神道・神社史料集成(古代) 鹿島神宮

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鹿島神宮(常陸国鹿島郡)


『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年6月丁巳(23日)条

天皇独皇子手研耳而進熊野荒坂亦名丹敷浦、丹敷戸畔時神人物咸瘁、由皇軍不時彼処有人、熊野高倉忽夜夢、天照太神武甕雷曰、夫葦原中国猶聞喧擾之響焉、聞喧擾之響焉、此左捓霓利奈宜汝更往而征之、武甕雷神対曰、予平則国将自平矣、天照太神曰、諾、諾、此宇毎那武甕雷神高倉曰、予剣号韴霊、此赴屠能瀰哆今当汝庫取而之天高倉下而寤之、明旦夢中視之、果於庫底即取以進之、于時、天皇適寐、忽然而寤之曰、予何-眠若乎、尋而中士卒悉復醒起、

『続日本紀』養老7年11月丁丑(16日)条(723)

下総国香取郡、常陸国鹿島郡、紀伊国名草郡等少領已上、聴-任三等已上

『続日本紀』天平18年3月丙子(24日)条(746)

常陸国鹿島郡中臣部廿烟、占部五烟、中臣鹿島連之

『続日本紀』天平宝字2年9月丁丑(8日)条(758)

常陸国鹿島神奴二百十八人便

『続日本紀』神護景雲元年4月庚子(21日)条(767)

鹿島神賎男八十人、女七十五良、

『続日本紀』宝亀4年6月丙午(2日)条(773)

常陸国鹿島神賎一百五人、神護景雲元年制、-置一是、居住、更其同類相婚、一

『続日本紀』宝亀8年7月乙丑(16日)条(777)

内大臣従二位藤原朝臣良継病、其氏神鹿島社正三位、香取神正四位

『続日本紀』宝亀11年10月丁酉(7日)条(780)

常陸国鹿島神社祝正六位上中臣鹿島連大宗外従五位

『続日本紀』宝亀11年12月壬子(22日)条(780)

常陸国言、脱漏神賎七百七十四人請之、但神司妄-託霊-擾朝以後、更

『続日本紀』延暦元年5月壬寅(20日)条(782)

陸奥国言、-鹿島-撥凶神験非虚、勅奉勲五等封二

『続日本紀』延暦7年3月辛亥(3日)条(788)

勅、調-発東海、東山、坂東諸国歩騎五万二千八百余来年三於陸奥国多賀其点兵者、先前般入者、及常陸国神然後-点余人仍勅、比年国司等無毎事闕怠、屡豈応此、必以矣、

『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 延暦20年9月22日官符(801)

太政官符 神祇官
神封春日祭
調布五百端 下総国香取神封二百端 常陸国鹿島神封三百端
庸布三百端 商布六百端
麻六百斤 紙六百張 香取神封
右件神封物、割充如前、毎年-送祭自余雑物一承知依
-止春日神封廿 常陸国
神封畢、仍還収、符民部畢、官承知依之、符到奉行、
延暦廿年九月廿二日

『日本後紀』延暦23年6月丙辰(13日)条(804)

制、常陸国鹿島神社、越前国気比神社、能登国気多神社、豊前国八幡神社等宮司、人自今以後、神祇官氏中堪擬補申官、

『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)

神封部
合四千八百七十六戸
(略)
鹿島神 百五戸 常六国神賎戸五十烟、課六百八十五人、不課二千六百七十六人、延暦五年、
(略)
鹿島神 二戸 陸奥国、延暦元年五月廿四日符、
(略)
春日神 廿戸 常陸国鹿島社奉寄、天平神護元年、
(略)

『日本後紀』弘仁3年6月辛卯(5日)条(812)

神祇官言、住吉香取鹿島神社廿箇一皆改作、積習為常、其弊不少、殿外、随之、

『類聚国史』19(神祇19禰宜・祝) 弘仁11年8月甲午(24日)条(820)

常陸国鹿島神社祝禰宜把

『続日本後紀』天長10年4月丁丑(20日)条(833)

常陸国鹿島大神祝外従八位上勲八等中臣鹿島連川上外従五位

『続日本後紀』承和2年2月戊戌(23日)条(835)

越前正三位勲一等気比大神祝禰宜、鹿島能登両大神祝禰以把

『続日本後紀』承和3年5月丁未(9日)条(836)

下総国香取郡従三位伊波比主命正二位、常陸国鹿島郡従二位勲一等建御賀豆智命正二位、河内国河内郡従三位勲三等天児屋根命正三位、従四位下比売神従四位其詔曰、皇御孫命坐、四所大神申給波久大神弥高弥広仕奉止奈毛保志食、是以件等冠上献状、中務少輔従五位下藤原朝臣豊継、内舎人正六位下藤原朝臣千葛等、奉出事申給久止申、辞別申給、神那我良皇御孫之御命、堅磐常磐護奉幸奉給、又遣唐使参議正四位下藤原朝臣常嗣、路間風波之、慈賜矜賜比天、平可太良可倍止、称辞竟奉久止申、

『続日本後紀』承和3年10月丙辰(20日)条(836)

下総国言、香取神禰宜常陸国鹿島神遷代相続同之、

『続日本後紀』承和6年10月丁丑(29日)条(839)

下総国香取正二位伊波比主命、常陸国鹿島正二位勲一等建御加都智命並従一位、河内国河内正三位勲二等天児屋根命従二位、従四位上比売神正四位

『続日本後紀』承和12年7月丁卯(22日)条(845)

常陸国言、去年二月廿七日-鹿島大神宮権宮庶務之勤、不而奉幣朝使、只正任当祭祀之場、同官異色、望請、-拠正者、聴之、

『類聚三代格』2(年分度者事) 嘉祥3年8月5日官符(850)

太政官符
-補鹿島神宮寺僧五
、太政官去承和三年六月十五日治部符偁、常陸国偁、神宮司従八位上大中臣朝臣広年解偁、去天平勝宝年中修行僧満願-来此発願始大般若経六百-画仏住持八箇年、以感応、而満願去後年代已久、無伽藍荒蕪、今部内民大部須弥麿等五人-練読良堪僧、望請、特得度者、権中納言従三位兼行左兵衛督藤原朝臣良房宣、奉 勅、者、今右大臣偁、奉 勅、件僧等若有者、国司并別当僧-定百姓之中堪度補、但度縁戒牒一国分寺
嘉祥三年八月五日

『文徳天皇実録』嘉祥3年9月己丑(15日)条(850)

参議藤原朝臣春日大神策命曰、天皇詔旨大神広前申賜倍止皇大神厚護天之、天日嗣高御座爾波、平介久即賜止奈毛、因、先先祷申賜比之御冠天奈毛建御賀豆智命、伊波比主命二柱大神乎波正一位、天児屋根命乎波従一位、比売神乎波正四位上、上奉崇奉、神財、此状聞食、益益天皇朝庭堅磐常磐奉賜、天下平安護賜助賜倍止、恐見毛申賜波久止申、

『類聚三代格』3(定額寺事) 天安3年2月16日官符(859)

太政官符
-理鹿島神宮
常陸国偁、講師伝燈大法師位安璟牒偁、去天平勝宝年中始承和四年定額国司講師相共検而今此寺雖田園并修理三綱檀越等不-造破損者、国司熟件寺元宮司従五位下中臣鹿島連大宗、大領中臣連千徳等修行僧満也、今所禰宜祝等是大宗之後也、累代所宮司亦同氏也、望請、 官裁神宮司并件氏人等永修理検 官者、右大臣宣、依請、国司且若氏人等無者、三宝布-用其物数朝集使
天安三年二月十六日

『類聚三代格』1(祭并幣事) 貞観8年正月20日官符(866)

太政官符
諸神幣帛使-入陸奥国
菊田郡一前 磐城郡十一前
標葉郡二前 行方郡一前
宇多郡七前 伊具郡一前
曰理郡二前 宮城郡三前
黒河郡一前 色麻郡三前
志太郡一前 小田郡四前
牡鹿郡一前
鹿島神宮司偁、禰宜外正六位上中臣部道継解偁、大神苗裔之神陸奥古老伝云、延暦以往大神幣帛件諸弘仁以来止而不奉、諸神成祟、物怪頻示、仍去嘉祥元年-備幣当国移於彼而称関、爰道継身社、幣物-棄河空以廻来者、頃年夏月寒風秋稼不稔、部内疫癘連年有聞、宮司卜筮、件神成祟、仍可之状、祷祈已畢、望請、-知彼件幣但其料大神宮封 官者、右大臣宣、依請、
貞観八年正月廿日

『日本三代実録』貞観8年正月20日丁酉条(866)

是、常陸国鹿島神宮司言、大神之苗裔神卅八社陸奥菊多郡一、磐城郡十一、標葉郡二、行方郡一、宇多郡七、伊具郡一、曰理郡二、宮城郡三、黒河郡一、色麻郡三、志太郡一、小田郡四、牡鹿郡一、之古云、延暦以往、大神-幣彼諸神弘仁而還、絶而不奉、是、諸神為祟、物怪寔繁、嘉祥元年、当国移彼、而陸奥国、称関、宮司等関外河-棄幣而帰、自後神祟不止、境内旱疫、望請、-知彼--幣諸其幣料大神又言、鹿島大神宮惣六箇院、廿年間一材木五万余枝、工夫十六万九千余人、料稲十八万二千余束、之山那賀二百余里、行路嶮峻、挽運多煩、伏見、造材木多此樹易栽、亦復早長、宮辺閑地、且栗樹五千七百樹、榲樹卅四望請、神宮加殖兼斎太政官処分、並依請、

『類聚三代格』1(神宮司神主禰宜事) 貞観10年6月28日官符(868)

太政官符
右撰格所起請偁、太政官去天長二年十二月廿六日符偁、承前之例、諸国小社、或置或禰宜祝並置、旧例紛謬准拠無定、加以或国独左大臣宣、自以後、禰宜祝並置社者、以但先置者、令者、諸国依遵来年久、而太政官斉衡三年四月二日符偁、神祇官偁、住吉、平岡、鹿島、香取等神主并祝禰宜皆是把笏、自余神社未祭祀之日拱事、望請、三位已上神社神主并祝禰宜等、同 官者、右大臣宣、奉 勅、入色者依請、白丁者不者、如今諸国神社其数巨多、国司偏二三年間或三位以諸国雑色人等、皆禰宜差使乏職此之由、熟諸社有于禰務、伏望、-非先置之外、新叙三位已上神社禰宜、天長二年十二月廿六日補任、然則於益、者、中納言兼左近衛大将従三位藤原朝臣基経宣、奉 勅、請、
貞観十年六月廿八日

『日本三代実録』貞観17年3月17日庚子条(875)

使者於常陸国鹿島神宮-入幡卅四国司載帳、永以相伝、使者奉之日、修善諷誦、便常陸国年進内蔵寮布百

『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)

-遣大神宝使

『常陸国風土記』・信太郡

榎浦之津、便東海大道、常陸路頭、所以伝駅使等、初将国、東面香島之大然後得也、

『常陸国風土記』・行方郡

西北、提賀里、古鹿其人追着里、其里北、香島神子之々周山野地沃、草木柴椎栗竹茅之類多生、従以北、曽尼村、古佐伯名曽禰毘村、
(略)
東北十五里、当麻之郷、古老曰、倭武天皇、巡行于此佐伯名烏日命、便略殺、即屋形野之帳車駕所之道、狭地深浅、悪路之之当俗云、多々支々斯、野之土埆、然二神子之其周山野、櫟柞栗柴、往々成林、猪猴狼多住、
(略)
其名田里、息長足日売皇后之時、古都比三度於韓其功田、因名、又波耶武之倭武天皇、-宿此-理弓因名也、野北海辺、香島神子之土塉櫟柞楡竹、一二所生、

『常陸国風土記』・香島郡

古老曰、難波長柄豊前大朝馭宇天皇之世、己酉年、大乙上中臣子、大乙下中臣部兎子等、惣領高向大下総国海上国造部内軽野以南一里、那賀国造部内寒田以北五其処所天之大神社、坂戸社、沼尾社、香島天之大因名焉、風俗説云、霰零香島之国、
清濁得糺、天地草昧已前、諸祖天神俗云、賀味留弥、賀味留岐、-集八百万神於天之時、諸祖神告云、今我御孫命、-宅豊葦原水穂之高天降来大神、名香島天之大天則日香島之地則豊香島之俗云、豊葦原水穂国、所始留爾、荒振神等、又石根木立、草乃片葉辞語弖、昼者狭蝿音声、夜者火光明国、此乎事向平定大神降供奉、
其後、初国所知美麻貴天皇之奉幣、大刀十口、鉾二枚、鉄弓二張、鉄箭二具、許呂四口、枚鉄一連、練鉄一連、馬一疋、鞍一具、八咫鏡二面、五色絁一連、俗曰、美麻貴天皇之世、大坂山乃頂爾、白細乃大御服坐而、白桙御杖取坐、識賜命者、我前乎治奉者、汝聞看食国乎、大国小国、事依給等識賜岐、于時、追-集八十之伴而訪問、於是、大中臣神聞勝命、答曰、大八島国、汝所食国止、事向賜之、香島国坐天津大御神乃挙教事者、天皇聞諸、即恐驚、奉前件幣帛於也、
神戸六十五烟、本八戸、難波天皇之世、-奉五十飛鳥浄見原大朝、-奉九合六十七戸、庚寅年、編戸六十五
淡海大津朝、初使神之已来、修理不絶、年別七月、造而奉古老曰、倭武天皇之世、天之大神中臣巨狭山者、巨狭山命答曰、謹辞、天之大神、昧爽後宣、汝舟者、於海舟主仍見、又宣、汝舟者、於岡也、舟主因求、更之事、已爰則懼惶、新令舟三各長二丈余、初献之、又年別四月十日、設酒、卜氏種属、男女集会、積夜、楽飲歌舞、其唱云、安良佐賀乃、賀味能弥佐気畢、多義止、伊比祁婆賀母輿、和我恵比爾祁牟、
神社周迊、卜氏居所、地体高敞、東西臨海、峯谷犬牙、邑里交錯、山木野草、自内庭之蕃澗流崖泉、朝夕之汲嶺頭構舎、松竹於垣谿腰堀井、薜蘿於壁者、百草□花、秋其路千樹錦葉、可神仙之幽居之境、□異化誕之佳麗之豊、不之、
南、郡家北、沼尾池、古老曰、神世、自流来水沼、所蓮根、味気太異、甘他所之病者、此沼早差験之、鮒鯉多住、前郡所置、多蒔橘、其実味之、
郡東二三里、高松浜、大海之流差砂貝、積松林自生、椎柴交雑、既東南松下出泉、八九清渟太好、慶雲元年、国司婇女朝臣、鍛佐備大麻呂若松浜之以造之、自以南、軽野里若松之間、卅余此皆松山、伏苓伏神、毎年堀之、其若松浦、即常陸下総二国之堺、安是湖之所沙鉄、造大利、然香島之神輙入伐穿也、

『万葉集』7〔1174〕

覊旅作、
(略)
霰零 鹿島之埼乎 浪高 過而夜将行 恋敷物乎

『万葉集』20〔4370〕

天平勝宝七歳乙未二月相替筑紫諸防人等歌
(略)
阿良例布理 可志麻能可美乎 伊能利都々 須米良美久佐爾 和例波伎爾之乎
右二首、那賀郡上丁大舎人部千文、
(略)
二月十四日常陸国部領防人使大目正七位上息長真人国島進数十七首、但拙劣歌者之、

『古語拾遺』

天祖吾勝尊、高皇産霊神之女、栲幡千千姫天津彦皇孫天照大神、高皇産霊神二神之孫也、故也、既而、天照大神、高皇産霊尊、-養皇-為豊葦原中国経津主神、是磐筒女神之子、今下総国香取神是也、武甕槌是甕速日神之子、今常陸国鹿島神是也、駈除平定、於是、大己貴神及其子事代主神、並皆奉避、国矛曰、吾天孫、若者、必当平安、今我矣、辞訖遂隠、於是、二神-伏諸不順鬼神果以復命、

『令集解』16(選叙令) 同司主典条(不得用三等以上親)

謂、其三等者、縦也、釈云、養老七年十一月十六日太政官処分、伊勢国渡相郡、竹郡、安房国安房郡、出雲国意宇郡、筑前国宗形郡、常陸国鹿島郡、下総国香取郡、紀伊国名草郡、合八神郡、聴-任三等以上也、跡云、四等親、-用同妨、古記云、三等以上親、儀制父子祖孫伯叔兄弟曽祖従父兄弟兄弟子曽孫以外相隠

『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕

名神祭二百八十五座、
園神社一座、韓神社二座、已上宮内
賀茂別雷神社一座、賀茂御祖神社二座、松尾神社二座、
稲荷神社三座、貴布禰神社一座、鴨川合神社一座、
御井神社一座、葛野月読神社一座、木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、梅宮神社四座、乙訓神社一座、
酒解神社一座、山崎已上山城国、
春日神社四座、大和神社三座、石上神社一座、
多坐神社二座、飛鳥神社四座、高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、大神神社一座、太玉神社四座、
穴師神社一座、高屋安倍神社三座、大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、金峯神社一座、鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、葛木一言主神社一座、高鴨神社四座、
高天彦神社一座、葛木火雷神社二座、片岡神社一座、
火幡神社一座、広瀬神社一座、龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、枚岡神社四座、杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、大依羅神社四座、難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、下照比新屋神社三座、垂水神社一座、
広田神社一座、生田神社一座、長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或太作多、真墨田神社一座、大県神社一座、
熱田神社一座、日割御子神社一座、孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、伊古奈比咩命神社一座、物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、筑波山神社一座、吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、日吉神社一座、比叡神同、佐久奈度神社一座、
建部神社一座、川田神社二座、御上神社一座、
奥津島神社一座、伊香神社一座、水尾神社二座、或水作三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、穂高神社一座、生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、伊加保神社一座、赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、苅田嶺神社一座、志波彦神社一座、
鼻節神社一座、志波姫神社一座、伊達神社一座、
東屋沼神社一座、零羊崎神社一座、拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、多珂神社一座、伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、大高山神社一座、子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、小川月神社一座、麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、籠神社一座、大虫神社一座、
小虫神社一座、大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、夜夫神社二座、伊豆志神社八座、
山神社一座、戸神社一座、雷神社一座、
欘椒神社一座、海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、宇受加命神社一座、水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、粒坐天照神社一座、中臣印達神社一座、
家島神社一座、伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、伊都伎島神社一座、多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、日前神社一座、国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、大屋都比売神社一座、都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、伊達神社一座、志磨神社一座、
静火神社一座、須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、大山積神社一座、野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、住吉神社三座、志加海神社三座、
八幡神社一座、筑紫神社一座、竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、兵主神社一座、月読神社一座、
中津神社一座、天手長男神社一座、天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、和多都美御子神社一座、高御魂神社一座、
和多都美神社一座、太祝詞神社一座、住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若者、絁五丈五布一糸一

『延喜式』3(臨時祭) 神社修理条〔59〕

凡諸国神社随修理、但摂津国住吉、下総国香取、常陸国鹿島等神社正殿、廿年一度改造、其料便

『延喜式』3(臨時祭) 神宮司季禄条〔95〕

凡諸神宮司、禰宜季禄者、伊勢大神宮禰宜従七位度会宮禰宜従八位神郡神給之、下総国香取神宮司、常陸国鹿島神宮司、越前国気比神宮司、並従八位封戸充之、能登国気多神宮司、少初位給之、

『延喜式』8(祝詞) 春日祭条〔4〕

天皇大命、恐鹿島坐健御賀豆智命、香取坐伊波比主命、枚岡坐天之子八根命、比売神、四柱皇神広前大神乞賜比能、春日三笠山下津石根宮柱広知立、高天原千木高知、天御蔭日御蔭定奉、貢神宝者、御鏡、御横刀、御弓、御桙、御馬備奉、御服明多閉、照多閉、和多閉、荒多閉仕奉、四方国礼留御調荷前取並、青海原物者、波多能広物、波多能狭物、奥藻菜、辺藻菜、山野物者甘菜辛菜麻弖、御酒者甕上高知、甕腹満並、雑物積置、神主某官位姓名、献宇豆大幣帛、安幣帛足幣帛、平聞看皇大御神称辞竟奉久登白、
仕奉、今去前、天皇朝庭、足御世茂御世斎奉、常石堅石福閉奉、預而仕奉処処家家王等卿等乎母、天皇朝庭伊加志夜久波叡仕奉、佐加叡志米賜、称辞竟奉良久登白、大原野、平岡祭祝詞准此、

『延喜式』11(太政官) 神宮司条〔18〕

凡香取神宮司任符、-載可自余神宮司者准此、

『延喜式』15(内蔵) 鹿島香取条〔4〕

鹿島香取祭、
鹿島社宮司、禰宜、祝各一人、物忌一人、
香取社、宮司、禰宜、各一人、物忌二人、
社別五色薄絁各一丈、安芸木綿廿枚、盛裹料商布一段、布綱三条、一条長一丈二尺、二条各長五尺、広六寸、已上官物、明櫃二合、調布二丈、料、荷覆二条、禰宜人別絹一疋、物忌人別夾纈帛、浅緑帛各三丈、已上寮物、紫纐帛三丈、縹帛六尺、絹一疋、綿二屯、宮司当色一領、禰宜、祝人別当色一領、社別雑給料糸廿絇、已上官物、
使等装束、
藤原氏六位已下一人、
寮史生一人、齎夫二人、
使料当色一領、夾纈、紅﨟纈、支子帛各一疋、中緑帛二疋、絹二疋、調綿廿屯、細布三端、已上官物、浅緑綾、浅緑帛各一疋、已上寮物、史生当色一領、絹二疋、調綿六屯、曝布二端、齎夫別衫一領料、紺調布二丈、布帯一条、長八尺、已上官物、使等上道日餞料銭一貫文、
右其使名簿、二月春日廿日、大臣-点史-備幣其使等、当日齎幣、国、

『延喜式』18(式部上) 郡司条〔112〕

凡郡司者、一郡不-用同若他姓中無者、外聴任、神郡、陸奥縁辺郡、大隅馭謨、熊毛等郡者、不謂伊勢国飯野、度会、多気、安房国安房、下総国香取、常陸国鹿島、出雲国意宇、紀伊国名草、筑前国宗形等郡

『延喜式』18(式部上) 神宮司条〔143〕

凡諸神宮司、并橿日廟司、

『延喜式』30(大蔵) 鹿島香取奉幣条〔32〕

鹿島香取社幣之日、物忌三鹿島一人、香取二人、別紫纈帛三丈、縹帛六尺、絹二疋、綿二屯、毎宮司、禰宜、祝各一人、別当色一具、社別雑給料緋糸廿絇、使藤原氏六位已下一人、当色一具、夾纈、紅臈纈、紅支子帛各一疋、中緑帛二疋、絹二疋、調綿廿屯、細布三端、内蔵寮史生一人、当色一具、絹二疋、調綿六屯、曝布二端、齎夫二人、別衫一領料紺布二丈、帯料布八尺、
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