神道・神社史料集成(古代) 賀茂別雷神社

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賀茂別雷神社(山城国愛宕郡)


『続日本紀』文武天皇2年3月辛巳(21日)条(698)

山背国賀茂祭日会衆騎

『続日本紀』大宝2年4月庚子(3日)条(702)

賀茂日、徒衆会集執唯当国之人不

『類聚三代格』1(祭并幣事) 和銅4年4月20日詔(711)

詔、賀茂神祭日、自今以後、国司検察、常為年事、
和銅四年四月廿日

『続日本紀』和銅4年4月乙未(20日)条(711)

詔、賀茂神祭日、自今以後、国司毎年親臨検察焉、

『続日本紀』神亀3年7月乙未(20日)条(726)

遣使奉幣帛於石成、葛木、住吉、賀茂等神社、

『類聚三代格』1(祭并幣事) 天平10年4月22日勅(738)

勅、比年以来、賀茂之日、会集人馬、悉皆禁断、自今以後、任意聴祭、但祭礼之庭勿令闘乱、
天平十年四月廿二日

『続日本紀』天平17年9月癸酉(19日)条(745)

天皇不予、平城恭仁留-守宮孫王難波使平城宮鈴京師畿内諸寺及諸名山浄処薬師悔過之-幣祈祷賀茂松尾等神諸国所鷹鵜並以放三千八百出家、

『続日本紀』宝亀11年4月庚申(26日)条(780)

百済王俊哲従五位山背国愛宕郡人正六位上鴨禰宜真髪部津守等一十人姓賀茂県

『続日本紀』天応元年4月戊申(20日)条(781)

賀茂神二社禰宜祝等始一レ笏、従四位下多治比真人長伊勢

『続日本紀』延暦3年6月壬子(13日)条(784)

参議近衛中将正四位上紀朝臣船守於賀茂大神幣、遷都之焉、又今年調庸、并造工夫用度物、-下諸於長岡

『続日本紀』延暦3年11月丁巳(20日)条(784)

近衛中将正四位上紀朝臣船賀茂上下二従二兵部大輔従五位上大中臣朝臣諸松尾乙訓二神従五位也、

『続日本紀』延暦3年11月乙丑(28日)条(784)

使-賀茂上下二及松尾乙訓

『続日本紀』延暦4年11月庚子(8日)条(785)

賀茂上神社愛宕郡封各十

『日本紀略』延暦12年2月辛亥(2日)条(793)

参議治部卿壱志濃王遷都於賀茂大

『日本紀略』延暦13年10月丁卯(28日)条(794)

、松尾神加階、也、

『日本後紀』延暦15年11月辛丑(14日)条(796)

伊勢神宮、賀茂上下二、松尾社、亦施七大寺及野皇太子親王已下職事正六位已上、僧都律師各有差、

『日本後紀』延暦24年4月己酉(10日)条(805)

使幣帛於賀茂神

『日本後紀』大同元年3月丁亥(23日)条(806)

大行天皇初七斎於京下諸此日、日赤無光、大井、比叡、小野、栗栖野等山共焼、烟灰四満、京中昼昏、上以為、所定山陵地、近賀茂神、疑是神社乎、即上曰、初筮従亀不也、今災異頻来、可歟、即自祷祈、火災立滅、

『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)

神封部
合四千八百七十六戸
(略)
若雷神 廿四戸 山城十四戸 丹波十戸
(略)

『日本紀略』大同2年5月庚寅(3日)条(807)

賀茂御祖神、別雷神並奉正一

『日本紀略』大同4年5月庚午(25日)条(809)

-幣於松尾、鴨御祖、鴨別雷也、

『類聚国史』19(神祇19禰宜) 大同4年11月26日条(809)

外従五位下鴨県主真蓑外従五位上、従八位上鴨県主目代外従五位賀茂二社禰宜也、

『日本後紀』弘仁6年8月辛丑(3日)条(815)

使-幣於伊勢大神宮并賀茂大霖雨也、

『日本後紀』弘仁7年7月乙丑(21日)条(816)

山城国紀伊郡飛鳥田神、真幡寸神、官社鴨別雷神之別也、

『類聚三代格』4(加減諸司官員并廃置事) 弘仁9年5月9日官符(818)

太政官符
新置斎院司官位職
長官一人従五位下官 次官一員従六位上官
判官一員従七位上官 主典二員従八位下官
中納言兼左近衛大将従三位行春宮大夫陸奥出羽按察使藤原朝臣冬嗣宣偁、奉 勅、
弘仁九年五月九日

『日本紀略』弘仁9年5月乙巳(22日)条(818)

斎院司宮主一員、長官一員、次官一員、判官一員、主典二

『類聚三代格』4(加減諸司官員并廃置事) 弘仁9年5月22日官符(818)

太政官符
斎院司宮主一従八位下
中納言兼左近衛大将従三位行春宮大夫陸奥出羽按察使藤原朝臣冬嗣偁、奉 勅、
弘仁九年五月廿二日

『類聚国史』107(職官12斎院司) 弘仁9年7月庚寅(8日)条(818)

斎院史生二

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 弘仁10年3月甲午(16日)条(819)

勅、山城国愛宕郡賀茂御祖并別雷二神之祭宜

『類聚国史』8(神祇8大嘗会) 弘仁14年11月癸亥(13日)条(823)

右大臣正二位藤原朝臣冬嗣、大納言従二位藤原緒嗣等、清涼殿口奏言、聖王相続、大嘗頻御、天下騒動、人民多弊、然神態不已、此度大嘗会停者、天皇勅答、元不飾、耳、即大臣奏云、請大納言緒嗣-校其者、於是、緒嗣中納言良岑朝臣安世、参議伴宿禰国便治部省行事斎院之、宮内悠紀中務主基用之、但斎場依一切不玩好金銀刻鏤等之唯標者、以造之、橘并木綿飾之、即悠紀主基耳、所正税、悠紀主基各十万、後国司請、也、又悠紀主基両国雑担夫、各大嘗国民凋弊者也、

『類聚国史』19(神祇19祝) 天長元年4月甲午(15日)条(824)

祝部枚麻正一位勲一等賀茂別雷大社

『類聚国史』5(神祇5賀茂斎院) 天長8年12月壬申(8日)条(831)

賀茂斎内親其辞曰、天皇御命坐、掛畏皇大神申給波久、皇大神阿礼乎止売礼留内親王、齢老、身美毛退、時子女王卜食定進状、参議左大弁正四位下藤原朝臣愛発、差使申給波久止申、并奉幣、

『類聚三代格』4(廃置諸司事) 天長元年12月29日官符(824)

太政官符
斎院
右太政官去弘仁十四年六月四日式部符偁、件司宜者、今右大臣偁、奉 勅、去弘仁九年上レ之、
天長元年十二月廿九日

『類聚国史』107(職官12斎院司) 天長3年7月辛卯(26日)条(826)

摂津国垂水庄公田一町八段、斎院

『類聚国史』5(神祇5賀茂斎院) 天長8年12月壬申(8日)条(831)

賀茂斎内親其辞曰、天皇御命坐、掛畏皇大神申給波久、皇大神阿礼乎止売礼留内親王、齢老、身美毛退、時子女王卜食定進状、参議左大弁正四位下藤原朝臣愛発、差使申給波久止申、并奉幣、

『続日本後紀』天長10年3月癸丑(26日)条(833)

久子内親伊勢斎高子内親王賀茂

『続日本後紀』天長10年4月丁卯(10日)条(833)

参議従四位下右大弁藤原朝臣常-幣於賀茂大高子内親王

『続日本後紀』天長10年6月癸亥(8日)条(833)

公卿殿右近衛大将従三位橘朝臣氏公并前大宰大弐従四位上朝野宿禰鹿取於御床是日、聖体間、使神祇伯従四位下大中臣朝臣淵魚、-幣於賀茂大天下諸国、-理寺塔破壊者及神勅曰、如聞、諸国疫癘、夭亡者衆、自何以攘災、宜諸国各練行僧、大国廿人、上国十七人、中国十四人、下国十三ケ日内、昼金剛般若薬師悔其布施者、三宝穀十斛、僧三斛、充行、俾

『続日本後紀』天長10年閏7月壬午(28日)条(833)

霖雨渉息、大和山城二国介以上親-幣於丹生川上雨師神、松尾、賀茂上下及貴布禰焉、

『続日本後紀』天長10年12月癸未朔条(833)

道場一処山城国愛宕郡賀茂社以東一許岡本是神戸百姓-賀茂大也、天長年中検非違使尽是、勅曰、仏力神威、相須尚矣、今彼堂宇特

『続日本後紀』承和2年4月甲午(20日)条(835)

高子内親王于賀茂始入

『続日本後紀』承和2年4月己亥(25日)条(835)

正六位上文室朝臣茂道従五位外従五位下賀茂県主広友外従五位上、正六位上賀茂県主広雄外従五位下、

『続日本後紀』承和3年2月丙子(7日)条(836)

遣唐使幣帛賀茂大神

『続日本後紀』承和3年4月乙酉(17日)条(836)

天皇殿-覧賀茂祭使等鞍馬調飾并従者容使等祿播磨守従四位下橘朝臣永内蔵使

『続日本後紀』承和4年10月丙辰(26日)条(837)

斎院司鷹二

『続日本後紀』承和5年2月癸卯(15日)条(838)

勅、斎院雑使四人、二宮并淳和院舎人等、与之公験、嵯峨院勘籍廿人亦宜此、

『続日本後紀』承和5年8月癸丑(28日)条(838)

降雨殊切、-賀茂上下、松尾、乙訓、垂水、住吉等名以祈焉、

『続日本後紀』承和6年正月甲子(11日)条(839)

従五位下藤原朝臣秋少納正五位下藤原朝臣嗣宗右中従四位下百済王慶仲民部大従五位下藤原朝臣浜雄従四位上藤原朝臣雄敏兵部大従四位上滋野朝臣貞主兼大和弾正大弼如故、従五位下小野朝臣興道左衛門従四位下藤原朝臣長良左馬正五位下高道宿禰鯛釣摂津従四位上大枝朝臣総成伊□従五位下惟良宿禰貞道兼伊勢図書頭故、従五位下在原朝臣仲平駿河従五位下藤原朝臣友永為介、従五位下藤原朝臣伊勢雄甲斐従五位上藤原朝臣貞成相摸権外従五位下出雲朝臣全嗣武蔵従四位上源朝臣明兼近江大学頭如故、従五位上安倍朝臣浜主為介、従五位下出雲朝臣岑嗣美濃権権中納言従三位藤原朝臣良房陸奥出羽按察使左兵衛督如故、従五位下紀朝臣松永若狭従四位上源朝臣寛加賀従五位下藤原朝臣良方介、従五位下真福良王能登従五位下丹墀真人氏永越後従四位下正躬王丹波正五位下坂上大宿禰鷹主但馬外従五位下志紀宿禰永成伯耆従五位下藤原朝臣貞根出雲従五位下朝野宿禰貞吉美作 云々従五位下菅野朝臣永岑兼豊前主殿頭斎院長官如故、

『続日本後紀』承和6年4月戊辰(17日)条(839)

勅、幣於松尾、賀茂上下、貴布禰、丹生川上雨師、住吉諸七箇仁王経於十五大城外崇山有験之也、

『続日本後紀』承和6年5月辛卯(11日)条(839)

三箇賀茂大-読金剛般若経一千

『続日本後紀』承和7年4月庚午(29日)条(840)

勅、頃者、炎旱未幾、嘉苗殆枯、-幣松尾、賀茂、乙訓、貴布禰、丹生川上雨師、垂水等焉、

『続日本後紀』承和7年6月己未(15日)条(840)

幣帛於伊勢大神宮及賀茂上下、松尾等内外諸国-幣神-請甘

『続日本後紀』承和8年4月己巳(29日)条(841)

勅、頃者、時雨不降、農夫輟耕、-幣松尾、賀茂、乙訓、貴布禰、垂水、住吉、雨師

『類聚三代格』4(加減諸司官員并廃置事) 承和8年12月22日官符(841)

太政官符
斎院司舎人遭
偁、太政官去承和五年二月廿二日符-補舎人四人、而遭之徒、毎絶、于神使家之風尤重服之輩何-送遭而式部省固称例、曽不替、望請、不考、補、 官者、右大臣宣、奉 勅、請、
承和八年十二月廿二日

『続日本後紀』承和9年3月丁巳(22日)条(842)

使-幣松尾、鴨御祖、鴨別雷、乙訓等名也、

『続日本後紀』承和10年11月丙申(12日)条(843)

参議左大弁従四位上正躬幣帛於賀茂神国家昌也、

『続日本後紀』承和11年8月癸卯(23日)条(844)

丹波国多紀郡人斎院主典従七位上常澄宿禰成主-附左京一条二

『続日本後紀』承和11年11月壬子(4日)条(844)

鴨上大神宮禰宜外従五位下賀茂県主広友等款云、所謂鴨川、二神流出、而王臣家人及百姓等、鹿彘於北便其末流来茲、汚穢之祟屡者、勅、于河若違犯者、申送、国郡司并禰宜祝等-者、必

『類聚三代格』1(神社事) 承和11年11月4日官符(844)

太政官符
--鴨上大神宮
神宮禰宜外従五位下賀茂県主広友等偁、鴨川之流二神之、豈敢汚穢、而遊猟之徒屠割-汚穢之祟屡仍申送者、大納言正三位兼行右近衛大将民部卿陸奥出羽按察使藤原朝臣良房宣、奉 勅、神明攸慎、之、若違犯者申上、容隠不申、国郡司并禰宜祝等必曽寛
承和十一年十一月四日

『類聚三代格』1(神社事) 承和11年12月20日官符(844)

太政官符
神戸百姓鴨上大神宮辺川原并
四至
御祖社 故参議左近衛大将大中臣朝臣諸魚宅北路西百姓宅地并公槐材下里南畔并寺
別雷社 路并百姓宅道并百姓宅地公西梅原
山城国偁、太政官去十一月四日愛宕郡護件而郡司解偁、郡中徭丁数少無望請、神戸百公戸相替補入者、国実、 官者、左大臣宣、依請、
承和十一年十二月廿日

『続日本後紀』承和14年10月戊午(26日)条(847)

二品有智子内親王薨、遺言薄葬、兼不使内親王者、 先太上天皇幸姫王氏也、頗兼善属文、賀茂斎弘仁十四年春二月 天皇花宴、下二春日山庄各探勒韻、-探得塘光行即瀝曰、寂々幽庄水樹裏、仙輿一降一池塘、栖孤鳥寒花泉声近報初雷響、山色高晴暮雨行、従更知恩顧渥、生涯何以天皇歎之、于時年十七、是日、 天皇書懐、曰、忝即今永抱幽貞意、無終須料封百天長十年性貞潔、于嵯峨西薨時春秋四十一、

『続日本後紀』承和14年12月乙巳(14日)条(847)

従五位下紀朝臣全吉主殿従五位上百済王慶世斎院

『続日本後紀』承和15年2月辛亥(21日)条(848)

正一位勲一等賀茂御祖大社禰宜外従五位下鴨県主広雄等款云、去天平勝宝二年十二月十四日、奉御戸代田一以降、未年中用途乏少、請別雷増御戸代田一勅許之、

『続日本後紀』嘉祥元年6月庚子(13日)条(848)

大臣八省幣帛於伊勢大神宮及賀茂上下、松尾並告依元、兼令也、

『続日本後紀』嘉祥元年7月己未(2日)条(848)

幣帛於松尾、賀茂上、貴布禰、雨師

『続日本後紀』嘉祥3年2月甲寅(5日)条(850)

御病殊劇、皇太子及諸大臣於床四衛府及内竪綿-散四-経諸左右馬寮御馬六疋鴨上下松尾等名諸鷹犬及籠-知近江諸殺梵釈寺延命故也、僧綱十禅師及有験者於御簾絹十二続命十二大寺左右馬寮各調走馬十於八省東廊

『文徳天皇実録』嘉祥3年7月甲申(9日)条(850)

皇女晏子内親王伊勢恵子内親王賀茂-祓於建礼門両斎内親

『文徳天皇実録』嘉祥3年8月丁巳(12日)条(850)

右中弁従四位下藤原朝臣氏賀茂中宮亮正五位上藤原朝臣良仁松尾並告即位之

『文徳天皇実録』嘉祥3年9月戊子(14日)条(850)

参議左兵衛督正四位下藤原朝臣賀茂大神策命曰、天皇詔旨、掛畏大神広前申賜倍止、先先祷申賜倍留御馬并神財九月潔備奉出賜波々可吉卜申、故是以神財設備潔捧、但御馬馬寮内有穢、此度不奉出、来年四月設備奉出、此状聞食、天皇朝庭堅磐常磐、天下平安護賜矜賜倍止、恐見毛申賜波久止申、

『文徳天皇実録』嘉祥3年9月庚子(26日)条(850)

侍従従五位上島江伊勢大神神祇大副従五位下中臣朝臣逸志賀茂大神神祇権少祐正六位上占部業基尾張大神賀瑞之-祓於建礼門使也、又-知五畿七道諸幣名賀端之

『文徳天皇実録』仁寿元年4月戊午(16日)条(851)

賀茂別雷神禰宜賀茂県主益雄外従五位

『文徳天皇実録』仁寿元年4月辛酉(19日)条(851)

使賀茂大神奉祭、但斎内親王未故不祭、

『文徳天皇実録』仁寿元年6月甲辰(3日)条(851)

使伊勢、賀茂、松尾、乙訓等神霽、策文曰、天皇詔旨、掛畏大神広前、近来雨降己止、百姓農業流損奴倍之、掛畏大神厚助、此災之止所念行天奈毛、去五月廿七日御馬進、雨止祷申賜比之、而卜定多留日促爾之天、御馬取己止堪、後日必進、故是以差使、太幣奉出、此状聞食、降雨忽晴五穀不損、秋稼豊登之女、天皇朝庭、常磐堅磐、天下平安、護幸助賜矜賜倍止、恐美毛申賜久止申、又別辞申、此雨左留由縁卜求礼波、春祭供奉世留使等中介利、因茲、大神不志己理賜倍利止卜申世利、而祭使御卜合倍留止奈毛、所念行世留、此事聞食天奈毛懼畏御坐、大神神那我良聞食、今弥益護助賜倍止、恐美毛申賜久止申、

『文徳天皇実録』仁寿2年4月乙卯(19日)条(852)

賀茂斎内親王於河是日始紫野斎

『文徳天皇実録』仁寿2年4月辛酉(25日)条(852)

賀茂

『文徳天皇実録』仁寿2年7月乙亥(10日)条(852)

使賀茂、松尾、稲荷、貴布禰等名雨、即日

『文徳天皇実録』仁寿2年閏8月壬辰(29日)条(852)

左近衛少将従五位上藤原朝臣仲統、右近衛少将従五位上在原朝臣行平賀茂松尾大神等幣、請以雨、

『文徳天皇実録』仁寿3年2月甲戌(14日)条(853)

治部少輔兼斎院長官従五位下藤原朝臣関雄卒、関雄者、刑部卿従三位真夏第五子也、天長二年春文章生及第、関雄少習文、退東山旧愛林時人呼東山進承和元年秋、 淳和太上天皇其為一レ人、特詔徴之、関雄辞而不獲、 天皇賜-事左明年勘解由判劇務繁併、既数月少判関雄尤 天皇其秘雅調稍妙、関雄亦南池雲林両院壁、皆関雄也、六年従五位累遷嘉祥四年治部少仁寿二年斎院辞退、遂不免、卒時年卌九、

『文徳天皇実録』仁寿3年4月丁卯(7日)条(853)

従五位下藤原朝臣岑主斎院

『文徳天皇実録』仁寿3年4月乙酉(25日)条(853)

頗皰瘡染行、人民疫故、停賀茂、遣侍従従五位上島江王、神祇大祐従七位上忌部宿禰高善等、申謝事由、但山城国司斎供如常、

『文徳天皇実録』仁寿3年5月己亥(10日)条(853)

従五位下藤原朝臣野主斎院

『文徳天皇実録』仁寿3年7月庚寅朔条(853)

参議従四位上藤原朝臣氏宗近江左大弁右近衛中将如故、従五位下藤原朝臣良縄内蔵助如故、大枝朝臣音人大内民部少輔如故、平朝臣実雄治部少藤原朝臣岑主大蔵少斎院長官如故、坂上大宿禰当宗掃部従五位下春日臣雄継越中権大学博士如故、吉備朝臣全継美作従四位上源朝臣多備中宮内卿如故、従四位上源朝臣冷讃岐

『文徳天皇実録』斉衡元年2月辛未(16日)条(854)

従五位下百済王教凝安倍朝臣有道大主従五位上橘朝臣枝主図書頭従五位下和気朝臣斉之治部少従五位上島江王諸陵従五位下橘朝臣常蔭大判事伴宿禰春世大蔵少従五位上良岑朝臣長松宮内大従五位下安倍朝臣安正弾正少外従五位下津宿禰良友「左京」左京従五位下橘朝臣高成右京斎部宿禰木上勘解由次橘朝臣春成斎院伴宿禰河男鋳銭長周防守如故、藤原朝臣長基石見伴宿禰宗備後大判事如故、

『文徳天皇実録』斉衡元年4月癸酉(19日)条(854)

賀茂但山城国司斎供如常、

『文徳天皇実録』斉衡3年5月庚戌(9日)条(856)

僧二百五十人於大極殿、及冷然院、賀茂、松尾神大般若訖、也、

『文徳天皇実録』斉衡3年9月壬戌(22日)条(856)

僧於賀茂、松尾大神金剛般若訖、

『文徳天皇実録』天安元年2月丙申(28日)条(857)

斎内親王恵無品述子内親斎内親右大臣正三位藤原朝臣良相於其事秘者、世無也、

『文徳天皇実録』天安元年3月己亥(2日)条(857)

従五位下紀朝臣冬雄斎院備前権掾如故、安倍朝臣氏主参河斎部宿禰木上越中

『文徳天皇実録』天安元年4月乙酉(18日)条(857)

祭如也、

『文徳天皇実録』天安元年5月己亥(3日)条(857)

僧百五十人於賀茂上下松尾大神-読金剛般若三ケ

『日本三代実録』貞観元年4月24日己酉条(859)

賀茂神祭、停使也、

『日本三代実録』貞観元年7月14日丁卯条(859)

使諸神宝幣参議正四位下行左大弁兼左衛門督美作守藤原朝臣氏宗賀茂御祖別雷使散位従五位下正峯王松尾社使正五位下守右中弁兼行式部少輔大枝朝臣音人平野社使従五位下行主殿権助藤原朝臣水谷大原野社使右兵衛佐従五位下源朝臣至乙訓社使従五位下守右兵庫頭藤原朝臣四時大神社使掃部頭従五位上藤原朝臣貞敏石上社使従四位下行兵部大輔藤原朝臣仲統春日社使従五位下守図書頭当麻真人清雄当麻社使中務少輔従五位下源朝臣包住吉社使散位従五位下丹墀真人縄主丹墀社使少納言兼侍従従五位下良峯朝臣経世杜本社使神祇大祐正六位上大中臣朝臣豊雄気比気多両社使散位従五位下紀朝臣宗守日前国懸両社使

『類聚三代格』2(年分度者事) 貞観元年8月28日官符(859)

太政官符
-度延暦寺年分度者二
一人-賀茂名大安楽経一部卅八
一人-為春日名維摩詰所説経一部三
並可-試法花金光明経二
右十禅師伝燈大法師位恵亮表偁、恵亮去嘉祥三年八月五日 陛下-啓所已畢、頃年殊降誕臨時得度于八箇年、伏冀、 天慈幸三月下旬比叡山西塔宝幢之、然後太政官弘仁十四年之後、先師十二箇年不一日不-益名 聖恵亮等師資相承此仏但件人等得業以後僧中諸事、天台真言等一同用者、右大臣宣、奉 勅、
貞観元年八月廿八日

『日本三代実録』貞観元年9月4日丙辰条(859)

使、-幣賀茂御祖、別雷、松尾、貴布禰、乙訓、稲荷等神也、

『日本三代実録』貞観元年10月5日丁亥条(859)

-定恬子内親伊勢儀子内親王賀茂

『日本三代実録』貞観元年10月12日甲午条(859)

-祓於朱雀門伊勢賀茂斎内親也、

『日本三代実録』貞観元年12月25日丙午条(859)

伊勢斎恬子内親於鴨水辺六条坊門禊、賀茂斎儀子内親王、同水辺待賢門禊、

『日本三代実録』貞観2年4月15日乙未条(860)

六府警固、賀茂也、

『日本三代実録』貞観2年4月17日丁酉条(860)

賀茂祭如常、斎内親王野宮故不社、

『日本三代実録』貞観2年4月18日戊戌条(860)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観3年2月16日庚申条(861)

従五位下行主殿権助藤原朝臣水谷斎院長権助如故、

『日本三代実録』貞観3年2月25日己巳条(861)

斎院長官従五位下兼行主殿権助藤原朝臣水谷余官故、

『日本三代実録』貞観3年4月12日丙辰条(861)

賀茂斎内親王禊、是日、便紫野斎 大納言正三位兼行右近衛大将源朝臣

『日本三代実録』貞観3年4月16日庚申条(861)

諸衛警固、賀茂也、

『日本三代実録』貞観3年4月17日辛酉条(861)

賀茂是、内蔵寮人死仍勅使縫殿進発、

『日本三代実録』貞観3年4月18日壬戌条(861)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観4年4月22日庚申条(862)

諸衛警固、賀茂也、

『日本三代実録』貞観4年4月23日辛酉条(862)

賀茂祭常、

『日本三代実録』貞観4年4月24日壬戌条(862)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観5年4月13日乙巳条(863)

賀茂斎内親王弁史皆弁官犬死 勅従五位上行大外記滋野朝臣安

『日本三代実録』貞観5年4月15日丁未条(863)

賀茂上社禰宜正六位上賀茂県主真当、下社禰宜従六位上鴨県主時主等並外従五位

『日本三代実録』貞観5年4月16日戊申条(863)

諸衛警固、賀茂也、

『日本三代実録』貞観5年4月17日己酉条(863)

賀茂祭常、

『日本三代実録』貞観5年4月18日庚戌条(863)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観5年8月22日壬午条(863)

讃岐国多度郡人斎院権判官正六位上刑部造真鯨左京

『日本三代実録』貞観5年11月20日己酉条(863)

左京人斎院判官正八位上上毛野公藤野、内教坊頭従七位下上毛野公赤子等同族男女七人、姓朝豊城入彦命之苗裔也、

『日本三代実録』貞観6年正月7日甲午条(864)

侍従兼斎院長官藤原朝臣水谷、右近衛少将兼伊予介藤原朝臣山蔭、散位源朝臣好等並従五位上、

『日本三代実録』貞観6年4月16日壬申条(864)

諸衛警固、明日賀茂也、

『日本三代実録』貞観6年4月17日癸酉条(864)

賀茂祭常、

『日本三代実録』貞観6年4月18日甲戌条(864)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観7年4月17日丁卯条(865)

勅奉諸明神神松尾神五段、賀茂御祖神五段、別雷神五段、稲荷神三段、平野神五段、大原野神五段、並山城国愛宕、紀伊、乙訓、葛野等郡得度除帳之、

『日本三代実録』貞観7年4月22日壬申条(865)

諸衛警固、賀茂也、

『日本三代実録』貞観7年4月23日癸酉条(865)

賀茂祭

『日本三代実録』貞観7年4月24日甲戌条(865)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観8年正月23日庚子条(866)

従五位下行太皇太后宮少進兼斎院次官藤原朝臣忠主斎院長従五位上行侍従兼斎院長官藤原朝臣水谷安芸権侍従如故、

『類聚三代格』2(年分度者事) 貞観8年閏3月16日官符(866)

太政官符
-戒年分度
延暦寺去年四月十一日偁、左弁官今月九日宣旨偁、太政官去三月十五日治部符偁、年分度者二箇臨時度者三箇沙弥之法花最勝威儀三部然後者、寺一レ者、今之輩誰但此寺年分者惣八人也、就六人、是 先皇御願、国忌之日同「今」二人即 今帝御願、降誕之-賀茂春日両処名唯未以前沙弥亦乃受戒以後不十二箇年、-守公-修三-護国皆是先師遺也、先師之戒既所有行業不得業以後何更経年、若両箇年不歟、凡年々試度年々受戒、之年若不者亦恐有歟、伏冀、不先師之当年受戒、則-護国其沙弥威儀経、一試業之日同臨時度三箇何者人入道之前後練業之浅乎、或幼年従修学年深、或長後出或入道如才学優長、或出家経身才猶疎、得失如斯、何得望請、才与長、行将積之輩、官符三月之内三部其受縦雖而廿歳以上才行兼備堪為僧者、方然則玉石同分、修学無怠、者、右大臣宣、奉 勅、年分度者依請、自余一去年三月十五日
貞観八年閏三月十六日

『日本三代実録』貞観8年4月22日丙申条(866)

諸衛警固、賀茂也、

『日本三代実録』貞観8年4月23日丁酉条(866)

賀茂祭朝使并斎内親王山城国随奉祭、

『日本三代実録』貞観8年4月24日戊戌条(866)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観8年6月16日己丑条(866)

無品高子内親王薨、喪家固辞、故不縁葬之三日、内親王者、仁明天皇之皇女、母百済王氏、従五位上教俊之女也、承和初、卜賀茂仁明天皇崩後停焉、

『日本三代実録』貞観8年7月14日丙辰条(866)

-幣賀茂御祖別雷、松尾、丹生川上、稲荷、水主、貴布禰前日也、告文云、天皇詔旨、掛畏松尾大神広前美毛申給久止、不慮之外天下、農稼枯損、因茲、掛畏大神、大幣帛奉出給牟止祈申、而祈申志毛、甘雨令へ利、因歓奈我良、散位従五位下大中臣朝臣国雄使、大幣帛奉出賜、此状聞食、今風雨調和、五豊登、天下饒足、天皇朝廷宝祚無、常磐堅磐夜守日守護幸奉賜へと申給波久止申、自余社告文並同焉、

『日本三代実録』貞観9年4月15日甲申条(867)

是日、諸衛警固、賀茂也、

『日本三代実録』貞観9年4月16日乙酉条(867)

賀茂祭常、

『日本三代実録』貞観9年4月17日丙戌条(867)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観9年8月21日丁亥条(867)

太皇太后宮宮主外従五位下直千世麻呂、斎院宮主大初位下直伊勢雄等五人姓直宿

『日本三代実録』貞観9年9月11日丁未条(867)

使於賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、貴布禰、丹生川上、住吉、水主大神、長田、乙訓等神奉幣、先月今以賽焉、

『日本三代実録』貞観10年4月6日庚午条(868)

使於賀茂奉幣、-申伐木并穢損

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 貞観10年4月20日甲申条(868)

諸衛警固、賀茂也、

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 貞観10年4月21日乙酉条(868)

賀茂祭斎内親王

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 貞観10年4月22日丙戌条(868)

諸衛解厳、

『日本紀略』貞観10年6月23日乙酉条(868)

-賀茂以下諸社十也、

『類聚三代格』1(科祓事) 貞観10年6月28日官符(868)

太政官符
-祓祈年月次新嘗祭不五畿内近江等国諸社
右撰格所起請偁、太政官弘仁八年二月六日諸国偁、神祇官偁、件等祭日諸社祝部等、理之前-集官而比年祝部等怠慢再三教導習慎、使幣帛一百卌二裹収太政官去宝亀六年六月十三日偁、右大臣宣、頒之日祝部不参、以後不若不早解者、望請不有位無者、右大臣宣、奉 勅、奉詢之礼務闕怠之徒実-曲所-示要-悟愚若猶不慎、解却還者、今一度伏望先者、中納言左近衛大将従三位藤原朝臣基経宣、奉 勅、請、
貞観十年六月廿八日

『日本紀略』貞観10年10月27日丁亥条(868)

賀茂斎儀子内親王、献-物皇太后於常寧殿、奉皇太后満卌之算也、賜親王以下禄

『日本三代実録』貞観10年12月9日戊辰条(868)

斎院長官従五位下兼行皇太后宮大進藤原朝臣忠主従五位上、

『日本三代実録』貞観11年2月9日丁酉条(869)

是日、賀茂斎儀子内親王始笄、

『日本三代実録』貞観12年4月14日丙申条(870)

諸衛警固、賀茂也、

『日本三代実録』貞観12年4月15日丁酉条(870)

賀茂祭常、

『日本三代実録』貞観12年4月16日戊戌条(870)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観12年6月10日辛卯条(870)

霖雨、至止、-賀茂、貴布禰告文曰、 天皇詔旨、掛畏賀茂大神広前申賜倍止、近来雨降渉、百姓農業流損倍志、掛畏大神厚助天志、此災志止所念行天奈毛、神祇権大祐正六位上斎部宿禰高善使、大幣捧持奉出、此状聞食、降雨忽晴、五穀不損、天皇朝廷常磐堅磐護幸、天下平安助賜矜賜倍止、恐美毛申賜波久止申、貴布禰神告文同焉、

『日本三代実録』貞観12年6月22日癸卯条(870)

-幣賀茂御祖、別雷告文曰、 天皇詔旨、掛畏賀茂大神広前申賜倍止、近来霖雨難百姓農業頗流損世利、因皇大神御社穢事止毛上宮四至之内木、并穢損事在勘申世利、仍乍驚懼、其畏、神祇伯従四位下藤原朝臣広基使、礼代大幣奉出賜、掛畏皇大神、此状聞食、相共助矜賜、百姓農業豊登良志米、天皇朝廷宝位無、常磐堅磐夜守日守護幸賜倍止、恐美毛申賜波久止申、御祖社告文同焉、

『日本三代実録』貞観12年11月17日乙丑条(870)

-遣使者諸鋳銭司及葛野鋳銭所新鋳賀茂御祖別雷両社使前安芸介従五位下大中臣朝臣是直、松尾社使神祇権大祐正六位上斎部宿禰高善、稲荷社使神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道、石清水社使主水佑正六位上大中臣朝臣坂田麿、平野社使神祇少副正六位上大中臣朝臣有本、梅宮社使大監物従五位下橘朝臣茂生、春日社使雅楽少允従七位上大中臣朝臣冬名、大原野社使主水正正六位上大中臣朝臣鹿主、

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 貞観13年4月20日丙申条(871)

諸衛警固、縁賀茂祭也、

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 貞観13年4月21日丁酉条(871)

賀茂

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 貞観13年4月22日戊戌条(871)

諸衛解厳、

『日本三代実録』貞観14年3月23日癸巳条(872)

今春以後、内外頻是、-遣使者諸神奉幣、便-読金剛般若参議民部卿正四位下兼行春宮大夫南淵朝臣年賀茂両社使参議正四位下行右兵衛督兼近江守源朝臣勤松尾梅宮両社使参議正四位下行左大弁兼勘解由長官近江権守大江朝臣音人平野社使参議右大弁従四位上兼行讃岐権守藤原朝臣家宗大原野社使従五位上行少納言兼侍従和気朝臣彜範石清水社使神祇伯従四位下藤原朝臣広基稲荷社使石清水社告文曰云々、又辞別申、去年陰陽寮占申蕃客不祥之事可占申世利、今渤海客来朝世利、事不已、国憲止之天可召、大菩薩此状乎毛聞食、遠客参近止毛、神護之故、無矜賜倍止美毛申賜波久止申、自余社文一

『日本三代実録』貞観15年4月17日辛亥条(873)

公卿太政官曹司文武百官成選位去十五日可而彼日賀茂故避之、也、

『日本三代実録』貞観15年5月5日戊辰条(873)

神祇官陰陽寮言、雨雹之怪、賀茂松尾等神成祟、使社幣并走其走馬、賀茂御祖別雷両社各十疋、松尾五疋、並-飾人告文曰云々、従五位下行伊勢介良岑朝臣晨茂使奉出

『日本三代実録』貞観15年5月9日壬申条(873)

参議大江朝臣音人於賀茂神奉幣、-謝雨雹之咎告文曰云々、高岑寺仏奉移礼留皇大神倍利止卜申世利、但此仏、大神成祟倍留仁、他処倍支状、去年祈申倍利、須、先此状申賜倍之、而大神御社近之天、騒動世留事在介利、此怠畏恐、平為、始今月廿、一万巻金剛般若経令無止須、仍参議正四位下行左大弁兼勘解由長官近江権守大江朝臣音人差使天云々

『日本三代実録』貞観15年5月20日癸未条(873)

-読経-幣於賀茂、松尾、乙訓、稲荷、貴布禰、丹生川上雨師也、

『日本三代実録』貞観15年7月9日辛未条(873)

使於賀茂、松尾、稲荷、乙訓、貴布禰神奉幣、祈也、

『日本三代実録』貞観15年10月6日丁酉条(873)

使於賀茂、松尾、平野、大原幣、告文曰、天皇詔旨掛畏賀茂大神広前申賜倍止、頃月之間、物怪頻見己止、仍、御病事可占申世利、此聞食驚恐御坐、今所念行、先々爾毛不祥乎波皇大神矜賜、災咎消除太利、因茲、参議従四位上行左兵衛督兼美濃権守源朝臣能有使、礼代大幣捧持奉出皇大神此状聞食、未然之前災咎消滅賜、御体無、常磐堅磐矜守幸賜、天下平護賜助賜倍止美毛申賜久止申、参議正四位下行左衛門督在原朝臣行平松尾社使参議従四位上守治部卿兼行備前守藤原朝臣仲統平野社使従四位上行兵部大輔兼備中守藤原朝臣諸葛大原野社使其告文詞並准此焉、

『日本三代実録』貞観16年4月20日戊申条(874)

諸衛警固、賀茂也、

『日本三代実録』貞観16年4月21日己酉条(874)

賀茂祭、染淳和院火穢之人

『日本三代実録』貞観16年8月20日丙子条(874)

天皇聖体乖予、使於賀茂御祖別雷両奉幣祈祷、告文曰、 天皇詔旨、掛畏賀茂大神広前申賜部止、近来皇帝御体労苦給処有、陰陽寮占申云、皇大神祈申賜、即愈息万利比奈无止勘申世利、依歓、参議治部卿正四位下藤原朝臣仲統使、礼代大幣帛奉出、然今年四月祭使、依奉出給无止世之爾、淳和院失火之穢相交人々、大宮之内参雑礼利止聞食、御卜令問求賜之爾、穢気見太利、今年祓謝申賜、祭使停止卜申世利岐、仍御卜行仕奉之女太利、故怠爾波在、然而祟咎毛也成給无可止奈无謹畏御坐、此状聞食守恵助幸奉賜、又皇大神栄飾奉止之天奈毛、禰宜千継、門麻呂等外従五位下冠授賜、神那可良毛聞食、天皇御体、夜守日守、常磐堅磐、護幸奉賜、国家無天下平安、風水無之天、五穀豊登左之女倍止、恐美毛申賜久止申、御祖社禰宜正六位上賀茂県主千継、別雷社禰宜賀茂県主門麻呂並外従五位

『日本三代実録』貞観17年4月20日壬申条(875)

諸衛警陣、明日賀茂也、

『日本三代実録』貞観17年4月21日癸酉条(875)

賀茂祭常、

『日本三代実録』貞観17年6月3日甲寅条(875)

-遣使者於山城国賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、乙訓、貴布禰、大和国丹生川上七奉幣、丹生川上也、

『日本三代実録』貞観17年7月2日壬午条(875)

使-賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、乙訓、木島、貴布禰、丹生川上八神也、

『日本三代実録』貞観18年2月9日丁巳条(876)

賀茂斎儀子内親王始笄、

『日本三代実録』貞観18年4月14日辛酉条(876)

賀茂祭、以大極殿火災也、

『日本三代実録』貞観18年5月4日庚辰条(876)

参議従三位民部卿藤原朝臣冬松尾参議正四位下行勘解由長官兼式部大輔近江守菅原朝臣是善賀茂御祖別雷両大極殿

『日本三代実録』貞観18年5月23日己亥条(876)

賀茂斎儀子内親王依紫野-居皇太后宮染殿

『日本紀略』貞観17年8月25日乙亥条(875)

-幣伊勢及賀茂御祖別雷社、松尾、稲荷、木島、乙訓、丹生也、

『日本三代実録』貞観18年10月5日戊申条(876)

賀茂斎儀子内親王病加斎、詞旨懇切、 詔許之、参議正四位下行勘解由長官兼式部大甫近江守菅原朝臣是-謝事斎院司休各帰家、

『日本三代実録』元慶元年2月17日己未条(877)

-定伊勢賀茂斎内親伊勢斎識子内親王、賀茂斎敦子内親王並卜食、

『日本三代実録』元慶元年2月24日丙寅条(877)

使於賀茂神幣、告以斎内親告文曰、 天皇詔旨掛畏賀茂大神広前申賜倍止申、忝天日嗣受賜、恐大坐皇大神厚護、天皇朝廷倍之、自以後助賜明護賜牟爾天之、食国天下愈益、又前儀子内親王岐爾、太上天皇御時退天岐、今新天波相替奈利止天奈毛、敦子内親王卜定阿礼乎度女進状、参議刑部卿正四位下兼行勘解由長官近江守菅原朝臣是善使、宇豆大幣良久乎、恐美毛申賜波久止申、

『日本三代実録』元慶元年4月9日庚辰条(877)

巳四剋始-造大極殿正五位下行内蔵頭和気朝臣彜範、従五位上守権左中弁藤原朝臣春景、従五位下守木工権頭藤原朝臣維邦、左京亮従五位下坂上宿禰斯文、右大史正七位上時統宿禰当事、是、-幣於伊勢大神宮及石清水八幡大菩薩宮、賀茂御祖別雷、松尾、平野、稲荷等神社、告文曰云々

『日本三代実録』元慶元年4月13日甲申条(877)

諸衛警固如常、賀茂也、

『日本三代実録』元慶元年4月14日乙酉条(877)

賀茂祭常、

『日本三代実録』元慶元年6月14日癸未条(877)

-幣石清水八幡大菩薩宮并賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、木島、乙訓、大依羅、垂水、広田、生田、長田神也、

『日本三代実録』元慶元年7月19日戊午条(877)

従五位上守刑部大輔弘道王於伊勢大神使賀茂御祖別雷、松尾、平野、大原野神奉幣、告以告文曰、天皇詔旨、掛畏松尾大神広前申賜倍止、食国之法止之天、即位之後爾波備後国鹿但馬国尾張国木連、如嘉瑞、是薄徳倍岐爾毛、掛畏皇大神慈賜示賜倍留奈利止天奈毛、貴喜受賜利天、御世元慶元、左京大夫従四位上忠範王使奉出早申奉、而暫間延怠、掛畏皇大神、此状平聞食、天皇朝廷宝位無常磐堅磐守幸倍止申賜申、辞別申、頃月不之天、百姓農業皆焼損太留由、先申奉出已了太利、而至雨、重亦其由祷申奉出賜、皇太神助賜比天、風雨随倍天矜賜五穀全登之女倍止波久止申、

『日本三代実録』元慶2年3月9日乙巳条(878)

-遣使幣馬於賀茂御祖別雷、松尾、石清水、稲荷、住吉、平野、大原野、梅-幣五畿七道諸名也、告文曰、天皇詔旨、掛畏平野大神広前美毛申賜倍止、去秋御体不予御座時、去八月十九日祈申之久、御体平安護助奉賜、宝位無御坐賜、礼代大幣御馬牽副奉出无止祈申之岐、祈申之毛、平安護助奉賜倍利、因大幣帛、御馬、参議正四位下行左大弁兼左近衛中将近江権守源朝臣舒差使奉出、此状聞食、天皇朝廷、今常磐堅磐護幸奉賜、天下平安五穀豊登之米倍止、恐美毛申賜波久止申、自余社告文並准此、

『日本三代実録』元慶2年4月19日甲申条(878)

諸衛警固、明日賀茂也、

『日本三代実録』元慶2年4月20日乙酉条(878)

賀茂祭常、是、左近衛官人之者、入-是故祭使更辞便内蔵社、

『日本三代実録』元慶2年6月3日丁卯条(878)

此、亢陽不雨、名山大川能興雨、並班雨、賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、貴布禰、丹生川上、乙訓、水主八社是也、丹生川上-奉黒馬一

『日本三代実録』元慶3年2月29日己丑条(879)

左近衛少将正五位下兼行近江権介藤原朝臣遠斎院長余官如故、

『日本三代実録』元慶3年4月13日壬申条(879)

諸衛警固如常、明日賀茂也、

『日本三代実録』元慶3年4月14日癸酉条(879)

賀茂、向上諸神祭祀、並従停止、縁太皇大后崩也、

『日本三代実録』元慶3年5月21日庚戌条(879)

-幣賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、貴布禰、乙訓等神也、

『日本三代実録』元慶4年2月5日己丑条(880)

正四位下行右京大夫兼山城権守基棟賀茂御祖別雷両従四位上行山城守棟貞王於松尾社、散位従四位下和王於平野社、従四位下行右馬頭藤原朝臣門宗於大原野社、正五位下行神祇大副大中臣朝臣有本於稲荷社、並奉幣、告大極殿告文曰、天皇詔旨、掛畏賀茂大神広前申賜倍止、去貞観十九年四月九日、大極殿并東西楼廊等作始之時之久、如国家大事乎波皇大神厚助天奈毛、祈申之母之留久倍利、仍今吉日良辰択定、正四位下行右京大夫兼山城権守基棟王使、祷大幣帛奉出給、此状聞食、今往前護矜賜、天皇朝庭宝位無常盤堅盤護幸、天下国家乎毛護矜賜倍止申、

『日本三代実録』元慶4年4月11日甲午条(880)

賀茂内親王於鴨解禊、即便紫野公卿及所司供事三年斎之後、去年可而停、非也、

『日本三代実録』元慶4年4月13日丙申条(880)

諸衛警陣、明日賀茂也、

『日本三代実録』元慶4年4月14日丁酉条(880)

賀茂祭常、

『日本三代実録』元慶4年5月16日己巳条(880)

廼者膏雨難得、農民稍憂、是日、使者於賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、乙訓、貴布禰、丹生川上等雨、丹生川上-奉黒告文曰、云々、

『日本三代実録』元慶4年5月20日癸酉条(880)

快雨、勅公卿及近衛兵衛衛門六府官人已下-在陣穀倉院調之、公卿-賚内蔵寮御服各有差、外記内記者亦預焉、也、先是、議定、始廿二三ヶ日間、賀茂松尾等潅頂経也、崇朝遍雨、故暫停止、是時右大臣摂政、毎水旱災職、-密勿祗畏、恭

『日本三代実録』元慶4年6月22日甲辰条(880)

雨、旱気焦草、使賀茂等十一奉幣祈雨、告文云々、但丹生川上-奉黒

『日本三代実録』元慶5年4月19日丙申条(881)

諸衛警固、明日賀茂也、

『日本三代実録』元慶5年4月20日丁酉条(881)

賀茂祭、内蔵権頭従五位上兼行讃岐介良岑朝臣晨直-承祝宣旨、其祝詞尾曰、辞別申、前年礼留斎王、重喪太留爾退出志女天支、今須諒闇波天々乃後占定、其間朝廷介久良介久幸賜護賜倍止申賜波久止申、

『日本三代実録』元慶6年4月7日己卯条(882)

是日、-定伊勢斎内親無品掲子内親王卜食、其賀茂斎者、諸内親王故今日無定、

『日本三代実録』元慶6年4月9日辛巳条(882)

-賀茂斎二世穆子女王卜食、一品行式部卿諱光孝天皇親王之女也、

『日本三代実録』元慶6年4月22日甲午条(882)

朱雀門前大祓、以去八日大膳職人死、十日大蔵省人死、平野、松尾、賀茂等祭停止故也、臨時大祓於建礼門前之、因穢不大蔵省幄、仍用朱雀門也、

『日本三代実録』元慶6年4月24日丙申条(882)

諸衛警固、明日賀茂也、雖猶有警陣、例也、

『日本三代実録』元慶6年5月15日丙辰条(882)

使-幣伊勢大神宮及賀茂神告以斎内親王并斎也、散位従五位下時景王、伊勢大神宮使参議正四位下行右衛門督藤原朝臣諸葛、為賀茂神社使

『日本三代実録』元慶6年7月24日甲子条(882)

賀茂斎女王禊鴨於初

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 元慶7年4月24日庚申条(883)

諸衛警固、明日賀茂也、

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 元慶7年4月25日辛酉条(883)

賀茂祭常、

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神) 元慶7年4月26日壬戌条(883)

諸衛解厳、

『日本三代実録』元慶7年5月22日丁亥条(883)

夜、-遣使者於松尾、賀茂御祖、別雷、稲荷、貴布禰、水主、乙訓七而雩、以也、

『日本三代実録』元慶7年7月13日丁丑条(883)

従四位上行神祇伯棟貞-幣於伊勢大神賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、貴布禰、丹生河上、大和等神社、遣使幣、丹生河上加是、六月廿七日鷺大極殿鵄今月三日已往霖雨淹旬、河水溢漲、内外略愁、陰陽寮占奏言、主上可且天下将故予賽焉、

『日本三代実録』元慶7年9月2日乙丑条(883)

-幣於賀茂御祖、別雷、松尾、貴布禰、稲荷、乙訓、丹生河上神也、

『日本三代実録』元慶8年3月22日癸未条(884)

神祇官於左仗-定斎王、其伊勢斎者皇女繁子卜食、賀茂斎者皇女穆子、太上天皇在祚、卜定今依変、

『日本三代実録』元慶8年4月9日己亥条(884)

皇女伊勢斎繁子、賀茂斎内親

『日本三代実録』元慶8年4月11日辛丑条(884)

参議刑部卿正四位下兼行近江守忠貞賀茂神内親

『類聚三代格』17(国諱追号并改姓名事) 元慶8年4月13日勅(884)

勅、朕庸菲之天横之而如而若今所男女、皆居時生也、既周邦之懿漢典之封加以、弘仁已降、茂躅長存、或材子八人、元凱於朝或本枝百世、蒸嘗於祖彼聖明之深図遠算、猶尚如斯、況朕之褊慮短矜、豈漢明帝有言、我子不先帝等、至哉言也、朝臣之上レ景風之是朕一身閨閫之事耳、不後王之唯二女応-奉斎宮者、上朕之素其余皆鴻臚之冊燕翼之主者施行、
元慶八年四月十三日

『日本三代実録』元慶8年4月13日癸卯条(884)

勅曰、朕庸菲之大横之而若今所男女、皆居時生也、既周邦之懿漢典之封加之、弘仁已降、茂躅長存、或材子八人、元凱於朝或本枝百世、蒸嘗於祖彼聖明之深図遠算、猶尚如斯、況朕之褊慮短矜、豈漢明帝有言、我子不先帝聖哉言也、朝臣之姓、上レ景風之是朕一身之閨閫之事耳、不後王之唯二女応-奉斎宮者、上朕之素其余皆鴻臚之冊燕翼之

『日本三代実録』元慶8年4月18日戊申条(884)

諸衛警固明日賀茂也、

『日本三代実録』元慶8年4月19日己酉条(884)

賀茂祭常、斎内親王

『日本三代実録』元慶8年4月21日辛亥条(884)

繁子穆子両内親王、各絹五十疋、綿二百屯、細布廿端、調布百端、商布三百段、貞観銭廿貫文、韓櫃廿

『類聚三代格』1(神社事) 元慶8年7月29日官符(884)

太政官符
-賀茂神山狩
右右大臣宣、奉 勅、件神山四至之内、不之状、制旨間降、如聞、無頼之輩-射猪鹿五位已上取奏聞、六位已下-進其科処、曽
元慶八年七月廿九日

『日本三代実録』仁和元年4月10日甲子条(885)

是日、賀茂斎内親王便紫野今月八日、弁官人死因而停止、於建礼門前大祓、

『日本三代実録』仁和元年4月18日壬申条(885)

諸衛警固、明日賀茂也、

『日本三代実録』仁和元年4月19日癸酉条(885)

賀茂人死也、

『日本三代実録』仁和元年6月28日辛巳条(885)

賀茂斎内親王禊、便紫野矣、

『日本三代実録』仁和元年9月22日癸卯条(885)

-遣使者於賀茂上下、松尾、稲荷、住吉、石清水、高賀茂、平野、春日、大原野、梅宮十一神社奉幣、告文曰、天皇詔旨掛畏賀茂大神広前申賜倍止、頃間天皇御為、不祥之事可有之止、就事所示奈毛、如此之事乎波、掛畏皇大神広恵天之、予防倍岐奈利止奈毛所念行、故是以、参議正四位下行近江権守源朝臣是忠使、礼代大幣捧持奉出、掛畏皇太神、此状聞食、天皇朝廷宝位無、常磐堅磐、夜守日守護幸賜、諸不祥事乎波未然防除賜比天、風水之災、五穀豊稔天下平安守護賜倍止、恐美毛申賜久止申、余社告文又復准此、

『日本三代実録』仁和2年4月5日甲寅条(886)

従五位下守右少弁源朝臣斎院長右少弁如故、

『日本三代実録』仁和2年4月23日壬申条(886)

諸衛警固、明日賀茂也、

『日本三代実録』仁和2年4月24日癸酉条(886)

賀茂祭常、

『日本三代実録』仁和2年6月25日条(886)

相撲中納言従三位兼行左衛門督源朝臣能有、参議正四位下行左兵衛督源朝臣光、参議正四位下行皇太后宮大夫兼播磨守藤原朝臣国経、参議正四位下行左近衛中将兼近江権守藤原朝臣有実、参議正四位下行近江守源朝臣是忠、正四位下行左近衛権中将兼備前守源朝臣興基、従四位上行美濃守源朝臣貞恒、従五位上守左近衛少将兼行讃岐介藤原朝臣高藤、左衛門権佐従五位上源朝臣昇、従五位上守左少弁兼行式部少輔藤原朝臣佐世、左兵衛権佐従五位下藤原朝臣恒興、従五位下行左馬助藤原朝臣連並十二正三位行中納言兼民部卿陸奥出羽按察使在原朝臣行平、参議正四位下行右兵衛督兼伊予権守源朝臣冷、参議正四位下行右近衛中将源朝臣直、参議正四位下行右衛門督藤原朝臣諸葛、大蔵卿正四位下源朝臣定有、散位従四位上源朝臣是貞、右近衛中将従四位下兼行木工頭讃岐権守平朝臣正範、右近衛少将正五位下兼行越中守源朝臣堪、右衛門佐従五位上平朝臣季式、従五位上守右兵衛佐源朝臣元、従五位下行右馬助在原朝臣載春、斎院長官従五位下兼守右少弁源朝臣希十二人左右大臣已下左仗先議定、向太政大臣里第視之、然後中務外記候拝除、即時左右司、各左右衛門始行事、承前之例、始行之時、各而皇妣贈皇太后忌今月晦仍随停止、

『日本三代実録』仁和2年8月7日癸丑条(886)

去四霖雨、至大風雨洪水、-遣使者於賀茂上下、松尾、稲荷、貴布禰、丹生河上六告文曰、天皇詔旨、掛畏松尾大明神広前申賜倍止申、方今秋稼登熟須留奈利、大神厚護天之、風雨災不之天五穀豊稔倍之止奈毛所念行、故是以正親司少令史従八以上斎部宿禰岑吉使礼代大幣帛奉出、此状奈可良毛聞食、風雨之災防除給、五穀茂盛天下饒足之女、天皇朝廷宝祚無動、常磐堅磐夜守日守利爾護幸奉賜倍止、恐美毛申給久止申、自余社告文准此、丹生河上貴布禰二社-奉白馬各一

『日本三代実録』仁和2年9月27日壬寅条(886)

賀茂神社辺有狼、-行人相逢、以刺殺、

『日本三代実録』仁和3年2月2日丙午条(886)

従五位下行少内記三善宿禰清行大内従五位下行式部大丞藤原朝臣興範掃部従五位下守刑部大輔小野朝臣喬木山城従五位上守宮内大輔源朝臣弼大和権大輔如故、従五位下守図書頭清江宿禰貞直和泉掃部頭従五位下在原朝臣一貫摂津散位従五位上藤原朝臣継蔭伊勢従五位上橘朝臣茂蔭尾張前遠江守従五位上藤原朝臣清保遠江散位外従五位下山口朝臣岑世伊豆従四位上行左馬頭藤原朝臣利基相模左馬頭如故、従五位上守大蔵大輔源朝臣建斎院長官従五位下兼守右少弁源朝臣希近江権余官如散位従四位下藤原朝臣諸藤美濃権従五位下守左衛門権佐藤原朝臣良積散位従五位下多治真人安方越前従四位下行中務大輔十世王加賀権中務大輔如故、従五位上行内薬正兼侍医針博士深根宿禰宗継為介、余官如故、従五位下行民部少丞藤原朝臣野風越後散位従五位下藤原朝臣仁道為介、従四位下行民部大輔藤原朝臣忠主丹波従五位下行主水正忠王丹後勘解由次官従五位下兼守大判事惟宗朝臣直宗播磨大余官如故、従四位上行弾正大弼雅望王美作権弾正大弼如故、散位従四位下藤原朝臣清経周防権外従五位下矢田部造利人長門外従五位下佐伯直清氏淡路従四位上源朝臣国紀伊予権従四位下藤原朝臣保則主計頭従五位上宮道朝臣弥益本官如故、散位従五位下橘朝臣興門肥前

『類聚三代格』2(年分度者事) 仁和3年3月14日符(887)

太政官符
応加試年分度者二人事
一人大比叡明神大毘廬遮那経業
一人小比叡明神一字仏頂輪王経業
右延暦寺座主法眼和尚位円珍表偁、故祖師法印大和尚位最澄、延暦末年奉使入唐、求法事訖、臨廻請於当州公馮、且明州主朝議郎使持節明州諸軍事守明州刺史上柱国熒陽鄭審則批判求法目録称、最澄闍梨、性生知之礼儀之天台之智者之法西鏡湖之潅頂之神法門龍象青蓮出者、然則西朝我国礼儀之当寺法主大比叡小比叡両明神、陰陽不測、造化無為、弘誓亜仏、護国為心、真言潅頂之道、所大乗戒壇之検、祖師創開専若不者、何頃年度僧惣八箇人、其六人者東塔春秋試度、惣其二人者西塔春三月試度、就一人賀茂明神一人春日明神主神独貞観二年擬依違不言、黙而至此、以来窅祟頻繁、遂不者恐神明怒、且夫毘盧遮那経者、八万法蔵之肝心、陀羅尼教之梁棟也、随経議釈七百余紙、文理尋深、局知難会、而旧只是一人、学徒乏少、大道猶哽、又頂輪王経者真言之枢機、法城之門戸也、所以祖師積年、耽習其 延暦天子聖躬不予之修法奉山家之開泰莫是以東西弟子、至勤修、円珍伏見、仏法中興莫承和之聖山神膺当時之鴻伏望、-加度者二両神之地主之結護国之冥三月十七元初二同共試度、自余事条延暦弘仁両朝之又受戒之後、毎日金剛般若経各一-願両-護一十二年末恒復試之日金光明六巻止者、中納言従三位藤原朝臣山陰宣、奉 勅、去延暦廿五年正月廿六日永以上レ之、
仁和三年三月十四日

『日本三代実録』仁和3年3月14日戊子条(887)

-試延暦寺年分度僧二其一人大毘盧遮那経業、大比叡神其一人一字頂輪王経業、小比叡神是、彼寺座主前入唐尋教釈法眼和尚位円珍上表言、国之国、本依礼、人之為人、亦由礼、故書曰、人有則安、無則危、経曰、人能行礼、是知、内経外書、以存立、故祖師法印大和尚位最澄、延暦末年、奉使入唐、求法事訖、臨当州公且明州朝議郎使持節明州諸軍事守明州刺史上国柱熒陽鄭審則批判求法目録称、最澄闍梨、性生知之礼儀之五台之智者之法西鏡湖之潅頂之神法門龍象、青蓮出者、然則西朝我国礼儀之当寺法主大比叡小比叡両明神、陰陽不測、造化無為、弘誓亜仏、護国為心、真言潅頂之道、所大乗戒壇之検、祖師創開、専若不者、何頃年度僧、惣八箇人、其六人者東塔春秋試度、惣其「一」其二人者、西塔春三月試度、就一人賀茂明神一人春日明神主神独其分度実是闕者也、去貞観二年擬依違不言、黙而至此、以来、窅祟頻繁、遂不者、恐神明怒、且夫毘盧遮那経者、八万法蔵之肝心、陀羅尼教之梁棟也、随経議釈七百余紙、文理尋深、局知難会、而旧只是一人、学徒乏少、大道猶哽、又頂輪王経者、真言之枢機、法城之門戸也、所以祖師積年耽習、其延暦天子 聖躬不予之法、 宝山家之開泰、莫是以、東西弟子、至勤修、円珍伏見、仏法中興、莫承和之聖山神膺慶、当時之鴻伏望蒙度者二両神之地主之結護国之冥三月十七元初二同共試度、自余事条、延暦弘仁両朝之又受戒之後、毎日金剛般若経各一-願両護一十二年末、恒復試之日、金光明六巻止者、之、延暦廿五年正月廿六日度年分僧永以上レ之、

『日本三代実録』仁和3年4月17日庚申条(887)

諸衛厳警、明日賀茂也、

『日本三代実録』仁和3年4月18日辛酉条(887)

賀茂祭常、

『日本三代実録』仁和3年6月25日丁卯条(887)

相撲中納言従三位兼行左衛門督源朝臣能有、参議正四位下行皇大后宮大夫国経、参議正四位下近江権守藤原朝臣有実、参議正四位下陸奥出羽按察使源朝臣是忠、参議左大弁従四位上兼行勘解由長官文書博士橘朝臣広相、従四位上行美濃守源朝臣貞恒、従五位上守左近衛少将兼行讃岐介藤原朝臣高藤、左衛門権佐従五位上源朝臣昇、従五位上守左少弁兼行式部少輔藤原朝臣佐世、従五位上行左兵衛権佐藤原朝臣恒興、従五位下行左馬助藤原朝臣連中納言従三位兼行民部藤原朝臣山蔭、参議従三位源朝臣冷、参議正四位下行播磨守源朝臣直、参議正四位下行右衛門督兼美濃権守藤原朝臣諸葛、大蔵卿正四位下兼行源朝臣定有、従四位上行播磨権守源朝臣是貞、右近衛中将従四位下兼行木工頭讃岐権守平朝臣正範、右近衛少将正五位下源朝臣堪、正五位下右衛門佐平朝臣季式、従五位上守右兵衛佐源朝臣元、従五位下行右馬助在原朝臣載春、斎院長官従五位下兼守右少弁近江権介源朝臣希

『類聚三代格』2(年分度者事) 寛平7年10月28日官符(895)

太政官符
四月十五日以前
延暦寺偁、太政官今年三月七日偁、如諸寺他宗者、各便-下宣彼寺授之正理不然、大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅陸奥出羽按察使源朝臣能有宣、奉 勅、凡天台宗年分之外臨時度者、寺家具官符日月依止師二月以前直-三月之内畢、自以後永者、謹二月言上之制雖臨時度而三月授戒之期未年分度者、授戒之期太早、若臨時者、旧格之旨得宜、去貞観八年閏三月十六日云、寺家牒偁、太政官去年三月十五日治部符偁、年分度者二箇臨時度者三箇然後者、然而山家年分既得業以後何更経年、凡年々試度年々受戒之年若不者恐有闕、伏冀、先師当年授戒、則-護国臨時度縦雖而廿歳以上才行兼備堪者、方者、右大臣宣、奉 勅、年分度者依請、自余一去年三月十五日者、行来無闕、臨時度者者、皆而今官牒下而授-遏三月以後授官牒之旨最但三月受戒之期甚早也、-者、当寺年分惣一十人、皆是 先皇御願也、就二人-為大小比叡両三月十七日試度之、二人-賀茂春日両三月廿五日試度之、然則余程無式月已迫、凡年分学生等、幼稚離長大住山、-縫三-備一是啻一二日之授戒何三月之二人者、得度既畢、属神分授戒、豈望請、官裁当寺授戒之事、於貞観七年三月十五日四月十五日以前之、又臨時度者年分度同日並十六日夏安-護国者、大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅民部卿陸奥出羽按察使源朝臣能有宣、奉 勅、請、
寛平七年十月廿八日

『類聚三代格』1(祭并幣事) 寛平9年4月10日官符(897)

太政官符
-決被賀茂祭土浪
右得山城国偁、管八箇郡司解偁、件祭騎兵土浪人堪者差進既畢、而事高言上恐拒捍人交申送者、国承引之輩不廿陳列之儀当望請 官裁、如之類、不土浪、不之外笞五者、中納言兼右近衛大将従三位行春宮大夫藤原朝臣時平宣、可之色、国司先責贖、自余依請、
寛平九年四月十日

『令集解』7(神祇令) 天神地祇条(凡天神地祇者神祇官皆依常典祭之)

謂、天神者、伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神等類是也、地祇者、大神、大倭、葛木鴨、出雲大汝神等類是也、常典者、此令所載祭祀事条是也、釈無也、大汝以上、古記亦無也、穴云、祭、謂四季所祠、及祭之調度、備儲、大嘗毎世毎年等、之常也、若調度斎日等、違失者、此神祇祭祀、也、其大宰主神神祇其祭可但天皇即位、惣天神地時、皆也、跡云、常典、謂以下、季冬以上、是之、朱云、皆祭、謂社皆約此、-給幣者、但神祇官之不諸国社者、不耳、

『延喜式』1(四時祭上) 大中小祀条〔1〕

凡践祚大嘗祭大祀、祈年、月次、神嘗、新嘗、賀茂等祭大忌、風神、鎮花、三枝、相嘗、鎮魂、鎮火、道饗、園、韓神、松尾、平野、春日、大原野等祭風神祭已上、並諸司斎之、鎮花祭已下、祭官斎之、但小祀祭官斎者、内裏不斎、使之祭者斎之、

『延喜式』2(四時祭下) 相嘗鴨別雷社条〔8〕

鴨別雷社一座
絹二疋、糸一絇一両、綿三屯、調布三端四丈、庸布一段一丈三尺、木綿一斤十両、鮑十両、堅魚二斤十両、腊四斤、海藻二斤、凝海藻三斤、塩一升、筥一合、瓼、缶、水盆、山都婆波、小都婆波、筥瓶、酒垂、匜、等呂須伎、高盤、片盤、短女坏、酒盞、筥坏、陶臼各二口、酒稲五十束、神税、

『延喜式』3(臨時祭) 祈雨神祭条〔26〕

祈雨神祭八十五座、並大、
賀茂別雷社一座、 賀茂御祖社二座、 松尾社二座、
稲荷社三座、 水主社十座、 樺井社一座、
木島社一座、 羽束石社一座、 乙訓社一座、
和伎社一座、 貴布禰社一座、已上山城国、
大和社三座、 大神社一座、 石上社一座、
太社二座、 一言主社一座、 片岡社一座、
広瀬社一座、 龍田社二座、 巨勢山口社一座、
葛木水分社一座、 賀茂山口社一座、 当麻山口社一座、
大坂山口社一座、 胆駒山口社一座、 胆駒社一座、
石村山口社一座、 耳成山口社一座、 養父山口社一座、
都祁山口社一座、 都祁水分社一座、 長谷山口社一座、
忍坂山口社一座、 宇陀水分社一座、 飛鳥社四座、
飛鳥山口社一座、 畝火山口社一座、 吉野山口社一座、
吉野水分社一座、 丹生川上社一座、已上大和国、
枚岡社四座、 恩智社二座、已上河内国、
大鳥社一座、和泉国、
住吉社四座、 大依羅社四座、 難波大社二座、
広田社一座、 生田社一座、 長田社一座、
新屋社三座、 垂水社一座、 名次社一座、已上摂津国、
座別絹五尺、五色薄絁各一尺、糸一絇、綿一屯、木綿二両、麻五両、裹薦半枚、毎調布二端、軾料、夫一人、丹生川上社、貴布禰社加黒毛馬一自余社庸布一其霖雨不祭料亦同、但馬

『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕

名神祭二百八十五座、
園神社一座、 韓神社二座、已上宮内
賀茂別雷神社一座、 賀茂御祖神社二座、 松尾神社二座、
稲荷神社三座、 貴布禰神社一座、 鴨川合神社一座、
御井神社一座、 葛野月読神社一座、 木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、 梅宮神社四座、 乙訓神社一座、
酒解神社一座、山崎已上山城国、
春日神社四座、 大和神社三座、 石上神社一座、
多坐神社二座、 飛鳥神社四座、 高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、 大神神社一座、 太玉神社四座、
穴師神社一座、 高屋安倍神社三座、 大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、 金峯神社一座、 鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、 葛木一言主神社一座、 高鴨神社四座、
高天彦神社一座、 葛木火雷神社二座、 片岡神社一座、
火幡神社一座、 広瀬神社一座、 龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、 枚岡神社四座、 杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、 大依羅神社四座、 難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、下照比 新屋神社三座、 垂水神社一座、
広田神社一座、 生田神社一座、 長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、 多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或大作多、 真墨田神社一座、 大県神社一座、
熱田神社一座、 日割御子神社一座、 孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、 敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、 伊古奈比咩命神社一座、 物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、 楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、 金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、 大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、 筑波山神社一座、 吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、 稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、 日吉神社一座、比叡神同、 佐久奈度神社一座、
建部神社一座、 川田神社二座、 御上神社一座、
奥津島神社一座、 伊香神社一座、 水尾神社二座、或水作三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、 穂高神社一座、 生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、 伊加保神社一座、 赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、 苅田嶺神社一座、 志波彦神社一座、
鼻節神社一座、 志波姫神社一座、 伊達神社一座、
東屋沼神社一座、 零羊崎神社一座、 拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、 多珂神社一座、 伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、 大高山神社一座、 子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、 月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、 大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、 小川月神社一座、 麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、 籠神社一座、 大虫神社一座、
小虫神社一座、 大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、 夜夫神社二座、 伊豆志神社八座、
山神社一座、 戸神社一座、 雷神社一座、
欘椒神社一座、 海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、 杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、 宇受加命神社一座、 水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、 粒坐天照神社一座、 中臣印達神社一座、
家島神社一座、 伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、 伊都伎島神社一座、 多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、 日前神社一座、 国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、 大屋都比売神社一座、 都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、 伊達神社一座、 志磨神社一座、
静火神社一座、 須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、 大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、 天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、 大山積神社一座、 野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、 住吉神社三座、 志加海神社三座、
八幡神社一座、 筑紫神社一座、 竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、 豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、 兵主神社一座、 月読神社一座、
中津神社一座、 天手長男神社一座、 天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、 和多都美御子神社一座、 高御魂神社一座、
和多都美神社一座、 太祝詞神社一座、 住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若者、絁五丈五布一糸一

『延喜式』3(臨時祭) 致散斎条〔52〕

凡祈年、賀茂、月次、神嘗、新嘗等祭前後散斎之日、僧尼及重服奪情従公之輩、不入内軽服致斎并前散斎之日、不自余諸祭斎日、皆

『延喜式』3(臨時祭) 三社神税穀条〔79〕

凡鴨御祖、別雷、熱田三社神税穀者、社用之外不報、

『延喜式』6(斎院司) 定斎王条〔1〕

凡天皇即位、賀茂大神内親王未嫁者卜之、内親者、諸女卜之、卜食訖勅使於彼示事神祇祐已上一人、使共向、卜部解除、神部綿、立寝殿四面及内外木綿賢木所司備之、解除料等本家儲之、事畢賜禄、中臣、忌部以下各有差、其後参議已上一人於上下両幣告内蔵寮備幣、卜部一人随使、使解除向社、

『延喜式』6(斎院司) 忌詞条〔2〕

凡忌詞、死称直、病称息、血称汗、完称菌、打称撫、墓称壌、

『延喜式』6(斎院司) 初斎院条〔3〕

畢、即宮城内便、為初斎即先祓潔乃入、

『延喜式』6(斎院司) 祓物条〔4〕

祓物、
五色絁各四尺、塩二升、酒、米各一斗、鰒、堅魚、海藻各三斤、匏一柄、輦籠一腰、朸、庸布二段、食薦二枚、黄蘗五斤、安芸木綿三両、凡木綿、麻各一斤、鍬二口、稲二束、夫二人、
右、請用、其前二日、弁官院別当已下并陰陽寮及供奉諸、点定其奏之、于期斎王駕赴向、走孺十人、車副十四人、手振十人、取物十人、装物韓櫃、盥器韓櫃各一合、担夫院今供膳韓櫃三合、同雑器物二荷、衣服韓櫃二合、禄物韓櫃六合、担夫並膳部六人、舎人二人、荷領十人、蔵人所陪従六人、院女別当已下並女別当已下蔵人已上采女、女孺以下馬寮勅使参議一人、院別当一人、五位四人、六位四人並前駈、左右近衛、左右兵衛各二人、左右門部各二人、左右火長各十人供奉、左右京職官人兵士已迎候、山城国司京極弁一人、史一人、史生二人、官掌一人、供奉諸、就行事、斎王到而禊、神祇官中臣進麻、宮主訖即勅使已下饌并弁官、付院別既而廻帰初斎定供膳

『延喜式』6(斎院司) 井祭料条〔5〕

井祭料、
五色絁各四尺、絹一疋、糸一絇、倭文四尺、綿一屯、布一端、庸布二段、鍬二口、麻二斤、木綿大一斤、堅魚、鰒各四斤、腊四斤、海藻四斤、塩五升、酒、米各一斗、水戸一口、坏八口、匏一柄、柏五把、
右、神祇官申請取、宮主

『延喜式』6(斎院司) 三年斎条〔6〕

凡斎王初斎三年斎、畢其年四月始将祓禊、供神料初度其儀斎王乗輿、輿者主殿官人二日設候、輿長十人、黄衣、駕輿丁卌人、紺布衣、衛府十二人、左右近衛、兵衛、門部各二人、並本府青摺但門部便院門左右火長各十人、京職并山城国司祇承、初度禊駕馬女十六人、乳母二人、蔵人六人、女孺四人、小女四人、走孺十人、装物韓櫃、盥器韓櫃各一合、供膳韓櫃三合、同器物二荷、衣服韓櫃二合、禄物韓櫃六合、担夫卌六人、院今良二人、左右衛士卌四人、膳部六人、葡萄染布衣、膳所舎人二人、荷領十人、並退紅染布衣、蔵人所陪従六人、御車女別当已下並乗車、初度禊勅使大納言、中納言各一人、参議二人、四位、五位各四人、内侍一人、弁一人、外記、史各一人、太政官史生一人、弁官史生二人、官掌一人、神祇、内蔵、縫殿、陰陽、大蔵、宮内、大膳、木工、大炊、主殿、掃部、造酒、主水、左右馬等官省職寮司供奉、禊事既畢饌并勅使已下五位已上内蔵寮饗之、六位已下大膳職、訖即廻帰、便更賜禄、

『延喜式』6(斎院司) 大殿祭条〔7〕

大殿祭、神祇式大殿同、
右、将神祇官請料祭、

『延喜式』6(斎院司) 賀茂祭条〔8〕

凡斎王毎年四月中酉日、上下両社社外換衣輿、却駕輿輿長、就社前左殿事畢、駕於上社前右殿勅使内蔵寮五位已上官一人、近衛府、馬寮五位已上官各一人、並左右更供、走馬十二騎、左右近衛更供、中宮、東宮使五位已上官各一人、内侍并命婦、蔵人、闈司各一人、中宮命婦、蔵人各一人、自余初度四月禊腰輿一具、駕輿丁四

『延喜式』6(斎院司) 両社幣条〔9〕

上下両社幣帛料、
五色絁各四丈、三座座別一丈三尺三寸三分、
右、院司内蔵請之、

『延喜式』6(斎院司) 忌火竈神祭料条〔10〕

忌火竈神祭料、
五色絁各一尺、倭文一尺、庸布一段、鍬二口、木綿、麻各二斤、東鰒、堅魚、海藻各一斤、塩一升、酒、米各二升、坏二口、水戸一口、柏二把、匏一柄、
右、神祇官直請取、宮主

『延喜式』6(斎院司) 尋常四月禊条〔11〕

尋常四月禊、
右、供神料并儀式初斎之禊使

『延喜式』6(斎院司) 六月禊条〔12〕

六月禊、
右、宮主於然後男女官解除、但禊物饗料院司具備、

『延喜式』6(斎院司) 相嘗祭条〔13〕

相嘗祭、若七月以前者当年祭之、八月以後者祭、
神座二前、上下両社料、南面東上、
五色帛各四尺、酒二斗、供神料

『延喜式』6(斎院司) 相嘗祭装束料条〔14〕

装束料、
小忌宣旨、采女各一人、別絹一疋、綿三屯、貲布一丈五尺、采女代七人絹三丈、貲布一丈五尺、卜食司人三人、貲布一丈五尺、使院司一人、卜食、絹一疋、調綿三屯、布一端、宮主絹一疋、綿一屯、舎人一人布一端、仕丁一人庸布一段、
右、毎年十一月上卯日鶏鳴、斎王潔斎、遥拝幣於神夕時上件神座於斎殿座別斎王供承祭之、奉幣使廻後、院司并宮主各衣一明日夕酒饌於院裏男各有差、初使至奉幣之後、両社禰宜、祝及忌子等、同四月祭其用度料絹廿疋、調綿二百屯、布卅端預前申官請大蔵

『延喜式』6(斎院司) 竈神祭料条〔15〕

竈神祭料、
五色帛各二尺、倭文二尺、木綿、麻各一斤、鰒、堅魚、腊、海藻、雑海菜各一斤、塩、米、酒各二升、坏四口、瓶一口、水戸一口、柏四把、匏一柄、

『延喜式』6(斎院司) 晦日解除料条〔16〕

晦日解除料、
庸布一丈四尺、鍬二口、安芸木綿十両、麻八両、米、酒各二升、鰒、堅魚、海藻各一斤、稲二束、
右、祭并解除料、神祇官毎月直請取、宮主祭但六月、十二月晦日、中臣奉麻、事畢賜禄、中臣被一条、宮主衣一領、

『延喜式』6(斎院司) 禊祭斎王料条〔17〕

毎年禊祭料、
斎王料呉綾一疋、中緑絁一疋、両面二疋、料、羅二疋、浅緑絹一疋、白縑五疋、白絹十疋、絹十疋、帛十疋、白紗四疋、紫糸四斤、紫革、緋革各二枚、蘇芳大三斤、茜大廿斤、紅花大廿斤、紫草百斤、楊筥十合、綿端表帖二枚、長各八尺、広五尺、両面端帖十二枚、八枚殿昼座土敷料、四枚二社座料、緑端帖十枚、寝殿座土敷料、綿端茵二枚、社座料、出雲筵四枚、二枚社料、二枚夏座料、絹二疋九尺八寸、几帳五具帷料、

『延喜式』6(斎院司) 画祭日服料条〔18〕

祭日服并陪従女衣料、金泥四両一分二銖、銀泥四両一分二銖、蘇芳大四斤、胡粉五斤三両三分、緑青三斤十三両、白緑一斤十二両二分、空青二斤三両二分、丹二斤二両、雌黄五両一分、同黄四両四銖、三月十三日奏請、

『延喜式』6(斎院司) 禊祭人給料条〔19〕

人給料、
絹一百七十八疋三尺、卌疋禄料衾卅条料、卅疋小褂衣八十領料、八十六疋三尺宣旨以下走孺以上祭日装束料、二疋院司装束料、廿疋走馬衛府并楽人等禄料、帛十四疋、蔵人六人并乗馬女孺四人、采女一人、采女代三人、惣十四人装束料、白綾七疋四丈、六疋四丈宣旨以下女孺以上廿人袴表料、各二丈、一尺小女四人袴表料、各一丈五尺、赤紫絹四疋、二疋三丈走孺十人衣料、各一丈五尺、一疋三丈同袷襠料、各九尺、緋絹五疋五丈五尺、四丈五尺長官当色料、五疋走孺十人裳表料、各三丈、一丈同腰挟料、各一尺、藍染夾纈絹三疋、宣旨一人、乳母二人料、別一疋、白紗四疋一丈、三疋宣旨以下女孺以上廿人領巾料、各九尺、一疋一丈走孺十人同料、各七尺、糸卌斤、白赤各廿斤、祭雑用料、調綿四百八十屯十五両一分三銖、百八十屯禄料衾卅条、別六屯、十五両一分二銖浅縹地夾纈料絹十五疋二丈料、別一両、二百屯禊日禄料、百屯走馬衛府并楽人等禄料、細布八端三丈七尺、六端一丈二尺輿長已下荷領已上卅六人袴料、別七尺、三丈五尺走孺十人襪料、別三尺五寸、一端三丈禊日取物十人袴料、別七尺、紺細布四端八尺、禊日車副十四人、手振十人袴料、別七尺、紺調布十八端、四端乳母二人料、各二端、十四端駕馬女十四人料、別一端、布九十四端二丈五尺二寸、五端宣旨一人料、四端乳母二人料、各二端、五十端駕馬女已下合廿五人料、各二端、十七端六尺駕輿丁卌四人、今良二人、担夫卌四人、合九十人袴料、各八尺、二端四尺駕輿丁卌四人脛巾料、各二尺、一端一丈五尺二寸駕輿丁卌四人脚結料、各一尺三寸、十五端雑用料、庸布七百段、二百段諸司番上已下祭日禄料、五百段禊祭雑用料、蘇芳大一斤十四両二分四銖、浅縹地夾纈料絹十五疋二丈料、黄蘗大十六斤七両三分、十二斤七両三分浅縹地夾纈絹十五疋二丈料、四斤辛紅地彩色夾纈絹四疋料、紅花大十六斤、辛紅地夾纈絹四疋料、別四斤、茜大七斤十両二分四銖、浅縹地夾纈絹十五疋二丈料、別八両、黄櫨大七斤十両二分四銖、同絹十五疋二丈料、別八両、礬石十五両一分二銖、同絹十五疋二丈料、別一両、麩二斗、辛紅彩色夾纈絹四疋料、別五升、小麦三斗五升、二斗三升浅縹地夾纈絹十五疋二丈料、別一升五合、一斗二升辛紅彩色夾纈絹四疋料、別三升、紫草百斤、筑紫草料、銭八十九貫七十二文、一貫二百文宣旨装束料、六貫文蔵人六人料、各一貫文、二貫四百文乳母二人料、各一貫二百文、四貫文駕馬女孺四人料、各一貫文、二貫文小女四人料、各五百文、六貫文駕車女六人料、各一貫文、四貫文采女一人、代三人并四人料、各一貫文、十六貫百文輿長已下荷領已上并卌六人冠直、各三百五十文、十三貫二百文駕輿丁卌四人冠直、各三百文、五貫八百文夾纈料絹十九疋二丈藍染料、別三百文、六十四文辛紅彩色夾纈絹四疋料藁八囲直、別八文、六百九十文夾纈料薪廿三荷直、別卅文、四貫文灰廿斛直、別二百文、二貫三百六十文夾纈料絹十九疋二丈染作工卅九人小半功料、別六十文、一貫二百五十八文同相作夫卅九人小半功料、別卅二文、廿貫文雑用料、白米五十斛七斗八升六合、五十斛禊祭儲料、七斗八升六合夾纈相作夫卅九人小半食料、黒米五十斛七斗八升六合、五十斛禊祭儲料、七斗八升六合夾纈相作夫卅九人小半食料、油五斗、禊祭儲料并雑用料、塩四斛一升五合七勺、四斛禊祭儲并雑用料、一升五合七勺夾纈師并相作夫単七十八人大半料、別二勺、酢六升、辛紅夾纈料絹四疋料、別一升五合、酒一斛四斗三升六合、一斛二斗祭日料、二斗三升六合夾纈師并相作夫単七十八人大半料、別三合、鰒、堅魚、干鮭各百斤、禊祭料、雑魚三斛一斗五升七合、三斛禊祭料、一斗五升七合夾纈師并相作夫単七十八人大半料、別二合、海藻九斤十三両三銖、夾纈師并相作夫単七十八人大半料、別二両、熟食百五十九具、机四前、上折櫃廿一合、中折櫃廿一合、大笥廿五合、裹八十八具、
右、所司弁備、祭日供之、

『延喜式』6(斎院司) 頓給料条〔20〕

頓給料、
絹五十疋、銭卅貫文、白米十斛、黒米廿斛、
右、斎王初定、依請受、
斎王定畢所雑物、

『延喜式』6(斎院司) 膳器条〔21〕

膳器、
銀飯鋺一合、銀箸三具、銀盞一合、銀匕二柄、銀箸台二口、銀水鋺一口、銀唾壷一口、銀盤二口、白銅酒壷一合、白銅杓一柄、白銅白銅風炉一具、白銅火炉一具、白木韓櫃三合、榻并三尺朱漆台盤三前、台、樽二口、

『延喜式』6(斎院司) 行具条〔22〕

行具、
輿一具、腰輿一具、下案一大翳二枚、平文小翳一枚、平文大笠二枚、平文柄并志銀捧壷二口、平文銀平文筥二合、行障六枚、大四枚、小二枚、金装車一具、斗帳二具、軽幄骨二具、蓋二条各方一丈四尺、料深紫、浅紫、黄帛各五丈六尺、緋帛一疋一丈二尺、同裏料緋帛四疋、紐五十六条緋帛一丈二尺六寸、綱三条料緋帛一疋、中幡料布一端二丈、袋一口料両面五尺四寸、裏料絹五尺四寸、帷八条、四条各十幅、四条各八幅、料赤紫帛十二疋、裏料帛十二疋、紐卅六条料紫帛四丈四尺、裏料帛四丈四尺、縫料緋糸一絇、糸四両、斑幔九条、二条高各五尺、七条高各八尺、料緋帛十五疋一丈八尺、黄帛十五疋二丈四尺、縹帛十一疋三丈七尺五寸五分、縫料縹糸一絇八両、黄糸一絇四両、糸六両、袋八口料紺布三端一丈四尺、裏料布三端一丈四尺、並申官請大蔵省縫紺絁幕七条、緋裏、同色幔五条、縹裏、柱桁四具、木工赤漆韓櫃十合、大蔵几帳十基、六基三尺、四基一尺五寸、櫛机一具、屏風六帖、五尺二帖、四尺四帖、沐槽一口、浴槽一口、

『延喜式』6(斎院司) 人給料条〔23〕

人給料、
釜五口、一口一口三口酒海三合、下食盤十枚、台盤七基、八尺一基、四尺六基、白銅箸四具、白銅匕八柄、白銅杓二柄、瓺卅口、薬袋卅四枚、
右、並随請換、下条三年一請之色、同共請備、若遷替之日、併斎王

『延喜式』6(斎院司) 時服料条〔24〕

時服料、
絹卌疋、夏廿疋、冬廿疋、調布卌端、夏廿端、冬廿端、調綿二百屯、冬、
右、随官請大蔵

『延喜式』6(斎院司) 元日節料条〔25〕

元日節料、
白米廿斛、糯米四斛、大豆、小豆各二斛、胡麻、粟各一斛、大炊油六斗、主殿塩二斛、大膳
右、預前申請受、

『延喜式』6(斎院司) 冬料鋪設条〔26〕

冬料鋪設、用四月祭
錦端畳二枚、長各八尺、広五尺、両面端畳八枚、緑端畳十枚、出雲筵二枚、褥中幡料、
右、斎王座料、毎請受、
緑端畳十枚、黄端畳十枚、
右、人給料、斎王共受用、

『延喜式』6(斎院司) 三年一請条〔27〕

三年一請雑物、
暈繝錦四尺四寸、櫛机覆一条表料、両面六疋、五丈一尺供膳朱漆台盤三前覆表料、各一丈七尺、四丈二尺同赤漆韓櫃三合覆表料、各一丈四尺、四疋二丈七尺納韓櫃十合深浅覆各十具料、緑絁三疋四丈五尺五寸、二丈五尺五寸牀一脚覆表料、三疋二丈納韓櫃十合綱廿条料、緋絁六疋八尺、五疋五丈取物十人表衣料、別三丈五尺、一丈八尺大笠二蓋裏料、赤紫帛三疋五丈二尺、二疋斗帳夏帷二具紐表料、一疋五丈二尺冬帷二具同料、深縹帛四疋三尺五寸、四丈四尺夏壁代紐表料、一疋五丈二尺冬壁代同料、五丈二尺五寸夏幌五条紐表料、三丈五尺冬幌同料、黄帛七疋、五疋輿長十人衣料、別三丈、二疋雑使女四人衣料、別三丈、帛五疋、輿長十人衣裏料、絹二百卅八疋一丈七尺九寸、五丈一尺供膳台盤三前覆裏料、各一丈七尺、四丈二尺同赤漆韓櫃三合覆裏料、各一丈四尺、五丈一尺供膳台盤三前雨皮裏料、各一丈七尺、四丈二尺同韓櫃三合雨皮裏料、各一丈四尺、二丈取物筥二合袋裏料、四疋二丈七尺納韓櫃十合深浅覆各十具料、一丈八尺大笠二蓋覆中幡料、二丈取物革筥二合雨皮裏料、二丈五尺五寸床一脚雨皮裏料、四丈五尺五寸腰輿一具雨皮三条裏料、四尺四寸櫛机一具覆裏料、三疋三丈膳部六人表衣料、十八疋輿長十人、取物十人、膳部六人、荷領十人合卅六人汗衫料、別三丈、十二疋同半臂料、別二丈、十二疋禊日車副十四人、手振十人汗衫料、別三丈、八疋同半臂料、別二丈、卅六疋四丈八尺斗帳二具夏帷料、二疋同帽額料、二疋同紐裏料、卅八疋三丈四尺冬帷料、二疋帽額料、一疋五丈二尺紐裏料、十九疋一丈二尺壁代夏帷料、四丈四尺紐裏料、五十一疋一丈二尺冬帷料、一疋五丈二尺紐裏料、九疋二丈幌夏帷五条料、五丈二尺五寸紐裏料、八疋冬帷料、三丈五尺紐裏料、調綿三百廿三屯、百廿八屯斗帳冬帷二具料、百六十屯冬壁代十八条料、卅五屯冬幌五条料、糸二絇、冬斗帳帷并料、油絁三疋五丈二尺、五丈一尺供膳台盤三前雨皮料、各一丈七尺、四丈二尺同韓櫃三合雨皮料、各一丈四尺、一丈八尺大笠二蓋覆料、三丈大翳二枚雨皮料、二丈取物筥二合雨皮料、二丈五尺五寸床一脚雨皮料、四丈五尺五寸腰輿一具雨皮三条料、紺細布卅四端廿二端駕輿丁卌四人表衣料、別二丈、十二端禊日車副十四人、手振十人衣料、別二丈、細布廿三端二丈四尺、五端荷領十人表衣料、別二丈、八端二丈禊日車副十四人、手振十人、取物十人布帯料、別一丈、五端取物十人表衣料、別二丈、四尺袋四口料、五端輿長十人、荷領十人布帯料、各一丈、紺調布四丈、今良二人表衣料、別二丈、布廿八端二丈四尺、五端一丈駕輿丁卌四人布帯料、一丈、二端一丈六尺納韓櫃綱廿条中幡料、廿端四丈担夫卌四人衣料、別二丈、六丈貲布十五端二丈四尺、駕輿丁卌四人汗衫料、別二丈一尺、薪卌荷直、十七荷斗帳帷并壁代黄白料、三荷斗帳帷一具辛紅料、廿荷雑色人并担夫料、灰十四斛二斗直、十斛二斗斗帳壁代料、三斛雑色人及担夫卌四人料、苅安草八十二囲半、卅一囲半壁代十八条表絹廿疋四料、廿七囲幌七条表絹五疋四料、十囲斗帳料、十二囲雑色人料、内蔵藁卅七囲直、料、紅花大六十九斤、六十一斤斗帳壁代并雑色人料、八斤禊日取物十人表料、大蔵黄蘗大卅斤、斗帳壁代帷料、大蔵銭十七貫七百卅文、九貫八百十文斗帳一具、壁代十八条、幌七条表料絹卅二疋四丈二藍料、疋別三百文、七貫七百廿文、同裏料浅縹絹廿五疋四丈四料、疋別三百文、一百廿文雇夫四人功料、別卅文、八十文雇女四人功料、別廿文、酢六斗一升、五斗六升斗帳絹辛料、五升雑色人装料、白米六斛四斗二升八合、二斗斗帳二具帷并帽額絹粥飼料、一斗雑色人衣同料、六斛縫手宮人単五百人食料、別一升二合、八升雇夫四人食料、別二升、四升八合同女四人食料、別一升二合、酒二斛四升、二斛縫手宮人単五百人料、別四合、二升四合雇夫四人料、別六合、一升六合同女四人料、別四合、魚一斛二升、一斛縫手宮人単五百人料、別二合、一升二合雇夫四人料、別三合、八合同女四人料、別二合、滓醤五斗二升、五斗縫手単五百人料、別一合、一升二合雇夫四人料、別三合、八合同女四人料、別二合、朝使已下女孺已上座料畳八十枚、十枚緑端、十枚黄端、卅枚東筵、卅枚周防筵、並裏端、茵十二枚、二枚紫端、五枚緑端、五枚黄端、五尺牀一脚、上下社儲料、樽四口、杓、中取廿脚、白木灯炉三具、食床十前、灯台十基、独床子六脚、中床子十四脚、大笠二蓋、楊筥六合、簀卌枚、蓑百十四領、帖笠九十八枚、馬蓑十六領、駕馬女料、螻蓑九十八領、帖笠九十八枚、輿長已下料、内蔵

『延喜式』6(斎院司) 松明条〔28〕

凡斎王上下両社祭日、入山城国掾若目一人祗承、其名簿前一日進官、

『延喜式』6(斎院司) 雑色人衣服料条〔29〕

凡雑色人男卌人、女卌一人衣服料絹一百九十二疋三丈、七十一疋夏料、百廿一疋三丈冬料、調綿二百八十三屯、冬料、六丈貲布廿三端五丈五尺、女卌一人夏料、布八十二端、女卌一人冬料、大蔵

『延喜式』6(斎院司) 作手等衣服料条〔30〕

凡作手八人衣服料調綿卅二屯、冬料、布五十六端、廿四端夏料、卅二端冬料、客作児二人衣服料庸布六段、二段夏料、四段冬料、庸綿八屯、冬料、大蔵其食料黒米六斗、民部塩六升、大膳

『延喜式』6(斎院司) 陣屋炬舎条〔31〕

凡門衛陣屋本府造之、炬舎木工寮造之、

『延喜式』6(斎院司) 斎院修理条〔32〕

凡院裏官舎、木工寮修理之日、院司臨監、若不者、司官五位已上六位已下

『延喜式』7(践祚大嘗祭) 斎院祭神条〔10〕

凡斎郡之斎院祭神八前、卜部二人、両国各明衣并

『延喜式』11(太政官) 賀茂祭条〔72〕

賀茂二社、四月中申酉祭、斎内親王向社、史一人、左右史生各一人、官掌一人、-校諸山城国司預官、差使幣、内蔵及左右馬寮前一日大臣殿、召諸衛府次官已、於殿前警固後日解陣亦准此、並事

『延喜式』11(太政官) 賀茂斎王条〔89〕

凡天皇即位、定賀茂大神内親王未嫁者卜定、斎院

『延喜式』12(中務) 女官衣服条〔81〕

女官雑用料、
賀茂祭四月、
使命婦二人、女孺二人装束料、帛十疋、絹十六疋、細布五端、紺細布廿端、紅花十四斤、裙四腰、直、
春日祭、春冬同、
使命婦一人、女孺三人装束料、絁十一疋、綿十四屯、紺細布十四端、
大原野祭、春冬同、
使命婦一人、女孺三人装束料、絁十一疋、綿十四屯、紺細布十四端、
六月神今食八姫装束料、絹八疋、大嘗会「絹」十疋、綿廿屯、-用十二月神今
「五月五日」
命婦已下、今良已上装束料、絹一百六十九疋、調布一百端、貲布二百十六端、八丈為端、縹布廿五端、殿司、灯守四人、掃司女孺十一人装束料、縹絁八疋三丈、人別三丈、火炬二人、黄絁一疋、人別三丈、
皇后宮定額女孺九十人装束料、絁卌五疋、貲布卅九端三丈、四丈為端、今良十五人装束料、絹七疋三丈、人別三丈、縹布七端二丈、人別二丈、
新嘗会、
命婦已下今良已上装束料、絹三百卅八疋、綿六百七十六屯、調布六百卅一端、縹布廿五端、殿司灯守四人、
掃司女孺十一人装束料、縹帛八疋三丈、人別三丈、帛八疋三丈、人別三丈、綿卅四屯、人別二屯、火炬二人、黄帛一疋、人別三丈、帛一疋、人別三丈、綿四屯、人別二屯、
東豎子四人装束料、人別緋絁四丈、帛二疋、綿四屯、元日亦准此、但五月五日帛一疋、貲布四丈、紅花小二斤、並内侍司請充、
皇后宮女孺九十人装束料、絁九十疋、綿一百八十屯、調布一百八十端、今良十五人装束料、絁十五疋、人別一疋、綿卅屯、人別二屯、縹布七端二丈、

『延喜式』12(内記) 宣命紙条〔4〕

凡宣命文者、皆書之、但伊勢太神文、書、賀茂書、

『延喜式』12(内記) 賀茂祭宣命条〔5〕

賀茂祭日宣命、前一日書、奏之、

『延喜式』13(中宮) 賀茂祭条〔18〕

凡四月中酉、賀茂上下松尾三社使者、五位已上官一人、若大夫須、史生一人、已上簿舎人二人、仕丁六人、
其日遅明、使史生舎人、裹幣六社別二捧、賀茂上下社別五色帛各六尺、糸一絇、曝布一端、木綿、麻各大二斤、已上幣料、商布一丈三尺五寸、料、五色絁各三疋、阿礼三具料、楊筥三合、料、絁一疋、糸一絇、曝布一端、已上禰宜軾料、絁一疋、曝布一端、已上祝軾料、松尾社、五色絁各六尺、糸一絇、曝布一端、木綿、麻各大二斤、已上幣料、商布八尺、料、絁一疋、糸一絇、曝布一端、已上禰宜軾料、絁一疋、曝布一端、已上祝軾料、使官史生玄暉、安左腋庭門案高案二脚於簀二枚史生及舎人惣八人、共進、使官相副扶之、常寧殿次宮主解除畢退出、即蔵人持授、使者受取罷出、更宮主解除、畢使官已下内蔵松尾社禰宜祝於内蔵史生一人、舎人一人、各禰宜即内蔵寮給饌、畢各
装束料、
絹一疋、纐纈三丈、裙表料、帛一疋、三丈裙裏料、三丈下裙料、表裙一腰、直、帯一条、直、沓一両、直、紅花四斤、已上上社物忌料、下社亦同、絹五疋、細布五端、曝布五端、当色一具、已上五位使料、若四位者絹二絹一疋、細布五端、曝布一端、当色一具、已上史生料、八丈貲布二端、紅花二斤、已上舎人二人料、紺布四端、袍料、曝布一端三丈、一丈六尺布帯料、一端四尺袴料、人別一丈四尺、並持仕丁六人料、細布二端、調布六端、紅花二斤、左右馬寮御馬騎者喚継二人料、絹廿六疋五丈、縑二疋四丈三尺、紅花卌八斤、紗一疋、細布七端、銭十七貫六百廿文、已上命婦料、絹八疋、一疋五丈二尺、紗四丈、細布四端二丈、紅花卅八斤、銭十貫三百廿文、已上蔵人料、
男官料大蔵内蔵等省馬人并女使料、職庫充之、

『延喜式』13(大舎人) 月次祭条〔8〕

凡六月十一日、月次祭小忌官人一人、史生一人、舎人十人申省、祭日早朝大忌官人二人五位一人、六位一人、神祇日中小忌人等宮内卜食、若不合更差定数、戌時於斎御輿長并副鈴小忌亥時舎人叫門、其詞曰、御畳進某親王門候申、寅時退門、畢即車駕還宮、明旦神祇門、其詞曰、殿事申給宮内省輔姓名門候申、殿畢小忌人宮内解祭畢廻寮、

『延喜式』17(内匠) 賀茂装束条〔33〕

賀茂初斎并野宮装束、
斗帳二具、白木一具、漆一具、几帳十基、三尺六基、一尺五寸四基、
屏風六帖、五尺二帖、四尺四帖、金装車一具、小行障二枚、大翳二枚、平文大笠柄二枚、平文、銀捧壷二口、平文柄并志平文筥二合、輿一具、腰輿一具、屏繖二枚、大行障四枚、小翳筥一合、軽幄骨二具已上料物単功、並見上、
櫛机一具長一尺五寸、広一尺三寸、足高九寸、料、波多板一枚、檜榑半村、阿膠十両、炭二斗一升、切釘廿隻、漆一升二合、掃墨三合、
焼土三合、綿六両、絹一尺、手作布一尺、単功九人、木工六人、漆三人、
膳櫃三合、榻并樽一荷、銀飯鋺一合、銀水鋺一合、銀盞一合、銀盤二口、以上料物単功、並見上、
銀箸三具各長八寸四分、料、銀小十二両、和炭三斗、長功三人、中功四人半、短功六人、
銀匕二柄料、銀小十八両、和炭二斗、油一合、長功四人、中功六人、短功八人、
銀箸台二口料、銀小卌八両、炭四斗、和炭一斛、油二合、塩二升、長功八人、中功十人、短功十二人、
銀唾壷一口口径八寸五分、料、銀小七十八両、炭二斗、和炭一石五斗、油一合五勺、鉄半廷、長功五人、中功六人、短功七人、
白銅酒壷一合、料、白銅大廿斤、油五合、鉄三廷、炭卅斛、和炭一斛、信濃布一丈五尺、麻縄一了、伊予砥一顆、長功五十人、中功五十五人、短功六十人、
白銅杓一柄盤、料、白銅大十両、炭四斛、油一合、信濃布一丈、長功十人、中功十二人、短功十四人、
白銅風炉一具料、白銅大三斤、炭四斛、油一合五勺、信濃布七尺五寸、長功十人、中功十二人、短功十四人、
白銅火炉一具料、白銅三斤、炭四斛、油一合五勺、信濃布七尺五寸、長功十人、中功十二人、短功十四人、
朱漆台盤三面各三尺、加台、料、漆九升、朱砂卅両、掃墨三升、油五合、焼土五升、綿三屯、絹七尺、細布一丈二尺、信濃布一丈二尺、調布一丈五尺、伊予砥一顆、青砥二枚、阿膠十両、炭一斛、単功廿五人、
酒海三合、二合料、漆四升、朱砂十六両、貲布一丈、絹、布各四尺、綿一斤、油四合、炭一斛、一合料、漆二升、
掃墨七合、焼土八合、貲布五尺、絹、布各一尺五寸、油一合、炭二斗五升、単功十三人、朱漆八人、墨漆五人、
下食盤十枚各方一尺七寸、料、漆五升、朱砂十二両、掃墨二升、焼土二升、油三合、貲布一丈、絹六尺、綿三屯、炭一斛、単功卅人、
白銅箸四具料、白銅大八両、細布三尺、信濃布五尺、油二合、炭一斛、長功十二人、中功十四人、短功十六人、
白銅匕八柄料、白銅大九十六両、鉄一廷半、細布五尺、信濃布七尺、油四合、炭八斗、長功六十四人、中功七十二人、短功八十人、
白銅杓二柄、台盤七面、八尺一面、四尺六面、薬袋卅四枚、已上人給料、但白銅杓已下料物単功、見上、

『延喜式』18(式部上) 国司預節条〔10〕

凡国司五位已上、朝集使入京者、皆聴但五畿内及近江、丹波等国司者、雖使若元日不者、並不也、賀茂両社祝、禰宜若者亦聴、

『延喜式』18(式部上) 把笏条〔142〕

凡内外諸司史生官掌省掌台掌職掌坊掌寮掌使掌司掌伊勢太神宮司、同度会神宮禰宜、賀茂二社禰宜、祝、住吉神主、宇佐宮司、祝、気比神宮司、筑摩長等、雑色補之、並把笏、

『延喜式』18(式部上) 馬料条〔279〕

馬料、
神祇官十人、伯六貫、大副四貫、少副二貫五百、者四貫、大祐、少祐各二貫五百、大史、少史各二貫二百、宮主二貫五百、諸宮主准此、卜長上各二貫二百、
給之、
一位官五十貫、二位官卅貫、正三位官廿貫、従三位官十五貫、正四位官七貫、従四位官六貫、正五位官五貫、従五位官四貫、六位官二貫五百、七位官二貫三百五十、八位官二貫二百、初位官二貫五十、
太政官廿九人、一位官一人、二位官二人、正三位官二人、従三位官三人、従四位官二人、正五位官四人、従五位官三人、六位官六人、七位官六人、中務省卅二人、正四位官一人、正五位官二人、従五位官一人、六位官四人、七位官一人、八位官三人、内記六位官二人、七位官一人、監物従五位官二人、六位官四人、七位官四人、初位官一人、主鈴七位官二人、八位官二人、典鑰七位官一人、八位官一人、中宮職八人、従四位官一人、従五位官一人、六位官三人、八位官三人、大舎人寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、図書寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、内蔵寮八人、従五位官一人、六位官二人、七位官二人、八位官三人、縫殿寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、陰陽寮十一人、従五位官一人、六位官一人、七位官九人之中允一人、陰陽博士二人、暦博士一人、天文博士一人、漏刻博士一人、陰陽師二人、初位已上官一人、内匠寮六人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官二人、式部省七人、正四位官一人、正五位官一人、従五位官一人、六位官二人、八位已上官二人、大学寮十九人、従五位官三人、六位官一人、助博士二人、七位官十三人之中允一人、博士十一人、八位官一人、治部省六人、正四位官一人、従五位已上官一人、六位官二人、八位已上官二人、雅楽寮八人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官五人之中属一人、歌師四人、玄蕃寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、諸陵寮三人、六位以上官一人、七位官一人、八位官一人、民部省十一人、正四位官一人、正五位官一人、従五位官一人、六位官四人、七位官一人、八位官三人、主計寮十人、従五位官一人、六位官一人、七位官三人、八位官五人、主税寮八人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官四人、兵部省六人、正四位官一人、従五位已上官一人、六位官二人、八位已上官二人、刑部省十四人、正四位官一人、従五位已上官一人、六位官二人、八位已上官二人、判事正五位官二人、従六位官四人、八位已上官二人、大蔵省六人、正四位官一人、従五位已上官一人、六位官二人、八位已上官二人、織部司一人、六位已下初位已上官、宮内省七人、正四位官一人、従五位已上官三人、八位已上官三人、大膳職三人、従五位已上官一人、七位已上官一人、八位官一人、木工寮十人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官六人之中属算師各二人、大小工各一人、大炊寮三人、従五位官一人、七位已上官一人、初位已上官一人、主殿寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、初位已上官一人、典薬寮十五人、従五位官一人、六位已下官人之中侍医四人、助允各一人、初位已上官一人、七位官七人之中医博士一人、掃部寮四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、初位已上官一人、内膳司五人、六位官一人、七位官三人、初位官一人、造酒司二人、六位已下初位已上官、采女司一人、六位已下初位以上官、主水司一人、六位以下初位以上官、弾正台七人、従三位官一人従四位官一人、正五位官一人、六位官二人、八位以上官二人、春宮坊八人、従四位官一人、従五位官一人、六位官三人、八位官三人、左京職八人、従四位官一人、従五位官一人、六位官一人、七位官二人、八位官三人、右京職准此、修理職八人、従四位官一人、従五位官一人、六位官三人、七位官一人、八位官二人、勘解由使九人、従四位官一人、従五位官二人、六位官三人、七位官三人、斎宮寮廿四人、従五位官一人六位官四人、七位官七人、初位官十二人、斎院司四人、従五位官一人、六位官一人、七位官一人、八位官一人、

『延喜式』21(玄蕃) 新羅客条〔94〕

凡新羅客入朝者、其醸酒料稲、大和国賀茂、意富、纏向、倭文四社、河内国恩智一社、和泉国安那志一社、摂津国住道、伊佐具二社各卅束、合二百卌束住道大和国片岡一社、摂津国広田、生田、長田三社各五十束、合二百束生田神部、差中臣一、充酒使、醸生田酒者、敏売給之、住道酒者、難波給之、若還者、応便使其肴惣隠岐鰒六斤、螺六斤、腊四斤六両、海藻六斤、海松六斤、海菜六斤、盞卅八口、匏十柄、案六脚、還者不給、蕃客来朝、摂津国王子来朝一国余使郡司、但大唐使者迎船有数、客舶将難波之日、国使、乗一装、候於海客船来至、迎船趨進、客舶迎船比客主停船、国使客等朝服出時国使通事称唯、国使宣云、日本明神御宇天皇朝庭、某蕃王申上随参上来客等参近奴登、摂津国守等聞著、水脉教導賜幣登宣随、迎賜波久登宣、客等再拝両段謝言、訖引泊、

『延喜式』26(主税上) 賀茂祭食料条〔43〕

賀茂祭使食料、山城国正税五百廿充之、

『延喜式』30(大蔵) 賀茂祭条〔11〕

四月賀茂祭七丈幄四宇、五丈幄八上社七宇、下社五宇、禄料庸布二百段、斎院、令之、

『延喜式』31(宮内) 斎王祓禊条〔25〕

賀茂斎内親王四月祓禊之日、丞録各一人、史生一人、省掌一人、供奉諸

『延喜式』32(大膳上) 斎院給食料条〔10〕

賀茂神祭斎院陪従等人給食料、
東鰒、堅魚、隠岐鰒、煮堅魚各五斤四両、雑平魚、雑魚楚割各七斤十四両、鯖百十三隻、海藻十六斤二両、塩八升五合九勺、醤四升二合、酢、韲酒各一升、滓醤三升、醤滓一升五合、生栗子一斗六升八合、搗栗子八升四合、干柿子十連半、芋子八升四合、笋子廿一把、折櫃卌二合、大笥廿五合、覆敷折櫃廿一合料調布一端二丈一尺、薪五荷、炭五斗、青柏六俵、鮮物菓子、直布五端、干柏二俵、平坏二百五十二口、窪坏、韲坏各八十四口、食薦卌枚、筋竹一囲、炬油二升、白米三斗、膳部等食料、夫十五人、京職所進、黒米一斗八升、夫食料、

『延喜式』32(大膳上) 斎院別当以下条〔11〕

同祭斎院司別当已下四人食料、
東鰒、堅魚、隠岐鰒、煮堅魚、平魚楚割各十二両、鮨、腊各四斤、塩六合、韲酒、酢各六合、生栗子四升、笋子八把、覆瓫柏廿把、鮮物菓子、直布五端、食薦四枚、醤六合、片盤廿四口、窪坏十六口、韲坏十六口、-敷案四料曝布一端二尺、青柏一荷、薪一荷、炭二斗、夫四人、京職所進、黒米四升八合、塩四勺八撮、醤滓四合、並夫食料、

『延喜式』33(大膳下) 賀茂斎王月料条〔30〕

賀茂斎内親王月料、
東鰒卅斤、堅魚廿九斤十両、堅魚煎汁、紫苔一斤十三両、醤、塩、味醤各一斗五升、海藻十斤十両、
同院雑給料、塩月別二斗二升六合、小月二斗一升八合四勺七撮、

『延喜式』34(木工) 著幣帛木料条〔4〕

木卅六枝、長各八尺、方一寸五分、
四枝賀茂上下祭料、各二枝、二枝松尾、四枝春日、四枝率川、二枝大原野、四枝大神、二枝山科、四枝当麻、二枝杜本、二枝当宗料、就中四枝賀茂臨時祭、二枝同松尾祭料、

『延喜式』35(大炊) 親王已下月料条〔35〕

親王已下月料、
無品親王、内親王、妃、夫人、女御、日米各五升、幼親王乳母、日二升、乳母子各五斗、小月亦同、七歳以後停止、
賀茂斎内親王料、日米一斗、稷八合、同院雑色人料、米月廿二石六斗八升、小月廿一石九斗二升四合、
平野古開久度三神、各物忌一人、日一升二合、松尾社物忌一人料、米三斗六升、小月三斗四升八合、
采女卅七人料、米十八石九斗、小月十八石二斗七升、中宮女孺廿七石六斗、小月亦同、女官厨一百五十六石、小月一百五十石七斗六升二合、内教坊米廿石、小月十九石三斗三升三合六勺、
諸得業生、人別日二升、観天文生、日二升、漢語師、日一升二合、
大蔵縫女卅人、惣日四升、長人、日五升、
中務史生十人、省掌一人、監物史生四人、大学寮官人六人、博士十五人、史生四人、学生五十人、民部史生廿人、宮内史生十人、春宮坊史生二人、舎人五十人、左右近衛府生各六人、番長三人、近衛二百人、左右兵衛府生各二人、番長二人、兵衛百五十人、左右衛門府生各二人、門部五十人、
人別日米一升、但大学官人、博土并諸衛府生以下日各二升、大学史生学生日各一升二合、

『延喜式』36(主殿) 賀茂神祭料条〔5〕

賀茂神祭料、
油二升、油瓶一口、灯盞八口、灯炷布二寸、続松五十把、

『延喜式』36(主殿) 諸司年料油条〔12〕

諸司所年料、
典薬寮胡麻油四升一合、供御地料、猪膏二百十三斤十五両、-供御并中宮春宮坊御及人給料、
大膳職胡麻油一升二合、供御并中宮御索餅糖料、
内蔵寮胡麻油二斗八升七合、麻子油二升五合、二升二合伊勢太神宮御鞍二具用途料、六升五合、麻子油二升五合年料御靴并糸鞋料、二斗山陵并所々荷料、
図書寮油三升、二升元日御并中宮御装束所灯料、一升奉写年料新翻仁王経所料、
陰陽寮油一斛五斗九升三合、漏刻所料、六箇月夜別四合、六箇月夜別五合、
兵庫寮胡麻油六合、五合-理甲一百料、一合大祓太刀并伊勢神宮祭料、猪膏五合、大祓太刀并神宮料、猪膏小廿斤、鼓吹生等料、
隼人司荏油一斛三斗八升、年料油料、
内匠寮油三升五合、年料革料、猪膏十五斤、雑工等料、
木工寮胡麻油一升一合、猪膏五合、年料雑料、猪膏卅斤、雑工已下仕丁已上料、
縫殿寮油五升、御服所并寮中十二月晦夜料、
造酒司油四升、御酒殿十二月晦夜料、
左右馬寮車油三斗八升三合、寮別一斗九升一合五勺、青御所料、油二斗六升四合、寮別一斗三升二合、季料胡麻油三斗二升、寮別一斗六升槾椒油一斗六升、寮別八升猪膏六升四合、寮別三升二合、
乳牛院油一升、十二月晦夜料、
画所油五升、
作物所油三斗、
内侍司、命婦已下女孺已上、十二月晦夜雑給料油六斛五斗、二石中宮料、
侍従所月料油三升、小月二升九合、
賀茂斎院料油一斛一斗、正月元日節料六斗、四月御祓料五斗、
賀茂斎内親王月料二斗一升、小月
親王并妃夫人各月別九升、小月
女御六升、小月
親王頓料六斗、-知名之日所行、

『延喜式』38(掃部) 賀茂奉幣条〔11〕

四月賀茂神使座、内蔵設之、又座於上下其軽幄二具、牀二脚、屏風四帖、畳四枚、預事訖返送、

『延喜式』40(造酒) 賀茂祭料条〔19〕

賀茂神祭料、
酒一石二斗、絁四尺、篩料、暴布三丈二尺、二尺酒台二具折敷料、八尺缶四口覆料、二丈二尺机二前覆并折敷料、缶四口、坩二合、酒台二具、窪坏卅口、盤廿五口、匏四柄、八足机二前、

『延喜式』40(造酒) 賀茂斎王料条〔28〕

賀茂斎内親王料、
日酒八升、諸節別二斗、酢五合、

『延喜式』42(左右京) 賀茂斎王祓条〔3〕

賀茂斎内親王祓除、及者、進属史生各一人、坊令二人、兵士十前駆、預-作道橋泥塗

『延喜式』48(左右馬) 賀茂祭走馬条〔10〕

賀茂二社祭走馬十二疋、松尾二疋也、馬別韁鞚料調布四尺二寸、表腹帯七尺、糸二両、余祭馬装准此、其使五位已上官一人、使者装束之数内蔵皇后宮走馬二疋、馬装同上、並二寮逓供奉、余祭准此、又女騎料四疋、内侍已上料、二日両寮之間-定能斎院女騎料八疋、属馬医史生各一人、共預供之、
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