、大和国而還、

『続日本紀』延暦7年5月己酉(2日)条(788)

曰、使雨於伊勢神宮及七道名是夕大雨、其後雨多、遠近周匝、遂矣、

『続日本紀』延暦8年3月壬子(10日)条(789)

使幣帛於伊勢神也、

『続日本紀』延暦8年12月丙申(29日)条(789)

天皇殿西皇太子及群哀、百官及畿内、諸国三日、並所部百哀、但神郡者不

『続日本紀』延暦9年9月甲戌(11日)条(790)

伊勢太神宮相嘗幣常年天皇大極殿遥拝而奉、而使矣、

『続日本紀』延暦10年正月癸未(22日)条(791)

従五位上賀茂朝臣大伊賀斎宮頭従五位上賀茂朝臣人麻呂兼伊勢従五位下藤原朝臣縵麻呂相摸従五位下吉備朝臣与智麻呂為介、近衛将監従五位下池原公綱主兼常陸大従五位下藤原朝臣今川美濃正五位上百済王俊哲下野従五位下文室真人大原陸奥従五位下安倍朝臣人成能登従五位下藤原朝臣清主丹波従五位下布勢朝臣田上因幡従五位下藤原朝臣岡継伯耆従五位下岡田王備中従五位下大中臣朝臣弟成豊前従五位上藤原朝臣園人豊後

『続日本紀』延暦10年8月辛卯(3日)条(791)

夜有盗、伊勢太神宮正殿一宇、財殿二宇、御門三間、瑞籬一

『続日本紀』延暦10年8月壬寅(14日)条(791)

参議左大弁正四位上兼春宮大夫中衛中将大和守紀朝臣古佐美、参議神祇伯従四位下兼式部大輔左兵衛督近江守大中臣朝臣諸魚、神祇少副外従五位下忌部宿禰人上於伊勢太神神宮焉、又遣使修造之、

『続日本紀』延暦10年10月甲寅(27日)条(791)

是、皇太子枕席不安、是日、伊勢太神宿也、

『続日本紀』延暦10年11月丁卯(11日)条(791)

皇太子伊勢太神至、

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 延暦11年3月戌寅(24日)条(792)

伊勢国天照太神也、

『類聚三代格』1(斎王事) 延暦11年7月3日官符(792)

太政官符
一斎内親王禊用度事
右内親王行之日、依神部供給、及-仍斎宮寮毎之、其供給料稲二百卌束、-備正-送寮但夫并馬、承前神郡行之、
一斎宮寮年料乾芻事
右芻依輸、神郡百姓所三千斤、而百姓等申云、調庸雑徭之外、件乾艱辛殊深者、芻、刈、其糧食料-用正
以前右大臣偁、奉 勅、者、寮依施行、自以後永
延暦十一年七月三日

『日本紀略』延暦11年閏11月乙酉(4日)条(792)

多治比子姉卒、参議大中臣諸魚母也、先是、諸魚云、中臣朝臣神祇者、是天照大神神主也、累世相承、遭者、勅、雖

『日本紀略』延暦12年3月戌子(10日)条(793)

参議壱志濃王-幣於伊勢大神遷都之

『日本紀略』延暦13年正月辛卯(17日)条(794)

参議大中臣諸-幣於伊勢太神也、

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 延暦13年3月辛卯(18日)条(794)

大監物従五位上石淵王、参議従四位上守兵部卿兼近衛大将行神祇伯近江守大中臣朝臣諸魚-幣於伊勢太神

『類聚国史』32(帝王12天皇遊宴) 延暦13年12月辛丑(2日)条(794)

斎宮寮献物、曲宴、助正六位上三島真人年継、斎内親王乳母無位朝原忌寸大刀自従五位

『類聚国史』3(神祇3伊勢大神) 延暦14年8月甲午(30日)条(795)

-祓宮中及左右京、畿内、近江、伊賀、伊勢等伊勢大神宮装束也、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 延暦15年2月乙亥(13日)条(796)

斎内親王欲京、頓宮於大和

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 延暦15年2月丁丑(15日)条(796)

使-幣於伊勢太神斎内親王退也、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 延暦15年3月丙申(5日)条(796)

従五位上守左少弁兼左兵衛佐橘朝臣入居斎内親

『日本後紀』延暦15年11月辛丑(14日)条(796)

伊勢神宮、賀茂上下二社、松尾社、亦施七大寺及野皇太子親王已下職事正六位已上、僧都律師各有差、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 延暦16年4月癸酉(18日)条(797)

布勢内親伊勢太神宮

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 延暦16年8月甲戌(21日)条(797)

斎内親王于葛野即移

『類聚国史』19(神祇19神宮司) 延暦17年正月乙巳(24日)条(798)

勅、掃神、福、今聞、神宮司等、一任終身、侮黷不敬、祟咎屡臻、天下諸国神宮司、神主、神長等、氏中清慎補之、六年相神祇官神封伊勢太神宮司季

『日本後紀』延暦18年4月庚寅(16日)条(799)

従五位下中臣丸朝臣豊国斎宮正六位上大伴宿禰峰麻呂遣新羅使正六位上林忌寸真継

『日本後紀』延暦18年5月辛未(28日)条(799)

神祇大祐正六位上大中臣朝臣弟-伊勢大神宮殿

『日本後紀』延暦18年7月己酉(7日)条(799)

伊勢斎宮新嘗歌舞九月

『日本後紀』延暦18年7月庚午(28日)条(799)

使畿内七道諸斎内親王也、

『日本後紀』延暦18年8月丙申(25日)条(799)

幣帛於伊勢大神斎内親王也、

『日本後紀』延暦18年9月甲辰(3日)条(799)

斎内親王侍従従四位下中臣王、参議正四位下藤原朝臣乙叡送焉、

『日本後紀』延暦18年9月条(799)

京畿百姓北辰斎内親王伊勢也、

『類聚三代格』1(神宮司神主禰宜事) 延暦19年11月3日官符(800)

太政官符
斎宮主神司
右、右大臣偁、奉 勅、件司令外特置、未管、-校功決、以後神祇官管
延暦十九年十一月三日

『類聚三代格』1(科祓事) 延暦20年5月14日官符(801)

太政官符
一大祓料物廿八種、承前悪祓料物准重輸今下条亦同、
馬一疋、大刀二口、弓二張、
矢二具、已上三種並不刀子六枚、
木綿六斤、麻六斤、庸布六段、
鍬六口、鹿皮六張、猪皮六張、
酒六斗、米六斗、稲六束、
鰒六斤、堅魚六斤、雑腊六斤、
塩六升、海藻六斤、滑海藻六斤、
食薦六枚、薦六枚、坏六口、
盤六口、柏十五把、枚手六十枚料、匏四柄、
楉四枝、長各一丈、席一枚、
-怠大嘗祭及同斎月内弔-署刑殺文決罰、食穢悪之者、雑物具官人有犯、
一上祓料物廿六種、
大刀一口、弓一張、矢一具、
刀子二枚、木綿三斤、麻三斤、
庸布三段、鍬三口、鹿皮三張、
酒三斗、米三斗、稲三束、
鰒三斤、堅魚三斤、雑腊三斤、
塩三升、海藻三斤、滑海藻三斤、
食薦三枚、薦三枚、坏四口、
盤四口、柏十把、枚手卌枚料、匏二柄、
楉三枝、長各一丈、席一枚、
-怠新嘗祭、鎮魂祭、神嘗祭、祈年祭、月次祭、神衣祭等伊勢大神宮禰宜内御膳并新嘗等諸祭斎日、等六色禁者、宜輸物如右、
一中祓料物廿二種、
刀子一枚、木綿一斤、麻一斤、
庸布一段、鍬一口、鹿皮一張、
酒一斗、米一斗、稲一束、
鰒一斤、堅魚一斤、雑腊一斤、
塩一升、海藻一斤、滑海藻一斤、
食薦二枚、薦二枚、坏四口、
盤四口、匏一柄、柏五把、枚手廿枚料、
楉二枝、長各一丈、
-怠大忌祭、風神祭、鎮花祭、三枝祭、鎮火祭、相嘗祭、道饗祭、平野祭、園韓神春日等祭物忌戸座御火物忌穢悪御膳并忌火等祭斎日祝禰宜及神戸等六色禁者、宜輸物如右、
一下祓料物廿二種、
刀子一枚、木綿六両、麻六両、
庸布一段、鍬一口、鹿皮一張、
酒四升、米四升、稲四把、
鰒六両、堅魚六両、雑腊六両、
塩四合、海藻六両、滑海藻六両、
食薦一枚、薦一枚、坏二口、
盤二口、匏一柄、柏五把、枚手廿枚料、
楉二枝、長各一丈、
-怠諸祭祀及斎日祝禰宜并預神戸諸禁者、宜輸物如右、
以前右大臣偁、承前事有罪、善悪二祓-科一条例已繁、輸物亦多、事仍今改張立件、其殴傷若重者、祓浄之外依罪、斎外闘打者依科決、不又祝禰宜等与闘打及他犯者先即決罰、神戸百姓者行斎之外決法、奏聞、奉 勅、請、
延暦廿年五月十四日

『類聚国史』4(神祇4伊勢神郡) 延暦20年10月戊申(19日)条(801)

伊勢国言、多気度会二郡司等、常伏望、於郡堺外、将之、

『類聚三代格』1(神郡雑務事) 延暦20年10月19日官符(801)

太政官符
-罰神郡
伊勢国偁、調庸租税依勘徴、而多気度会二郡司、独望請、神界之外将者、右大臣宣、奉 勅、請、
延暦廿年十月十九日

『日本紀略』延暦22年正月丁巳(5日)条(803)

伊勢斎宮寮史生四

『日本後紀』延暦23年5月丙申(23日)条(804)

斎宮寮

『日本後紀』大同元年正月癸巳(28日)条(806)

従四位下藤原朝臣仲成大和従五位上百済王鏡仁河内従五位下紀朝臣南麻呂為介、兵部大輔正五位上藤原朝臣継業兼山城従四位下和朝臣入鹿麻呂伊勢斎宮頭従五位下中臣丸朝臣豊国従五位下藤原朝臣真川尾張従五位下菅原朝臣清公為介、従五位下路真人年継参河従五位下大枝朝臣菅麻呂遠江従五位下大宅真人継成駿河中納言従三位藤原朝臣内麻呂兼武蔵近衛大将如故、従五位下桑田真人甘南備為介、従五位上安曇宿禰広吉安房宮内大輔従五位上藤原朝臣道雄兼上総従五位下石川朝臣道成為介、右衛士佐従五位下田中朝臣八月麻呂兼権外従五位下千葉国造大私部直善人参議従三位紀朝臣勝長兼下総左兵衛督如故、従五位下藤原朝臣城主為介、従四位下葛野王常陸主馬頭如故、左兵衛権佐従五位下安倍朝臣益成兼権大内記従五位下平群朝臣真常兼近江権左衛士佐従五位下百済王教俊兼美濃従五位上坂本朝臣佐太気麻呂信濃侍従従四位下大庭王兼上野正四位下三島真人名継越前従五位下和朝臣氏継越後従五位下紀朝臣百継為介、近衛将監如故、左少弁従五位下藤原朝臣貞嗣兼丹後外従五位下山田造大庭為介、参議右衛士督従四位下藤原朝臣緒嗣兼但馬従五位下佐伯宿禰清岑為介、内厩頭従五位下坂上大宿禰石津麻呂兼因幡従五位下作良王伯耆従五位下大中臣朝臣全成出雲従五位下安倍朝臣宅麻呂為介、従五位下秋篠朝臣全継石見従五位下藤原朝臣友人播磨中内記外従五位下出雲連広貞兼美作権従五位下藤原朝臣諸主備中外従五位下掃守宿禰弟足安芸従五位下紀朝臣国雄讃岐参議正四位下菅野朝臣真道兼大宰大従五位下大野朝臣犬養肥前従五位下多治比真人氏守為介、従五位上高倉朝臣殿継肥後従五位下小野朝臣木村豊前

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 大同元年3月癸巳(29日)条(806)

大和、伊賀両国斎内親王也、

『日本後紀』大同元年4月戊申(15日)条(806)

右兵庫頭従五位下佐伯王、左衛士佐従五位下百済王教俊斎内親王於伊勢

『日本後紀』大同元年4月己酉(16日)条(806)

使-幣於伊勢大神斎内親王也、

『日本後紀』大同元年8月庚午(10日)条(806)

中臣忌部両氏各中臣氏云、忌部者、本然則不忌部幣帛使忌部氏云、奉幣祈祷、是忌部之職也、然則忌部幣帛使中臣使彼此相論、各有拠、是日勅命、日本書天照大神天磐之時、中臣連遠祖天児屋命、忌部遠祖太玉命、天香山之五百箇真坂而上枝八坂瓊之五百箇御中枝八咫下枝青和幣白和相与者、然則祈祷中臣忌部並又神祇令云、其祈年月次祭者、中臣忌部践祚之日、中臣天神寿忌部神璽鏡六月十二月晦日大祓者、中臣御祓東西文部訖、中臣常祀之外、者、皆五位以上卜食之、常祀之外、奉幣之使、-用両自余之事、専

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 大同元年11月壬寅(13日)条(806)

大原内親伊勢斎内親

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 大同元年11月己酉(20日)条(806)

近衛権中将従四位下藤原朝臣真夏等於伊勢太神斎内親也、

『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)

神封部
合四千八百七十六戸
率河神 六戸、左京四戸、丹後国二戸、
伊勢大神 一千百卅戸、大和百一戸、伊賀廿戸、伊勢九百卌四戸、志摩六十五戸、尾張卌戸、参河廿戸、遠江卌戸、
桜島神 廿四戸、大和十四戸、因幡十戸、天平神護元年奉充、
恩智神 卅七戸、河内九戸、丹後七戸、播磨十戸、美作十一戸、同二年奉充、
気比神 二百卌四戸、越前国、天平三年十二月十日符従三位料二百戸、神護元年九月七日符廿二戸、十戸、廿二戸、
剣御子神 卅戸、越前、宝亀三年奉廿戸、天平神護元―九月七符十戸、
椎前神 三戸、越前、宝亀七―十二月八日符、
伊曽乃神 十五戸、伊与、天平神護元―十月奉十戸、神護二―十二月三日奉五戸、
大山積神 五戸、伊与、天平神護二―五月三日符、
伊与野間神 六戸、同国、
伊与津比古神 二戸、同国、
葛野打下神 九戸、山城国、
菟足神 十三戸、大和八戸、尾張五戸、
津名神 十三戸、淡路国、
大和神 三百廿七戸、勝宝元―十一月十四日奉三百戸、廿七戸不大和廿戸、十戸神護元―奉充、尾張七戸、常陸百戸、出雲五十戸、武蔵五十戸、安芸百戸、
大神々 百六十戸、大和卌五戸、摂津廿五戸、遠江十戸、美濃五十戸、長門卅戸、天平神護元―九月八日符、
鹿島神 百五戸、常六国神賎戸五十烟、課六百八十五人、不課二千六百七十六人、延暦五年、
香取神 七十戸、下総国、
穴師神 五十二戸、大和五戸、和泉八戸、播磨卅九戸、
住吉神 二百卅九戸、摂津五十戸、丹波一戸、播磨八十二戸、安芸廿戸、長門六十六戸、
日前神 五十六戸、紀伊国、
国懸須神 六十戸、紀伊国、
須佐命神 十戸、紀伊国、
伊太祁曽神 五十四戸、紀伊国十二
安房神 九十四戸、安房国
熊野神 廿五戸、出雲国戸、
鴨神 八十四戸、大和卅八戸、伯耆十八戸、出雲廿八戸、
都麻頭比売神 十三戸、紀伊国、
大屋津比売神 七戸、紀伊国、
巻向神 二戸、広瀬川合神 二戸、龍田神 三戸、並大和国、
上野抜鋒神 二戸、上野、村屋神 六戸、大和三戸、美作三戸、
池神 三戸、大和、倭文神 廿三戸、大和一戸、
播磨伊和神 十三戸、播万国、御歳神 十三戸、大和三戸、讃岐十戸、天平神護元年、
粟島神 二戸、伊雑神 二戸、並志摩、
他田神 二戸、大和一戸、伊勢一戸、大鳥神 二戸、和泉、
熊野牟須美神 四戸、紀伊、天平神護二年奉充、
新屋神 一戸、津国、祝園神 四戸、山城国、
伊豆三島神 十三戸、伊豆国、宝字二年十月二日九戸、同十二月四戸、
伊□大社神 二戸、近江国、佐為神 二戸、大和、
速玉神 四戸、紀伊、神護二年九月廿四日奉充、
許志摩神 九戸、山城、鏡作神 十八戸、大和二戸、伊豆十六戸、
羽束神 四戸、山城、占部神 九戸、山城、
櫛石窓神 五戸、丹波国、三尾神 十三戸、近江、神護元年九月七日符、
畝尾神 一戸、大和、若雷神 廿四戸、山城十四戸、丹波十戸、
難波大神社 二戸、津国、射園神 一戸、美乃、
槻田神 二戸、大和一戸、景雲四年、播万一戸、
和爾神 四戸、大和、宗我神 三戸、大和、
目原二神、同、島神 七戸、紀伊国、
忍坂神 三戸、伊勢一戸、但馬二戸、伊吉麻神 三戸、大和、
和支神 四戸、山城、入比売神 六戸、比売社神 一戸、津国、并、
奈須支神 二戸、同、出石神 十三戸、但馬、
養父神 四戸、同、大宮咩神 七戸、丹波、
比睿神 二戸、近江、葛木御県神 戸、備前、
高市御県神 二戸、志貴御県神 十二戸、
山辺御県神 二戸、添御県神 二戸、
十市御県神 二戸、石村神 二戸、忍坂山口神 一戸、
長谷山口神 二戸、耳無神 一戸、畝火山口神 一戸、以上大和、
建御名方富命神 七戸、生島足島神 一戸、並信濃国、
吉野水分神 一戸、宇太水分神 一戸、都祁山口神 一戸、神稲代神 一戸、並大和、
佐牙神 九戸、広田神 卌一戸、長田神 卌一戸、生田神 卌四戸、並津国、
片岡神 卅戸、大和七戸、遠江八戸、近江十五戸、
大依羅神 十八戸、津国八戸、備前十戸、天平神護元年奉充、
枚岡神 六十戸、河内四戸、丹波五十六戸、春日部神 四戸、河内、
石上神 八十戸、大和廿戸、備後十戸、信乃五十戸、
火幡神 十戸、伊与、高鴨神 五十三戸、大和二戸、伊与卅戸、天平神護二年符、土佐廿戸、天平神護元年符、
住吉垂水神 廿二戸、津国二戸、宝字三年十二月廿九日符、備中一戸、天平神護元年九月七日符、
播磨明石垂水神 十戸、播万、鴨御祖神 廿戸、山城十戸、丹波十戸、天平神護元年九月七日、
気多神 卅戸、能登国、
杵築神 六十一戸、出雲、天平神護元年奉充、大国魂神 一戸、大和国、天平宝字八年、
櫛麻知乃命神 一戸、
大祝詞命神 一戸、大和国、天平神護元年奉充、
園神 廿戸、韓神 十戸、並讃岐国、同年奉充、
川田神 二戸、近江国、同年奉充、荒田神 四戸、播万国、同年奉充、
山津照神 六戸、山田神 五戸、田鹿神 六戸、
日向神 二戸、並近江国、天平神護二年奉充、金山彦神 三戸、山城国、同年一戸、宝亀二年一戸、三年一戸、
氷川神 三戸、武蔵国、神護二年七月廿四日符、
菅生神 一戸、河内国、宝字八年、松尾神 四戸、山城二戸、神護景雲元年、因幡国二戸、三年奉充、
大島神 一戸、近江国、神護景雲□~□宝元奉充、
奥津島神 一戸、奥石神 一戸、近江国、同年、
花長神 一戸、美乃国、同年奉充、飯道神 一戸、近江国、宝亀二年奉充、
甘南備神 一戸、山城国、同年奉充、麻気神 一戸、丹波国、神護景雲四年奉充、
波多瓺井神 一戸、大和国、同年奉充、高宮神 一戸、河内国、同年奉充、
小野神 二戸、近江国、宝亀二年奉充、
高天彦神 四戸、大和国、同十年奉充、
任益神 十戸、参河国、中臣神 五戸、
酒見神 三戸、播万、忌部神 廿戸、紀伊十戸、出雲十戸、
葛木犬養神 廿戸、信濃、墨坂神 一戸、信乃々、天応元年十月十四日、
越知神 一戸、同国、同年、御上神 二戸、近江国、
粟鹿神 二戸、但馬国、来馬神 二戸、淡路、
若狭比古神 十戸、若狭、鹿島神 二戸、陸奥国、延暦元年五月廿四日符、
伊波刀和気神 二戸、同国、宝亀四年九月符、
白河神 二戸、同国、同年十月廿日符、苅田神 二戸、
伊具波夜別神 二戸、同国、同日符、月山神 二戸、出羽国、同年同月符、
多神 六十戸、大和十戸、播万卅五戸、遠江十五戸、
玉祖神 十戸、周防国、
中臣大鳥神 二戸、阿波、春日神 廿戸、常陸国鹿島社奉寄、天平神護元年、
乙訓神 六戸、山城国、天平七年四月十四日符、
丹生川上神 四戸、丹波二戸、大和二戸、宝亀四年五月、坐摩神 二戸、津国、
安宿山口神 十四戸、大和四戸、播万十戸、
生根神 一戸、大和国、磯部神 十四戸、大和国、伊勢大神宮神戸、
矢田神 二戸、大和国、
一大宰神封
大神神 六十二戸、筑前国、住吉神 卅六戸、
阿曇神 八戸、宗像神 七十四戸、已上四社、同国、
八幡神 一千六百六十戸、二千四百卅
田百卌六町九段二百卌四歩、神田六町九段二百卌四歩、位田百卌町、
一品八幡大神、封八百戸、四百廿三百八十位田八十町、五十
二品比咩神 六百戸、位田六十町、
田島神 十六戸、肥前国、大社神 一戸、壱岐島、
太祝詞神 二戸、対馬島、益救神 一戸、多禰島、

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 大同2年8月癸亥(8日)条(807)

使神宝并唐国信物於伊勢太神

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 大同2年8月己卯(24日)条(807)

斎内親王於葛野即移

『日本後紀』大同3年5月庚寅(9日)条(808)

従五位下田口朝臣息継右少阿波守如故、従五位下藤原朝臣安継雅楽従五位下紀朝臣貞成河内従五位下藤原朝臣伊勢臣斎宮

『日本後紀』大同3年8月壬子(3日)条(808)

勅、斎宮寮之炊部司、元長官一人、而今改長官主舎人蔵部等司官

『類聚三代格』5(定官員并官位事) 大同3年8月3日官符(808)

太政官符
炊部司長官主典官位事
斎宮寮偁、件司元長官一人、而今改長官主者、右大臣宣、奉 勅、舎人蔵部等司官
大同三年八月三日

『日本後紀』大同3年8月乙亥(26日)条(808)

斎内親王於葛野即移

『日本後紀』大同3年9月辛巳(2日)条(808)

勅、伊勢大神并度会二宮大内人各三員、元是白丁、自以後、宜外考并把

『日本後紀』大同3年9月癸未(4日)条(808)

斎内親王

『日本後紀』大同3年11月辛卯(14日)条(808)

幣帛於伊勢大神大嘗也、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 大同4年6月甲申(10日)条(809)

摂津国伊勢斎内親王也、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 大同4年8月甲申(11日)条(809)

仁子内親伊勢

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 弘仁元年4月戊子(19日)条(810)

使於伊勢太神斎内親也、

『類聚国史』34(帝王14天皇不予) 弘仁元年7月戊辰(30日)条(810)

右大弁従四位上藤原朝臣藤-幣於伊勢太神聖体不也、

『日本後紀』弘仁2年5月癸卯(10日)条(811)

従五位上高階真人遠成主計従五位下小野朝臣真野斎宮

『日本後紀』弘仁2年6月乙丑(3日)条(811)

-幣於伊勢太神

『日本後紀』弘仁2年8月辛卯(29日)条(811)

斎内親王于葛野諸司陪従如常、

『日本後紀』弘仁2年9月壬辰朔条(811)

今月挙哀改葬等斎内親王也、

『日本後紀』弘仁2年9月乙未(4日)条(811)

斎内親王諸司陪従如常、

『日本後紀』弘仁2年11月庚子(9日)条(811)

詔曰、伊勢国頃年多事、百姓労擾、往年-奉大今亦労肩、斎内親王相迎送祗供不息、其労悦以使民、歴代之洪猷、救康、曩哲之恒範、今年田租、悉猶徴、

『日本後紀』弘仁3年5月辛酉(4日)条(812)

勅、伊勢国多気度会及飯高飯野等七郡神戸百姓等、縁是以昔年以後、-求富于報数倍、挙者有罪、償者受弊、神税之外、正税十三万三千其息斎宮

『日本後紀』弘仁3年7月戊午(2日)条(812)

大極殿-幣於伊勢大神也、

『日本後紀』弘仁3年8月辛卯(6日)条(812)

無品布勢内親王薨、詔従五位下弟村王、従五位下文室真人末嗣-護喪親王者、皇統弥照天皇第五女也、母丸朝臣氏、親王資性婉順、貞操殊励、延暦十六年伊勢

『類聚三代格』7(郡司事) 弘仁5年3月29日官符(814)

太政官符
同姓主政主
天平七年五月廿一日偁、終身之任理一郡用同他姓者、僅得於少領已以外悉停任、但神郡国造陸奥之近郡、多褹島郡等、聴者、今右大臣偁、奉 勅、一郡之人同姓尤多、或身或才而被人之為補、譜第自今以後永
弘仁五年三月廿九日

『日本後紀』弘仁5年7月乙卯(10日)条(814)

従五位下藤原朝臣賀祜麻呂兼中務少武蔵介如故、従五位下藤原朝臣文山従五位下紀朝臣長田麻呂治部大従五位下多治比真人船主従五位上大原真人真福民部大従五位下藤原朝臣浜主兼右京近江介如故、斎宮頭従五位下安倍朝臣寛麻呂兼伊勢権

『日本後紀』弘仁6年8月辛丑(3日)条(815)

使-幣於伊勢大神宮并賀茂大霖雨也、

『類聚国史』19(神祇19神宮司) 弘仁7年6月丙辰(22日)条(816)

伊勢大神宮司従七位下大中臣朝臣清持神祇官卜祟、

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 弘仁7年8月乙未(2日)条(816)

-幣於伊勢太神

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 弘仁7年9月戊辰(6日)条(816)

-幣於伊勢太神去八月十六日夜為也、

『類聚三代格』1(神郡雑務事) 弘仁8年12月25日官符(817)

太政官符
多気度会両郡雑務大神宮
神社玖拾参前
多気郡五十一前
度会郡四十二前
偁、太政官去延暦廿年十月十九日偁、彼国偁、調庸租税依勘徴、而多気度会二郡司、独望請神界之外将者、右大臣宣、奉 勅、者、国司此符百姓有界外決罰、自行来十六箇年、又同官弘仁三年五月三日偁、大納言正三位藤原朝臣園人偁、奉 勅、以後永禰宜祝等-理神随即修之、延怠国司毎若禰宜祝等不者、並其有位者即白丁者杖一国司不者、遷替之日其解者、国司依決罰猶同官去年十二月廿一日偁、神祇官解偁、十二月御卜当国司多気度会二神郡、-挙正者、今神社破損未終任之後安者、
溝池十九処
多気郡九処 溝五処 池四処
度会郡十処 溝六処 池四処
右同前解偁、太政官去延暦十九年九月十六日偁、右大臣偁、奉 勅、々々之開実聞、諸国溝池多有修、田疇荒廃職此之由、既往将来者、国承知存修理、自以後-計池朝集官、交替国司拠実、者、夫-理溝者必而国司不亦不便之状、一神社之者、
駅家壱処 度会
倉一宇 屋四宇
右同前解偁、太政官去延暦十九年九月二日偁、右大臣偁、如聞、諸国駅家例国郡怠慢曽以後、国司存交替之日如前人造畢然後放還、事 勅者、而今国司修理無便之状、亦溝池之者、
桑漆廿一万八千七百九十六根
多気郡十四万七千三百六根
桑十三万六千五百卅三根
漆一万七百七十三根 見実一千百卌根 無実九千六百卅三根
度会郡七万一千四百九十根
桑五万八千四百五十根
漆一万三千卌根 見実七百七根 無実一万二千三百卅三根
右同前解偁、太政官去大同二年正月廿日偁、当道観察使参議従三位行式部卿藤原朝臣葛野麻呂奏偁、桑漆之課具于採公私由之、然国郡官司不天平二年五月六日偁、諸国所桑漆等帳、或国或虚同、以後、厳殖満、毎巡検、実録申之、如遣使勘会与者、国司必郡司-却見者、然猶積常、悛、望請-知当交替分付、若不者、-留解者、而今国司催殖無便之状、亦駅家之者、
正倉官舎卌一宇
多気郡卅宇 正倉二宇 官舎廿八宇
度会郡十一宇 正倉一宇 官舎十宇
右同前解偁、太政官去弘仁四年九月廿三日偁、右大臣偁、奉 勅、正倉官舎各者、而今国司修造無便之状、亦桑漆之者、
一応百姓訴
右同前解偁、太政官去大同元年八月十一日偁、云、訴人不者、不理上陳、若内不給、訴人官司姓官司其訴-推不然後断決、太政官不者、当今官司不不理訴人無官司姓而非窮弊之民徒疑滞之獄遂無決、右大臣宣、一不理若習及越訴之輩妄並依者、今神郡百姓等、或強盗窃強姦和以外笞杖罪多、既真偽之不理之者、
以前偁、太政官去弘仁四年九月廿二日偁、交替之日、所有官舎正倉器杖池堰国分寺神社等破損、宜後任早其料者作-留前司主典以上公之、者、-用私修理者、而今前司之時神郡官舎正倉池堰神社等之類破損極多、既神祇官去延暦廿年九月廿一日大神偁、太政官去五月十四日偁、右大臣偁、承前神事有罪、其殴傷若重者、祓清之外依罪、斎外闘打者、依科決、不又祝禰宜等与闘打、及他犯者、先即決罰、神戸百姓者、行斎之外決罰如法、者、今宮司不国司不其上件諸物等延暦之前雖交替無煩、頃年之後一物未而神祇官空旧例新格国司無百姓怠、補却之労年望請自以後、二郡雑務、永大神宮交替分附、然則官物修造之便国司遷代之者、神祇官卜者、中納言兼左近衛大将従三位春宮大夫陸奥出羽按察使藤原朝臣冬嗣偁、奉 勅、卜、
弘仁八年十二月廿五日

『類聚国史』4(神祇4伊勢神郡) 弘仁8年12月庚辰(26日)条(817)

伊勢国多気度会二郡雑務悉太神宮交替付領、一国司也、

『日本紀略』弘仁9年4月乙亥(22日)条(818)

-伊勢大神諸大寺及畿内諸寺山林禅場等転経礼祈雨也、

『類聚国史』11(神祇11祈祷上) 弘仁9年9月壬辰(11日)条(818)

幣帛於伊勢太神也、

『日本紀略』弘仁10年7月癸巳(17日)条(819)

使於伊勢太神宮、大和国大后山並奉幣祈雨、

『類聚三代格』1(神封物并租地子事) 弘仁12年8月22日官符(821)

太政官符
伊勢大神宮-納神郡田
神祇官偁、承前之例、大神宮-納伊勢国多気度会両郡神田租、及七処神戸田等-用祭従来尚矣、中間国司預以検納、仍太政官去延暦廿四年四月七日伊勢符偁、神祇官偁、神宮司解偁、伊勢国司移偁、太政官去延暦廿年七月一日符偁、今神祇云、神戸調庸及田租者、並及供神調其税者一皆国司検校者、-拠令于支国司郡司神主等-度祭申上者、国司等-知用-収神凡此大神者天下貴社、如之類元来所也、而今国司検収、於者、右大臣宣、者、自而後司検納-用祭但物被神宮及離数少祭用有欠、仍更即太政官去弘仁六年六月九日神宮并国符偁、神祇官偁、大神宮司解偁、年中神事、闕、当国神税所数少、望請、他国神税-用所者、右大臣宣、他国所徒積希用、当国所已尽、縦卒爾何支、他国神年中雑用其当国神税毎儲置、若不必可者、先申後用者、従国司始亦預納、之、而年中祭用稲合四万一千一百九十束一把、今神戸合百卅一烟、所租五千二百五十束、外所只一千五百八十五束、亦当国所租三万五千束、爰当国他国神税合三万六千五百八十五束、即共充用猶所稲四千六百五十束、其代-用正即便填而毎残封煩、望請、下二神宮預以支用其祭-請正者永 官者、右大臣宣、奉 請、
弘仁十二年八月廿二日

『日本紀略』弘仁14年4月乙巳(21日)条(823)

幣帛伊勢太神也、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 弘仁14年6月丙戌(3日)条(823)

天皇大極殿幣帛于伊勢太神斎内親也、

『日本紀略』弘仁14年7月己未(7日)条(823)

幣帛伊勢大神也、

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 弘仁14年8月己丑(8日)条(823)

天皇大極殿幣帛於伊勢太神

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 弘仁14年9月壬戌(11日)条(823)

大極殿後殿幣帛於伊勢太神

『類聚国史』8(神祇8大嘗会) 弘仁14年11月癸丑(3日)条(823)

天皇大極殿-献幣帛伊勢太神也、

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 天長元年4月乙酉(6日)条(824)

大極後殿使少納言従五位上継野王、中臣神祇大副正五位下大中臣朝臣淵魚、忌部大祐正六位上忌部宿禰雲梯御剣并幣帛于伊勢太神故也、

『淳和天皇御即位記』所載『日本後紀』弘仁14年4月辛亥(27日)条(823)

皇帝即位、詔曰、明神大八洲国所知天皇詔良麻止宣勅、親王諸王百官人等天下公民衆聞食宣、掛畏明神坐倭根子天皇良我此天津日嗣高座之業、掛畏近江大津御宇天皇初賜定賜部流法随、仕奉仰賜授賜閉波、頂受賜、進退、恐大坐久止宣天皇勅聞食、然皇大座天下治賜君、賢人良佐、天下乎波治賜止奈母聞行、故是以大命宣、朕親王等始王等臣等相穴奈比相扶奉事依弖之、此仰賜授賜閉流食国天下之政、平仕奉閉之止奈母所念行、是以、正直之、天皇朝庭衆助仕奉宣天皇勅、衆聞食宣、辞別宣、仕奉人等中、其仕奉状随、冠位上賜治賜、又大神宮諸社禰宜祝等位一又左右京五畿内鰥寡孤独人等、、又諸国飢公民借貸稲未納、悉免賜久止、勅天皇大命諸聞食宣、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長元年8月庚寅(14日)条(824)

伊勢斎内親王次第

『類聚国史』11(神祇11祈祷上) 天長元年8月癸巳(17日)条(824)

使-伊勢太調也、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長元年9月乙卯(10日)条(824)

詔曰、天皇詔旨坐、掛畏太神大前申給閉止、多気斎宮、大神宮離遠、毎便、度会離宮卜定、常斎宮須倍伎状申出事、恐美毛申給久止申、

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 天長3年9月乙亥(11日)条(826)

天皇八省幣帛於伊勢太神

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長4年2月丁巳(26日)条(827)

制曰、天皇恐々奏賜閉止伊勢斎内親王本病屡発、奉之事流爾、京都還参上倍支、中納言従三位清原真人夏野、大舎人頭従四位上藤原朝臣浄本等使差恐々奏賜久止白、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長4年2月庚申(29日)条(827)

参議式部大輔従四位上南淵朝臣弘貞、右京大夫従四位下藤原朝臣文伊勢斎内親王帰之状石作山

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長4年4月癸巳(2日)条(827)

大極殿幣帛伊勢大神勅使参議左大弁正四位下直世王、中臣散位従五位下大中臣朝臣笠作、制曰、天皇大命坐、度会五十鈴之川上皇大神大前申給、今侍斎内親王、本病屡発、奉退、参議正四位下直世王、中臣散位従五位下大中臣朝臣笠作使、礼代之大幣帛、忌部弱肩、太手次取掛、持斎波理捧令、進給御詔申給久止申、辞別申給、斎内親王卜食、卜内親王、追可申給久止申、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長5年2月己亥(12日)条(828)

宜子女王奉

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長5年2月壬子(25日)条(828)

小安殿使散位従五位下三継-大神其詞曰、天皇大命坐、五十鈴河上称辞定奉大神大前申給氏子親王大神御杖代止之弖、奉多留親王在、而今身安退出、中務卿四品仲野親王女、宜子女王王散位従五位下三継王、中臣神祇大祐正六位上大中臣朝臣天品、忌部少史正八位上斎部友主等差使申給久止申、

『弘仁式』主税(830)

凡斎内親王者、并雑用料稲、近江国一万五千束、伊賀国七千束、伊勢国二万二千束、
凡斎宮官人以下奴婢以上食料、伊勢国庸之、若不者、令送充、

『類聚国史』34(帝王14天皇不予) 天長7年7月丙申(21日)条(830)

-伊勢大聖体不也、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長7年8月戊辰(27日)条(830)

斎女王、為-伊勢大神賀茂供奉諸司差、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長7年8月辛未(30日)条(830)

-祓於建礼門南斎女王-伊勢大神也、

『類聚国史』4(神祇4伊勢斎宮) 天長7年9月丁丑(6日)条(830)

天皇大極殿-献幣帛伊勢大神斎女王参也、

『類聚国史』11(神祇11祈祷上) 天長8年8月戊寅(13日)条(831)

皇帝大極殿-伊勢大神風雨之也、

『日本紀略』天長8年9月丙午(11日)条(831)

大極殿-伊勢大神

『類聚国史』11(神祇11祈祷上) 天長9年7月壬子(22日)条(832)

八省幣帛伊勢大神也、

『令義解』2(神祇令) 天神地祇条(凡天神地祇者神祇官皆依常典祭之)(833)

謂、天神者、伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神等類是也、地祇者、大神、大倭、葛木鴨、出雲大汝神等類是也、常典者、此令所載祭祀事条是也、

『令義解』2(神祇令) 孟夏条(神衣祭)(833)

謂、伊勢神宮祭也、此神服部等、斎戒潔清、参河赤引神調-作神又麻績連等、績敷和

『令義解』2(神祇令) 孟夏条(風神祭)(833)

謂、亦広瀬龍田二祭也、欲沴風不吹、稼穡滋登、故有此祭、凡読此四祭者、先読神衣、其次三枝、其次大忌、其次風神、即与公式令連署義同、以下諸祭、亦准此例也、

『令義解』2(神祇令) 季秋条(神衣祭)(833)

謂、孟夏同、

『令義解』2(神祇令) 季秋条(神嘗祭)(833)

謂、神衣祭日便即祭之、

『令義解』2(神祇令) 常祀条(卜食)(833)

謂、凡卜者、必先墨画亀、然後灼之、兆順食墨、

『令義解』2(神祇令) 即位条(其大幣者三月之内令修理訖)(833)

謂、大幣者、供幣物、各金水桶、金線柱伊勢神楯戈住吉之類是也、三月之内者、唯拠言、即始十一也、修理者、此也、

『続日本後紀』天長10年3月辛卯(4日)条(833)

天皇大極殿-伊勢大神也、

『続日本後紀』天長10年3月癸巳(6日)条(833)

天皇-位於大極殿詔曰、明神大八洲国所知天皇詔旨良万止宣勅、親王諸王諸臣百官人等天下公民衆諸聞食宣、掛畏倭根子天皇宣、此天日嗣高座之業、掛畏近江大津御宇天皇初賜定賜部留法随仕奉、仰賜授賜大命受賜、恐受賜、進退久止大勅衆聞食宣、然皇天下治賜君、賢人良佐弖之、天下乎波治賜止奈毛聞行、故是以大命坐宣、朕親王等王等臣等相穴奈比相扶奉事依天之、此仰賜授賜閉留食国天下之政仕奉倍之止所念行、是以正直之天皇朝庭衆助仕奉宣天皇勅衆聞食宣、辞別宣、仕奉人等中、其仕奉状随、冠位上賜治賜、又大神宮、諸社禰宜祝等位一又僧綱及京畿内諸寺僧尼知行有、并年八十已上太万布、又五位已上子孫年廿已上奈留爾当蔭之、左右京五畿内鰥寡孤独不人等、天下給高年、力田之輩其業超爵一、孝子順孫義夫節婦乎波、又外国僧尼年八十已上奈留爾波久止勅天皇大命衆聞食宣、

『続日本後紀』天長10年3月癸丑(26日)条(833)

久子内親伊勢高子内親王賀茂斎

『続日本後紀』天長10年4月甲子(7日)条(833)

内匠頭正五位下楠野王於伊勢大神斎宮宜子女王之替久子内親

『続日本後紀』天長10年8月丙午(23日)条(833)

-伊勢大神

『続日本後紀』天長10年11月庚申(8日)条(833)

大嘗会伊勢大神宮

『続日本後紀』承和元年6月丁未(28日)条(834)

伊勢大神宮及畿内七道名神也、

『続日本後紀』承和元年8月乙巳(27日)条(834)

久子内親王為伊勢-祓賀茂

『続日本後紀』承和元年9月戊午(11日)条(834)

天皇大極殿幣帛於伊勢大神

『続日本後紀』承和2年7月戊申(5日)条(835)

幣於伊勢大神亦為風雨之也、

『続日本後紀』承和2年8月乙亥(2日)条(835)

京畿之内来月北辰斎内親王也、

『続日本後紀』承和2年8月辛丑(28日)条(835)

斎内親王于賀茂伊勢也、

『続日本後紀』承和2年9月丁未(5日)条(835)

天皇大極殿-遣斎内親王於伊勢大神

『続日本後紀』承和3年8月甲寅(17日)条(836)

伊勢大神宮禰宜正六位上神主継麻呂、豊受神禰宜正六位上神主虎主並外従五位

『続日本後紀』承和3年9月丁丑(11日)条(836)

左兵庫頭従五位上岡野王等於伊勢大神今月九日宮中有穢、神嘗幣帛、不

『続日本後紀』承和3年12月庚子(6日)条(836)

天皇建礼門伊勢大神宮

『続日本後紀』承和4年3月乙酉(22日)条(837)

遣唐使進内匠頭正五位下楠野王幣帛於伊勢大神是日、天皇不大極殿雨也、権中納言従三位兼行左兵衛督藤原朝臣良房率諸司行事也、

『続日本後紀』承和5年7月丁丑(22日)条(838)

勅、彼青此朱雲膚屡興、旬液応候、隴畝之苗、秋稼可期、幣帛於伊勢大神

『続日本後紀』承和5年7月甲申(29日)条(838)

天皇八省伊勢大神也、

『続日本後紀』承和5年10月戊子(4日)条(838)

左兵庫頭従五位上岡野王神宝於伊勢太神

『続日本後紀』承和6年4月壬申(21日)条(839)

従五位下高原王-幣於伊勢大神雨、

『続日本後紀』承和6年10月辛酉(13日)条(839)

唐物於伊勢大神

『続日本後紀』承和6年11月庚辰(2日)条(839)

天皇大極殿使-幣於伊勢大神

『続日本後紀』承和6年11月癸未(5日)条(839)

伊勢官舎一百余左衛門権佐従五位下田口朝臣房絹百疋、綿三百屯、調布五十-問斎内親

『続日本後紀』承和6年12月庚戌(2日)条(839)

参議従四位上行春宮大夫兼右衛門督文室朝臣秋珍幣於伊勢大斎宮焼也、又去天長元年九月多気斎宮遠太神毎事便、-定度会離焉、今-定多気宮地可常斎使-申於大神

『続日本後紀』承和7年6月己未(15日)条(840)

幣帛於伊勢大神宮及賀茂上下、松尾等内外諸-幣神-請甘

『続日本後紀』承和7年7月戊寅(5日)条(840)

幣帛於伊勢大神也、

『続日本後紀』承和7年9月癸未(11日)条(840)

使幣帛於伊勢大神例也、

『続日本後紀』承和7年12月己酉(7日)条(840)

使於伊勢大神曰、頃日之間、御心有思、而国家諒闇、不加之、今年肥後神霊池涸尽卌余丈、之、

『続日本後紀』承和8年6月辛酉(22日)条(841)

詔曰、天皇詔旨、掛畏伊勢度会五十鈴之川上坐大神広前申賜ヘ止、先肥後国阿蘇郡神霊池、常与利涸竭卌丈、又伊豆国地震之卜求礼波、旱疫及兵事可卜申、自之外爾母物怪亦多、依左右念行、掛畏大神護賜、矜賜牟爾、無思食、令吉日良、大監物従五位下島江王、中臣民部大丞正六位上大中臣朝臣榲雄等使、礼代大幣奉出、此状聞食、国家介久志女、天皇朝廷宝位無護賜助賜、恐美毛申賜久止申、又使於賀茂御祖祈申亦同焉、

『続日本後紀』承和8年7月癸未(15日)条(841)

伊勢斎内親王離伊勢尾張両国正税料、

『続日本後紀』承和8年7月甲午(26日)条(841)

天皇八省幣帛於伊勢大神

『続日本後紀』承和9年2月己巳(4日)条(842)

使伊勢大神宮及諸也、

『続日本後紀』承和9年6月戊辰(5日)条(842)

勅、前者、陰陽使伊勢大神之、

『続日本後紀』承和9年7月己酉(17日)条(842)

春宮坊帯刀伴健岑、但馬権守従五位下橘朝臣逸勢等謀反、事発覚、六衛-守宮門并内右近衛少将従五位上藤原朝臣富士麻呂、右馬助従五位下佐伯宿禰宮勇敢近衛健岑逸勢私-獲其伊勢斎宮主馬長伴水上来健岑同被捕、右近衛将曹伴武守、春宮坊帯刀伴甲雄并五箇人-付左近衛左衛門左兵衛等三左右京-固街亦令山城国五神祇大副従五位下藤原朝臣大宇治弾正少弼従五位上丹墀真人門成大原侍従従五位下清原真人秋雄大枝散位従五位上朝野宿禰貞吉山埼大蔵少輔従五位下藤原朝臣勢多雄是、弾正尹三品阿保親王緘書、-呈嵯峨太皇太々々中納言正三位藤原朝臣良房於御以伝奏之、其詞曰、今月十日伴健岑来語云、嵯峨太上皇今国家之乱在也、請者、書中詞多、不

『続日本後紀』承和9年7月辛亥(19日)条(842)

頃者炎旱渉旬、秋稼焦枯、諸卜伊勢八幡等大神為祟、神祇伯大中臣朝臣淵祈祷焉、

『続日本後紀』承和9年8月壬申(11日)条(842)

勅、今茲百穀生長、未予祈幣於伊勢大神災未

『続日本後紀』承和9年9月壬寅(11日)条(842)

散位従五位下雄豊王、神祇少副従五位下大中臣朝臣礒守幣於伊勢大神例也、

『続日本後紀』承和9年9月辛亥(20日)条(842)

勅、去四月四日御卜曰、来年春夏間、可-幣於伊勢大神幣於天下名災於未

『続日本後紀』承和10年7月庚戌(23日)条(843)

使幣於伊勢大神也、

『続日本後紀』承和10年8月癸亥(7日)条(843)

天皇大極殿使幣帛於伊勢大神

『続日本後紀』承和10年9月丙申(11日)条(843)

諸司行事、幣於伊勢大神例也、

『続日本後紀』承和11年2月辛酉(8日)条(844)

外従五位下阿保朝臣永善、正六位上安倍朝臣氏主並従五位云々、従五位下並山王斎宮正五位下長岑宿禰高名兼権伊勢守如故、云々、

『続日本後紀』承和11年閏7月壬申(21日)条(844)

伊勢大神風雨

『続日本後紀』承和11年10月乙酉(6日)条(844)

天皇八省-幣於伊勢大神使

『続日本後紀』承和12年6月丁丑(8日)条(845)

勅、斎宮寮頭并-大神宮并多気度会両神郡雑以後、立

『続日本後紀』承和12年7月壬申(27日)条(845)

民部大輔正五位下長田王幣於伊勢大神也、此月、雨降、数々難晴、也、

『続日本後紀』承和12年8月辛巳(7日)条(845)

従五位上安棟王中務大正五位下興世朝臣書主木工従五位下並山王内膳従五位下文室朝臣助雄斎宮従五位下御長真人右衛門従五位下豊井王肥前従五位淡海真人真浄日向

『続日本後紀』承和12年9月乙卯(11日)条(845)

天皇大極殿使奉幣於伊勢大神例也、

『続日本後紀』承和14年3月己亥条(847)

天皇八省幣於伊勢太神云々、

『続日本後紀』嘉祥元年2月甲辰(14日)条(848)

従五位下豊住朝臣永貞斎宮

『続日本後紀』嘉祥元年6月庚子(13日)条(848)

大臣八省幣帛於伊勢大神宮及賀茂上下、松尾元、兼令也、

『続日本後紀』嘉祥2年9月丁巳(7日)条(849)

左少弁従五位上文室朝臣助雄神宝於伊勢大神是廿年一度所奉、例也、

『続日本後紀』嘉祥2年9月辛酉(11日)条(849)

天皇八省幣帛於伊勢大神例也、

『続日本後紀』嘉祥3年3月辛巳(3日)条(850)

散位従四位上大中臣朝臣淵魚卒、淵魚、故南朝右大臣正二位清麻呂朝臣之孫、正五位下継麿之第三男也、大同四年有勅、功臣之従五位弘仁六年神祇大厥後稍于四即転伯、摂津権天長十年従四位承和十年上表致仕、立性謹密、-練神弘仁六承和九都廿八ケ年、兼伊勢大神宮幽閑送日、薬餌待終、時年七十七、

『文徳天皇実録』嘉祥3年4月甲子(17日)条(850)

-位於大極殿其日晨旦快雨、百官雨日事、時天晴、策命曰、明神大八洲国所知天皇詔旨良万止宣勅、親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食宣、掛畏平安宮御宇倭根子天皇、我皇此天日嗣高座之業、掛畏近江大津御宇天皇初賜定賜倍留法随、仕奉仰賜授賜比之大命、受賜受賜、進退、恐久止宣天皇勅衆聞食宣、然皇天下治賜君、賢人良佐天之、天下乎波治物止奈毛聞行、故是以大命坐宣、朕親王等始、王等臣等相穴奈比、相扶奉事依天之、此仰賜授賜倍留食国天下之政仕奉倍之止奈毛所念行、是以正直之、天皇朝庭衆助仕奉宣天皇勅衆聞食宣、辞別宣、凡人子万久欲為、於夜多米爾止奈母聞行、故是以、朕親母藤原氏皇太夫人上奉治奉、又仕奉人等中其仕奉状随冠位上賜治賜、又太神宮、諸社禰宜祝等位一又僧綱、諸寺智行有并天下僧尼年八十已上太万不、又左右京五畿内鰥寡孤独不者、及天下給人等、力田之輩爵一又諸国言上承和九年以往租税未者、先帝御坐免給倍止、今天皇御意、去年以往未納復尽免給波久止勅天皇御命衆聞食宣、

『文徳天皇実録』嘉祥3年5月己卯(2日)条(850)

侍従従五位上島江王、左少弁従五位下文室朝臣助雄、中務少丞正六位上百済王忠岑、内舎人正六位上八多朝臣湊、従八位上清瀧朝臣岑成伊勢太神斎内親-祓於建礼門

『文徳天皇実録』嘉祥3年6月丁卯(21日)条(850)

散位従五位下利見王、神祇少副正六位上中臣朝臣薭守伊勢太神即位之百官斎戒、廃務三日、

『文徳天皇実録』嘉祥3年7月甲申(9日)条(850)

皇女晏子内親王伊勢恵子内親王賀茂-祓於建礼門両斎内親

『文徳天皇実録』嘉祥3年8月癸丑(8日)条(850)

散位正五位下楠野王、神祇少祐正六位上中臣朝臣薭守-伊勢太神晏子内親王斎、

『文徳天皇実録』嘉祥3年9月甲子(10日)条(850)

伊勢国多度大於官同国天照太神宮禰宜従八位下神主継長、豊受太神宮禰宜従八位下神主土主等、外従五位

『文徳天皇実録』嘉祥3年9月乙酉(11日)条(850)

少納言従五位上鎌蔵王、内蔵頭従五位下中臣朝臣壱志伊勢太神幣、細馬五

『文徳天皇実録』嘉祥3年9月庚子(26日)条(850)

侍従従五位上島江伊勢大神神祇大副従五位下中臣朝臣逸志賀茂大神神祇権少祐正六位上占部業基尾張大神賀瑞之-祓於建礼門使也、又-知五畿七道諸幣名賀端之是日、伊勢斎内親王於鴨従四位下右中弁藤原朝臣氏修禊

『文徳天皇実録』仁寿元年6月甲辰(3日)条(851)

使伊勢、賀茂、松尾、乙訓等神以祈霽、策文曰、天皇詔旨、掛畏大神広前、近来雨降己止、百姓農業流損奴倍之、掛畏大神厚助、此災之止所念行天奈毛、去五月廿七日御馬進、雨止祷申賜比之、而卜定多留日促爾之天、御馬取己止堪、後日必進、故是以差使、太幣奉出、此状聞食、降雨忽晴五穀不損、秋稼豊登之女、天皇朝庭、常磐堅磐、天下平安、護幸助賜矜賜倍止、恐美毛申賜久止申、又別辞申、此雨左留由縁卜求礼波、春祭供奉世留使等中介利、因茲、大神不志己理賜倍利止卜申世利、而祭使御卜合倍留止奈毛、所念行世留、此事聞食天奈毛懼畏御坐、大神神那我良聞食、今弥益護助賜倍止、恐美毛申賜久止申、

『文徳天皇実録』仁寿元年8月乙丑(26日)条(851)

伊勢斎内親王於鴨即日於野

『文徳天皇実録』仁寿元年9月庚辰(11日)条(851)

使伊勢太神細馬八宝幣具至、

『文徳天皇実録』仁寿元年10月庚申(22日)条(851)

使伊勢太神大嘗祭

『文徳天皇実録』仁寿元年12月乙巳(8日)条(851)

使伊勢大神幣、

『文徳天皇実録』仁寿2年5月丙子(10日)条(852)

伊勢斎宮諸

『文徳天皇実録』仁寿2年8月乙未朔条(852)

少納言従五位上鎌蔵伊勢太神奉幣、請

『文徳天皇実録』仁寿2年閏8月丁亥(24日)条(852)

-祓於建礼門伊勢斎内親王、将太神

『文徳天皇実録』仁寿2年閏8月戊子(25日)条(852)

伊勢斎内親王於鴨

『文徳天皇実録』仁寿2年閏8月癸巳(30日)条(852)

-祓於朱雀門伊勢斎内親王、将太神故重

『文徳天皇実録』仁寿2年9月庚子(7日)条(852)

伊勢斎内親王太神大極殿以遣之、自余中納言正三位安倍朝臣安仁、右中弁従五位上橘朝臣海雄等長奉送使

『文徳天皇実録』仁寿3年4月庚午(10日)条(853)

侍従従五位上島江王、神祇大副兼内蔵頭従五位上中臣朝臣逸志伊勢太神

『文徳天皇実録』仁寿3年7月丁未(18日)条(853)

散位従五位上全世王、神祇大副従五位上中臣朝臣逸志、散位従五位下斎部宿禰伴主伊勢太神幣、也、

『文徳天皇実録』斉衡元年7月庚戌(27日)条(854)

使伊勢太神予請

『文徳天皇実録』斉衡元年9月壬辰(10日)条(854)

使伊勢太神幣、

『文徳天皇実録』斉衡元年11月辛亥(30日)条(854)

詔曰、上以開元、近来石見国朕之不徳、譲而怡、然天意若日、使下二之、亦是宗社降霊、俊乂在之攸致、豈其為也、有司仁寿四斉衡元其瑞出地主美濃郡大領桧前淡海麻呂正六位例、郡内当年伊勢大神宮禰宜大物忌内人、諸社禰宜祝、及内外文武官把者、爵一但正六位上者廻如無者、宜-五位已上子孫、年廿已上者、当蔭之天下老人百歳已上穀三九十已上二斛、八十已上一斛、欲使曠代禎符以共慶、徳政而斉

『類聚三代格』4(加減諸司官員并廃置事) 斉衡2年9月15日官符(855)

太政官符
伊勢大神宮和琴生二
神祇官偁、神宮司解偁、二所大神宮、供祭之日、解斎之庭、集会諸司并斎宮女孺等、随-奉五節和舞神郡入色之中、-求弾琴供奉、而今望請、笛生神戸中堪者、官実、 官者、右大臣宣、奉 勅、請、
斉衡二年九月十五日

『文徳天皇実録』天安元年正月癸丑(14日)条(857)

従五位下豊住朝臣永貞為斎宮頭

『文徳天皇実録』天安元年2月己丑(21日)条(857)

詔曰、玄穹質暗、而不言、皇王至公、而布徳、遵来尚矣、朕-守洪-拱巌物、亭毒之仁未弘、天、貫徹之誠或欠、不幽顕何感去歳冬中、景貺荐委、美作国白鹿一性是馴良、足彼遐于霊常陸国上言、連理樹也、一郡山裏、両処森然、分幹、枝、-連其一丈余尺、或交柯之上、更姿斯皆而可伝、而有慶、朕之菲虚、非宗社垂祐、股肱叶此休之恵美作常陸二国百姓当年徭役廿瑞祥所出、苫田郡調、真壁郡庸今年可輸、並皆免之、其-得異郡司蝮臣全継正六位例、-著祥吏民二人亦宜-与爵天下黔黎今年之半伊勢大神宮禰宜大物忌内人、諸社禰宜及内外文武官把笏者、爵一但正六位上-授一如無者、物、五位已上子孫、年廿已上者、当蔭之天下老人及僧尼百歳已上者賜四斛、九十已上三斛、八十已上二斛、七十已上一斛、鰥寡孤独、不者、-加賑孝子順孫、義夫節婦、-表門終身勿事、京畿及諸-順春骼、且夫随号、邦国之恒規、因元、古今之通典、斉衡四天安元又朕欲然而数赦為害、先聖攸禁、-以肆眚之詔今日寂-告遐使

『文徳天皇実録』天安元年9月壬寅(8日)条(857)

伊勢国荒祭、月読、瀧原、伊雑、高宮等神宮内人五人、始

『文徳天皇実録』天安2年4月丁酉(6日)条(858)

伊勢太神宮禰宜正八位下神主河継外従五位

『日本三代実録』天安2年9月20日戊寅条(858)

正六位上大中臣朝臣良人於伊勢太神斎内親王退也、

『日本三代実録』天安2年10月8日乙未条(858)

散位従五位下内宗王、従五位下守左少弁丹墀真人貞岑伊勢斎内親-祓於建礼門而発使焉、

『日本三代実録』天安2年10月30日丁巳条(858)

-祓於建礼門明日伊勢太神宮使也、

『日本三代実録』天安2年11月戊午朔条(858)

従四位下行越中権守房世王、内蔵頭従五位上兼行神祇大副中臣朝臣逸志等於伊勢太神天皇也、

『日本三代実録』天安2年11月7日甲子条(858)

天皇-位於大極殿時年九歳、詔曰、明神大八洲国所知天皇詔旨良万止宣勅、親王、諸王、諸臣、百官人等、天下公民衆聞食宣、掛畏平安宮御宇倭根子天皇宣、此天日嗣高座之業、掛畏近江大津御宇天皇初賜定賜倍留法随仕奉、仰賜授賜比之大命、受賜受賜、進退、恐久止宣天皇勅衆聞食宣、然皇天下治賜君賢人良佐天之、天下乎波治物止奈毛聞行、故是以大命坐宣、朕親王等、王等臣等相穴奈比相扶奉事依弖之、此仰賜授賜閉留食国天下之政、平止奈毛所念行、是正直之、天皇朝庭衆助仕奉宣天皇勅衆聞食宣、辞別宣、凡人子麻久欲為、於夜多米爾止奈母聞行、故是以朕親母藤原氏皇太夫人上奉治奉、又仕奉人等中其仕奉状随冠位上賜治賜、又太神宮諸社禰宜祝等位一又僧綱諸寺知行有、并天下僧尼年八十已上施賜、又左右京五畿内鰥寡孤独不者、及天下給老人等、又内外官輩免賜、又天下百姓半徭免給、仁寿元年以往調庸未進者免賜波久止勅天皇大命衆聞食宣、

『日本三代実録』貞観元年正月29日丙戌条(859)

-祓於建礼門明日班幣諸使也、

『日本三代実録』貞観元年2月丁亥朔条(859)

使伊勢国大神宮及五畿七-幣諸即位之

『日本三代実録』貞観元年9月10日壬戌条(859)

使-幣於伊勢太神

『日本三代実録』貞観元年10月5日丁亥条(859)

卜定恬子内親王伊勢儀子内親王賀茂

『日本三代実録』貞観元年10月12日甲午条(859)

-祓於朱雀門伊勢賀茂斎内親也、

『日本三代実録』貞観元年10月28日庚戌条(859)

散位従五位上並山王於伊勢太神告以斎内親也、

『日本三代実録』貞観元年12月25日丙午条(859)

伊勢斎恬子内親王、鴨水辺六条坊門禊、賀茂斎儀子内親王、同水辺待賢門禊、初斎

『日本三代実録』貞観2年8月15日壬辰条(860)

伊勢斎内親王行禊前後次第掃部頭従五位上藤原朝臣貞前次第司長式部大丞正六位上紀朝臣良舟大録正六位下善道朝臣継根従五位上行兵部少輔源朝臣直後次第司長大丞正六位上藤原朝臣保則大録従六位下榎原忌寸全吉

『日本三代実録』貞観2年8月24日辛丑条(860)

-祓於建礼門明日伊勢斎内親王也、

『日本三代実録』貞観2年8月25日壬寅条(860)

伊勢斎恬子内親王即日

『日本三代実録』貞観2年9月11日戊午条(860)

大舎人頭従五位上島江王、神祇大祐正六位上大中臣朝臣豊雄伊勢大神奉幣、例也、

『類聚三代格』1(神封物并祖地子事) 貞観2年11月9日官符(860)

太政官符
-取 伊勢大神宮神戸百
右神祇官去閏十月廿九日解偁、大和、伊賀、伊勢、志摩、尾張、参河、遠江等国司論云、去延暦廿年七月二日格云、太政官去四月十四日符偁、自以後、神戸限田租十五者、丁減物少、供祭応乏、天下諸社同共張丁并租又養老七年格云、神戸増益即減之、死損即加者、之、于死於事不穏、者、仍彼延暦廿年四月十四日偁、 大神宮封戸改減之而件国神戸百姓愁云、神戸有帳、而国司勘返不帳、名雖丁数空五六爰国司即出於官于課皆悉徴納、若神事難職此之由、望請、件 大神宮封戸丁、雖 者、右大臣宣、奉 勅、大神宮於諸延暦廿年四月十四日違勅
貞観二年十一月九日

『日本三代実録』貞観3年5月29日壬寅条(861)

散位従五位下藤原朝臣諸房斎宮

『日本三代実録』貞観3年6月9日壬子条(861)

伊勢斎内親王装束使-祓於建礼門

『日本三代実録』貞観3年6月21日甲子条(861)

-詔伊勢国司并太神宮云、豊受宮袮宜正八位上神主河継、同宮大内人外従八位下神主真雄、同宮副大内人外少初位下神主伊勢雄等、一祖之後、分争歴年、或告名、或云姓、其端其疵其罪然而事加以発覚以来、多神殿同職、子孫相仍、之律還正之之図同姓之之亹、同而発、実末孫之周道如砥、既往不咎、况秋茶已厭、国憲有常、事条、非所帯之但聞、河継等各其科此段別在宥之一切之

『日本三代実録』貞観3年8月18日己未条(861)

-祓於建礼門伊勢斎内親王太神故也、

『日本三代実録』貞観3年8月24日乙丑条(861)

伊勢斎内親王葛野禊、中納言従三位兼行左衛門督藤原朝臣氏

『日本三代実録』貞観3年8月29日庚午条(861)

-祓於朱雀門伊勢斎内親王九月一日太神故也、

『日本三代実録』貞観3年9月壬申朔条(861)

右大臣正二位兼行左近衛大将藤原朝臣良相、尚侍従三位源朝臣全八省-伊勢斎内親

『日本三代実録』貞観3年9月9日庚辰条(861)

重陽節、天皇不殿殿菊酒親王以下、侍従以上及文酣飲賦詩、勅賜云、菊暖花未開、日暮賜各有差、是月伊勢斎内親王太神亦不靴、

『日本三代実録』貞観3年10月4日甲辰条(861)

使伊勢国太神奉幣、也、

『日本三代実録』貞観4年6月11日戊申条(862)

伊勢太神宮禰宜外従五位下神主継長外従五位

『日本三代実録』貞観4年9月11日丁丑条(862)

使伊勢太神常、

『日本三代実録』貞観4年11月11日乙亥条(862)

散位従五位下末良伊勢太神奉幣、

『類聚三代格』1(祭并幣事) 貞観4年12月5日官符(862)

太政官符
-清路次雑并目以上祗
神祇官偁、 伊勢大神九月十一日神嘗祭、并二月四日祈年、六月十二月々次祭、及臨時幣帛使等之日、左右京職主典以上坊令兵-迎外於京近江、伊賀、伊勢等国毎目以上一人郡司健児相迎祗承、而今件等国、頃年之間、不路頭多人馬骸望請、毎件等祭使国司一人祗承、并-清穢若有怠、者、右大臣宣、依請、
貞観四年十二月五日

『日本三代実録』貞観4年12月11日乙巳条(862)

伊勢太神宮禰宜外従五位上神主継長外正五位度会宮禰宜外正六位上神主河継外従五位

『日本三代実録』貞観5年3月9日辛未条(863)

使-幣於伊勢大神

『日本三代実録』貞観5年7月2日壬辰条(863)

参議正四位下行式部大輔兼播磨権守春澄朝臣善縄、従五位下行神祇少副大中臣朝臣豊大極殿伊勢大去月神祇官卜云、天照大神祟、故祷以也、

『日本三代実録』貞観5年9月10日己亥条(863)

-祓於建礼門明日-伊勢太神使也、

『日本三代実録』貞観5年9月11日庚子条(863)

使者於伊勢大神

『日本三代実録』貞観5年12月6日甲子条(863)

散位従五位上内宗王、従五位上大中臣朝臣直主、従五位下斎部宿禰木上伊勢大神奉幣、

『日本三代実録』貞観6年正月7日甲午条(864)

天皇殿宴群常、詔曰、明神大八洲国所知天皇詔旨良万止宣勅、親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食宣、天皇幼少御坐止伊倍止毛、親王等、王等臣等相穴奈比相扶奉、食国之内無事介久之天、御冠加賜、人成賜、此慶天下国内止奈毛所念行、凡爾波、必先於夜崇飾毛乃止奈毛聞行、故是以皇太后大皇大后、皇太夫人皇大后上奉崇奉、又大神宮、諸社禰宜祝等位一階正六位上-又諸寺僧尼満位以上位一若大法師位奈良牟爾波-授弟子一又天下僧尼年八十已上太万布、又五位已上子孫年廿已上当蔭又天下者、六位已下爵一唯正六位上爾波-授一爾波-又京官主典已上-賜帛又貞観六年正月七日午時以前大辟已下、罪已発覚、未発覚、已結正、未結正、及犯八虐、常赦所不免者、咸-其私鋳銭、及強窃二盗、並不諸老人年百歳已上穀伍九十已上参斛、八十已上壱斛、孝子順孫、義夫節婦、其門事、鰥寡孤独篤疾重病不爾波-又天下百姓徭十日免賜、又仕奉人等中其仕奉状治賜人在、又御意愛盛治賜人一二在、故是以、冠位上賜治賜宣天皇衆聞給宣、

『日本三代実録』貞観6年正月29日丙辰条(864)

銅印一面、鋳伊勢斎宮主神

『日本三代実録』貞観6年2月21日戊寅条(864)

伊勢太神宮司言、度会郡山木連理

『日本三代実録』貞観6年7月10日甲午条(864)

使-幣於伊勢太神

『日本三代実録』貞観6年9月11日乙未条(864)

使者於伊勢太神幣、例也、

『日本三代実録』貞観6年12月10日癸亥条(864)

-伊勢豊受神宮御馬飼内人一元御馬二飼内人一也、

『日本三代実録』貞観7年5月16日丙申条(865)

従五位上行伊勢権守藤原朝臣宜斎宮権伊勢権守如故、

『日本三代実録』貞観7年9月11日己丑条(865)

幣帛伊勢大神御在所有穢、仍以停止、散位従五位下岑行王、神祇伯従四位下中臣朝臣逸以事

『日本三代実録』貞観7年11月4日辛巳条(865)

使者於伊勢大神宮并明神十一奉幣、告天皇-御内也、

『日本三代実録』貞観7年12月9日丙辰条(865)

伊勢大神宮禰宜外正五位下神主継長従五位下、豊受宮禰宜正六位上神主真水外従五位下

『日本三代実録』貞観8年正月23日庚子条(866)

制、伊勢大神宮及豊受神宮禰宜者、便

『日本三代実録』貞観8年正月24日辛丑条(866)

伊勢太神宮并豊受神宮禰宜者、其資人神郡之、

『日本三代実録』貞観8年2月13日己未条(866)

斎宮頭従五位下藤原朝臣諸中務少散位従五位上藤原朝臣三直陰陽従五位上清原真人利見散位伊賀守従五位下粟田朝臣碓雄玄蕃散位従五位下藤原朝臣門宗刑部少従五位下当世王正親従五位下藤原朝臣諸藤斎宮従五位下行摂津権介清瀧朝臣峯成従五位下行皷吹正上毛野朝臣綱主伊賀豊後守従五位下藤原朝臣広守伊勢権外従五位下行神祇大祐卜部宿禰真雄参河権中務少輔従五位下橘朝臣主雄駿河権散位従四位上真内王下野権従五位下源朝臣矜美作権従五位下源朝臣双備後権従五位下守内匠頭藤原朝臣維範安芸権内匠頭如故、権大外記正六位上上毛野朝臣沢田従五位肥前肥前介正六位上紀朝臣継雄従五位豊後

『日本三代実録』貞観8年5月26日己巳条(866)

勅、伊勢斎内親王来六月祭停是、大神宮司言、頃年国内疫病繁発、神郡百姓病死者衆、-触邪望請-拠旧斎内親王-但祭祀之礼、宮司供奉、

『日本三代実録』貞観8年5月29日壬申条(866)

太政官処分、伊勢国度会郡駅馬、国内駅馬太神宮買充之、立

『日本三代実録』貞観8年7月6日戊申条(866)

使於伊勢太神応天門告文曰、天皇詔旨、掛畏伊勢度会宇治五十鈴河上下都磐根大宮柱広敷立、高天千木高知称辞定奉天照坐太神広前申賜倍止、去閏三月十日応天門并東西楼火災在焼尽、其後頻卜求、御体御疾事、又火災兵事等事可卜申世利、因茲、掛畏皇太神仰恃奉、大幣帛奉出賜牟止所念行、穢事頻有奉出恐懼祗畏御坐、因改、大舎人頭従五位上礒江王、神祇大副従五位下大中臣朝臣豊雄等使、忌部神祇権大祐正六位上斎部宿禰高善弱肩大繦取掛、礼代大幣帛大唐綵帛錦綾妙麗添加、持斎奉出賜、此状奈加良聞食、今、未然之外消滅賜、天皇朝廷常盤堅盤、夜守日守護幸奉給申賜波久止申、辞別申、今年旱災有、百姓農業皆悉枯損、此又皇太神厚助天之甘雨令、五穀豊登之女、国家安平矜幸賜申給波久止申、又-幣南海道諸告文曰、天皇詔旨南海道諸名神広前申給、去四月十五日并度々、神祇伯従四位下中臣朝臣逸志之天祷申給之久、去閏三月十日夜、八省応天門并左右楼失火事有、因茲神祇陰陽等乎之天、今亦火災兵警御病事等可卜申、如咎災乎波皇神達厚護恵防掃給部支止念行之天、祷申給、天神地祇平聞食、若狂人国家奈良波、皇神達早顕出給、若神達御意止之天出給我止謹恐聞食、種々災皆悉銷亡給、天皇御体、常磐堅磐、宝祚無護恵給、天下国家平、百姓作食五穀茂豊倍止、名神達爾波京庫幣帛使、天神地祇仁波国別長官親自潔斎交易官符下給、乍聞食、平護恵助給祷申給、自以降、宮内相仍、穢事依延怠、今穢過後使内竪正八位上斎部宿禰社雄卜定奉給詔旨聞食、今御体天地日月共護恵助給、旱魃風雨災無助給、恐美毛申給申、辞別、念行御意御坐、国麗色纐纈并白綾捧副奉給、平聞食幸恵奉給申給久止申、

『日本三代実録』貞観8年7月10日壬子条(866)

使幣於伊勢大神

『日本三代実録』貞観8年9月10日壬子条(866)

伊勢斎宮寮允以上並有穢、其供故勅中務少輔従五位下藤原朝臣諸太神事、

『日本三代実録』貞観8年9月11日癸丑条(866)

使-幣於伊勢大神

『日本三代実録』貞観9年2月3日癸酉条(867)

斎宮寮火、-焼官舎十二

『日本三代実録』貞観9年2月11日辛巳条(867)

公卿太政官曹司-見文武官人成選従四位下行山城権守在原朝臣善神祇散位従五位下源朝臣加従五位下橘朝臣岑守大監斎院長官従五位下藤原朝臣忠主皇太后宮大斎院長官如故、民部少輔従五位下巨勢朝臣文雄、従五位下行右衛門大尉橘朝臣博覧、並文章博従五位下行式部大丞藤原朝臣春景民部少従五位下藤原朝臣秋雄兵部少従五位下行大内記小野朝巨後生大判従五位上守刑部大輔橘朝臣三夏大蔵大武蔵守従五位上橘朝臣春成大膳大正五位下行兵部少輔源朝臣直木工散位従五位下大中臣朝臣国雄主殿権外従五位下行針博士深根宿禰宗継医博従四位下行右衛門権佐兼摂津権守藤原朝臣広基弾正大摂津権守如故、散位従五位下橘朝臣高成左京従五位下行左衛門大尉藤原朝臣生丘従五位下佐伯宿禰子房右京権従五位下行大外記伴宿禰興門勘解由次従五位下守左兵庫頭紀朝臣好雄山城斎宮頭従五位下藤原朝臣諸藤伊勢斎宮頭如故、侍従従五位下橘朝臣休蔭相摸権筑前守従五位下藤原朝臣安棟武蔵従五位上守刑部権大輔紀朝臣有常下野権木工頭兼左衛門権佐従五位上紀朝臣春枝因幡権余官如故、散位外従五位下善道朝臣継根淡路従五位下守大判事紀朝臣恒身筑前従五位上守大膳大夫在原朝臣守平右衛門権従五位下行山城介源朝臣撰左兵庫

『日本三代実録』貞観9年8月2日戊辰条(867)

勅、伊勢国伊佐奈岐伊佐奈弥神、改宮、月次内人一

『日本三代実録』貞観9年9月12日戊申条(867)

斎宮助正六位上藤原朝臣豊本、史生従八位上県造富世殺、

『日本三代実録』貞観9年10月7日壬申条(867)

-祓於建礼門去月内裏犬産伊勢大神宮使明日可発、故更斎修焉、

『日本三代実録』貞観10年正月7日壬寅条(868)

天皇紫震殿宴群班賚有差、無位有佐王従四位下、右兵庫頭従五位下広山王従五位上、散位従四位下高階真人峯緒、神祇伯兼行河内権守在原朝臣善淵、無位源朝臣効、源朝臣本有並従四位上、正五位下行大和権守藤原朝臣本雄、右中弁多治真人貞岑並従四位下、従五位上行但馬権守良岑朝臣長松、右衛門権佐在原朝臣守平並正五位下、左京亮従五位下橘朝臣高成、典薬頭藤原朝臣秀雄、散位橘朝臣信蔭、斎宮頭兼伊勢介藤原朝臣諸藤、散位大原真人真室、兵部少輔藤原朝臣秋緒、大判事滋野朝臣善根、助教菅野朝臣佐世、天文博士兼摂津権介中臣志斐連春継等並従五位上、外従五位下行参河権介卜部宿禰真雄、采女正正六位上清河王、正六位下源朝臣精、式部少丞藤原朝臣忠方、大蔵大丞安倍朝臣弘行、右衛門少尉南淵朝臣良棟、土左介藤原朝臣常基、左近衛将監藤原朝臣有実、右近衛将藤原朝臣高藤、太皇大后宮少進笠朝臣冬人、散位橘朝臣良実、藤原朝臣豊雄、式部大丞文室朝臣行敏、大外記滋野朝臣恒蔭、大内記小野朝臣問道等並従五位下、左大史正六位上志紀宿禰氏経、皇大后宮少進菅野朝臣愛甲、少外記善淵朝臣愛成、侍医五百木部公全成、式部大録大国忌寸福雄等並外従五位

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 貞観10年9月7日丁酉条(868)

此日、従五位下守右少弁藤原朝臣千乗、左大史正六位上刑部造真鯨等於伊勢大神大神財廿也、-祓於建礼門而発使、

『類聚国史』3(神祇3伊勢太神) 貞観10年9月11日辛丑条(868)

従五位上行少納言兼侍従久須継王、神祇大副従五位下大中臣豊雄伊勢大神幣、

『類聚国史』87(刑法1断罪) 貞観10年10月28日戊子条(868)

太政官論奏曰、刑部省断罪文云、斎宮寮史生従八位上県造当世-殺助正六位上藤原朝臣豊伊勢国司従五位上行権守藤原朝臣宣、従五位下行権介藤原朝臣広守断罪違律、前志摩守正六位上高橋朝臣継善-用官-役雑国掌秦貞雄-殺百姓日置福法官覆案、富世、貞雄当斬、宣、広守贖刑、継善遠流者、詔、富世貞雄死一之遠自余論法、

『日本三代実録』貞観11年6月17日癸卯条(869)

使者於伊勢大神幣、告文曰、天皇詔旨、掛畏伊勢度会五十鈴河上皇大神広前美毛申賜倍止、頃間百姓農業焼損奴倍志皇大神矜賜助賜牟爾、此災除滅牟止所念行、礼代大幣帛、大舎人頭従五位上礒江王、主殿権助従五位下大中臣朝臣国雄差使、忌部神祇少祐従六位下斎部宿禰伯江弱肩太襁取掛持斎波利奉出、此状平介久聞食、甘雨忽降之米、五穀豊登之女、天下饒足之米比天、天皇朝廷宝位無、常磐堅磐夜守日守倍止、恐美毛申賜波久止申、

『日本三代実録』貞観11年9月11日乙丑条(869)

使伊勢大神奉幣、

『日本三代実録』貞観11年12月14日丁酉条(869)

使者於伊勢大神幣、告文曰、天皇詔旨、掛畏伊勢度会宇治五十鈴河上磐根大宮柱広敷立、高天千木高知、称言竟奉天照坐皇大神広前、恐美毛申賜倍止、去六月以来、大宰府度々言上多良久、新羅賊舟二艘筑前国那珂郡荒津到来豊前国貢調船絹綿掠奪逃退多利、又庁楼兵庫等上、依大鳥之卜求、隣国兵革之事可卜申、又肥後国地震風水災有、舎宅悉仆顛、人民多流亡多利、如之災古来未、故老等言上多利、然間、陸奥国又異常奈留地震之災言上多利、自余国々、又頗有言上多利、伝聞、彼新羅人我日本国世時与利相敵多利、而今-来境-取調利天懼沮之其意、兵寇之萌自而生、我朝久多利、兵乱之事尤然我日本朝所謂神明之国奈利、神明之助護、何兵寇、况掛皇大神、我朝大祖御座、食国天下照賜護賜、然則他国異類倍岐、何聞食、驚賜拒却波須、故是以、王従五位下弘道王、中臣雅楽少允従六位上大中臣朝臣冬名等使、礼代大幣帛、忌部神祇少祐従六位下斎部宿禰伯江弱肩太襁取懸、持斎奉出給、此状介久聞食、仮令時世禍乱止之天、上件寇賊之事在倍岐奈利止毛、掛皇大神国内諸神達乎毛唱導比天之前沮拒排却賜、若賊謀已熟兵船必来倍久、境内入賜須之天、逐還漂没比天、我朝神国畏憚礼留故実多之布奈、自之外、仮令止之天、夷俘逆謀叛乱之事、中国刀兵賊難之事、又水旱風雨之事、疫癘飢饉之事万天爾、国家大禍、百姓深憂止毛良牟乎波、皆悉未然之外払却鎖滅、天下、国内平安鎮護救助賜皇御孫命御体、常磐堅磐天地日、夜護昼護護幸矜奉給倍止、恐美毛申賜久止申、

『類聚三代格』1(神宮司神主禰宜事) 貞観12年8月16日官符(870)

太政官符
-伊勢大神宮司
元一人、今
右従三位守大納言兼左近衛大将行陸奥出羽按察使藤原朝臣基経宣、奉 勅、
貞観十二年八月十六日

『日本三代実録』貞観12年8月16日丙申条(870)

-伊勢大神宮司一

『日本三代実録』貞観12年9月7日丙辰条(870)

明日応使於伊勢太神-祓於建礼門

『日本三代実録』貞観12年9月8日丁巳条(870)

正五位下守左中弁源朝臣直、右大史正六位上広階宿禰八釣於伊勢大神是日、太政官尋常廃務之也、

『日本三代実録』貞観12年9月11日庚申条(870)

去八日、内裏犬産伊勢大神宮使大舎人頭従五位上礒江王、神祇大副従五位下大中臣朝臣国-祓於建礼門而発之、

『日本三代実録』貞観12年11月8日丙辰条(870)

九月十一日、内裏犬産奉幣伊勢大神宮使是日、大舎人頭従五位上礒江常幣并鋳銭司及山城国葛野郡鋳銭所等新鋳

『日本三代実録』貞観12年12月25日壬寅条(870)

又斎宮寮并所管諸司始任者、並

『日本三代実録』貞観13年9月11日甲申条(871)

使者於伊勢大神宿告文曰、天皇詔旨、掛畏伊勢度会宇治五十鈴河上下津磐根大宮柱広敷立、高天千木高知、天皇孫称辞竟奉天照坐大神広前美毛申賜、常九月神嘗大幣帛、王大監物従五位上興我王、中臣神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道使、忌部神祇権大祐正六位上斎部宿禰高善弱肩、太襁取懸持斎波利奉出賜、此状聞食天皇朝廷宝位無、夜守日守護助賜倍止申賜波久止申、云々、

『日本三代実録』貞観14年9月11日戊寅条(872)

伊勢大神宮太政大臣也、-祓於建礼門

『日本三代実録』貞観15年2月4日己亥条(873)

祈年祭、別使者於伊勢太神奉幣、天下及年祈焉、告文曰、云々、

『日本三代実録』貞観15年5月25日戊子条(873)

制、伊勢大神宮司、元一員、年料絹百疋、米三百貞観十二年-置一絹各五十疋、米各百

『日本三代実録』貞観15年7月19日辛巳条(873)

散位従五位下好風王、神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道於伊勢大神奉幣、

『日本紀略』貞観16年閏4月4日壬戌条(874)

使於伊勢太神奉幣、告文曰云々、四月之中日体変世利、因卜筮申云、世利云々

『日本三代実録』貞観16年8月13日己巳条(874)

従五位下守玄蕃頭弘道王於伊勢大神奉幣、祷以後、蝗虫或化飛去、或一時消尽矣、

『日本三代実録』貞観16年9月10日乙未条(874)

是、八月廿三日、薬師寺僧薬仁紫震殿転経六十僧之内、廿五日奄忽命終、弟子等秘而不言、或人聞諮啓、明日将-伊勢太神使此穢仍停廃焉、-祓於建礼門

『日本三代実録』貞観16年12月5日己未条(874)

散位従五位下真宗-伊勢太神去九月十一日有之故也、

『日本三代実録』貞観17年6月9日庚申条(875)

従四位下行大舎人頭有佐伊勢大神奉幣、以也、

『日本紀略』貞観17年8月25日乙亥条(875)

-伊勢及賀茂御祖別雷社、松尾、稲荷、木島、乙訓、丹生也、

『類聚国史』17(神祇17禰宜) 貞観17年9月10日己丑条(875)

伊勢太神宮禰宜外正六位上荒木田神主徳雄従五位

『日本三代実録』貞観17年9月11日庚寅条(875)

-伊勢大神例也、

『日本三代実録』貞観18年5月3日己卯条(876)

従四位上行神祇伯棟貞伊勢大神大極殿

『日本三代実録』貞観18年9月11日乙酉条(876)

伊勢大神宮使内裏犬也、-祓於建礼門

『日本三代実録』貞観18年10月3日丙午条(876)

散位従四位上基棟王、神祇大副従五位下大中臣朝臣有本伊勢大神幣、是、九月十一日須内裏犬而停止、故延而奉之、

『日本三代実録』貞観18年11月25日戊戌条(876)

皇子貞真年一歳、貞頼年一歳並貞真親王母、更衣斎宮頭従五位上藤原朝臣諸藤之女也、貞頼親王母、更衣木工允正六位上藤原朝臣直宗之女也、

『日本三代実録』貞観18年12月17日庚申条(876)

前山城守従四位上忠範王、散位従五位下大中臣朝臣是直伊勢大神奉幣、告明年正月三天皇建礼使焉、

『日本三代実録』元慶元年正月3日乙亥条(877)

天皇-位於豊楽殿大極殿未作、豊楽殿云々、詔曰、明神大八洲国所知天皇詔旨良万止、親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食宣、掛畏太上天皇宣、此天日嗣高座之業、掛畏近江大津御宇天皇、初賜定賜倍留法随、仕奉仰賜授賜大命、受賜受賜、進退、恐久止宣天皇勅衆聞食宣、然皇天下治賜君、賢人良佐天之、天下乎波治物止奈毛聞行、故是以大命坐宣、朕親王等、王等臣等相穴奈比相扶奉事依天之、此仰賜授賜倍留食国天下之政、平供奉倍之止奈毛所念行、是以正直之、天皇朝廷助仕奉宣天皇勅衆聞食宣、辞別宣、凡人子末久欲為、於夜多米爾止奈毛聞行、故是以朕親母藤原氏皇大夫人上奉治奉、又仕奉人等中、其仕奉状随冠位上賜治賜、又大神宮、諸社禰宜祝等位一又僧綱、諸寺智行有、并天下僧尼年八十已上太万布、又左右京五畿内鰥寡孤独不者、及天下給人等、又諸国貞観七年以往調庸未進者尽免給波久止天皇御命衆聞食宣、

『日本三代実録』元慶元年2月17日己未条(877)

-伊勢賀茂斎内親伊勢斎識子内親王、賀茂斎敦子内親王並卜食、

『日本三代実録』元慶元年2月23日乙丑条(877)

使伊勢大神天皇即位并-定斎内親告文曰、天皇詔旨掛畏伊勢度会宇治五十鈴河上下津石根大宮柱広知立、高天原千木高知、天皇御命称辞竟奉天照坐皇大神広前申賜倍止、先日使太利皇大神厚助、天日嗣受賜礼利、自以後皇大神矜護賜牟爾天奈毛、食国天下愈益、又今侍恬子内親王、太上天皇大神御杖代止之天倍流奈利、今旧例相替奈利止天奈毛、識子内親王卜定進入、此状王散位従四位下実世王、中臣神祇少副正六位上大中臣朝臣常道等使、忌部従八位上斎部宿禰良岑弱肩大手繦取掛、礼代大幣帛持斎良久止、恐美毛申賜波久止申、

『日本三代実録』元慶元年3月壬寅朔条(877)

刑部大輔従五位上弘道王、右中弁従五位上藤原朝臣保伊勢斎内親

『日本三代実録』元慶元年4月9日庚辰条(877)

巳四剋始-造大極殿正五位下行内蔵頭和気朝臣彜範、従五位上守権左中弁藤原朝臣春景、従五位下守木工権頭藤原朝臣維邦、左京亮従五位下坂上宿禰斯文、右大史正七位上時統宿禰当事、是、-幣於伊勢大神宮及石清水八幡大菩薩宮、賀茂御祖別雷、松尾、平野、稲荷等神告文曰云々

『日本三代実録』元慶元年7月19日戊午条(877)

従五位上守刑部大輔弘道王於伊勢大神使賀茂御祖別雷、松尾、平野、大原野神奉幣、告以告文曰、天皇詔旨、掛畏松尾大神広前申賜倍止、食国之法止之天、即位之後爾波備後国鹿但馬国尾張国木連、如嘉瑞、是薄徳倍岐爾毛、掛畏皇大神慈賜示賜倍留奈利止天奈毛、貴喜受賜利天、御世元慶元、左京大夫従四位上忠範王使奉出早申奉、而暫間延怠、掛畏皇大神、此状平聞食、天皇朝廷宝位無常磐堅磐守幸倍止申賜申、辞別申、頃月不之天、百姓農業皆焼損太留由、先申奉出已了太利、而至雨、重亦其由祷申奉出賜、皇太神助賜比天、風雨随倍天矜賜五穀全登之女倍止波久止申、

『日本三代実録』元慶元年9月13日辛亥条(877)

使-伊勢大神去九日内裏犬産、仍十一日不故延而奉之、

『日本三代実録』元慶元年11月2日己亥条(877)

使於伊勢太神奉幣、

『日本三代実録』元慶2年3月7日癸卯条(878)

使伊勢太神宮幣并神宝弓桙剣等

『日本三代実録』元慶2年8月20日癸未条(878)

伊勢斎内親王行禊前後次第式部少輔兼文章博士従五位下菅原朝臣道真前次第司長判官主典各一人、兵部少輔従五位下兼行伊勢権介平朝臣季長後次第司長判官主典各一人、

『日本三代実録』元慶2年8月24日丁亥条(878)

神祇伯従四位下棟貞王、従五位下行木工助大中臣朝臣伊度人-伊勢太神

『日本三代実録』元慶2年8月26日己丑条(878)

伊勢斎内親王、建礼門

『日本三代実録』元慶2年8月28日辛卯条(878)

伊勢斎内親王出雅楽寮仮於鴨

『日本三代実録』元慶2年9月11日癸卯条(878)

-祓於建礼門昨日弁官人死今日不-伊勢太神使也、

『日本三代実録』元慶2年11月3日甲午条(878)

散位従四位下恒基伊勢太神奉幣、去九月十一日、有停廃、故延而奉之、

『日本三代実録』元慶2年12月11日壬申条(878)

是日、大宰少弐従五位下島田朝臣忠臣等奏言、橿日宮云、新羅虜船欲従五位上守刑部大輔弘道伊勢太神-請冥

『日本三代実録』元慶3年5月23日壬子条(879)

伊勢国度会郡大神宮氏人神主荒木田三大神氏人三神主荒木田神主、根木神主、度会神主是也、進大肆荒木田神主首麻以後、-漏荒木田三今首麻呂裔孫向披訴、故因之、

『日本三代実録』元慶3年7月5日癸巳条(879)

中監物正六位上藤原朝臣最実従五位斎宮正五位下守権左中弁藤原朝臣春景、従五位上行神祇大副大中臣朝臣有本等、并六位六伊勢斎内親王装束

『日本三代実録』元慶3年8月19日丙子条(879)

伊勢斎内親王行禊前後次第従五位上行式部少輔兼文章博士菅原朝臣道前次第司長判官一人、主典一人、従五位上行兵部少輔藤原朝臣時長後次第司長判官一人、主典一人、正三位行中納言兼右近衛大将皇太后宮大夫藤原朝臣良世、参議従三位左衛門督兼美濃守源朝臣能有、宮内卿正四位下源朝臣覚、中宮大夫従四位下藤原朝臣国経送伊勢斎内親王使参議従三位行治部卿兼備中守在原朝臣行平、正五位下守権左中弁兼行木工頭藤原朝臣春景、右大史正六位上興道宿禰春宗、中務大丞正六位上藤原朝臣高処長送伊勢斎内親王使

『日本三代実録』元慶3年9月3日庚寅条(879)

御斎焼灯之伊勢斎内親王也、

『日本三代実録』元慶3年9月8日乙未条(879)

-祓朱雀門明日伊勢斎内親王也、

『日本三代実録』元慶3年9月9日丙申条(879)

斎内親王是日、早朝、葛野即便-入豊楽天皇豊楽殿内親天皇神祇大副大中臣朝臣有本称唯、昇殿跪侍、右大臣勅曰、常九月神嘗幣帛、汝中臣、如礼止宣、有本称唯、又勅、今奉斎内親王、三箇年間斎清天照大神御杖代内親王、汝中臣、宜礼止宣、有本称唯、降殿退出、是時、天子幼少、右大臣摂政、故斎内親王駕輿、朱雀門掖東向就路、輿宮、是日、重陽之侍臣菊也、

『日本三代実録』元慶3年9月20日丁未条(879)

伊勢斎内親王使参議在原朝臣行平復命、

『日本三代実録』元慶3年閏10月19日乙巳条(879)

伊勢高宮物忌、諸宮物神封給之、

『日本三代実録』元慶4年2月4日戊子条(880)

祈年祭如常、是日、武蔵権守従五位上弘道伊勢大神奉幣、告大極殿也、

『日本三代実録』元慶4年3月27日庚辰条(880)

伊勢大神宮歌長一勘籍

『日本三代実録』元慶4年8月16日丁酉条(880)

武蔵権守従五位上弘道伊勢太神奉幣、

『日本三代実録』元慶4年9月11日壬戌条(880)

禁中犬死、仍不伊勢大神宮使-祓於建礼門

『日本三代実録』元慶4年12月7日丙戌条(880)

-知大和、伊賀、伊勢等伊勢斎内親王也、

『日本三代実録』元慶5年正月15日甲子条(881)

太政官符山城摂津等偁、前伊勢斎内親王、来二月廿二日首途、大和山城河陽摂津難波解除、自都、凡其供具依准擬、

『日本三代実録』元慶5年正月19日戊辰条(881)

符山城、大和、伊賀、伊勢等偁、前伊勢斎内親王入京、陪従二百十九人、行宮飲食乗馬担夫弁設供-知河内摂津両偁、斎内親王擬河陽難波三処祓除、毎処即便三島-向河陽其陪従一百人、検校并奉迎等使六十二人、酒食夫馬等類、事々祗供、時

『日本三代実録』元慶5年正月23日壬申条(881)

絹二百四疋、調布三百六端、斎宮命婦女孺等入京装束

『日本三代実録』元慶5年正月28日丁丑条(881)

散位従四位下恒基王、左少弁正五位下兼行大学頭巨勢朝臣文雄輦輿腰輿資具伊勢大神前斎内親山城、大和、伊賀三夫八十輦輿等-

『類聚国史』107(職官12斎宮寮) 元慶5年2月21日己亥条(881)

伊勢国正税稲一万太神宮毎年出挙、其息-理斎宮雑

『類聚三代格』1(神宮司神主禰宜事) 元慶5年8月26日官符(881)

太政官符
伊勢大神宮司大小員并位
大宮司一員 右正六位上官
少宮司一員 右正七位上官
以前神祇官偁、大神宮司従六位官一而去貞観十二年今件両司大小無別、職掌有同、甲之所乙還姆之、執論之間政事擁滞、望請、大少員并位遷代之日、分附受領、一任用者、正三位行中納言兼民部卿藤原朝臣冬緒宣、奉 勅、請、
元慶五年八月廿六日

『日本三代実録』元慶5年8月26日壬寅条(881)

伊勢大神宮大宮司一員正六位上階、小宮司一員正七位上是、神祇官言、太神宮司、元従六位階一而去貞観十二年-置一大小無別、職掌不分、望請-置大遷代之日、分付受領、一長官任者、勅聴之、

『日本三代実録』元慶5年9月11日丙辰条(881)

散位従五位上興我王、神祇大副従五位上大中臣朝臣有本-幣於伊勢太神神祇諒闇也、

『日本三代実録』元慶5年12月11日乙丑条(881)

使伊勢大神奉幣、告天皇明年正月也、告文曰、天皇詔旨掛畏伊勢五十鈴河上皇大神広前美毛申賜倍止、今年天皇御年十四歳成賜比奴、公卿等議奏、加冠之事世間重、行来礼宜来春正月吉日良辰、人望倍之止世利、掛畏皇大神厚護天之、平介久介久果行、長牟止之天奈牟、王武蔵権守従五位上弘道王、中臣従五位下行神祇少副大中臣朝臣常道使、忌部蔭子正七位上斎部宿禰季長弱肩太手襁取懸、礼代大幣帛持斎奉出、此状介久聞食、天皇朝廷常磐堅磐天地日月夜護昼護助幸、天下国家乎毛介久事故無矜助護給倍止美毛申賜久止申、

『日本三代実録』元慶6年正月7日庚戌条(882)

天皇紫震殿宴群宴竟賜各有差、宣制曰、明神大八洲国所知天皇詔旨良万止宣勅、親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食宣、天皇幼少御坐止伊倍止毛、親王等王等臣等相穴奈比相扶奉、食国之内無介久之天、御冠加賜成賜、此慶天下国内止奈無所念行、凡人子者、爾波必先於夜崇飾毛乃止奈毛聞食故是以、皇太后太皇太后、皇太夫人皇太后上奉崇奉、又大神宮諸社祝等位一但正六位上-又諸寺僧尼満位以上位一若大法師奈良牟爾波-授弟子一又天下僧尼年八十已上太万布、又五位已上子孫廿已上当蔭又天下者六位已下爵一唯正六位上爾波-授一爾波-又京官主典已上-賜帛又元慶六年正月七日午時以前昧爽以前大辟罪已下、罪但犯八虐及私鋳銭、強窃二盗、常赦不免者、不者、同諸老人年百歳已上穀五九十已上三石、八十已上一石、孝子順孫、義夫婦節、其門事、鰥寡孤独、篤疾重病不爾波-又貞観七年已往租税未納者咸免給、又仕奉人等中其仕奉状治賜人在、又御意愛盛治賜人一二在、故是以、冠位上賜治賜宣天皇勅衆聞給宣、

『日本三代実録』元慶6年4月7日己卯条(882)

-伊勢斎内親無品掲子内親王卜食、其賀茂斎者、諸内親王故今日無定、

『日本三代実録』元慶6年5月15日丙申条(882)

使-伊勢大神宮及賀茂神告以斎内親王并斎也、散位従五位下時景王、伊勢大神宮使参議正四位下行右衛門督藤原朝臣諸葛、賀茂神社使

『日本三代実録』元慶6年9月13日壬午条(882)

武蔵権守従五位上弘道伊勢大神奉幣、去十一日可使内裏犬産、故従停廃、於是、神祇大副従五位上大中臣朝臣有本言、元慶元年内裏犬産、十一日奉幣使十三日発遣、大外記正六位上巨勢文宗言、犬産之穢、当元慶元年九月九日犬産、十一日忌限既満、十二日前散斎、十三日致斎、十四日後致斎、然則今月十日犬産忌限満日前散朝儀、外記所理、然而所司行事、幣物既備、仍有本之

『類聚三代格』1(祭并幣事) 元慶6年9月27日官符(882)

太政官符
山城国- 伊勢大神幣帛使
神祇官偁、謹云、 伊勢大神九月十一日神嘗祭、并二月四日祈年、六月十二月々次祭、及臨時幣帛使等、之日左右京職主典以上坊令兵-迎外於京近江、伊賀、伊勢等国毎目以上一人郡司健児相迎祗承者、而今出近江望請、下二件国-承境 官者、大納言正三位兼行民部卿藤原朝臣冬緒宣、奉 請、者、罪貞観四年十二月五日
元慶六年九月廿七日

『日本三代実録』元慶6年10月27日丙寅条(882)

勅、山城国司、令-伊勢大神宮使是、神祇官言、伊勢大神宮九月十一日神嘗、二月四日祈年、六月十二月々次等祭及臨時幣使、之日、左右京職主典以上、坊令兵-迎外-出京近江、伊賀、伊勢等国、毎目以上一人、郡司健児相迎祗承、而出近江国人祗望請、下二山城国相迎祗之、

『日本三代実録』元慶7年7月13日丁丑条(883)

従四位上行神祇伯棟貞-幣於伊勢大神賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、貴布禰、丹生河上、大和等神社、使幣、丹生河上加是、六月廿七日鷺大極殿鵄今月三日已往霖雨淹旬、河水溢漲、内外略愁、陰陽寮占奏言、主上可且天下将故予賽焉、

『日本三代実録』元慶7年8月22日乙卯条(883)

-祓於建礼門廿四日、伊勢斎内親王也、

『日本三代実録』元慶7年8月24日丁巳条(883)

伊勢斎掲子内親王禊、便中納言従三位兼行左衛門督源朝臣能有、参議正四位下行皇太后宮大夫藤原朝臣国経陪送、所司供奉如式、

『日本三代実録』元慶7年9月11日甲戌条(883)

-幣於伊勢大神例也、

『日本三代実録』元慶7年10月25日戊午条(883)

伊勢国飯野郡神戸百姓秦貞成向官、-訴太神宮司大中臣貞世-用神并不多気郡擬大領麻績連公豊世-太政官使-問事左大史丸部百世曰、伊勢太神宮司之時、不推問使符国使、伊勢国-察真

『日本三代実録』元慶7年11月5日戊辰条(883)

勅、伊勢大神宮及豊受宮酒立女各二人、三節祭日儛女禄、是日、-伊勢斎内親王野工夫元工三千十五人、夫一万五百卌五人、今工一千四百六十五人半、夫五千二百七十二人是、木工権大允正六位上内蔵朝臣有永等解偁、謹-発五畿内并近江、美濃、丹波、但馬、播磨等人別十日、而右弁官宣、済之道、公平為先、支度之程、何今美濃、但馬、播磨等国、往還稍遠、人民多煩、件三箇者、今所屋舎之数、頗結構之功、合期而成、-定単望請、功当例後者、勅依請、

『日本三代実録』元慶8年2月13日甲辰条(884)

是、伊勢斎掲子内親王是日、

『日本三代実録』元慶8年2月18日己酉条(884)

-祓於建礼門明日伊勢大神宮

『日本三代実録』元慶8年2月19日庚戌条(884)

天皇朝堂院小安殿散位従五位上興我伊勢大神奉幣、告以也、

『日本三代実録』元慶8年2月23日甲寅条(884)

天皇-位於大極殿詔曰、明神大八洲国所知天皇詔旨良万止、親王諸臣百官人等天下公民衆聞食宣、掛畏平安宮御宇倭根子天皇天津日嗣高座掛畏近江大津宮御宇世之天皇初賜定賜倍留奈利、朕百辟卿士楽推之請退久止宣天皇勅衆聞食宣、然皇天下治賜君賢人良佐天之天下乎波平安治物止奈毛聞行、故是以大命坐宣、朕親王等、王等臣等相穴奈比相扶奉天之、此食国天下政平安止奈毛所念行、是正直之、天皇朝廷衆助仕奉宣天皇勅衆聞食宣、辞別宣凡人子於夜多米止奈毛聞行、故是以朕先妣藤原氏皇太后尊号追贈奉、又奉仕人中其奉仕状冠位上賜治賜、又大神宮諸社禰宜祝位一又僧綱天下僧尼年八十已上、又両京五畿内鰥寡孤独不者、及天下給老人、又諸国貞観十八年以往調庸未進租税未納者悉免賜宣天皇大命衆聞食宣、

『日本三代実録』元慶8年3月2日癸亥条(884)

是、使-伊勢大神是日、-知伊勢、尾張、参河、遠江等国曰、廼者太上天皇遜位之斎内親王於野暫停-神宮之工

『日本三代実録』元慶8年3月22日癸未条(884)

神祇官於左仗-定斎伊勢斎者皇女繁子卜食、賀茂斎者皇女穆子、太上天皇在祚、卜定初斎今依変、

『日本三代実録』元慶8年4月7日丁酉条(884)

-祓於建礼門十日幣帛於伊勢大神也、

『日本三代実録』元慶8年4月9日己亥条(884)

皇女伊勢斎繁子、賀茂斎穆内親

『日本三代実録』元慶8年4月10日庚子条(884)

従四位上行神祇伯棟貞王、従五位下行少副大中臣朝臣常道-幣於伊勢大神告以斎内親也、天皇朝堂院小安殿使、

『日本三代実録』元慶8年4月10日庚子条(884)

従四位上行神祇伯棟貞王、従五位下行少副大中臣朝臣常道-幣於伊勢大神告以斎内親也、天皇朝堂院小安殿使、

『類聚三代格』17(国諱追号并改姓名事) 元慶8年4月13日勅(884)

勅、朕庸菲之天横之而如而若今所男女、皆居時生也、既周邦之懿漢典之封加以、弘仁已降、茂躅長存、或材子八人、元凱於朝或本枝百世、蒸嘗於祖彼聖明之深図遠算、猶尚如斯、況朕之褊薄慮短矜、豈漢明帝有言、我子不先帝至哉言也、朝臣之景風之是朕一身閨閫之事耳、不後王之唯二女応-奉斎宮斎者、上朕之素其余皆鴻臚之冊燕翼之主者施行、
元慶八年四月十三日

『日本三代実録』元慶8年4月13日癸卯条(884)

勅、朕庸菲之天横之而如而若今所男女、皆居時生也、既周邦之懿漢典之封加之、弘仁已降、茂躅長存、或材子八人、元凱於朝或本枝百世、蒸嘗於祖彼聖明之深図遠算、猶尚如斯、況朕之褊慮短矜、豈漢明帝有言、我子不先帝聖哉言也、朝臣之景風之是朕一身閨閫之事耳、不後王之唯二女応-奉斎宮斎者、上朕之素其余皆鴻臚之冊燕翼之

『日本三代実録』元慶8年4月21日辛亥条(884)

繁子穆子両内親王、各絹五十疋、綿二百屯、細布廿端、調布百端、商布三百段、貞観銭廿貫文、韓櫃廿

『日本三代実録』元慶8年8月13日辛丑条(884)

伊勢斎内親王即便初斎雅楽公卿陪従、所司供奉

『日本三代実録』元慶8年8月19日丁未条(884)

「伊勢斎内親王将修禊事而典薬大属蜂田岑範去十一日夜於寮中頓死邪穢延染供奉所司仍停止」

『日本三代実録』元慶8年9月11日戊辰条(884)

天皇朝堂院小安殿従四位上行神祇伯棟貞王、大副従五位上大中臣朝臣有本伊勢大神宮

『日本三代実録』元慶8年11月10日丁卯条(884)

散位従四位下良末-幣於伊勢大神告以大嘗天皇朝堂院小安殿使焉、「戊辰天皇御朝堂院小安殿遣従四位上行神祇伯棟貞王大副従五位上大中臣朝臣有本等奉伊勢大神宮幣」

『日本三代実録』仁和元年4月2日丙辰条(885)

無品氏子内親王薨、不喪家也、天皇不三日、内親王者、淳和太上天皇之第一女也、母贈皇后諱、高志、即是太上天皇之庶妹也、内親王、天長之初、伊勢後因替出焉、

『日本三代実録』仁和元年8月19日辛未条(885)

伊勢斎内親王将而典薬大属蜂田岑範、去十一日夜頓死、邪穢-染供奉諸仍停止、

『日本三代実録』仁和元年9月11日壬辰条(885)

伊勢大神宮使典薬大属蜂田岑範死穢也、

『日本三代実録』仁和元年9月18日己亥条(885)

伊勢斎内親王即便大納言正三位兼行右近衛大将太皇大后宮大夫藤原朝臣良世参議已事、

『日本三代実録』仁和元年11月20日庚子条(885)

天皇大極殿後殿使者於伊勢大神幣、

『日本三代実録』仁和元年11月21日辛丑条(885)

散位従六位上大中臣朝臣罕雄、判官一人、主典一伊勢大神式、廿年一度改作、去貞観十一年修造、其-十-八年于矣、去六月廿一日出羽国秋田城中、及飽海郡神宮寺西浜陰陽寮言、当凶狄陰謀兵乱之神祇官言、彼国飽海郡大物忌神、月山神、田川郡由豆佐乃売神、倶

『日本三代実録』仁和2年5月18日丙申条(886)

無位在世王従四位在世伊勢斎内親王家別也、

『日本三代実録』仁和2年5月30日戊申条(886)

散位従四位下在世斎宮従五位下坂上大宿禰良助近江大良助、元慶八年人、職、之、

『日本三代実録』仁和2年6月21日己巳条(886)

伊勢斎内親王近江国新大神伊勢知、又伊賀国旧路頓伊賀知、

『日本三代実録』仁和2年6月23日辛未条(886)

伊勢斎内親王装束正五位下行神祇大副大中臣朝臣有本、左近衛少将正五位下兼守右中弁行備前権介藤原朝臣有穂、六位已下六人、

『日本三代実録』仁和2年8月14日庚申条(886)

伊勢斎内親王行禊次第従五位上守左少弁兼行式部少輔藤原朝臣佐御前長式部大丞正六位上藤原朝臣興範大録少六位上香山宿禰弘行兵部少輔従五位下橘朝臣茂行御後長大丞正六位上藤原朝臣安柯少録正六位上山田宿禰方興式部除、中納言従三位兼行左衛門督源朝臣能有、参議正四位下行右衛門督藤原朝臣諸葛、参議正四位下行皇太后宮大夫兼播磨守藤原朝臣国経、参議正四位下行左近衛中将兼近江権守藤原朝臣有実、従四位上行左京大夫在原朝臣守平、従四位上行右馬頭藤原朝臣門宗、従四位上行左馬頭藤原朝臣利基、左近衛少将正五位下兼守左中弁行備前権介藤原朝臣有穂等八行禊陪正三位行中納言兼民部卿陸奥出羽按察使在原朝臣行平、参議左大弁従四位上兼行勘解由長官文章博士橘朝臣広相、治部卿正四位下源朝臣本有、散位従四位上源朝臣長猷等四送斎内親王使中納言従三位藤原山陰、左近衛少将正五位下兼守左中弁行備前権介藤原朝臣有穂、右大史正六位上惟宗朝臣安光、中務少丞従六位上藤原朝臣高用等四長奉送使

『日本三代実録』仁和2年8月20日丙寅条(886)

従四位上行兵部大輔四友王、従四位上行弾正大弼雅望王、散位従四位上源朝臣載有、散位従四位下源朝臣有等四斎内親王伊勢太神

『日本三代実録』仁和2年8月29日乙亥条(886)

-祓於朱雀門斎内親王来月伊勢大神也、

『日本三代実録』仁和2年9月4日己卯条(886)

伊勢斎内親王明日可大蔵省預葛野河装束建幄、雨、忽然破割、就而見之、也、陸奥守正五位下安倍朝臣清行従四位下、肥後守藤原朝臣是行正五位-入仁寿殿東廂拝舞而出、申時、建礼門明日、奉伊勢大神宮神宝使、也、于雷電大雨、人不諸衛-陣於殿

『日本三代実録』仁和2年9月5日庚辰条(886)

斎内親王行禊之去二日中務省犬死穢也、

『日本三代実録』仁和2年9月7日壬午条(886)

斎内親王今日禊葛野九日擬大神内親王忽亦太政大臣握河辺第犬死、触穢之人-入内停不行、

『日本三代実録』仁和2年9月11日丙戌条(886)

伊勢神宮之使、是日可発、去七日犬死因而停止、亦

『日本三代実録』仁和2年9月12日丁亥条(886)

-遣奉伊勢大神宮使天皇欲大極殿乗輿未出、奏聞、画所犬死、於是、太政大臣及諸公卿議曰、画所者、宮門左右衛門陣之若当諸司有穢、札於衛門-知事也、依之、禁中也、仍即便中納言従三位藤原山建春門陣散位従五位下幸世其告文太政大臣里第之内之、在局紙并内記故也、

『日本三代実録』仁和2年9月17日壬辰条(886)

内裏犬死、斎内親王今月十九日欲而停、公卿左衛門神祇官陰陽-定吉更廿四日為期、

『日本三代実録』仁和2年9月23日戊戌条(886)

詔、斎内親王行禊、廿四廿五

『日本三代実録』仁和2年9月25日庚子条(886)

天皇大極殿-伊勢斎内親

『日本三代実録』仁和2年9月30日乙巳条(886)

奉送伊勢斎内親王使中納言藤原朝臣山陰廿八日奏状、今日申時到来偁、今日巳時、王輿出近江国垂水頓酉時伊勢国鈴鹿頓戌時西垣之外、一借屋火、内親王更衣滋野朝臣直子於頓守藤原朝臣継蔭看督近衛救止、不西風差扇、火勢甚熾、遂寝殿匣殿-焼四垣外借殿-置内親-問寮申云、火発舎人長磯部豊瀧宿也、山陰手曰、七箇者、解謝早可入、

『日本三代実録』仁和2年10月27日壬申条(886)

伊予国正税穀千斛、讃岐国千斎宮承前之例、斎内親王大神之後、伊勢国正税穀三千新居之今廻換以充之、

『日本三代実録』仁和3年4月6日己酉条(887)

天皇大極殿参議正四位下行近江守源朝臣是忠於伊勢大神幣、-遣使-幣山城国八幡、伊勢国多度、近江国日吉、駿河国浅間明神

『日本紀略』仁和3年9月2日壬申条(887)

大和伊賀等国、令斎内親王行宮、為京也、

『日本紀略』仁和3年10月11日辛亥条(887)

使伊勢斎内親

『日本紀略』仁和3年11月13日壬午条(887)

使於伊勢太神也、

『日本紀略』仁和4年2月25日癸巳条(888)

御即-伊勢并五畿七道諸

『日本紀略』仁和4年10月7日壬申条(888)

詔、-幣於伊勢太神宮及諸十一月中卯日大嘗会

『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)

-遣大神宝使

『日本紀略』寛平元年2月16日戊寅条(889)

-伊勢斎王元子女故式部卿本康親王之女也、

『日本紀略』寛平元年3月13日甲辰条(889)

伊勢国飯野一代間、奉太神

『日本紀略』寛平元年9月20日己酉条(889)

伊勢斎王始祓、

『日本紀略』寛平元年10月9日丁卯条(889)

使於伊勢太神

『日本紀略』寛平2年9月5日戊子条(890)

伊勢斎内親王行於鴨

『日本紀略』寛平2年9月17日庚子条(890)

伊勢奉幣、

『日本紀略』寛平3年2月19日己亥条(891)

今日七社奉幣、

『日本紀略』寛平3年6月18日丙申条(891)

-幣三

『日本紀略』寛平3年9月4日辛亥条(891)

伊勢斎宮于葛野-向伊天皇大極殿-

『日本紀略』寛平4年9月11日壬子条(892)

天皇大極殿伊勢神嘗

『日本紀略』寛平6年4月19日辛亥条(894)

新羅-伊勢太神

『日本紀略』寛平6年9月3日壬戌条(894)

-伊勢太神

『日本紀略』寛平6年9月11日庚午条(894)

例幣、内裏-

『日本紀略』寛平7年9月11日甲子条(895)

伊勢

『日本紀略』寛平8年8月23日辛未条(896)

-伊勢太神

『日本紀略』寛平9年8月13日丙辰条(897)

幣帛使於伊勢大神即位并斎宮柔子内親之由、太上天皇第二之皇女也、与同胞、

『類聚三代格』1(神郡雑務事) 寛平9年9月11日官符(897)

太政官符
応以伊勢国飯野郡寄 大神宮
右郡依去仁和五年三月十三日 勅、一代之間奉寄彼 、大納言正三位兼行左近衛大将藤原朝臣時平宣、奉 勅、自今以後永以奉寄、仍須貢物官舎等之類准弘仁八年十二月廿五日格行之、
寛平九年九月十一日

『日本紀略』寛平9年9月11日癸未条(897)

例幣於伊勢大神飯野-兵乱可

『類聚三代格』1(神郡雑務事) 寛平9年12月22日官符(897)

太政官符
伊勢大神宮神郡検非違使
神祇官奏偁、大神宮司解偁、検非違使雖卜食管度会多気飯野三箇神郡諸人、或訴訟之輩日月不絶、望請、神民之中幹検非違使一向令犯罪之但不大内把笏従者、官 天者、権大納言正三位兼行右近衛大将民部卿中宮大夫菅原朝臣道真宣、奉 勅、請、
寛平九年十二月廿二日

『日本紀略』昌泰元年4月25日甲子条(898)

伊勢斎内親王于鴨或云、八月廿二日、

『日本紀略』昌泰元年5月8日丙子条(898)

--幣十六

『日本紀略』昌泰元年5月15日癸未条(898)

--伊勢大神

『日本紀略』昌泰元年7月3日辛未条(898)

--幣廿二

『日本紀略』昌泰元年8月22日己未条(898)

伊勢斎内親王禊於鴨河即日入野宮、」

『日本紀略』昌泰元年8月23日庚申条(898)

-遣使者於伊勢大神宮并五畿七道諸名又豊前国宇佐宮同

『日本紀略』昌泰2年9月8日己亥条(899)

伊勢斎王柔子内親王于葛野-向大神天皇八省云々、

『類聚三代格』4(加減諸司官員并廃置事) 昌泰3年4月9日官符(900)

太政官符
-置斎宮寮権史生一
右右大臣宣、奉 勅、彼寮-置件但其衣糧、寮舎人一人之、
昌泰三年四月九日

『日本紀略』昌泰3年7月20日乙巳条(900)

前斎宮晏子内親王薨、

『延喜式』1(四時祭上) 大中小祀条〔1〕

凡践祚大嘗祭大祀、祈年、月次、神嘗、新嘗、賀茂等祭大忌、風神、鎮花、三枝、相嘗、鎮魂、鎮火、道饗、園、韓神、松尾、平野、春日、大原野等祭風神祭已上、並諸司斎之、鎮花祭已下、祭官斎之、但小祀祭官斎者、内裏不斎、使之祭者斎之、

『延喜式』1(四時祭上) 祭日条〔2〕

凡祈年祭二月四日、大忌、風神祭並四月、七月四日、月次祭六月、十二月十一日、神嘗祭九月十一日、其子午卯酉等日祭、各、自余祭不者、臨時択祭之、

『延喜式』1(四時祭上) 月次祭条〔23〕

月次祭幣案神三百四座、並大、
社一百九十八所、
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形、絁纏刀形、布纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫一口、楯一枚、槍鋒一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑海菜各六両、塩一升、酒坩一口、裹葉薦五尺、祝詞座料短畳一枚、
前一百六座、
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一竿、裹葉薦五尺、
右、所之神並大神宮、度会宮、高御魂神、大宮女神各馬一大神宮、度会宮各籠頭料庸布一五日、忌部九人、木工一供神調其監造并潔衣食料、各祭畢即中臣官一人宮主及卜部宮内奉神今之小斎

『延喜式』2(四時祭下) 伊勢神嘗祭条〔1〕

伊勢大神宮神嘗祭、
幣帛二筥、内蔵寮供設、絁三疋、糸八絇、倭文一端一丈、席二枚、鞍二具、馬四疋、籠頭料布一端一丈四尺、
右、当月十一日平旦、天皇大極後殿幣、其使諸王五位已上、及神祇官中臣忌部官各一人執幣五人、使従者三人、各潔衣布一但斎王初参入之時、御座於大極殿

『延喜式』3(臨時祭) 致散斎条〔52〕

凡祈年、賀茂、月次、神嘗、新嘗等祭前後散斎之日、僧尼及重服奪情従公之輩、不入内軽服致斎并前散斎之日、不自余諸祭斎日、皆

『延喜式』3(臨時祭) 大神宮幣帛条〔64〕

凡内侍調大神宮之所者、官人当日早旦参向、相共供事、

『延喜式』3(臨時祭) 神宮司季禄条〔95〕

凡諸神宮司、禰宜季禄者、伊勢大神宮禰宜従七位度会宮禰宜従八位神郡神給之、下総国香取神宮司、常陸国鹿島神宮司、越前国気比神宮司、並従八位封戸充之、能登国気多神宮司、少初位給之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 大神宮条〔1〕

大神宮三座度会郡宇治郷五十鈴河
天照大神一座、
相殿神二座、
禰宜一人、従七位官、大内人四人、物忌九人、童男一人、童女八人、父九人、小内人九人、
荒祭宮一座、大神荒魂、大神宮廿四丈、
内人二人、物忌、父各一人、
右二宮、祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 大神宮別宮条〔2〕

伊佐奈伎宮二座、大神宮三里、
伊弉諾尊一座、
伊弉冉尊一座、
月読宮二座、大神宮三里、
月夜見命一座、
荒魂命一座、
瀧原宮一座、大神遥宮、伊勢境山、去大神宮西九十里、
瀧原並宮一座、大神遥宮、瀧原宮地
伊雑宮一座、大神遥宮、志摩国答志、去大神宮八十三里、
右諸別宮、祈年、月次、神嘗等祭供之、就中瀧原並宮、伊雑宮不其宮別各内人二人、其一人八位已上并蔭子物忌、父各一人、但月読宮御巫内人一

『延喜式』4(伊勢大神宮) 度会宮条〔3〕

度会宮四座、度会郡沼木郷山田、去大神宮西七里、
豊受大神一座、
相殿神三座、
禰宜一人、従八位官、大内人四人、物忌六人、父六人、小内人八人、
多賀宮一座、豊受大神荒魂、神宮六十丈、
内人二人、物忌、父各一人、
右二宮、祈年、月次、神嘗等祭供之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 禰宜等任用条〔4〕

二所大神宮禰宜、大小内人、物忌、諸別宮内人、物忌等、並度会郡但伊雑宮内人二人、物忌、父等、志摩国神戸

『延喜式』4(伊勢大神宮) 諸社条〔5〕

諸社卌座、
大神宮所摂廿四座、
朝熊社、 園相社、 鴨社、
田乃家社、 蚊野社、 湯田社、
大土御祖社、 国津御祖社、 朽羅社、
伊佐奈弥社、 津長社、 大水社、
大国玉比売社、 江神社、 神前社、
粟皇子社、 久具都比売社、 奈良波良社、
榛原社、 御船社、 坂手国生社、
狭田国生社、 多伎原社、 川原社、
度会宮所摂十六座、
月夜見社、 草名伎社、 大間国生社、
度会国御神社、 度会大国玉比売社、 田上大水社、
志等美社、 大川内社、 清野井庭社、
高河原社、 河原大社、 河原淵社、
山末社、 宇須乃野社、 小俣社、
御食社、
右諸社、並祈年、神嘗

『延喜式』4(伊勢大神宮) 元日条〔6〕

凡元日、諸宮禰宜、内人等各奉進白散御其白散国司進之、訖皆集御大神宮司諸宮禰宜、内人及神郡司拝諸度会大神宮、次諸宮、訖即朝拝、然後賜宴、三日早旦賀斎

『延喜式』4(伊勢大神宮) 祈年祭条〔7〕

凡二月祈年幣帛者、幣色目四時祭朝使到日、大神宮司使度会大神宮献幣高宮、荒祭宮使自進奉、余宮禰宜等其二宮所摂諸社幣者、座別絹三尺、木綿、麻各二両二分、大神宮司分充、禰宜検領就班、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 神衣祭条〔8〕

四月九月神衣祭、
大神宮、和妙衣廿四疋、八疋広一尺五寸、八疋広一尺二寸、八疋広一尺、並長四丈、髻糸、頸玉、手玉、足玉緒、帒襪緒等糸各十六条、縫糸六十四条、各長五尺、長刀子一枚、短刀子、錐、針、鉾鋒各十六枚、著玉串二枚、韓櫃二合、一合盛衣、一合筥一合、糸并雑荒妙衣八十疋、卌疋広一尺六寸、卌疋広一尺、並長四丈、刀子、針各廿枚、韓櫃一合、衣并刀
荒祭宮、和妙衣十二疋、髻糸、頸玉、手玉、足玉緒、帒襪緒等糸各八条、縫糸卌条、刀子、錐、針、鉾鋒各八枚、著玉串一枚、韓櫃二合、筥一合、荒妙衣卌疋、刀子、針各十二枚、韓櫃一合、
右、和妙衣者服部氏、荒妙衣者麻続氏、各自潔斎、始祭月一織造、十四祭、其儀、大神宮司、禰宜、内人等服織女八、陣列御衣之入、大神宮司訖、共再拝両段、短拍手両段、膝退再拝両段、短拍手両段、一拝訖退出、即荒祭、供大神宮但再拝両段、短拍手両段退出、是日笠縫内人等進蓑大神宮三具、荒祭宮一具、伊佐奈伎宮二具、月夜見宮二具、瀧原宮二具、瀧原並宮一具、伊雑宮一具、朝熊社二具、園相社、鴨社、田乃家社、蚊野社、伊佐奈弥社各一具、度会宮八具、及所摂宮并社各一具、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 機殿祭条〔9〕

服部等二時神機殿祭并雑用料、
糸一百絇、倭文二丈一尺、是一種木綿、麻各十三斤四両二分、已上祭料、絹四疋四丈二尺、綿四屯、調布九端一丈、商布七十九段、鉄六廷、砥四顆、是一種油一斗、塩一石、稲六百五十六束、九月祭料、防壁四枚、席四枚、神部二人料日米一升二合、
麻続等機殿祭并雑用料、
麻卅鬘、囲二尺為鬘、絹四丈、倭文三丈、木綿十三斤四両二分、已上祭料、商布七十九段、砥二顆、油八升、塩一石、稲三百九十七束、九月祭料、
右、造神雑物、皆服織戸廿二烟、麻続戸廿二烟調庸及各便分充、大神宮司検校、若所者、附申上、如者、大神宮司量充、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 神衣祭祓条〔10〕

凡四月神衣祭、預前一月晦日祓除、九月准此、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 月次祭条〔11〕

六月月次祭、十二月准此、
大神宮赤引糸卌絇、木綿大七斤、麻大十二斤、酒米十石、米三石三斗、神酒廿缶、缶別三斗、当国十五缶、伊賀国二缶、尾張、参河、遠江等国各一缶、並醸造、雑贄廿荷、供、雑供料米十五石、塩一石四斗、鉄一廷、
度会宮赤引糸卅絇、木綿大四斤、麻大十斤、酒米十石、米二石、神酒八缶、当国三缶、四国如上、雑贄八荷、雑供料米十石、塩一石四斗、鉄一廷、其所摂神宮祭者、亦
右、月十六日度会十七日大神其儀十五日黄昏以後、禰宜諸内人、物忌、陣列神御雑訖亥時丑時禰宜内人等十六日平旦、斎内親王入度会、至板垣門東輿、入外玉垣座於東殿門内東西各殿東殿斎内親王左右命婦等西殿女孺等訖即神宮司鬘木綿、入外玉垣北向而跪、命婦若女孺出受以奉、斎内親王拍而執著鬘、神宮司又太玉綿賢木、是太玉而跪、命婦亦転奉、斎王拍而執捧、内玉垣院命婦若女孺二人陪従、再拝両段、命婦不拝、訖玉串命婦受転受執瑞垣門西斎内親王還然後禰宜乃衣冠並大神宮司太玉禰宜立前、大神宮禰宜立左、宇治内人立右、次宮司、次幣雑物并馬単行陳列、次朝使進外玉垣、当内玉垣並皆跪、先使中臣次宮司訖物忌、内人等幣帛入奉瑞垣内財殿斎内親王并衆官以下、再拝八開再拝、如両遍、既而衆官退出、即使及宮司以下、多賀斎王不向、再拝両段、両段、退解斎殿外玉垣先神宮司、次禰宜、次大内人、次幣帛使、次斎宮主神、次寮允以上一人、酒立女一人持柏、一人持酒、毎舞了但件酒立女、斎王参之日、采女供奉、或之時、禰宜内人等妻次禰宜大内人妻、訖斎宮女孺四人、五節次鳥子名舞、十七日大神其儀一度会荒祭多賀

『延喜式』4(伊勢大神宮) 大神宮神嘗祭条〔12〕

九月神嘗祭、但朝庭幣数内蔵
大神宮御衣三疋、禰宜預五月封戸調潔斎調荷前絹一百十三疋一丈二尺、大神宮一百六疋、所摂六宮各一疋、廿四社料一疋一丈二尺、五色幣料絹一疋、門幌料絹三疋二丈、糸三絇、綿五十三屯、布一端、木綿十斤、麻十八斤、腊廿斤、熬海鼠十二斤、堅魚十四斤、鰒十二斤、塩六石、油六升、海藻廿斤、已上諸国封戸調荷前、米三石三斗、酒米十石、雑供料米廿五石、塩一石、神酒廿三缶、当国十五缶、度会宮根倉物忌一缶、服織、麻績各一缶、伊賀国二缶、尾張、参河、遠江等国各一缶、並醸造、小税二百卅束、束、神麻績一百束、神服織八十束、飯野郡封戸十束、伊賀国封戸卅束、大税一百八十束、束、神麻績百束、神服織八十束、斤税一千二百廿二束、大神宮千八十二束、荒祭宮五十束、月夜見宮卅束、瀧原宮廿束、瀧原並宮廿束、瀧祭十束、朝熊社十束、並下条准此、布一端、帖廿枚、短帖廿枚、席廿四枚、食薦廿三枚、防壁三枚、甕一口、瓼二口、陶埦、酒盞各三口、高盤、枚盤、酒壷各三口、鉄一廷、砥一顆、案十脚、著足折櫃八十合、折櫃二百合、切案十脚、高案八脚、大案十脚、杓廿柄、匏廿柄、雑土器四千五百口、
禰宜内人等明衣、
禰宜、大物忌二人、各絹三疋、綿三屯、大内人四人、各絹二疋、綿二屯、宮守、地祭、塩焼物忌等三人、各絹一疋三丈、綿一屯、大物忌、宮守、地祭、塩焼物忌等父四人、并清酒、酒造、山向、瀧祭、土師器作物忌等五人、并父、
及御笥作、木綿作、忌鍛冶、陶器作、御笠縫、日祈、御巫、御馬飼内人二人、等九人、各絹一疋、綿一屯、荒祭宮内人二人、絹三疋、各一疋三丈、綿三屯、各一屯半、物忌一人、絹一疋三丈、綿一屯、父一人、絹一疋、綿一屯、月夜見宮内人以下荒祭但御巫内人一人、絹一疋、綿一屯、伊雑宮内人二人、物忌并父合四人、絹一疋、綿一屯、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 度会宮神嘗祭条〔13〕

度会宮、
御衣二疋、禰宜封戸斎織、如上、調荷前絹五十五疋四丈八尺、神宮五十四疋、高宮一疋、十六社料四丈八尺、五色幣絹一疋、門幌料絹二疋三丈、御膳殿料絹二疋、糸二絇、綿五十二屯、布一端、木綿六斤、麻十五斤、腊廿斤、熬海鼠八斤、堅魚十斤、鰒八斤、塩四石、海藻根十五斤、祭料米二石、酒米十石、雑供料米廿五石、塩五斗、神酒廿缶、当国十二缶、余国大神小税一百廿束、神服織卌束、神麻績八十束、大税八十束、神服織卌束、神麻続卌束、斤税八百束、神宮七百九十束、高宮十束、帖廿枚、短帖廿枚、席廿枚、食薦廿三枚、防壁三枚、陶埦、盤、酒盞、酒台、高盤、酒坩各三口、鉄一廷、砥一顆、
禰宜内人等明衣、
禰宜、絹三疋、綿三屯、大内人四人、大物忌一人、各絹二疋、綿二屯、御炊、塩焼物忌等二人、各絹一疋三丈、綿一屯、根倉、菅裁、土師器作物忌等三人、并大物忌、御炊、塩焼、根倉、菅裁、土師物忌等父六人、及木綿作、御巫、忌鍛冶、御笠縫、陶器作、御笥作、御馬飼内人二人、等八人、各絹一疋、綿一屯、高宮内人二人、各絹一疋三丈、綿一屯半、物忌一人、絹一疋三丈、綿一屯、父絹一疋、綿一屯、
右、月十六日度会十七日大神禰宜、大内人各、分頭左宮司立中、次使忌部捧幣、次馬、次使中臣、次使王、入内院版使中臣訖亦神宮司余儀月次

『延喜式』4(伊勢大神宮) 三時祭祓条〔14〕

凡三時祭者、六月、九月、十二預前一月晦日為祓、各馬一疋、鍬十三口、麻十三斤、祝史料商布一段、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 御膳年料条〔15〕

凡度会宮禰宜、内人等、依供進大神宮及度会宮朝夕御余宮不供、其御膳殿年料所絹二疋、布八端、東席三枚、食単布二端、食薦三枚、神宮司充之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 日祈条〔16〕

凡毎年七月、日祈内人為平風絹四丈、大神宮五尺、度会宮五尺、荒祭宮、月読宮、荒御玉、伊佐奈岐、伊佐奈弥、瀧原、小朝熊、多賀、久具、風神已上十座各三尺、木綿、麻各十五斤五両六分、大神宮三斤、度会宮二斤、十座神四斤、度会郡神卌座六斤五両六分、各二両二分、並神宮司充之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 鉏鍬柄条〔17〕

鉏鍬者、毎年二月先山口及木然後採之、所鉄人像、鏡、鉾各八十枚、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 遷宮条〔18〕

大神宮、廿年一度、替正殿宝殿及外幣殿度会宮及別宮、余社、殿之年限准此、構造、自外諸院新旧通用、宮地置二更遷、其旧宮神宝、収新殿但絁綿之類、給大神宮司及禰宜、内人神祇祭主処分、亦共有分、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 修造遣使条〔19〕

大神宮、年限満者、遣使使判官、主典各一人、但使判官、中臣、忌部両孟冬始作之、神宮七院、社十二処、朝熊社、園相社、鴨社、田乃家社、蚊野社、湯田社、月夜見社、草名伎社、大間社、須麻漏売社、佐那社、櫛田社、其使供給用神丁匠役封戸人夫粮食、便若神税不足用自余諸社宮司修理、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 山口神祭条〔20〕

山口神祭、
鉄人像、鏡、鉾各卌枚、已上三物、度会宮減半、以下祭准此、長刀子廿枚、手斧一柄、鎌一張、五色薄絁各五尺、木綿、麻各二斤、米、酒各一斗、堅魚、鰒各二斤、雑腊一斗、雑海菜二斗、塩二升、鶏二翼、雄一、雌一、鶏卵十枚、陶器、土器各五十口、内人等明衣料庸布五段、度会宮

『延喜式』4(伊勢大神宮) 採柱条〔21〕

正殿心祭、
鉄人像、鏡、鉾各卌枚、長刀子廿枚、斧四柄、度会宮、加手斧一鎌二張、小刀子一枚、鉇一枚、五色薄絁各五尺、木綿、麻各二斤、米、酒各一斗、堅魚、鰒各二斤、雑腊一斗、雑海菜二斗、塩二升、鶏二翼、鶏卵十枚、陶器、土器各廿口、内人等明衣料庸布四段、使忌部明衣料一段、
右、造宮使忌部、自内人并役夫、就山木祭之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 鎮地祭条〔22〕

祭宮後鎮准此、明衣及
鉄人像以下小刀子以上、心柱鍬二口、五色薄絁各一丈、木綿、麻各二斤、酒二斗、米二斗五升、雑腊二斗五升、堅魚、鰒各三斤、雑海菜二斗五升、塩二升、鶏二翼、鶏卵廿枚、陶器、土器各廿口、禰宜、内人、物忌等五人、明衣料絹二疋、度会宮平正殿禰宜内人等八十人明衣料庸布八十段、度会宮減半、
大神宮所摂宮地鎮料、鉄人像、鏡、鉾、長刀子各卌枚、斧、錛、鎌各四柄、鍬八口、木綿、麻各四斤、五色薄絁各二丈、米、酒、腊各二斗、堅魚、鰒各四斤、海菜四斗、塩四升、鶏八翼、鶏卵卌枚、宮別等分、内人等十三人明衣料庸布十三段、度会宮所摂宮地鎮料鉄人像、鏡、鉾、長刀子各十枚、釤鎌、刀子各一枚、鍬二口、木綿、麻各一斤、五色薄絁各五尺、米、酒、腊各五升、堅魚、鰒各一斤、海菜一斗、塩一升、鶏二翼、鶏卵十枚、陶器、土器各十口、内人等三人明衣料庸布三段、
右、鎮祭畢、地祭物忌掃其、掘心柱禰宜竪柱、平殿之日、紺布殿工夫臨

『延喜式』4(伊勢大神宮) 造船代祭条〔23〕

造船代祭、
鉄人像、鏡、鉾各卌枚、鑿二柄、鋸二張、鉇二枚、長刀子十枚、鎌三張、度会宮錛、手斧各二柄、錐二枚、度会宮除之、小刀子二枚、斧二柄、五色薄絁各五尺、木綿、麻各二斤、酒、米各一斗、堅魚、鰒各二斤、腊魚一斗、雑海菜二斗、塩二升、鶏四翼、鶏卵廿枚、陶器、土器各廿口、度会宮鶏以下並減半、内人明衣料庸布六段、度会宮庭作工明衣料二段、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 造備雑物条〔24〕

造備雑物、
大神宮船代三具、一具正宮料、長七尺三寸、内五尺七寸、広二尺五寸、内二尺、高二尺一寸、内深一尺四寸、二具相殿神料、各長七尺六寸、内七尺六分、広一尺五寸、内深一尺五分、高一尺七寸、内深一尺、樋代一具、正宮料、高二尺一寸、深一尺四寸、内径一尺六寸三分、外径二尺、度会宮船代四具、一具正宮料、長七尺五寸、内五尺八寸、広二尺五寸、内二尺、高二尺一寸、深九寸、二具相殿神料、各長四尺三寸、内三尺九寸、広一尺五寸、内一尺一寸五分、高一尺七寸、深一尺、一具高宮料、長四尺、広一尺五寸、樋代一具、正宮料、径高各一尺五寸、大神宮和琴一面、灯台五基、納韓櫃一合、奠案二脚、床三脚、一大神料、二相殿神料、天井一盖、短床二脚、度会宮亦同、但床一
右、山口以下、所五色薄絁各九丈、木綿、麻各卅二斤、鉄十六廷、鍬十六口、絹三疋、庸布二百二段、紺布八端、並造宮使受京自余大神宮司充之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 宝装条〔25〕

造神宝并装使、
弁官五位以上一人、史一人、史生二人、官掌一人、神祇若諸司主典已上可者四人、史生四人、女孺廿一人、仕女二人、雑使六人、雑工六十三人、自外雑色人等、随喚摂、使多少一レ済、其女孺以上各男各絹四丈五尺、女一疋一丈、雑工以上、男各布二丈六尺、女二丈、五位以下、大膳、大炊依供給、七月一日神祇官西院始行事、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 調度条〔26〕

調度、
正殿内張鎹一百卅二勾、背長各一寸、広二分半、茎長一寸、厚二分半、足長一寸、厚二分、戸引手二勾、鐶径各三寸六分、位金二枚、花形、径各三寸、引手内塞覆金二枚、花形、径各一寸九分、枚別穴三口、蟹目釘六隻、長各一寸、頭径一分半、鎹四勾、背長各二寸四分、広六分、茎長三寸、足長一寸七分、厚四分、広三分、鎹位金八枚、花形、径各一寸五分、鎹外覆花形金八枚、径各一寸九分、枚別穴三口、蟹目釘廿四隻、長各一寸、頭径一分半、雉楯金一枚、長六寸一分、広三寸六分、穴長一寸九分、広六分、蟹目釘八隻、長各一寸、頭径一分半、牒釘覆金五枚、径各一寸六分、足各三、鋳立、殿戸上下閾鋪八口、径各三寸、足三、鋳立、幌懸鐶三枚、長各一寸五分、穴径三分、頭径六分、位金三枚、径各一寸二分、鎖一具、管長四寸五分、管口径一寸七分、自二寸七分、管広厚各二寸、舌茎一寸四分、根雄径五分、長八寸、鎖打立二枚、頭径一寸三分、足長一寸五分、足本広一寸、穴径六分、足広七分、厚二分半、茎長三寸、位金二枚、花形、径各一寸五分、匙一枚、長一尺五分、広六分、鑰一勾、長三尺四寸七分、柄長三寸五分、柄本金広八分、柄本末径一寸一分、本末口裹長八分、自長五寸八分、勾金広七分、自広六分、自二尺八分、摠厚三分、柄中花形目抜在、又柄端著鐶、棟端金二枚、長各七寸五分、広六寸五分、穴各八口、蟹目釘十六隻、長各一寸五分、頭径一分半、桁端金四枚、長各七寸五分、広六寸五分、枚別穴八口、蟹目釘卅二隻、長一寸五分、頭径一分半、垂椽端金八十六枚、方各三寸一分、枚別穴四口、蟹目釘三百卌四隻、長各一寸五分、頭径一分半、博風端金四枚、長各七尺、広三寸、穴四口、蟹目釘十六隻、長各二寸、頭径一分半、鏡形木覆金廿四枚、径各二寸一分、枚別足鋳立、長一寸五分、鞭懸木端金十六枚、径各一寸六分、枚別足三、鋳立、長一寸五分、博風鋪十四口、径各四寸、別足三立、妻塞押木打鋪十二口、径各一寸五分、別足三立、博風上鋪廿口、径各三寸、別足三立、高欄鳥居丸桁端金十管、各径三寸三分、長四寸、穴四口、釘卌隻、長各一寸、頭径一分半、径一寸半、高欄中桁端金十枚、長各七寸、広二寸八分、別穴六口、並花形堺打、蟹目釘六十隻、長各一寸、頭径一分半、高欄土居桁端金十枚、長各七寸、広二寸八分、別穴六口、並花形堺打、蟹目釘六十隻、長各一寸、頭径一分半、高欄長押肱金四勾、長各一尺四寸、片方長七寸、広三寸六分、勾別穴十四口、花形堺打、蟹目釘五十六隻、長各一寸、頭径一分半、高欄障泥板鋪廿六口、径各三寸、別足三立、高欄簀子敷釘覆金一百五十隻、径二寸一分、別足三立、高欄鋪九十二口、廿一口径各二寸一分、七十一口径三寸、口別足三立、高欄上座玉十八枚、赤四、白三、青三、黄四、黒四、玉高三寸四分、径三寸七分、玉固釘十八隻、長各二寸、玉位花形金十八枚、径各五寸六分、花枚六、穴各一口、又玉位花形下金十八枚、長各七寸、広四寸七分、穴各五口、蟹目釘一百八隻、長各一寸、頭径一分半、御橋玉六枚、赤二、白一、青二、黄一、高各三寸四分、径三寸七分、玉固釘六隻、長各二寸、御橋玉位花形六枚、径各五寸六分、御橋玉位花形下金六枚、長各七寸、広四寸、並花形穴各四口、蟹目釘廿四隻、長各一寸、頭径一分半、花形固釘六隻長各二寸、御橋鋪廿八口、径各三寸、別足三立、壁角柱長押肱金四枚、長各一尺二寸、広三寸七分、片方長六寸、別穴十四口、蟹目釘五十六隻、長各一寸、頭径一分半、壁柱長押釘覆鋪十四口、径各三寸、別足三立、板敷釘覆金一百隻、径各二寸一分、別足三立、北御門牒鐶釘金五枚、径各一寸五分、別足三立、鋪八口、径各三寸、別足三立、雉楯一枚、長四寸、穴長一寸、広三寸、穴口五分、穴六口、蟹目釘六隻、長各一寸、頭径一分半、鎹外覆金六枚、径各二寸一分、別穴三口、蟹目釘十八隻、長各一寸、頭径一分半、鎹三勾、背長各二寸四分、広六分、足長一寸七分、厚四分、茎長三寸、広三分、位金六枚、径一寸五分、幌懸鐶三枚、長各一寸五分、頭径六分、位金三枚、径各一寸二分、南草葺御門三間料鋪六十六口、径各三寸、別足三立、蕃御門一間料鋪八口、径三寸、別足三立、御門三間牒釘覆金十五枚、径一寸半、別足三立、御門四間幌懸鐶十二隻、長各一寸五分、頭径三分、位金十二枚、径各一寸半、宝殿二間博風釘覆鋪廿八口、径各三寸、足三立、御床四具之中、二具金花形釘卅六隻、径七分、茎長一寸、肱金八勾、長一尺七分、片方長六寸、片方長四寸七分、広一寸九分、並花形堺打、穴各十四口、蟹目釘一百十二長各一寸、頭径一分半、二具金平釘卅二長各一寸、惣所熟銅一百卅一斤三両二分、半熟一百七十一斤、滅金八斤四両、銀一両二分一銖、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 神宝条〔27〕

神宝廿一種、
金銅多多利二基、高各一尺一寸六分、土居径三寸六分、金銅麻笥二合、口径各三寸六分、尻径二寸八分、深二寸二分、金銅賀世比二枚、長各九寸六分、手長五寸八分、金銅鎛一枚、茎長各九寸三分、輪径一寸一分、銀銅多多利一基、高一尺一寸六分、土居径三寸五分、銀銅麻笥一合、口径三寸六分、尻径二寸八分、深二寸二分、銀銅賀世比一枚、長九寸六分、手長五寸八分、銀銅鎛一枚、茎長九寸三分、輪径一寸一分、梓弓廿四枝、長各七尺以上八尺以下、征箭一千四百八十隻、長各二尺三寸、鏃長二寸五分、作之、鏃又箭七百六十八隻、長二尺四寸、鏃、斧、箭作之、雑丹画之、玉纏横刀一柄、柄長七寸、鞘長三尺六寸、柄頭横着塗金、長三寸八分、片端広一寸五分、片端広一寸、頭頂仆鐶一径一寸五分、玉纏十三町、四面五色五色組長一丈、阿志須恵組四長二尺、鈴八口、琥碧玉二金鮒形二隻、長各六寸、広二寸五分、著緒紫組長六尺、袋一口、表大暈繝錦、裏緋綾帛、各長七尺、須我流横刀一柄、柄長六寸、鞘長三尺、其鞘金銀画之、柄纏之、柄勾皮長一尺四寸、裏小暈繝錦、広一寸、鏡形金六柄枚押小暈繝錦、長三寸一分、広一寸五分、四角、著五色長一丈、阿志須恵組四尺、金鮒形二隻、長六寸、広二寸五分、長六尺、袋一口、表大暈繝錦、裏緋綾帛、各長七尺、雑作横刀廿柄、桜柄長六寸五分、鞘長二尺七寸、漆塗即緋帛并倭纏之、節別小暈繝錦、阿志須長各三尺三寸、広各一寸二分、緋紺帛長九尺、広二寸五分、姫靫廿四枚、長各二尺四寸、上広六寸、下広四寸五分、矢刺口方二寸九分、以作之、以表、以著裏、著緒四処、並長各二尺、広一寸三分、箭四百八十隻、作之、蒲靫廿枚、長各二尺、上広四寸五分、下広四寸、以之、表、以鹿頂、裏、著緒四処、並長各二尺、広一寸、箭一千隻、作之、革靫廿四枚、長各一尺八寸、上広四寸五分、下広三寸八分、調粘之、著緒四処、並長各二尺、広一寸、箭七百六十八隻、作之、鞆廿四枚、鹿縫之、胡粉塗以画之、持麻笥二径一尺六寸五分、深一尺四寸五分、著緒一処、長各一尺七寸、広二分、楯廿四枚、長各四尺四寸五分、上広一尺三寸五分、下広一尺四寸、厚一寸、桙廿四竿、長各一丈二寸、鋒金八寸五分、広一寸五分、径一寸四分、本金長二寸八分、径一寸四分、本末鵄尾琴一面、長八尺八寸、頭広一尺、末広一尺七寸、頭鵄尾広一尺八寸、
惣所熟銅卌九斤五両、半熟一百七十二斤十四両、滅金九斤七両八分四銖、金四両一分、銀七両五銖、銀薄卅四枚、白﨟五斤、鉄十五廷一両二分、漆四斗二合、金漆一升二合、次条盖翳鏡等所銀銅之類、荏油三合、油五合、掃墨二升、箟二千二百五十株、烏羽三千八十枚、鷲羽八百枚、朱沙一両二分、中烟子二枚、金青、同黄、青黛各一両二分、錦一疋八尺、大暈繝錦一丈四尺、小暈繝錦八尺五寸、倭文一丈二尺、緋綾一丈四尺、緋帛一疋三丈七尺、紺帛四丈五尺、絹五尺、練糸十四両四分、深紫九両二分二銖、浅紫一斤三両二銖、深葡萄染三両八銖、浅葡萄染二両八銖、縹糸一絇、生糸一斤四両三分、綿二屯、調布一端三丈、紫革十八張、鹿皮一張半、鹿角六枚、葈一斤、桧榑九村、波太板十三枚、歩板一枚、黒柿一村、長二尺、方四寸、蒲一囲、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 大神宮装束条〔28〕

大神宮装束、
盖二枚、浅紫綾表、緋綾裏、表各三丈、裏加之、頂及角覆錦、枚別所一丈、浅紫組枚別所八両、但縫料糸臨時斟酌請受、以下准此、緋綱四条、二条蓋料、二条菅笠料、長各二丈、紫扇二枚、菅笠二枚、菅扇二枚、壁代絹帳三条、一条長六丈、広六幅、一条長四丈五尺、広六幅、一条長九尺、広二幅、天井上覆絹帷一条、長三丈六尺三寸、広九幅、内蚊屋絹帳二条、高一丈三寸、広十二幅、幌一条、長七尺三寸、広四幅、床土代敷細布袷帷一条、長二丈八尺、広六幅、絹袷帷一条、長一丈三寸、広四幅、生溢絹被二条、長九尺、広四幅、綿廿一条無綿、小窠錦被一条長九尺、広四幅、綿廿小文紫被一条、長五尺、広二幅、綿八小文緋被一条、長広如上、屋形錦被一条、長広同上、小文緋絹一疋、折累敷料、帛被三条、二条長一丈、広四幅、綿各廿一条長九尺、広四幅、無綿、五窠錦被一条、長一丈、広五幅、、納綿廿細布袷帷一条、長九尺、広四幅、絹袷帷一条、長広如上、小文紫衣二領、長三尺五寸、綿一小文紺衣二領、長三尺五寸、裏同上、綿一帛衣四領、長裏同上、綿一帛裳四腰、長五尺、紫羅裳二腰、長広裏色同上、紫帯六条、長七尺、広一寸八分、絹比礼八条、長五尺、広二幅、帛意須比八条、長二丈五尺、広二幅、細布巾四条、長五尺、広一幅、帛巾四条、長如上、帯廿条、六紫、十四緑、長各七尺、広一寸八分、錦履二両、長九寸五分、錦襪八両、長九寸五分、高七寸五分、帛袜八条、長二尺、広一尺五分、盛柳筥一合、方一尺五寸、櫛筥一合、方一尺、裏、納櫛八鏡二面、各径九寸、盛轆轤筥、以表、以裏、髻結紫糸八条、長五尺、納柳筥一合、方一尺、加美阿氐帛八条、長三尺、白玉一両三分、中分盛白筥二合、方一尺、生絁袷錦枕二枚、長各五寸五分、広三寸八分、厚二寸四分、盛柳筥一合、方一尺五分、布廿三端三丈、韓櫃八合、所摂諸宮装束、同此韓
相殿神二座装束、
左神料絹嚢一口、長七尺二寸、広二幅、右神料絹嚢一口、長四尺二寸、広二幅、絹幌二条、長六尺三寸、広四幅、四門幌四条、瑞垣門長七尺八寸、広四幅、蕃垣門長八尺八寸、広五幅、玉串門長広玉垣門長七尺四寸、広三幅、
荒祭宮装束、
菅笠一枚、径四尺五寸、金飾、緋綱二丈、蚊屋一条、長七尺六寸、広十二幅、内蚊屋一条、長七尺、広二幅、土代細布帷一条、長八尺、広二幅、絹被一条、帛被一条、各長七尺、広三幅、綿八緋綿衣一領、錦綿衣一領、絹綿衣一領、已上長二尺、錦裳一腰、緋裳一腰、帛裳一腰、各高二尺、【「齋」の下の「小」の部分が「衣」】長四尺、頓練絁帊一張、長九尺、広四幅、絹幌一条、長六尺、広三幅、櫛筥一合、櫛四髻結紫糸二条、長四尺、紫帯二条、長四尺、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 諸別宮装束条〔29〕

伊弉諾宮二座装束、
土代絹帷二条、長各一丈、広各三幅、幌二条、長各六尺、広各三幅、絹被二条、長各七尺、広各三幅、帛被二条、長広如上、青夾纈綿衣二領、長各二尺、帛裏、絹単衣二領、長各如上、帛綿袴二腰、長各一尺六寸、紫紗裳一腰、帛裳一腰、各高一尺六寸、【「齋」の下の「小」の部分が「衣」】長四尺、緑帯四条、長各四尺、髻結紫糸四条、長各四尺、櫛筥二合、櫛四
月夜見宮二座装束、
土代絹帷二条、一条長一丈、一条長八尺、各三幅、幌二条、一条長六尺、広三幅、一条長五尺、広二幅、絹被二条、各長七尺、広三幅、帛被二条、長広如上、青夾纈綿衣二領、各長二尺、帛裏、絹単衣二領、長如上、帛綿袴二腰、長各一尺六寸、緑帯四条、長四尺、髻結紫糸四条、長四尺、櫛筥二合、櫛四
瀧原宮装束、
絹蚊屋二条、一条長七尺六寸、広十二幅、一条長七尺、広二幅、絹幌一条、長六尺、広三幅、土代細布帷一条、長七尺七寸、広三幅、緋衣一領、紫単衣一領、帛衣一領、各長二尺、裁替裳一腰、帛裳一腰、紫紗裳一腰、各高二尺、腰長二尺、【「齋」の下の「小」の部分が「衣」】長四尺、帛被一条、絹被一条、各長七尺、広三幅、絹帳一条、長七尺七寸、広三幅、生絹天井覆一条、長七尺六寸、広十二幅、櫛筥一合、櫛八髻結紫糸二条、長四尺、緑帯二条、長四尺、
瀧原並宮装束、
正殿絹蚊屋二条、一条長五丈、広十幅、一条長五尺四寸、広二幅、土代細布帷一条、長五尺八寸、広二幅、緋衣二領、各長二尺、紫紗裳一腰、帛裳一腰、各長二尺、帛被一条、絹被一条、各長六尺、広三幅、絹幌一条、長六尺、広三幅、櫛筥一合、櫛四髻結紫糸二条、長四尺、緑帯二条、長四尺、
伊雑宮装束、
正殿絹蚊屋二条、一条長七尺六寸、広十二幅、一条長七尺、広二幅、絹被一条、帛被一条、各長七尺、広三幅、細布土代帷一条、長八尺、広二幅、緋単衣一領、帛単衣一領、各長二尺、帛裳一腰、錦裳一腰、紺裳一腰、各長二尺、絹幌一条、長六尺、広三幅、櫛筥一合、櫛四髻結紫糸二条、長四尺、緑帯二条、長四尺、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 度会宮装束条〔30〕

度会宮装束、
紫蓋一枚、菅笠一枚、紫翳一枚、菅翳一枚、壁代絹帷二条、一条長六丈、広六幅、一条長一丈八尺、広如上、天井上覆帷一条、長二丈五尺、広九幅、蚊屋帷二条、一条高一丈四寸、広十九幅、一条高如上、広五幅、幌一条、長七尺三寸、広四幅、戸上壁代帷一条、長八尺五寸、広二幅、絹袷帷一条、長一丈、広四幅、土代敷細布袷帷一条、長二丈、広五幅、帛被一条、長八尺、広四幅、刺車錦被二条、長各八尺、広四幅、船代内敷小綾帛被二条、各長八尺、広二幅、上覆帛被一条、長八尺、広四幅、小綾紫被一条、長八尺、広四幅、緋錦衣一領、紺衣一領、小綾緑衣一領、絹衣一領、已上各長三尺、綿一呉錦衣一領、小綾紫衣一領、小綾帛衣一領、緋衣一領、已上長各三尺五寸、綿一緋裳一腰、帛裳二腰、紺裳一腰、絹裳一腰、各高五尺、【「齋」の下の「小」の部分が「衣」】長五丈、腰長一丈三尺、呉錦裳一腰、小綾紫裳一腰、紺裳一腰、倭文裳一腰、各高三尺五寸、【「齋」の下の「小」の部分が「衣」】長二丈五尺、腰長七尺、絹比礼四条、各長二尺五寸、帛絹忍比四条、各長二丈五寸、帛巾二条、各長五尺、細布巾二条、各長五尺、帛袜四条、各長二尺、枕二基、櫛筥一合、櫛四髻結紫糸四条、各長三尺、紫帯二条、各広二寸、長七尺、錦襪二具、錦沓二両、調布十八端、柳筥三具、各方一尺六寸、幔一条、長六丈、広三幅、韓櫃四合、所摂別宮装束、同此韓
相殿神三座装束、
帛被三条、絹被三条、已上各長三尺五寸、広二幅、綿五帛衣三領、絹衣六領、已上各長二尺七寸、綿各六両、絹裳九腰、各【「齋」の下の「小」の部分が「衣」】長一丈、腰長三尺、高二尺、絹幌二条、各長七尺二寸、広四幅、三門幌三条、各長九尺、広五幅、戈二竿、各長一丈二尺、楯二枚、高四尺六寸、広一尺四寸、弓二枝、胡簶二具、箭六十隻、鞆二枚、
多賀宮装束、
絹蚊屋帷二条、一条長五尺四寸、広二幅、一条長五尺、広十幅、天井帷一条、長八尺、広三幅、細布単帷一条、長六尺、広二幅、帛被一条、絹被一条、已上各長四尺五寸、広二幅、綿各五緋衣一領、絹衣一領、紫紗裳一腰、帛裳一腰、櫛筥一合、櫛四髻結紫糸二条、帯二条、各長四尺、絹幌一条、長六尺、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 禰宜内人装束条〔31〕

遷宮禰宜内人等装束、
大神宮絹明衣五具、男三具、女二具、布明衣六十具、男卅具、女卅具、
度会宮絹明衣二具、男一具、女一具、布明衣六十具、男卅具、女卅具、
右、装束雑物造備訖、即使弁大夫一人、史一人、史生二人、官掌一人、使部二人、神祇官史一人、史生一人、神部一人、卜部一部領大神其担夫皆桃染九月十四日飾度会十五日奉同日飾大神十六日奉祭主粧飾之若祭主有障、令宮司然後粧飾、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 送装束条〔32〕

凡大神装束応者、預先宮中祓潔、亦中臣、遣京、畿内及近江、伊勢并大神宮左右京一人、五畿内一人、近江、伊勢及大神宮司一人、預同祓潔、豊受宮准此、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 宿直条〔33〕

二所大神宮者、禰宜長番、大内人毎旬率物忌父并小内人、戸人分番宿直、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 仕丁条〔34〕

凡封戸仕丁者、大神宮三人、豊受宮二人、荒祭宮、月夜見宮、瀧原宮、瀧原並宮、伊佐奈岐宮、伊雑宮、多賀宮各一人、御厨十六人、斎宮卌八人、祭主十人、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 御馬条〔35〕

二所大神宮櫪飼御馬各二疋、幣馬自外馬皆

『延喜式』4(伊勢大神宮) 器薪炭条〔36〕

鋪設雑器、松薪炭等之類、皆使神戸雑徭修

『延喜式』4(伊勢大神宮) 修理条〔37〕

神宮諸院、及斎内親王時舘舎者、大神宮司並使神戸雑徭随

『延喜式』4(伊勢大神宮) 禁断幣帛条〔38〕

凡王臣以下、不大神幣其三后皇太子若有者、臨時奏聞、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 出身条〔39〕

凡三神郡及神戸百姓、不出身但以出身者、便其上日行事神祇内外

『延喜式』4(伊勢大神宮) 卜部条〔40〕

凡卜部一人大神宮年中雑其衣粮者神封給之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 駅使条〔41〕

凡駅使大神宮者、于飯高郡下樋小

『延喜式』4(伊勢大神宮) 浮橋条〔42〕

凡斎内親王参入之日、飯野郡櫛田河浮橋者、大神宮司当其、令神郡人臨時営之日亦准此、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 祓料条〔43〕

凡斎内親王三節祭時四度祓者、三箇神郡司互供給之、其料米国司公郡正舂精送之、夫馬者三箇郡司儲備、度別夫五十人、馬八十疋、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 調絹条〔44〕

凡神封調絹一百疋、神嘗祭明日進斎

『延喜式』4(伊勢大神宮) 幣帛使条〔45〕

凡神嘗祭幣帛使、王五位已上卜食充之、其年中四度使祭主供之、若有者、官并諸司官人、及散位中臣氏五位已充之、五位以上者、六位亦得、斎王初参之時、必五位已

『延喜式』4(伊勢大神宮) 幣帛使禄条〔46〕

凡神嘗幣帛使者給禄、四位王絹十二疋、従者八疋、五位王十疋、従者六疋、中臣忌部並准此、六位以下中臣忌部各八疋、従者各四疋、六位已下卜部四疋、従者二疋、若卜部初位已下三疋、従者一疋、其祈年、月次使、六位以下六疋、従者二疋、祗承国司若四位六疋、五位五疋、掾四疋、目三疋、史生二疋、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 臨時幣帛使禄条〔47〕

凡臨時幣帛使者給禄、四位絹十二疋、従者八疋、五位十疋、従者六疋、六位已下中臣忌部各六疋、従者並絹二疋、六位已下卜部神嘗祗承国司同上、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 幣帛使解除条〔48〕

凡祈年、月次祭使参入者、大神宮司卜部候多気解除、若、奪其衣

『延喜式』4(伊勢大神宮) 宮司禄条〔49〕

凡大神宮司二員、大宮司一員正六位上官、少宮司一員正七位上官、其季禄給之、大神宮并豊受宮禰宜者位禄、同給之、資人神郡補之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 宮司給稲条〔50〕

凡大神宮司者、国司交初到稲一千年賜絹五十疋、米一百者、件絹米平均充之、神祇官五位以上中者、初年稲一万之外、不

『延喜式』4(伊勢大神宮) 禰宜等食米条〔51〕

二所大神宮禰宜、四月、六月日別食米二升、余月不給、物忌大神宮四人、度会宮三人、年中食日各米八合、但仕丁給之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 三節祭禄法条〔52〕

凡三節祭直会日禰宜内人等禄法、五位禰宜被一条、料絹一疋一丈三尺、綿五屯、六位禰宜襖子一領、料絹一疋、綿一屯、大内人、諸神宮内人、物忌、汗衫各一領、五節舞人二人絹各一疋、酒立女四人絹各三丈、
右、斎内親王参之日、寮庫給之、不参之時、神封給之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 鳥子名条〔53〕

凡三節祭并解斎直会之日、鳥子名舞童男童女十八人装束、青摺衣裳、在前摺備、臨給之、料布十二端、男二丈八尺、女二丈五尺、弾琴二人、笛生二人、歌長三人、料布三端二丈、人別二丈、年終各

『延喜式』4(伊勢大神宮) 御厨条〔54〕

凡御厨案主十人、司掌一人、鑰取三人、厨女一人、並三箇神郡并六処神戸百充之、其衣食神封給之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 調庸租条〔55〕

凡三箇神郡并六処神戸、及諸国神戸調庸田租者、国司所之調文租帳宮司勘納、其勘納之状、送主計主税二

『延喜式』4(伊勢大神宮) 郡政条〔56〕

凡三箇神郡校班損不堪佃、及計帳疫死等政、宮司共行之、其隔雑務者起度会郡宇治始行、国司先簿卜食従政、若朝使来者、先神郡堺卜食後入、者、堺外行事、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 神祇官符条〔57〕

凡神祇官符祭主者、神宮司等不

『延喜式』4(伊勢大神宮) 年穀不登料条〔58〕

凡年穀不調庸減少、先置供神遺量充宮司俸料并諸使、不之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 神戸正税条〔59〕

凡三神郡并六処、及諸国神戸者、不挙正

『延喜式』4(伊勢大神宮) 宮司解由条〔60〕

凡三神郡神社、溝池、堰、駅家、官舎、若及桑漆等者、宮司解

『延喜式』4(伊勢大神宮) 斎宮寮修理条〔61〕

凡斎宮寮官舎者、預大神宮司

『延喜式』4(伊勢大神宮) 兵仗禁止条〔62〕

二所大神宮内、不

『延喜式』4(伊勢大神宮) 禰宜考文条〔63〕

二所大神宮禰宜大内人以下禰宜職事、大内人以下番上、考文者、宮司勘造、九月廿五日以前、神祇官則押署太政式部三神郡内散位并蔭子孫、神麻績、神服織部亦准此、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 禰宜位記条〔64〕

凡禰宜、内人、神郡祝等恩詔位記者、式部省依数送於神祇官則四度祭使下之、使神祇史一叙位之直会院第一殿南面坐、史喚給、殿前東向、被禰宜内人、北上東面重行、訖則奉拍手両段、次北向朝拝、但度会宮西向行事、余儀大神若禰宜五位位者、給之、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 禰宜等親喪条〔65〕

凡禰宜、大内人、雑色、物忌父、小内人、不敢触穢及卌九日之後、祓清復任、其服闋之間、候外亦不入内傍親服中亦同、但物忌父死者、其子解任、子死者父亦解任、並復任之

『延喜式』4(伊勢大神宮) 不譲帯職条〔66〕

二所大神宮大小内人、物忌、及御厨雑色人等者、不別宮内人、物忌、弾琴、笛生、歌長、織殿神部准此、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 不載条〔67〕

凡供之物、不者、依供用、勿其雑役人、及御厨雑色人等衣食、事閑給之、不大神宮雑任卅二人、禰宜一人、大内人四人、物忌九人、物忌父九人、小内人九人、所摂六宮廿五人、宮別内人二人、物忌一人、物忌父一人、月夜見宮御巫内人一度会宮廿五人、禰宜一人、大内人四人、物忌六人、物忌父六人、小内人八人、所摂宮四人、内人二人、物忌一人、物忌父一人、
右、雑任人等皆調其馬飼丁十八人、大神宮十二人、度会宮六人、神服織、神麻績各五十人、輸調庸、

『延喜式』4(伊勢大神宮) 神田条〔68〕

神田卅六町一段、
大和国宇陀郡二町、
伊賀国伊賀郡二町、
伊勢国卅二町一段、桑名鈴鹿両郡各一町、安濃壱志両郡各三町、飯高郡二町、飯野郡十一町六段、度会郡十町五段、
右、神田如件、割度会郡五町四二町四段大神宮、三町度会宮、当郡司営収穫苗子、大神宮三時并度会宮朝夕之自余当土賃租、祭料

『延喜式』4(伊勢大神宮) 封戸条〔69〕

封戸、
当国、
度会郡、 多気郡、 飯野郡、
飯高郡卅六戸、 壱志郡廿八戸、 安濃郡卅五戸、
鈴鹿郡十戸、 河曲郡卅八戸、 桑名郡五戸、
諸国、
大和国十五戸、 伊賀国廿戸、 志摩国六十六戸、
尾張国卌戸、 参河国廿戸、 遠江国卌戸、
右、諸国調庸雑物、皆神宮司検領、依供用、其当国地租、納所在官支料、若一レ登、損田七分已上、免並注帳申送所

『延喜式』5(斎宮) 定斎王条〔1〕

凡天皇即位者、伊勢大神宮内親王未嫁者卜之、内親者、、簡定女卜之、訖即勅使於彼、告示事神祇祐已上一人、使共向、卜部解除、神部綿、立殿四面及内外賢木、木綿所司儲之、解除料散米酒肴等本家儲之、其後百官尋常二季

『延喜式』5(斎宮) 祓料条〔2〕

祓料、
木綿、麻各大四斤、鹿皮四枚、鹿角四枝、大刀四口、弓四枝、箭四具、鍬四口、葈一斤、庸布二段、酒、米各四斗、稲四束、鰒、堅魚各八斤、腊卅斤、海藻廿六斤、滑海藻十斤、雑海菜八斤、塩四斗、水戸四口、匏四柄、軾料庸布五段、短帖一枚、薦二枚、馬二疋、已上所司各大祓又遣使奉大神定斎也、其儀神嘗祭使

『延喜式』5(斎宮) 祓禊条〔3〕

凡斎内親王定畢、即宮城内便、為初斎祓禊而入、于明年七、斎於此城外浄、造畢、八月上旬、定吉祓禊、即、自遷入、至于明年八、斎於此九月上旬、定吉祓禊、入於伊勢斎

『延喜式』5(斎宮) 木綿賢木条〔4〕

凡斎宮諸門、常綿月別立替、所木綿一斤、麻一斤八両、

『延喜式』5(斎宮) 忌詞条〔5〕

凡忌詞、内七言、仏阿良良女髪外七言、死奈保夜須打称撫、宍称菌、墓称壌、又別忌詞、堂優婆塞

『延喜式』5(斎宮) 河頭祓条〔6〕

凡斎王将于初斎、臨祓、陰陽寮定日、入野宮、伊勢斎之時准此、二日、弁官院別当已下并陰陽寮及諸、到定其奏之、于期斎王駕赴向、走孺十二人、車副廿四人、取物十人、供膳韓櫃三合、同雑器物二荷、盥器韓櫃、装物韓櫃各一合、衣服韓櫃二合、禄物韓櫃六合、担夫並膳部六人、舎人二人、荷領十四人、蔵人所陪従六人、内侍及院女別当已下、並内侍已下蔵人已上釆女、女孺已下馬寮勅使参議一人、院別当一人、四位二人、五位二人、六位四人、並前駆、左右近衛、左右兵衛各二人、左右門部各二人、左右火長各十人供奉、左右京職官人、兵土已迎候、山城国司京極弁一人、史一人、史生二人、官掌一人、供奉諸行事、斎王到幕、而禊、神祇官中臣進麻、宮主訖即勅使已下饌并弁官、付院別之、既而廻帰初斎定供膳

『延喜式』5(斎宮) 河頭祓料条〔7〕

祓料、
五色絁各二尺、安芸木綿大三両、木綿大四両、麻大一斤、鍬四口、鉄人像二枚、荒服料調布一段、筥二合、酒、米各一斗、鰒、堅魚各二斤、海藻四斤、腊四斤、塩四升、水戸一口、坏、瓫各四口、柏四把、匏二柄、黄蘗四枚、食薦二枚、輦籠一腰、祝詞料庸布二段、短帖一枚、夫二人、朸二枚、

『延喜式』5(斎宮) 初斎院祓清料条〔8〕

斎王初斎清其料、
庸布二段、木綿三斤、麻四斤、烏装大刀二口、弓二張、矢卌隻、鹿角四頭、鹿皮四張、鍬四口、米、酒、腊、塩各四斗、鰒、堅魚各五斤、海藻、滑海藻、雑海菜各九斤、柏廿把、稲四束、盆四口、匏四柄、輿籠一脚、葉薦二枚、馬二疋、祝詞料庸布五段、短帖一枚、夫二人、

『延喜式』5(斎宮) 初斎院大殿祭条〔9〕

大殿祭、野宮、伊勢斎宮准此、
糸二両、安芸木綿七両、米、酒各二升、瓶一口、筥四合、小坏二口、案二脚、高三尺、禄、中臣忌部各絁二疋、宮主一疋、執神部四人、各調布一野宮

『延喜式』5(斎宮) 忌火等祭条〔10〕

忌火、庭火、御竈、井神祭、入野之初所祭、毎月朔料亦准此、
五色薄絁各四尺、倭文二尺、木綿八両、麻一斤、庸布一段、鍬二口、米、酒各二升、鰒、堅魚、海藻各二斤、腊二升、塩一升、柏二把、瓶、坏各一口、已上井神祭料、

『延喜式』5(斎宮) 庭火祭条〔11〕

朔日庭火祭、野宮、斎宮准此、
五色薄絁各四尺、倭文二尺、木綿八両、麻一斤、庸布二段、鍬四口、米、酒各四升、鰒二斤、堅魚、海藻各三斤、腊四升、塩二升二合、柏二把、瓶、坏各二口、水瓫一口、

『延喜式』5(斎宮) 解除料条〔12〕

晦日解除料、野宮、斎宮准此、
庸布一丈四尺、御麻料安芸木綿四両、麻八両、鉄人像二枚、鍬二口、酒二升、稲二束、鰒、堅魚、海藻各一斤、腊二升、塩一升一合、坩、坏各一口、

『延喜式』5(斎宮) 臨時祓料条〔13〕

臨時祓料、
木綿八両、麻二斤、

『延喜式』5(斎宮) 初斎院装束条〔14〕

初斎院装束、
白絹十疋、緋東絁二疋、両面二疋、白綾二疋、東絁八疋、綿二百屯、細布廿端、曝布五十端、紅花大十斤、支子一斛八斗、直、白木斗帳一具、高八尺、方一丈、几帳六基、四尺二基、三尺二基、二尺二基、五尺屏風四帖、金装車一具、小行障二具、大翳二枚、平文笠二枚、一日笠、一雨笠、油絁捧壷二口、柄并志沓筥一合、車榻一脚、膳櫃四合、榻并銀飯笥一合、銀水鋺一合、銀盞一具、銀鍋子一口、銀匕四枚、漆樽二合、手湯戸一合、台、手洗一口、楾一合、貫簀一枚、雕木一具、大壷一合、黒漆灯台四本、軽幄一具、床一脚、鎮子十二枚、韓櫃十合、已上供物、絁六十四疋、黄絁六疋、帛卅二疋、綿百八十屯、調布八十六端、已上、命婦已下舎人已上装束、車副廿四人、取物十人、装束卅四具、薬袋卅四枚、

『延喜式』5(斎宮) 別当以下員条〔15〕

初斎院別当以下員、
別当五位二人、一人命婦、中臣一人、忌部一人、宮主一人、内舎人一人、大舎人二人、宮舎人十人、膳部三人、殿部三人、炊部一人、水部三人、酒部一人、掃部三人、釆女二人、内女孺二人、乳母三人、宮女孺十四人、戸座一人、火炬小子二人、今良四人、仕丁十二人、女丁八人、但者、内舎人一人、大舎人二人、神部四人、中臣連部二人、忌部連部二人、卜部三人、宮舎人十人、炊部、酒部各二人、釆女四人、宮女孺廿十五人、洗人二人、厠人二人、女丁八

『延喜式』5(斎宮) 食法条〔16〕

食法、
五位、米二升、酒一升、東鰒、隠伎鰒、烏賊各二両、鮨一両三分、鮭三分之一、海藻二両、塩五勺、醤一合、酢二勺、滓醤一合、中臣、忌部、米二升、酒六合、鮨三両二分、鮭三分之一、海藻二両、塩四勺、醤三勺、酢二勺、滓醤一合、大舎人、内女孺、宮女孺、米一升六合、酒魚塩類宮舎人、大舎鮭六分之一、鮨三両二分、塩四勺、滓醤一合、海藻二両、諸伴部、宮舎鮨三両二分、塩四勺、海藻二両、滓醤一合、内舎人、宮主、余物釆女、余物宮舎卜部、余物戸座、火炬小子、米一升二合、余物今良、女丁、醤滓一合、海藻一両、塩一勺、
右、給之、若五位以下者、便充之、

『延喜式』5(斎宮) 鎮野宮地祭条〔17〕

野宮祭、後鎮准此、
五色薄絁各五尺、倭文五尺、調布一端、庸布五段、木綿大一斤、麻二斤、鍬五口、米、酒各五升、鰒、堅魚、海藻、雑海菜各五斤、腊、塩各五升、坩、坏各五口、匏二柄、柏廿把、食薦五枚、席一枚、

『延喜式』5(斎宮) 造野宮畢祓料条〔18〕

畢祓料、
庸布二段、木綿三斤、麻四斤、烏装横刀二口、弓二張、矢卌隻、鹿角四頭、鹿皮四張、鍬四口、米、酒各四斗、稲四束、鰒、堅魚各五斤、雑腊四斗、海藻、滑海藻、雑海菜各九斤、塩四斗、盆四口、匏四柄、槲廿把、輿籠一口、葉薦二枚、馬二疋、祝詞料庸布五段、

『延喜式』5(斎宮) 野宮河頭禊条〔19〕

斎王入野河頭禊、
其日斎王駕輿、輿者、主殿官人二日設候、輿長八人、駕輿丁卌人、駕馬女廿人、乳母二人、蔵人六人、釆女四人、童女四人、掃部二人、御厠二人、勅使大納言、中納言各一人、参議二人、四位、五位各四人、禊事既畢、饌并勅使已下五位已上、内蔵寮饗之、六位已下大膳職、訖即廻帰、便更賜禄、自余之儀、大略初度

『延喜式』5(斎宮) 野宮河頭禊祓料条〔20〕

祓料、
五色絁各一尺、荒服料布一端、筥一合、木綿四両、麻一斤、鉄人像一枚、黄蘗四枚、鰒、堅魚、海藻各二斤、腊四升、塩二升、米、酒各四升、瓶一口、食薦二枚、柏四把、瓫四口、坏四口、輦籠一腰、匏二柄、鍬四口、祝詞料庸布二段、夫二人、朸二枚、

『延喜式』5(斎宮) 野宮祓清料条〔21〕

斎王入野清其料、
庸布二段、木綿、麻各二斤、鹿皮二張、鍬二口、米、酒各二斗、稲四束、鰒、堅魚各五斤、雑腊二斗、海藻、滑海藻各十斤、塩四升、盆二口、匏二柄、槲四把、輿籠一脚、裹葉薦二枚、帖一枚、瓶二口、祝詞料庸布五段、夫二人、

『延喜式』5(斎宮) 野宮祈年祭条〔22〕

二月祈年祭十九座、大宮売神四前、御門神八前、忌火神一前、庭火神一前、竈神二前、御井神二前、地主神一前、
座別絹五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、庸布一丈、木綿二両、麻五両、槍鋒一口、鍬一口、酒四升、鰒、堅魚、海藻各六両、腊二升、塩一升、坩、坏各一口、
右、供神料物如前、但宮売神馬一其摠祭所缶二口、匏二柄、裹調薦四枚、短帖一枚、祝詞料庸布五段、造忌部三人明衣料調布一端三丈五尺、
六月祭、十二月准此、

『延喜式』5(斎宮) 月次祭条〔23〕

月次祭、
右、供神調度、祈年但除鍬、

『延喜式』5(斎宮) 月次祭大殿祭条〔24〕

大殿祭、
右、供料并中臣等禄並筥二

『延喜式』5(斎宮) 御贖料条〔25〕

御贖料、
五色薄絁各二尺、糸三両、倭文二尺、安芸木綿一斤、凡木綿八両、麻六両、鍬四口、鉄人像二枚、庸布二段、布御服二領料布一端、裳二腰料布一端、被二帖料布二端、綿各四屯、自余物縫殿帷二条、袜二両料布一段二尺、帯二条料絹七尺、履二両、筥六合、二合方二尺、四合方一尺五寸、米、酒各四斗、鰒、堅魚、海藻各一斤、腊二斗、塩二升、水盆、坩、坏各二口、裹葉薦一枚、小川竹廿株、調布四段、卜部六人明衣料、人別二丈八尺、中臣男一人、女一人、禄料各絹二疋、

『延喜式』5(斎宮) 大祓条〔26〕

野宮六月晦日大祓、十二月准此、
庸布二段、木綿二斤、枲八両、麻四斤、大刀二口、弓二張、箟一百隻、鍬二口、烏羽二翼、鹿角二頭、鹿皮二張、米、酒各二斗、稲四束、鰒二斤、堅魚四斤、海藻、滑海藻各十斤、腊、塩各二斗、水盆二口、匏二柄、薦二枚、馬二疋、其在国之日四疋、祝詞料庸布五段、短帖一枚、

『延喜式』5(斎宮) 鎮火祭条〔27〕

野宮鎮火祭、
五色薄絁各四尺、倭文四尺、庸布二段、木綿五両、麻一斤、鍬四口、酒四升、鰒一斤五両、堅魚一斤五両、腊四升、塩二升、海藻一斤五両、瓶四口、坩四口、坏四口、槲四把、匏四柄、薦一枚、

『延喜式』5(斎宮) 道饗祭条〔28〕

野宮道饗祭、
五色薄絁各一丈、倭文四尺、庸布二段、木綿一斤十両、麻七斤五両、鍬四口、牛、猪、鹿、熊皮各二張、米、酒各四斗、稲四束、鰒二斤五両、堅魚五斤、腊八升、塩二升、海藻五斤、盆四口、坏四口、藁四囲、薦一枚、

『延喜式』5(斎宮) 野宮新嘗祭条〔29〕

十一月祭、
新嘗祭廿八座、炊殿忌火、庭火神二前、水部忌火、庭火神二前、殿部御竈神一前、御川水神一前、酒殿神一前、膳部御食神一前、大炊竈神一前、自余祈年祭、月次神是、
座別絹五尺、倭文并五色薄絁各一尺、庸布一丈四尺、木綿二両、麻五両、酒四升、鰒、堅魚、海藻、滑海藻各六両、腊二升、塩一升、壷、坏各一口、馬一疋、宮売神料缶二口、匏二柄、短帖一枚、
右、供神料物如前、神、座別槍鋒一其惣祭所葉薦六枚、祝詞料庸布五段、造忌部三人明衣料布一段三丈五尺、

『延喜式』5(斎宮) 野宮新嘗祭料条〔30〕

料、
絹二丈、糸二両、紵一丈二尺、曝布一丈二尺、細布一丈六尺、調布三端一丈、木綿二斤四両、刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、米四斗、粟二斗、筥十四合、径一尺五寸、麁筥二合、明櫃三合、案十脚、切案二脚、土火炉二脚、
槌、砧各二枚、土盤、椀、堝各十口、陶椀八口、盤廿口、鉢八口、瓼五口、平居瓶五口、都婆波、多志良加各四口、土盆、陶叩盆四口、匜八口、土手湯盆、陶手洗各二口、洗盤六口、酒盞十口、片埦廿口、十口陶、高坏廿口、十口陶、盆四口、酒垂四口、筥坏廿口、陶臼二口、蝦鰭槽二隻、匏十八柄、小二、油三升、槲四俵、日蔭二荷、

『延喜式』5(斎宮) 新嘗祭大殿祭条〔31〕

大殿祭、上、

『延喜式』5(斎宮) 主神司月料条〔32〕

野宮主神司所月料、
紙廿張、筆一管、亀甲一枚、波波可五枚、亀甲、波波可者、神祇官所行、

『延喜式』5(斎宮) 鎮炊殿祭条〔33〕

新造炊殿祭、
絹二丈、五色薄絁各二尺、倭文二尺、木綿、麻各二斤、鍬四口、米、酒各四升、稲四束、鰒、堅魚各四斤、腊五升、海藻、雑海菜各四斤、塩二斤、瓶、坏各四口、柏四把、薦一枚、祝詞料庸布二段、

『延喜式』5(斎宮) 忌火庭火祭条〔34〕

新造炊殿忌火庭火祭、
五色薄絁各四尺、倭文四尺、絹二疋、糸二絇、調布二端、庸布二段、木綿、麻各二斤、米、酒各二斗、鰒、堅魚各二斤、腊、海藻各二斤、塩二斤、鍬四口、

『延喜式』5(斎宮) 卜戸座火炬条〔35〕

卜戸座一人、山城国愛宕郡鴨県主氏童
火炬二人、同国葛野郡秦氏童
右、始初斎入大神奉仕、其斎王伊勢斎即各替却、

『延喜式』5(斎宮) 野宮装束条〔36〕

装束、
白絹廿疋、綿五十屯、紅花廿五斤、白木斗帳一具、几帳四基、三尺二基、二尺二基、五尺屏風四帖、輿一具、腰輿一具、菅翳二具、笠二具、油絁刺扇一枚、朱漆台盤四前、雕木一具、已上供料、絹七十二疋、細布十端、調布一百廿端、銭四貫文、已上、命婦已下洗人已上装束、当色六領、別当五位、内舎人、中臣、忌部等六人料、調布廿五段一丈二尺、卜部以下今良以上装束、輿長八人、緋服、布帯、駕輿丁卌人、纁衫、紅褶、布帯、布袴、頭巾、脛巾、黄布衫卌領、袴卌腰、布帯卌条、左右京職進担夫各廿人料、事了返上、

『延喜式』5(斎宮) 野宮年料供物条〔37〕

年料供物、
絹七十二疋五丈五寸、長絹十五疋、白絹十疋、帛廿疋、白綾二疋、綿一百七十二屯、紵五端四丈、細布一端二丈二尺、糸十斤、已上冬御服料、絹六十疋、帛卅疋、綿一百屯、已上夏御服料、斗帳一具、壁代帳十一条、幌三条、縫殿寮縫備、毎年供之、但斗帳骨内匠寮作一度供之、支子一石八斗、紅花廿六斤、酢八斗、簾四張、席二枚、両面端帖三枚、短帖一枚、緑端帖十枚、已上秋冬料、春夏料亦如是、掃部寮作備、毎年二季供之、但簾隼人司供之、白布端帖七枚、短帖三枚、已上乳母料、黄布端帖三枚、折薦帖九十枚、短帖十三枚、長帖二枚、席百八枚、長席二枚、調薦二百廿三枚、簀七十五枚、已上官人已下料、油絁一疋四尺、裏料絁一疋四尺、膳部、酒部、水部所前案帊料、絹一疋一丈九尺五寸、一丈一尺五寸、膳部所篩十口料、一丈四尺酒部所篩六口并御酒案帊料、五丈水部所篩廿口并案帊料、四尺戸座所篩四口料、白絹六尺、酒部所料、糸七両、膳部所三両、水部所二両、酒部所二両、細布八端二丈八尺、六端二丈四尺膳部所料、二端四尺酒部所料、望陀布一端、水部所料、曝布一端二尺、一丈二尺酒部所料、三丈水部所料、調布七端九尺、四段八尺膳部所料、三丈一尺酒部所料、一端一丈九尺水部所料、三丈一尺戸座所料、東席六枚、二枚水部所料、四枚戸座所料、調韓櫃五合、一合主神所料、二合膳部所料、一合酒部所料、一合水部所料、板笥、藺笥各五合、折櫃十四合、八合膳部所料、二合水部所料、四合戸座所料、杓廿三柄、八柄膳部所料、三柄酒部所料、十柄水部所料、二柄戸座所料、木盤一百八十二口、百六十二口膳部所料、廿口酒部所料、水瓺麻笥六口、二口膳部所料、一口酒部所料、二口水部所料、一口戸座所料、籮三口、一口酒部所料、二口水部所料、水麻笥十一口、四口膳部所料、二口酒部所料、四口水部所料、一口戸座所料、大笥二合、戸座所料、酒台五十口、酒盞百五口、酒部所料、楊筥卅合、九合各方一尺五寸、十一合各方一尺、五合各方一尺二寸、五合長各一尺二寸、広五寸、一合主神司料、廿合膳部所料、五合酒部所料、二合水部所料、二合戸座所料、供飯被料帛一疋一丈五尺、綿十二屯、膳部所料、砥二顆、同所料、銀盞一合、銀鋺一合、銀匕四枚、銀鍋子一口、並供御料、長用、梹榔葉二枚、戸座所料、坩三合、一合二合陶手洗十六口、臼八口、瓶五口、一口四口各叩戸十四口、塩坏六口、埦卅合、罇二口、盤卅口、由加二口、麁筥廿八合、鰒切二具、打刀子二枚、刀子十一枚、十枚長各五寸、広三分、一枚長一尺、広一寸、韓竈二口、銅旅竈一具、長用、木蓋十一枚、鉄火炉一枚、長用、土火炉四枚、斧一柄、小斧二柄、酒槽六隻、釜四口、一口二口各煎釜一口、長用、箕三枚、簀四枚、小匏卅二柄、檜一口、円槽三隻、洗槽三隻、御前案三脚、長各三尺、高八寸、広一尺八寸、外居案五脚、長各四尺、広二尺、高二尺八寸、御水案二脚、匜、手洗各一口、手水案二脚、酒案一脚、已上五脚、長各三尺、広一尺八寸、高一尺八寸、中取八脚、切案六脚、酒垂一口、塩臼二口、槲案四脚、砥一顆、小斧三柄、鑿三枚、已上三物、主神所料、鍬八口、掃除料、塩五石、雑給料、黒米四十石、雑給酒料、瓺五口、長用、瓼五口、長用、缶十口、油一斗二升、油坏一百廿口、後盤卌口、平瓶二口、十二月晦夜料、墨三廷、

『延喜式』5(斎宮) 野宮月料条〔38〕

月料、小月物別卅分之
稲卅九束一把六分、粟十七束八把、並大炊寮、毎月舂供、東鰒廿四斤六両、雑鰒、煮堅魚各十一斤四両、烏賊、押年魚各七斤八両、乞魚皮十五斤、鰯魚汁一斗五升、膓漬鰒、貽貝鮨各一斗五升、堅魚廿四斤六両、鯛楚割、鮫楚割各七斤八両、大鯖九十隻、雑魚鮨六斗、芥子、堅魚煎汁各三升、口味直銭、其数時沽充之、紫菜、海松各二斤十三両、海藻、凝海菜各十一斤四両、塩、搗栗子各三斗、生栗子六斗、豉六升、醤二斗四升、醤瓜卅顆、味醤一斗二升、糖一斗五升、糯米、大豆、小豆、小麦、黍子、胡麻子、葟子各三斗、米二斗一升、酢一斗二升、酒二斛四斗、汁槽一斗五升、油二斗四升、供料油六升、灯油一斗八升、瓫十口、堝卅口、大埦十合、鋺形二百口、片盤四百口、枚片坏六百口、窪坏三百八十口、酒盞、酒台各十五具、椀七十合、齏坏六十口、布四尺三寸五分、松明三百把、薪五千四百斤、炭廿四石、藁卅囲、紙七十張、五十張雑用料、廿張主神所料、筆三管、二管雑用料、一管主神所料、亀甲一枚、竹廿株、

『延喜式』5(斎宮) 正月三節料条〔39〕

正月三節料、
東鰒、堅魚、隠伎鰒、煮堅魚、鳥腊、烏賊、鯛楚割各三斤、楚割鮭三隻、鮭三隻、薄鰒、熬海鼠各二斤、紫菜、海藻各一斤、塩三升、醤、味醤、酢各一升五合、酒六斗、糯米九升、大豆、小豆、粟、黍各三升、小麦、胡麻、生栗子各六升、糒三升、干柿三連、搗栗子三升、已上供料、米一石、糯米一石、大豆二斗、小豆三斗、油一斗、雑腊、鮨各三斗、鰒、堅魚各廿斤、酒一石、已上官人以下料、調布十三端三丈六尺、膳部四人、水部、酒部、炊部、殿部各三人、掃部二人、別衫料二丈、褠襅料八尺、女孺三人襅料各四尺、仕丁一人褠襅料八尺、

『延喜式』5(斎宮) 五月節条〔40〕

五月節、
糯米一斗五升、大角豆三升、酒二斗、口味直銭、已上供料、糯米五斗、米一石、大角豆一斗五升、已上官人以下料、調布七端一丈八尺、四端二丈八尺膳部三人、水部二人、酒部二人衫并襅料、三丈二尺釆女二人、女孺二人褠襅料、一端二丈二尺仕丁三人、仕女五人褠襅料、一丈水瓶麻笥二口帊料、一丈拭布料、

『延喜式』5(斎宮) 七月節条〔41〕

七月節、九月亦同、
供料酒二斗、口味直銭、官人以下料鮭廿隻、熟瓜一百顆、

『延喜式』5(斎宮) 斎終行事条〔42〕

凡斎内親王三年斎終、四月上旬装束五位二人、神祇副以上一人、左右少弁以上一人、六位以下四人、諸司主典以上、諸司史生六人、雑使十人、散位六人、位子四人、雑工卌人、取内匠、木工、隼人等寮司長上以下諸部為之、共作廿人、充之、女孺廿人、直丁二人、同旬神祇官西始行事、五位以下史生以上各絹四丈五尺、女孺各三丈、女雑工以上各布二丈六尺、共作及直丁不其食

『延喜式』5(斎宮) 造備雑物条〔43〕

造備雑物、
輿一具、下案一脚、白木、腰輿一具、蓋一具、翳二枚、笠二枚、一日笠、一雨笠、胡床二脚、床一脚、白木、御鞍二具、命婦鞍一具、已上毛韉、女孺鞍四具、皺文韉、班幔四条、斗帳一具、方一丈二尺、高七尺五寸、皀頭巾八十八条、緌八十八条、縹布揩衣五十七領、縹布衣九十六領、布袴一百五十三腰、布帯一百五十三条、褶八十八条、脛巾八十八条、脛纏八十八条、袜八十八両、沐槽一口、下案一脚、漆塗、洗槽一口、下案一脚、漆塗、小槽一口、彫木一具、納韓櫃一合、軽幄一具、紺絁幕一具、四尺屏風四帖、薬韓櫃一合、下案一脚、漆塗、銀飯笥一合、銀酒盞一具、銀鍋子一口、銀水鋺一合、銀匕一枚、板飯笥二合、小膳櫃一合、膳櫃六合、下案六脚、厨韓櫃一合、膳案三脚、酒案一脚、粥案一脚、切案一脚、明櫃一合、柳筥七合、麁筥四合、紵巾一条、絹篩五口、調布篩二口、帒七口、拭布三条、長各一丈、塗漆樽二合、漆漆匜一口、塗漆手洗二口、轆轤槽二口、捧坩三口、水盤七口、負瓶四口、平瓶二口、陶坩二口、手洗二口、洗盤二口、齏鉢二口、筯坩二口、杓三柄、匏四柄、打刀子一枚、桧朸卅枝、壁代紗帳一具、所秘錦三尺四寸、錦五丈七尺一寸、紫纈帛一疋、深紫綾三丈八尺、浅紫綾一疋五丈一尺一寸、深紫帛二丈八尺、浅紫帛一疋一丈三尺六寸、緋綾二疋八尺五寸、油絁十疋三尺六寸、練紗一疋三丈、紫糸十二斤五両、紫革五張、独犴皮二張、熊皮七両、臈小一斤、白臈大四両、錬金小十一両一分二銖、銀大五斤十一両、水銀小五斤三両、青砥二顆、曝黒葛七両、棗鞍橋二具、已上内蔵両面六疋一丈一尺七寸、緋帛十七疋五丈八尺九寸、緋東絁二丈九尺一寸、緑帛五疋九寸、縹帛六疋四丈三尺、紺東絁四疋二丈二尺、黄帛八疋五丈九尺三寸、生綾三丈一尺三寸、白綾一疋三丈一尺二寸、帛八尺、橡東絁二疋、帛廿一疋二丈二尺、生絁十四疋五丈五尺七寸、東絁三丈二尺二寸、色綾三丈七尺、緋糸十九斤一両、緑糸一斤一両、紺糸四両、縹糸一斤三両、黄糸十四両、橡糸八両、練糸二斤九両二分、生糸一斤二両、調綿五十三屯一両、縹細布一丈七尺、紺調布二端一丈四尺、縹調布六十三端三丈一尺、細布一端一丈、調布一百五端三丈五尺、紵布三丈、商布十七段一丈六尺、藍四囲、紅花大廿一斤二両、漆三斗九升五勺、熟麻大一斤八両、苧小二斤二分、東席三枚、出雲席二枚、葛野席十一枚、葉薦四枚、洗革三張、牛皮一張、膠大一斤、木賊一斤、伊予砥七顆、金薄卌枚、熟銅大五十七斤七両、半熟銅十八斤、鉄五十一斤四両、調韓櫃七合、薄紙七十三張、紙三百廿四張、墨二廷、筆十管、掃墨九升一合、黒葛五斤、油四升五合、一升五合荏、二升槾椒、一升胡麻、荒筥四合、糯米八升二合、小麦一斗二升二合、酢三斗五升、榲榑十五村、柏廿把、匏四柄、箆一百隻、朴十村、各径一尺、厚三寸、桜十六村、各長二尺五寸、方三寸、槻卅四村、一村長三尺、径八寸、厚三寸、一村長一尺二寸、径九寸、四村各長三尺、厚方一寸二分、二村各長一尺八寸、径八寸、二村各長一尺七寸、径一尺、三村各長一尺、径八寸、四村各方一尺八寸、厚八寸、一村方九寸、四村各長一尺八寸、厚方一寸二分、十二村各長六尺、方三寸五分、箆竹三百七十株、桧榑五十三村、簀子十五枚、歩板十枚、五六寸桁四枚、八多板四枚、知佐木卌五枝、菅廿把、荒炭廿二石二斗、和炭九十四石一斗、針卌枚、頭巾八十八条、已上申請受、

『延喜式』5(斎宮) 御馬条〔44〕

凡御馬二疋、女孺乗馬六疋、並左右馬寮充之、若者請替、

『延喜式』5(斎宮) 潔斎三年条〔45〕

凡斎内親王在京潔斎三年、即、著木綿、参入斎殿、遥拝大時先次鬘木綿、其料安芸木綿四両、麻二斤、別当已下料別当大夫已下卜食者、共再拝両段、但九月、六月、十二月不参、至十六七参入、再拝両段、長拍手両段、斎王不手、斎終之後、乃伊勢大神其野宮内外屋并垣之類、神祇官中出居殿御座装束之類、主神司中寝殿内雑物、同司忌但金銀器及釜甕之類、斎王

『延喜式』5(斎宮) 弁備雑事条〔46〕

凡斎内親王時、七月以前、寮允、史生各一人於斎宮及弁備雑事、

『延喜式』5(斎宮) 河頭禊条〔47〕

凡斎王出、入大神、臨於川在前為禊、日時上、

『延喜式』5(斎宮) 河頭禊祓料条〔48〕

祓料、
五色絁各一尺、荒服料布一端、筥一合、長一尺五寸、木綿一斤四両、麻三斤、鉄人像二枚、黄蘗四枚、鰒、堅魚、海藻各四斤、腊四升、塩二升、米、酒各四斗、納缶四口、瓶一口、食薦二枚、柏四把、瓫二口、輦籠一腰、匏二柄、稲二束、鍬四口、祝詞料庸布二段、夫二人、朸二枝、

『延喜式』5(斎宮) 大祓使条〔49〕

凡斎王将大神在前七月若八月、同時大祓使左右京一人、五畿内一人、七道各一人、

『延喜式』5(斎宮) 朝庭大祓料条〔50〕

凡斎王将大神八月晦日朝庭大祓料、庸布二段、木綿、麻各大四斤、鹿皮四張、鹿角四枝、大刀四口、弓四枝、箭四具、鍬四口、葈一斤、短帖一枚、酒、米各四斗、稲四束、鰒、堅魚各八斤、海藻廿六斤、滑海藻十斤、雑海菜八斤、腊七斗、塩四斗、水戸四口、匏四柄、薦二枚、馬二疋、祝詞軾料庸布五段、

『延喜式』5(斎宮) 斎宮修理条〔51〕

凡斎宮破壊、国司修理、若壊破過多、在前遣使修造、

『延喜式』5(斎宮) 勢江州忌条〔52〕

凡斎王将大神之時、九月一京畿内、伊勢、近江等国、不灯北及挙哀改

『延喜式』5(斎宮) 頓宮条〔53〕

凡頓宮者、近江国国府、甲賀、垂水、伊勢国鈴鹿、壱志、総五所、並国司依営造、所須稲、近江一万五千束、伊勢二万三千束、鋪設雑器及供給、総

『延喜式』5(斎宮) 監送使条〔54〕

凡斎内親王臨行、預監送使参議一人、中納充之、弁一人、史一人、六位以下官人一人、即使及斎宮官人以下、皆使四位布十端、五位布五端、六位絁一疋、綿一屯、布一端、唯忌部布三端、斎宮頭絹十疋、綿廿屯、布廿端、助絹八疋、綿十五屯、布十五端、主神司中臣、忌部、寮允、舎人司長、膳部司長各絹四疋、綿六屯、布五端、寮属、蔵部、炊部、酒部、水部、女部、殿部、薬部、掃部、門部、馬部長、及二司判官等、絹三疋、綿五屯、布四端、宮主、舎人、蔵部、膳部、門部主典各絁二疋、綿四屯、布三端、史生、大舎人、寮舎人、及諸司番上等各絹一疋、綿二屯、布二段、寮使部各布二端、飼丁、今良各布一端、其命婦者雑色綾廿疋、綿卌屯、布廿端、乳母各雑色帛十四疋、綿廿屯、布十三段、一等女孺各雑色帛十疋、綿十屯、布五段、二等女孺各雑色帛八疋、綿七屯、布四端、三等女孺各絹六疋、綿五屯、布三端、殿守各雑色帛四疋、綿四屯、布二端、女丁各雑色帛二疋二丈五尺、貲布一端、綿四屯、戸座、火炬小子各絹二疋二丈、綿四屯、布二端、縹布一丈五尺、

『延喜式』5(斎宮) 給馬条〔55〕

凡従行群官以下給馬、主神司中臣、忌部、宮主各二疋、頭四疋、助三疋、諸司主典以上各二疋、番上各一疋、其命婦四疋、乳母并女孺各三疋、輿長及殿守各一疋、其監送使及飼丁、女丁、宮主、卜部等家口不其将従四位六人、五位五人、余品官不要者、在前発遣、

『延喜式』5(斎宮) 神嘗祭使条〔56〕

九月神嘗祭使、
右、尋常之例、十一日参入、而斎王参入之即陪従参入、其幣并明衣料、同、更使中臣一、遣近江伊勢二在前祓清、

『延喜式』5(斎宮) 斎十八箇日条〔57〕

斎十八箇日、
右、尋常斎三箇日、、自十八斎、但挙哀改葬忌之、

『延喜式』5(斎宮) 発日条〔58〕

凡斎内親王発日、所司預御座於大極後殿天皇殿警、神祇官五位中臣史一人麻於侍従五位以時刻大極殿斎内親王下輿殿上事訖大神

『延喜式』5(斎宮) 六処堺川条〔59〕

六処堺川供奉御禊、山城、近江勢多川、甲賀川、伊勢鈴鹿川、下樋小川、多気川、
御荒服六具料庸布六段、鉄人像十二枚、木綿、麻各六斤、酒、米各六斤、鰒、堅魚各六斤、腊六升、塩六升、海藻、雑海藻各六斤、瓶六口、筥四口、各長一尺七寸、席一枚、夫三人、

『延喜式』5(斎宮) 鎮祓条〔60〕

凡斎内親王在路、山城、近江、伊勢等堺、勢多、鈴鹿、下樋、多気川、遣神部、卜部各二在前鎮祓之、所鉄人像十二枚、布衣六領、裳六腰、庸布一一衣一木綿、麻各六斤、米、酒各六升、鰒、堅魚各六斤、腊、塩各六升、海藻、雑海菜各六斤、雑盛六籠、筥瓶六口、筥四合、方一尺七寸、席、薦各一枚、夫三人、其路次社幣料、絹一疋、糸五絇、綿五屯、木綿一斤、麻二斤、又頓宮五処大殿祭料、安芸木綿卌枚、凡木綿一斤、亦路間儲幣料、絁一疋、綿五屯、糸五絇、木綿大一斤、麻大一斤、卜亀甲一枚、並主神司請領祭之、其鎮祓等料者、受京

『延喜式』5(斎宮) 祈年祭神条〔61〕

斎宮祈年祭神百十五座、
大社十七座、斎宮
大宮売神四座、 御門神八座、 御井神二座、
卜庭神二座、 地主神一座、
座別絹五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、庸布一丈四尺、鍬一口、楯一枚、八座置、四座置各一束、鰒、堅魚各五両、腊二升、塩一升、海藻、滑海藻、雑海菜各六両、酒二升、坩一口、但宮売神馬一疋、御門神各槍二竿
小社九十八座、多気、度会両
須麻留売社、 佐那社二座、 櫛田社、
有弐社、 麻績社、 服部伊刀麻社、
相鹿牟山社二座、 奈奈美社、 宇爾桜社、
宇爾社、 服部麻刀方社、二座 紀師社、
天香山社、 穴師社、 流田社、
流田上社、 石田社、 竹佐佐夫江社、
伊佐和社、 牟礼社、 大国玉社、
佐岐栗栖社二座、 櫃倉社、 伊蘇上社、
櫛田槻本社、 牛庭社、 大櫛社、
賀須夜社、 竹上社、 竹仲社、
魚海社二座、 林社、 相鹿上社、
守山社、 大海田社、 相鹿中社、
宇留布都社、 畠田社、三座 火地社、
大与杼社、 捧屋社、 国生社、
大分社、 相鹿社、 伊呂上社、已上多気郡、
朝熊社、 荒御玉命社、 伊佐奈伎社、
伊佐奈弥社、 蚊野社、 鴨社、
園相社、 狭田国生社、 田乃家社、
草名伎社、 礒社、 多伎原社、
月夜見社、 湯田社、 奈良波良社、
大水社、 津長大水社、 大国玉比女社、
御饗社、 大土御祖社、 田上大水社、
国津御祖社、 坂手国生社、 粟皇子社、
川原国生社、 久久都比女社、 大間国生社、
江社、 神前社、 榎村社、
朽羅社、 度会国御社、 度会大国玉比女社、
清野井庭社、 志等美社、 川原社、
山末社、 榛原社、 川原大社、
宇須乃野社、 小俣社、 川原淵社、
大神御船社、 雷電社、 萩原社、
大川内社、已上度会郡、
座別絹三尺、木綿二両、麻五両、庸布一丈四尺、楯一枚、八座置、四座置各一束、鰒、堅魚各六両、腊、塩各五合、海藻、滑海藻、雑海菜各一両二分、酒一升、坩一口、惣祭所甕三口、匏三柄、薦五枚、祝詞料庸布五段、造幣忌三人明衣三端、短帖一枚、
右祭、二月四日供祭、其六月、十二月月次、鎮火、道饗、大殿、御贖、大祓、并朔日忌火、庭火等祭供神雑物、及明衣、祝詞料皆但月次祭火雷神一

『延喜式』5(斎宮) 三時祭禊料条〔62〕

斎内親王三時禊料、
五色絁各六尺、安芸木綿十五枚、凡木綿、麻各三斤、庸布六段、布衣、裳各三具、料庸布、鍬十二口、筥三合、鰒、堅魚各六斤、海藻、雑海菜各六斤、腊、塩各一斗二升、米、酒各三斗、稲十二束、瓫十二口、坏六口、槲十八把、匏三柄、輿籠三脚、食薦六枚、黄蘗十五両、已上晦日禊料、五色薄絁各九尺、倭文九尺、安芸木綿廿七枚、凡木綿、麻各六斤、布衣、裳各九具、料庸布、鉄人像十八枚、筥九合、鰒、堅魚各九斤、腊、塩各九升、海藻、雑海菜各九斤、雑盛九籠、米、酒各二斗七升、稲九束、藁三囲、已上参日禊、并堺祭料、
右、五月、十一月晦日、随近川頭為禊、八月晦日、尾野禊、其三時祭月十五日、斎内親王行路之間二処堺宮東堭外、及多気、度会両郡堺祭之、料物色目在上、著禊殿神宮司并掃部司奉装主神司中臣為禊、料物神宮司儲之、大神宮司斎王酒肴勅使已次主神司奉内院大殿祭物、神宮司儲之、然後斎王装束雑具一殿神宮司但男女官供給弁備行之、十六日朝饌之後、斎王度会路辺窮者賑給如常、禊度会、参入神、至板垣門東輿、入外玉垣殿禰宜并掃部司奉装神宮司鬘木綿、入外玉垣而跪、命婦出受以奉、斎王拍而執著鬘、又神宮司太玉、入而跪、命婦亦転奉、斎王拍而執、捧内玉垣命婦若女孺二人陪従、再拝両段、訖玉串授物受執瑞垣門西斎王還宮司訖物忌内人幣帛斎王并衆官以下、再拝八開再拝、如両遍、既而衆官退出、解斎殿外玉垣先神宮司以下、及主神司、寮官次第舞、次斎宮女孺四人五節訖給差、其後斎王還主神司中臣十七日大神御裳洗自余之儀、度会大神宮是日神宮司献即賜禄、又奉幣使同賜禄、並各有差、十八日斎王還宮、主神司中臣奉大殿祗承国司賜禄、

『延喜式』5(斎宮) 卜庭神祭条〔63〕

毎月晦日卜庭神祭、斎王三時卜庭神祭准此、
米、酒各四升、堅魚、海藻各一斤、腊二升、塩一升、

『延喜式』5(斎宮) 十月祓料条〔64〕

凡十月晦日祓料、三時祭

『延喜式』5(斎宮) 新嘗祭条〔65〕

新嘗祭神百十五座、大十七座、小九十八座、
右、供雑物、並殿并忌火、庭火、大殿祭等、皆

『延喜式』5(斎宮) 供新嘗料条〔66〕

料、八男十
絹二丈、糸二両、紵一丈二尺、細布一丈六尺、曝布一丈二尺、調布三端一丈、木綿二斤四両、土盤十口、手洗二口、片椀十口、高盤十口、洗盤六口、堝十口、盆四口、手湯瓫二口、已上寮充之、筥十四合、麁筥二合、明櫃三合、供机十枚、供料米二斗、粥料米二斗、粟二斗、白黒二御酒料稲廿束、御酒一石、匏十八柄、酒垂四口、槲四俵、漆刻柄刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、土火炉二枚、木刺槌二柄、砧木二枚、蝦鰭槽二口、日影葛二荷、輿籠二脚、已上当国充之、瓼五口、平居瓶五口、都波波四口、匜八口、小坏八口、陶臼二口、筥杯廿口、陶椀八口、多志良加四口、瓶六口、陶鉢八口、盤廿口、高坏十口、酒盞十口、油三升、切机二脚、叩盆四口、已上美濃国充之、東鰒二斤十両、薄鰒、隠伎鰒各二斤、堅魚五斤、煮堅魚十斤、烏賊、螺各十両、鮨鰒二升、干海松二斤、紫菜一斤、海松纏鰒一升、煮塩年魚、醤鮒各二升、干薑二両、清酒、濁酒各二升、米、糯米各一升、大豆、小豆、小麦、胡麻子各二升、糯稲四束、糯糒一升、粟糒、葟子糒、黍子糒各二升、椎子、菱子各五升、蓮子、干棗各一升、生栗子一斗、搗栗子六升、干柿二升、橘子十蔭、干槲三俵、弓絃葉一荷、已上寮充之、輿籠一脚、当国充之、
右、主神司并膳部所請、
稲八束、粟四束、已上寮充之、
右、炊部所請、
細布一尺、酒坏二具、窪坏廿口、片盤十五口、已上寮充之、食薦二枚、当国充之、
右、酒部所請、
絹五丈一尺、曝布六端二丈八尺五寸、紵布六尺、糸十両、篩二口、麻笥二口、楉案一脚、土大盤二口、油一升、小豆一升、以上寮充之、湯槽、円槽、洗足槽各一隻、棚案一脚、板蓋五枚、明櫃二合、筥一合、麁筥一合、灯台二具、匏三柄、菲一両、以上当国充之、池由加一口、由加四口、叩瓫四口、油瓶一口、油坏、盤各二口、鋺形一口、陶鉢一口、以上美濃国充之、
右、殿部所請、
払細布一丈二尺、筥一合、白端帖十二枚、短帖八枚、坂枕二枚、折薦帖二枚、已上寮充之、
右、掃部所請、
絁五疋、白絹二丈五尺、綿廿屯、紫小纈帛三丈、細布二丈、曝布一端一丈四尺、筥六合、櫛一具、黄楊、櫛案一脚、刀子一具、冠一条、爪磨一枚、沓一両、出雲席一枚、
右、斎内親王神忌御服料、
絹十四疋三丈、十疋被料、四疋三丈青摺衣料、綿一百九十屯、調布六十七端三丈四尺、紅花六斤、已上青摺衣料、絹二疋四丈、曝布六端六尺、已上膳部并女孺等褠襷料、
右、小斎人等祭服、寮依充、其賜

『延喜式』5(斎宮) 諸司春祭条〔67〕

諸司春祭、秋祭准此、
膳部神祭、
五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿、麻各一斤、庸布一段、鍬一口、米五斗、酒四斗、糯米一斗、大豆、小豆各二升、腊十二斤、鰒二斤、堅魚、熬海鼠、海藻各三斤、鮨三斗、塩五升、醤、酢各一升、食薦一枚、
炊部神祭、
五色薄絁各三寸、倭文三寸、木綿、麻各一斤、庸布一段、鍬一口、酒四斗、米、糯米各三升、鰒、堅魚、腊各一斤、海藻二斤、鮨二升、塩一升、大豆、小豆各二升、
酒部神祭、
五色薄絁各六寸、倭文六寸、木綿、麻各八両、庸布一段、鍬一口、米、酒各六升、糯米四升、大豆、小豆各一升、鰒、堅魚各一斤、鮨、腊各四升、塩一升、盤五口、食薦一枚、
水部神祭、
五色薄絁各六寸、倭文六寸、木綿八両、麻四両、庸布一段、鍬一口、米、酒各二升、鰒、堅魚各八両、鮨一升、海藻八両、塩五合、
氷室神祭、
五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿四両、麻三両、鍬一口、米六升、糯米、酒各一升、大豆、小豆各二升、鰒八両、堅魚一斤、鮨、腊各六升、海藻一斤、凝海菜四升、
竈、炭竈山、戸、御川、池等神祭、
五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿、麻各四両、庸布一段、鍬二口、米四升、酒六升、大豆、小豆各一升、鰒、堅魚、海藻各一斤、腊、鮨各六升、塩二升、食薦四枚、

『延喜式』5(斎宮) 大神宮幣条〔68〕

十二月二所大神幣、
宮別絹一疋、糸一絇、綿一屯、庸布一段、木綿、麻各一斤、
右、主神司請供之、

『延喜式』5(斎宮) 斎宮諸神幣条〔69〕

斎宮内諸神十七座幣、
座別絹五尺、糸一絇、綿一屯、庸布一丈四尺、木綿二両、麻五両、

『延喜式』5(斎宮) 斎宮鋪設等条〔70〕

斎宮鋪設、
斎内親王板牀二張、紫端帖二枚、黄端帖二枚、緑端帖六枚、席廿枚、五位及命婦各板牀二張、黄端帖二枚、乳母各板牀一張、緑端帖一枚、寮助板牀、楉牀各一張、折薦帖二枚、自余官人、女孺牀帖各一枚、番上各帖一枚、
右、斎内親王向鋪設、初年当国供之、後年寮司備之、
幄四具、紺布幃二具、蒲防壁十枚、
右、京庫充之、随替之、
酒卌甕、甕別米三石七斗、酢五甕、甕別三石七斗、醤六甕、甕別大豆三石、
右、斎内親王初到之年、国司預寮米、大豆、塩造儲供之、若甕破者、尾張国供

『延喜式』5(斎宮) 年料供物条〔71〕

年料供物、
寝殿壁代帳料絹十三疋一尺七寸、綿卅七屯、蓋代料調布十五端二丈二尺、承塵料調布一端二丈三尺、蔀料庸布八段、簾料細布三端三丈九尺、斗帳料絹七疋二丈四尺、綿卅屯、床廻帳料絹二疋、綿十屯、床覆料絹一疋二尺、褥料絹三疋一丈六尺七寸、綿廿四屯、被料長絹十二疋、調綿八十四屯、服料絹百十疋、綿百八十屯、襪料絁一疋、糸卌絇、履廿四両、已上寮供之、
右、女部司縫備、其簾以上、随替之、
両面一疋四丈、緋帛五丈七尺、油絁一疋三尺、絹三丈四尺、細布一丈六尺、曝布二丈四尺、綿一屯、糸一絇、麻一斤、水甕二口、水甕麻笥三口、韓竈四具、長刀子二枚、短刀子五枚、砥一顆、以上寮充之、膳案一脚、菓案一脚、筥笥三合、板笥二合、筯筥一合、麁筥五合、切案二脚、槲案二脚、大案二脚、韓櫃三合、明櫃八合、大笥五合、別脚案二脚、横筥二合、缶十口、槽一隻、円槽二隻、席八枚、置簀六枚、臼一口、杵二枝、匏廿柄、笥杓廿柄、箕二枚、輦籠四脚、以上当国充之、
右、膳部司所請、
両面八尺、緋帛一丈二尺、油絁八尺、調布一端、已上寮充之、碓一腰、杵二枝、箕二枚、槽一隻、明櫃三合、足別案二脚、已上当国充之、
右、炊部司所請、
両面四丈一尺九寸、緋帛二丈九尺九寸、油絁五丈、絹一丈九尺、細布二端七尺、調布三端三丈五寸、庸布三丈、酒盞卌八具、片盤廿口、洗盤一口、糸二両、鍬二口、筌十口、以上寮充之、足別案二脚、韓櫃三合、明櫃一合、酒槽二隻、押槽一隻、大案二脚、匏廿柄、笥杓十柄、籮二口、箕二枚、置簀四枚、薦四枚、以上当国充之、
右、酒部司所請、
両面三丈六寸、緋帛二丈四尺七寸、油絁四丈四尺、絹二丈四尺、薄絹一丈二尺、糸一両、曝布三丈四尺、細布三丈四尺、紵布一丈、釿一柄、小刀子二柄、水甕麻笥二口、已上寮充之、坩一口、陶埦卅口、臼二口、盤十口、已上美濃国充之、外居案二脚、白木手湯槽一隻、供水木蓋、後盤各四枚、大案二脚、筥一合、麁筥二合、土火炉一脚、明櫃二合、匏五柄、笥杓五柄、箕十枚、已上当国充之、
右、水部司所請、
両面二丈六尺三寸、緋帛四疋三丈七尺、油絁二疋五丈九尺二寸、白絁六尺、絹五丈三尺五寸、曝布九端二丈一尺七寸、紵布六尺、調布二丈九尺、糸二分、楉案一脚、油坏、盤各三口、鉄火取堝一口、鉄五廷、鍬二口、以上寮充之、湯槽一隻、洗床一張、大案二脚、木蓋五枚、洗頭槽一隻、洗足槽一隻、洗物槽一隻、韓櫃二合、灯台二具、明櫃二合、筥二合、麁筥二合、匏三柄、已上当国充之、池由加一口、由加四口、匜一口、瓶一口、缶二口、叩盆四口、以上美濃国充之、
右、殿部司所請、
錦緋帛各一丈七尺六寸、黄帛一疋四丈四尺四寸、油絁一疋四尺、払細布一丈二尺、已上寮充之、筥一合、当国充之、
右、掃部司所請、
合薬十七剤三分剤之一、
四味理中丸、七気丸各二剤、呉茱萸丸、勺薬丸、温白丸各一剤、犀角丸三分剤之一、神明膏、万病膏各二剤、升麻膏、賊風膏各三剤、
神明白散五十二剤、度嶂散二剤、屠蘇二剤、
薬種、
桂心六両一分、巴豆五十五枚、甘草十両三分二銖、犀角四分二銖、蜜五升、芒硝七両四銖、防風一両二分四銖、麻黄二両三分四銖、蛇銜九両一分、石膏一両三分、芎藭七両三分、大黄一斤四両二分四銖、人参十両、紫苑二両二分、茈胡五両、黄芩十一両二分二銖、黄連一両二銖、皂莢二分一銖、芍薬六両、漏蘆六両一分、連翹十五両、白薟十両二分、蘆茹四両一分、附子九斤十五両、干薑七両二分、猪膏六十四斤八両、白朮七斤十両二分、烏頭十四斤四両、半夏二両二分、桔梗九斤五両二分、細辛七斤十四両、呉茱萸一斤六両、菖蒲二両二分、茯苓二両二分、蜀椒二斤二分、桃仁二両、枳実十二両一分二銖、亭歴子二両一分、杏人二両三分二銖、厚朴二分二銖、支子百廿枚、升麻十一両二銖、干藍二分、豉一合一勺、前胡二斤一分、白芷二斤一分、当帰四両二分、蒴藋一斤一分、商陸四両一分、【上がくさかんむり、下は「冂」の中に「又」】草三斤五両、黄耆四両一分、牡丹四両一分、地楡四両一分、大戟五両一分、玄参三両三分、白頭公三両一分、躑躅花九両一分、菝葜一両一分、酢二斗五升、砥一顆、両面九尺六寸、油絁九尺六寸、帛四丈一尺、緋帛一丈五寸、絹八尺、紗三尺、布三丈五尺、糸二両、木綿七両、紙八十四張、已上寮充之、陶坩、叩盆各四口、陶手洗一口、陶椀二合、盤二口、已上美濃国充之、筥二合、机二脚、折櫃一合、明櫃一合、大案一脚、麻笥一口、杓一柄、大笥一合、已上当国充之、薬刀一具、鉄臼一口、杵一枚、銅鍋一口、銅升一口、薬刀以下長用、合薬明衣料絹一疋、綿二屯、長料、調布二丈、生料、正月命婦以下嘗小児以上服料帛十疋、綿廿屯、斎王生気並寮充之、
右、薬部司所請、
緋帛、紫帛、油絁各二丈七尺六寸、麻卅斤、已上寮充之、
右、馬部司所請、

『延喜式』5(斎宮) 月料節料条〔72〕

凡斎内親王月料、及節料等、皆其官人、主典已上廿六人、番上一百一人、命婦一人、乳母三人、女孺卅九人、御厠人二人、御洗二人、別米二升、塩二勺、仕丁十五人、駈使丁廿五人、飼丁八人、神郡并神戸仕充之、今良八人、別米二升、塩二勺、女丁十人、将従二百七十三人、別米一升五合、塩一勺五撮、戸座一人、火炬小女二人、別米一升四合、塩一勺四撮、宮主并卜部家口四人、別米一升五合、塩一勺五撮、

『延喜式』5(斎宮) 元日条〔73〕

凡元日斎内親王大神宮南頭已下、拝賀斎其禄法、頭絹四疋、綿廿屯、助絹二疋、綿八屯、允絹二疋、主神中臣、忌部、舎人、蔵部、膳部、門部長各絹一疋、布二端、寮属、舎人判官、諸司長各絹一疋、布一端、宮主、諸司主典各絹一疋、番上各布一端、命婦准頭、外位者絹三疋、綿十屯、乳母及上等女孺各絹二疋、中等女孺絹一疋、下等女孺布一端、糸一絇、自余雑色庸布各一段、三日大神宮司等拝賀、御衣一禰宜被一条、郡司布一端、内人各糸一絇、但七日頭被一十六日青摺袍一領、袴一腰、

『延喜式』5(斎宮) 六月条〔74〕

凡六月斎内親王陪従皆十二月准此、諸司主典已上、人別絹三丈五尺、供膳官人褌料神部六人、卜部三人、膳部八人、炊部三人、酒部四人、水部四人、蔵部六人、殿部六人、掃部四人、今良四人各布二丈、戸座一人布一丈四尺、奏舞女孺四人各絹一疋、自余不給、

『延喜式』5(斎宮) 九月祭条〔75〕

九月陪従命婦以下五位絹四疋、綿十屯、外位絹二疋三丈、綿五屯、乳母各絹二疋三丈、綿二屯、上等女孺一人、中等以下廿三人各絹一疋三丈、綿二屯、自余不給、

『延喜式』5(斎宮) 官人緑条〔76〕

凡寮官人以下春秋禄者、当国神充之、夏冬服寮家賜之、夏男各絹四丈五尺、女絹一疋、但中等以下女孺各絹三丈、今良女、女丁各絹三丈、庸布二段、火炬小子各絹二疋、調布二丈、冬男各絹一疋三丈、綿四屯、女絹一疋、綿二屯、今良女各絹一疋、布一端、綿二屯、火炬小子各絹四丈、布一端、綿二屯、女丁各絹一疋、綿二屯、庸布一段、自余駈仕丁夏庸布一段、冬布一端、綿二屯、

『延喜式』5(斎宮) 供田墾田条〔77〕

凡斎内親王到国、初年正税七百、供用年料之当郡毎月舂後年供田其供田二町、一町多気一町度会外供田四町、三町多気一町飯野墾田廿七町八段一百十七歩、十七町七十一歩多気十町八段四十六歩飯野其外供田地子稲者、納寮、充供御之闕墾田郷土賃租、寮家雑

『延喜式』5(斎宮) 調庸雑物条〔78〕

凡諸国送納調庸并受京雑物、貯寮-配雑絹絁七百疋、伊勢絁三百疋、尾張長絹廿疋、参河白絹卅疋、遠江絹一百五十疋、駿河絹一百疋、相摸絹五十疋、美濃絹五十疋、糸三百絇、尾張調二百絇、遠江庸一百絇、庸綿一千一百屯、相摸、布一千端、上総細布一百端、常陸調布一百端、相摸五百端、下総三百端、庸布八百五十段、上野六百五十段、駿河二百段、倭文二端、常陸、木綿三百斤、伊豆二百六十二斤、遠江卌八斤、麻四百斤、熟麻一百斤、已上下総、熊皮八張、信濃、亀甲十二枚、志摩、履卅両、紙一千張、已上伊勢、筆二百廿八管、伊勢一百管、尾張一百管、美濃廿八管、両面三疋三丈、緋帛七疋三丈、錦一丈七尺六寸、油絁八疋一丈、雑薬五十八種、色目白綿六百屯、鍬二百卅五口、鉄五十廷、砥八顆、墨十九廷、已上京庫、庸米一千六百六十七石五斗、伊賀三百卌二石、伊勢四百七十三石二斗、参河五百五十九石三斗、美濃二百九十三石、舂米一千三百卅四石八斗、伊勢五百卅四石八斗、就中黒米三百九十五石、尾張二百石、参河二百石、美濃四百石、糯米十石、小麦十石、大麦一石、粟三石六斗、大豆、小豆各六石、醤大豆十八石、胡麻子一石、葟子一石、已上伊勢、黍子一石、参河、塩八十石、志摩十五石、尾張六十五石、胡麻油三石、遠江、槾椒油四斗四升、伊勢、東鰒三百斤、安房、堅魚五百斤、志摩二百八十八斤、伊豆二百十二斤、煮堅魚一百卌四斤、駿河、堅魚煎四斗、伊豆、猪膏三斗、楚割鮭一百廿隻、已上信濃、煮塩年魚二石、鮨年魚一石、伊勢、醤鮒三石、近江、鳥腊十斤、尾張、鯛楚割九十斤、貼貝鮨一石八斗、鯛枚乾一百斤、已上参河、雑腊五石、志摩二石、尾張二石、遠江一石、膓漬鰒七斗、相摸、雑魚鮨十石、伊勢、尾張各五石、熬海鼠一百斤、鮨鰒二石、雑鰒三百卌四斤、海藻三百九斤十四両、凝海菜三百卌斤、已上志摩、芡菜十囲、尾張、甘葛煎一斗、伊勢、芥子五斗、信濃、山薑二斗、飛騨、陶器六百九十六口、美濃、贄直稲日別二束、伊勢、馬秣稲百廿束、大神宮司所充、三時祭別卌束、蒭四千八百囲、半分大神宮司神郡浪刈送、半分国司国内浪刈送、

『延喜式』5(斎宮) 官人入京条〔79〕

凡寮官人入京者、聴五位四疋、八位以上三疋、初位以下二疋、女亦同、

『延喜式』5(斎宮) 戸座炬火条〔80〕

凡斎王到之日、度会郡二見郷礒部氏童其炬火当郡童卜用、但遭及長大即替之、

『延喜式』5(斎宮) 名簿条〔81〕

入野之後、及毎月下旬、雑色及仕女已上名簿、送於主神随即卜之、亦九月、十一月、十二月、更亦卜之、供祭但野宮不其寮吏諸司卜食已訖、行列中臣官人命云、兆竹折箸事祓清供奉、供称唯退出、内侍、采女、女孺已下在命、不者、不供宮野宮者内院忌之、斎宮者宮中皆忌、

『延喜式』5(斎宮) 最合条〔82〕

凡斎内親王祭之国司目已上名簿、在前卜、其最合者一人祗承、其三時祭月十五日、大祓処刀禰祗承官五位已上史生六位已下自申、

『延喜式』5(斎宮) 封戸条〔83〕

大神宮封戸百寮舎

『延喜式』5(斎宮) 神殿勤守条〔84〕

凡内院神殿者、主神司専一勤、奪其俸

『延喜式』5(斎宮) 諸司雑舎条〔85〕

凡内院及諸司雑舎者、造宮使作畢之後、寮官毎巡検、若居住官人致損、奪其俸寮官懈怠不譴責之法、亦

『延喜式』5(斎宮) 中重庭条〔86〕

凡中重庭者、須諸司毎寮官逓譴責

『延喜式』5(斎宮) 御膳条〔87〕

凡朝夕御膳、若、科責寮官并膳部

『延喜式』5(斎宮) 殖樹木条〔88〕

凡溝隍四辺殖松除大垣廻及大等之事者、門部司、若折損樹、緩怠掃、責其官

『延喜式』5(斎宮) 修理条〔89〕

凡仕丁卌八人之中、六人寮并厨便寮官一人当其、勘納功、随其破其立用帳、寮吏若不者、処勾当官于非常異処分、

『延喜式』5(斎宮) 雑物注載条〔90〕

凡寮中所之雑物、用残未進色目者、載季四孟差使官、但被管諸司季帳、寮官覆審、押署進上、

『延喜式』5(斎宮) 月俸衣服条〔91〕

凡諸司男女官月俸、雑色人衣服者、当国他国所之多分別、但

『延喜式』5(斎宮) 秣蒭条〔92〕

凡馬部司御馬八疋、年料秣稲干蒭者、不、勘納本充用、但其細用者、毎勘造、寮勘

『延喜式』5(斎宮) 賜宴禄条〔93〕

凡新嘗解斎日、大神宮司禰宜、内人、御厨案主、三郡司、神部、歌人参会、各有差、寮頭已下亦賜禄、

『延喜式』5(斎宮) 殴闘条〔94〕

凡雑色人已上、与殴闘者

『延喜式』5(斎宮) 密婚条〔95〕

凡寮官諸司及宮中男女和姧密婚者

『延喜式』5(斎宮) 失火穢条〔96〕

凡隍中失火者、随之祓清、其宅人七日不入宮

『延喜式』5(斎宮) 斎王相代条〔97〕

凡斎王相代応帰者、遣使亦如初、国哀及親者、中臣一

『延喜式』5(斎宮) 納印条〔98〕

凡斎王帰者、寮印山城納、寮司任後、申請用、主神司印及長例公文、並神祗、備後拠

『延喜式』5(斎宮) 遣使奉迎条〔99〕

凡斎王還者、若有還者、不初入之使迎、五位、六位各一人、近江堺上祗候、弁一人史生、官掌各一検校帰発、其斎王衣服、輿輦之類、官便附使送之、皆堺上而脱易、衣服之類輿輦之類又各鞍御馬一其頓宮及供給、

『延喜式』5(斎宮) 給雑物条〔100〕

凡斎内親王還京、雑物、寮官以下及近百姓等、普分給之、其寝殿物出居殿物但金銀器斎王又幃幄釜瓺之類者、皆

『延喜式』7(践祚大嘗祭) 供幣条〔3〕

凡大祓使発訖、即幣帛於天神地使大神宮諸王五位以上一人、中臣一人、忌部一人、卜部一人、五畿内一人、七道各一人、中臣、忌部両氏供之、其幣法、大所各絹五尺、五色薄絁各一尺、糸一絇、綿一屯、木綿二両、麻五両、小所各絹三尺、糸一絇、綿一屯、木綿二両、麻五両、裹薦惣九十枚、並大蔵充之、大所、小所、並諸社祈年縄七十了、夫五十二人、朸五十二枚、

『延喜式』8(祝詞) 神宮祈年月次祭条〔18〕

伊勢大神宮
二月祈年、六月十二月月次祭、
天皇御命以度会宇治五十鈴川上下津石根、称辞竟奉皇大神大前、常二月祈年月次祭唯六月月次之相換、大幣帛、某官位姓名使天、進給御命申給久止申、

『延喜式』8(祝詞) 神衣祭条〔20〕

四月神衣祭、九月准此、
度会宇治五十鈴川上大宮柱太敷立、高天原千木高知、称辞竟奉天照坐皇大神大前、服織麻続人等、常和妙、荒妙御衣進事申給申、
荒祭宮爾毛宣、禰宜内人称唯、

『延喜式』8(祝詞) 月次祭宮司条〔21〕

六月月次祭、十二月准此、
度会宇治五十鈴川上、大宮柱太敷立、高天原比木高知称辞竟奉天照坐皇太神大前申進天津祝詞太祝詞、神主部物忌等諸聞食宣、禰宜内人等共称唯、
天皇御命坐、御寿手長御寿、湯津常磐堅磐、伊賀志御世、阿礼坐皇子等乎毛恵給、百官人等天下四方国百姓万天、長平作食五穀乎毛、護恵幸給、三郡国国処処寄奉礼留神戸人等御調糸、由貴御酒御贄置足成、大中臣、太玉串隠侍、今年六月十七日朝日豊栄登称申事、神主部物忌等諸聞食宣、神主部共称唯、
荒祭宮月読宮爾毛、如申進宣、神主部亦称唯、

『延喜式』8(祝詞) 神嘗祭条〔22〕

九月神嘗祭、
皇御孫御命以、伊勢度会五十鈴河上、称辞竟奉天照坐皇大神太前申給、常九月之神嘗大幣帛、某官某位某王、中臣某官某位某姓名使、忌部弱肩太襁取懸、持斎波理、進給御命申給久止申、

『延喜式』8(祝詞) 神嘗祭宮司条〔24〕

同神嘗祭、
度会宇治五十鈴川上大宮柱太敷立、高天原千木高知、称辞竟奉天照坐皇太神大前、申進天津祝詞太祝詞、神主部物忌等諸聞食宣、禰宜内人等共称唯、
天皇御命坐、御寿手長御寿、湯津常磐堅磐、伊賀志御世、阿礼坐皇子等乎毛恵給、百官人等天下四方国百姓万天、長平護恵幸給、三郡国国処処寄奉礼留神戸人等、常由紀御酒、御贄、懸税千税余五百税置足成、大中臣太玉串隠侍、今年九月十七日朝日豊栄登、天津祝詞太祝詞辞称申事、神主部物忌等諸聞食宣、禰宜内人等称唯、
荒祭宮、月読宮爾毛、如申進宣、神主部共称唯、

『延喜式』8(祝詞) 斎王奉入条〔25〕

斎内親王奉時、
神嘗詞申畢、次即申云、
辞別申給、今進斎内親王、三年斎麻波理弖、御杖代進給事、皇御孫之尊天地日月、常磐堅磐気久御座坐志米武止、御杖代進給御命、大中臣、茂桙中取持、恐美毛申給久止申、

『延喜式』8(祝詞) 遷宮条〔26〕

大神祝詞豊受宮准此、
皇御孫御命皇大御神大前申給、常、廿年一遍大宮新仕奉、雑御装束物五十四種、神宝廿一種儲備、祓清持忌波理弖、預供奉弁官某位某姓名差使、進給状申給久止申、

『延喜式』11(太政官) 神宮司条〔18〕

凡香取神宮司任符、-載可自余神宮司者准此、

『延喜式』11(太政官) 伊勢使条〔76〕

凡九月十一日、-幸八省、奉-幣於伊勢太神其使者、太政官預五位以上王四卜定、卜食者一大臣奏聞、宣命使、共神祇官中臣忌発遣、

『延喜式』11(太政官) 定斎王条〔87〕

凡天皇初即者、伊勢太神宮斎内親、簡嫁者所司若内親王簡女宮城内便初斎祓潔而入、更城外浄、造畢、明年八月上旬、祓潔而-太政官従行五位以上名前十日前後次第各長官一人、五位、判官主典各一人、六位以下、初斎、臨禊潔即斎宮潔斎三年、五月以前、斎宮寮官人及主神其諸司七月以前任之、即依例准-擬庶九月上旬-定吉、向伊勢太神装束五位二人、一人神祇副以上、一人左右少弁以上、六位以下四人、神祇祐、弁官史、縫殿允、諸司主典、-定監送使四参議若中納言一人、弁史各一人、六位以下官一人、斎王臨禊之、

『延喜式』11(太政官) 斎王向伊勢条〔88〕

凡斎内親王時、七月以前寮允史生各一人於斎宮及、弁-備雑

『延喜式』12(中務) 伊勢祭主条〔14〕

伊勢太神祭主侍従及次侍者、不他神和

『延喜式』12(中務) 伊勢奉幣条〔31〕

-伊勢太者、九月十一日平旦、前、録大極殿、置版位於後殿東南「南」

『延喜式』12(内記) 宣命紙条〔4〕

凡宣命文者、皆書之、但伊勢太神文、書、賀茂社書、

『延喜式』13(大舎人) 伊勢奉幣条〔19〕

伊勢太神日、舎人四人大極殿東廊門共称唯、少納言替入、

『延喜式』15(内蔵) 大神宮祭条〔1〕

内蔵寮、
諸祭幣帛、
伊勢太神宮祭、
錦一疋、寮物、両面一疋、深紫綾、浅紫綾、緋綾、中緑綾、黄綾各一疋、已上五綾若無者、白綾一疋、以上太神宮幣料、緋、中縹、黄、皀帛各一疋、以上度会宮幣料、盛裹料柳筥二合、各方一尺四寸、宮別一合、余祭筥准此、庸布二段、木綿小二斤、葉薦一枚、已上官物、
右件幣預前依擬備、九月十一日平旦、寮官一人史生一人、蔵部二、執件幣、於大極後殿候之、内侍已下四人従退出、依裹修、訖寮取、立葉薦臨時幣帛亦同、

『延喜式』15(内蔵) 大神宮祭鞍条〔14〕

-伊勢太神宮祭鞍二料、馬皮二張、張別長五尺五寸、広四尺三寸、作皮料雑物直料、銭一百廿三文、油二升二合、革四張小半、張別長二尺五寸、広二尺、調布二端一丈四尺、糸一両一分、木綿三斤八両、麻八両、席一枚小半、葉薦一枚小半、已上官物、
右神鞍料物、毎年二月申請受、即典履縫神祇

『延喜式』17(内匠) 伊勢初斎院条〔31〕

伊勢初斎院装束、
白木斗帳一具高八尺、方一丈、料、五六寸桁二枚、簀子十枚、檜榑四村、熟銅大七斤、滅金小五両、水銀小二両二分、鉄一廷半、調布五尺五寸、伊予砥、膠小六両、木賊小三両、帛一疋五尺、白絁一疋五尺、練糸三両、糯米二升、炭七斗五升、和炭九斛二斗五升、長功一百十三人、木工五十三人半、銅卌一人半、鉄七人、画二人、夫九人、中功一百卅二人、工一百廿一人小半、夫十人大半、短功一百五十一人、工百卅八人大半、夫十二人小半、
几帳六基四尺二基、三尺二基、二尺二基、料、檜榑三村、枝柱等料、尺九寸桁一枚、長三尺、六七寸桁一枚、長五尺、並土居料、熟銅大八両、滅金小一両、水銀二分、漆一升五合、絹一尺五寸、細布一尺五寸、綿十両、掃墨五合、油三合、伊予砥半顆、青砥一枚、炭六斗、和炭五斗、単功五十三人、木作工廿人、漆塗廿人、銅十三人、
五尺屏風四帖料、椙榑十村、骨料、檜榑一村、押料、炭三斛、并塗料、和炭六斛、料、熟銅大三斤十二両、料、半熟銅大十二斤、料、滅金十両三分、水銀五両二分、一窠白綾十二丈四尺、表料、縹絁十二丈四尺、裏料、紫綾五丈六尺、縁料、緋絁二丈、番料、調布二丈、番中張料、商布九段一丈五尺、下張料、練糸一両、中張布縫料、紙二百五十張、中張料、薄紙五十六張、縁料、紫革一枚、長二尺五寸、銭形料、膠小四両、料、石灰八合、料、糯米八升、料、小麦一斗二升、料、単功一百卌九人、木工十六人、漆工五人、鍛冶工十七人、細工五十六人、鋳工三人、張工卌八人、夫四人、
小行障四具料、檜榑二村、熟銅大三斤、滅金小八両、鑑銀小四両、信濃布一尺、白鑞薄六枚、方八寸、細布六尺、阿膠六両、漆一升六合、絹一尺六寸、掃墨四合五勺、炭一斛、和炭四斛、単功六十人、木工十人、漆十人、銅廿八人、白鑞十二人、
大翳筥二合料、波太板四枚、長六尺、厚一寸五分、広二尺、阿膠廿両、炭四斗、白鑞薄十枚、方八寸、阿膠十両、信濃布四尺、炭四斗、漆四升、絹四尺、綿二屯、細布四尺、信濃布六尺、調布六尺、掃墨二升、焼土二升、油一合、伊予砥半顆、青砥一枚、炭二斗、単功六十五人、木工廿人、漆廿人、白鑞廿五人、
大笠柄二枝料、檜榑一村、白鑞薄四枚、方八寸、阿膠四両、熟銅大十二両、滅金小一両二分、鑑銀三分二銖、水銀三分、炭二斗、和炭八斗、漆六合、掃墨三合、単功廿四人、木工四人、漆四人、銅八人、白鑞八人、
捧壷二口、各周一尺九寸、高六寸、柄二枝各長八尺、料、槻一枚、長三尺、厚七寸、「料」檜榑一村、白鑞薄四枚、方八寸、阿膠四両、熟銅大十二両、滅金小一両二分、鑑銀三分三銖、炭二斗、和炭八斗、漆六合、絹八寸、綿四両、掃墨二合、焼土二合、単功廿七人、木工六人、漆四人、銅八人、白鑞九人、
沓筥一合料、波太板半枚、阿膠五両、炭一斗、白鑞薄二枚半、方八寸、阿膠二両二分、炭一斗、漆六合、絹八寸、綿四両、掃墨三合、焼土二合、単功十人、木工二人半、漆三人、白鑞四人半、
車榻一脚料、槻二枚、各長五尺、広四寸、厚二寸、檜榑一村、阿膠五両、鉄一廷、炭二斗、熟銅二斤十両、滅金四両、鑑銀一両二分、鉄半廷、伊予砥一顆、信濃布二丈、調布二丈、白鑞薄三枚、方八寸、阿膠三両、信濃布五尺、漆一升五合、絹一尺五寸、綿七両、細布一尺五寸、信濃布二尺、掃墨五合、焼土五合、単功卌人、木工八人、漆七人、銅十六人、白鑞九人、
膳櫃四合、各長三尺二寸五分、広二尺二寸、深九寸、下居榻四脚、各長五尺六寸、高一尺七寸、料、漆二升五合、櫃料一升六合、下居料九合、朱砂廿両、絹二尺、綿一屯半、掃墨一升、荏油一升二合、阿膠八両、炭一斛、単功十二人、台盤二面、各四尺、銀飯笥一合、銀水鋎一合、銀盞一具、已上四種料物単功、並見上、
銀鍋子一口料、銀卌両、熟銅大一斤十両、滅金小三両、信濃布一丈、炭一石、和炭二石五斗、単功十二人、
銀匕四枚料、銀廿四両、信濃布四尺、炭五斗、和炭一石、単功八人、
手湯戸一合、腹周五尺、高一尺四寸、台一脚料、漆二升五合、絹一尺五寸、綿一屯、細布一尺五寸、貲布八尺、掃墨五合、焼土一升、油二合、炭五斗、単功八人、
手洗一口径一尺七寸、深六寸、料、漆一升、絹一尺、綿八両、細布三尺、調布四尺、掃墨五合、焼土六合、炭五斗、単功七人、楾一合高一尺、周二尺四寸、料、漆七合、絹一尺、綿七両、細布二尺、掃墨四合、焼土五合、単功六人、
大壷一合料、漆四合、絹一尺、綿六両、細布一尺五寸、掃墨三合、焼土五合、単功四人、雕木一脚、長一尺四寸、広一尺八分、高八寸、
樋一合径八寸、高七寸、料、漆一升八合、絹一尺五寸、細布三尺、掃墨六合、焼土一升、単功十一人、
灯台四基料、漆一升二合、絹一尺、綿六両、細布一尺、掃墨四合、焼土五合、単功十二人、
殿盖代料、調布十端、練糸一絇、苧小五斤、単功十四人、木工十二人、夫二人、
軽幄骨一具料、漆七升、絹五尺、綿二屯半、掃墨二升、焼土二升、青砥一枚、炭一斛、単功卌人、
床一脚方六尺、料、漆四升、絹三尺、綿十二両、細布三尺、信濃布六尺、掃墨一升、焼土一升、伊予砥半顆、青砥一枚、炭五斗、単功十二人、
鎮子十二枚料、熟銅大十四斤、白錫十二両、鉄二廷、炭十二斛、和炭二斛、単功百人、
薬袋卅四枚料、六七寸桁一枚、白錫薄十七枚、方八寸、阿膠九両、炭一斛、漆六升八合、絹五尺、綿二斤、調布二丈、
掃墨三升、焼土二升、油五合、炭一斛、単功百人、木工卌八人、漆工卅四人、白錫十八人、

『延喜式』17(内匠) 野宮装束条〔32〕

野宮装束、
白木斗帳一具、几帳四基、三尺二基、二尺二基、五尺屏風四帖、膳櫃四合、台盤四面、各四尺、雕木一具、大壷一合、已上七種料物単功、初斎
輿一具、長一丈四尺、広三尺、高五尺四寸、斗内長三尺一寸、障子四枚一枚長四尺八寸、広一尺八寸、一枚高四尺一寸、広三尺三寸五分、二枚各高三尺、広六寸五分、料、五六寸桁二枚、壁代、束柱、鳥居等料、歩板二枚、平帖料、檜榑二村、槻十三枚、各長五尺、方二寸、但一枚広一尺、朸料簀子二枚、障子骨料椙榑二村、熟銅大卌六斤、滅金小一斤十二両、銀大一両、水銀小十四両、鉄三廷、炭二斛一斗、和炭五十斛五斗、漆九升、掃墨二升、焼土一斗、帛三尺、油三合、浅紫纈帛三丈六尺、東絁三丈六尺、錦一丈三尺、紫糸二両、生糸六両、石見綿三斤、調布一丈三尺五寸、商布一段、苧小一斤、薄紙十五張、膠小四両、伊予砥一顆、糯米一升三合、小麦五合、長功三百廿九人、木工卌七人、銅一百卌七人、鉄七人、漆十人、画七人、張五人、笠廿人、夫卌八人、中功三百八十四人、工三百卅八人半、夫卌五人半、短功四百卌八人、工三百九十五人、夫五十三人、
腰輿一具、長一丈二尺、広二尺九寸、斗内長三尺、脚高五寸、障子二枚、一枚長五尺、広二尺、一枚長五尺、広二尺二寸、桁料簀子二枚、壁代梁料歩板一枚、高欄鳥居等料檜榑半村、障子骨料椙榑一村、熟銅大十二斤、滅金小七両、水銀小三両二分、鉄一廷、漆四升、掃墨一升、帛一尺二寸、石見綿一斤八両、調布七尺二寸、油二合、浅紫纈帛二丈六尺、東絁二丈六尺、錦八尺、浅紫糸二分、練糸二分、薄紙八張、阿膠小二分、伊予砥、青砥、糯米六合、小麦五合、炭一石、和炭十四斛二斗五升、長功一百五十一人半、木工廿五人、銅五十九人、鉄二人、漆卅六人、画三人、張三人、夫十三人半、中功百八十人、工一百六十三人小半、夫十六人大半、短功二百五人大半、工一百八十六人大半、夫十九人、
御輿中子菅盖一具菅并骨料、材摂津笠縫氏参来作、料、生糸六両、苧小十両、已上二種骨結料、単功十人食料、白米二斗、人別二升、塩二合、人別二勺、醤滓二升、人別二合、魚二升、人別二合、海藻一斤四両、人別二両、酒六升、人別六合、
菅翳二柄同笠縫作、単功十人、料、漆四合、掃墨二合、苧小一斤、結料、生糸五両、石見庸綿四両、料、商布一丈、料、白米二斗、塩二合、酒六升、海藻一斤四両、醤滓二升、魚二升、翳柏形四枚、管金二口、筋金四枚料熟銅大一斤八両、
滅金一両、水銀二分、炭一斗、和炭一石五斗、単功卅人、木工八人、漆工四人、鍛冶工四人、細工十三人、夫一人、
殿盖代料、調布八端四尺、切廿条、条別長一丈七尺、練糸一絇、苧小五斤、
同宮伊勢斎入京儲料、御輿一具、並料物単功、四尺屏風四帖料椙榑八村、料、桧榑半村、押料、熟銅大四斤、料、半熟銅大十二斤、花形料、炭五斛五斗、一斛五斗花形料、一斛五斗塗「物」料、二斛焼料、五斗絞料、和炭五斛五斗、四斛料、一斛五斗鋳料、糯米八升、料、掃墨八合、料、白綾一疋三丈六尺、表料、縹絁一疋三丈六尺、裏料、調布一丈六尺八寸、番中張料、黒紫絁四丈九尺六寸、縁料、緋絁一丈六尺八寸、番料、商布七段一丈、下張料、紙二百十二張、中張料、薄紙卌六枚、縁并番料、紫革一枚、銭形料、小麦一斗二升、紙黏料、漆八合、料、滅金十両二分、水銀五両一分、釘肱料、単功一百卌九人、木工十六人、漆工五人、鍛冶工十七人、夫四人、細工五十六人、鋳工三人、張工卌八人、
御輿盖一枚料、油絁一丈六尺二寸、調布一丈六尺二寸、単功三人、漆工、
御膳櫃六合、各長二尺三寸、広二尺二寸、深八寸二分、下居机六脚、各長五尺七寸五分、広二尺三寸、高一尺七寸、朸十六枚、各長九尺、周六寸五分、韓櫃一合、長二尺六寸、広一尺七寸、深一尺一寸、料、漆六升六合、石見庸綿二斤、荏油一升八合、炭一斛、并塗料、単功卌九人、御膳櫃并下机卅六人、朸十六枚五人、韓櫃三人、夫五人、御輿前櫃一合、長三尺、広九寸、深八寸、小辛櫃一合、長一尺五寸、広一尺一寸、深八寸、捧壷二合、各周一尺九寸、高六寸、柄二枝、各長八尺、大笠柄一枝、長八尺、幕柱二枝、桁一枚、長一丈五尺五寸、幔柱廿四枝各長八尺六寸、料、漆六升、石見庸綿二斤、黏料調布二尺七寸、一尺五寸、黏料、一尺二寸絞料、油五合、掃墨一升、炭一斛五斗、単功廿一人、御輿前櫃四人、小辛櫃二人、捧壷五人、朸二人、大笠柄一枝、幕桁一枝六人、幔柱廿四枝六人、夫四人、

『延喜式』18(式部上) 把笏条〔142〕

凡内外諸司史生官掌省掌台掌職掌坊掌寮掌使掌司掌伊勢太神宮司、同度会神宮禰宜、賀茂二社禰宜、祝、住吉神主、宇佐宮司、祝、気比神宮司、筑摩長等、雑色補之、並把笏、

『延喜式』18(式部上) 神宮司条〔143〕

凡諸神宮司、并橿日廟司、

『延喜式』18(式部上) 解由日限条〔169〕

凡諸司諸国者、諸司長官六十日、次官以下及史生卅日為限、諸国長官百廿日、任用六十日為限、但長官任用同時解任者、交替了後、-上其与不之其諸国装束行程之者、始計、限内其季禄位禄皆亦聴諸節若限満未者、具官、伊勢太神宮、豊前宇佐宮、越前気比神宮司、諸神主亦但遥任及陰陽、大学、典薬等諸博士、諸司不之類、並不

『延喜式』18(式部上) 大内人条〔221〕

伊勢大神宮大内人、永

『延喜式』18(式部上) 伊勢大神宮司条〔227〕

凡伊勢太神宮司考選者、長上自余神宮司者、番上

『延喜式』18(式部上) 大神宮神戸条〔248〕

伊勢太神宮神戸百姓者、勿其縁出身者、便上日行事送考、其選叙法内分

『延喜式』18(式部上) 大神宮斎宮条〔267〕

凡太神宮司及斎宮官人季禄者、便伊勢国神給之、

『延喜式』18(式部上) 馬料条〔279〕

馬料、
神祇官十人、伯六貫、大副四貫、少副二貫五百、者四貫、大祐、少祐各二貫五百、大史、少史各二貫二百、宮主二貫五百、諸宮主准此、卜長上各二貫二百、
給之、
一位官五十貫、二位官卅貫、正三位官廿貫、従三位官十五貫、正四位官七貫、従四位官六貫、正五位官五貫、従五位官四貫、六位官二貫五百、七位官二貫三百五十、八位官二貫二百、初位官二貫五十、
太政官廿九人、一位官一人、二位官二人、正三位官二人、従三位官三人、従四位官二人、正五位官四人、従五位官三人、六位官六人、七位官六人、中務省卅二人、正四位官一人、正五位官二人、従五位官一人、六位官四人、七位官一人、八位官三人、内記六位官二人、七位官一人、監物従五位官二人、六位官四人、七位官四人、初位官一人、主鈴七位官二人、八位官二人、典鑰七位官一人、八位官一人、中宮職八人、従四位官一人、従五位官一人、六位官三人、八位官三人、大舎人寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、図書寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、内蔵寮八人、従五位官一人、六位官二人、七位官二人、八位官三人、縫殿寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、陰陽寮十一人、従五位官一人、六位官一人、七位官九人之中允一人、陰陽博士二人、暦博士一人、天文博士一人、漏刻博士一人、陰陽師二人、初位已上官一人、内匠寮六人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官二人、式部省七人、正四位官一人、正五位官一人、従五位官一人、六位官二人、八位已上官二人、大学寮十九人、従五位官三人、六位官一人、助博士二人、七位官十三人之中允一人、博士十一人、八位官一人、治部省六人、正四位官一人、従五位已上官一人、六位官二人、八位已上官二人、雅楽寮八人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官五人之中属一人、歌師四人、玄蕃寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、諸陵寮三人、六位以上官一人、七位官一人、八位官一人、民部省十一人、正四位官一人、正五位官一人、従五位官一人、六位官四人、七位官一人、八位官三人、主計寮十人、従五位官一人、六位官一人、七位官三人、八位官五人、主税寮八人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官四人、兵部省六人、正四位官一人、従五位已上官一人、六位官二人、八位已上官二人、刑部省十四人、正四位官一人、従五位已上官一人、六位官二人、八位已上官二人、判事正五位官二人、従六位官四人、八位已上官二人、大蔵省六人、正四位官一人、従五位已上官一人、六位官二人、八位已上官二人、織部司一人、六位已下初位已上官、宮内省七人、正四位官一人、従五位已上官三人、八位已上官三人、大膳職三人、従五位已上官一人、七位已上官一人、八位官一人、木工寮十人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官六人之中属算師各二人、大小工各一人、大炊寮三人、従五位官一人、七位已上官一人、初位已上官一人、主殿寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、初位已上官一人、典薬寮十五人、従五位官一人、六位已下官人之中侍医四人、助允各一人、初位已上官一人、七位官七人之中医博士一人、掃部寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、初位已上官一人、内膳司五人、六位官一人、七位官三人、初位官一人、造酒司二人、六位已下初位已上官、采女司一人、六位已下初位以上官、主水司一人、六位以下初位以上官、弾正台七人、従三位官一人従四位官一人、正五位官一人、六位官二人、八位以上官二人、春宮坊八人、従四位官一人、従五位官一人、六位官三人、八位官三人、左京職八人、従四位官一人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官三人、右京職准此、修理職八人、従四位官一人、従五位官一人、六位官三人、七位官一人、八位官二人、勘解由使九人、従四位官一人、従五位官二人、六位官三人、七位官三人、斎宮寮廿四人、従五位官一人六位官四人、七位官七人、初位官十二人、斎院司四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、

『延喜式』18(式部上) 権官馬料条〔280〕

凡権官馬料、給之、
上日一百廿五以上者、春夏馬料秋冬准此、但春夏七月十日、秋冬正月十日、中務兵太政上日共等、労劇亦同、依官位次給、縦貧濁有者、不者、給、若大学頭、陰陽頭、不便給、其斎宮寮馬料者、給、若不者、-用比

『延喜式』21(治部) 斎宮寮賻物条〔12〕

凡斎宮寮官人賻物、伊勢国正給之、

『延喜式』22(民部上) 斎宮守衛条〔46〕

凡伊勢斎宮者、神戸百姓一百卅二番令

『延喜式』22(民部上) 斎宮仕丁条〔72〕

凡伊勢斎宮仕丁卌八人、神郡并神戸百姓充之、

『延喜式』22(民部上) 志摩口分田条〔131〕

凡志摩国百姓口分田、便-授伊勢、尾張両唯伊勢神郡者、不

『延喜式』25(主計下) 斎宮調庸雑物条〔17〕

凡諸国進斎宮調庸雑物、彼寮移返、勘-会抄

『延喜式』26(主税上) 進斎宮条〔23〕

凡諸国斎宮調庸雑物、若者、彼寮年終移送未進之、没国司公

『延喜式』26(主税上) 斎王向伊勢条〔39〕

凡斎内親王者、并雑用料稲、近江国一万二千束、伊勢国二万二千束、

『延喜式』26(主税上) 斎宮食条〔89〕

凡斎宮官人以下、女孺以上食料、伊勢国庸充之、若不者、送充、

『延喜式』28(兵部) 斎宮武官条〔40〕

凡斎宮寮門部司長官一人、従六位官、主典一人、大初位官、門部十六人、左右衛門府所各四人、寮奏補八人、馬部司長一人、従七位官、馬部四人、並本寮判帯仗、其考選季禄、馬料並諸衛但季禄、馬料、伊勢国神給之、

『延喜式』28(兵部) 馬料条〔67〕

馬料、
従三位官廿五貫、日分十五貫、夜分十貫、
従四位官九貫、日六貫、夜三貫、
正五位官七貫、日五貫、夜二貫、
従五位官六貫、日四貫、夜二貫、
六位官二貫八百文、日二貫五百文、夜三百文、
七位官二貫六百五十文、日二貫三百五十文、夜三百文、
八位官二貫五百文、日二貫二百文、夜三百文、
左近衛府十三人、従三位官一人、従四位官一人、正五位官二人、六位官四人、七位官四人、八位官一人、右近衛府准此、
左衛門府十一人、従四位官一人、従五位官一人、六位官二人、七位官二人、八位官五人、右衛門府准此、
左兵衛府九人、従四位官一人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官四人、右兵衛府准此、
左馬寮六人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官二人、右馬寮准此、
斎宮寮門部司二人、従六位官一人、初位官一人、
馬部司一人、七位官、
上日上夜、各一百廿五以上者、春夏馬料秋冬准此、其春夏七月十日、秋冬正月十日、中務式太政但雖貧濁有者、不者、給、其斎宮門部馬部司料者、伊勢国神給与、不如不者、-用比

『延喜式』28(兵部) 斎宮祭馬条〔74〕

伊勢斎宮寮宮売祭馬三疋、大祓馬八疋、下総国牧送充、

『延喜式』30(大蔵) 伊勢奉幣条〔18〕

十一日伊勢太神宮八省昭慶門東腋廊内懸幔、又同門及東西腋門

『延喜式』30(大蔵) 伊勢初斎院条〔23〕

伊勢初斎院并之禊日、川上幄十

『延喜式』30(大蔵) 忌火条〔67〕

凡御并中宮御贖、及祭忌火、庭火、御竈神、平野御竈神料雑物、神祇官所者、彼官移充之、春宮坊并斎院司所亦同、陰陽寮所受待中務省移充之、

『延喜式』34(木工) 造斎王野宮条〔32〕

伊勢斎内親王野支度者、工単一千四百六十五人半、夫単五千二百七十二人半、藁三百五十一囲、五畿内、近江、丹波等国一レ充之、莫

『延喜式』35(大炊) 斎王禊料条〔15〕

斎内親王初斎時禊料、雑給米二石、土埦百口、薪卅斤、柏十把、允属各一人、史生炊部祗供、其日亦同、

『延喜式』35(大炊) 斎王賀茂祭条〔16〕

斎内親王賀茂日雑物、
米一石三斗八升六合、陶埦廿一合、盤廿一口、印埦廿二口、薪卅斤、

『延喜式』36(主殿) 諸司年料油条〔12〕

諸司所年料、
典薬寮胡麻油四升一合、供御地料、猪膏二百十三斤十五両、-供御并中宮春宮坊御及人給料、
大膳職胡麻油一升二合、供御并中宮御索餅糖料、
内蔵寮胡麻油二斗八升七合、麻子油二升五合、二升二合伊勢太神宮御鞍二具用途料、六升五合、麻子油二升五合年料御靴并糸鞋料、二斗山陵并所々荷料、
図書寮油三升、二升元日御并中宮御装束所灯料、一升奉写年料新翻仁王経所料、
陰陽寮油一斛五斗九升三合、漏刻所料、六箇月夜別四合、六箇月夜別五合、
兵庫寮胡麻油六合、五合-理甲一百料、一合大祓太刀并伊勢神宮料、猪膏五合、大祓太刀并神宮料、猪膏小廿斤、鼓吹生等料、
隼人司荏油一斛三斗八升、年料油料、
内匠寮油三升五合、年料革料、猪膏十五斤、雑工等料、
木工寮胡麻油一升一合、猪膏五合、年料雑料、猪膏卅斤、雑工已下仕丁已上料、
縫殿寮油五升、御服所并寮中十二月晦夜料、
造酒司油四升、御酒殿十二月晦夜料、
左右馬寮車油三斗八升三合、寮別一斗九升一合五勺、青御所料、油二斗六升四合、寮別一斗三升二合、季料胡麻油三斗二升、寮別一斗六升槾椒油一斗六升、寮別八升猪膏六升四合、寮別三升二合、
乳牛院油一升、十二月晦夜料、
画所油五升、
作物所油三斗、
内侍司、命婦已下女孺已上、十二月晦夜雑給料油六斛五斗、二石中宮料、
侍従所月料油三升、小月二升九合、
賀茂斎院料油一斛一斗、正月元日節料六斗、四月御祓料五斗、
賀茂斎内親王月料二斗一升、小月
親王并妃夫人各月別九升、小月
女御六升、小月
親王頓料六斗、-知名之日所行、

『延喜式』37(典薬) 斎内親王条〔17〕

凡斎内親王太神、充長送使薬十二七気丸、呉茱萸丸、芍薬丸、四味理仲丸、干薑丸、遼東丸各二剤、薬種各其用度裹油絁六尺五寸、紙十八張、木綿五両、篩二口料絹四尺、治篩一口料、紗二尺、酢二升、炭五斗、納小折櫃一合、搗夫十二人、人日搗一剤、食米二斗四升、人日二升、塩二合四勺、人日二勺、

『延喜式』37(典薬) 斎宮寮雑薬条〔18〕

諸司年料雑薬、
斎宮寮五十三種、
芒硝七両四銖、防風一両二分四銖、麻黄二両三分四銖、蛇【行がまえの内側に「含」】九両一分、石膏一両三分、芎藭七両三分、大黄一斤四両二分四銖、人参十両、紫苑二両二分、茈胡五両、黄芩十一両二分二銖、黄連一両二銖、皀莢二分一銖、芍薬六両、漏芦六両一分、連翹十五両、白薟十両二分、芦茹四両一分、附子九斤十五両、干薑七両二分、猪膏六十四斤八両、白朮七斤十両二分、烏頭十四斤四両、半夏二両二分、桔梗九斤五両二分、細辛七斤十四両、呉茱萸一斤六両、菖蒲二両二分、茯苓二両二分、蜀椒二斤二分、桃仁二両、枳実十二両一分二銖、葶藶子二両一分、杏仁二両三分二銖、厚朴二分二銖、支子百廿二枚、升麻十一両二銖、干藍二分、豉一合一勺、前胡二升一合、白芷二升一合、当帰四両二分、蒴藋一斤一分、商陸四両一分、【上がくさかんむり、下は「冂」の中に「又」】草三斤五両、黄蓍四両一分、牡丹四両一分、地楡四両一分、大戟五両一分、玄参三両三分、白頭公三両一分、躑躅花九両一分、菝葜一両一分、

『延喜式』38(掃部) 大神宮奉幣条〔12〕

九月十一日 伊勢大神宮、行-幸八省、設小安殿東局御親王以下参議已上座昭慶門東廊、対座南西上、隔其東弁少納外記、史、内記等座、東福門内西掖大臣東福門外東掖外記、内記

『延喜式』38(掃部) 斎内親王条〔17〕

凡斎内親王伊勢斎者、大極殿高御座左直東、設御座東席帖各二枚、上六尺御帖一、自東去一間、葉薦一、自北方東南進一間、内親王座南緑縁帖二枚、上両面短帖一

『延喜式』40(主水) 斎内親王条〔22〕

凡斎内親王妃夫人尚侍、日別一顆、

『延喜式』40(造酒) 伊勢斎王料条〔27〕

伊勢斎内親王料、後不行、
日酒八升、諸節別二斗、酢五合、汁糟五合、

『延喜式』48(左右馬) 諸祭祓馬条〔8〕

凡年中諸祭祓馬者、二月祈年祭十一疋、六月十二月月次祭各二疋、六月十二月晦祓各三疋、四月七月広瀬、龍田両社祭各三疋、四月左二疋、右一疋、七月左一疋、右二疋、増減之数平二日馬部一送之、九月伊勢太神宮神嘗祭二疋、斎宮寮主神司六疋、斎内親王祓一疋、並覆奏近都繋飼充、自余所臨時

『延喜式』48(左右馬) 斎王御馬条〔16〕

凡斎王日、鞍馬十疋、乳母已下、御厠人以上料、車二両、寮官二人陪従、其者、鞍馬十三疋、近江国蔵人已下、女孺已上料、一疋御馬、自余女騎料、其鞍官備、若随即補之、

『延喜式』49(兵庫) 大神宮女鞍条〔19〕

伊勢太神宮祭所須、女鞍二具、毎年造備、九月五日神祇其料牛革一条、長五尺、広二尺、請受、但打立木工自余料物内蔵寮造功十五人、採材五人、作十人、但広瀬、龍田祭鞍随作送、

『本朝月令』・4月中酉賀茂祭事

中酉賀茂祭事、
秦氏本系帳云、正一位勲一等賀茂大神社、賀茂者、日向曽之峯天降坐神、賀茂建角身命也、神倭石寸比古之御前立上坐而宿-坐大倭葛木山之漸遷、山代国岡田之賀山代下坐、葛野河賀茂立坐、-廻賀茂而言、然石川清川在、仍号石川瀬見小、自-坐久我国之北山、従也、 建角身命丹波国神伊賀古夜日子、曰玉依日玉依日、於石川瀬見小遊為時、丹塗矢流下、乃取-置床遂感孕、至成人外祖父建角身命八尋、堅八戸、醸八腹而神集々而七日七夜楽遊、然与語言、汝父将人、令祭、分穿屋而升天、外祖父之、号賀茂別雷所謂丹塗矢者、乙訓郡社坐大雷命在、賀茂建角身命也、丹波神伊賀古夜日売也、玉依日売也、三柱神、蓼倉三井社坐也、妋玉依日子者、今賀茂県主遠祖也、其祭祀日乗矣、志貴島宮御宇天皇之御世、天下挙国、風吹雨零、爾時卜部伊吉若日卜、乃賀茂神祟也、四月吉馬繋鈴、而駈馳、以五穀成熟、天下豊年、乗馬也、
又云、初秦氏女子于葛野、澣-濯衣流下、女子取還来、-置於戸女子無懐妊、既而也、父母怪責問、爰女子答云、不知、再三詰問、雖遂云知、父母以謂、雖也、我家往来近親眷族、隣里郷党之中、其夫応在、茲弁-備大、招-集諸、令彼児一レ盃、祖父母命云、父思人之、于時此児不仰観行戸上之即便、坼-破屋而去、故鴨上社別雷鴨下社御祖也、戸上矢者松尾大明神是也、是以秦氏-祭三所大明而鴨氏人秦氏之婿也、秦氏婿譲与之、故今鴨氏祭、此其縁也、鴨祭之日楓山之葵挿頭、当日早朝、松尾社司等令挿頭、参-候内蔵祭使既来、楓山葵於庭詔戸申使等、各挿出立、禰宜祝等又走馬、近衛二人、与禰宜松尾神是乃父母子愛之義、芬芳永存之心也、
右官史記云、天武天皇六年二月丙丁、山背国賀茂神
神祇令云、天神地祇、神祇官皆祭之、義解云、天神伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神等
国史云、文武天皇二年三月、山背国賀茂祭日会 和銅四年四月詔、賀茂神祭日、自今以後、国司毎年親臨𢮦察焉、 神亀三年三月、衆人会集、一切禁断、 天平四年四月、任之、 天応元年四月、賀茂神二社禰宜祝等始把
又或記云、延暦十二年癸酉、北野山中、天皇行幸、而諸臣却奉各去也、于時給、祈申、始鴨上下両神大祭、率供奉諸斎内親
又説云、嵯峨天皇平城天穆、于時嵯峨天皇祈祷有感、云々、
大同二年三月、従一位勲一等賀茂御祖神奉正一
弘仁格云、太政官符、新置斎院司官位職事、長官一員、次官一員、判官一員、主典一員、中納言兼左近衛大将従三位行春宮大夫陸奥出羽按察使藤原冬嗣 件定弘仁九年五月九日、
弘仁神式云、凡四月中申酉賀茂二斎内親王向社、史一人、左右史生各一人、官掌一人𢮦-校諸 山城国司預状、少納言奏聞、差使幣、内蔵及左右馬寮其日、宮門閤門前立守衛、前一日、大臣殿諸衛府於殿前警固後日解却亦准此、
弘仁内蔵式云、賀茂祭上社下社、松尾社社別禰宜祝各一人、上下両社、各物忌一人、云々、使等装束料云々、右当日平旦、内侍已下退出、寮庁使官人共解除、訖松尾社幣便禰宜祝即使等再拝両段、退各就座、寮家供乃発、山城国司騎兵、於京外前駈祗承、
国史云、弘仁十年三月、勅、山城国愛宕郡賀茂御祖并別雷二神之祭、宜 承和十五年二月、正一位勲一等賀茂御祖大社禰宜外従五位下鴨県主広雄等款云、去天平勝宝二年十二月十四日、奉御戸代田一以降、未加、年中用途乏少、望請別雷、加-増御戸代田一勅許之、
貞観主税式云、凡賀茂祭使食料稲四百束、山城国正宛之、

『万葉集』2〔105・106〕

相聞
(略)
藤原宮御宇天皇代、高天原広野姫天皇、諡持統天元年丁亥十一年、位軽太尊号太上天也、
大津皇子窃伊勢神上来時、大伯皇女御作歌二首、
吾勢祜乎 倭辺遣登 佐夜深而 鶏鳴露爾 吾立所霑之
二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 独越武

『古語拾遺』

一聞、夫開闢之初、伊弉諾、伊弉冉二神、共大八洲国、及山川草次、日神、月最後、素戔嗚而素戔嗚神、常行、故、人民夭折、青山変斯、父母、二神、勅曰、汝、甚無道、早退於根矣、
又、天地割判之初、天中所生之神、名天御中主其子、長男、高皇産霊神、古語、多賀美武須比、是皇親神留伎命、次、神産霊神、是、皇親神留弥命、此神子天児屋命、中臣朝臣祖、其高皇産霊神所生之女名、栲幡千千姫天祖天津彦尊之母也、其男名、天忍日大伴宿禰祖也、又男名、天太玉斎部宿禰祖也、太玉命所神名、天日鷲命、阿波国忌部等祖也、手置帆負命、讃岐国忌部祖也、彦狭知命、紀伊国忌部祖也、櫛明玉命、出雲国玉作祖也、天目一箇筑紫伊勢両国忌部祖也、
於是、素戔嗚神、欲-天照大神之時、櫛明玉命、奉迎、瑞八坂瓊之曲素戔嗚神、受之、転仍共約誓、即天祖吾勝是以、天照大神吾勝特甚鍾愛、常称曰腋子、今俗、和可是、其転語也、
其後、素戔嗚神、-行甚無状、種々凌侮、所謂、毀畔、古語、阿波那知、埋溝、古語、美曽宇美、放樋、古語、斐波那知、重播、古語、志伎麻伎、刺串、古語、久志佐志、生剥、逆剥、屎戸、天罪者、素戔嗚神、日神耕種之相争、-播種畔、溝、樋、当日新嘗之戸、当織室之-剥生此天罪者、今中臣祓詞也、蚕織之源、於神也、
于時、天照大神、赫怒、于天石而幽居焉、爾乃、六合常闇、昼夜不分、群神愁迷、手足罔措、凡厥庶事、燎而弁、高皇産霊神、八十万神於天八湍河
爰、思兼神、深思遠慮、議曰、宜太玉神、諸部石凝姥神、天糠戸命之子、作鏡遠祖也、天香山日像之長白羽神、伊勢国麻続祖、今俗、衣服之白此縁也、麻、青和古語、爾伎弖、天日鷲神与津咋見神、穀木種殖之、以白和是木綿也、已上二物、一夜蕃茂也、天羽槌雄神、倭文遠祖也、、令天柵機姫所謂和衣、古語、爾伎多倍、櫛明玉神八坂瓊五百筒御統、令手置帆負、彦狭知二神天御大小斤雑器等之名、大峡小峡之殿古語、美豆能美阿良可、御笠及矛、令天目一箇神雑刀斧及鉄古語、佐那伎、其物既備、天香山之五百筒真賢古語佐禰居自能禰居自、而上枝懸玉、中枝懸鏡、下枝青和幣白和太玉命捧持称亦天児屋命相副祈祷、又天鈿女命、古語、天乃於須女、其神強悍猛固、故以為名、今俗、強女之於須此縁也、真辟為鬘以蘿葛蘿葛者、比可気、竹葉、飫憩木今、多久佐、着鐸之而於石窟戸前古語、宇気布禰、約誓之意、相与歌
於是、思兼神石凝姥神日像之初度所鋳、少不意、是、紀伊国日前神也、次度所鋳、其状美麗、是、伊勢大神也、儲備既畢、具如謀、爾乃、太玉命、広厚称啓曰、吾之捧宝鏡明麗、恰乞、開而御覧焉、仍太玉命天児屋命、共其祈焉、于時、天照大神、中心独謂、比吾幽居、天下悉闇、群神何由如此之歌楽、聊開而窺之、爰天手力雄神-啓其座新殿則、天児屋命、太玉命、日御今、斯利久迷縄、是、日影之像也、-懸其殿大宮売神於御是太玉命、久志備所生神、如今世内侍善言美詞、君臣宸襟得也、豊磐間戸命櫛磐間戸命二神-衛殿是、並太玉命之子也、
此之上天初晴、衆倶相見、面皆明白、伸歌舞、相与称曰、阿波礼、也、阿那於茂志呂、古語、事之甚切、皆衆面明也、阿那多能志、之多能此意也、阿那佐夜憩、竹葉之声也、飫憩、木名也、之調也、爾乃、二神倶請曰、復還罪過於素戔嗚而科之千座置首髪及手足以贖-除其逐降焉、
(略)
天祖吾勝尊、高皇産霊神之女、栲幡千千姫天津彦皇孫天照大神、高皇産霊神二神之孫也、故也、既而、天照大神、高皇産霊尊、-養皇-為豊葦原中国経津主神、是磐筒女神之子、今下総国香取神是也、武甕槌是甕速日神之子、今常陸国鹿島神是也、駈除平定、於是、大己貴神及其子事代主神、並皆奉避、国矛曰、吾天孫、若者、必当平安、今我矣、辞訖遂隠、於是、二神、-伏諸不順鬼神果以復命、
于時、天祖天照大神、高皇産霊尊、乃相語曰、夫葦原瑞穂国者、吾子孫可之地、皇孫就而治焉、宝祚之隆、矣、即八咫鏡及薙草剣二種神賜皇所謂神璽剣鏡是也、矛玉自従、即、勅曰、吾児此宝、可与同殿、天児屋命、太玉命、天鈿女使焉、因又勅曰、吾則-樹天津神籬、神籬者、古語、比茂侶伎、及天津磐上レ矣、汝天児屋命、太玉命二神、天津神於葦原中焉、惟爾二神、共殿、宜吾高天原所御斎庭之是稲種也、於吾矣、太玉命諸部奉其天上諸神亦与陪大物主領八十万焉、仍使大伴遠祖天忍日命、来目部遠祖天槵津大来帯仗前
(略)
于神武天皇東征之大伴氏遠祖日臣命、督将元戎、-除兇之勲、无肩、物部氏遠祖饒速日命、殺衆、-順官忠誠之効、殊大和氏遠祖椎根津彦者、-引皇績香山之賀茂県主遠祖八咫烏者、奉瑞菟田之妖気既晴、復風都橿-営帝天富太玉命之孫、手置帆負、彦狭知二神之斎斧斎-立正殿所謂、底都磐根宮柱布都之季立、高天乃原爾榑風高之利、皇孫命乃美豆乃御殿造奉仕也、故、其裔、今紀伊国名草郡御木麁香二古語、正殿之麁斎部所居、之御殿、斎部所居、之麁是其証也、
天富斎部諸種々神鏡、玉、矛、盾、木綿、麻等、櫛明玉命之孫、御祈古語、美保伎玉、言祈祷也、其裔、今出雲年与調-進其天日鷲命之孫、木綿、及、麻、并織古語、阿良多倍、天富日鷲命之肥饒阿波穀、麻其裔今、当大嘗之木綿、麁布、及種々所以郡名之縁也、天富命更阿波斎-殖麻好麻所生、之総穀木所生、之結城古語、麻上総、下総二是也、阿波忌部所居、便安房今安房国、是也、天富命、即太玉命之安房故其神戸、斎部又手置帆負命之孫、竿其裔、今分讃岐調庸之外、八百竿是、其事等証也、
爰、仰皇天二祖-樹神所謂高皇産霊、神産霊、魂留産霊、生産霊、足産霊、大宮売神、事代主神、御膳神、已上、今御巫所奉斎也、櫛磐間戸神、豊磐間戸神、已上、今御門巫所奉斎也、生島、是大八洲之霊、今生島巫所奉斎也、坐摩、是大宮地之霊、今坐摩巫所奉斎也、
日臣命、来目-護宮其開饒速日命、内物-備矛其物既備、天富命、諸斎-持天璽鏡殿其幣殿祭祝詞、其祝詞文在於別巻、其祝詞、亦在於別巻、然後、物部乃大伴、来目建仗、門令四方之天位之
此之帝之与神、其際未遠、殿床、常、故神物官物、亦宮内立蔵、、令斎部氏永
天富命供作諸作大訖、天種子命、天児屋命之孫、除天罪国罪所謂天罪者、上既説訖、国罪者、国中人民所之罪、其事具中臣禊爾乃霊畤於鳥見山天富命、陳幣、祝詞、-祀皇-秩群神祇之焉、是以、中臣斎部二氏、倶祠祀之猨女君氏、神楽之自余諸氏、各也、
于磯城瑞垣殿不安、故更斎部氏石凝姥神裔、天目一筒神裔二更鋳鏡造上レ剣、護御是今践祚之日、所神璽鏡剣也、仍於倭笠縫磯城神天照大神及草薙皇女豊鍬入姫命一レ焉、其遷祭之夕、宮人皆参、終夜宴楽、歌曰、
美夜比登能 於保与須我良爾 伊佐登保志 由伎能与呂志茂 於保与須我良爾
今俗哥曰、美夜比止乃、於保与曽許侶茂、比佐止保志、由伎乃与侶志茂、於保与曽許侶茂、詞之転也、
八十万群天社国社及神地神始令男弭之調、女手末之調今神祇之祭、熊皮、鹿皮、角、布此縁也、
于巻向玉城皇女倭姫命天照大於伊勢国五十鈴川倭姫命焉、始衢神先降、深有矣、
(略)
於纏向日代日本武尊歟、-討東仍抂道伊勢神-見倭姫草薙日本武而教曰、慎莫也、日本武命、既還、尾張宮簀淹留踰月、宅、徒行胆吹而薨、其草薙剣、今尾張国熱田也、
(略)
夫、尊宗、礼教所先、故聖皇、登極、終父于上于六于山于群然則天照大神者、惟祖惟宗、尊無与二、因自余諸神者、乃子乃臣、孰能敢抗、而今神祇官班之日、諸神之後、伊勢神二也、
天照大神、本与殿、故供奉之儀、君神一体、中臣、斎部二氏、相副奉猨女之祖、亦然則、三氏之職、不而今伊勢宮司、独中臣所遺三也、
凡奉神殿帝殿者、皆須神代之斎部官御木、麁香二郷斎然後工夫下手、造畢之後、斎部殿祭及聞祭訖、乃伊勢宮及大嘗由紀主基宮、皆不四也、
(略)
又肇中臣斎部奉神中間以来、権斎宮寮主神司中臣斎部者、元同七位官、而延暦初、朝原内親王、奉之日、殊八位復、六也、
(略)
又勝宝九歳、左弁官口宣、自以後、伊勢大神宮幣帛使、専者、其事雖行、猶所官例、未十一也、

『皇太神宮儀式帳』天照坐皇大神宮儀式并神宮院行事合壱拾玖条

天照坐皇大神宮儀式神宮院行事合壱拾玖条、
天照坐皇大神天照意保比流売
同殿坐神二柱、天手力男霊御形弓坐、万幡豊秋津姫也、此皇孫之母、霊御形剣坐、
御坐地、度会郡宇治里、伊鈴河上之大山中、四至、山遠遥阻廻、又近南西北河廻、神堺、以東、石井嵩、赤木嵩、朝熊嵩、黄楊山嵩、尾垂岑等以北、比奈多島、缻島、志波埼、酒瀧島、阿婆良岐島、大島、屋島、歌島、都久毛島、石島、牛島、小島等以南、志摩国鵜椋山岑、錦山坂並以西、伊勢国飯高下樋小河、此神之遠太神駅使鈴口塞、飯野郡磯部河、此神之近以北、海限、
此掛畏天照坐太神月読太神二柱所称、伊弉諾尊伊弉冊尊、共為夫婦合所生神、御形鏡坐、供奉行事、天照坐皇大神伊勢国度会郡宇治里佐古久志留伊須々乃河上御幸行坐時儀式、磯城瑞籬宮御宇、御間城天皇御世以往、天皇同殿御坐、而同天皇御世、以豊耜入姫命、為御杖代出奉、豊耜入姫命御形長成、次以纏向珠城御宇、活目天皇御世、倭姫内親王、為御杖代斎奉、美和御諸原、出奉斎始奉、爾時倭姫内親王、太神頂奉、願給国求奉時、従美和御諸令出坐、爾時御送駅使、阿倍武渟河別命、和珥彦国葺命、中臣大鹿島命、物部十千根命、大伴武日命、合五柱命等為使、彼時、宇太阿貴宮坐、次佐々波多宮坐、其即大倭国造等、神御田并神戸進、次伊賀空穂宮坐、次阿閉拓殖宮坐、其即伊賀国造等、神田并神戸進、次淡海坂田宮坐、次美濃伊久良賀波宮坐、次伊勢桑名野代宮坐、其宮坐時、伊勢国造遠祖、建夷方、汝国名何問賜、白、神風伊勢国、即神御田并神戸進、次河曲、次鈴鹿小山宮坐、彼時、河俣県造遠祖、大比古、汝国名何問賜、白、味酒鈴鹿国、其即神御田并神戸進、次安濃県造真桑枝、汝国名何問賜、白、草陰安濃国、即神御田并神戸進、次壱志藤方片樋宮坐、其在阿佐鹿悪神平駅阿倍大稲彦命、即御共仕奉、彼時、壱志県造遠祖、建呰子、汝国名何問賜、白、宍往呰鹿国、即神御田并神戸進、次飯高県造乙加豆知、汝国名何問賜、白、忍飯高国、即神御田并神戸進、而飯野高宮坐、彼時、佐奈県造御代宿禰、汝国名何問賜、白、許母理国志多備国、真久佐牟気草向国、即神御田并神戸進、而多気佐々牟迤宮坐、彼時、竹首吉比古、汝国名何問賜、白、百張蘇我国、五百枝刺竹田、即櫛田根椋神御田進、次玉岐波流磯宮坐、次百船度会国、佐古久志呂宇治家田田上宮坐、爾時、宇治大内人任奉、宇治土公等遠祖、太田命、汝国名何問賜、白、百船度会国、是河名佐古久志留伊須須乃河、是河上好太宮地在申、即所見好太宮地定賜比弖、朝日来向国、夕日来向国、浪音不聞国、風音不聞国、弓矢鞆音不聞国、大御意鎮坐国悦給、大宮定奉、爾時、伊鈴乃御河漑水道田、苗草不敷作食、太御事垂給、亦我朝御饌夕御饌稲御田作家田堰水道田爾波、田蛭穢故、我田爾波不住此御今世爾毛苗草不敷、亦田蛭不住、亦種々事忌定給、人打奈津云、鳴塩垂云、血阿世云、宍多気云、佛中子云、経志目加弥云、塔阿良々支云、法師髪長云、優婆塞角波須、寺瓦葺云、斎食片食云、死奈保利物云、墓土村云、病云、如是一切物名、忌道定給、亦祓法定給、天都罪所始、敷蒔、畔放、溝埋、樋放、串刺、生剥、逆剥、屎戸、許々太久天都罪告分、国都罪所始、生秦断、死秦断、己母犯罪、己子犯罪、畜犯罪、白人、古久弥、河入、火焼罪、国都罪定給、犯過人種々祓物、祓清定給、爾時、太神宮禰宜氏、荒木田神主遠祖、国摩大鹿島命孫、天見通命禰宜定、倭姫内親王、朝庭参上坐、禰宜氏、職掌供奉、禰宜之任日、忌火飯食忌慎、聖朝太御寿、手長太寿、湯津、堅石常石、伊波比与佐給、伊加志御世佐岐波閉給、阿礼坐皇子等大御寿、百官仕奉人等、天下四方国人夫麻弖長平、作給倍留五穀物部止、朝夕祈申、

『皇太神宮儀式帳』太宮壱院

一太宮壱院、
正殿壱区、長三丈六尺、広一丈八尺、高一丈一尺、
御橋一枚、長六尺、広五尺、高欄四方廻、高三尺、広二尺五寸、金花並戸具於居坩、殿扉金鎖壱具飾御鎰壱勾、已上朝廷官奉入、上搏風肆枚、長二丈八尺、弘八寸、厚四寸、称比堅魚木十枚、長各七尺、径一尺七寸、材木別端以金飾、
宝殿二宇、長各二丈一尺、広各一丈四尺、並搏風上、
鎖二具、打立四隻、日覆四隻、戸具、鎰一勾、鎹六勾、雉立二枚、引手二勾、任四枚、戸坏四枚、蟹目釘十二隻、堅魚木各八
瑞垣一重、長廻卌九隻、高一丈、
宿衛屋四間、長各二丈、
御門十一間、
於葺御門三間、各長一丈五尺、広一丈、高九尺、於不葺御門八間、各長一丈三尺、高九尺、
玉垣三重、
一玉垣、長十四丈、二玉垣、廻六十丈、三玉垣、廻百二丈、
斎内親王侍殿一間、長四丈、広一丈六尺、高一丈一尺、蕃垣一重、長三丈、
女孺侍殿一間、長四丈、広一丈七尺、高一丈一尺、
板垣、廻長一百卌八丈六尺、
幣殿一院、
殿一宇、長一丈五尺、弘一丈二尺、高八尺、玉垣一重、廻長十六丈二尺、
御倉一院、
倉四宇、長一丈八尺、広各一丈五尺、高八尺、堅魚木各四玉垣、廻長卅八丈、
御輿宿殿一間、長三丈、広一丈四尺、高九尺、
御厩一間、長四丈、広二尺、高九尺、船一隻、長三丈、広三尺、
直会殿壱院、
九丈殿壱間、長十丈、広二丈、高一丈一尺、五丈殿壱間、長五丈四尺、広二丈、高一丈一尺、四丈殿壱間、長四丈、広一丈六尺、高九尺、已上
御門壱間、長一丈三尺、高九尺、防往籬壱重、長廻六十丈、
斎内親王御膳壱院、
屋肆間、長各二丈、広一丈、高八尺、防往籬壱重、長廻廿四丈、
御酒殿壱院、
酒殿壱間、長四丈、広一丈七尺、高八尺、庇一面、務所庁壱間、長三丈、広一丈五尺、高一丈、倉弐宇、長各一丈、広一丈五尺、高一丈、盛殿壱間、長五丈、広一丈七尺、高八尺、大炊屋壱間、長二丈、広一丈、高七尺、防往籬壱重、長卌四丈、
斎内親王河原殿壱院、
正殿壱区、長四丈、広一丈、高一丈、御装束宿殿一間、長二丈、広一丈、高八尺、御輿宿殿一間、長二丈、広一丈、高八尺、御厠殿一間、長一丈、広八尺、高七尺、防往籬一重、長廻卌四丈、
御膳宿一院、
殿二間、長各二丈、広一丈、高八尺、防往籬一重、長廻十五丈、
直会院、
防往籬一重、北長六十三丈、
禰宜斎館壱院、
斎殿壱間、長二丈、広一丈、高八尺、炊屋弐間、斎火炊屋一間、大炊屋一間、並長一丈五尺、高八尺、広一丈、倉壱宇、長一丈八尺、広一丈五尺、高一丈、厨一間、長二丈、広一丈、高八尺、厩壱間、長二丈、広一丈五尺、高一丈、防往籬壱重、長廻五十丈、
宇治大内人斎館壱院、
斎殿壱間、長二丈、広九尺、高八尺、忌火炊屋壱間、長二丈、広九尺、高八尺、厨屋一間、長三丈、広一丈、高八尺、防往籬壱重、長廻卅丈、
右禰宜并宇治大内人二人、常食忌火物、不食他火物、
大内人二人宿館弐院、
斎侍殿弐間、長各四丈、広各一丈六尺、高各八尺五寸、厨大炊屋壱間、長三丈、広一丈二尺、高八尺、防往籬壱重、長廻卌丈、
右二人大内人、忌火物不食、但斎御供奉、宇治大内同、
物忌小内人宿館五院、
大物忌斎館一間、長二丈、弘九尺、高八尺、斎火炊屋一間、長二丈、広九尺、高八尺、厨屋一間、長二丈、弘九尺、高八尺、大炊屋壱間、長二丈、弘九尺、高八尺、
宮守物忌斎館屋壱間、長二丈、広九尺、高八尺、斎火炊屋壱間、長二丈、広九尺、高八尺、
地祭物忌斎館屋壱間、長二丈、広九尺、高八尺、斎火炊屋壱間、長二丈、広九尺、高八尺、
荒祭物忌斎館屋壱間、長二丈、広九尺、高八尺、斎火炊屋壱間、長二丈、広九尺、高八尺、
已上肆人、常忌火供奉、
諸物忌小内人常宿斎館屋壱拾弐間、五間、長各三丈、広一丈二尺、高八尺、七間、長各三丈、広一丈、高八尺、
防往籬長廻七十五丈、
右清酒作物忌以下、御巫内人以上、斎館院食、但斎敬供奉、大内同、
已上細子、御装束物、

『皇太神宮儀式帳』供奉朝大御饌夕大御饌行事用物事

一条
一供奉朝大御饌夕大御饌行事用物事、
御贄清供奉、御橋壱処、長十丈、広二丈、高八尺、石畳壱処、方四尺、
太神宮正南御門、伊鈴御此御流二俣也、此中島奉石常造宮使労作奉、此止由気太神入坐御坐也、御橋者、度会郡司、以黒木造奉、三節祭別、封其人度不往還、則斎敬供奉、十六日夕大御饌、十七日朝大御饌、並御笥作内人造奉御贄机、忌鍛冶内人造奉御贄小刀、志摩国神戸佰姓供進鮮蚫螺等御贄御机上備置、禰宜内人物忌等、御贄御前追、持立封御参度、止由気太神御前跪侍、則御河清奉、御膳料理了、則如、御贄御前追天照皇太神大御饌供奉、細子用者行事、月記具顕、

『皇太神宮儀式帳』新宮造奉時行事并用物事

一新宮造奉時行事并用物事、
廿箇一度新宮遷奉、造宮使長官一人、次官一人、判官一人、主典二人、木工長上一人、番上工卌人入参来、即二所太神宮拝奉、即役夫、伊勢、美濃、尾張、参河、遠江等五国別国司一人、郡司一人、参向造奉、
用持玖種、官庫之物請造宮使所行、
鉄十廷、鍬五口、五色薄絁、五丈五尺、絹二匹、木綿十六斤、麻十六斤、
已上造宮使官庫新造正殿地鎮料并山口祭、木本祭
紺染幕布四端、官庫之物、別正殿飜隠料、傭布百卅二端、官庫之物、
此正殿地築平、禰宜内人等妻子等、并所所祭、及内人物忌工等明衣料、但自余雑物等者、太神宮司所宛行、
右雑物等、造宮使受散用行、
山口神祭用物并行事、
鉄人形卌口、鏡卌面、鉾卌柄、大刀廿柄、忌手斧一柄、忌鎌一柄、小刀一柄、五色薄絁五尺、木綿二斤、麻二斤、庸布五端、宇治大内人一人、山向物忌一人、父一人、御巫内人一人、忌鍛冶内人一已上人別一端、
已上官庫之即金物忌鍛冶内
酒一斗、米一斗、堅魚二斤、鮑二斤、雑魚一斗、雑海菜ニ斗、塩二斗、鶏二羽、雄一、雌一、鶏卵十丸、陶器五十口、土師器五十口、
已上物、太神宮司
右祭、造宮駅使忌部宿禰告刀申了、即山向物忌、草木苅初、然後役夫等草苅木所々山野散遣、然宮造了時、返祭料物如始、
正殿心柱造宇治大内人一人、諸内人等、戸人入杣木本祭、用物注左、其柱名号
鉄人形四十口、鉄鏡四十面、鉄鉾四十柄、大刀廿柄、忌斧四柄、立削一柄、忌奈太一柄、忌鎌一柄、小刀一柄、鉋一柄、
已上物忌鍛冶内
木綿二斤、麻二斤、五色薄絁各五尺、庸布四端、宇治大内人、山向物忌一人、父一人、御巫内人一並人別一端、米一斗、酒一斗、雑腊一斗、堅魚二斤、鮑二斤、雑海藻二斤、塩二升、鶏二羽、雄一、雌一、鶏卵十丸、陶器廿口、土師器廿口、
已上物、大神宮司
右祭、告刀申、造宮駅使忌部宿禰、其忌柱造奉了、自出前追運来、正殿也、
宮地鎮謝之用物并行事注左、
鉄人形卌口、鏡卌面、鉾卌柄、大刀廿柄、奈岐鎌一柄、鎌一柄、鋤二柄、鍬二柄、斧一柄、小刀一柄、五色薄絁一丈、絹二匹、五人之明衣料、木綿二斤、麻二斤、
禰宜一人、大内人一人、大物忌一人、地祭物忌一人、宮守物忌一人、并五十人絹明衣給、
酒二斗、米二斗五升、雑魚二斗五升、堅魚三斤、鮑三斤、海菜二斗五升、塩二升、鶏二羽、雄一、雌一、鶏卵二十丸、陶器廿口、土師器廿口、
已上、太神宮司
右祭、告刀申、地祭物忌父奉所持、造宮使中臣忌部然祭仕奉了時、地祭物忌、 宮地草苅始、次 宮地穿始奉、禰宜大物忌、忌柱立始、然後諸役夫等柱竪奉、
正殿地築平料用物并行事注左、
庸布八十端、官庫之物、禰宜内人并妻子惣八十男卌人、女卌人、
爾時役夫卜合地土正殿地持運置、即禰宜内人等、築平詠舞、然後日挙幕、正殿隠奉、
御船代宇治大内人一人、諸内人等戸人杣山木本祭用物并行事注左、
鉄人形卌口、鏡卌面、鉾卌柄、立削二柄、乃保岐利二柄、鉋二柄、大刀十柄、忌鎌二柄、奈太一柄、乃未二柄、前斧二柄、錐二柄、小刀二柄、斧二柄、已上忌鍛冶内五色薄絁五尺、木綿二斤、麻二斤、庸布六端、宇治大内人一人、山向物忌一人、父一人、御巫内人一人、工二已上六人明衣料、人別一端、
已上官庫物、
酒一斗、米一斗、鮑二斤、堅魚二斤、雑魚腊一斗、雑海菜二斗、塩二升、鶏四羽、雄二、雌二、雌卵廿丸、陶器廿口、土師器廿口、
已上太神宮
右如之祭、告刀御巫内了時、山向物忌、先、木本切始、然後神服織神麻続内人戸人、并諸役夫等切造奉、御船代料材、自出時、前追進正殿之、
造奉物、
正体御船代一具、長七尺三寸、内五尺七寸、高二尺一寸、内深一尺四寸、広二尺五寸、内弘二尺、御樋代一具、深一尺四寸、内八寸三分、径二尺、内一尺六寸三分、相殿坐神御船代二具、長各七尺六寸、内七尺六分、広一尺五分、内一尺五分、高一尺九寸、内一尺、
山造并庭造工二人給明衣料庸布二端、各一端、官庫物、
造宮使造奉物、
御琴壱隻、灯台五具、御調納辛櫃壱合、御鎰納、櫃壱合、幣帛机弐具、御床参具、大神一具、相殿坐神二具、天井壱条、平釘打短御床弐具、御饌奉机弐具、
宮造奉了時、正殿東西妻御形穿初仕奉、地祭物忌父仕奉、若物忌父遭時者、禰宜仕奉、
新宮飾奉使、官小弁已上一人、史生一人、鍛冶長上一人入齎塗釘玖拾陸隻御床三具料、并雑金物正殿飾奉、
新造宮御装束用物事、
太政官大史一人、史生一人、神祇官大史一人、史生一人、齎持御装束物一百卅六物、漆韓櫃八具、大輿籠三具、禰宜内人物忌等明衣百五十二具、
太神宮、并荒祭、月読、伊雑、大歳、瀧原六所神宮御装束物、具注左、

『皇太神宮儀式帳』新宮遷奉御装束用物事

一新宮遷奉御装束用物事、
紫衣笠二口、各裏緋綾、組八条、赤紫、𦀗綱四条、長各二丈、 二条衣笠料、二条菅笠二柄料、紫刺羽二柄、菅刺羽二柄、菅御笠二口、絹垣帳一条、長六丈、広三幅、道長九十五丈敷用調布廿三端三丈、
太神正殿装束六種、
壁代生絁御帳二条、長各二丈二尺、広各六幅、天井生絁御帳一条、長三丈六尺三寸、広九幅、内蚊屋生絁御帳二条、高一丈三寸、広各十二幅、御幌帳一条、長七尺三寸、広四幅、
御床装束四種、
御床土代敷細布御帳一条、長二条八尺、広六幅、生絁帳一条、長一丈三寸、広四幅、生溢絁御被一条、長九尺、広四幅、綿廿小窠錦御被一条、長九尺、広四幅、綿廿緋裏、
樋代御装束六種、
小文紫御被一条、長五尺、広二幅、綿八小文緋御被一条、長五尺、広二幅、綿八小綾緋綾一匹、折累敷料、累敷表覆帛被二条、長各一丈、広四幅、綿十五窠錦御被一条、長一丈、広五幅、錦廿緋裏、
座御装束物七十二種、
御床敷細布帳一条、長一丈、広四幅、生絁御帳一条、長九尺、広四幅、生溢絁御帳一条、長九尺、広四幅、帛御被一条、長九尺、広四幅、屋形錦御被一条、長九尺、広四幅、小文紫御衣二具、長各三尺五寸、綿一白裏、細子色衣色同、小紋紺御衣二具、長各三尺五寸、綿一白裏、細子色衣色同、帛御衣四具、長各三尺五寸、白裏、細子衣色同、帛単御裳四腰、裳須蘇高五尺、紫羅御裳二腰、腰并須蘇五尺、裏縹、紫御裳帯六条、高七尺、生絹御比礼八端、須蘇長各五尺、広二幅、帛御意須比八端、長各二丈五尺、弘二幅、細布御巾四具、長各五尺、広一幅、帛御巾四具、長各五尺、広一幅、御帯弐拾条、紫六条、緑拾肆条、錦御沓二足、錦御襪八両、両別九寸五分、帛御袜八条、長各二尺、御櫛嚢一口、筥御櫛八御加美結紫糸八条、長条別三尺、御加美阿弖練絹八条、長条別三尺、白玉嚢二口、各生絁、方三尺、白玉一両三二袋納中分、已上方七寸錦御枕二基、白筥一
相殿坐神御装束嚢二口、員八種、
神御形納奉生絁嚢一口、長七尺二寸、広二幅、西神御形納奉生絁嚢一口、長四尺二寸、広二幅、
宝殿二宇御幌二帳、長各六尺三寸、広四幅、
御門四間生絁御幌四帳、
瑞垣御門帳一条、長八尺八寸、広五幅、蕃垣御門帳一条、長八尺八寸、広五幅、玉串御門帳一条、長八尺八寸、広五幅、玉垣御門帳一条、長七尺四寸、広三幅、
神財物十九種、
金銅椯弐基、御鏡弐面、各径九寸、麻笥弐合、加世比弐枚、鎛弐枚、銀銅椯壱基、麻笥壱合、加世比壱枚、鎛壱枚、弓弐拾肆枚、矢弐仟弐佰隻、玉纏横刀壱柄、須加流横刀壱柄、雑作横刀弐拾柄、比女靭弐拾肆枚、蒲靭弐拾枚、革靭弐拾肆枚、鞆弐拾肆枚、楯弐拾肆枚、戈弐拾四竿或竿枚、、鵄尾琴一面、長八尺八寸、頭広一尺、末広一尺七寸、頭鵄尾、広一尺八寸、
禰宜内人明衣六十五具、
生絁男衣三領、袴三腰、一具一具宇治大内一具宮守物忌
生絁女衣二領、裙二腰、一具大物忌一具地祭物忌
白布男衣卅領、袴卅腰、大内人二人、物忌父、小内人十六人、禰宜内人等子弟十二已上人別一具、
白布女衣卅領、裙卅腰、禰宜内人妻子卅人別一具、
已上遷奉人垣料、

『皇太神宮儀式帳』皇太神御形新宮遷奉時儀式行事

皇太神御形新宮遷奉時儀式行事、
常以九月十四日、正殿内壁代帷、宝殿御幌并禰宜内人等明衣乎波御装束使所令請、十五日巳斎内親王入坐於大神坐於外川原殿輿入坐舊宮御門輿参入、瑞垣間東女孺二人従侍、即大神宮司太玉串蘰木綿捧、第三御門候、即女嬬一人罷出受取、其太玉串并蘰木綿持参入、于時親王受取、蘰木綿太玉串捧持拝捧給了、即親王出度会郡離之、
以十六日、御装束物等祓清、駅使王一人、神祇官副已上一人、忌部一人、太神宮司共令入外院太玉串然先禰宜内人人垣男女等、
以戌時、悉皆大宮以西川原大祓清、即了、
以亥時始、然即御装束物等悉持参、参入内院中御門使中臣刀申新宮仕奉遷奉状、御装束儲備奉進如之申畢、使中臣一人、大神宮司御装束物、新宮参上、正殿御橋下侍、東使中臣、西大神宮司、爾時大物忌先参上、手付初、次禰宜参上、正殿戸開奉、正殿内四角灯油燃、御装束具進畢、皆悉罷出、但使外直会殿坐、然大神宮司、人垣仕奉人等召集、即衣垣、衣笠、刺羽等、人垣仕奉男女等、太玉串 左右分立、大神宮司率参入、正殿御橋許候侍、爾時行幸布敷、即大物忌御鎰被賜、正殿戸開奉、先大物忌戸手付初、次禰宜参上戸開、即正殿内灯油燃、御船代開奉、正体乎波禰宜頂奉、相殿神東方坐宇治内人頂奉、西方坐大物忌父頂奉遷奉、行幸時、立先禰宜、次宇治内人、次大物忌父、次諸内人物忌等、及妻子等、人垣立、衣垣曳、蓋、刺羽等捧行幸道長九十五丈、調布廿七端一丈二令行幸時、新宮玉串御門立留、三遍音為発令幸行、瑞垣御門、又三遍音為之、其音如加初即御河橋本留、又三遍音、使中臣侍参入進、玉串御門侍、令行幸坐、爾時禰宜正殿内令入坐畢、即内御門油火炬、御装束物読申、令納御床畢時退出、常告刀地、八度拝奉罷出、即駅使直会院坐、即禰宜諸内人油貴供奉、其行事具録祭行事

『皇太神宮儀式帳』管神宮肆院行事

一管神宮肆院行事、
造奉荒祭宮一院、大神宮去廿四
大神宮荒御魂御形鏡坐、
正殿一区、長二条一尺、弘一丈四尺五寸、高一丈三尺、御床一具、瑞垣一重、長廻十六丈、高一丈一尺、御門一間、長一丈、弘七尺、高九尺、玉垣一重、宿衛屋二間、長各一丈二尺、弘一丈、高七尺、
月読宮一院、大神宮去三
正殿四区、之中、三間長各一丈七尺、弘一丈、高八尺、一間長八尺、弘六尺、高六尺、
此一伊弉諾伊弉冊已上奈良朝廷御世定祝、次月読御形馬乗男形、紫御金作大刀佩之、次已上内人、物忌定供奉、
御床四具、瑞垣四重、長廻各廿四丈、玉垣四重、長廻各卅二丈、御門二間、弘各七尺、高各九尺、御倉一宇、長一丈六尺、弘一丈四尺、高八尺、
瀧原宮一院、伊勢志摩両国境大山中在、大神宮以西去九十二
天照大神御形鏡坐、
正殿一区、長一丈五尺、弘一丈一尺、高八尺、御床一具、長八尺、弘四尺、厚一寸半、瑞垣一重、長廻十二丈、高一丈、御門一間、長八尺、高一丈、玉垣一重、長廻廿丈、高九尺、御船殿一宇、長一丈五尺、弘四尺、高六尺、御倉一宇、長一丈一尺、弘九尺、高八尺、
並宮一院、
正殿一区、長一丈五尺、弘一丈一尺、高八尺、御床一具、長八尺、弘四尺、厚一寸半、瑞垣一重、長廻十二丈、高一丈、玉垣一重、長廻廿丈、高九尺、御門一間、長八尺、高一丈、
伊雑宮一院、志摩国答志郡伊雑大神宮以南、去八十三
天照大神御形鏡坐、
正殿一区、長一丈五尺、弘一丈一尺、高八尺、御床一具、長八尺、弘四尺、厚一寸半、瑞垣一重、長廻十二丈、高八尺、御門一間、長七尺、高九尺、玉垣一重、長廿丈、高九尺、御門一間、高九尺、弘八尺、幣帛殿一間、長二丈四尺、弘一丈六尺、高八尺、御倉一宇、長一丈五尺、弘一丈一尺、高八尺、

『皇太神宮儀式帳』鎮祭荒祭月読瀧原伊雑宮四宮地用物并行事

祭荒祭、月読、瀧原、伊雑宮四宮用物、并行事注左、
鉄人形卌口、地別十口、桙卌柄、地別十柄、鏡卌面、地別十面、大刀卌柄、地別十柄、鎌四柄、地別一柄、忌斧四柄、上、鋤四柄、上、奈太四柄、上、鍬四柄、上、木綿四斤、地別一斤、麻四斤、上、五色薄絁二丈、上、庸布十二端、宮別内人一人、物忌一人、父一人、合十二明布料、人別一端、
已上官庫物、
酒二斗、地別五升、米二斗、上、腊魚二斗、上、塩四升、地別一升、海菜四斗、地別一斗、鮑四斤、地別一斤、堅魚四斤、上、鶏八羽、地別二羽、鶏卵卌丸、地別十丸、陶器卌口、地別十口、土師器卌口、上、
已上大神宮司
又金物作忌鍛冶内人給官庫、庸布一段、明衣料、其祭告刀然後地穿後返鎮如始、

『皇太神宮儀式帳』鎮祭荒祭月読瀧原伊雑宮四宮地用物并行事・荒祭宮遷奉時装束合廿種

一荒祭宮遷奉時装束合廿種、
御床一具蚊屋一条、長七丈六寸、弘十二幅、内蚊屋一条、長七尺、弘二幅、御床下敷細布帷一条、長六尺、広二幅、戸張一条、長六尺、生絁御被一条、長七尺、弘三幅、綿八帛御被一条、長七尺、弘三幅、綿八緋綿御衣一領、長二尺、錦綿御衣一領、長二尺、生絁綿御衣一領、長二尺、緋御裳一腰、長須蘇四尺、錦御裳一腰、長二尺、帛御裳一腰、長二尺、紫御帯二条、長各四尺、緋覆一条、長四尺、弘四幅、御櫛筥一合、櫛四紫本結糸二条、長各四尺、菅笠一柄、口径五尺五寸、金飾、柄、長八尺、漆塗、櫃練絁帊一張、長九尺、弘四幅、
神財八種、
大刀七柄、金作一柄、黒作六柄、楯一枚、長四尺五寸、桙一枚、長一丈六尺、弓二張、胡録三具、皮作一具、黒葛作二具、呉床一具、漆塗、長二尺三寸、青毛土馬一匹、高一尺、鞍立髪金飾、鏡一面、径三寸、

『皇太神宮儀式帳』鎮祭荒祭月読瀧原伊雑宮四宮地用物并行事・月読宮遷奉時装束合十四種

一月読宮遷奉時装束合十四種、
御床四具蚊屋四条、土代生絁帷四張、三張長各一丈、一張長八尺、弘各三幅、戸張四張、三張長各六尺、弘三幅、一張長五尺、弘二幅、帛御被四条、長各六尺、弘三幅、生絁御被四条、長各六尺、弘三幅、青纐纈綿御衣四領、長各二尺、生絹単御衣四領、長各二尺、練綿御袴三腰、長各一尺六寸、御裳二腰、紫一腰、帛一腰、長各一尺六寸、須蘇長四尺、緑帯八条、長各四尺、紫本結糸八条、長各四尺、御櫛十六枚、筥四両面覆櫃一備、
神財十六種、
金作大刀二柄、東一殿黒作大刀六柄、正殿三宇、各二柄、小刀二柄、西一二殿各一柄、弓六枚、西二殿二枚、東二殿二枚、東一殿二枚、胡録六具、各矢五十、東一殿二具、西二殿二具、東二殿二具、楯四枚、西二殿二枚、東一殿二枚、桙四枚、東一殿二枚、西一殿二枚、鏡九面、径各二寸、西一殿二面、西二殿四面、東一殿三面、鈴一口、径一寸、東一殿在、木絡紩二具、西一殿研四面、高二寸、径六寸、別殿一面、青毛土馬一匹、高一尺、鞍立髪金飾、東一殿銀桶二合、西一殿御鞍二具、西二殿一具、西一殿一具、五色玉一連、長二尺、西一殿大笥七合、小笥二三殿各二合、一殿一合、

『皇太神宮儀式帳』鎮祭荒祭月読瀧原伊雑宮四宮地用物并行事・瀧原宮遷奉時装束合十七種

一瀧原宮遷奉時装束合十七種、
御床帳一条、長五尺五寸、弘三幅、蚊屋一条、長七尺、弘十二幅、土代白細布帳一条、長七尺七寸、弘三幅、戸張一張、長六尺、緋御衣一領、長二尺、紫単御衣一領、長二尺、帛御衣一領、長二尺、比毛立御裳一腰、長二尺、帛御裳一腰、長二尺、紫御裳一腰、長二尺、腰弘二尺、下須蘇弘四尺、練御被一条、長六尺、弘二幅、荒衣御被一条、長六尺、弘二幅、荒布帳一条、長七尺七寸、弘三幅、荒衣天井蚊帳一条、長七尺六寸、弘十二幅、御櫛八枚、筥一紫本結糸一条、長四尺、緑御帯二条、長四尺、弘二寸、
神財十一種、
御筥一合、御絑一柄、高四寸、銀桶一口、径一寸半、弘一寸、銀桛一枚、長六寸、櫛銀笥一合、櫛四鈴二口、径一寸、弓三枚、大刀二柄、胡録三具、各矢四十箭、桙二柄、青毛土馬一匹、高一尺、鞍立髪金飾、

『皇太神宮儀式帳』鎮祭荒祭月読瀧原伊雑宮四宮地用物并行事・瀧原並宮遷奉時装束合十一種

一瀧原並宮遷奉時装束合十一種、
正殿生絹蚊屋一条、長五尺、弘十二幅、天井蚊屋一条、長七尺六寸、弘二幅、門張帳一条、長各六尺、弘三幅、荒衣御被一領、長六尺、弘三幅、緋御衣二領、長各二尺、紫紗御裳一腰、長二尺、練御裳一腰、長二尺、御櫛四枚、紫本結糸二条、長四尺、緑御帯二条、長四尺、

『皇太神宮儀式帳』鎮祭荒祭月読瀧原伊雑宮四宮地用物并行事・伊雑宮遷奉時装束合十四種

一伊雑宮遷奉時装束合十四種、
正殿蚊屋一条、長七尺六寸、弘十二幅、又一条、長七尺、弘二幅、生絁御被一条、長七尺、弘三幅、帛御被一条、長七尺、弘三幅、細布土代帳一条、長八尺、弘三幅、緋単御衣一領、長二尺、帛単御衣一領、長二尺、錦御裳一腰、長二尺、帛御裳一腰、長二尺、紺御裳一腰、長二尺、緋御床敷一幅、長六尺、戸帳一張、長六尺、弘三幅、御櫛四枚、筥一紫本結糸二条、長各四尺、
神財九種、
金絡絑二足、高四尺、金桶二口、金桛一枚、長六寸、金高機一具、本高三寸、五色糸織初在、鏡四面、径各五寸、黒作大刀三柄、弓三張、胡録三具、各矢卌箭、鞆一口、
佐美長神社祭行事、
御饌稲廿束、伊雑下行、木綿一斤、麻一斤、天枚瓮一口、酒缶一口、酒杯四口、竈戸一口、
已上物大神宮宛行、
以前管四神宮御装束、并神物員如件、

『皇太神宮儀式帳』管度会郡神社行事

一管度会郡神社行事、
合四十処、之中、官帳社廿五処、未社十五処、
瀧祭神社、大神宮西川殿
小朝熊神社一処、
神櫛玉姫命児、大歳児、桜大刀形石坐、又苔虫神、形石坐、又大山罪命子、朝熊水神、形石坐、倭姫内親王御世定祝、
正殿一区、長一丈四尺、弘一丈一尺、高八尺、御床一具、玉垣二重、各長七丈、高一丈、御門二間、高各一丈、弘各八尺、御倉一宇、長一丈四尺、弘一丈、高八尺、前社一処、長一丈二尺、弘五尺、坐地八町、四至、東大山、南公田、西宇治大川、北御竈島、
園相神社一処、
大水上児、曽奈比比古形石坐、同内親王定祝、
正殿一区、長九尺、広七尺五寸、高四尺六寸、玉垣一重、長八丈、坐地十町、四至、東川、南西大山、北公田、
鴨神社一処、
大水上児、石己呂和居形石坐、同内親王定祝、
正殿二区、長各一丈、弘九尺、高五尺、玉垣二重、長各九丈二尺、坐地五町、四至、東南西山、北公田、
田辺神社一処、
大神御滄川形鏡坐、大長谷天皇御宇定祝、
正殿一区、長一丈、弘九尺、高五尺、御床一具、長四尺、弘二尺五寸、高一尺、前殿一宇、長四尺、弘三尺六寸、高二尺、御門一間、長四尺、高七尺、玉垣二重、長八丈、坐地一町九段三百四十歩、四至、五百木部浄人家并小南限道、西北
蚊野神社一処、
大神御蔭川形鏡坐、同御宇定祝、
正殿一区、長一丈、弘九尺、高五尺、御床一具、長四尺、弘二尺五寸、高一尺、瑞垣一重、長三丈、高七尺、御門一間、長八尺、弘四尺五寸、高七尺、玉垣一重、長三丈、高七尺、前殿一宇、長三尺五寸、弘二尺四寸、高七尺、坐地二町、四至、東沢并畠、南西道、北畠、
湯田神社一処、
鳴震又大歳御祖命、形無、同御宇定祝、
正殿二区、長各四尺五寸、弘各四尺、高各三尺、玉垣一重、長三丈五尺、高七尺、御門一間、高九尺、弘八尺、坐地二町五段、四至、東南川、西北公田、
已上六箇処社、造神宮使造奉也、
大土神社一処、
国生神児、大国玉次水佐々良比古命、次左々良比売命、形石坐、倭姫内親王御世定祝、
正殿一区、長各六尺七寸、弘六尺六寸、高六尺、玉垣一重、長一丈二尺、高六尺六寸、坐地八段、四至、東公田、南即神御刀代并溝、西家田堰并大川、北百姓畠、
国津御祖神社壱処、
国生神児、宇治津比売形石坐、又田村比売命、形无、同内親王御世定祝、
正殿壱宇、長七尺、広四尺、高五尺、以草葺奉、玉垣壱重、長四丈四尺、高六尺七寸、坐地、大土神社之四至内、
久麻良比神社壱処、
大歳神児、千依比古命、千依比売形石坐、同内親王御世定祝、
正殿壱宇、長七尺、広四尺、高五尺、以板葺奉、玉垣壱重、長三丈六尺、坐地弐段、四至、東南公田、西北溝、
宇治山田神社壱処、
大水神児、山田姫形无、同内親王御世定祝、
正殿壱宇、長七尺、広四尺、高五尺、以板葺奉、御垣弐重、一重玉垣、長四丈八尺、高八尺、一重柴垣、長廿五丈、高一丈、坐地弐段参佰歩、四至、東道、南宇治大川、西沢并畠、北大道、
津長大水神社壱処、
大水神児、栖長比女形石坐、倭姫内親王代定祝、
正殿壱宇、長六尺、広四尺、高六尺、玉垣壱重、四方各二丈、坐地三町、四至、東道、南西北山、
大水神社壱処、
大山罪乃御祖形无、同内親王定祝、
正殿壱宇、長六尺、広四尺、高六尺、玉垣一重、四方各二丈、坐地弐町五段、四至、東道、南西北山、
堅田神社壱処、
東方堅田神形石坐、同内親王定祝、
正殿壱宇、長四尺四寸、高六尺五寸、弘五尺、玉垣壱重、長四丈二尺、高八尺、坐地一町三百歩、四至、東山、南公田、西溝并百姓家、北大海、
江神社壱処、
天須婆留女命児、長口女形在水、又大歳御祖命、形无、又宇加乃御玉、同内親王定祝、
正殿壱宇、長四尺、広五尺、高六尺、玉垣壱重、長四丈、高一丈、坐地壱町、四至、東溝并郷、南西山、北即神田、
神前神社壱処、
国生神児、荒前比売形石坐、同内親王定祝、
正殿壱宇、長四尺、広五尺、高六尺、玉垣壱重、長四丈、高八尺、坐地壱町弐佰歩、四至、東北大海、南西山、
粟御子神社壱処、
須佐乃乎命御玉道主形石坐、同内親王定祝、
正殿壱宇、長四尺、広四尺五寸、高六尺、玉垣壱重、方各四丈、坐地捌段、四至、東西大海、南北山、
川原神社壱処、
月読神御形无、同内親王定祝、
正殿壱宇、長四尺、広三尺、高六尺、玉垣壱重、四方各二丈、坐地捌段、四至、東南藪、西北大河、
久具神社壱処、
大水上神御子、久々都比女命、又久々都比古形石坐、同内親王定祝、
正殿参宇、長四尺、広三尺、高六尺、玉垣壱重、四方各二丈、坐地玖段、四至、東西北大河、南畠、
楢原神社壱処、
大水上児、那良原比女形石坐、同内親王定祝、
正殿壱宇、長四尺、広四尺、高七尺、玉垣壱重、四方各二丈、坐地伍町、四至、並大山、
棒原神社壱処、
天須婆留女命御形无、奈良朝庭御世定祝、
正殿弐宇、長各六尺、広四尺、高各七尺、玉垣壱重、四方各二丈、坐地参町、四至、東南松原、西沢岡、北道公田、
御船神社壱処、
太神乃御蔭河形无、倭姫内親王定祝、
正殿壱宇、長七尺、広五尺、高八尺、玉垣壱重、四方各二丈、坐地弐町、四至、東南公田、西百姓家、北御刀代田、
坂手神社壱処、
大水上児、高水形石坐、同内親王定祝、
正殿壱宇、長五尺、広三尺三寸、高四尺二寸、玉垣壱重、四方各二丈八尺、坐地伍町、四至、東林、南道、西林、北公田、
狭田神社壱処、
須麻留女神児、速川比古、速川比女、山末御玉三形无、同内親王定祝、
正殿壱宇、長六尺、広四尺、高七尺、玉垣壱重、四方各二丈、坐地壱町伍段、四至、東南百姓地、西北公田、
瀧原神社壱処、
麻奈胡乃形石坐、同内親王代定祝、
正殿一宇、長六尺、広四尺、高七尺、玉垣壱重、四方各二丈、坐地参町、四至、東道、南大山、西北大川、
以上十七箇所処神国津神社、
右社破壊之国郡司修造如件、
以前祝部等、太神宮司卜食定任之状、送伊勢国之、

『皇太神宮儀式帳』管度会郡神社行事・未官帳入田社事

一未官帳入田社事、
鴨下神社、大水上児、石己呂和居、鴨比古、鴨比売命、形无、
右神社、太神宮造奉使造奉而祝无、
津布良神社、大水神児、津布良比古、津布良比女命、形无、
葭原神社、大歳神児、佐々津比古命、形石坐、又宇加乃御玉御祖命、形无、又伊加利比女、形无、
小社神社、大水上児、高水上命、形石坐、
許母利神社、粟島神御玉、形无、
新川神社、大水上神児、新川比売命、形石坐、
石井神社、大水上神児、高水上命、形石坐、
宇治乃奴鬼神社、大水上御児、高水上、形石坐、
加努弥神社、大歳神児、稲依比女命、形石坐、
川相神社、大水神御子児、細川水神、形石坐、
熊淵神社、大水神御子、多支大刀自、形无、
荒前神社、国生神児、荒前比売命、形石坐、
那自売神社、大水上御祖命、形石坐、又同御玉、御裳乃須蘇比女命、形石坐、
葦立弖神社、宇治都比女命児、玉移良比女命、形石坐、
牟弥乃神社、大水上児、寒川比古命、寒川比女命、形无、
以上十五前神社、
右神社、倭比売御時祝、并御刀代田宛奉也、而未祝徭不免、仍官祝同、

『皇太神宮儀式帳』職掌雑任肆拾参人

一職掌雑任肆拾参人、禰宜一人、大内人三人、物忌十三人、物忌父十三人、小内人十三人、
天照坐太神宮弐拾壱烟、禰宜一烟、大内人三烟、物忌九烟、小内人八烟、
所管四宮九烟、内人五烟、物忌四烟、
禰宜、大初位上神主公成、
右人禰宜卜食定補任之日、従七位後家之雑罪祓浄、忌火飯食、見目聞耳言辞斎敬、宮内雑行事管職掌、諸内人物忌等、明衣冠着、木綿多須岐懸、度会郡司佃奉礼留御田稲物忌子等舂炊、志摩国神戸百姓進雑御贄三節祭朝夕御饌供奉、又毎年六月祭、 己之家養蚕糸一絇捧持、祭之日告刀申、祈年御調進、又毎年九月、己之家養蚕赤引生絁九絇織奉、太神御衣仕奉、祭之日、其度会郡丁九人之又雑行事斎敬供奉、具上条并月記
宇治大内人、无位宇治土公礒部小紲、
右人卜食定補任之日、後家之雑罪祓清、忌火飯食忌慎、職掌、三節祭并春秋神御衣祭、及時々幣帛駅使時、太玉串并天八重榊儲備供奉、及内親王御坐及、陪従諸司鋪設散敷、亦月別宮守護宿直番長忌敬供奉、
内人、外正八位上荒木田神主家守、
右人卜食定補任之日、後家雑罪事祓清、職掌、三節祭国々所々神戸百姓所進湯貴神贄神酒等検校散奉、又月別宮護宿直番長忌敬供奉、
内人、无位神主広川、
右人卜食定補任之日、後家雑罪事祓清、職掌、三節祭、内親王及諸司供給儲備事為専当、又月別宿直番長忌敬仕奉、
大物忌、无位神主小清女、
父、无位神主黒成、
右二人卜食定補任之日、後家之雑罪祓浄、斎慎仕奉、職掌、天照太神朝御饌夕御饌供奉、此初太神頂奉斎倭姫内親王、朝庭還参上時、今禰宜神主公成等先祖天見通命川姫命、倭姫御代、大物忌為川姫太神太神専手附奉傅奉、今斎内親大物忌者近傅奉、昼夜不避、尤重、仍大物忌元発由如件、亦父子共忌慎供奉、具月記
宮守物忌、无位礒部鯵麿、
父、无位礒部四五麿、
右二人卜食定補任之日、後家之雑罪祓清、職掌、相殿東方坐神朝御饌夕御饌忌慎供奉、亦父子共忌慎供奉、具月記
地祭物忌、无位礒部宮成女、
父、无位礒部子松、
右二人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清供奉、職掌、相殿西方坐神朝御饌夕御饌忌慎供奉、亦父子共忌慎仕奉、具月記行
以上三人物忌等、宮後川不度、若誤度時、更即却、
酒作物忌、无位山向古【刀に目】女、
父、无位山向部虫麿、
右二人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清供奉、職掌、陶内人作進酒缻三口酒醸備供奉、亦父子共忌慎供奉、具月記
清酒作物忌、礒部大河女、
父、无位礒部稲守、
右二人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清忌慎供奉、職掌、陶内人作進缻三口碓舂白御酒備儲供奉、亦父物忌共忌慎供奉、具月記
瀧祭物忌、无位礒部塩【刀に目】女、
父、无位礒部古麿、
右二人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清供奉、職掌、陶土師内人物忌等作進器受取、種々祭物備供奉、亦父子共忌慎供奉、具月記
御塩焼物忌、无位神主稲【刀に目】女、
父、従八位上神主牛養、
右二人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清供奉、職掌、朝夕御饌并処々神宮御饌御塩焼備忌敬供奉、亦父子共忌慎供奉、具月記
土師器作物忌、无位麻続部春子女、
父、无位麻続部倭人、
右二人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清、年中五処神宮供奉、職掌、朝夕御饌器三千二百六十四口、御食神祭物、御竈卌二口、御竈戸卌二口、御己曽岐卌二口、御与己倍卌二口、御保土岐卌二口、御波佐布卌二口、御波志卌二口、御碓卌二口、御枳卌二口、御箕卌二口、已上朝夕御食之湯貴之神祭物四百六十二口、太宮、荒祭宮、月読宮、瀧祭神、瀧原宮、伊雑宮、并五処神宮料、所別各祭別朝夕御饌各一具、供給料水戸十二口、水真利三百口、高佐良二百卌口、片佐良三百六十口、酒坏四百五十口、已上人給料器一千二百六十二口、禰宜以下雑任物忌以上十三人給三節祭別忌竈料竈戸卌三口、橧十五口、水戸十五口、保止岐十五口、奈戸九口、以上器八十七口、荒祭宮物忌給竈戸三口、橧三口、保止岐三口、奈戸三口、已上二十四口、志摩国伊勢二国神堺之神祭物、竈戸十二口、奈戸十二口、酒坏三十口、已上神祭物六十六口、
度会宮進御食神祭物、御竈十五口、御竈戸十五口、御保止岐十五口、御奈戸十五口、御橧十五口、御波佐布十五口、御波志十五口、御碓十五口、御箕十五口、已上朝夕御饌湯貴神祭物百六十五口、
同宮禰宜以下高宮物忌以上、合六人給忌竈戸廿七口、橧九口、保止岐九口、奈戸十八口、水戸九口、以上器七十二口、
同宮供給料水戸十二口、水真利六十口、高佐良四十二口、片佐良百廿口、以上供給料二百三十四口、同宮月別一度進上一年料御食料御水戸廿四口、御高佐良四十八口、御片良百廿口、御水真利百廿口、御酒坏三百六十口、御保止岐十二口、以上御食料岐器六百八十四口、
御笥作内人、無位礒部稲長、
右人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清斎慎供奉、職掌、御饌料木器合百五十具、御飯笥六十合、大三十合、小三十合、折櫃三十合、御食机三十具、御贄机三十具、大宮三前、祭別一前、朝夕御食、食別各一具、荒祭宮瀧祭二所、所別一前、祭別朝夕大御饌、饌別各一具、又余祭雑行事、毎事大内同忌慎供奉、具月記
忌鍛冶内人、無位忌鍛師部正月麻呂、
右人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清斎慎供奉、職掌、作進雑金物四百三十六柄、御食料之御贄小刀十五柄、祭別大宮三柄、荒祭瀧祭祭別各一柄、御波志十五柄、祭別大宮三柄、荒祭瀧祭別各一柄、毎年二月之祈年祭忌鍬一口、忌斧一口、神祭大刀八柄、鉾前三十六枚、鏡三十六枚、人形三十六口、已上件祭物百十八口供奉、
毎年四月九月合二時服織神部之御服供奉所作奉、御小刀四十八柄、御錐四十八柄、御杖前四十八口、御針四十八隻、件御服之加物百九十二柄、又同前神部等用使物、大斧二柄、立義斧二柄、前斧八柄、大乃未八柄、鉋二柄、大錐十柄、中錐八柄、三俣錐八柄、小刀廿四柄、已上用物七十二柄、忌慎供奉、具月記
陶器作内人、無位礒部主麻呂、
右卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清斎慎供奉、職掌、陶器物作進、五所宮之雑器物合四百六十五口、御食料御酒缶九口、御瓶六口、御波佐布六口、御比良加廿一口、御酒坏百廿口、已上御食料器物百六十二口、大宮、荒祭宮、月読宮、瀧原宮、伊雑宮、并五所之料者、祭時之奈保良比供給料酒缶二十一口、酒坩六合、酒舂六口、塩坏六十合、洗佐良六口、箸坩六十口、已上供給料器物百五十九口、止由気宮進上御食料御酒缶六口、御瓶六口、御比良加十五口、御水麻利三十合、御波佐布六口、已上御食料器六十三口、供給料酒缶十五口、塩舂三口、酒坩六合、洗佐良六口、塩坏卅合、箸坩卅口、已上供給料器九十口、志摩国与伊勢二国神堺海山神之祭物、此大神宮之禰宜内人物忌父等毎祭之時退入之、湯貴御贄漁時祭用物、缶十二口、天比良加十二口、坏卅口、已上神祭之物五十口、以前器六月祭料、九月十二月祭器亦同、
御笠縫内人、無位郡部乙浄麻呂、
右人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清斎慎供奉、職掌、御笠廿二蓋、御蓑廿二領、忌敬供奉、具月記
日祈内人、無位神主宮守、
右人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清忌慎供奉、職掌、己後家蚕糸一斤、以六月祭日之夕御食進時、即禰宜宇治内人共、為悪風雨不吹祈申告刀申進、又余祭雑行事、大内同斎慎供奉、具月記
御巫内人、無位礒部足国、
右人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清斎慎供奉、職掌、三節祭月十五日夜以亥時、第二御門令侍、木綿蘰御琴給而、大神御以十六日朝所祟出罪事、禰宜始、内人物忌四人館種々罪事祓、即西川原仁弖禰宜内人物忌等皆悉召集而、此従西方川相之川原各奴佐麻令持而、先宮東方皆悉而、人別之庤并後家穢雑事御巫内各其所持之奴佐麻一条分授、即御巫内人管集取持、其人別所申穢事、細伝申即於川皆悉立退、西下向侍、各解除、即川原侍而、奈保良比酒并菜、始皆悉給行事供奉、
山向物忌、無位礒部祖継、
父、無位礒部継麻呂、
右二人卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清斎敬供奉、職掌、太玉串天八重榊取備供奉、斎内親王二枝、大神宮司二枝、禰宜四枝、宇治内人八枝、並枝別木綿懸之、即第三重御門東方、一列八枝、八重数六十四本、右方亦並高四尺、枝別木綿懸之、此太玉串天八重佐加岐元発由者、天照坐大神高天原御坐時、素戔嗚尊種々荒悪行天磐戸閉給時、八十万神於天安河其可、天香山真坂、上枝八咫中枝八尺瓊下枝天真麻木綿、種々祈申、此今賢木綿太玉串号之、以八重佐加岐禰宜捧持太玉串、大中臣隠侍、天津告刀太告刀厚広事多々倍申、玉串発由如件、亦父共忌慎供奉、
御馬飼内人、外従七位上礒部清人、
右二人始卜食定補任之日、後家之雑罪事祓清供奉、并上下番、御馬飼番別御馬令飼、并宿直職掌忌慎供奉、
右大内人物忌以下、御馬飼内人以上、掛畏皇大神興此初八十氏部卜食補任日、後家之雑罪事祓清、重預職掌供奉、行事具件如前、又上下具祭行事

『皇太神宮儀式帳』年中三節祭時供給儲備并営作雑器事

一年中三節祭時供給儲備営作雑器事、
合弐仟肆百参拾玖具、
結机捌具、上板玖具、中机拾五具、机代弐佰拾前、中折櫃漆百五十合、下折櫃弐百五十四合、褁飯仟弐百十五褁、
六月祭料漆百玖拾八具、九月祭料八百四拾三具、十二月祭料六月之、
斎内親王御膳二具、結机造供奉、斎宮寮頭、内侍、国介、并三人料上板机三具、副机、并六位以上国判官一人、御母四人、并五人料板机五前、諸司官人、并一等女嬬料机代七十一前、二等女嬬、并諸司番上、二箇郡司子弟、及諸刀禰等料中折櫃二百卅合、官人以上従、并諸司担夫已上、及二箇郡歌人、歌女、鳥名子料下折櫃五十七合、褁飯四百褁、已上六月祭之、
斎内親王御膳二具、結机造供奉、勅幣帛使料結机二具、斎宮寮頭、内侍、国介、并三人料上板机三具、副机、并六位以上判官一人、御母四人、并五人料板机五前、諸司官人、并一等女嬬、及駅使従料机代七十一合、二等女嬬諸司番上、二箇郡司子弟、及諸刀禰等料中折櫃二百五十合、官人以上従、并諸司担夫已上、及二箇郡歌人、歌女、鳥名子料下折櫃八十二合、褁飯四百褁、已上九月祭之、
十二月祭六月之、
造儲雑器事、
結机八具、板机十一前、机代折櫃八十合、中折櫃二百合、魚机十足、高机八足、中取十足、木杓廿柄、【草冠に袴】廿柄、交易土師雑器四千五百口、
右三節祭供給儲備、禰宜、大内人、物忌、物忌父、諸内人等、各戸人率以造雑器明松処々山野海河散遣、志摩交易種々味儲備仕奉、

『皇太神宮儀式帳』初神部度会多気飯野三箇郡本記行事

神部度会多気飯野三箇本記行事、
纏向珠城朝以来、于難波長柄豊前宮御宇天万豊日天皇御有爾鳥墓村雑神政仕奉、而難波朝廷天下立給時、以十郷分、度会山田原、新家連阿久多督領、礒連牟良助督仕奉、以十郷分、竹村麻続連背督領、礒部真夜手助督仕奉、同朝廷御時大神宮司所神庤司中臣香積連須気仕奉、是人時、度会山田原 神庤、即大神宮、近江大津朝廷、天命開別天皇御代甲子小乙中久米勝麻呂、多気郡四箇郡申割飯高宮村屯、評督領仕奉、即之、
右元三箇郡大神宮供奉、所割分由顕如件、

『皇太神宮儀式帳』供奉朝大御饌夕大御饌料地祭物本記事

一供奉朝大御饌夕大御饌料地祭物本記事、
朝夕御饌箕造奉竹原、箕藤黒葛生所、三百六十町、伊賀国名張亦朝夕御饌供奉、年魚取淵、梁作瀬一処、亦御栗栖三町、伊賀
右五処、此伊賀国造等之遠祖奉地、注顕如件、

『皇太神宮儀式帳』神田行事

一神田行事、
合陸町九段、度会
見佃御田二町四段、荒木田一町、宇治田一町、並二町御膳料、四段、荒祭宮料、苅稲一千六百八十束、束、
所用稲一千六百八十束、用尽之、九月神嘗供奉、抜穂稲四十束、三節祭湯貴神清酒料二百四十束、祭別八十束、宮四方祭料稲六十束、祭別廿束、湯貴御贄採海往、禰宜、内人、小内人、及祝部等率、伊勢国志摩国堺戸島神祭、奈保良比料稲百五十束、祭別五十束、瀧祭奈保良比料稲百廿束、祭別四十束、祭毎月十六日、川原禰宜内人物忌等身祓所奈保良比料稲六十束、祭別廿束、田作功料稲五百七十六束、町別二百四十束、荒祭宮湯貴清酒料稲六十束、祭別廿束、正月朔日白散料四十束、七日料十四束、十五日料十三束六把、三月三日料四十束、五月五日料卅五束、禰宜内人物忌等祭時食給稲二百卅一束四把、板立御馬秣地田一町一段、価直六十束、即御馬飼、禰宜内人等給三町四段、禰宜一町四段、宇治内人一町、二人内人一町、各五段、
右神田所用如件、

『皇太神宮儀式帳』御調荷前供奉行事

一御調荷前供奉行事、
赤引生糸四十斤、神郡度会郡調先糸、
五月卅御調専当郡司、調書生、及郷長、服長等、大解忌慎侍、亦郡内諸百姓等、人別私家解除清、御調糸持、向大神宮司即大神宮司卜定、糸遠御調櫃入、塩湯持、御調倉進納畢、以六月十七日朝時、御調、預度会多気郡司、調書生服長等、御前追持参入、大神宮供奉行事、神服織神麻続御衣供奉行事同、
亦御調荷前絹一百匹、
右絹勘備奉行事、赤引糸奉時同、又荒祭宮、月読宮、瀧原宮、伊雑宮供奉荷前絹、具月記

『皇太神宮儀式帳』供奉幣帛本記事

一供奉幣帛本記事、
奉皇大勅幣帛、即朝廷使告刀申、正殿進納畢、其正殿院参入、大神宮司、禰宜、内人、物忌、但使其行事祈年使同、
春宮坊、皇后宮幣帛、東海道駅使之幣帛及国々処々之調荷前雑物等、外幣帛殿禰宜給之、
正殿、宝殿三殿、亦荒祭宮鎰、奉西四御即其御倉鎰封、大神宮司御厨置之、
禁断幣帛、王臣家諸氏之不重禁断、若幣帛進人遠波勘給之、

『皇太神宮儀式帳』年中行事并月記事

一年中行事并月記事、
正月例、
禰宜、内人、物忌等皆悉集、南門五大神拝奉、次荒祭拝奉、次御酒殿奉拝、然即白散御酒供奉、次禰宜、内人等、直会殿被給畢、即悉宮司御厨参向、朝庭拝奉、即大饗被畢時、禰宜、内人等、大直会倭舞仕奉、
斎宮参向、内親王奉拝、
年中禰宜、内人、物忌稲四千五百八十四束五把五分、禰宜一人、四月、六月、合五十九箇日食稲廿三束六把、日人別四把、物忌四人、十月卅食稲二百卅二束九把六分、日人別一把六分、大内人、物忌父、小内人卅七人食稲四千三百廿八束、日人別四把、
宮守護奉宿歴名番畢事禰宜、長上、番上宿直人、大内人一人、番長、諸内人六人、戸口三人、中番下番宿直事、並
仕奉如
荒祭宮宿直事、上番、内人一人、戸口一人、下番、物忌父一人、戸口一人、
月読、瀧原、伊雑三箇宮宿直事、荒祭宮同、
十五宿直仕奉如件、
先卯禰宜、内人、物忌率、供太神宮并荒祭
七日、新菜御羮作奉、太神宮荒祭宮供奉、
十五日、御粥作奉、太神宮荒祭宮供奉、
禰宜、内人等、御竈木六十荷奉進、
右三箇日節毎供奉禰宜、内人、物忌等、酒殿大直
二月例、
宮守護奉宿直歴名番畢事禰宜、長上、番上宿直人、大内人一人、番長、諸内人六人、戸口三人、中番下番宿直事、並
荒祭宮、月読宮、瀧原宮、伊雑宮四箇宮宿直、正月同、
大神宮御田佃始時、忌鍬料鉄一挺、又神田祭料稲廿束、大神宮
所管神社廿五所、神田祭料絹一疋一丈五尺、木綿八斤、麻八斤、新菜漬料塩五斗、已上宛大神宮
十二年祈幣帛使参入坐、幣帛進奉時行事、幣帛使大神宮共、神宮外院参入侍、即禰宜内人等候侍、山向物忌父造奉太玉串、宇治大内人二枝捧、大神宮司給、即宮司手拍給、禰宜生絹明衣冠着、左右肩木綿多須岐懸、太玉串四枝手拍捧持左方立、宇治大内人太玉串八枝捧持右方立、共発、禰宜先前左方立、宇治大内人右立、次大神宮司、次幣帛捧持内人等立、次御馬飼内人御馬曳立、次駅使、次内人等立、如此立列参入、第三重告刀之版位就、公進之東端、御馬進二丈許立、次駅使、次大神宮司、次禰宜、次宇治内人、次二人大内人、以上六人、正殿向跪列侍、内物忌子等、御門腋東西頭侍、内物忌父四人、諸内人、物忌父等、以西玉垣門二丈許内方進、向跪列侍、即大神宮司進、告刀申、畢時仁波就本即宮司之手捧持太玉串二枝、宇治大内人発受取、同而捧持、即禰宜大物忌進、第三御門之左置進、次宮守物忌其禰宜捧持太玉串四枝進、同御門右方進置、次地祭物忌此宇治大内人捧持太玉串分四枝令進、同御門左方進置、即玉串進畢、四段拝奉、短手二段拍、一段拝奉、又更四段拝奉、短手二段拍、一段拝奉畢、即罷出、荒祭宮版位就坐、四段拝奉、短手二段拍畢、即使大神宮司、外直会殿就坐、即禰宜内人、荒祭宮参入供奉行事、宇治大内人、太玉串四枝捧持、先其宮物忌父、御鎰持前立、次其宮内人立、次宇治大内人立、次禰宜立、次二人大内人諸内人等立、即正殿幣帛奉入畢、即罷出、使宮司直会給、手二段拍、物給畢、後手一段拍出御厨
十三大神宮廻神百廿四前祭始、所管処々宮、并社々神奉行事、宛神大神宮司、
先始来子日、大神宮朝御饌夕御饌供奉御田種蒔下始、禰宜内人等、山向物忌湯鍬山参登時、忌鍛冶内人造奉金人形、鏡、鉾、種々物持、山口神祭、然櫟木即木本祭、祀物員山口然其木本山向物忌、然即禰宜内人等戸人夫等、湯鍬造持、諸禰宜内人等、真佐岐蘰為下来、大神御饌所御田到立、酒作物忌忌鍬令採大神御刀代田耕始、即田耕歌、田舞畢、然即諸神田耕始、田耕始、又秋収時、小内人祝部等大神御田抜穂、長楉、御田、即九月祭、酒作物忌父令捧大神宮御倉奏上、三節祭朝御饌夕御饌供奉、
三月例、
宮守護奉宿直人歴名番畢事禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、諸内人六人、戸口三人、中番下番宿直事、並
荒祭宮、月読宮、瀧原宮、伊雑宮四箇宮宿直、正月同、
三日節、新草餅作奉大神宮荒祭宮供奉、然後、禰宜、内人、物忌等酒殿直会被給、
四月例、
宮守護奉直直人歴名番畢事禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、諸内人六人、戸口三人、中番下番宿直事、並
管四宮宿直、正月同、
十四神服織神麻続神部等造奉大神御服供奉時、玉串行事、大神宮司、禰宜、宇治内人等行事、二月月次駅使告刀同、但神服織織女八人、神麻続織女八人、已上女人明衣着、皆悉玉串給、即行列参入、即宮司常例告刀申畢、即持参入、東宝殿奉上、罷出訖就拝奉、二月行事同、荒祭宮御衣奉行事、二月駅使時行事同、
同日以御笠縫内人造奉御簑廿二領、御笠廿二蓋即散奉、大神宮三具、荒祭宮一具、大奈保見神社一具、伊加津知神社一具、風神社一具、瀧祭社一具、月読宮五具、小朝熊社二具、伊雑宮一具、瀧原宮二具、園相社一具、鴨社一具、田辺社一具、蚊野社一具、
五月例、
宮守護奉宿直人歴名番畢事禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、諸内人六人、戸口三人、中番下番宿直事、並
荒祭宮并三箇宮宿直、正月同、
四日、年中祈料赤引調糸二絇、神郡度会郡、
七月一八月卅日祈内人、朝夕、天下百姓五穀平助給祈申、
五日節、菖蒲蓮等供奉、大神荒祭宮、月読宮、瀧原宮、伊雑宮、及諸殿供奉、然則薬御酒、神宮、荒祭宮供奉、然後禰宜、内人、物忌等御厨菖蒲蘰、薬酒直会被給畢、即御厨参向、大饗被給畢時、禰宜、内人等、直会倭舞仕奉正月元旦同、
来六月月次祭禰宜内人等、皆悉大神宮参集、度会河晦大祓供奉、然即御厨饗給之、
六月例、
宮守護奉宿直人歴名、番畢事大神宮禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、諸内人六人、戸口三人、中番下番宿直事、並
荒祭、月読、瀧原、伊雑宮、宿直、正月同、
供奉赤引御調糸三十絇、度会郡所進、卜食大神宮
祭料大神宮司宛奉用物、酒作米十石、神祭料米三石三斗、木綿十斤、供給米廿五石、塩一石、麻廿一斤六両、神酒廿缶、神御贄廿五荷、鉄一廷、六月月次祭行事大神宮司初宛奉神酒料、供給料米請神酒人給料酒造奉、禰宜、宇治大内人、日祈内人、已上三人、己之家養蚕糸一絇備奉、祭告刀申、天下百姓作食五穀、平助給祈申、
十五日夜第二御門御巫内人御琴給、大御事請十六西河原退出之、御巫内人乎志弖即禰宜、内人、物忌等之後家之雑罪事申明解清大祓畢、然即此禰宜、内人、物忌父等引率、正殿院参入、御内浄仕奉畢、山向物忌之天八重佐加岐差立林飾宮之御垣之廻差立林飾之、即此宛納木綿賭掛附、以同日此禰宜、内人、物忌等、湯貴御下宛奉朝大御饌夕大御饌、二時之料御田苅稲以、是禰宜、内人四人、大物忌、物忌父引率、宮司所給明衣服縫服、又木綿蘰多須岐為之、件御饌稲大物忌子請、土師物忌作奉浄御碓、杵、箕持舂備奉之、大物忌竈炊奉、御笥作内人進上御饌笥奉納備進、又禰宜、内人等祭之月十五、退入志摩国神堺雑貝物満生御雑贄漁、志摩国神戸百進上干生贄、及度会郡進上贄、此御笥作内人作進上御贄机置之、忌鍛冶内人之作奉御贄小刀持切備奉、御塩焼物忌之焼備進上御塩会備奉、土師物忌、陶内人作進上御坏奉納満備進、又酒作物忌、清酒作物忌、陶内人作進上御酒缶、酒醸清奉酒、土師陶之御坏、奉納満備進之、此同十六日湯貴御饌祭供奉、又宮守物忌、地祭物忌、及酒作物忌、清酒作物忌等合四人、大物忌、父等如此之同共供奉行事具、同日夜半、人別備満、朝大御饌夕大御饌、禰宜、大内人四人、物忌五人、及物忌子五人、合十四人、常入内供奉、然即於太神御前共列、四度拝奉、手四段拍、又後四度拝奉、手四段拍畢退、十七日平朝御饌引率具備供奉、
又荒祭宮、瀧祭、合二所御饌、其当宮物忌、内人等、此大神宮同日夜、具此禰宜、内人四人引率参入、祭供奉拝奉、行事大神宮同、然其瀧祭之大神宮奈保良比所参入来、同日御食奈保良比、禰宜、大内人、諸物忌、内人等、及物忌父母等、戸人男女等、皆悉参集侍、然即奈保良比御歌仕奉、其歌、佐古久志侶、伊須々乃宮仁、御気立弖、宇都奈留比佐婆、宮毛止々侶爾、次舞歌令仕奉、其歌、毛々志貴乃、意保美也人乃、多乃志美止、宇都奈留比佐婆、美也毛止々侶爾、也、供奉御舞、、内人物忌父等、
斎内親王、十七日午参入坐、川原殿輿留、手輿移坐参入、第三重東殿即西殿女嬬等侍、即大神宮司御蘰木綿参入、正道同重跪、大神侍、即命婦退出受取親王即親王拍手綿蘰、大神宮司復太玉参入、跪同侍、即命婦亦出受取即親王拍手自執参入内玉垣御、就命婦二人従之、即避進前、再拝両段訖、即命婦一人進、太玉、授大物忌即大物忌子受立、瑞垣御門西頭進置畢、即親王就、然後禰宜明衣木綿多須岐左右肩懸、宇治大内人、又装束、即蘰木綿、太玉串捧持、大神宮司跪、手一段拍給、次禰宜同給、宇治大内人同給、已上三人、太玉串給時、人別拍手給、先禰宜左立、次宇治大内人右立、次大神宮司立、次赤曳御調糸諸内人等持立、如是立列参入、御調進、版位ニ丈許就列祈年版位、即大神宮司跪、告刀申畢、即就本宮司之手捧持玉串、宇治大内人立、大神宮司大玉串取侍、即禰宜大物忌父即太玉串給即立御門東頭進置、侍、又宇治大内人立、禰宜太玉串受本坐還侍、即禰宜宮守物忌父太玉串給、即立御門西頭進置、畢本坐返侍、禰宜又地祭物忌即宇治大内人太玉串四枝給、即立御門東頭進置、侍、即宇治大内人太玉串自進御門西頭進置、畢本坐返侍、即禰宜御鎰給、大物忌先率立、内院参入、次大神宮司、次大内人等明曳御調糸参入、然即大物忌父東宝殿御調糸進入畢、即罷出訖、即四段拝奉、八開手拍、短手一段拍拝奉、又更四段拝奉、八開手拍、短手一段拍、即一段拝奉罷出、荒祭四段拝奉、短手二段拍、一段拝奉、短手二段拍、一段拝奉、但内親王不荒祭然畢時、諸司官人等、諸刀禰等、皆悉直会殿付坐、大直会被給畢時、後手一段拍、即大神宮司所司官人等更発第五重参入就坐、即倭舞仕奉、先大神宮司、次禰宜、次大内人、次斎宮主神司、諸司官人等、其舞畢人別直会酒、采女二人侍、御角柏盛人別給、然男官舞畢、即禰宜大内人等妻舞、次斎宮女嬬等舞畢、即禰宜、内人、物忌等禄給、即内親王離宮還坐、
十八日行事、同日辰神宮廻神祭百廿四前、祭料下外幣帛殿神酒二缶、神贄二荷、
右祭、御巫内人、物忌父等四人、共率班祭、
荒祭宮、神酒一缶、神贄一荷、瀧祭神社、酒一缶、贄一荷、月読宮、酒一缶、贄一荷、瀧原宮、酒一缶、贄一荷、伊雑宮、酒一缶、贄一荷、大歳社、一缶、贄一荷、
右所々神祭酒贄等宛班畢、
荒祭宮祭供奉、禰宜、内人、物忌夫妻子皆悉参集、仕奉行事、殿四段拝奉、短手拍、又再拝奉畢、先其宮内人等舞仕奉、次物忌父舞、次禰宜舞、次大内人舞、次諸内人、物忌父等、人別次々舞畢、即後手罷出、
十九日巳瀧祭直会行事、
右祭、荒祭宮直会同、但不
同日未月読宮祭行事、
四神殿、西方二神殿在之中、一殿坐伊佐奈岐尊霊、一殿坐伊佐奈美尊霊、東方二神殿在之中、一殿坐月読神、一殿坐同神荒魂、此先西宮拝奉畢、即退、東方宮向、禰宜告刀申、申畢朝廷幣帛、御馬等、即其宮内人預供奉、但御鎰、同内人持治、亦朝御饌夕御饌、直会人賜、即舞仕奉事、荒祭宮行事同、
廿大歳神社祭行事
右祭、瀧祭神祭直会行事同、
廿三瀧原宮祭供奉行事、
右宮祭、朝御饌夕御饌、朝廷幣帛供奉、告刀申、申畢、即直会被給、舞仕奉、月読宮行事同、
廿五伊雑宮祭供奉行事、
右宮祭朝御饌夕御饌、朝庭幣帛供奉、告刀申、申畢、直会舞等、瀧原宮行事同、
亦佐美長神社一処、御前四社、此三節祭使附大神宮供奉調度合十但御饌稲、伊雑宮稲廿束下宛奉、
右神祭、一事以上、伊雑宮祭同供奉、
管四所神宮宿直行事、
宮別上番、内人一人、戸口夫一人、下番、物忌父一人、戸口夫一人、大神番上十五
奉月次幣使参入、幣帛供進時行事、具如二月月次幣帛供進時行事同、
七月例、
宮守護奉宿直人歴名、番畢事禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、諸内人六人、戸口三人、中番下番宿直事、六月与同、
荒祭宮宿直、内人一人、戸口一人、
司幣祈日申行事、
右禰宜日祈内月一日起尽卅日、朝夕風雨旱災祈申、
八月例、
宮守護奉直人歴名、番畢事禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、諸内人六人、戸口三人、中番、下番宿直事、七月同、
荒祭宮宿直、内人一人、戸口一人、
八月風幣帛絹二丈五尺、麻八斤、木綿八斤、已上禰宜日祈内、為風雨災祈申、
九月祭供奉禰宜、内人等、皆悉参集、大神宮共度会川臨、晦日大祓仕奉、然御厨大饗給、
九月例、
宮守護奉宿直人歴名、番畢事禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、諸内人六人、戸口三人、中番、下番宿直事、並
荒祭宮宿直、内人一人、戸口一人、
供奉料糸壱拾弐絇、大神絹一百七疋二丈、調絹荷前料一百匹、御衣料三匹、五色料一匹、御幌料三疋二丈、御門四、間別五丈、
管四所神宮調荷前絹四匹、荒祭宮一匹、月読宮一匹、瀧原宮一匹、伊雑宮一匹、
大神処々神戸荷前物、
絹二匹、白一赤一、糸三絇、綿五十三屯、神衣料、白布一端、麻六斤、木綿三斤、
已上伊賀、尾張、三河、遠江四箇国神戸供進、
腊魚卅斤、熬海鼠十五斤、塩二石、堅魚廿斤、油六升、海藻根卅斤、鮑八十斤、
伊勢国司供進荷前絹一匹、中男作物、雑魚腊九十斤、祭日料物、酒米十石、神祭料三石三斗、供給料米三十五石、木綿十斤、麻廿六斤、神酒弐拾参缶、伊勢国神戸十五缶、神服織神麻続二缶、度会宮根倉物忌供奉一缶、伊賀国神戸二缶、尾張、三河、遠江三国神戸各一缶、御贄卅七荷、
懸税稲千四百卅七束、之中、細税二百廿束、大半斤百八束、大斤千卅七束、
度会郡九百廿束、多気郡廿束、神麻続百束、大半斤、細税百束、神服織八十束、大半斤、細税八十束、飯野神戸十一束、大半斤十束、細税十把、飯高神戸六束、壱志神戸六束、安濃神戸六束、鈴鹿神戸六束、河曲神戸六束、桑名神戸六束、伊賀神戸六束、細税、尾張神戸廿束、三河神戸十束、遠江神戸廿束、
散用、大神宮千三百七十束、荒祭宮五十束、月読宮卅束、瀧原宮廿束、瀧祭神社十束、小朝熊神社十束、
右当祭之日、盡畢、
鋪設、長茵廿帳、短茵廿帳、麻蓆廿張、麻簀三張、前簀廿張、蒲立薦三張、
以上大神宮、以敷用、
甕一口、瓼二口、陶水真利三具、陶酒杯三具、菓子佐良三具、酒壷三口、食単料調布一端、鉄一廷、忌砥一面、塩五斗、
已上大神宮、以用之、
茵二枚、敷簀二枚、
已上神服麻続二氏神部仕奉、
内人、物衣服絹六十匹、綿五十二屯、
禰宜、大物忌二人賜絹六匹、人別三匹、大内人三人、絹六疋、人別二匹、綿六屯、人別二屯、宮守物忌一人、地祭物忌一人、御塩焼物忌一人、并三人賜絹四疋三丈、人別一匹三丈、綿三屯、人別一屯、大物忌一父一人、清酒作物忌一人、父一人、酒作物忌一人、父一人、宮守物忌父一人地、祭物忌父一人、山向物忌一人、父一人、瀧祭物忌一人、父一人、御塩焼物忌父一人、御笥作内人一人、忌鍛冶内人一人、陶器作内人一人、御笠縫内人一人、日祈内人一人、土師器作物忌一人、父一人、御馬飼内人二人、御巫内人一人、并二十二人賜絹廿二匹、人別一匹、綿廿二屯人別一屯、
荒祭宮内人一人、物忌一人、父一人、并三人賜絹四匹三丈、内人一人二匹、物忌一人一匹三丈、父一人一匹、綿四屯、内人二屯、物忌并父各一屯、
月読宮内人一人、物忌一人、父一人、御巫内人一人、并四人賜絹五疋三丈、内人一人二匹、物忌一人一匹三丈、物忌父一人、御巫内人一人各一匹、綿五屯、内人二屯、物忌一人、父一人、御巫内人一人、各一屯、
伊雑宮内人一人、物忌一人、父一人、并三人賜絹三匹、人別一匹、綿三屯、人別一屯、
瀧原宮内人一人、物忌一人、父一人、并三人賜絹三匹三丈、内人一人三丈、物忌、并父各一匹、綿三屯、人別一屯、禰宜、大内人四人妻賜祭日舞装束料絹五匹、禰宜妻二匹、大内人三人妻三匹、
十四神服織、神麻続神部等、造奉大神御衣服、荒祭宮神御衣服供奉時太玉串、告刀種々行事、四月御衣服供奉同、
神嘗祭供奉行事、
十五先二神郡所々神戸人夫等所進榊、木綿作内人作奉礼留木綿、大神宮司所進木綿宮飾奉畢、志摩国神戸人夫等所進湯貴御贄、又度会郡諸郷百姓等所進雑御贄、禰宜、内人、物忌父等、志摩国与伊勢国神界島村々罷行、漁雑御贄物等、御塩焼物忌焼進御塩等、禰宜、内人等悉進集、自西川原大贄大祓仕奉、幣帛殿進納畢、即奉御
同日夜亥御巫内人第二門、御琴給十六、請天照坐大神、即所教雑罪事禰宜始、内人物忌四人館別、解除清畢、即禰宜、内人、物忌等、皆悉自西方川原集侍、先人別罪事明申畢、即向御巫内人解除、告刀申畢、皆悉率、正殿院参入、掃清奉畢、即罷出之、宇治御田苅抜穂、大物忌、宮守物忌、地祭物忌、荒祭宮物忌、并四人下宛奉、御笥器、忌鍛冶内人作忌小刀、陶内人作奉陶器、土師物忌作奉器、御塩焼物忌焼備奉御塩等、已上種々物忌等下宛奉、又志摩湯貴御贄種々下宛奉、上件器盛満、内院御門持参入、亥時始于丑朝御饌夕御饌二度供奉畢、亦酒作物忌白酒作奉、清酒作物忌、作奉黒酒、並二色御酒大御饌相副供奉畢、次根倉物忌仕奉礼留神酒供奉、即四段拝奉内院御門閇奉、外院罷出、禰宜、内人、物忌等、大直会被給畢、倭舞仕奉畢、歌詠六月祭大御饌歌同、
瀧祭行事、
右祭、大神宮御饌祭同、直会人別給畢、但禰宜、宇治内人新稲酒飯食始、但不舞、
十七日辰時、国々所々神戸人夫等所進神酒、御贄等奉入、次二箇神郡、国々所々神戸所進懸税、神服織神部等 所進懸税、内外重玉垣懸奉畢、
同日午斎内親王参入坐、川原御殿御輿留、手輿坐第四重東殿即大神宮司御蘰木綿捧、向北跪侍、内侍罷出、受奉、即親王手拍受、即内親王自発、内玉垣御門命婦二人従之、即避進前、再拝両段訖、即命婦一人進、太玉授大物忌即大物忌子受立、瑞垣御門西頭進置、即親王本席畢、即山向物忌作奉太玉串、大神宮司給、次禰宜給、次宇治大内人給畢、先禰宜前左立、次宇治大内人右立、次大神宮司、次忌部幣帛捧持立、次御馬、次駅使中臣、次王、次内人等、次斎宮諸司等、但斎宮諸司者、板垣御門内分頭侍、如是立列参入、然第三就訖、一丈許進、忌部大幣帛捧跪侍、即駅使中臣進版位跪、告刀申畢次大神宮司進版位跪、常例祭告刀申畢、宇治内人立、宮司太玉串給、侍、即禰宜大物忌父即太玉串給、即受御門東頭進置、本坐還侍、即宇治大内人立、禰宜捧持玉串受、本坐還侍、禰宜即宮守物忌玉串受御門西頭進置、即本座還侍、禰宜即地祭物忌宇治内人玉串四枝受、御門東頭進置、侍、即宇治大内人太玉自立御門西頭進置、侍、禰宜先立、御鎰大物忌子持、前率立内院参入、次宇治内人、次大神宮司、次大内人、参持物忌部進置朝廷幣帛御馬鞍具、然禰宜殿、幣帛物奉入畢、次織御衣服、此禰宜仕奉織御衣絹二匹、又宇治内人織御衣絹一匹、次大物忌父東幣帛殿御馬鞍具進上畢時、罷出付本訖、即諸刀禰等共四段拝奉、八開手拍、即短手一段拍、一段拝奉、又更四段拝奉、八開手拍、次短手一段拍、一段拝奉畢、即罷出荒祭、四段拝奉、短手一段拍、拝奉畢、但親王荒祭即駅使、斎宮諸司等、皆悉但禰宜、内人等、荒祭宮正殿開、朝廷幣帛、神衣絹一匹進上畢、即還大直会被給畢、後手一段拍、更発第五重御門参入就即進第四重倭舞仕奉、先勅使中臣、次使忌部、次王、次大神宮司、次禰宜、次大内人、次斎宮主神司、次諸司等、其直会酒、采女二人第四御門東方侍、御角柏盛、人別捧給、然男官舞畢、即禰宜大内人等妻舞、次斎宮女嬬等舞畢、即禰宜、内人、物忌等禄賜、即内親王御輿離宮還坐、
十八日已宮廻神祭、酒二缶、贄二荷、瀧祭神社、酒一缶、贄一荷、
荒祭宮、酒一缶、贄一荷、月読宮、酒一缶、贄一荷、瀧原宮、酒一缶、贄一荷、伊雑宮、酒一缶、贄一荷、大歳神社、酒一缶、贄一荷、
同日午荒祭宮祭供奉行事、
六月祭行供奉.、
十九日丑瀧祭行事、
六月祭行供奉、
月読宮祭供奉行事、
右祭荒祭供奉、但神御衣絹一匹、又朝廷幣帛御馬一匹、又糸一絇、供進如件、
廿大歳神社祭行事、
六月供奉、
廿三瀧原宮祭行事、
六月供奉、但神御衣絹一匹、朝廷幣帛糸一絇、並供奉如件、
廿五伊雑宮祭行事、
六月供奉、但神御衣絹一匹、朝廷幣帛糸一絇、並供奉如件、
廿七、班管神社廿四料絹一疋一丈五尺、社別三尺、木綿、麻六月
右神社供奉、禰宜自親即社別進供奉、
朝大御饌夕大御饌御田二町四段、二町大神宮料、四段荒祭宮料、
右御田者、毎年郡司専当、佃苅供進、即禰宜預勘奉御尽、
十月例、
宮守護奉宿直人歴名、番畢事禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、小内人六人、戸口三人、中番、下番宿直事、并
荒祭宮宿直、内人一人、戸口一人、
十一月例、
宮守護奉宿直人歴名、番畢事禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、小内人六人、戸口三人、中番、下番宿直事、并
荒祭宮宿直、内人一人、戸口一人、
十二月祭供奉禰宜、内人等皆悉参集、大神宮共度会川臨晦大祓仕奉、然御厨大饗被給、
十二月例、
宮守護奉宿直人歴名、番畢事禰宜長上、番上宿直人、大内人一人番長、小内人六人、戸口三人、中番、下番宿直事、并
荒祭宮宿直、内人一人、戸口一人、
祭事供奉神酒造奉、諸内人等労供給料米及雑物一事已上、六月祭行同、 
供奉月次幣帛供進行事、二月月次幣供奉行事二月月同、
祭料、酒米拾石、神祭料米三石三斗、供給料米廿五石、塩五斗、木綿十斤、麻廿一斤六両、鉄一廷、神酒廿缶、御贄廿五荷、卅日灯油七升、
奉大神宮即預禰宜、内人等供進、
以前奉 天照坐皇大神儀式、年中三節祭、及年中雑神態、顕注如件、謹解、
延暦廿三年八月廿八日 大内人無位宇治土公礒小紲
禰宜大初位上荒木田神主公成
大神宮司正八位下大中臣朝臣真継

『止由気宮儀式帳』二所太神朝御饌夕御饌供奉行事

二所太神朝御饌夕御饌供奉行事、
御饌殿壱宇、
用物肆種、
調絹弐疋、御幌并二所太神及相殿神御坐料、調布捌端、殿内天井壁代、二所太神及相殿神御坐下敷、并敷布御巾布等料、麻席参枚、二所太神御床土代敷料、并相殿神御坐料、麻簀参枚、二所太神御簀、相殿神簀料、
右件用物、太神宮司、年別九月祭
供膳物、
天照坐皇太神御前、御水四毛比、御飯二八具、御塩四坏、御贄等、
等由気太神御前、御水四毛比、御飯二八具、御塩四坏、御贄等、
相殿神参前、御水六毛比、御飯三八具、御塩六坏、御贄等、
右大物忌父佃奉抜穂御田稲、先穂乎波抜穂、九月神嘗祭八荷供奉、一荷然所遺稲、将来于九月十四御炊物忌、御塩焼物忌焼奉御塩、并志摩国神戸人夫等奉御贄等、御炊物忌大物忌御机副、禰宜、大内人等御前追、御饌殿持登入、大物忌、御炊奉入、日別二度奉、畢時三八遍拝奉罷退、此御膳器造土師物忌、并度会郡徭丁、

『止由気宮儀式帳』新宮奉造時行事并用物事

一新宮奉造時行事用物事、
常限廿箇年一度遷奉新宮造之、造宮使罷来時、二所大神宮拝奉、
次使之充奉用物玖種、官庫之物造宮使行、
鉄陸廷、鍬三口、鋤三口、五色薄絁三丈伍尺、絹壱疋、木綿拾陸斤、麻拾陸斤
右物等新造正殿地鎮料、山口祭、木本祭等料、
紺染幕布肆端、官庫之物、
右正殿隠料、
庸布陸拾段、官庫之物、
右正殿地築平、禰宜内人等妻子等卌人、所所祭、及内人、物忌、工等明衣料、但自余雑物等者、太神宮司
山口神祭、用物、行事如左、
金人形廿口、金鏡廿面、鉾廿柄、大刀廿柄、鎌一柄、奈岐鎌一柄、手斧一柄、小刀一柄、五色薄絁五尺、木綿二斤、麻二斤、庸布四段、大内人一人、菅裁物忌一人、父一人、御巫内人一人、各一
已上雑物官庫之物、
酒一斗、米一斗、雑腊一斗、堅魚二斤、鮑二斤、海菜一斗、塩二升、土師器五十口、陶器五十口、鶏二羽、雄一、雌一、鶏卵十丸、
已上大神宮司
右祭物祭奉、畢時御巫内人告刀申、畢即菅裁物忌、草木苅始、然以後諸役夫等、草苅木切所所山野散遣、然宮造畢時、返祭料物如始、
正殿心柱造大内人一人、諸内人等、戸人等杣、木本祭奉、用物如左、其柱名曰
金人形廿口、金鏡廿面、金鉾廿柄、大刀廿柄、小斧一柄、大斧一柄、奈岐鎌一柄、鎌一柄、立削斧一柄、小刀一柄、鉋一柄、已上物造忌鍛冶内人、木綿二斤、麻二斤、五色薄絁五尺、庸布四段、大内人一人、菅裁物忌一人、父一人、御巫内人一人、并四人、各一
已上官庫物、
米一斗、酒一斗、雑腊一斗、堅魚二斤、鮑二斤、海菜二斗、塩二升、鶏二羽、雄一、雌一、鶏卵十丸、陶器廿口、土師器廿口、
已上物大神宮司
如之祭畢、告刀申御巫内人、
宮処鎮謝之用物、行事如左、
金人形廿口、鏡廿面、鉾廿柄、大刀廿柄、奈岐鎌一柄、鎌一柄、鋤二口、鍬二口、小斧一柄、小刀一柄、五色薄絁一丈、絹壱疋、木綿二斤、麻二斤、
禰宜一人、大物忌一人、並二人絹明衣給、菅裁物忌一人、父一人、並二人明衣庸布二
已上官庫物、
酒二斗、米二斗五升、雑腊二斗五升、堅魚三斤、鮑三斤、海菜二斗五升、塩二升、陶器二十口、土師器二十口、鶏二羽、雄一、雌一、鶏卵二十丸、
已上大神宮司
其祭告刀、菅裁物忌父申、祭供奉所侍、造宮使、中臣、忌部、然祭供奉、畢時菅裁物忌、 宮地草苅始、次 宮地穿始奉、禰宜、大物忌、忌柱立始、然後諸役夫等柱堅奉、
正殿地築平用物、行事如左、
庸布卌段、官庫之物、
禰宜、内人、妻子総卌男廿人、女廿人、
爾時役夫卜合地正殿地持運置、禰宜、内人等築平詠儛、然後日挙正殿隠奉、
御船代大内人、諸内人等戸人山口祭用物、行事如左、
金人形十口、鏡十面、鉾十柄、大刀十柄、鎌一柄、奈岐鎌一柄、乃未一柄、乃保岐利一柄、鉋一柄、立削斧一柄、小刀一柄、小斧一柄、五色薄絁五尺、木綿一斤、麻一斤、庸布五段、大内人一人、菅裁物忌一人、父一人、御巫内人一人、工一人、并五人明衣料、各一
已上官庫物、
酒五升、米五升、雑腊五升、堅魚一斤、鮑一斤、雑海菜一斗、塩一升、鶏二羽、雄一、雌一、雌卵五丸、陶器十口、土師器十口、
已上大神宮
祭畢、告刀申御巫内人、
木本祭用物、行事如左、
金人形十口、鏡十面、鉾十柄、大刀十柄、小刀一柄、鎌一柄、奈岐鎌一柄、乃未一柄、乃保岐利一柄、小斧一柄、大斧二柄、立削斧一柄、鉋一柄、木綿一斤、麻一斤、五色薄絁五尺、
已上官庫之物、
酒五升、米五升、腊五升、堅魚一斤、鮑一斤、雑海菜一斗、塩一升、陶器十口、土師器十口、
已上太神宮
如之祭告刀申御巫内人、畢時菅裁物忌先 木本苅始、然後役夫等切造、
奉造物、
正体御船代壱具、長六尺、広二尺四寸、御坐壱基、高一尺、径七寸、相殿神御船代弐具、長四尺、広一尺五寸、高宮神御船代壱具、長四尺、広一尺五寸、
庭造工二人給明衣料、庸布二段、各一段、官庫之物、
高宮地鎮祭用物、并行事如左、
金人形十口、鏡十面、鉾十柄、大刀十柄、奈岐鎌一柄、鎌一柄、鋤一柄、鍬一柄、小刀一柄、木綿一斤、麻一斤、五色薄絁五尺、庸布二段、高宮物忌一人、父一人、明衣料各一
已上官庫之物、
酒五升、米五升、腊五升、海菜一斗、塩一升、堅魚一斤、鮑一斤、陶器十口、土師器十口、鶏二羽、雄一、雌一、鶏卵十丸、
已上太神宮
右祭告刀申物忌父、然後即後鎮物如始、
忌鍛冶内人給明衣料、庸布一段、種々金物造仕奉明衣、官庫之物、
宮造使奉物、
御琴壱隻、灯提伍具、御調納辛櫃壱合、御鎰納櫃壱合、幣帛机弐具、御床肆具、大宮料三具、高宮料一具、天井壱条、平釘壱佰伍拾隻、短御床弐具、御饌殿奉机弐具、已上二種物御饌殿用物、
正殿造奉時、東西妻鏡形穿奉始、菅裁物忌父、若其人遭、禰宜穿始奉、
宮造奉畢、次返祭、并山口祭仕奉用物如始、
然天平瓮宮柱并諸木本別置、員弐仟余口、造多気郡宇弐郷人夫等、

『止由気宮儀式帳』職掌禰宜内人物忌事

合弐拾壱人、禰宜一人、大内人三人、物忌六人、物忌父六人、小内人五人、
惣戸壱拾五烟、度会
率連供奉戸人玖拾余人、中男已上、
禰宜、正六位上神主五月麿、長上、
右人行事、補任日、正八位後家之雑罪祓浄、他人火物不食、見目聞耳言語忌敬、宮内供奉、并雑行事管掌、諸内人物忌等木綿手次懸、三節祭并時々幣帛使参入時、太玉串捧持斎敬仕奉、亦諸物忌二所太神宮大御饌、夕大御饌、日別斎敬又所管神社廿四社祭諸内人祝毎年三度祭仕奉、又諸内人宮守護宿直仕奉、又諸内人聖朝庭常磐堅磐大御天下令祈申、又九月祭大御衣弐疋儲、正殿奉上、此度会郡調先糸織奉、
大内人、无位神主御受、
大内人、无位神主牛主、
大内人、无位神主山代、
右三人行事、任日、後家雑罪祓浄、見目聞耳言語忌諸小内人毎月十日宮守護宿直仕奉、又小内人物忌大御饌、夕大御饌番別催供奉、又三節祭雑行事、并副斎敬供奉、又時時幣帛使参入時、忌部奉置幣帛待受、内院持参入弖、正殿戸辺奉置、
大物忌、无位神主岡成女、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄、他人火物不食、宮大垣内造、不宮侍、抜穂御田稲、御炊物忌、御塩焼物忌焼仕奉御塩、志摩国神戸人夫進御贄土師物忌造儲備奉雑器盛奉木綿手次前垂懸、天押比蒙、洗手不二所大神朝大御饌夕大御饌、日別斎敬供奉、又三節祭并時時幣帛使参入時、諸物忌第二御門斎敬侍、
父、无位神主諸公、
右人行事、共副、雑行事斎敬仕奉、又御炊殿造改掃浄仕奉、又毎年抜穂御田于秋斎敬佃奉、又御炊殿御薪毎日奉進、又毎月十箇宮守護宿直仕奉、又三節祭湯貴、御簀編備奉進、又三節祭、并時時幣帛使参入時、太神宮司、并禰宜捧持在太玉串受取、第二御門内奉進、
御炊物忌、无位神主河刀自女、
右人行事、卜定任日始後家雑罪事祓浄造、大物忌父佃奉礼留抜穂御田稲、舂奉炊奉、御塩焼物忌焼奉礼留御塩、并志摩国神戸人夫進御贄、種種儲備奉、頂持大物共副、朝御饌夕御饌、毎日斎敬供奉、又三節祭、并時時幣帛使参入時、第二御門大物共斎敬侍、
父、无位神主乙麿、
右人行事、共副、御饌御前追仕奉、又大御饌供奉御枚手五十六枚、日別奉進、又御井掃浄奉、又御井御炊殿往還間道百廿丈、橋十五丈、此月毎修理掃浄仕奉、又三節祭湯貴進御筥卅具造奉、祭別十具、又湯貴進御枚手合一千二百六十枚奉進、祭別四百廿枚、又湯貴供奉御箸造儲奉進、又月別十箇日宮守護宿直仕奉、
御塩焼物忌、无位神主乙継女、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄造、即御塩殿奉、御塩焼儲、朝大御饌夕大御饌日毎供奉、又三節祭時、湯貴御塩焼儲備供奉、又三節祭并時時幣帛使参入時、第二御門大物共忌敬侍、
父、无位神主虫麿、
右人行事、共副仕奉、又御塩山木御塩殿切運、荒塩焼儲、御塩堝作儲、物忌、朝御饌夕御饌日別奉進、又浜之御塩焼殿、并廻垣修理掃浄仕奉、又月別十箇日宮守護宿直仕奉、
菅裁物忌、无位神主末刀自女、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄造、年別春始、二所大神宮大御饌処佃奉、抜穂御田佃始奉時、禰宜菅裁物忌、并諸内人等湯鍬山参上時、山口祭仕奉、其祭物、金人形廿口、鉾廿柄、鏡廿面、木綿、麻、雑贄、海菜、酒等以、祭仕奉、了時告刀申御巫内人、祭了、即深山登、櫟木本到、木本祭供奉物山口其告刀申菅裁物忌父、申畢時、菅裁物忌浄斧以其木切始、然後禰宜内人等戸人夫等、祭時共起一時令、湯鍬造持、真佐支人別給、菅裁物忌前率立、諸禰宜内人等立下来二所太神御饌処御田下立、先菅裁物忌湯鍬持、東向耕佃、湯草湯種下始、然了時、諸内人等戸人夫以、令耕殖即菅裁物忌父田舞仕奉、次大物忌父、次小内人等舞畢、然即禰宜内人等皆悉集侍、大直会被給、然畢時、更菅裁物忌父田舞仕奉、次諸小内人等舞、然即菅裁物忌父年始吉事詔、歳実蘰給畢、皆悉罷去、然後禰宜、内人、物忌、并諸百姓等、私田耕始之、又新宮造奉時、宮処草木苅裁始、又野山草苅裁始、又新宮正殿鏡形穿始、又三節祭時、并時時幣帛使参入時、大物共、第二御門斎敬侍、
父、无位神主長麿、
右人行事、共副、雑行事斎敬仕奉、又三節祭、并時時幣帛使参入時、太玉串造仕奉、又月別十箇日宮守護宿直仕奉、
根倉物忌、无位石部稲依女、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄、年別始、忌敬根倉御刀代御田佃奉、其御田稲神酒造奉、九月神嘗祭二所太神湯貴大御饌仕奉、宮別一缶、又三節祭、并時時幣帛使参入時、大物共、忌斎敬侍、
父、无位石部吉縄、
右人行事、共副斎敬仕奉、又根倉社二所神殿造修理祓浄奉、年別祭供奉、年中六度、又十箇日宮守護宿直仕奉、
高宮物忌、无位神主末刀自女、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄造、御刀代田于秋佃奉、其稲舂炊奉、御塩焼物忌焼備奉御塩以、朝御饌夕御饌、毎月六度供奉、高宮、又三節祭湯貴御饌供奉、又三節祭、并時時幣帛使参入時、大物共、第二御門斎敬侍、
父、无位神主夫献、
右人行事、共副、雑行事仕奉、又御田代田春始于秋、斎敬佃奉、高宮朝御饌夕御饌供奉、又御炊殿、并廻垣、毎月修理清浄仕奉、又毎月十箇日宮守護宿直仕奉、
御巫内人、外従八位上石部老麿、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄、毎年三節祭仕奉時、湯貴御贄祓浄仕奉、又朝御饌夕御饌供奉御井、并高宮御井神祭告刀申、年中六度、又大物忌父佃奉抜穂御田神祭告刀申、年中三度、又御酒殿始、宮廻神総二百余前祭仕奉、年中三度、又禰宜、内人、物忌等忌庤晦別祓浄之、又三節祭供奉時、禰宜、内人、物忌等庤祓浄之、又正殿掃浄奉牟土已天、先諸内人等身罪祓浄之、又十箇宮守護宿直仕奉、
木綿作内人、无位石部浄人、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄、三節祭供奉木綿作儲二所太神宮奉進、惣二千二百五十枚、太神宮一千二百枚、度会宮一千五百枚、祭別三百五十枚、十箇宮護護宿直仕奉、
忌鍛冶内人、无位敢石部広名、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄、三節祭供奉御贄作奉浄小刀、并金御箸作奉、祭毎小刀三柄、御箸四口、又高宮湯貴御贄作奉浄小刀、并御箸造仕奉、祭別小刀一柄、御箸二口、又年別菅裁物忌、春始湯鍬山参上時、湯鍬木切始忌斧、并山口祭木本祭用雑金物作仕奉、金人形廿口、鉾廿柄、鏡廿面、鍬一口、斧一口、又大物忌御歳木切始時忌斧一口作仕奉、又新宮造奉時、所所祭用金物作仕奉、又十箇宮守護宿直仕奉、
御馬飼内人、无位神主豊継、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄、常板立御馬弐疋、此己戸人夫并多気郡司貢上飼仕奉、又三節祭行事、他内人共仕奉、又三節祭、并年祈幣帛使御馬奉時、御馬口曳仕奉、又十箇宮守護宿直仕奉、
御馬縫内人、无位石部宇麿、
右人行事、卜定任日、後家雑罪事祓浄、大神御笠、御䒾、高宮御笠、御䒾、并所管神社廿四所神御笠御䒾作儲、毎年四月十四日奉進、又三節祭雑行事、他内人共仕奉、又十箇宮守護宿直仕奉、

『止由気宮儀式帳』三節祭等并年中行事月記事

一三節祭等并年中行事月記事、
正月例、
朔日卯禰宜、内人、物忌等、皆悉参集、神宮拝奉、南御門次高宮拝奉、遥拝、次御酒殿拝奉、然即白散御酒供奉、次禰宜、内人等直会酒被給畢、即皆悉御厨参向、即大神宮司二所大神宮禰宜、内人、并二箇郡司及諸刀禰二所大神宮拝奉、次朝廷拝奉畢、即御厨大饗給、給畢時、禰宜内人等、大直会倭儛仕奉、先禰宜、次大内人、服織麻読神部、次郡司等、宮守護奉宿直人夫歴名大神宮申、番長大内人等、上番宿直人十六人、禰宜一人長上、大内人一人番長、小内人三人、戸口八人、
高官宿直人三人、小内人一人、戸口二人、
中番下番宿直事、
向斎奉内親之畢、即大饗給、給畢時禄給、禰宜御衣一大内人三人各調布一端、御衣一領、小内人十一人、各糸一絇、給了時、各大神宮宿所還之、
先卯神宮并高宮奉進、大神宮八枚、高宮四枚、
新蔬菜羮作奉、二所太神宮供奉、御饌殿、
十五御粥作奉、二所太神宮供奉、御饌殿、
禰宜内人等御薪木八十荷奉進、
右三箇日節毎供奉禰宜、内人、物忌等直会被給、
二月例、
宮守護奉宿直人歴名大神宮申、番長大内人
上番宿直人十六人、禰宜一人長上、大内人一人番長、小内人三人、戸口八人、
高宮宿直人三人、小内人一人、戸口二人、
中番下番宿直事、
年祈幣帛使参入、幣帛進時行事、
幣帛使太神宮共、神宮下院参入来、爾時即禰宜、内人等玉串所候侍、菅裁物忌父造奉太玉串、禰宜捧太神宮司給、短手一段拍受取、禰宜共同被給、即発、先前禰宜立、次太神宮司、次幣帛捧持大内人、次御馬飼内人次駅使、次諸内人等、如此立列参入、太神宮司、禰宜、正道並双分頭跪侍、使中臣東方石畳跪侍、物忌者等第二御門西方向侍、大内人、小内人、物忌父等、西御門内方進、向列跪侍、即太神宮司、上版告刀申、申了時、大物忌父発、太神宮司、禰宜捧持大玉串受取、第二御門奉置、先太神宮司東方、次禰宜西方、然即四段拝奉、短手二段拍、一段拝奉、又更四段拝奉、短手二段拍、一段拝奉了、即罷出四段拝奉、短手二段拍了、即使并太神宮司、外直会殿就坐、即短手二段拍、給了時、後手一段拍罷出、即内宮参入、
時時勅幣帛使参入、幣帛奉進行事、月次幣帛進時行事同、但幣帛物等、正殿開奉進入、
月内所管諸神社十六処、并宮廻神二百余所、御并二所神、御田神、所所小社九処神春年祈祭供奉、年二月上禰宜内人等勘校共供、供奉用物四種、絹五丈一尺、木綿四斤、麻十斤、鉄一廷、
先子二所太神朝御饌夕御饌供奉、御田種下如行事、
禰宜内人等、菅裁物湯鍬山参登、爾時忌鍛冶内人造奉金人形、鏡、鉾、并種種物持、山口神祭、然櫟木祭奉、祀物山口、然其木本菅裁物忌切始、然即禰宜内人等戸人夫等令切、湯鍬造持、諸禰宜、内人等真佐支蘰為、自下来弖、二所太神御饌所御田致立、先菅裁物忌、湯鍬以耕始、湯種下始、然即其御田耕作殖了、即諸内人等田儛仕奉、直会被給、然後、禰宜、内人等、各私種下始、次諸百姓等種下始、
太神宮司進春菜舂料塩弐
三月例、
宮守護奉宿直人歴名太神宮番長大内人等、
上番宿直人十六人、禰宜一人長上、大内人一人番長、小内人三人、戸人八人、
高宮宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事、
三日節、新草餅作奉二所大神供奉、御饌殿、然後、禰宜、内人、物忌等直会被給、
于十禰宜内人等皆悉集侍、正殿院内生草不掃浄奉、
四月例、
宮守護奉宿直人歴名大神宮番長大内人、
上番宿直人十八人、禰宜一人長上、大内人三人番長一人、祭月内各一日不仕奉、小内人三人、戸人八人、
高宮守護奉宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事、
十四御笠縫内人作奉礼留御笠御䒾奉-始大神宮次諸所管神社廿四処奉進、
五月例、
宮守護奉宿直人歴名大神宮番長大内人等
上番宿直人十六人、禰宜一人長上、大内人一人番長大内人等、小内人三人、戸人八人、
高宮宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事、
五日節、菖蒲并蓬等、神宮并高宮及諸殿供奉、然即薬御酒神宮供奉、然後禰宜、内人、物忌等菖蒲蘰被給即薬酒直会被給了、即御厨参向、大饗被給了時、禰宜、内人等直会倭儛仕奉、先禰宜、次大内人、次服織麻読神部、次郡司等、
月内禰宜、内人等、養蚕糸先神宮、并高宮、及宮廻神奉進、次所管諸神社夏祭供奉、禰宜、内人等供奉、
郡内人夫所進年祈料、明曳糸壱絇捧持、天下百姓佃食五穀平慈部度禰宜告刀申供奉、
将来六月月次祭禰宜、内人等、皆悉大神宮司共祭集度会晦大祓仕奉、然即御厨大饗給、
六月例、
宮守護奉宿直人歴名大神宮番長大内人、
上番宿直人十八人、禰宜一人長上、大内人三人番長大内人一人、祭月各一日不仕奉、小内人三人、戸人八人、
高宮守護奉宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事、
六月月次祭太神宮司宛奉雑用物、
酒米拾斛、神祭料米貮斛、供給料米廿伍斛、塩壱斛、麻拾斤、木綿肆斤、神酒拾弐缶、鉄壱廷、炭六籠、
十五先所所神戸人夫、并二箇神郡郷々人夫等所進榊、木綿作内人作奉礼留木綿、并太神宮司所進木綿、宮飾奉了、然即而志摩国神戸人夫等所進雑御贄、又度会郡郷郷所進御贄、又禰宜内人等戸人夫志摩国伊勢神堺島島罷行仕奉礼留雑御贄、又御塩焼物忌仕奉礼留御塩等所進了時、禰宜内人等、皆悉自宮北河原罷出大贄米乃大祓仕奉、然湯貴備奉所持参入、然所所神分奉、大物忌父、御炊物忌父、御巫内人等、御井参向祭仕奉、了更内院御門持参入、御炊物忌父造奉御筥、并陶土師内人等造奉礼留盛満于丑大御饌夕大御饌二度間置供奉、、次大物忌父佃奉礼留抜穂御田稲火无浄酒造奉供奉、次大神宮司所宛奉二箇神郡人夫所進庸米、火向神酒造奉仕奉了、即四段拝奉、然罷出外院侍、禰宜、内人、物忌等直会被給、此時、禰宜、大物忌新年中物食始、
十六日国国処処神戸人夫等所進神酒、并御贄等進入、次斎内親王参入坐、板垣御、御興留、手輿移坐、参入坐中重殿即大神宮司、御鬘木綿、并太玉串捧持、第三御門内候、即命婦罷出、其御鬘木綿、并太玉串受取、内親王御在所持参入候侍、爾時内親王御鬘木綿奉発、内重御門参入坐、就坐、然即命婦捧持太玉串受取給、捧持四段拝奉然即還出給-奉御爾時即菅裁物忌父造奉太玉串、禰宜捧大神宮司給、司短手一段拍受、次禰宜共被給、共発列立、先禰宜立、次大神宮司、次多気度会二箇神郡所進明曳調糸、内人等持立、如是立列参入太神宮司、并禰宜正道跪侍、大物忌諸物忌等率、第二御門西方侍、内人、物忌父等、西玉垣御門内方列、東方向跪侍、斎宮諸司等、第三御門東西分頭跪侍、爾時大神宮司、上版祭告刀申、畢即大物忌父発、大神宮司并禰宜二人所捧持太玉串受取、第二御門内方進置、先太神宮司東、次禰宜持西方、即禰宜発、御鎰所給、大物忌先率立、内院参入、次大神宮司、次大内人三人明曳御調糸持参入、然大神宮司内院御門内跪侍、禰宜東宝殿御調糸進入員卅絇、入廿八高宮御料分二絇、奉入畢即罷出、先大神宮司、次禰宜、次大物忌、次大内人等、然本版即諸刀禰宜等共発、四段拝奉、八開手拍、次短手一段拍、一段拝奉、又更四段拝奉、八開手拍、次短手一段拍、一段拝奉、然罷出、先太神宮司、次禰宜、次内人等、然四段拝奉、短手二段拍、一段拝奉、但内親王不然了時、諸司人等并諸刀禰等、皆悉直会殿就座、大直短手二段拍、先始初太神宮司、次斎宮諸司官人已上司、次諸刀禰等、被給了時、後手一段拍、即二箇郡歌人、歌女等発、板垣御門内西方侍、先御饌歌仕奉、次伊勢歌、次舞歌仕奉、然太神宮司、諸司官人等更発、第三御門参入就即倭舞仕奉、先大神宮司、次禰宜、次大内人、次斎宮主神司、次諸司官人等、其舞直会酒、采女二人侍、御角柏盛、人別捧給、若斎宮不時、禰宜内人等妻子仕奉、然男官舞了即、禰宜大内人等妻舞、次斎宮采女五節舞了、即禰宜、内人、物忌等禄給、禰宜、大物忌、女舞人、各御衣一領給、小物忌五人各綿一大内人三人各調布一給了、即内親王離宮還坐、然後禰宜、内人等御酒殿院侍、後直会仕奉、
十七高宮祭供奉、告刀申物忌父、又禰宜、内人等妻子、皆悉参集拝仕奉、然即大饗直会被給、其直会人給飯者、宮炊諸内人、并刀禰等給、又禰宜、大内人等妻子各熟食備、人別被給、了時倭舞仕奉、先高宮物忌父、次禰宜、次大内人三人、次小内人等、次諸刀禰等仕奉了、即更宮地神酒一缶供奉、了即禰宜、内人、物忌、諸刀禰等、直会被給、
十八月夜見神祭供奉、禰宜、内人等参集、率供奉、其直会料米者、祝受参集禰宜、内人并諸刀禰等給、
六月月次幣帛使参入、幣帛奉進時行事二月月次幣帛進奉時同行事、
七月例、
宮守護宿直人歴名、大神宮番長大内人等、
上番宿直人十六人、禰宜一人長上、大内人一人番長、小内人三人、戸人八人、
高宮宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事、
八月例、
宮守護宿直人歴名、大神宮番長大内人等、
上番宿直人十六人、禰宜一人長上、大内人一人番長、小内人三人、戸人八人、
高宮宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事
八月幣帛、絹一丈五尺、木綿一斤、麻一斤、
将来九月祭禰宜内人等、皆悉大神宮司共参集、度会晦大祓仕奉、然御厨大饗給、
九月例、
宮守護宿直人歴名、大神宮番長大内人等、
上番宿直人十八人、禰宜一人長上、大内人三人番長一人、祭月各一日不仕奉、小内人三人、戸人八人、
高宮宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事
神嘗祭大神宮司所宛奉雑用物、
絹弐疋、調布捌端、麻蓆参枚、麻簀参枚、已上御饌殿飾奉料用物、
御門御幌料絹弐疋参丈、御衣料絹弐疋、五色料絹壱疋、高宮御衣料絹壱疋、
所管諸神社幣帛料絹伍丈壱尺、
御酒料米拾斛、神祭料米弐斛、供給料米参拾伍斛、木綿肆斤、麻拾斤、鉄壱廷、忌砥壱面、炭二斛、塩壱斛、神酒拾弐缶、敷布料調布壱端、長茵弐拾枚、短茵弐拾枚、縄薦参枚、麻簀三枚、前簀廿枚、蒲立薦三枚、端裏茵二枚、陶水真利参具、陶酒坏参具、菓子佐良参具、葦簀四枚、麻莚四枚、酒壺参口、甕二口、神酒拾壱缶、
懸税稲陸佰染拾束、伊勢国神戸六百十束、伊賀、尾張、三河、遠江四国神戸六十束、
十三多気度会二箇神郡、国国処処神戸人夫常所進御調荷前絹奉進敷伍拾疋、上東宝殿其行事、二月月次幣帛進時行事同、但見奉入絹卌八疋、高宮御料分二疋、
禰宜、内人、物衣服絹弐拾玖疋参丈、綿弐拾漆屯、
禰宜絹三疋、綿三大内人三人、大物忌一人、并四人絹八疋、人別二疋、綿八人別二屯、御炊物忌一人、御塩焼物忌一人、高宮物忌一人、根倉物忌一人、菅裁物忌一人、并五人絹七疋三丈、人別一疋三丈、綿五人別一屯、大物忌父一人、御炊物忌父一人、御塩焼物忌父一人、菅裁物忌父一人、根倉物忌父一人、高宮物忌父一人、木綿作内人一人、御巫内人一人、忌鍛冶内人一人、御笠縫内人一人、御馬飼内人一人、并十一人絹十一疋、人別一疋、綿十一人別一屯
禰宜并物忌稲佰玖拾捌束参把弐分、
禰宜一人、四月、六月、合五十九箇日食料稲廿三束六把、日別四枚、大物忌一人、御炊物忌一人、御塩焼物忌一人、并参人、正月一十二月卅食料稲、百七十四束七把二分、人別日一把六分、
大神宮司奉進、伊賀、尾張、三河、遠江、志摩等国神戸人夫所進御調荷前物、
絹弐疋、糸弐絇、綿伍拾二屯、荒太倍壱端、木綿弐斤、麻伍斤、雑腊弐拾斤、塩肆斛、熬海鼠拾斤、耽羅鮑弐拾斤、堅魚拾伍斤、海藻根弐拾五斤、
神服織神部等奉進物陸種、
神酒壱缶、御贄壱荷、懸税大半稲肆拾束、細税稲肆拾束、茵壱枚、下敷簀壱枚、
神麻読神部等奉進物陸種、
神酒壱缶、御贄壱荷、懸税大半稲肆拾束、細税稲捌拾把、茵壱枚、下敷簀壱枚、
又神嘗祭供奉行事、
十五先所所神戸人夫、并二箇神郡郷郷人夫等所進榊、木綿作内人作仕奉礼留木綿、并大神宮司所宛奉木綿宮飾奉、然志摩国神戸人夫等所進新御贄、又度会郡郷郷人夫所進雑御贄、又禰宜内人等戸人夫志摩国伊勢神境島島罷行仕奉礼留雑御贄、又御塩焼物忌仕奉礼留御塩等所進了時、即禰宜内人等、皆悉自宮北河大贄米乃大祓仕奉湯貴物備儲奉所持参入、所所枝神分奉、大物忌父、御炊物忌父、御巫内人等、御井参向祭仕奉、了更内院御門持参入、御炊物忌父造奉礼留御筥、并陶土師内人等造奉礼留盛満于丑大御饌、夕大御饌二度間置供奉、次大物忌父細奉礼留抜穂御田稲、火無浄酒造奉供奉、次大神宮二箇神郡人夫所進庸米、火向神酒造奉供奉、次根倉物忌作仕奉礼留神酒仕奉了、即四段拝奉外院罷出、禰宜、内人、物忌等大直会被給、此時、禰宜、大物忌二人新年飯酒食始、
十六日国国処処神戸人夫等所仕奉神酒、并御贄等奉入、次二箇神郡国国処処神戸所進懸税稲、千税余八百税懸奉、其奉時、禰宜太玉串捧持、懸税先立参入、次大内人、大物忌父等抜穂稲八荷持立、次小内人等、并戸人夫等、懸税稲百八十荷持参入、抜穂稲乎皮内院持参入、正殿下奉置、懸税稲乎波玉垣懸奉、爾時斎内親王参入坐、板垣御、御輿留、手輿移坐参入坐、中重殿即大神宮司御蘰木綿、并太玉串捧持、第三御門内候、即命婦罷出、其御蘰木綿、并太玉串受取、内親王御在所持参入候侍、爾時内親王御蘰木綿奉発、内重御門参入坐座、即命婦捧持太玉串受取給、捧持四段拝奉、然即還罷出給本御爾時菅裁物忌父造仕奉太玉串、禰宜捧、大神宮司給、司短手一段拍受、次禰宜共発列立、先禰宜、次大神宮司、次忌部立、次御馬、次使中臣、次使王、次内人等、次斎宮諸司等、如是立烈列参入、然正道石立双分頭跪侍、東一使王、次中臣、次大神宮司、次禰宜等、大物忌諸物忌第二御門西方列侍、大内人、幷物忌父、小内人等、西玉垣御門内東向列跪侍、斎宮諸司等、第三御門東西分頭跪侍、爾時使中臣上版幣帛告刀申、了退就列侍、次大神宮司上版祭告刀申、申了、即大物忌父発、太神宮司并禰宜捧持太玉串受取、第二御門内進置、先大神宮司東方、次禰宜持西方、然即禰宜発、御鎰被給、大物忌前率立、内院参入、次大神宮司、次大内人等参入、此大内人等持参入勅朝庭奉進幣帛一筥、絹一疋、糸一絇、又大神宮司進御衣料絹二疋、五色料絹一疋、禰宜織奉織大御衣絹二疋、又御馬鞍一具受、太神宮司内院御門内跪侍、禰宜正殿開奉、件幣帛進入、大内人西宝殿開、馬鞍調度進上、畢即殿罷出、先大神宮司、次禰宜、次大物忌、次大内人等、皆悉罷出本版即諸刀禰等共発、四度拝奉、八開手拍、次短手一段拍、一段拝奉、又更四段拝奉、八開手拍、次短手一段拍、一段拝奉、畢即罷出、先使王、次中臣、次忌部、次大神宮司、次禰宜、次大内人等、如是罷出、高宮四段拝奉、短手二段拍、一段拝奉、但内親王不畢即駅使并斎宮諸司至于諸司番皆悉直会殿大直先短手二段、先大神宮司、并斎宮主神司、次駅使已下、斎宮諸司已上、次諸司番上已上、并諸刀禰等、被給畢時、後手一段拍、爾時二箇郡歌人、歌女等、板垣内西方参入、先御饌歌仕奉、次伊勢歌、次舞歌仕奉、然更大神宮司、駅使斎宮諸司官人等発、第三御門参入就坐、即倭舞仕奉、先幣帛使中臣舞、次忌部、次使王、次大神宮司、次禰宜、次大内人、次斎宮主神司、次諸司官人等、其直会酒采女二人東方、御角柏、舞了人別捧給、但斎王不時禰宜内人等妻子仕奉、然男官舞了時、禰宜内人等妻舞、次斎宮采女等五節舞了、即禰宜、内人、物忌禄給、禰宜、大物忌、舞女、并三人、各御衣一領、大内人三人、各調布一端、小物忌五人、各綿一屯、給畢、即内内親王御輿、離宮還坐、然夕時、更禰宜内人等、御酒殿院侍、後直会仕奉、
十七高宮祭供奉、告刀申物忌父、然禰宜、内人当妻子、皆悉参集拝仕奉、然即直会被給、其直会人給飯宮炊給、又禰宜内人等妻子等各熟食備、人別被給、了即倭舞仕奉、先高宮物忌父、次禰宜、次大内人、次小内人等、次諸刀禰等仕奉、了即更大宮地神、湯貴神酒一缶供奉、了即禰宜、内人、物忌等、并諸刀禰等大直会被給、
十八月夜見神祭仕奉、禰宜、内人等、皆悉参集、率仕奉、其直会料米者、祝受熟食作、参集禰宜、内人、并諸刀禰等給、
月内所管社神、及宮廻神、御田神、処処枝神祭仕奉、禰宜、内人等巡勘共供奉、但諸社告刀祝申、宮廻神、御田神、処処枝神、御巫内人告刀申
用物参種、絹五丈壱尺、木綿肆斤、麻拾斤、
十月例、
宮守護奉宿直人歴名大神宮番長大内人、
上番宿直人十六人、禰宜一人長上、大内人一人番長、小内人三人、戸人八人、
高宮宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事、
伊勢国奉進中男作物、荷前物雑魚腊供奉、
十一月例、
宮守護奉宿直人歴名大神宮番長大内人等、
上番宿直人十六人、禰宜一人長上、大内人一人番長、小内人三人、戸人八人、
高宮宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事
将来十二月月次祭禰宜、内人等、大神宮司共度会晦大祓仕奉、然御厨大饗被給、
十二月例、
宮守護奉宿直人歴名大宮番長大内人等、
上番宿直人十八人、禰宜一人長上、大内人三人番長一人、祭日各一日不仕奉、小内人三人、戸人八人、
高宮宿直人三人、小内人一人、戸人二人、
中番下番宿直事、
十二月祭用物、
木綿肆斤、麻拾斤、鉄壱廷、塩壱斛、神酒拾弐缶、御酒米拾斛、神祭料并供給料米弐拾漆斛、
十二月祭供奉行事、同六月祭行月次幣帛使参入、幣帛進奉行事、同二月祈年使参入行
大神宮司油伍升以、-油-奉内院并諸
以前度会等由気太神宮儀式并禰宜、内人、物忌等、年中種種行事、録顕進上如件、、謹解、
延暦廿三年三月十四日
                           内人无位神主山代
禰宜正六位上神主五月麿                内人无位神主御受
                           内人无位神主牛主
太神宮司正八位下大中臣朝臣真継
神祇官検
従四位上行伯兼右京大夫勲十一等多治比真人
                 正六位上行大祐忌部宿禰比良麿
大副従五位下大中臣朝臣      従六位上行少祐多朝臣総名
従六位上守少副大中臣朝臣    正六位上行大史忌部飛鳥田首野守
                 正七位上行大史忌部伊勢朝臣

『令集解』7(神祇令) 天神地祇条(凡天神地祇者神祇官皆依常典祭之)

謂、天神者、伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神等類是也、地祇者、大神、大倭、葛木鴨、出雲大汝神等類是也、常典者、此令所載祭祀事条是也、釈無也、大汝以上、古記亦無也、穴云、祭、謂四季所祠、及祭之調度、備儲、大嘗毎世毎年等、之常也、若調度斎日等、違失者、此神祇祭祀、也、其大宰主神神祇其祭可但天皇即位、惣天神地時、皆也、跡云、常典、謂以下、季冬以上、是之、朱云、皆祭、謂社皆約此、-給幣者、但神祇官之不諸国社者、不耳、

『令集解』7(神祇令) 孟夏条(神衣祭)

謂、伊勢神宮祭也、此神服部等、斎戒潔清、参河赤引神調-又麻績連等、績敷和釈云、伊勢大神祭也、其国有神服部等、斎戒浄清、以三河赤引調御衣織作、又麻績連等、麻績而敷和御衣織奉祭之神服部在右、麻績在也、敷和者、宇都波多也、此常祭也、古記無別、

『令集解』7(神祇令) 季秋条(神衣祭)

釈云、孟夏幣帛使五位已

『令集解』7(神祇令) 季秋条(神嘗祭)

釈云、即神嘗祭、謂神衣祭日饌食等具祭、宇奈太利、村屋、住吉、津守、古記無別、

『令集解』7(神祇令) 常祀条(卜食)

釈云、尚書曰、卜惟食洛注云、卜先必墨画亀、然後灼之、兆順食也、

『令集解』7(神祇令) 常祀条(唯伊勢神宮常祀亦同)

朱云、未知、常祭日、皆必差使不、答、
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