神道・神社史料集成(古代) 伊豆志坐神社

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伊豆志坐神社八座(但馬国出石郡)


『日本書紀』垂仁天皇3年3月条

新羅王子天日槍来帰焉、将来物、羽太玉一箇、足高玉一箇、鵜鹿鹿赤石玉一箇、出石小刀一口、出石桙一枝、日鏡一面、熊神籬一具、并七物、則于但馬也、一云、初天日槍、乗于播磨於宍粟時天皇三輪君祖大友主倭直祖長尾於播天日曰、汝也誰人、且何国人也、天日槍対曰、僕新羅国主之子也、然日本国弟知而化帰之、仍貢献物葉細珠、足高珠、鵜鹿鹿赤石珠、出石刀子、出石槍、日鏡、熊神籬、胆狭浅大刀、并八物、仍天日曰、播磨国宍粟邑、淡路島出浅邑、是二邑、汝任居之、時天日槍啓之曰、臣将処、若臣情願者、臣親-視諸于臣給、乃聴之、於是、天日槍菟道泝之、北近江国吾名而暫住、復更若狭西但馬也、是以近江国鏡谷陶人、則天日槍之従人也、故天日槍但馬出島人、太耳女、麻多但馬諸也、諸助但馬日楢日楢杵清彦田道間也、

『日本書紀』垂仁天皇88年7月戊午(10日)条

群卿朕聞、新羅王子天日槍初来之時、将来宝物今貴、也、朕欲其宝即日使天日槍之曽孫清而令献、清彦被勅、乃自而献之、羽太玉一箇、足高玉一箇、鵜鹿鹿赤石玉一箇、日鏡一面、熊神籬一具、唯小刀一則清彦忽以為、非而自佩之、天皇未而召之酒於御時刀子出而顕之、天皇見之、親曰、爾袍中刀子者何刀子也、爰清彦知-匿刀而呈言、所神宝之類也、則天皇曰、其神宝之豈得乎、乃出而献焉、皆於神然後而視之、小刀自失、則使曰、爾所刀子忽失矣、若乎、清彦答曰、昨夕刀子自然於臣乃明旦失焉、天皇則惶之、且更勿覓、是後出石刀子自然于淡路其島人謂神、祠、是於也、昔于但馬因問曰、汝何国人也、対曰、新羅王子、名天日于但其国前津耳一云、前津見、一云、太耳女、麻拖能但馬諸是清彦之祖父也、

『正倉院文書』正集36・天平9年但馬国正税帳(737)

(略)
朝来郡押坂神戸租代卌九束九把 同郡粟鹿神戸租代六十六束二把 養父郡養父神戸租代百卌五束五把 出石郡出石神戸租代四百卅五束六把
(略)
依民部省天平九年十月五日逓送符買充神戸調絁参拾参匹参丈直稲弐仟壱拾束 疋別六十束
朝来郡粟鹿神戸調絁二匹疋丈五尺 直稲百六十五束 同郡押坂神戸調絁三疋一丈五尺 直稲百九十五束 養父郡養父神戸調絁六疋四丈五尺 直稲四百五束 出石郡出石神戸調絁廿疋四丈五尺 直稲一千二百卌五束
(略)

『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)

神封部
合四千八百七十六戸
(略)
出石神 十三戸 但馬
(略)

『続日本後紀』承和12年7月辛酉(16日)条(845)

丹波国桑田郡無位出雲神、但馬国出石郡無位出石神、養父郡無位養父神、朝来郡無位粟鹿神、美濃国厚見郡無位伊奈波神等並奉従五位国司等解也、

『日本三代実録』貞観10年12月27日丙戌条(868)

但馬国従五位上出石神、粟鹿神並正五位下、従五位下山神、戸神、雷神、欘椒神、海神並従五位

『日本三代実録』貞観16年3月14日癸酉条(874)

因幡国正四位上宇倍神従三位、阿波国従四位上天石門和気八倉比咩神正四位下、河内国正五位上建水分神、下総国意富比神、上野国赤城神、阿波国葦稲葉神並従四位下、但馬国正五位下出石神、養父神、禾鹿神並正五位

『播磨国風土記』・揖保郡

(略)
揖保里、土中中、-者、此里、於粒故因名、
粒丘、-者、天日槍命度来、於宇頭川宿処於葦原志挙乎曰、汝吾所宿志挙、即爾時、客神、以而宿之、主神即客神之盛而先欲国、巡上於粒而飡之、於粒、其丘小石皆能似粒、又以地、寒泉涌出遂々寒南温、
(略)

『播磨国風土記』・宍禾郡

(略)
川音村、天日槍命宿於此勅云、川音甚高、故川音
(略)
奪谷、葦原志許乎命天日槍-奪此其相奪之
(略)
高家里、土下中、-以名者、天日槍命告云、此村高、於他
(略)
伊奈加川、葦原志許乎命天日槍之時、於此伊奈加
(略)
飯戸阜、占之神、於此飯戸々形橧箕竈
(略)
波加村、占之時、天日槍命伊和大神後到、於大神大怪之云、非先到之乎、故波加者、不必雨、其山桧、杉、檀、黒葛、山薑
御方里、土下上、-者、葦原志許乎命天日槍於黒土志爾黒葛三投之、爾時葦原志許乎命之黒葛、一条但馬気多一条夜夫一条天日槍命之黒葛、皆於但馬但馬伊都志而在之、一云、大神御杖於此
(略)

『古語拾遺』

乎巻向玉城皇女倭姫天照大天皇第二皇女、母皇后狭穂姫、其祠於伊勢国五千鈴川倭姫居焉、如幽契、衢先降、深有矣、
此御世、始弓矢神地神又新羅皇子、海桧槍来帰、今但馬国出石也、

『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕

名神祭二百八十五座、
園神社一座、韓神社二座、已上宮内
賀茂別雷神社一座、賀茂御祖神社二座、松尾神社二座、
稲荷神社三座、貴布禰神社一座、鴨川合神社一座、
御井神社一座、葛野月読神社一座、木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、梅宮神社四座、乙訓神社一座、
酒解神社一座、山崎已上山城国、
春日神社四座、大和神社三座、石上神社一座、
多坐神社二座、飛鳥神社四座、高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、大神神社一座、太玉神社四座、
穴師神社一座、高屋安倍神社三座、大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、金峯神社一座、鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、葛木一言主神社一座、高鴨神社四座、
高天彦神社一座、葛木火雷神社二座、片岡神社一座、
火幡神社一座、広瀬神社一座、龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、枚岡神社四座、杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、大依羅神社四座、難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、下照比新屋神社三座、垂水神社一座、
広田神社一座、生田神社一座、長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或太作多、真墨田神社一座、大県神社一座、
熱田神社一座、日割御子神社一座、孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、伊古奈比咩命神社一座、物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、筑波山神社一座、吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、日吉神社一座、比叡神同、佐久奈度神社一座、
建部神社一座、川田神社二座、御上神社一座、
奥津島神社一座、伊香神社一座、水尾神社二座、或水作三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、穂高神社一座、生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、伊加保神社一座、赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、苅田嶺神社一座、志波彦神社一座、
鼻節神社一座、志波姫神社一座、伊達神社一座、
東屋沼神社一座、零羊崎神社一座、拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、多珂神社一座、伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、大高山神社一座、子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、小川月神社一座、麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、籠神社一座、大虫神社一座、
小虫神社一座、大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、夜夫神社二座、伊豆志神社八座
山神社一座、戸神社一座、雷神社一座、
欘椒神社一座、海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、宇受加命神社一座、水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、粒坐天照神社一座、中臣印達神社一座、
家島神社一座、伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、伊都伎島神社一座、多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、日前神社一座、国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、大屋都比売神社一座、都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、伊達神社一座、志磨神社一座、
静火神社一座、須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、大山積神社一座、野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、住吉神社三座、志加海神社三座、
八幡神社一座、筑紫神社一座、竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、兵主神社一座、月読神社一座、
中津神社一座、天手長男神社一座、天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、和多都美御子神社一座、高御魂神社一座、
和多都美神社一座、太祝詞神社一座、住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若者、絁五丈五布一糸一
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