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神道・神社史料集成(古代) 鹿島神宮
鹿島神宮(常陸国鹿島郡)
『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年6月丁巳(23日)条天皇独与二皇子手研耳命一、帥レ軍而進至二熊野荒坂津一、亦名丹敷浦、因誅二丹敷戸畔者一、時神吐二毒気一、人物咸瘁、由レ是皇軍不レ能二復振一、時彼処有レ人、号曰二熊野高倉下一、忽夜夢、天照太神謂二武甕雷神一曰、夫葦原中国猶聞喧擾之響焉、聞喧擾之響焉、此云二左捓霓利奈離一、宜汝更往而征之、武甕雷神対曰、雖二予不一レ行而下二予平レ国之剣一、則国将自平矣、天照太神曰、諾、諾、此云二宇毎那利一、時武甕雷神登謂二高倉下一曰、予剣号曰二韴霊一、韴霊、此云二赴屠能瀰哆磨一、今当レ置二汝庫裏一、宜三取而献二之天孫一、高倉下曰二唯唯一而寤之、明旦依二夢中教一開レ庫視之、果有二落剣一、倒立二於庫底板一、即取以進之、于時、天皇適寐、忽然而寤之曰、予何長二-眠若此一乎、尋而中レ毒士卒悉復醒起、
『続日本紀』養老7年11月丁丑(16日)条(723)下総国香取郡、常陸国鹿島郡、紀伊国名草郡等少領已上、聴レ連二-任三等已上親一、
『続日本紀』天平18年3月丙子(24日)条(746)常陸国鹿島郡中臣部廿烟、占部五烟、賜二中臣鹿島連之姓一、
『続日本紀』天平宝字2年9月丁丑(8日)条(758)常陸国鹿島神奴二百十八人便為二神戸一、
『続日本紀』神護景雲元年4月庚子(21日)条(767)放二鹿島神賎男八十人、女七十五人一、従レ良、
『続日本紀』宝亀4年6月丙午(2日)条(773)常陸国鹿島神賎一百五人、自二神護景雲元年立一レ制、安二-置一処一、不レ許二与レ良婚姻一、至レ是、依レ旧居住、更不二移動一、其同類相婚、一依二前例一、
『続日本紀』宝亀8年7月乙丑(16日)条(777)内大臣従二位藤原朝臣良継病、叙二其氏神鹿島社正三位、香取神正四位上一、
『続日本紀』宝亀11年10月丁酉(7日)条(780)授二常陸国鹿島神社祝正六位上中臣鹿島連大宗外従五位下一、
『続日本紀』宝亀11年12月壬子(22日)条(780)常陸国言、脱漏神賎七百七十四人請レ編二神戸一、許レ之、但神司妄認二良民一、規為二神賎一、仮二-託霊異一、侵二-擾朝章一、自レ今以後、更莫二申請一、
『続日本紀』延暦元年5月壬寅(20日)条(782)陸奥国言、祈二-祷鹿島神一、討二-撥凶賊一、神験非レ虚、望賽二位封一、勅奉レ授二勲五等封二戸一、
『続日本紀』延暦7年3月辛亥(3日)条(788)下レ勅、調二-発東海、東山、坂東諸国歩騎五万二千八百余人一、限二来年三月一、会二於陸奥国多賀城一、其点兵者、先尽二前般入レ軍経レ戦叙レ勲者、及常陸国神賎一、然後簡下-点余人堪二弓馬一者上、仍勅、比年国司等無レ心二奉公一、毎事闕怠、屡沮二成謀一、苟曰二司存一、豈応レ如レ此、若有二更然一、必以レ乏二軍興一従レ事矣、
『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 延暦20年9月22日官符(801)太政官符 神祇官
一応下割二神封物一充中春日祭料上事
調布五百端 下総国香取神封二百端 常陸国鹿島神封三百端
庸布三百端 商布六百端
麻六百斤 紙六百張 香取神封
右件神封物、割充如レ前、仍須三毎年納二-送祭所一、自余雑物一同二前符一、官宜二承知依レ件施行一、
一停二-止春日神封廿烟一 常陸国
右割二神封物一充二祭料一畢、仍納二件封一還収、下二符民部省一畢、官宜二承知依レ件行一レ之、符到奉行、
延暦廿年九月廿二日
『日本後紀』延暦23年6月丙辰(13日)条(804)制、常陸国鹿島神社、越前国気比神社、能登国気多神社、豊前国八幡神社等宮司、人懐二競望一、各称二譜第一、自今以後、神祇官検二旧記一、常簡二氏中堪レ事者一、擬補申レ官、
『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)神封部
合四千八百七十六戸
(略)
鹿島神 百五戸 常六国神賎戸五十烟、課六百八十五人、不課二千六百七十六人、延暦五年、
(略)
鹿島神 二戸 陸奥国、延暦元年五月廿四日符、
(略)
春日神 廿戸 常陸国鹿島社奉レ寄、天平神護元年、
(略)
『日本後紀』弘仁3年6月辛卯(5日)条(812)神祇官言、住吉香取鹿島三神社、隔二廿箇年一、一皆改作、積習為レ常、其弊不レ少、今須下除二正殿一外、随レ破修理上、永為二恒例一、許レ之、
『類聚国史』19(神祇19禰宜・祝) 弘仁11年8月甲午(24日)条(820)令二常陸国鹿島神社祝禰宜把笏一、
『続日本後紀』天長10年4月丁丑(20日)条(833)授二常陸国鹿島大神祝外従八位上勲八等中臣鹿島連川上外従五位下一、
『続日本後紀』承和2年2月戊戌(23日)条(835)坐二越前国一正三位勲一等気比大神祝禰宜、准二鹿島能登両大神祝禰宜一、令二以把笏一、
『続日本後紀』承和3年5月丁未(9日)条(836)奉レ授二下総国香取郡従三位伊波比主命正二位、常陸国鹿島郡従二位勲一等建御賀豆智命正二位、河内国河内郡従三位勲三等天児屋根命正三位、従四位下比売神従四位上一、其詔曰、皇御孫命爾坐、四所大神爾申給波久、大神等乎弥高爾弥広爾仕奉止奈毛思保志食、是以件等冠爾上献状乎、中務少輔従五位下藤原朝臣豊継、内舎人正六位下藤原朝臣千葛等爾令二捧持一弖、奉出事乎申給久止申、辞別弖申給久、神那我良母皇御孫之御命乎、堅磐爾常磐爾護奉幸閉奉給部、又遣唐使参議正四位下藤原朝臣常嗣乎、路間無二風波之難一久、慈賜比矜賜比天、平久可太良可爾帰之賜倍止、称辞竟奉久止申、
『続日本後紀』承和3年10月丙辰(20日)条(836)下総国言、香取神禰宜准二常陸国鹿島神禰宜一、遷代相続同令二把笏一、許レ之、
『続日本後紀』承和6年10月丁丑(29日)条(839)奉レ授下坐二下総国香取郡一正二位伊波比主命、坐二常陸国鹿島郡一正二位勲一等建御加都智命並従一位、坐二河内国河内郡一正三位勲二等天児屋根命従二位、従四位上比売神正四位下上、
『続日本後紀』承和12年7月丁卯(22日)条(845)常陸国言、依二去年二月廿七日符一、補二-任鹿島大神宮権宮司一、庶務之勤、不レ異二正任一、而奉幣朝使、只給二正任当色一、不レ給二権任一、祭祀之場、同官異レ色、望請、准二-拠正任二、将レ預二給例一者、聴レ之、立為二恒例一、
『類聚三代格』2(年分度者事) 嘉祥3年8月5日官符(850)太政官符
応三随レ闕度二-補鹿島神宮寺僧五人一事
右検二案内一、太政官去承和三年六月十五日下二治部省一符偁、得二常陸国解一偁、神宮司従八位上大中臣朝臣広年解偁、去天平勝宝年中修行僧満願到二-来此部一、為レ神発願始建二件寺一、奉レ写二大般若経六百巻一、図二-画仏像一住持八箇年、神以感応、而満願去後年代已久、無レ人二住持一伽藍荒蕪、今部内民大部須弥麿等五人試二-練読経一、良堪レ為レ僧、望請、特令三得度住二件寺一者、権中納言従三位兼行左兵衛督藤原朝臣良房宣、奉 レ勅、依レ請者、今被二右大臣宣一偁、奉 レ勅、件僧等若有レ闕者、国司并別当僧簡二-定百姓之中堪レ為レ僧者一、随レ闕度補、但度縁戒牒一准二国分寺僧一、
嘉祥三年八月五日
『文徳天皇実録』嘉祥3年9月己丑(15日)条(850)亦遣二参議藤原朝臣助一向二春日大神社一、策命曰、天皇我詔旨止、大神乃広前爾申賜倍止申久、皇大神乃厚護爾依天之、天日嗣乃高御座爾波、平介久即賜止奈毛所二念行一須、因レ茲天、先先爾祷申賜比之御冠止為天奈毛、建御賀豆智命、伊波比主命二柱乃大神乎波正一位爾、天児屋根命乎波従一位爾、比売神乎波正四位上爾、上奉利崇奉留状乎、神財乎令二捧持一天奉レ出須、此状乎聞食天、益益爾天皇朝庭乎堅磐爾常磐爾幸倍奉賜比、天下平安爾護賜比助賜倍止、恐見恐見毛申賜波久止申、
『類聚三代格』3(定額寺事) 天安3年2月16日官符(859)太政官符
応レ修二-理鹿島神宮寺一事
右得二常陸国解一偁、講師伝燈大法師位安璟牒偁、検二案内一、去天平勝宝年中始建二件寺一、承和四年預二定額寺一、須二依レ格国司講師相共検校一、而今此寺雖レ預二定額一無レ有二田園并修理料一、因レ茲三綱檀越等不レ堪レ修二-造破損物一者、国司熟検二旧記一、件寺元宮司従五位下中臣鹿島連大宗、大領中臣連千徳等与二修行僧満願一所二建立一也、今所レ有禰宜祝等是大宗之後也、累代所レ任宮司亦同氏也、望請、 官裁令二神宮司并件氏人等永修理検校一、謹請二 官裁一者、右大臣宣、依レ請、但令三国司且加二検校一、若氏人等無レ力二修理一者、以二三宝布施一充二-用其料一、事須下随レ損即加二修理一、其所二修用一物数附二朝集使一言上上、
天安三年二月十六日
『類聚三代格』1(祭并幣事) 貞観8年正月20日官符(866)太政官符
応レ聴下奉二諸神社一幣帛使出中-入陸奥国関上事
菊田郡一前 磐城郡十一前
標葉郡二前 行方郡一前
宇多郡七前 伊具郡一前
曰理郡二前 宮城郡三前
黒河郡一前 色麻郡三前
志太郡一前 小田郡四前
牡鹿郡一前
右得二鹿島神宮司解一偁、禰宜外正六位上中臣部道継解偁、大神苗裔之神在二陸奥国一、古老伝云、延暦以往割二大神封物一充二幣帛料一奉二件諸神一、弘仁以来止而不レ奉、因レ茲諸神成レ祟、物怪頻示、仍去嘉祥元年弁二-備幣帛一、請二当国移文一向二於彼国一、而称レ無二旧例一不レ聴レ通レ関、爰道継身留二関下一、不レ得レ向レ社、所レ齎幣物祓二-棄河頭一空以廻来者、頃年夏月寒風秋稼不レ稔、部内疫癘連年有レ聞、宮司卜筮、件神成レ祟、仍可レ奉二幣帛一之状、祷祈已畢、望請、下二-知彼国一、奉二件幣帛一、但其料用二大神宮封物一、謹請二 官裁一者、右大臣宣、依レ請、
貞観八年正月廿日
『日本三代実録』貞観8年正月20日丁酉条(866)先レ是、常陸国鹿島神宮司言、大神之苗裔神卅八社在二陸奥国一、菊多郡一、磐城郡十一、標葉郡二、行方郡一、宇多郡七、伊具郡一、曰理郡二、宮城郡三、黒河郡一、色麻郡三、志太郡一、小田郡四、牡鹿郡一、聞二之古老一云、延暦以往、割二大神封物一、奉二-幣彼諸神社一、弘仁而還、絶而不レ奉、由レ是、諸神為レ祟、物怪寔繁、嘉祥元年、請二当国移状一、奉レ幣向レ彼、而陸奥国、称レ無二旧例一、不レ聴レ入レ関、宮司等於二関外河辺一、祓二-棄幣物一而帰、自後神祟不レ止、境内旱疫、望請、下二-知彼国一、聴レ出二-入関一、奉二-幣諸社一、以解二神怒一、其幣料用二大神封物一、又言、鹿島大神宮惣六箇院、廿年間一加二修造一、所レ用材木五万余枝、工夫十六万九千余人、料稲十八万二千余束、採二造レ宮材一之山在二那賀郡一、去レ宮二百余里、行路嶮峻、挽運多レ煩、伏見、造レ宮材木多用二栗樹一、此樹易レ栽、亦復早長、宮辺閑地、且栽二栗樹五千七百樹、榲樹卅四株一、望請、付二神宮司一、令二加殖兼斎守一、太政官処分、並依レ請、
『類聚三代格』1(神宮司神主禰宜事) 貞観10年6月28日官符(868)太政官符
応三以レ女為二禰宜一事
右撰格所起請偁、太政官去天長二年十二月廿六日符偁、承前之例、諸国小社、或置レ祝無二禰宜一、或禰宜祝並置、旧例紛謬准拠無レ定、加以或国独置二女祝一永主二其祭一、左大臣宣、自レ今以後、禰宜祝並置社者、以レ女為二禰宜一、但先置者、令レ終二其身一者、諸国依レ格遵来年久、而太政官斉衡三年四月二日符偁、得二神祇官解一偁、検二案内一、住吉、平岡、鹿島、香取等神主并祝禰宜皆是把レ笏、自余神社未レ預二此例一、祭祀之日拱レ手従レ事、望請、三位已上神社神主并祝禰宜等、同預二把笏一以増二神威一、謹請二 官裁一者、右大臣宣、奉 レ勅、入色者依レ請、白丁者不レ在二此限一者、如今諸国神社其数巨多、国司偏称二霊験一、請増二爵位一、二三年間或叙二三位以上一、因レ茲諸国雑色人等、皆補二禰宜祝一莫レ非二把笏一、差使乏レ人職此之由、熟尋二物情一、諸社有レ祝専主二祭事一、至二于禰宜一有レ職無レ務、伏望、除二-非先置社一之外、新叙三位已上神社禰宜、依二天長二年十二月廿六日符一、停二把笏一以レ女補任、然則於レ公有レ益、於レ社無レ損者、中納言兼左近衛大将従三位藤原朝臣基経宣、奉 レ勅、依レ請、
貞観十年六月廿八日
『日本三代実録』貞観17年3月17日庚子条(875)勅遣二使者於常陸国鹿島神宮寺一、施二-入幡卅四旒一、国司載レ帳、永以相伝、使者奉レ幡之日、修善諷誦、便以二常陸国年進内蔵寮布百段一充二噺料一、
『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)発二-遣大神宝使一、
『常陸国風土記』・信太郡榎浦之津、便置二駅家一、東海大道、常陸路頭、所以伝駅使等、初将レ臨レ国、先洗二口手一、東面拝二香島之大神一、然後得レ入也、
『常陸国風土記』・行方郡自レ郡西北、提賀里、古有二佐伯一、名二手鹿一、為二其人居一、追着レ里、其里北、在二香島神子之社一、々周山野地沃、草木柴椎栗竹茅之類多生、従レ此以北、曽尼村、古有三佐伯名曰二曽禰毘古一、取レ名着レ村、今置二駅家一、此謂二曽尼一、
(略)
自レ郡東北十五里、当麻之郷、古老曰、倭武天皇、巡行過二于此郷一、有三佐伯名曰二烏日子一、縁二其逆一レ命、随レ便略殺、即幸二屋形野之帳宮一、車駕所レ経之道、狭地深浅、取二悪路之義一、謂二之当麻一、俗云、多々支々斯、野之土埆、然生二紫草一、有二二神子之社一、其周山野、櫟柞栗柴、往々成レ林、猪猴狼多住、
(略)
其名田里、息長足日売皇后之時、人二此地一、名曰二古都比古一、三度遣二於韓国一、重二其功労一賜レ田、因名、又有二波耶武之野一、倭武天皇、停二-宿此野一、修二-理弓弭一、因名也、野北海辺、在二香島神子之社一、土塉櫟柞楡竹、一二所生、
『常陸国風土記』・香島郡古老曰、難波長柄豊前大朝馭宇天皇之世、己酉年、大乙上中臣子、大乙下中臣部兎子等、請二惣領高向大夫一、割二下総国海上国造部内軽野以南一里、那賀国造部内寒田以北五里一、別置二神郡一、其処所レ有天之大神社、坂戸社、沼尾社、合二三処一、惣称二香島天之大神一、因名レ郡焉、風俗説云、霰零香島之国、
清濁得レ糺、天地草昧已前、諸祖天神俗云、賀味留弥、賀味留岐、会二-集八百万神於天之原一時、諸祖神告云、今我御孫命、光二-宅豊葦原水穂之国一、自二高天原一、降来大神、名称二香島天之大神一、天則号二日香島之宮一、地則名二豊香島之宮一、俗云、豊葦原水穂国、所レ依将二奉上一始留爾、荒振神等、又石根木立、草乃片葉辞語弖、昼者狭蝿音声、夜者火光明国、此乎事向平定大神、従二上天一降供奉、
其後、至二初国所知美麻貴天皇之世一、奉幣、大刀十口、鉾二枚、鉄弓二張、鉄箭二具、許呂四口、枚鉄一連、練鉄一連、馬一疋、鞍一具、八咫鏡二面、五色絁一連、俗曰、美麻貴天皇之世、大坂山乃頂爾、白細乃大御服坐而、白桙御杖取坐、識賜命者、我前乎治奉者、汝聞看食国乎、大国小国、事依給等識賜岐、于時、追二-集八十之伴緒一、挙二此事一而訪問、於レ是、大中臣神聞勝命、答曰、大八島国、汝所レ知食国止、事向賜之、香島国坐、天津大御神乃挙教事者、天皇聞レ諸、即恐驚、奉レ納二前件幣帛於神宮一也、
神戸六十五烟、本八戸、難波天皇之世、加二-奉五十戸一、飛鳥浄見原大朝、加二-奉九戸一、合六十七戸、庚寅年、編戸減二二戸一、今定二六十五戸一、
淡海大津朝、初遣二使人一、造二神之宮一、自レ爾已来、修理不レ絶、年別七月、造レ舟而奉レ納二津宮一、古老曰、倭武天皇之世、天之大神、宣二中臣巨狭山命一、令レ仕二御舟一者、巨狭山命答曰、謹承二大命一、無二敢所一レ辞、天之大神、昧爽後宣、汝舟者、置二於海中一、舟主仍見、在二岡上一、又宣、汝舟者、置二於岡上一也、舟主因求、更在二海中一、如レ此之事、已非二二三一、爰則懼惶、新令レ造二舟三隻一、各長二丈余、初献之、又年別四月十日、設レ祭潅レ酒、卜氏種属、男女集会、積レ日累レ夜、楽飲歌舞、其唱云、安良佐賀乃、賀味能弥佐気畢、多義止、伊比祁婆賀母輿、和我恵比爾祁牟、
神社周迊、卜氏居所、地体高敞、東西臨レ海、峯谷犬牙、邑里交錯、山木野草、自屏二内庭之蕃籬一、澗流崖泉、涌二朝夕之汲流一、嶺頭構レ舎、松竹衛二於垣外一、谿腰堀レ井、薜蘿蔭二於壁上一、春経二其村一者、百草□花、秋過二其路者一、千樹錦葉、可レ謂二神仙之幽居之境、□異化誕之地一、佳麗之豊、不レ可レ悉之、
其社南、郡家北、沼尾池、古老曰、神世、自レ天流来水沼、所レ生蓮根、味気太異、甘絶二他所之有一、病者、食二此沼蓮一、早差験之、鮒鯉多住、前郡所レ置、多蒔レ橘、其実味之、
郡東二三里、高松浜、大海之流差砂貝、積成二高丘一、松林自生、椎柴交雑、既如二山野一、東南松下出レ泉、可二八九歩一、清渟太好、慶雲元年、国司婇女朝臣、率二鍛佐備大麻呂等一、採二若松浜之鉄一、以造レ剣之、自レ此以南、至二軽野里若松浜一之間、可二卅余里一、此皆松山、伏苓伏神、毎年堀之、其若松浦、即常陸下総二国之堺、安是湖之所レ有沙鉄、造レ剣大利、然為二香島之神山一、不レ得二輙入伐レ松穿一レ鉄也、
『万葉集』7〔1174〕覊旅作、
(略)
霰零 鹿島之埼乎 浪高 過而夜将行 恋敷物乎
『万葉集』20〔4370〕天平勝宝七歳乙未二月相替遣二筑紫諸国一防人等歌
(略)
阿良例布理 可志麻能可美乎 伊能利都々 須米良美久佐爾 和例波伎爾之乎
右二首、那賀郡上丁大舎人部千文、
(略)
二月十四日常陸国部領防人使大目正七位上息長真人国島進レ歌数十七首、但拙劣歌者不二取載一之、
『古語拾遺』天祖吾勝尊、納二高皇産霊神之女、栲幡千千姫命一、生二天津彦尊一、号曰二皇孫命一、天照大神、高皇産霊神二神之孫也、故曰二皇孫一也、既而、天照大神、高皇産霊尊、崇二-養皇孫一、欲レ降二-為豊葦原中国主一、仍遣二経津主神、是磐筒女神之子、今下総国香取神是也、武甕槌神一、是甕速日神之子、今常陸国鹿島神是也、駈除平定、於是、大己貴神及其子事代主神、並皆奉レ避、仍以二平レ国矛一、授二二神一曰、吾以二此矛一、卒有二治功一、天孫、若用二此矛一治レ国者、必当平安、今我将二隠去一矣、辞訖遂隠、於是、二神誅二-伏諸不順鬼神等一、果以復命、
『令集解』16(選叙令) 同司主典条(不得用三等以上親)謂、其非二三等親一者、縦得二相隠一、猶須二任用一也、釈云、養老七年十一月十六日太政官処分、伊勢国渡相郡、竹郡、安房国安房郡、出雲国意宇郡、筑前国宗形郡、常陸国鹿島郡、下総国香取郡、紀伊国名草郡、合八神郡、聴レ連二-任三等以上親一也、跡云、四等親、雖二相隠一而任二-用同司一無レ妨、古記云、三等以上親、案二儀制令一、父子為二一等一、祖孫伯叔兄弟為二二等一、曽祖従父兄弟兄弟子曽孫為二三等一、以外雖二相隠親一、不レ在二避限一、
『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕名神祭二百八十五座、
園神社一座、韓神社二座、已上坐二宮内省一、
賀茂別雷神社一座、賀茂御祖神社二座、松尾神社二座、
稲荷神社三座、貴布禰神社一座、鴨川合神社一座、
御井神社一座、葛野月読神社一座、木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、梅宮神社四座、乙訓神社一座、
酒解神社一座、亦号二山崎神一、已上山城国、
春日神社四座、大和神社三座、石上神社一座、
多坐神社二座、或号二大社一、飛鳥神社四座、高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、大神神社一座、太玉神社四座、
穴師神社一座、高屋安倍神社三座、大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、金峯神社一座、鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、葛木一言主神社一座、高鴨神社四座、
高天彦神社一座、葛木火雷神社二座、片岡神社一座、
火幡神社一座、広瀬神社一座、龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、枚岡神社四座、杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、大依羅神社四座、難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、亦号二下照比売一、新屋神社三座、垂水神社一座、
広田神社一座、生田神社一座、長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或太作レ多、真墨田神社一座、大県神社一座、
熱田神社一座、日割御子神社一座、孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、伊古奈比咩命神社一座、物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、筑波山神社一座、吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、日吉神社一座、比叡神同、佐久奈度神社一座、
建部神社一座、川田神社二座、御上神社一座、
奥津島神社一座、伊香神社一座、水尾神社二座、或水作レ三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、穂高神社一座、生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、或作二抜鋒一、伊加保神社一座、赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、苅田嶺神社一座、志波彦神社一座、
鼻節神社一座、志波姫神社一座、伊達神社一座、
東屋沼神社一座、零羊崎神社一座、拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、多珂神社一座、伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、大高山神社一座、子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、小川月神社一座、麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、籠神社一座、大虫神社一座、
小虫神社一座、大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、夜夫神社二座、伊豆志神社八座、
山神社一座、戸神社一座、雷神社一座、
欘椒神社一座、海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、宇受加命神社一座、水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、粒坐天照神社一座、中臣印達神社一座、
家島神社一座、伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、伊都伎島神社一座、多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、日前神社一座、国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、大屋都比売神社一座、都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、伊達神社一座、志磨神社一座、
静火神社一座、須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、大山積神社一座、野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、住吉神社三座、志加海神社三座、
八幡神社一座、筑紫神社一座、竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、兵主神社一座、月読神社一座、
中津神社一座、天手長男神社一座、天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、和多都美御子神社一座、高御魂神社一座、
和多都美神社一座、太祝詞神社一座、住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若有二大祷一者、加二絁五丈五尺一、以二布一端一代二糸一絇一、
『延喜式』3(臨時祭) 神社修理条〔59〕凡諸国神社随レ破修理、但摂津国住吉、下総国香取、常陸国鹿島等神社正殿、廿年一度改造、其料便用二神税一、如無二神税一、即充二正税一、
『延喜式』3(臨時祭) 神宮司季禄条〔95〕凡諸神宮司、禰宜季禄者、伊勢大神宮禰宜准二従七位官一、度会宮禰宜准二従八位官一、並以二神郡神税一給之、下総国香取神宮司、常陸国鹿島神宮司、越前国気比神宮司、並准二従八位官一、並以二封戸物一充之、能登国気多神宮司、准二少初位官一、以二神封一給之、
『延喜式』8(祝詞) 春日祭条〔4〕天皇我大命爾坐世、恐岐鹿島坐健御賀豆智命、香取坐伊波比主命、枚岡坐天之子八根命、比売神、四柱能皇神等能広前仁白久、大神等能乞賜比能任爾、春日能三笠山能下津石根爾宮柱広知立、高天原爾千木高知弖、天乃御蔭日乃御蔭止定奉弖、貢流神宝者、御鏡、御横刀、御弓、御桙、御馬爾備奉理、御服波明多閉、照多閉、和多閉、荒多閉爾仕奉弖、四方国能献礼留御調能荷前取並弖、青海原乃物者、波多能広物、波多能狭物、奥藻菜、辺藻菜、山野物者甘菜辛菜爾至麻弖、御酒者甕上高知、甕腹満並弖、雑物乎如二横山一積置弖、神主爾某官位姓名乎定弖、献流宇豆乃大幣帛乎、安幣帛乃足幣帛登、平久安久聞看登、皇大御神等乎称辞竟奉久登白、
如レ此仕奉爾依弖、今母去前母、天皇我朝庭乎平久安久、足御世乃茂御世爾斎奉利、常石爾堅石爾福閉奉利、預而仕奉流処処家家王等卿等乎母平久、天皇我朝庭爾伊加志夜久波叡能如久仕奉利、佐加叡志米賜登、称辞竟奉良久登白、大原野、平岡祭祝詞准レ此、
『延喜式』11(太政官) 神宮司条〔18〕凡香取神宮司任符、注下-載可レ給二食馬一之状上、不レ給二伝符一、自余神宮司給二食馬一者准レ此、
『延喜式』15(内蔵) 鹿島香取条〔4〕鹿島香取祭、
鹿島社、宮司、禰宜、祝各一人、物忌一人、
香取社、宮司、禰宜、各一人、物忌二人、
社別五色薄絁各一丈、安芸木綿廿枚、盛裹料商布一段、布綱三条、一条長一丈二尺、二条各長五尺、広六寸、已上官物、明櫃二合、調布二丈、敷レ櫃料、荷覆二条、禰宜人別絹一疋、物忌人別夾纈帛、浅緑帛各三丈、已上寮物、紫纐帛三丈、縹帛六尺、絹一疋、綿二屯、宮司当色一領、禰宜、祝人別当色一領、社別雑給料糸廿絇、已上官物、
使等装束、
藤原氏六位已下一人、
寮史生一人、齎レ幣夫二人、
使料当色一領、夾纈、紅﨟纈、支子帛各一疋、中緑帛二疋、絹二疋、調綿廿屯、細布三端、已上官物、浅緑綾、浅緑帛各一疋、已上寮物、史生当色一領、絹二疋、調綿六屯、曝布二端、齎レ幣夫別衫一領料、紺調布二丈、布帯一条、長八尺、已上官物、使等上道日餞料銭一貫文、
右其使名簿、前二二月春日祭一廿日、大臣下二当官一、寮差二-点史生一、申レ官預裹二-備幣物一、其使等、当日齎レ幣、発レ寮向レ国、
『延喜式』18(式部上) 郡司条〔112〕凡郡司者、一郡不レ得レ併二-用同姓一、若他姓中無レ人レ可レ用者、雖二同姓一除二同門一外聴レ任、神郡、陸奥縁辺郡、大隅馭謨、熊毛等郡者、不レ在二制限一、謂伊勢国飯野、度会、多気、安房国安房、下総国香取、常陸国鹿島、出雲国意宇、紀伊国名草、筑前国宗形等郡為二神郡一、
『延喜式』18(式部上) 神宮司条〔143〕凡諸神宮司、并橿日廟司、以二六年一為二秩限一、
『延喜式』30(大蔵) 鹿島香取奉幣条〔32〕凡奉二鹿島香取社幣帛一之日、給二物忌三人一、鹿島一人、香取二人、別紫纈帛三丈、縹帛六尺、絹二疋、綿二屯、毎レ社宮司、禰宜、祝各一人、別当色一具、社別雑給料緋糸廿絇、使藤原氏六位已下一人、当色一具、夾纈、紅臈纈、紅支子帛各一疋、中緑帛二疋、絹二疋、調綿廿屯、細布三端、内蔵寮史生一人、当色一具、絹二疋、調綿六屯、曝布二端、齎レ幣夫二人、別衫一領料紺布二丈、帯料布八尺、
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