神道・神社史料集成(古代) 宗像神社

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宗像神社三座(大和国城上郡)


『日本三代実録』元慶4年3月27日庚辰条(880)

大和国城上郡宗像於官太政大臣東一条筑前国宗像皆是同神別社也、

『類聚三代格』1(神宮司神主禰宜事) 元慶5年10月16日符(881)

太政官符
筑前国本従一位勲八等宗像大神社大和国城上郡登美
正六位上高階真人仲守
氏人内蔵権助従五位下高階真人忠峯等解偁、件社大和国城上郡登美太政官去年三月廿七日符訖、-従清御原 天皇御于当氏人等所神宝并園地色数稍多、高階真人累代鱗次-当社而今経久遠人意懈緩、或不-失神或彼此相譲-怠祭之故屢状、去年申官、而未件仲守天性清廉堪望請、早氏長相替之限一 官者、従二位行大納言兼左近衛大将源朝臣多宣、奉 請、
元慶五年十月十六日

『日本三代実録』元慶5年10月16日辛卯条(881)

大和国城上郡従一位勲八等宗像神社筑前国本高階真人氏之、

『類聚三代格』1(神社事) 寛平5年10月29日官符(893)

太政官符
-宗像神社修理料賎代徭
賎十六人、正丁、筑前国宗像郡金
充行徭丁八人、大和国城上郡四人、高市郡二人、十市郡二人
彼社氏人従五位下守右少弁兼大学頭高階真人忠峯等解偁、件神大和国城上郡之筑前国宗像従一位勲八等宗像大同神也、旧記云、是 天照大神之子也、 大神 勅曰、汝三神-居道所崇祭者、今国家毎-幣件是其本縁也、唯筑前社封戸神大和社忠峯等始祖太政大臣浄広壱高市皇子命、氏賎年輸-理神而年代久遠、物情解体、氏衰路遙、不貞観十年六月廿八日-請祖神封修理而大神宮事既氏人等狐疑猶予、空神舎既今件賎同類蕃息已望請、良、調其代永随近徭修理 官者、大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅陸奥出羽按察使源朝臣能有宣、奉 者、仍件徭丁彼氏高階真人長者并神主等共署申之、差充之後不但其死闕及耆老之代、又同待之、永以為例、
寛平五年十月廿九日
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