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神道・神社史料集成(古代) 石上坐布留御魂神社
石上坐布留御魂神社(大和国山辺郡)
『日本書紀』垂仁天皇39年10月条五十瓊敷命居二於茅渟菟砥川上宮一、作二剣一千口一、因名二其剣一謂二川上部一、亦名曰二裸伴一、裸伴、此云二阿箇潘娜我等母一、蔵二于石上神宮一也、是後命二五十瓊敷命一、俾レ主二石上神宮之神宝一、一云、五十瓊敷皇子、居二于茅渟菟砥河上一、而喚二鍜名河上一、作二大刀一千口一、是時楯部、倭文部、神弓削部、神矢作部、大穴磯部、泊橿部、玉作部、神刑部、日置部、大刀佩部、并十箇品部賜二五十瓊敷皇子一、其一千口大刀者、蔵二于忍坂邑一、然後従二忍坂一移之、蔵二于石上神宮一、是時神乞之言、春日臣族、名市河令レ治、因以命二市河一令レ治、是今物部首之始祖也、
『日本書紀』垂仁天皇87年2月辛卯(5日)条五十瓊敷命謂二妹大中姫一曰、我老也、不レ能レ掌二神宝一、自レ今以後、必汝主焉、大中姫命辞曰、吾手弱女人也、何能登二天神庫一耶、神庫、此云二保玖羅一、五十瓊敷命曰、神庫雖レ高、我能為二神庫一造レ梯、豈煩レ登レ庫乎、故諺曰二神之神庫随樹梯之一、此其縁也、然遂大中姫命授二物部十千根大連一而令レ治、故物部連等至二于今一治二石上神宝一、是其縁也、昔丹波国桑田村有レ人、名曰二甕襲一、則甕襲家有レ犬、名曰二足往一、是犬咋二山獣名牟士那一而殺之、則獣腹有二八尺瓊勾玉一、因以献之、是玉今有二石上神宮一、
『日本書紀』履中天皇即位前紀春正月、大鷦鷯天皇崩、太子自二諒闇一出之、未レ即二尊位一之間、以二羽田矢代宿禰之女黒媛一欲レ為レ妃、納采既訖、遣二住吉仲皇子一而告二吉日一、時仲皇子冒二太子名一以姦二黒媛一、是夜、仲皇子忘二手鈴於黒媛之家一而帰焉、明日之夜、太子不レ知二仲皇子自姦一而到之、乃入レ室開レ帳居二於玉床一、時床頭有二鈴音一、太子異之、問二黒媛一曰、何鈴也、対曰、昨夜之非二太子所レ齎鈴一乎、何更問レ妾、太子自知三仲皇子冒レ名以姦二黒媛一、則黙之避也、爰仲皇子畏レ有レ事将レ殺二太子一、密興レ兵囲二太子宮一、時平群木莵宿禰、物部大前宿禰、漢直祖阿知使主三人啓二於太子一、太子不レ信、一云、太子酔以不レ起、故三人扶二太子一令レ乗レ馬而逃之、一云、大前宿禰抱二太子一而乗レ馬、仲皇子不レ知二太子不一レ在、而焚二太子宮一、通夜火不レ滅、太子到二河内国埴生坂一而醒之、顧二-望難波一、見二火光一、而大驚、則急馳之、自二大坂一向レ倭、至二干飛鳥山一、遇二少女於山口一、問之曰、此山有レ人乎、対曰、執レ兵者多満二山中一宜下廻レ自二当摩侄一踰上之、太子於レ是以為、聆二少女言一而得レ免レ難、則歌之曰、於朋佐箇珥、阿布夜烏等謎烏、瀰知度沛麼、哆駄珥破能邏孺、哆岐摩知烏能流、則更還之、発二当県兵一令レ従レ身、自二龍田山一踰之、時有二数十人執レ兵追来者一、太子遠望之曰、其彼来者誰人也、何歩行急之、若賊人乎、因隠二山中一而待之、近則遣二一人一問曰、曷人、且何処往矣、対曰、淡路野島之海人也、阿曇連浜子一云、阿曇連黒友、為二仲皇子一令レ追二太子一、於レ是、出二伏兵一囲レ之、悉得レ捕、当二是時、倭直吾子籠素好二仲皇子一、預知二其謀一、密聚二精兵数百於撹食栗林一、為二仲皇子一将レ拒二太子一、時太子不レ知二兵塞一而出レ山行数里、兵衆多塞、不レ得二進行一、乃遣二使者一問曰、誰人也、対曰、倭直吾子籠也、便還問二使者一曰、誰使焉、曰、皇太子之使、時吾子籠憚二其軍衆多在一、乃謂二使者一曰、伝聞、皇太子有二非常之事一、将レ助以レ備兵待之、然太子疑二其心一欲レ殺、則吾子籠愕之献二己妹日之媛一、仍請レ赦二死罪一、乃免之、其倭直等貢二釆女一、蓋始二于此時一歟、太子便居二於石上振神宮一、於レ是瑞歯別皇子知二太子不一レ在、尋之追詣、然太子疑二弟王之心一而不レ喚、時瑞歯別皇子令レ謁曰、僕無二黒心一、唯愁二太子不一レ在而参赴耳、爰太子伝告二弟王一曰、我畏二仲皇子之逆一、独避至二於此一、何且非レ疑レ汝耶、其仲皇子在之、独猶為二我病一、遂欲レ除、故汝寔勿二黒心一、更返二難波一而殺二仲皇子一然後乃見焉、瑞歯別皇子啓二太子一曰、大人何憂之甚也、今仲皇子無道、群臣及百姓共悪二-怨之一、復其門下人皆叛為レ賊、独居之無二与レ誰議一、臣雖レ知二其逆一未レ受二太子命一之、故独慷二慨之一耳、今既被レ命、豈難三於殺二仲皇子一乎、唯独懼之、既殺二仲皇子一、猶且疑レ臣歟、冀見二-得忠直者一、欲レ明二臣之不欺一、太子則副二木莵宿禰一而遣焉、爰瑞歯別皇子歎之曰、今太子与二仲皇子一並兄也、誰従矣、誰乖矣、然亡レ無レ道就レ有レ道、其誰疑レ我、則詣二于難波一、伺二仲皇子之消息一、仲皇子思二太子巳逃亡一而無レ備、時有二近習隼人一、曰二刺領巾一、瑞歯別皇子陰喚二刺領巾一而誂之曰、為レ我二殺皇子一、吾必敦報レ汝、乃脱二錦衣褌一与レ之、刺領巾恃二其誂言一、独執レ矛、以伺二仲皇子入一レ厠而刺殺、即隷二于瑞歯別皇子一、於レ是木莵宿禰啓二於瑞歯別皇子一曰、刺領巾為レ人殺二己君一、其為レ我雖レ有二大功一、於二己君一無レ慈之甚矣、豈得レ生乎、乃殺二刺領巾一、即日向レ倭也、夜半臻二於石上一而復命、於レ是、喚二弟王一以敦寵、仍賜二村合屯倉一、是日、捉二阿曇連浜子一、
『日本書紀』雄略天皇3年4月条阿閉臣国見更名磯特牛、譖三栲幡皇女与二湯人廬城部連武彦一曰、武彦姦二皇女一而使二任身一、湯人、此云二臾衛一、武彦之父枳莒喩聞二此流言一、恐二禍及一レ身、誘二-率武彦於廬城河一、偽使二鶿鸕没レ水捕一レ魚、因其不意而打殺之、天皇聞遣二使者一案二-問皇女一、皇女対言、妾不レ識也、俄而皇女齎二-持神鏡一、詣二於五十鈴河上一伺二人不一レ行、埋レ鏡経死、天皇疑二皇女不一レ在、恒使二闇夜東西求覓一、乃於河上虹見如レ蛇四五丈者、掘二虹起処一而獲二神鏡一、移行未レ遠、得二皇女屍一、割而観之、腹中有レ物如レ水、水中有レ石、枳莒喩由レ斯得レ雪二子罪一、還悔レ殺レ子報二-殺国見一、逃二-匿石上神宮一、
『日本書紀』顕宗天皇即位前紀白髪天皇2年冬11月条白髪天皇二年冬十一月、播磨国司山部連先祖伊与来目部小楯、於二赤石郡一親弁二新嘗供物一、一云、巡二-行郡県一収二-歛田租一也、適会下縮見屯倉首縦二-賞新室一以レ夜継上レ昼、爾乃天皇謂二兄億計王一曰、避二乱於斯一、年踰二数紀一、顕レ名著レ貴、方属二今宵一、億計王惻然歎曰、其自道揚見レ害、孰二-与全レ身免一レ厄也歟、天皇曰、吾是去来穂別天皇之孫、而困二-事於人一飼二-牧牛馬一、豈若二顕レ名被一レ害也歟、遂与二億計王一、相抱涕泣、不レ能二自禁一、億計王曰、然則非レ弟、誰能激二-揚大節一、可二以顕著一、天皇固辞曰、僕不レ才、豈敢宣二-揚徳業一、億計王曰、弟英才賢徳、爰無二以過一、如レ是相譲再三、而果使二天皇一自許称レ述、倶就二室外一居二乎下風一、屯倉首命居二竈傍一、左右秉レ燭、夜深酒酣、次第舞訖、屯倉首謂二小楯一曰、僕見二此秉レ燭者一、貴レ人而賎レ己、先レ人而後レ己、恭敬撙レ節、退譲以明レ礼、撙猶レ趍也、相従也、止也、可レ謂二君子一、於レ是小楯撫レ絃、命二秉燭者一曰、起舞、於レ是兄弟相譲久而不レ起、小楯嘖之曰、何為太遅、速起舞之、億計王起舞既了、天皇次起自整二衣帯一、為二室寿一曰、築立稚室葛根、築立柱者、此家長御心之鎮也、取挙棟梁者、此家長御心之林也、取置橡橑者、此家長御心之斉也、取置椽雚者、此家長御心之平也、蘆雚、此云二哀都利一、雚音之潤反、取結縄葛者、此家長御寿之堅也、取葺草葉者、此家長御富之余也、出雲者新墾、新墾之十握稲之穂、於二浅甕一醸酒美飲喫哉、美飲喫哉、此云二于魔羅爾烏野羅甫屢柯侫一也、吾子等子者、男子之通称也、脚日木此傍山牡鹿之角牡鹿、此云二左鳴子加一、挙而吾舞者、旨酒餌香市不二以レ直買一、手掌摎亮手掌摎亮、此云二陀那則挙謀耶羅羅爾一、拍上賜、吾常世等、寿畢乃赴レ節歌曰、伊儺武斯廬、呵簸泝比野儺擬、寐逗愈凱麼、儺弭企於巳陀智、曽能泥播宇世儒、小楯謂之曰、可怜、願復聞之、天皇遂作二殊舞一、殊舞、古謂二之立出舞一、立出、此云二陀豆豆一、舞状者乍レ起乍レ居而舞之、誥之曰、倭者彼彼茅原、浅茅原、弟日僕是也、小楯由レ是深奇異焉、更使レ唱レ之、天皇誥之曰、石上振之神榲、榲、此云二須擬一、伐レ本截レ末、伐本截末、此云二謨登岐利須衛於茲婆羅比一、於二市辺宮一治二天下一天万国万押磐尊御裔僕是也、小楯大驚離レ席悵然再拝、承事供給、率レ属欽伏、於レ是悉発二郡民一造レ宮、不日権奉二安置一、乃詣二京都一求レ迎二二王一、白髪天皇聞憙咨歎曰、朕無レ子也、可二以為一レ嗣、与二大臣大連一定二策禁中一、仍使二播磨国司来目部小楯一持レ節将二左右舎人一至二赤石一奉レ迎、
『日本書紀』斉明天皇2年是歳条(656)於二飛鳥岡本一更定二宮地一、時高麗、百済、新羅、並遣レ使進レ調、為張二紺幕於此宮地一而饗焉、遂起二宮室一、天皇乃遷、号曰二後飛鳥岡本宮一、於二田身嶺一冠以二周垣一、田身、山名、此云二太務一、復於二嶺上両槻樹辺一起レ観、号為二両槻宮一、亦曰二天宮一、時好二興事一、迺使下二水工一穿上レ渠、自二香山西一至二石上山一、以二舟二百隻一載二石上山石一、順レ流控二-引於宮東山一、累レ石為レ垣、時人謗曰、狂心渠、損二-費功夫一三万余矣、費二-損造レ垣功夫一七万余矣、宮材爛矣、山椒埋矣、又謗曰、作二石山丘一随レ作自破、若拠二未レ成之時一作二此謗一乎、又作二吉野宮一、
『日本書紀』天武天皇3年8月庚辰(3日)条(674)遣二忍壁皇子於石上神宮一、以二膏油一瑩二神宝一、即日勅曰、元来諸家貯二於神府一宝物、今皆還二其子孫一、
『正倉院文書』正集10 天平2年12月20日大和国正税帳 山辺郡(730)振神戸、稲参仟陸伯捌拾捌束伍把、租壱伯弐拾肆束伍把、合参仟捌伯壱拾参束、用肆束、祭神、残参仟捌伯玖束、
『続日本紀』神護景雲2年10月甲子(24日)条(768)充二石上神封五十戸、能登国気多神廿戸、田二町一、
『日本後紀』延暦23年2月庚戌(5日)条(804)運二-収大和国石上社器仗於山城国葛野郡一、
『日本後紀』延暦24年2月庚戌(10日)条(805)造石上神宮使正五位下石川朝臣吉備人等、支二-度功程一、申二-上単功一十五万七千余人一、太政官奏レ之、勅曰、此神宮所三-以異二於他社一者何、或臣奏云、多収二兵仗一故也、勅、有二何因縁一所レ収之兵器、奉レ答云、昔来天皇御二神宮一、便所二宿収一也、去レ都差遠、可レ慎二非常一、伏請卜食而運遷、是時文章生従八位上布留宿禰高庭、即修レ解申レ官云、得二神戸百姓等款一偁、比来、大神頻放二鳴鏑一、村邑咸怪、不レ知二何祥一者、未レ経二幾時一、運二-遷神宝一、望請奏二-聞此状一、蒙レ従二停止一、官即執奏、被二報宣一偁、卜筮吉合、不レ可二妨言一、所司咸来、監二-運神宝一、収二山城国葛野郡一訖、無レ故倉仆、更収二兵庫一、即而聖体不予、典闈建部千継、被レ充二春日祭使一、聞下平城松井坊有二新神一託中女巫上、便過請問、女巫云、今所レ問不二是凡人之事一、宜レ聞二其主一、不レ然者、不レ告レ所レ問、仍述二聖体不予之状一、即託語云、歴代御宇天皇、以二慇懃之志一、所二送納一之神宝也、今践二-穢吾庭一、運収不当、所以唱二天下諸神一、勒レ諱贈二天帝一耳、登時入レ京密奏、即詔二神祇官并所司等一、立二二幄於神宮一、御飯盛二銀笥一、副二御衣一襲一、並納二御轝一、差二典闈千継一充レ使、召二彼女巫一、令レ鎮二御魂一、女巫通宵忿怒、託語如レ前、遅明乃和解、有レ勅、准二御年数一、屈二宿徳僧六十九人一、令レ読二-経於石上神社一、詔曰、天皇御命爾坐、石上乃大神爾申給波久、大神乃宮爾収有志器仗乎、京都遠久成奴流爾依弖、近処爾令レ治牟止為弖奈母、去年此爾運収有流、然爾比来之間、御体如レ常不二御坐一有流爾、大御夢爾覚志坐爾依弖、大神乃願坐之任爾、本社爾返収弖之、無レ驚久無レ咎久、平久安久可二御坐一止奈母念志食、是以鍛冶司正従五位下作良王、神祇大副従五位下大中臣朝臣全成、典侍正五位上葛井宿禰広岐等乎差レ使弖、礼代乃幣帛并鏡令レ持弖、申出給御命乎申給止申、辞別弖申給久、神那我良母皇御孫乃御命乎、堅磐爾常磐爾、護奉幸閉奉給閉止称辞定奉久止申、遣二典薬頭従五位上中臣朝臣道成等一、返二-納石上神社兵仗一、
『新抄格勅符抄』10 神事諸家封戸 大同元年牒 神封部(806)石上神 八十戸 大和廿戸、備後十戸、信乃五十戸、
『文徳天皇実録』嘉祥3年10月辛亥(7日)条(850)進二山城国稲荷神階一授二従四位上一、授二摂津国広田神従五位下一、進二大和国大和大国魂神階一授二従二位、石上神、及大神大物主神、葛木一言主神等並正三位、夜岐布山口神従五位下、河内国恩智大御食津彦命神、恩智大御食津姫命神等並正三位、丹比神従五位上、伊勢国阿耶賀神従五位上、尾張国熱田神正三位、越前国気比神正二位、筑前国宗像神従五位上、竈門神正五位上、筑後国高良玉垂命神従四位上、肥後国健磐龍命神正三位、伊豆国三島神従五位上一、
『日本三代実録』貞観元年正月27日甲申条(859)京畿七道諸神進レ階及新叙、惣二百六十七社、奉レ授二淡路国無品勲八等伊佐奈岐命一品、備中国三品吉備都彦命二品、神祇官無位神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神並従一位、無位生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神、櫛石窓神、豊石窓神、生島神、足島神並従四位上、宮内省従三位園神、韓神並正三位、大膳職正四位下御食津神従三位、左京職従五位上太祝詞神、久慈真智神並正五位下、大膳職従五位下火雷神、大炊寮従五位下大八島竈神八前、斎火武主比命神、内膳司従五位下庭火皇神、造酒司従五位下大戸自神等並従五位上、無位酒殿神従五位下、山城国正二位勲二等松尾神従一位、葛野月読神、平野今木神並正二位、正四位下稲荷神三前並正四位上、正四位下大若子神、小若子神、酒解神、酒解子神並正四位上、平野従四位下久度古開神従四位上、正五位上貴布禰神、正五位下乙訓火雷神、従五位上水主神等並従四位下、正五位下合殿比咩神正五位上、従五位下樺井月読神、木島天照御魂神、和支神並正五位下、従五位下祝園神、天野夫支売神、岡田鴨神、岡田園神、樺井月神、棚倉孫神、許波多神、出雲井於神、片山神、鴨川合神等並従五位上、正六位上与度神、石作神、向神、簀原神、鴨山口神、小野神、久我神、高橋神、双栗神、水度神、伊勢田神、無位小社神並従五位下、大和国従一位大己貴神正一位、正二位葛木御歳神、従二位勲八等高鴨阿治須岐宅比古尼神、従二位高市御県鴨八重事代主神、従二位勲二等大神大物主神、従二位勲三等大和大国魂神、正三位勲六等石上神、正三位高鴨神並従一位、正三位勲二等葛木一言主神、高天彦神、葛木火雷神並従二位、従三位広瀬神、龍田神、従三位勲八等多坐弥志理都比古神、金峰神並正三位、正四位下丹生川上雨師神従三位、従五位下賀夜奈流美神正四位下、従五位下勲八等穴師兵主神、片岡神、夜岐布山口神並正五位上、従五位下都祁水分神、都祁山口神、石寸山口神、耳成山口神、飛鳥山口神、畝火山口神、長谷山口神、忍坂山口神、宇陀水分神、吉野水分神、吉野山口神、巨勢山口神、葛木水分神、鴨山口神、当麻山口神、大坂山口神、伊古麻山口神並正五位下、従五位下和爾赤坂彦神、山辺御県神、村屋禰富都比売神、池坐朝霧黄幡比売神、鏡作天照御魂神、十市御県神、目原高御魂神、畝尾建土安神、子部神、天香山大麻等野知神、宗我都比古神、甘樫神、稔代神、牟佐坐神、高市御県神、軽樹村神、天高市神、太玉命神、櫛玉命神、川俣神、波多甕井神、坐二日向一神、巻向若御魂神、他田天照御魂神、志貴御県神、忍坂生根神、葛木倭文天羽雷命神、長尾神、石園多久豆玉神、調田一事尼古神、金村神、葛木御県神、火幡神、往馬伊古麻都比古神、平群石床神、矢田久志玉比古神、添御県神、伊射奈岐神、葛木二上神並従五位上、無位水越神従五位下、河内国従一位勲三等枚岡天児屋根命正一位、正三位勲六等恩智大御食津比古命神、恩智大御食津比咩命神並従二位、正四位上勲六等枚岡比咩神従三位、従五位下杜本神正四位下、従五位上丹比神正五位下、従五位下春日戸神、高宮神、弓削神、志紀長吉神、狭山堤神、狭山神、菅生神並従五位上、和泉国正五位下勲八等大鳥神従四位下、摂津国従三位勲八等広田神正三位、正五位上勲八等生田神、従五位上勲八等長田神、従五位上垂水神、従五位下勲八等大依羅神、難波生国魂神、下照比女神、坐摩神、従五位下勲八等新屋天照御魂神並従四位下、従五位下名次神正五位下、従五位下中臣須牟地神、伊射奈岐神、伊和志豆神並従五位上、伊賀国無位穴石神従五位下、伊勢国従三位多度神正三位、従四位下阿射加神従四位上、尾張国正三位熱田神従二位、駿河国従三位浅間神正三位、伊豆国従四位下三島神従四位上、従五位下楊原神従五位上、武蔵国従五位下氷川神従五位上、安房国従三位勲八等安房神、天比々理刀咩命神並正三位、近江国従二位勲一等比叡神正二位、従五位上勲八等伊香神従四位下、従五位下伊富岐神、佐久奈度神、水口神、川田神、三上神、奥津島神、小比叡神並従五位上、美濃国従三位中山金山彦神正三位、信濃国正三位勲八等建御名方富命神従二位、従三位建御名方富命前八坂刀売命神正三位、上野国正五位下勲八等貫前神従四位下、下野国従三位勲四等二荒神正三位、陸奥国正五位上勲四等計仙麻神、正五位下勲四等志波彦神、勲五等拝幣志神、勲六等零羊埼神、従五位上勲四等志波姫神並従四位下、従五位下計仙麻大島神従五位、若狭国従二位勲八等若狭比古神正二位、正三位若狭比咩神従二位、越前国正二位勲一等気比神従一位、従四位上勲六等推前神、勲六等剣神並正四位下、加賀国白山比女神正三位、能登国正二位勲一等気多神従一位、越中国従三位高瀬神、二上神並正三位、丹波国従五位下小川月神、麻気神並従五位上、丹後国従五位下大川神、大宮売神並従五位上、出雲国従三位熊野神、勲八等杵築神並正三位、播磨国従五位下勲八等粒坐天照神、伊和坐大名持御魂神並従四位下、従五位下海神従五位上、安芸国正五位下伊都岐島神、従五位上速谷神並従四位下、従五位下多家神従五位上、長門国従五位下住吉荒魂神従五位上、紀伊国従四位下伊達神、志摩神、静火神並正四位下、従五位下勲八等丹生都比売神、伊太祁曽神、大屋都比売神、神都摩都比売神、鳴神並従四位下、従五位下須佐神、熊野早玉神、熊野坐神並従五位上、阿波国従五位下大麻比古神、忌部天日鷲神並従五位上、土佐国従五位下都佐坐神従五位上、筑前国正三位勲八等田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神並従二位、正五位下竈門神、従五位下筑紫神並従四位下、従五位下織幡神、志賀海神、美奈宜神並従五位上、無位住吉神従五位下、筑後国正三位高良玉垂命神従二位、従四位下豊比咩神従四位上、肥前国従五位下田島神従四位下、肥後国従二位勲五等健磐龍命神正二位、従四位下阿曽比咩神従四位上、壱岐島従五位下海神、住吉神、兵主神、月読神並従五位上、対馬島従五位下和多都美神、高御魂神、住吉神並従五位上一、
『日本三代実録』貞観元年7月14日丁卯条(859)遣二使諸社一奉二神宝幣帛一、参議正四位下行左大弁兼左衛門督美作守藤原朝臣氏宗為二賀茂御祖別雷両社使一、散位従五位下正峯王為二松尾社使一、正五位下守右中弁兼行式部少輔大枝朝臣音人為二平野社使一、従五位下行主殿権助藤原朝臣水谷為二大原野社使一、右兵衛佐従五位下源朝臣至為二乙訓社使一、従五位下守右兵庫頭藤原朝臣四時為二大神社使一、掃部頭従五位上藤原朝臣貞敏為二石上社使一、従四位下行兵部大輔藤原朝臣仲統為二春日社使一、従五位下守図書頭当麻真人清雄為二当麻社使一、中務少輔従五位下源朝臣包為二住吉社使一、散位従五位下丹墀真人縄主為二丹墀社使一、少納言兼侍従従五位下良峯朝臣経世為二杜本社使一、神祇大祐正六位上大中臣朝臣豊雄為二気比気多両社使一、散位従五位下紀朝臣宗守為二日前国懸両社使一、
『日本三代実録』貞観元年9月8日庚申条(859)山城国月読神、木島神、羽束志神、水主神、樺井神、和岐神、大和国大和神、石上神、大神神、一言主神、片岡神、広瀬神、龍田神、巨勢山口神、葛木水分神、賀茂山口神、当麻山口神、大坂山口神、胆駒山口神、石村山口神、耳成山口神、養父山口神、都祁山口神、都祁水分神、長谷山口神、忍坂山口神、宇陀水分神、飛鳥神、飛鳥山口神、畝火山口神、吉野山口神、吉野水分神、丹生川上神、河内国枚岡神、恩智神、和泉国大鳥神、摂津国住吉神、大依羅神、難波大社神、広田神、生田神、長田神、新屋神、垂水神、名次神等遣レ使奉レ幣、為二風雨一祈焉、
『日本三代実録』貞観5年閏6月2日癸亥条(863)大和国言、石上神社南、見二五色雲一、
『日本三代実録』貞観8年正月25日壬寅条(866)勅以二大和国田廿八町一借施二-入石上神宮寺一、須下待二造レ寺畢一還収上、
『日本三代実録』貞観9年3月10日庚戌条(867)進二大和国従一位勲六等石上神階一加二正一位一、周防国従四位下玉祖神、三坂神並授二従三位一、従五位下仁璧神従四位下、
『日本三代実録』貞観9年3月25日乙丑条(867)令四大和国禁三-止百姓焼下石上神山上、播二-蒔禾豆一、
『延喜式』2 四時祭下 相嘗石上社条〔17〕石上社一座、
絹二疋、糸一絇一両、綿三屯、調布三端四丈、庸布一段一丈三尺、木綿一斤一両、鮑十斤十両、海藻二斤、凝海藻三斤、堅魚二斤十両、腊四斤、塩一升、筥一合、瓼、缶、水盆、山都婆波、小都婆波、筥瓶、酒垂、匜、等呂須伎、高盤、片盤、短女坏、小坏、酒坏、筥坏、陶臼各二口、酒稲五十束、神税、
『延喜式』3 臨時祭 祈雨神祭条〔26〕祈雨神祭八十五座、並大、 賀茂別雷社一座、 賀茂御祖社二座、 松尾社二座、 稲荷社三座、 水主社十座、 樺井社一座、 木島社一座、 羽束石社一座、 乙訓社一座、 和伎社一座、 貴布禰社一座、已上山城国、 大和社三座、 大神社一座、 石上社一座、 太社二座、或作二多社一、 一言主社一座、 片岡社一座、 広瀬社一座、 龍田社二座、 巨勢山口社一座、 葛木水分社一座、 賀茂山口社一座、 当麻山口社一座、 大坂山口社一座、 胆駒山口社一座、 胆駒社一座、 石村山口社一座、 耳成山口社一座、 養父山口社一座、 都祁山口社一座、 都祁水分社一座、 長谷山口社一座、 忍坂山口社一座、 宇陀水分社一座、 飛鳥社四座、 飛鳥山口社一座、 畝火山口社一座、 吉野山口社一座、 吉野水分社一座、 丹生川上社一座、已上大和国、 枚岡社四座、 恩智社二座、已上河内国、 大鳥社一座、和泉国、 住吉社四座、 大依羅社四座、 難波大社二座、 広田社一座、 生田社一座、 長田社一座、 新屋社三座、 垂水社一座、 名次社一座、已上摂津国、 座別絹五尺、五色薄絁各一尺、糸一絇、綿一屯、木綿二両、麻五両、裹薦半枚、毎レ社調布二端、軾料、夫一人、丹生川上社、貴布禰社各二加黒毛馬一疋一、自余社加二庸布一段一、其霖雨不レ止祭料亦同、但馬用二白毛一、
『延喜式』3 臨時祭 名神祭条〔28〕名神祭二百八十五座、
園神社一座、韓神社二座、已上坐二宮内省一、
賀茂別雷神社一座、賀茂御祖神社二座、松尾神社二座、
稲荷神社三座、貴布禰神社一座、鴨川合神社一座、
御井神社一座、葛野月読神社一座、木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、梅宮神社四座、乙訓神社一座、
酒解神社一座、亦号二山崎神一、已上山城国、
春日神社四座、大和神社三座、石上神社一座、
多坐神社二座、或号二大社一、飛鳥神社四座、高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、大神神社一座、太玉神社四座、
穴師神社一座、高屋安倍神社三座、大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、金峯神社一座、鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、葛木一言主神社一座、高鴨神社四座、
高天彦神社一座、葛木火雷神社二座、片岡神社一座、
火幡神社一座、広瀬神社一座、龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、枚岡神社四座、杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、大依羅神社四座、難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、亦号二下照比売一、新屋神社三座、垂水神社一座、
広田神社一座、生田神社一座、長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或太作レ多、真墨田神社一座、大県神社一座、
熱田神社一座、日割御子神社一座、孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、伊古奈比咩命神社一座、物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、筑波山神社一座、吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、日吉神社一座、比叡神同、佐久奈度神社一座、
建部神社一座、川田神社二座、御上神社一座、
奥津島神社一座、伊香神社一座、水尾神社二座、或水作レ三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、穂高神社一座、生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、或作二抜鋒一、伊加保神社一座、赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、苅田嶺神社一座、志波彦神社一座、
鼻節神社一座、志波姫神社一座、伊達神社一座、
東屋沼神社一座、零羊崎神社一座、拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、多珂神社一座、伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、大高山神社一座、子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、小川月神社一座、麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、籠神社一座、大虫神社一座、
小虫神社一座、大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、夜夫神社二座、伊豆志神社八座、
山神社一座、戸神社一座、雷神社一座、
欘椒神社一座、海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、宇受加命神社一座、水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、粒坐天照神社一座、中臣印達神社一座、
家島神社一座、伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、伊都伎島神社一座、多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、日前神社一座、国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、大屋都比売神社一座、都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、伊達神社一座、志磨神社一座、
静火神社一座、須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、大山積神社一座、野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、住吉神社三座、志加海神社三座、
八幡神社一座、筑紫神社一座、竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、兵主神社一座、月読神社一座、
中津神社一座、天手長男神社一座、天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、和多都美御子神社一座、高御魂神社一座、
和多都美神社一座、太祝詞神社一座、住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若有二大祷一者、加二絁五丈五尺一、以二布一端一代二糸一絇一、
『延喜式』3 臨時祭 石上社封条〔82〕凡石上社備後国封租穀者、収二社家一充二夏冬祭料一、
『延喜式』3 臨時祭 石上社鑰条〔85〕凡石上社門鑰一勾、匙二口、納官庫、臨レ祭在前遣二官人、神部、卜部各一人一、開レ門掃除供レ祭、自余正殿并伴佐伯二殿匙各一口、同納レ庫不レ得二輙開一、
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