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神道・神社史料集成(古代) 山津照神社
山津照神社(近江国坂田郡)『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)神封部 合四千八百七十六戸 (略) 山津照神 六戸 (略)
『日本三代実録』貞観8年閏3月7日壬子条(866)進二伊予国従三位大山積神階一加二正三位一、近江国従四位上山津照神、伊予国従四位上礒野神、野間天皇神、伊予村神並授二正四位下、近江国従四位下勲八等伊香神、伊予国従四位下瀧神並従四位上、山城国正六位上降居神従五位下一、
『類聚三代格』2(年分度者事) 寛平9年6月23日官符(897)太政官符 応レ試二-度金勝寺年分者二人一事 一人奉二-為甲賀郡飯道名神、坂田郡山津照名神一 一人奉二-為野洲郡三上、兵主両名神一 可レ試二法花経一部八巻、最勝王経一部十巻一、並法相宗 右得二近江国解一偁、甲賀野洲両郡解偁、謹尋二金勝寺之古跡一、昔有二応化聖人一、号二金粛菩薩一、 朝庭尊崇、黎民帰依、金粛尸解之後、興福寺故伝灯大法師位願安、禅二-居此山一、修練無レ比、至二弘仁年中一、奉二-為国家一建二-立伽藍一、於レ是唱導声価都鄙騰躍、厚沐二朝恩一開二此勝地一、構二-造精舎一安二-置仏像一、別建二八宗院一、書二-写一切経論并一千一百部法花経一、朝講二法花一、夕演二最勝一、号二之長講一、更占二一堂一、殊定二七僧一、始レ従二明旦一至二于晩際一転二-読法花一、称二之三昧一、於レ是 承和聖帝殊降二綸旨一、施二-入灯分一、即改二金粛一賜二額金勝一、智行者継レ踵、研学者並レ肩、是以二時長講逐レ日無レ欠、終日三昧守レ時匪レ休、今件甲賀郡飯道名神、坂田郡山津照名神、野洲郡三上兵主両名神等、国家所二尊崇一、人民所二帰仰一、感二山門之精勤一、為二護法之鎮主一、吏民之祝必有二感験一、因レ茲彼寺既作二国中部内攘レ禍招レ福之境一亦已久矣、就レ中二箇郡尤是為二近隣一、常蒙二擁護一、故毎レ有二災変一共仰二斯寺一、欲レ使下弥増二威光一以加二冥助一、殊振二神力一而添中鎮護上、望請、速経二言上一奉二-為四所名神一、被レ賜二件二人度者一、唯両郡例輸之外、毎レ年各加二課丁一人一、令レ有二調庸之益一、所レ試之年分者、専請二京戸之人一不レ度二外土之民一、其年分試業准二諸寺例一於二彼寺一課試、得度之後六箇年間不レ出二山門一、便各転二-読本業経一、専誓二-願彼名神一、鎮二-衛国家一、覆二-護村邑一者、国加二覆審一事非二虚妄一、仍録二事状一謹請二 官裁一者、従三位守権大納言兼右近衛大将行民部卿菅原朝臣道真宣、奉 レ勅、依レ請、 寛平九年六月廿三日
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