- トップ
- 神道・神社史料集成(古代) 国選択
- 尾張国神社一覧
- 熱田神社
神道・神社史料集成(古代) 熱田神社
熱田神社(尾張国愛智郡)
『日本書紀』景行天皇40年10月戊午(7日)条抂レ道拝二伊勢神宮一、仍辞二于倭姫命一曰、今被二天皇之命一、而東征将レ誅二諸叛者一、故辞之、於レ是倭姫命取二草薙剣一、授二日本武尊一曰、慎之莫レ怠也、
『日本書紀』景行天皇40年条日本武尊初至二駿河一、其処賊陽従之、欺曰、是野也糜鹿甚多、気如二朝霧一、足如二茂林一、臨而応レ狩、日本武尊信二其言一、入二野中一而覓レ獣、賊有二殺レ王之情一、王謂二日本武尊一也、放二-火-焼其野一、王知レ被レ欺、則以レ燧出レ火之、向焼而得レ免、一云、王所レ佩剣叢雲自抽之薙二-攘王之傍草一、因レ是得レ免、故号二其剣一曰二草薙一也、叢雲、此云二茂羅玖毛一、王曰、殆被レ欺、則悉焚二其賊衆一而滅之、故号二其処一曰二焼津一、
(略)
日本武尊更還二於尾張一、即娶二尾張氏之女宮簀媛一、而淹留踰レ月、於レ是聞三近江胆吹山有二荒神一、即解レ剣置二於宮簀媛家一、而徒行之、至二胆吹山一山神化二大蛇一当レ道、爰日本武尊、不レ知二主神化レ蛇之謂一、是大蛇必荒神之使也、既得レ殺二主神一、其使者豈足求乎、因跨レ蛇猶行、時山神之興レ雲零レ氷、峯霧谷曀、無二復可レ行之路一、乃捷遑不レ知二其所跋渉一、然凌霧強行、方僅得出、猶失意如レ酔、因居二山下之泉側一、乃飲二其水一丐醒之、故号二其泉一曰二居醒泉一也、日本武尊於レ是始有二痛身一、然稍起之還二於尾張一、爰不レ入二宮簀媛之家一、便移二伊勢一而到二尾津一、昔日本武尊向レ東之歳、停二尾津浜一而進食、是時解二一剣一置二於松下一、遂忘而去、今至二於此一、是剣猶存、故歌曰、烏波利珥、多陀珥霧伽幣流、比苔菟麻菟、阿波例比等菟麻菟、比苔珥阿利勢麼、岐農岐勢摩之塢、多知波開摩之塢、
『日本書紀』景行天皇51年8月壬子(4日)条初日本武尊所佩二草薙横刀一、是今在二尾張国年魚市郡熱田社一也、
『日本書紀』天智天皇7年条(668)沙門道行盗二草薙剣一逃二-向新羅一、而中路風雨、荒迷而帰、
『日本書紀』朱鳥元年6月戊寅(10日)条(686)卜二天皇病一祟二草薙剣一、即日、送二-置于尾張国熱田社一、
『日本紀略』弘仁13年6月庚辰(21日)条(822)尾張国熱田神奉レ授二従四位下一、
『続日本後紀』天長10年6月壬午(27日)条(833)詔奉レ授下坐二尾張国一従三位熱田大神正三位上、并納二封十五戸一、
『続日本後紀』承和2年12月壬午(12日)条(836)尾張国日割御子神、孫若御子神、高座結御子神、惣三前奉レ預二名神一、並熱田大神御児神也、
熱田神宮古文書・承和14年3月7日官符写(847)太政官符 尾張国司
一応下従三位熱田神戸百姓永停二公役一、一向修中-理神社并神宮寺上事
右得二神主正七位下祝部宮麿等解一偁、件社并神宮寺等、内縁神願、営作雑事、触レ類繁多、神戸百姓、須レ仕二一向神事一、而当郡司等、或差二往還逓送之役一、昼夜追レ使、或班二-給交易雑物并正税一、不レ論二斉限一、強行二刑罰一、自余濫行不レ可二勝計一、因レ茲年中修理、已致二闕怠一、社破之祟屡発二郷邑一、託宣之咎頻示、神主等雖レ陳二此由一、国郡曽不レ改レ行、神戸民弊無二過レ斯甚一、望請、依二太政官去弘仁二年九月廿三日、五月三日両度符旨一、永停二-止公役一、専勤二神事一者、
一応レ置二神宮寺別当蔭孫正八位御船宿禰木津山一
右同前解偁、縁二神願一、書二-写経論一万五千九百巻一、図二仏菩薩四王像一千廿八躯、神体五体一、造二-建神宮寺一区、如法院一処、塔三基、別院三処等一事、件木津山本自預知、当時国司検帳既記、爰木津山立性格勤、専事二仏神一、望請、別当永令レ済二寺事一、其衣食、不三更請二官物一者、
以前、得二神祇官解一偁、具レ件如レ前、官加二覆審一、所レ申不レ虚、謹請二官裁一者、左大臣宣、依レ請者、国宜二承知一、依レ宣行レ之、不レ得二更妨一、符到奉行、
従四位下行左中弁藤原朝臣関宗 右大臣正六位上桑内連安岑
承和十四年三月七日
熱田神宮古文書・承和14年閏3月14日尾張国符写(847)国符 愛智郡司并熱田名神主祝部宮麿等
応二奉行一事弐条之状
一応下従三位熱田神戸百姓被レ停二公役一、一向修中-理神舎并神宮寺上事
右得二神主外正八位下祝部宮麿等解一偁、件社并神宮寺等、内縁神願、営作雑事、触レ類繁多、神戸百姓等須レ仕二一向神事一、而当郡司等、或差二往還使逓送之役一、昼夜追使、或班二-給交易雑物并正税一、不レ論二斉限一、強行二刑罰一、自余濫行不レ可二勝計一、因レ茲年中修理已致二闕怠一、社破之祟屡発二郷邑一、託宣之咎頻示、神主等雖レ陳二此由一、国郡曽不レ改レ行、神戸民弊無二過レ斯甚一、望請、依二太政官去弘仁二年九月廿三日、同三年五月三日両度符旨一、永停二公役一、専勤二神事一者、
一応レ置二同神宮寺別当蔭孫正八位下御船宿禰木律山一
右同前解偁、縁二神願一書二-写経論一万五千九百巻一、図二-造仏菩薩四王像一千廿八体、神体五躯一、造二-建神宮寺一区、如法院一処、塔三基、別院三処等一事、件木津山本自預知、当時国司検帳既記、爰木津山立食料不三更謹請二官物一者、
右被二太政官去三月七日符一偁、得二神祇官解一偁、具件如レ前、官加二覆審一、所レ申不レ虚、謹請二官裁一者、左大臣宣、依レ請者、国宜二承知一、依レ宣行者、郡司并祝部宮麿等、宜二承知一、依レ件行レ之、符到奉行、
介有道宿禰氏道
承和十四年潤三月十四日
熱田神宮古文書・嘉祥3年2月9日神祇官移写(850)神祇官移 尾張国司
応三早停二-止従三位熱田大神戸百姓公役一事
右、得二神主外正八位下祝部宮麿解一偁、太政官去承和十四年三月七日下レ国符偁、同神祇官解偁、宮麿解偁、件社并神宮寺等、内縁神願、営作雑事、触レ類繁多、神戸百姓等、須レ仕二一向神事一、而当郡司等、或差二往還使逓送之役一、昼夜追使、或班二-給交易雑物并正税一、不レ論二斉限一、強行二刑罰一、自余濫行、不レ可二勝計一、因レ茲、年中修理、已致二闕怠一、破損之崇屡発二郷邑一、託宣之咎頻示、神主等雖レ陳二此由一、国郡曽不レ改レ行、神戸民弊、無二過レ斯甚一、望請、依二大政官去弘仁二年九月廿三日、三年五月三日并両度符旨一、永停二公役一、専勤二神事一者、官加二覆審一、所レ申不レ虚、謹請二官裁一者、左大臣宣、依レ請者、国宜二承知一、依レ宣行レ之、不レ得二更妨一者、而忌二符旨一、追駈未レ止、弥妨二神願一、仍請二処分一者、官検二解状一、理不レ可レ然、加以、頃者御体不予、問二之卜筮一、件神為レ崇、今依二宣旨一遥祷祈了、国察二此状一、早従二停止一、移到唯レ状、故移、
嘉祥三年二月九日 正六位上行大史兼宮主卜部正麿
内蔵頭従五位下兼行権少副中臣朝臣
熱田神宮古文書・嘉祥3年3月11日官符写(850)太政官符 尾張国
応レ停三-止班二-給正税従三位熱田大神神戸一事
右、得二神祇官解一偁、神主外正八位下祝部宮麿去年十月一日、十二月十三日并両度解偁、神戸百姓等、依レ例供二-奉年中祭祀一并修二-理神社一、而此社雑舎多数、修理難レ堪、常事二経営一、頃年之間、依二大神羨一、造二-建神宮寺一、就レ中、如法院一処、別院三処、塔三基、仏菩薩四王御像一千廿八体一、書二-写経論一万五千九百余巻一、依二度々官符一、読経講説、随レ時立レ例、不レ得二輙闕怠一、修二-理寺家一、駈二-使法会一、皆用二神戸人一、今所在課丁不レ幾、而混二-雑公民一、班二-給正税一、迄レ有二未進一、取二仏神物一、動則号レ拒二-捍公事一、不レ論二斉限一、強行二刑罰一、国司等容二郡司巧詞一、不レ慎二神事一、異怪頻示、恐祟咎及二国家一歟、望請、永免レ班二-給正税一、依二大政官去承和十四年三月七日符一、一向勤二神事一、仍請二処分一者、宮依二解状一、謹請二官裁一者、右大臣宣、依レ請者、国宜承知、依レ宣行レ之、符到奉行、
参議右大弁従四位上兼行左近衛中将相模守藤原朝臣
左大史正六位上高階忌寸清貞
嘉祥三年三月十一日
熱田神宮古文書・嘉祥3年3月22日尾張国符写(850)国符 愛智郡司
応レ停レ班二-給正税神戸百姓等一事
右、被二太政官去三月十一日符一偁、得二神宮解一偁、神主外正八位下祝部宮麿去年十月一日、十二月十三日并両度解偁、神戸百姓依レ例供二-奉年中祭祀并修理神社一、而此社雑舎多数、修理難レ堪、常事経営、頃年之間、依二大神羨一、造二-建神宮寺、就中如法院一処、別院三処、塔三基、仏菩薩四王御像惣一千廿八躯一、書二-写経論一万五千九百余巻一、依二度々符一、読経講説、随レ時立レ例、不レ得二輙闕怠一、修二-理寺家一、駈二-使法会一、皆用二神戸人一、今所在課丁不レ幾、而混雑公民、班二-給正税一、迄有二未進一、取二-備神物一、動則号二拒捍公事一、不レ論二斎限一、強二-行刑罰一、国司等容二郡司巧詞一、不レ慎二神事一、異怪頻示、恐祟咎及二国家一歟、望請、永止レ班二-給正税一、依二太政官去承和十四年三月七日符一、一向勤二神事一、仍請二処分一者、宮依二解状一、謹請二官裁一者、右大臣宣、依レ請者、国宜二承知一、依レ宣行レ之者、郡宜承知、依件停之、符到奉行、
守滋野朝臣在京 大目額田首使
介有道宿禰氏道 少目日置部使
掾伴宿禰
嘉祥三年三月廿二日
『文徳天皇実録』嘉祥3年9月庚子(26日)条(850)遣二侍従従五位上島江王向伊勢大神宮一、神祇大副従五位下中臣朝臣逸志一向二賀茂大神社一、神祇権少祐正六位上占部業基向二尾張大神社一、告二以賀瑞之由一、大二-祓於建礼門前一、以遣レ使也、又下二-知五畿七道諸国一、班二-幣名神一、同告二賀端之由一、
『文徳天皇実録』嘉祥3年10月辛亥(7日)条(850)進二山城国稲荷神階一授二従四位上一、授二摂津国広田神従五位下一、進二大和国大和大国魂神階一授二従二位、石上神、及大神大物主神、葛木一言主神等並正三位、夜岐布山口神従五位下、河内国恩智大御食津彦命神、恩智大御食津姫命神等並正三位、丹比神従五位上、伊勢国阿耶賀神従五位上、尾張国熱田神正三位、越前国気比神正二位、筑前国宗像神従五位上、竈門神正五位上、筑後国高良玉垂命神従四位上、肥後国健磐龍命神正三位、伊豆国三島神従五位上一、
『日本三代実録』貞観元年正月27日甲申条(859)京畿七道諸神進レ階及新叙、惣二百六十七社、奉レ授二淡路国無品勲八等伊佐奈岐命一品、備中国三品吉備都彦命二品、神祇官無位神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神並従一位、無位生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神、櫛石窓神、豊石窓神、生島神、足島神並従四位上、宮内省従三位園神、韓神並正三位、大膳職正四位下御食津神従三位、左京職従五位上太祝詞神、久慈真智神並正五位下、大膳職従五位下火雷神、大炊寮従五位下大八島竈神八前、斎火武主比命神、内膳司従五位下庭火皇神、造酒司従五位下大戸自神等並従五位上、無位酒殿神従五位下、山城国正二位勲二等松尾神従一位、葛野月読神、平野今木神並正二位、正四位下稲荷神三前並正四位上、正四位下大若子神、小若子神、酒解神、酒解子神並正四位上、平野従四位下久度古開神従四位上、正五位上貴布禰神、正五位下乙訓火雷神、従五位上水主神等並従四位下、正五位下合殿比咩神正五位上、従五位下樺井月読神、木島天照御魂神、和支神並正五位下、従五位下祝園神、天野夫支売神、岡田鴨神、岡田園神、樺井月神、棚倉孫神、許波多神、出雲井於神、片山神、鴨川合神等並従五位上、正六位上与度神、石作神、向神、簀原神、鴨山口神、小野神、久我神、高橋神、双栗神、水度神、伊勢田神、無位小社神並従五位下、大和国従一位大己貴神正一位、正二位葛木御歳神、従二位勲八等高鴨阿治須岐宅比古尼神、従二位高市御県鴨八重事代主神、従二位勲二等大神大物主神、従二位勲三等大和大国魂神、正三位勲六等石上神、正三位高鴨神並従一位、正三位勲二等葛木一言主神、高天彦神、葛木火雷神並従二位、従三位広瀬神、龍田神、従三位勲八等多坐弥志理都比古神、金峰神並正三位、正四位下丹生川上雨師神従三位、従五位下賀夜奈流美神正四位下、従五位下勲八等穴師兵主神、片岡神、夜岐布山口神並正五位上、従五位下都祁水分神、都祁山口神、石寸山口神、耳成山口神、飛鳥山口神、畝火山口神、長谷山口神、忍坂山口神、宇陀水分神、吉野水分神、吉野山口神、巨勢山口神、葛木水分神、鴨山口神、当麻山口神、大坂山口神、伊古麻山口神並正五位下、従五位下和爾赤坂彦神、山辺御県神、村屋禰富都比売神、池坐朝霧黄幡比売神、鏡作天照御魂神、十市御県神、目原高御魂神、畝尾建土安神、子部神、天香山大麻等野知神、宗我都比古神、甘樫神、稔代神、牟佐坐神、高市御県神、軽樹村神、天高市神、太玉命神、櫛玉命神、川俣神、波多甕井神、坐日向神、巻向若御魂神、他田天照御魂神、志貴御県神、忍坂生根神、葛木倭文天羽雷命神、長尾神、石園多久豆玉神、調田一事尼古神、金村神、葛木御県神、火幡神、往馬伊古麻都比古神、平群石床神、矢田久志玉比古神、添御県神、伊射奈岐神、葛木二上神並従五位上、無位水越神従五位下、河内国従一位勲三等枚岡天児屋根命正一位、正三位勲六等恩智大御食津比古命神、恩智大御食津比咩命神並従二位、正四位上勲六等枚岡比咩神従三位、従五位下杜本神正四位下、従五位上丹比神正五位下、従五位下春日戸神、高宮神、弓削神、志紀長吉神、狭山堤神、狭山神、菅生神並従五位上、和泉国正五位下勲八等大鳥神従四位下、摂津国従三位勲八等広田神正三位、正五位上勲八等生田神、従五位上勲八等長田神、従五位上垂水神、従五位下勲八等大依羅神、難波生国魂神、下照比女神、坐摩神、従五位下勲八等新屋天照御魂神並従四位下、従五位下名次神正五位下、従五位下中臣須牟地神、伊射奈岐神、伊和志豆神並従五位上、伊賀国無位穴石神従五位下、伊勢国従三位多度神正三位、従四位下阿射加神従四位上、尾張国正三位熱田神従二位、駿河国従三位浅間神正三位、伊豆国従四位下三島神従四位上、従五位下楊原神従五位上、武蔵国従五位下氷川神従五位上、安房国従三位勲八等安房神、天比々理刀咩命神並正三位、近江国従二位勲一等比叡神正二位、従五位上勲八等伊香神従四位下、従五位下伊富岐神、佐久奈度神、水口神、川田神、三上神、奥津島神、小比叡神並従五位上、美濃国従三位中山金山彦神正三位、信濃国正三位勲八等建御名方富命神従二位、従三位建御名方富命前八坂刀売命神正三位、上野国正五位下勲八等貫前神従四位下、下野国従三位勲四等二荒神正三位、陸奥国正五位上勲四等計仙麻神、正五位下勲四等志波彦神、勲五等拝幣志神、勲六等零羊埼神、従五位上勲四等志波姫神並従四位下、従五位下計仙麻大島神従五位上、若狭国従二位勲八等若狭比古神正二位、正三位若狭比咩神従二位、越前国正二位勲一等気比神従一位、従四位上勲六等推前神、勲六等剣神並正四位下、加賀国白山比女神正三位、能登国正二位勲一等気多神従一位、越中国従三位高瀬神、二上神並正三位、丹波国従五位下小川月神、麻気神並従五位上、丹後国従五位下大川神、大宮売神並従五位上、出雲国従三位熊野神、勲八等杵築神並正三位、播磨国従五位下勲八等粒坐天照神、伊和坐大名持御魂神並従四位下、従五位下海神従五位上、安芸国正五位下伊都岐島神、従五位上速谷神並従四位下、従五位下多家神従五位上、長門国従五位下住吉荒魂神従五位上、紀伊国従四位下伊達神、志摩神、静火神並正四位下、従五位下勲八等丹生都比売神、伊太祁曽神、大屋都比売神、神都摩都比売神、鳴神並従四位下、従五位下須佐神、熊野早玉神、熊野坐神並従五位上、阿波国従五位下大麻比古神、忌部天日鷲神並従五位上、土佐国従五位下都佐坐神従五位上、筑前国正三位勲八等田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神並従二位、正五位下竈門神、従五位下筑紫神並従四位下、従五位下織幡神、志賀海神、美奈宜神並従五位上、無位住吉神従五位下、筑後国正三位高良玉垂命神従二位、従四位下豊比咩神従四位上、肥前国従五位下田島神従四位下、肥後国従二位勲五等健磐龍命神正二位、従四位下阿曽比咩神従四位上、壱岐島従五位下海神、住吉神、兵主神、月読神並従五位上、対馬島従五位下和多都美神、高御魂神、住吉神並従五位上一、
『日本三代実録』貞観元年2月17日癸卯条(859)授二尾張国従二位熱田神正二位、従四位下大県神従四位上、伊勢国正三位多度神従二位一、
『日本三代実録』貞観元年2月19日乙巳条(859)遣二正五位下守右中弁兼行式部少輔大枝朝臣音人一、向二伊勢国多度神社、尾張国熱田、大県等神社一、奉二神位記財宝一、
『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)発二-遣大神宝使一、
熱田神宮古文書・昌泰3年4月27日官符写(900)太政官符 尾張国
応三免レ差二他役熱田神社祝荒田井高神戸尾張広宗并神戸百姓等一事
右得二神祇官解一偁、彼社解偁、謹案二太政官弘仁二年九月廿三日、同三年五月三日両度下国符一偁、神戸百姓等、永停二-止公役一、専勤二神事一者、然至二祝部等一、可レ差二他役一而国司背二符旨一、或令レ兼二擬郡司職一、或差二-仰厨家綱丁一、因レ茲不レ撰二致斎交役一、触二穢悪処一、若不レ申二此由一、恐レ致二祟咎一、望請、被レ言二-上此由一、重下二符国宰一、被レ免二他役一、将レ勤二神事一者、官依二解状一、謹請二官裁一者、右大臣宣、宜仰二国宰一、莫レ令二更然一者、国宜承知、依レ宣行レ之、符到奉行、
昌泰三年四月廿七日 正六位上行左少史御船宿禰有方
従五位上守右中弁藤原朝臣興範
『古語拾遺』素戔嗚神、自レ天而降二到於出雲国簸之川上一、以二天十握剣一、其名天羽羽斬、今在二石上神宮一、古語、大蛇謂二之羽一、言斬レ蛇也、斬二八岐大蛇一、其尾中得二一霊剣一、其名天叢雲、大蛇之上、常有二雲気一、故以為レ名、倭武尊東征之年、到二相模国一、遇二野火難一、即以二此剣一薙レ草得レ免、更名二草薙剣一也、乃献二-上於天神一也、然後、素戔嗚神、娶二国神女一生二大己貴神一、古語、於保那武智神、遂就二於根国一矣、
(略)
天祖吾勝尊、納二高皇産霊神之女、栲幡千千姫命一、生二天津彦尊一、号曰二皇孫命一、天照大神、高皇産霊神二神之孫也、故曰二皇孫一也、既而、天照大神、高皇産霊尊、崇二-養皇孫一、欲三降二為豊葦原中国主一、仍遣二経津主神、是磐筒女神之子、今下総国香取神是也、武甕槌神一、是甕速日神之子、今常陸国鹿島神是也、駈除平定、於是、大己貴神及其子事代主神、並皆奉レ避、仍以二平レ国矛一、授二二神一曰、吾以二此矛一、卒有二治功一、天孫、若用二此矛一治レ国者、必当平安、今我将二隠去一矣、辞訖遂隠、於是、二神、誅二-伏諸不順鬼神等一、果以復命、
于時、天祖天照大神、高皇産霊尊、乃相語曰、夫葦原瑞穂国者、吾子孫可レ王之地、皇孫就而治焉、宝祚之隆、当下与二天壌一无上レ窮矣、即以二八咫鏡及薙草剣二種神宝一、授二-賜皇孫一、永為二天璽一、所謂神璽剣鏡是也、矛玉自従、即、勅曰、吾児視二此宝鏡一、当レ猶レ視レ吾、可三与同レ床共レ殿、以為二斎鏡一、仍以二天児屋命、太玉命、天鈿女命一、使二配侍一焉、因又勅曰、吾則起二-樹天津神籬、神籬者、古語、比茂侶伎、及天津磐境一、当下為二吾孫一奉上レ斎矣、汝天児屋命、太玉命二神、宜下持二天津神籬一、降二於葦原中国一、亦為二吾孫一奉上レ斎焉、惟爾二神、共侍二殿内一、能為二防護一、宜下以二吾高天原所御斎庭之穂一、是稲種也、亦当上レ御二於吾児一矣、宜下太玉命率二諸部神一、供二-奉其職一、如中天上儀上、仍令二諸神亦与陪従一、復勅二大物主神一、宜下領八十万神一、永為二皇孫一奉上レ護焉、仍使下大伴遠祖天忍日命、帥二来目部遠祖天槵津大来目一、帯仗前駆上、
(略)
至二于磯城瑞垣朝一、漸畏二神威一、同レ殿不安、故更令下斎部氏率二石凝姥神裔、天目一筒神裔二氏一、更鋳レ鏡造上レ剣、以為二護御璽一、是今践祚之日、所レ献神璽鏡剣也、仍就二於倭笠縫邑一、殊立二磯城神籬一、奉レ遷二天照大神及草薙剣一、令二皇女豊鍬入姫命奉一レ斎焉、其遷祭之夕、宮人皆参、終夜宴楽、歌曰、
美夜比登能 於保与須我良爾 伊佐登保志 由伎能与呂志茂 於保与須我良爾
今俗哥曰、美夜比止乃、於保与曽許侶茂、比佐止保志、由伎乃与侶志茂、於保与曽許侶茂、詞之転也、
(略)
至二於纏向日代朝一、令二日本武命一尊歟、征二-討東夷一、仍抂道詣二伊勢神宮一、辞二-見倭姫命一、以二草薙剣一授二日本武命一而教曰、慎莫レ怠也、日本武命、既平二東虜一還、至二尾張国一、納二宮簀姫一、淹留踰レ月、解レ剣置レ宅、徒行登二胆吹山一、中レ毒而薨、其草薙剣、今在二尾張国熱田社一、未レ叙二礼典一也、
(略)
至二天平年中一、勘二-造神帳一、中臣専レ権、任レ意取捨、有レ由者小祀皆列、無レ縁者大社猶廃、敷奏施行、当時独歩、諸社封税、総入一門、
起自天降、洎二乎東征一、扈従郡神、名顕二国史一、或承二皇天之厳命一、為二宝基之鎮衛一、或遇二昌運之洪啓一、助二神器之大造一、然則至二於録レ切酬一レ庸、須応三同預二祀典一、或未レ入二班レ幣之例一、猶壊二介推之恨一、
況復、草薙神剣者、尤是天璽、自二日本武尊催旋之年一、留任二尾張熱田社一、外賊偸逃、不レ能レ出レ境、神物霊験、以レ此可レ観、然則、奉幣之日、可レ同二致敬一、而久代闕如、不レ修二其祠一、所レ遺一也、
『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕名神祭二百八十五座、
園神社一座、韓神社二座、已上坐二宮内省一、
賀茂別雷神社一座、賀茂御祖神社二座、松尾神社二座、
稲荷神社三座、貴布禰神社一座、鴨川合神社一座、
御井神社一座、葛野月読神社一座、木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、梅宮神社四座、乙訓神社一座、
酒解神社一座、亦号二山崎神一、已上山城国、
春日神社四座、大和神社三座、石上神社一座、
多坐神社二座、或号二大社一、飛鳥神社四座、高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、大神神社一座、太玉神社四座、
穴師神社一座、高屋安倍神社三座、大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、金峯神社一座、鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、葛木一言主神社一座、高鴨神社四座、
高天彦神社一座、葛木火雷神社二座、片岡神社一座、
火幡神社一座、広瀬神社一座、龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、枚岡神社四座、杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、大依羅神社四座、難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、亦号二下照比売一、新屋神社三座、垂水神社一座、
広田神社一座、生田神社一座、長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或太作レ多、真墨田神社一座、大県神社一座、
熱田神社一座、日割御子神社一座、孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、伊古奈比咩命神社一座、物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、筑波山神社一座、吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、日吉神社一座、比叡神同、佐久奈度神社一座、
建部神社一座、川田神社二座、御上神社一座、
奥津島神社一座、伊香神社一座、水尾神社二座、或水作レ三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、穂高神社一座、生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、或作二抜鋒一、伊加保神社一座、赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、苅田嶺神社一座、志波彦神社一座、
鼻節神社一座、志波姫神社一座、伊達神社一座、
東屋沼神社一座、零羊崎神社一座、拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、多珂神社一座、伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、大高山神社一座、子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、小川月神社一座、麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、籠神社一座、大虫神社一座、
小虫神社一座、大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、夜夫神社二座、伊豆志神社八座、
山神社一座、戸神社一座、雷神社一座、
欘椒神社一座、海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、宇受加命神社一座、水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、粒坐天照神社一座、中臣印達神社一座、
家島神社一座、伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、伊都伎島神社一座、多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、日前神社一座、国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、大屋都比売神社一座、都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、伊達神社一座、志磨神社一座、
静火神社一座、須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、大山積神社一座、野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、住吉神社三座、志加海神社三座、
八幡神社一座、筑紫神社一座、竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、兵主神社一座、月読神社一座、
中津神社一座、天手長男神社一座、天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、和多都美御子神社一座、高御魂神社一座、
和多都美神社一座、太祝詞神社一座、住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若有二大祷一者、加二絁五丈五尺一、以二布一端一代二糸一絇一、
『延喜式』3(臨時祭) 三社神税穀条〔79〕凡鴨御祖、別雷、熱田三社神税穀者、社用之外不レ得二他用一、雖レ充二社用一、申二弁官一待レ報、
『延喜式』3(臨時祭) 熱田社読経条〔87〕凡尾張国熱田社、毎年春秋二節、節別屈二僧六十四口一、転二-読金剛般若経一千巻一、其布施供養、以二神封物一充之、
|
|
21世紀COEプログラム 神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成
Copyright © 2004-2006 Kokugakuin University. All Rights Reserved.
|