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神道・神社史料集成(古代) 伊和坐大名持御魂神社
伊和坐大名持御魂神社(播磨国宍粟郡)『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)神封部 合四千八百七十六戸 (略) 播磨伊和神 十三戸 播万国、 (略)
『日本三代実録』貞観元年正月27日甲申条(859)京畿七道諸神進レ階及新叙、惣二百六十七社、奉レ授二淡路国無品勲八等伊佐奈岐命一品、備中国三品吉備都彦命二品、神祇官無位神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神並従一位、無位生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神、櫛石窓神、豊石窓神、生島神、足島神並従四位上、宮内省従三位園神、韓神並正三位、大膳職正四位下御食津神従三位、左京職従五位上太祝詞神、久慈真智神並正五位下、大膳職従五位下火雷神、大炊寮従五位下大八島竈神八前、斎火武主比命神、内膳司従五位下庭火皇神、造酒司従五位下大戸自神等並従五位上、無位酒殿神従五位下、山城国正二位勲二等松尾神従一位、葛野月読神、平野今木神並正二位、正四位下稲荷神三前並正四位上、正四位下大若子神、小若子神、酒解神、酒解子神並正四位上、平野従四位下久度古開神従四位上、正五位上貴布禰神、正五位下乙訓火雷神、従五位上水主神等並従四位下、正五位下合殿比咩神正五位上、従五位下樺井月読神、木島天照御魂神、和支神並正五位下、従五位下祝園神、天野夫支売神、岡田鴨神、岡田園神、樺井月神、棚倉孫神、許波多神、出雲井於神、片山神、鴨川合神等並従五位上、正六位上与度神、石作神、向神、簀原神、鴨山口神、小野神、久我神、高橋神、双栗神、水度神、伊勢田神、無位小社神並従五位下、大和国従一位大己貴神正一位、正二位葛木御歳神、従二位勲八等高鴨阿治須岐宅比古尼神、従二位高市御県鴨八重事代主神、従二位勲二等大神大物主神、従二位勲三等大和大国魂神、正三位勲六等石上神、正三位高鴨神並従一位、正三位勲二等葛木一言主神、高天彦神、葛木火雷神並従二位、従三位広瀬神、龍田神、従三位勲八等多坐弥志理都比古神、金峰神並正三位、正四位下丹生川上雨師神従三位、従五位下賀夜奈流美神正四位下、従五位下勲八等穴師兵主神、片岡神、夜岐布山口神並正五位上、従五位下都祁水分神、都祁山口神、石寸山口神、耳成山口神、飛鳥山口神、畝火山口神、長谷山口神、忍坂山口神、宇陀水分神、吉野水分神、吉野山口神、巨勢山口神、葛木水分神、鴨山口神、当麻山口神、大坂山口神、伊古麻山口神並正五位下、従五位下和爾赤坂彦神、山辺御県神、村屋禰富都比売神、池坐朝霧黄幡比売神、鏡作天照御魂神、十市御県神、目原高御魂神、畝尾建土安神、子部神、天香山大麻等野知神、宗我都比古神、甘樫神、稔代神、牟佐坐神、高市御県神、軽樹村神、天高市神、太玉命神、櫛玉命神、川俣神、波多甕井神、坐日向神、巻向若御魂神、他田天照御魂神、志貴御県神、忍坂生根神、葛木倭文天羽雷命神、長尾神、石園多久豆玉神、調田一事尼古神、金村神、葛木御県神、火幡神、往馬伊古麻都比古神、平群石床神、矢田久志玉比古神、添御県神、伊射奈岐神、葛木二上神並従五位上、無位水越神従五位下、河内国従一位勲三等枚岡天児屋根命正一位、正三位勲六等恩智大御食津比古命神、恩智大御食津比咩命神並従二位、正四位上勲六等枚岡比咩神従三位、従五位下杜本神正四位下、従五位上丹比神正五位下、従五位下春日戸神、高宮神、弓削神、志紀長吉神、狭山堤神、狭山神、菅生神並従五位上、和泉国正五位下勲八等大鳥神従四位下、摂津国従三位勲八等広田神正三位、正五位上勲八等生田神、従五位上勲八等長田神、従五位上垂水神、従五位下勲八等大依羅神、難波生国魂神、下照比女神、坐摩神、従五位下勲八等新屋天照御魂神並従四位下、従五位下名次神正五位下、従五位下中臣須牟地神、伊射奈岐神、伊和志豆神並従五位上、伊賀国無位穴石神従五位下、伊勢国従三位多度神正三位、従四位下阿射加神従四位上、尾張国正三位熱田神従二位、駿河国従三位浅間神正三位、伊豆国従四位下三島神従四位上、従五位下楊原神従五位上、武蔵国従五位下氷川神従五位上、安房国従三位勲八等安房神、天比々理刀咩命神並正三位、近江国従二位勲一等比叡神正二位、従五位上勲八等伊香神従四位下、従五位下伊富岐神、佐久奈度神、水口神、川田神、三上神、奥津島神、小比叡神並従五位上、美濃国従三位中山金山彦神正三位、信濃国正三位勲八等建御名方富命神従二位、従三位建御名方富命前八坂刀売命神正三位、上野国正五位下勲八等貫前神従四位下、下野国従三位勲四等二荒神正三位、陸奥国正五位上勲四等計仙麻神、正五位下勲四等志波彦神、勲五等拝幣志神、勲六等零羊埼神、従五位上勲四等志波姫神並従四位下、従五位下計仙麻大島神従五位上、若狭国従二位勲八等若狭比古神正二位、正三位若狭比咩神従二位、越前国正二位勲一等気比神従一位、従四位上勲六等推前神、勲六等剣神並正四位下、加賀国白山比女神正三位、能登国正二位勲一等気多神従一位、越中国従三位高瀬神、二上神並正三位、丹波国従五位下小川月神、麻気神並従五位上、丹後国従五位下大川神、大宮売神並従五位上、出雲国従三位熊野神、勲八等杵築神並正三位、播磨国従五位下勲八等粒坐天照神、伊和坐大名持御魂神並従四位下、従五位下海神従五位上、安芸国正五位下伊都岐島神、従五位上速谷神並従四位下、従五位下多家神従五位上、長門国従五位下住吉荒魂神従五位上、紀伊国従四位下伊達神、志摩神、静火神並正四位下、従五位下勲八等丹生都比売神、伊太祁曽神、大屋都比売神、神都摩都比売神、鳴神並従四位下、従五位下須佐神、熊野早玉神、熊野坐神並従五位上、阿波国従五位下大麻比古神、忌部天日鷲神並従五位上、土佐国従五位下都佐坐神従五位上、筑前国正三位勲八等田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神並従二位、正五位下竈門神、従五位下筑紫神並従四位下、従五位下織幡神、志賀海神、美奈宜神並従五位上、無位住吉神従五位下、筑後国正三位高良玉垂命神従二位、従四位下豊比咩神従四位上、肥前国従五位下田島神従四位下、肥後国従二位勲五等健磐龍命神正二位、従四位下阿曽比咩神従四位上、壱岐島従五位下海神、住吉神、兵主神、月読神並従五位上、対馬島従五位下和多都美神、高御魂神、住吉神並従五位上一、
『日本三代実録』元慶5年6月29日乙巳条(881)授二播磨国従四位下勲八等伊和坐大名持御魂神正四位下一、
『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)発二-遣大神宝使一、
『播磨国風土記』・飾磨郡(略) 英賀里、土中上、 右、称二英賀一者、伊和大神之子阿賀比古阿賀比売二神在二於此処一、故因二神名一以為二里名一、 伊和里、船丘、波丘、琴丘、匣丘、箕丘、日女道丘、荍丘、稲丘、胄丘、鹿丘、犬丘、甕丘、筥丘、土中上、 右、号二伊和部一者、積嶓郡伊和君等族、到来居二於此一、故号二伊和部一、所三-以号二手苅丘一者、近国之神、到二於此処一、以レ手苅レ草、以為二食薦一、故号二手苅一、一云、韓人等、始来之時、不レ識レ用レ鎌、但以レ手苅レ稲、故云二手苅村一、右十四丘者、已詳二於上一、 昔、大汝命之子火明命、心行甚強、是以父神患之、欲二遁棄一之、乃到二因達神山一、遣二其子一汲レ水、未レ還以前、即発レ船遁去、於レ是火明命、汲レ水還来見二船発去一、即大瞋怨、仍起二風波一、追二-迫其船一、於レ是父神之船、不レ能二進行一、遂被二打破一、所以其波丘、琴落処者即号二琴神丘一、箱落処者即号二箱丘一、梳匣落処者即号二匣丘一、箕落処者仍号二箕形丘一、甕落処者仍曰二甕丘一、稲落処者即号二稲牟礼丘一、胄落処者即号二胄丘一、沈石落処者即号二沈石丘一、綱落処者即号二藤丘一、鹿落処者即号二鹿丘一、犬落処者即号二犬丘一、蚕子落処者即号二日女道丘一、爾時大汝神、謂二妻弩都比売一曰、為レ遁二悪子一、返遇二風波一、被二太辛苦一哉、所以号二曰瞋塩苦斉一、 (略) 枚野里、新羅訓村、筥岡、 右称二枚野一者、昔為二少野一、故号二枚野一、所三-以号二新良訓一者、昔新羅国人来朝之時、宿二於此村一、故号二新羅訓一、山名亦同、所三-以称二筥丘一者、大汝、少日子根命、与二日女道丘神一期会之時、日女道神、於レ丘備二食物及筥器等具一、故号二筥丘一、 (略)
『播磨国風土記』・揖保郡(略) 香山里、本名鹿来墓、土下上、所三-以号二鹿来墓一者、伊和大神占レ国之時、鹿来立二於山岑一、山岑、是亦似レ墓、故号二鹿来墓一、後至二道守臣為レ宰之時、乃改レ名為二香山一、 (略) 阿豆村、伊和大神巡行之時、苦二其心中熱一、而控二-絶衣紐一、故号二阿豆一、一云、昔天有二二星一落二於地一化為レ石、於レ此、人衆集来談論、故名二阿豆一、 (略) 御橋山、大汝命、積レ俵立レ橋、山石似レ橋、故号二御橋山一、 (略) 林田里、本名談奈志、土中下、所三-以称二談奈志一者、伊和大神占レ国之時、御志植二於此処一、遂生二楡樹一、故称名二談奈志一、 (略) 所三-以名二伊勢野一者、此野毎レ在二人家一不レ得二静安一、於レ是衣縫猪手、漢人刀良等祖、将レ居二此処一、立二社山本一、敬下-祭在二山岑一神、伊和大神子、伊勢都比古命、伊勢都比売命上矣、自レ此以後、家々静安、遂得レ成レ里、即号二伊勢一、 伊勢川、因レ神為レ名、 稲積山、大汝命少日子根命二柱神、在二於神前郡堲岡里生野之岑一、望二-見此山一云、彼山者当レ置二稲種一、即遣二稲種一積二於此山一、々形亦似二稲積一、故号曰二稲積山一、 (略) 揖保里、土中中、所二-以称一レ粒者、此里、依二於粒山一、故因レ山為レ名、 粒丘、所三-以号二粒丘一者、天日槍命、従二韓国一度来、到二於宇頭川底一而乞二宿処於葦原志挙乎命一曰、汝為二国主一、欲レ得二吾所レ宿之処一、志挙、即許二海中一、爾時、客神、以レ剣撹二海水一而宿之、主神即畏二客神之盛行一而先欲レ占レ国、巡上到二於粒丘一而飡之、於レ此自レ口落レ粒、故号二粒丘一、其丘小石皆能似レ粒、又以レ杖刺レ地、即従二杖処一、寒泉涌出遂通二南北一、々寒南温、生二白朮一、 (略) 美奈志川、所三-以号二美奈志川一者、伊和大神子、石龍比古命与二妹石龍比売命一二神、相二-競川水一、妋神欲レ流二於北方越部村一、妹神欲レ流二於南方泉村一、爾時、妋神踰二於山岑一而流下之、妹神見レ之、以二-為非理一、即以二指櫛一、塞二其流水一、而従二岑辺一闢レ溝、流二於泉村相一格、爾妋神、復到二泉底之川一、流奪而将レ流二於西方桑原村一、於レ是妹神遂不レ許之而作二密樋一、流二-出於泉村之田頭一、由レ此川水絶而不レ流、故号二無水川一、 (略)
『播磨国風土記』・讃容郡讃容郡 所三-以云二讃容一者、大神妹妋二柱、各競占レ国之時、妹玉津日女命、捕二-臥生鹿、割二其腹一而種二-稲其血一、仍一夜之間生レ苗、即令二取殖一、爾大神勅云、汝妹者、五月夜殖哉、即去二他処一、故号二五月夜郡一、神名二賛用都比売命一、今有二讃容町田一也、即鹿放山、号二鹿庭山一、々四面有二十二谷一、皆生レ鉄也、難波豊前於二朝庭一始進也、見顕人別部犬、其孫等、奉発之初、 讃容里、事与レ郡同、土上中、 吉川、本名玉落川、大神之玉、落二於此川一、故曰二玉落一、今云二吉川一者、稲狭部大吉川、居二於此村一、故曰二吉川一、其山生二黄連一、 桉見、佐用都比売命、於二此山一得二金桉一、故曰二山名金肆、川名桉見一、 (略) 筌戸、大神従二出雲国一来時、以二島村岡一、為二呉床一坐而筌置二於此川一、故号二筌戸一也、不レ入レ魚而入レ鹿、此取作レ鱠、食不レ入レ口而落二於地一、故去二此処一遷他、 (略) 雲濃里、土上中、大神之子、玉足日子玉足比売命生子大石命、此子、称二於父心一、故曰二有怒一、 (略)
『播磨国風土記』・宍禾郡宍禾郡 所三-以名二宍禾一者、伊和大神国作堅了以後、堺二山川谷尾一巡行之時、大鹿出二己舌一、遇二於矢田村一、爾勅云、矢彼舌在者、故号二宍禾郡一、村名号二矢田村一、 宇波良村、葦原志許乎命占レ国之時、勅、此地小狭、如二室戸一、故曰二表戸一、 比良美村、大神之褶落於此村、故曰二褶村一、今人云二比良美村一、 (略) 庭音村、本名庭酒、大神御粮枯而生レ糆、即令レ醸レ酒、以二献庭酒一而宴之、故曰二庭酒村一今人云二庭音村一、 奪谷、葦原志許乎命与二天日槍命一二神相二-奪此谷一、故曰二奪谷一、以二其相奪之由一形如二曲葛一、 稲舂岑、大神令レ舂二於此岑一、故曰二稲舂前一、生味栗、其粳飛到之処、即号二粳前一、 (略) 伊奈加川、葦原志許乎命与二天日槍命一占レ国之時、有二嘶馬一遇二於此川一、故曰二伊奈加川一、 土間村、神衣、附二土上一、故曰二土間一、 敷草村、敷レ草為二神座一、故曰二敷草一、此村有レ山、南方十里許、有レ沢、二町許、此沢生レ菅、作レ笠最好、生二桧、杉、栗、黄連、黒葛等一、生レ鉄、住二狼、羆一、 飯戸阜、占レ国之神、炊二於此処一、故曰二飯戸阜一、々形似二橧箕竈等一、 安師里、本名酒加里、土中上、大神飡二於此処一、故曰二須加一、後所下-以号二山守里一然上者、山部三馬、任為二里長一、故曰二山守一、今改レ名為二安師一者、因二安師川一為レ名、其川者、因二安師比売神一為レ名、伊和大神、将レ娶誂之、爾時此神固辞不レ聴、於レ是大神大瞋、以レ石塞二川源一、流二-下於三形之方一、故此川少レ水、此村之山、生二桧、杉、黒葛等一、住二狼、羆一、 石作里、本名伊和、土下中、所三-以名二石作一者、石作首等、居二於此村一、故庚午年、為二石作里一、阿和賀山、伊和大神之妹、阿和加比売命、在二於此山一、故曰二阿和加山一、 伊加麻川、大神占レ国之時、烏賊在二於此川一故曰二烏賊間川一、 雲箇里、土下々、大神之妻、許乃波奈佐久夜比売命、其形美麗、故曰二宇留加一、 波加村、占レ国之時、天日槍命先到二此処一、伊和大神後到、於レ是大神大怪之云、非レ度先到之乎、故曰二波加村一、到二此処一者、不レ洗二手足一必雨、其山生二桧、杉、檀、黒葛、山薑等一、住二狼熊一、 御方里、土下上、所三-以号二御形一者、葦原志許乎命与二天日槍命一到二於黒土志爾嵩一、各以二黒葛三条一着レ足投之、爾時葦原志許乎命之黒葛、一条落二但馬気多郡一、一条落二夜夫郡一、一条落二此村一、故曰二三条一、天日槍命之黒葛、皆落二於但馬国一、故占二但馬伊都志地一而在之、一云、大神為二形見一植二御杖於此村一、故曰二御形一、 (略) 伊和村、本名神酒、大神醸二酒此村一、故曰二神酒村一、又云二於和村一、大神国作訖以後云二於和等一於我美岐、
『播磨国風土記』・神前郡神前郡 右、所三-以号二神前一者、伊和大神之子建石敷命、山使村在二於神前山一、乃因二神在一為レ名、故曰二神前郡一、 堲岡里、生野、大川内、湯川、粟鹿川内、波自加村、土下々、所三-以号二堲岡一者、昔大汝命与二小比古尼命一相争云、担二堲荷一而遠行、与二不レ下レ屎而遠行一、此二事何能為乎、大汝命曰、我不レ下レ屎欲レ行、小比古尼命曰、我持二堲荷一欲レ行、如レ是相争而行之、逕二数日一大汝命云、我不レ能二忍行一、即坐而下レ屎之、爾時小比古尼命咲曰、然苦、亦擲二其堲於此岡一、故号二堲岡一、又下レ屎之時、小竹弾二-上其屎一、汚二於衣一、故号二波自賀村一、其堲与レ屎成レ石、于今不レ亡、一家云、品太天皇巡行之時、造二宮於此岡一、勅云、此土為レ堲耳、故曰二堲岡一、所三-以号二生野一者、昔此処在二荒神一、半二-殺往来之人一、由レ此号二死野一以後、品太天皇勅云、此為二悪名一、改為二生野一、所三-以号二粟鹿川内者一、彼川自二但馬阿相郡粟鹿山一流来、故曰二粟鹿川内一、生レ楡、 (略) 神前山、与レ上同、 (略) 多馳里、邑曰野、八千軍野、粳岡、土中下、所三-以号二多馳者一、品太天皇巡行之時、大御伴人佐伯部等始祖阿我乃古申、欲二-請此土一、爾時天皇勅云、直請哉、故曰二多馳一、所三-以云二邑曰野一者、阿遅須伎高日古尼命神在二於新次社一、造二神宮於此野一之時、意保和知苅廻為レ院、故名二邑曰野一、粳岡者、伊和大神与二天日桙命一二神各発レ軍相戦、爾時大神之軍、集而舂レ稲之、其粳聚為レ丘、一云、掘レ城処者、品太天皇御俗、参度来百済人等、随二有俗一造レ城居之、又其簸置粳云レ墓、又云二城牟礼山一、其孫等川辺里三家人、夜代等、所三-以云二八千軍一者、天日桙命軍在二八千一、故曰二八千軍野一、 (略)
『播磨国風土記』・託賀郡(略) 黒田里、袁布山、支閉岡、大羅野、土下上 右、以二土黒一為レ名、云二袁布山一者、昔宗形大神奥津島比売命、任二伊和大神之子一、到二-来此山一云、我可レ産之時訖、故曰二袁布山一、云二支閉丘一者、宗形大神云二我可レ産之月尽一、故曰二支閉丘一、云二大羅野一者、昔老父与二老女一張二羅於袁布中山一、以捕二禽鳥一、衆鳥多来負レ羅飛去、落二於件野一、故曰二大羅野一、 (略)
『播磨国風土記』・賀毛郡(略) 上鴨里、土中上、下鴨里、土中中、 右二里、所三-以号二鴨里一者、已詳二於上一、但後分為二二里一、故曰二上鴨、下鴨一、品太天皇巡行之時、此鴨発飛居二於条布井樹一、此時天皇問云二何鳥哉一、侍従当麻品遅部君前玉答曰下住二於川一鴨上、勅令レ射時、発二一矢一中二二鳥一、即負レ矢従二山岑一飛越之処、号二鴨坂一、落斃之処者、仍号二鴨谷一、煮レ羹之処者号二煮坂一、下鴨里、有二碓居谷、箕谷、酒屋谷一、昔大汝命造レ碓稲舂之処者号二碓居谷一、箕置之処者号二箕谷一、造酒屋之処者号二酒屋谷一、 (略) 飯盛嵩、 右、号レ然者、大汝命之御飯盛二於此嵩一、故曰二飯盛嵩一、 (略)
『播磨国風土記』・美嚢郡(略) 志深里坐二三坂一神、八戸挂須御諸命、大物主葦原志許国堅以後、自レ天下二於三坂岑一、 (略)
『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕名神祭二百八十五座、
園神社一座、韓神社二座、已上坐二宮内省一、
賀茂別雷神社一座、賀茂御祖神社二座、松尾神社二座、
稲荷神社三座、貴布禰神社一座、鴨川合神社一座、
御井神社一座、葛野月読神社一座、木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、梅宮神社四座、乙訓神社一座、
酒解神社一座、亦号二山崎神一、已上山城国、
春日神社四座、大和神社三座、石上神社一座、
多坐神社二座、或号二大社一、飛鳥神社四座、高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、大神神社一座、太玉神社四座、
穴師神社一座、高屋安倍神社三座、大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、金峯神社一座、鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、葛木一言主神社一座、高鴨神社四座、
高天彦神社一座、葛木火雷神社二座、片岡神社一座、
火幡神社一座、広瀬神社一座、龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、枚岡神社四座、杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、大依羅神社四座、難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、亦号二下照比売一、新屋神社三座、垂水神社一座、
広田神社一座、生田神社一座、長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或太作レ多、真墨田神社一座、大県神社一座、
熱田神社一座、日割御子神社一座、孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、伊古奈比咩命神社一座、物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、筑波山神社一座、吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、日吉神社一座、比叡神同、佐久奈度神社一座、
建部神社一座、川田神社二座、御上神社一座、
奥津島神社一座、伊香神社一座、水尾神社二座、或水作レ三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、穂高神社一座、生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、或作二抜鋒一、伊加保神社一座、赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、苅田嶺神社一座、志波彦神社一座、
鼻節神社一座、志波姫神社一座、伊達神社一座、
東屋沼神社一座、零羊崎神社一座、拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、多珂神社一座、伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、大高山神社一座、子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、小川月神社一座、麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、籠神社一座、大虫神社一座、
小虫神社一座、大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、夜夫神社二座、伊豆志神社八座、
山神社一座、戸神社一座、雷神社一座、
欘椒神社一座、海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、宇受加命神社一座、水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、粒坐天照神社一座、中臣印達神社一座、
家島神社一座、伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、伊都伎島神社一座、多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、日前神社一座、国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、大屋都比売神社一座、都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、伊達神社一座、志磨神社一座、
静火神社一座、須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、大山積神社一座、野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、住吉神社三座、志加海神社三座、
八幡神社一座、筑紫神社一座、竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、兵主神社一座、月読神社一座、
中津神社一座、天手長男神社一座、天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、和多都美御子神社一座、高御魂神社一座、
和多都美神社一座、太祝詞神社一座、住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若有二大祷一者、加二絁五丈五尺一、以二布一端一代二糸一絇一、
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21世紀COEプログラム 神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成
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