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神道・神社史料集成(古代) 熊野坐神社
熊野坐神社(出雲国意宇郡)
『日本書紀』崇神天皇60年7月己酉(14日)条詔二群臣一曰、武日照命、一云、武夷鳥、又云、天夷鳥、従レ天将来神宝、蔵二于出雲大神宮一、是欲レ見焉、則遣二矢田部造遠祖武諸隅一一書云、一名大母隅也、而使レ献、当二是時一、出雲臣之遠祖出雲振根主二于神宝一、是往二筑紫国一而不レ遇矣、其弟飯入根則被二皇命一、以二神宝一付三弟甘美韓日狭与二子鸕濡渟一而貢上、既而出雲振根従二筑紫一還来之、聞三神宝献二于朝廷一、責二其弟飯入根一曰、数日当レ待、何恐之乎、輒許二神宝一、是以既二-経年月一、猶懐二恨忿一有二殺レ弟之志一、仍欺レ弟曰、頃者於二止屋淵一多生レ菨、願共行欲レ見、則随レ兄而往之、先レ是、兄窃作二木刀一、形似二真刀一、当時自佩之、弟佩二真刀一、共到二淵頭一、兄謂レ弟曰、淵水清冷、願欲二共游沐一、弟従二兄言一、各解二佩刀一置二淵辺一、沐二於水中一、乃兄先上レ陸、取二弟真刀二自佩、後弟驚而取二兄木刀一、共相撃矣、弟不レ得レ抜二木刀一、兄撃二弟飯入根一而殺之、故時人歌之曰、椰句毛多菟、伊頭毛多鶏流餓、波鶏流多知、菟頭邏佐波磨枳、佐微那辞珥、阿波礼、於レ是甘美韓日狭、鸕濡渟、参二-向朝廷一曲奏二其状一、則遣三吉備津彦与二武渟河別一、以誅二出雲振根、故出雲臣等畏二是事、不祭二大神一而有レ間、時丹波氷上人、名氷香戸辺、啓二于皇太子活目尊曰一、己子有二小児一、而自然言之、玉菨鎮石、出雲人祭、真種之甘美鏡、押羽振、甘美御神底宝御宝主、山河之水泳御魂、静挂甘美御神底宝御宝主也、菨、此云レ毛、是非レ似二小児之言一、若有二託言乎一、於レ是、皇太子奏二于天皇一、則勅之使レ祭、
『日本書紀』垂仁天皇26年8月庚辰(3日)条天皇勅二物部十千根大連一曰、屡遣二使者於出雲国一、雖レ検二-校其国之神宝一、無分明申言者、汝親行二于出雲一、宜二検校定一、則十千根大連校二-定神宝一、而分明奏言之、仍令レ掌二神宝一也、
『日本書紀』推古天皇25年6月条(617)出雲国言、於二神戸郡一有レ瓜、大如レ缶、
『日本書紀』斉明天皇5年条(659)命二出雲国造一、闕レ名、修二厳神之宮一、狐噛二-断於宇郡役丁所レ執葛末一而去、又狗噛二-置死人手臂於言屋社一、言屋、此云二伊浮瑘一、天子崩兆、又高麗使人持二羆皮一枚一禰二其価一曰、綿六十斤、市司咲而避去、高麗画師子麻呂設三同姓賓二於私家一日、借二官羆皮七十枚一而為二賓席一、客等羞怪而退、
『続日本紀』文武天皇2年3月己巳(9日)条(697)詔、筑前国宗形、出雲国意宇二郡司、並聴レ連二-任三等已上親一、
『続日本紀』霊亀2年2月丁巳(10日)条(716)出雲国々造外正七位上出雲臣果安、斎竟奏二神賀事一、神祇大副中臣朝臣人足、以二其詞一奏聞、是日、百官斎焉、自二果安一至二祝部一百一十余人一、進レ位賜レ禄各有レ差、
『続日本紀』神亀元年正月戊子(27日)条(724)出雲国造外従七位下出雲臣広島奏二神賀辞一、
『続日本紀』神亀元年正月己丑(28日)条(724)広島及祝神部等、授レ位賜レ禄各有レ差、
『続日本紀』神亀3年2月辛亥(2日)条(726)出雲国造従六位上出雲臣広島、斎事畢、献二神社剣鏡并白馬鵠等一、広島并祝二人並進二位二階一、賜二広島絁廿疋、綿五十屯、布六十端一、自余祝部一百九十四人禄各有レ差、
『続日本紀』神亀3年9月己卯(4日)条(726)停二安房国安房郡、出雲国意宇郡采女一、令レ貢二兵衛一、
『出雲国風土記』・意宇郡(733)(略)
安来郷、郡家東北廿七里一百八十歩、神須佐乃烏命、天壁立廻坐之、爾時、来二-坐此処一而詔、吾御心者安平成詔、故云二安来也一、即北海有二毘売埼一、飛鳥浄御原宮御宇天皇御世甲戌年七月十三日、語臣猪麻呂之女子、逍二-遥件埼一、邂逅遇二和爾一、所レ賊不レ帰、爾時、父猪麻呂、所レ賊女子斂二-置浜上一、大発声憤、号レ天踊レ地、行吟居嘆、昼夜辛苦、無レ避二斂所一、作レ是之間、経二-歴数日一、然後、興二慷慨志一、磨レ箭鋭レ鋒、撰二便処一居、即撎訴云、天神千五百万、地祇千五百万、并当国静坐三百九十九社、及海若等、大神之和魂者静而、荒魂者皆悉依二-給猪麻呂之所一レ乞、良有二神霊一坐者、吾所レ傷給、以レ此知二神霊之所一レ神者、爾時、有二須臾一而、和爾百余、静囲二-繞一和爾一、徐率依来、従二於居下一、不レ進不レ退、猶囲繞耳、爾時、挙レ鋒而刀二中央一和爾一殺捕、已訖然後、百余和爾解散、殺割者、女子之一脛屠出、仍和爾者、殺割而掛レ串、立二路之垂一也、安来郷人、語臣興之父也、自二爾時一以来至二于今日一、経二六十歳一、
(略)
大草郷、郡家南西二里一百廿歩、須佐乎命御子、青幡佐久佐日古命坐、故云二大草一、
(略)
出雲神戸、郡家南西二里廿歩、伊佐奈枳乃麻奈子坐、熊野加武呂乃命、与二五百津鉏々猶所レ取々而、所造天下大穴持命一、二所大神等依奉、故云二神戸一、他郡等之神戸、且如レ之、
(略)
忌部神戸、郡家正西二十一里二百六十歩、国造神吉詞望、参向朝廷時、御沐之忌里、故云忌部、即川辺出湯、出湯所在、兼海陸、仍男女老少、或道路駱駅、或海中沿洲、日集成市、繽紛燕楽、一濯則形容端正、再沐則万病悉除、自古至今、無不得験、故俗人曰神湯也、
(略)
新造院一所、在二山代郷中一、郡家西北四里二百歩、建二-立厳堂一也、無レ僧、日置君目烈之所レ造也、出雲神戸日置君猪麻呂之祖也、
(略)
熊野大社
(略)
以上四十八所並在二神祇官一、
(略)
熊野山、郡家正南一十八里、有二桧、檀一也、所謂熊野大神之社坐、
(略)
『出雲国風土記』・島根郡(733)(略)
朝酌郷、郡家正南一十里六十四歩、熊野大神命詔、朝御餼勘養、夕御餼勘養、五贄緒之処定給、故云二朝酌一、
山口郷、郡家正南四里二百九十八歩、須佐能烏命御子、都留支日子命詔、吾敷坐山口処在詔而、故山口負給、
(略)
方結郷、郡家正東廿里八十歩、須佐能烏命御子、国忍別命詔、吾敷坐地者国形宜者、故云二方結一、
(略)
『出雲国風土記』・秋鹿郡(733)(略)
恵曇郷、郡家東北九里卌歩、須作能乎命御子、磐坂日子命、国巡行坐時、至二-坐此処一而詔、此処者、国稚美好有、国形如二画鞆一哉、吾之宮者、是処造者、故云二恵伴一、神亀三年改二字恵曇一、
多太郷、郡家西北五里一百廿歩、須作能乎命御子、衝作等乎而留比古命、国巡行坐時、至二-坐此処一詔、吾御心、照明正真成、吾者此処静将レ坐、詔而静坐、故云二多太一、
(略)
神戸里、出雲之、説レ名如二意宇郡一、
(略)
『出雲国風土記』・楯縫郡(733)(略)
神戸里、出雲也、説レ名如二意宇郡一、
(略)
『出雲国風土記』・出雲郡(733)(略)
神戸郷、郡家西北二里一百廿歩、出雲也、説レ名如二意宇郡一、
(略)
『出雲国風土記』・神門郡(733)(略)
八野郷、郡家正北三里二百一十歩、須佐能袁命御子、八野若日女命坐之、爾時、所造天下大神大穴持命、将二娶給一為而令レ造レ屋給、故云二八野一、
(略)
滑狭郷、郡家南西八里、須佐能袁命御子、和加須世理比売命坐之、爾時、所造天下大神命、娶而通坐時、彼社之前有二磐石一、其上甚滑之、即詔、滑磐石哉、詔、故云二南佐一、神亀三年改二字滑狭一、
(略)
神戸里、郡家東南一十里、
(略)
『出雲国風土記』・飯石郡(733)(略)
須佐郷、郡家正西一十九里、神須佐能袁命詔、此国者雖二小国一々処在、故我御名者、非レ著二木石一、詔而即己命之御魂鎮置給之、然即大須佐田小須佐田定給、故云二須佐一、即有二正倉一、
(略)
『出雲国風土記』・仁多郡(733)(略)
三沢郷、郡家西南廿五里、大神大穴持命御子、阿遅須伎高日子命、御須髪八握于生、昼夜哭坐之、辞不レ通、爾時、御祖命、御子乗レ船而、率二-巡八十島一宇良加志給鞆、猶不レ止レ哭之、大神夢願給、告二御子之哭由一、夢爾願坐、則夜夢見坐之、御子辞通、則寤問給、爾時御津申、爾時何処然云問給、即御祖御前立去出坐而、石川度、坂上至留申二是処一也、爾時其津水汲出而、御身沐浴坐、故国造神吉事奏参向朝廷時、其水汲出而用初也、依レ此今産婦彼村稲不レ食、若有レ食者、所レ生子已不レ云也、故云二三津一、神亀三年改二字三沢一、即有二正倉一、
(略)
『出雲国風土記』・大原郡(733)(略)
佐世郷、郡家正東九里二百歩、古老伝云、須佐能袁命、佐世乃木葉頭刺而踊躍為時、所レ刺佐世木葉墮レ地、故云二佐世一、
(略)
高麻山、郡家正北一十里二百歩、高一百丈、周五里、北方有二樫、椿等類一、東南西三方並野也、古老伝云、神須佐能袁命御子、青幡佐草日子命、是山上麻蒔祗、故云二高麻山一、即此山峯坐、其御魂也、
(略)
御室山、郡家東北一十九里一百八十歩、神須佐乃乎命、御室令レ造給、所レ宿、故云二御室一、
(略)
『出雲国風土記』・末文(733)(略)
天平五年二月卅日勘造、秋鹿郡人神宅臣金太理
国造帯意宇郡大領外正六位上勲十二等出雲臣広島
『続日本紀』天平10年2月丁巳(19日)条(738)筑紫宗形神主外従五位下宗形朝臣鳥麻呂授二外従五位上、出雲国造外正六位上出雲臣広島外従五位下一、
『続日本紀』天平18年3月己未(7日)条(746)外従七位下出雲臣弟山授二外従六位下一、為二出雲国造一、
『続日本紀』天平勝宝2年2月癸亥(4日)条(750)天皇御二大安殿一、出雲国造外正六位上出雲臣弟山奏二神斎賀事一、授二弟山外従五位下一、自余祝部叙位有レ差、並賜二絁綿一、亦各有レ差、
『続日本紀』天平勝宝3年2月乙亥(22日)条(751)出雲国造出雲臣弟山奏二神賀事一、進レ位賜レ物、
『続日本紀』天平宝字8年正月戊午(20日)条(764)以二外従七位下出雲臣益方一為二国造一、
『続日本紀』神護景雲元年2月甲午(14日)条(767)幸二東院一、出雲国造外従六位下出雲臣益方奏二神賀事一、仍授二益方外従五位下一、自余祝部等、叙レ位賜レ物有レ差、
『続日本紀』神護景雲2年2月庚辰(5日)条(768)出雲国々造外従五位下出雲臣益方奏二神賀事一、授二外従五位上一、賜二祝部男女百五十九人爵各一級一、禄亦有レ差、
『続日本紀』宝亀4年9月庚辰(8日)条(773)以二外従五位下出雲臣国上一為二国造一、進レ階各有レ差、
『続日本紀』延暦4年2月癸未(18日)条(785)出雲国々造外正八位上出雲臣国成等奏二神吉事一、其儀如レ常、授二国成外従五位下一、自外祝等、進レ階各有レ差、
『続日本紀』延暦5年2月己巳(9日)条(786)出雲国々造出雲臣国成奏二神吉事一、其儀如レ常、賜二国成及祝部物一各有レ差、
『続日本紀』延暦9年4月癸丑(17日)条(790)以二従六位下出雲臣人長一為二出雲国造一、
『類聚国史』19(神祇19国造) 延暦14年2月甲子(26日)条(795)出雲国々造外正六位上出雲臣人長特授二外従五位下一、以下縁二遷都一奏中神賀事上也、
『類聚三代格』7(郡司事) 延暦17年3月29日官符(798)太政官符
応レ任二出雲国意宇郡大領一事
右被二大納言従三位神王宣一偁、奉 レ勅、昔者国造郡領職員有レ別、各守二其任一不二敢違越一、慶雲三年以来令三国造帯二郡領一、寄レ言二神事一動廃二公務一、雖三則有二闕怠一、而不レ加二刑罰一、乃有二私門日益一不レ利二公家一、民之父母還為二巨蠹一、自今以後、宜下改二旧例一国造郡領分レ職任上之、
延暦十七年三月廿九日
『類聚三代格』1(神宮司神主禰宜事) 延暦17年10月11日官符(798)太政官符
禁下出雲国造託二神事一多娶二百姓女子一為上レ妾事
右被二右大臣宣一偁、奉 レ勅、今聞、承前国造兼二-帯神主一、新任之日即棄二嫡妻一、仍多娶二百姓女子一号為二神宮采女一、便娶為レ妾、莫レ知二限極一、此レ是妄託二神事一、遂扇二淫風一、神道益レ世豈其然乎、自レ今以後不レ得二更然一、若娶レ妾供二神事一不レ得巳レ者、宜レ令三国司注レ名密封卜二-定一女一、不レ得二多点一、如違二此制一、随レ事科処、筑前国宗像神主准レ此、
延暦十七年十月十一日
『類聚国史』19(神祇19国造) 延暦17年10月丁亥(12日)条(798)勅、国造郡領、其職各殊、今出雲筑前両国、慶雲三年以来、令三国造帯二郡領一、託二-言神事一、動廃二公務一、雖レ有二其怠一、無レ由二勘決一、自今以後、不レ得レ令三国造帯二郡領一、又国造兼二-帯神主一、新任之日、例皆棄レ妻、取二百姓女子一、号為二神宮采女一、便娶為レ妻、妄托二神事一、遂扇二淫風一、稽二之国典一、理合二懲粛一、宜下国司卜二-定一女一供上レ之、
『類聚国史』19(神祇19国造) 延暦20年閏正月戊寅(15日)条(801)出雲国々造奏二神賀事一、
『類聚国史』19(神祇19神宮司) 延暦20年閏正月庚辰(17日)条(801)廃二出雲国神宮司一、
『日本後紀』延暦24年9月壬辰(27日)条(805)出雲国造外正六位上出雲臣門起授二外従五位下一、
『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)神封部
合四千八百七十六戸
(略)
熊野神 廿五戸 出雲国 加二十戸一
(略)
『日本後紀』弘仁2年3月辛酉(27日)条(811)出雲国造外従七位下出雲臣旅人授二外従五位下一、縁二神賀事一也、
『日本後紀』弘仁3年3月癸酉(15日)条(812)御二大極殿一、出雲国造外従五位下出雲臣旅人奏二神賀辞一、并有二献物一、賜レ禄如レ常、
『類聚国史』19(神祇19国造) 天長3年3月甲申(29日)条(826)詔曰、天皇我詔旨良万止宣布詔旨乎聞食倍止宣、従八位下出雲臣豊持乎、国造爾任賜天、冠位上賜比、大御手物賜久止宣布詔乎聞食閉止宣、
『類聚国史』19(神祇19国造) 天長7年4月乙巳(2日)条(830)皇帝御二大極殿一、覧二出雲国々造出雲臣豊持所レ献五種神宝、兼所レ出雑物一、還レ宮授二豊持従六位下一、
『令義解』2(神祇令) 天神地祇条(凡天神地祇者神祇官皆依常典祭之)(833)謂、天神者、伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神等類是也、地祇者、大神、大倭、葛木鴨、出雲大汝神等類是也、常典者、此令所載祭祀事条是也、
『続日本後紀』天長10年4月壬午(25日)条(833)出雲国司率二国造出雲豊持等一奏二神寿一、并献二白馬一疋、生雉一翼、高机四前、倉代物五十荷一、天皇御二大極殿一、受二其神寿一、授二国造豊持外従五位下一、
『文徳天皇実録』仁寿元年9月乙酉(16日)条(851)特二-擢出雲国熊野、杵築両大神一、並加二従三位一、青幡佐草壮丁命、御訳命、阿遅須伎高彦根命、与都彦命、速飄別命、天穂日命神等並授二従五位下一、
『日本三代実録』貞観元年正月27日甲申条(859)京畿七道諸神進レ階及新叙、惣二百六十七社、奉レ授二淡路国無品勲八等伊佐奈岐命一品、備中国三品吉備都彦命二品、神祇官無位神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神並従一位、無位生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神、櫛石窓神、豊石窓神、生島神、足島神並従四位上、宮内省従三位園神、韓神並正三位、大膳職正四位下御食津神従三位、左京職従五位上太祝詞神、久慈真智神並正五位下、大膳職従五位下火雷神、大炊寮従五位下大八島竈神八前、斎火武主比命神、内膳司従五位下庭火皇神、造酒司従五位下大戸自神等並従五位上、無位酒殿神従五位下、山城国正二位勲二等松尾神従一位、葛野月読神、平野今木神並正二位、正四位下稲荷神三前並正四位上、正四位下大若子神、小若子神、酒解神、酒解子神並正四位上、平野従四位下久度古開神従四位上、正五位上貴布禰神、正五位下乙訓火雷神、従五位上水主神等並従四位下、正五位下合殿比咩神正五位上、従五位下樺井月読神、木島天照御魂神、和支神並正五位下、従五位下祝園神、天野夫支売神、岡田鴨神、岡田園神、樺井月神、棚倉孫神、許波多神、出雲井於神、片山神、鴨川合神等並従五位上、正六位上与度神、石作神、向神、簀原神、鴨山口神、小野神、久我神、高橋神、双栗神、水度神、伊勢田神、無位小社神並従五位下、大和国従一位大己貴神正一位、正二位葛木御歳神、従二位勲八等高鴨阿治須岐宅比古尼神、従二位高市御県鴨八重事代主神、従二位勲二等大神大物主神、従二位勲三等大和大国魂神、正三位勲六等石上神、正三位高鴨神並従一位、正三位勲二等葛木一言主神、高天彦神、葛木火雷神並従二位、従三位広瀬神、龍田神、従三位勲八等多坐弥志理都比古神、金峰神並正三位、正四位下丹生川上雨師神従三位、従五位下賀夜奈流美神正四位下、従五位下勲八等穴師兵主神、片岡神、夜岐布山口神並正五位上、従五位下都祁水分神、都祁山口神、石寸山口神、耳成山口神、飛鳥山口神、畝火山口神、長谷山口神、忍坂山口神、宇陀水分神、吉野水分神、吉野山口神、巨勢山口神、葛木水分神、鴨山口神、当麻山口神、大坂山口神、伊古麻山口神並正五位下、従五位下和爾赤坂彦神、山辺御県神、村屋禰富都比売神、池坐朝霧黄幡比売神、鏡作天照御魂神、十市御県神、目原高御魂神、畝尾建土安神、子部神、天香山大麻等野知神、宗我都比古神、甘樫神、稔代神、牟佐坐神、高市御県神、軽樹村神、天高市神、太玉命神、櫛玉命神、川俣神、波多甕井神、坐日向神、巻向若御魂神、他田天照御魂神、志貴御県神、忍坂生根神、葛木倭文天羽雷命神、長尾神、石園多久豆玉神、調田一事尼古神、金村神、葛木御県神、火幡神、往馬伊古麻都比古神、平群石床神、矢田久志玉比古神、添御県神、伊射奈岐神、葛木二上神並従五位上、無位水越神従五位下、河内国従一位勲三等枚岡天児屋根命正一位、正三位勲六等恩智大御食津比古命神、恩智大御食津比咩命神並従二位、正四位上勲六等枚岡比咩神従三位、従五位下杜本神正四位下、従五位上丹比神正五位下、従五位下春日戸神、高宮神、弓削神、志紀長吉神、狭山堤神、狭山神、菅生神並従五位上、和泉国正五位下勲八等大鳥神従四位下、摂津国従三位勲八等広田神正三位、正五位上勲八等生田神、従五位上勲八等長田神、従五位上垂水神、従五位下勲八等大依羅神、難波生国魂神、下照比女神、坐摩神、従五位下勲八等新屋天照御魂神並従四位下、従五位下名次神正五位下、従五位下中臣須牟地神、伊射奈岐神、伊和志豆神並従五位上、伊賀国無位穴石神従五位下、伊勢国従三位多度神正三位、従四位下阿射加神従四位上、尾張国正三位熱田神従二位、駿河国従三位浅間神正三位、伊豆国従四位下三島神従四位上、従五位下楊原神従五位上、武蔵国従五位下氷川神従五位上、安房国従三位勲八等安房神、天比々理刀咩命神並正三位、近江国従二位勲一等比叡神正二位、従五位上勲八等伊香神従四位下、従五位下伊富岐神、佐久奈度神、水口神、川田神、三上神、奥津島神、小比叡神並従五位上、美濃国従三位中山金山彦神正三位、信濃国正三位勲八等建御名方富命神従二位、従三位建御名方富命前八坂刀売命神正三位、上野国正五位下勲八等貫前神従四位下、下野国従三位勲四等二荒神正三位、陸奥国正五位上勲四等計仙麻神、正五位下勲四等志波彦神、勲五等拝幣志神、勲六等零羊埼神、従五位上勲四等志波姫神並従四位下、従五位下計仙麻大島神従五位上、若狭国従二位勲八等若狭比古神正二位、正三位若狭比咩神従二位、越前国正二位勲一等気比神従一位、従四位上勲六等推前神、勲六等剣神並正四位下、加賀国白山比女神正三位、能登国正二位勲一等気多神従一位、越中国従三位高瀬神、二上神並正三位、丹波国従五位下小川月神、麻気神並従五位上、丹後国従五位下大川神、大宮売神並従五位上、出雲国従三位熊野神、勲八等杵築神並正三位、播磨国従五位下勲八等粒坐天照神、伊和坐大名持御魂神並従四位下、従五位下海神従五位上、安芸国正五位下伊都岐島神、従五位上速谷神並従四位下、従五位下多家神従五位上、長門国従五位下住吉荒魂神従五位上、紀伊国従四位下伊達神、志摩神、静火神並正四位下、従五位下勲八等丹生都比売神、伊太祁曽神、大屋都比売神、神都摩都比売神、鳴神並従四位下、従五位下須佐神、熊野早玉神、熊野坐神並従五位上、阿波国従五位下大麻比古神、忌部天日鷲神並従五位上、土佐国従五位下都佐坐神従五位上、筑前国正三位勲八等田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神並従二位、正五位下竈門神、従五位下筑紫神並従四位下、従五位下織幡神、志賀海神、美奈宜神並従五位上、無位住吉神従五位下、筑後国正三位高良玉垂命神従二位、従四位下豊比咩神従四位上、肥前国従五位下田島神従四位下、肥後国従二位勲五等健磐龍命神正二位、従四位下阿曽比咩神従四位上、壱岐島従五位下海神、住吉神、兵主神、月読神並従五位上、対馬島従五位下和多都美神、高御魂神、住吉神並従五位上一、
『日本三代実録』貞観元年5月28日癸未条(859)授二出雲国正三位勲七等熊野坐神、正三位勲八等杵築神、紀伊国従五位上熊野早玉神、熊野坐神並従二位、山城国従五位下大川原国津神、有市国津神、正六位上天照御門神並従五位上一、
『日本三代実録』貞観9年4月8日丁丑条(867)出雲国従二位勲七等熊野神、従二位勲八等杵築神並授二正二位、正五位下佐陁神正五位上、伯耆国正五位下伯耆神、訓坂神、大山神並正五位上、正六位上湊神、賀茂神並従五位下、備後国従五位上甘南備神、高諸神並正五位下一、
『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)発二-遣大神宝使一、
『播磨国風土記』・飾磨郡所三-以称二飾磨御宅一者、大雀天皇御世、遣レ人、喚二意伎、出雲、伯耆、因幡、但馬五国造等一、是時五国造、即以二召使一為二水手一、而向レ京之、以レ此為レ罪、即退二於播磨国一、令レ作レ田也、此時所レ作之田、即号二意伎田、出雲田、伯耆田、因幡田、但馬田一、即彼田稲、収納之御宅、即号二飾磨御宅一又云二賀和良久三宅一、
『令集解』7(神祇令) 天神地祇条(凡天神地祇者神祇官皆依常典祭之)謂、天神者、伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神等類是也、地祇者、大神、大倭、葛木鴨、出雲大汝神等類是也、常典者、此令所載祭祀事条是也、釈無レ別也、自二大汝神一以上、古記亦無レ別也、穴云、依二常典一祭、謂四季所レ祠、及祭之調度、依二別式一備儲、大嘗毎世毎年等、謂二之常典一也、若調度斎日等、違失者、此神祇祭祀、違二常典一也、其大宰主神与二神祇官一、其祭可レ有二別式一、但天皇即位、惣祭二天神地祇一時、皆可二惣祭一也、跡云、常典、謂自二仲春一以下、季冬以上、是曰下依二常典一祭上之、朱云、皆依二常典一祭、謂在二諸国一社皆約レ此、為レ班二-給幣帛一者、但神祇官之不レ預諸国社者、不レ班二幣帛一耳、
『令集解』16(選叙令) 同司主典条(不得用三等以上親)謂、其非二三等親一者、縦得二相隠一、猶須二任用一也、釈云、養老七年十一月十六日太政官処分、伊勢国渡相郡、竹郡、安房国安房郡、出雲国意宇郡、筑前国宗形郡、常陸国鹿島郡、下総国香取郡、紀伊国名草郡、合八神郡、聴レ連二-任三等以上親一也、跡云、四等親、雖二相隠一而任二-用同司一無レ妨、古記云、三等以上親、案二儀制令一、父子為二一等一、祖孫伯叔兄弟為二二等一、曽祖従父兄弟兄弟子曽孫為二三等一、以外雖二相隠親一、不レ在二避限一、
『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕名神祭二百八十五座、
園神社一座、韓神社二座、已上坐二宮内省一、
賀茂別雷神社一座、賀茂御祖神社二座、松尾神社二座、
稲荷神社三座、貴布禰神社一座、鴨川合神社一座、
御井神社一座、葛野月読神社一座、木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、梅宮神社四座、乙訓神社一座、
酒解神社一座、亦号二山崎神一、已上山城国、
春日神社四座、大和神社三座、石上神社一座、
多坐神社二座、或号二大社一、飛鳥神社四座、高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、大神神社一座、太玉神社四座、
穴師神社一座、高屋安倍神社三座、大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、金峯神社一座、鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、葛木一言主神社一座、高鴨神社四座、
高天彦神社一座、葛木火雷神社二座、片岡神社一座、
火幡神社一座、広瀬神社一座、龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、枚岡神社四座、杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、大依羅神社四座、難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、亦号二下照比売一、新屋神社三座、垂水神社一座、
広田神社一座、生田神社一座、長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或太作レ多、真墨田神社一座、大県神社一座、
熱田神社一座、日割御子神社一座、孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、伊古奈比咩命神社一座、物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、筑波山神社一座、吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、日吉神社一座、比叡神同、佐久奈度神社一座、
建部神社一座、川田神社二座、御上神社一座、
奥津島神社一座、伊香神社一座、水尾神社二座、或水作レ三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、穂高神社一座、生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、或作二抜鋒一、伊加保神社一座、赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、苅田嶺神社一座、志波彦神社一座、
鼻節神社一座、志波姫神社一座、伊達神社一座、
東屋沼神社一座、零羊崎神社一座、拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、多珂神社一座、伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、大高山神社一座、子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、小川月神社一座、麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、籠神社一座、大虫神社一座、
小虫神社一座、大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、夜夫神社二座、伊豆志神社八座、
山神社一座、戸神社一座、雷神社一座、
欘椒神社一座、海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、宇受加命神社一座、水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、粒坐天照神社一座、中臣印達神社一座、
家島神社一座、伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、伊都伎島神社一座、多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、日前神社一座、国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、大屋都比売神社一座、都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、伊達神社一座、志磨神社一座、
静火神社一座、須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、大山積神社一座、野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、住吉神社三座、志加海神社三座、
八幡神社一座、筑紫神社一座、竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、兵主神社一座、月読神社一座、
中津神社一座、天手長男神社一座、天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、和多都美御子神社一座、高御魂神社一座、
和多都美神社一座、太祝詞神社一座、住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若有二大祷一者、加二絁五丈五尺一、以二布一端一代二糸一絇一、
『本朝月令』・4月中酉賀茂祭事中酉賀茂祭事、
秦氏本系帳云、正一位勲一等賀茂大神社、賀茂者、日向曽之峯天降坐神、賀茂建角身命也、神倭石寸比古之御前立上坐而宿二-坐大倭葛木山之峯一、自レ彼漸遷、至二山代国岡田之賀茂一随二山代河一下坐、葛野河与二賀茂河一所レ会立坐、見二-廻賀茂川一而言、雖二狭小一然石川清川在、仍号曰二石川瀬見小川一、自二彼川一上定二-坐久我国之北山基一、従二爾時一名曰二賀茂一也、 建角身命娶二丹波国神伊賀古夜日売一、生レ子、曰二玉依日子一、次曰二玉依日売一、於二石川瀬見小川一遊為時、丹塗矢自二川上一流下、乃取挿二-置床辺一、遂感孕生二男子一、至二成人時一、外祖父建角身命造二八尋屋一、堅二八戸扉一、醸二八腹酒一、而神集々而七日七夜楽遊、然与レ子語言、汝父将レ思人、令レ飲二此酒一、即挙二酒坏一向レ天為レ祭、分二穿屋甍一而升レ天、乃因二外祖父之名一、号二賀茂別雷命一、所謂丹塗矢者、乙訓郡社坐大雷命在、賀茂建角身命也、丹波神伊賀古夜日売也、玉依日売也、三柱神、在二蓼倉里一三井社坐也、妋玉依日子者、今賀茂県主遠祖也、其祭祀日乗レ馬矣、志貴島宮御宇天皇之御世、天下挙国、風吹雨零、爾時勅二卜部伊吉若日子一令レ卜、乃賀茂神祟也、撰二四月吉日一馬繋レ鈴、人蒙二猪影一而駈馳、以為二祭祀一、能令二祷祀一、因レ之五穀成熟、天下豊年、乗馬始二於此一也、
又云、初秦氏女子出二于葛野河一、澣二-濯衣裳一、時有二一矢一、自レ上流下、女子取レ之還来、刺二-置於戸上一、於レ是女子無レ夫懐妊、既而生二男子一也、父母怪レ之責問、爰女子答云、不レ知、再三詰問、雖レ経二日月一、遂云レ不レ知、父母以謂、雖レ然無レ夫而無二生レ子之理一也、我家往来近親眷族、隣里郷党之中、其夫応レ在、因レ茲弁二-備大饗一、招二-集諸人一、令二彼児執一レ盃、祖父母命云、父止思人爾可レ献レ之、于時此児不レ指二衆人一、仰観行指二戸上之矢一、即便為二雷公一、坼二-破屋棟一、升レ天而去、故鴨上社号二別雷神一、鴨下社号二御祖神一也、戸上矢者松尾大明神是也、是以秦氏奉二-祭三所大明神一、而鴨氏人為二秦氏之婿一也、秦氏為二受婿一以二鴨祭一譲与之、故今鴨氏為二禰宜一奉レ祭、此其縁也、鴨祭之日楓山之葵挿レ頭、当日早朝、松尾社司等令レ齎二挿頭料一、参二-候内蔵寮一、祭使既来、置二楓山葵於庭中一、詔戸申使等、各挿レ頭出立、禰宜祝等賜二禄物一、又走馬、近衛二人捧二謝幣一、与二禰宜祝一倶参二松尾神社一、是乃父母子愛之義、芬芳永存之心也、
右官史記云、天武天皇六年二月丙丁、令三山背国営二賀茂神宮一、
神祇令云、天神地祇、神祇官皆依二常典一祭之、義解云、天神謂二伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神等類一、
国史云、文武天皇二年三月、禁二山背国賀茂祭日会レ衆騎射一、 和銅四年四月詔、賀茂神祭日、自今以後、国司毎年親臨𢮦察焉、 神亀三年三月、衆人会集、一切禁断、 天平四年四月、任レ意祭レ之、 天応元年四月、令二賀茂神二社禰宜祝等始把笏一、
又或記云、延暦十二年癸酉、北野山中、天皇行幸、而諸臣却奉各去也、于時遣二大火一給、祈申、始奉二鴨上下両神大祭事一、率二供奉諸司一并奉二斎内親王一、
又説云、嵯峨天皇与二平城天皇一有レ隙不レ穆、于時嵯峨天皇祈祷有レ感、初奉二斎王一云々、
大同二年三月、従一位勲一等賀茂御祖神奉レ授二正一位一、
弘仁格云、太政官符、定二新置斎院司官位職員一事、長官一員、次官一員、判官一員、主典一員、右被二中納言兼左近衛大将従三位行春宮大夫陸奥出羽按察使藤原冬嗣宣一、奉レ 勅宜二依レ件定一弘仁九年五月九日、
弘仁神式云、凡四月中申酉祭二賀茂二社一、斎内親王向レ社、史一人、左右史生各一人、官掌一人向二祭所一、𢮦-二校諸事一、 山城国司預申二祭日一録レ状、少納言奏聞、差二勅使一令レ奉レ幣、并有二走馬一、事見二内蔵及左右馬寮式一、其日、宮門閤門前立レ仗守衛、前一日、大臣侍二殿上一召二諸衛府於殿前庭一、而仰二警固事一、後日解却亦准レ此、
弘仁内蔵式云、賀茂祭上社下社、松尾社社別禰宜祝各一人、上下両社、各物忌一人、云々、使等装束料云々、右当日平旦、内侍已下退出、於二寮庁前一与二使官人等一共解除、訖松尾社幣便附二禰宜祝等一、即使等再拝両段、退各就レ座、寮家供レ饌行レ酒乃発、山城国司率二騎兵等一、於二京外路一、前駈祗承、
国史云、弘仁十年三月、勅、山城国愛宕郡賀茂御祖并別雷二神之祭、宜レ准二中祀一、 承和十五年二月、正一位勲一等賀茂御祖大社禰宜外従五位下鴨県主広雄等款云、去天平勝宝二年十二月十四日、奉レ宛二御戸代田一町一、自レ爾以降、未レ被レ奉レ加、因レ茲年中用途乏少、望請准二別雷社一、加二-増御戸代田一町一、勅許レ之、
貞観主税式云、凡賀茂祭使食料稲四百束、以二山城国正税一宛之、
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