神道・神社史料集成(古代) 香椎廟

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香椎廟(筑前国)


『続日本紀』天平9年4月乙巳朔条(737)

使於伊勢神宮、大神社、筑紫住吉、八幡二社及香椎新羅無礼之

『続日本紀』天平宝字3年8月己亥(6日)条(759)

大宰帥三品船親王於香椎

『続日本紀』天平宝字6年11月庚寅(16日)条(762)

参議従三位武部卿藤原朝臣巨勢麻呂、散位外従五位下土師宿禰犬-幣于香椎調習軍也、

『日本紀略』大同2年正月辛丑(12日)条(807)

使大唐綵幣於香椎

『日本後紀』弘仁元年12月壬午(16日)条(810)

参議正四位下巨勢朝臣野幣帛於八幡大神宮樫日静乱之

『類聚国史』5(神祇5八幡大神) 弘仁14年11月甲戌(24日)条(823)

左兵衛督従四位上藤原朝臣綱使、幣帛於八幡大神樫日便大宰府綿三百使、

『続日本後紀』天長10年4月壬戌(5日)条(833)

従四位下行伊予権守和気朝臣真御剣幣帛於八幡大菩薩宮及香椎新即也、

『続日本後紀』承和5年3月甲申(27日)条(838)

勅曰、遣唐使頻年却廻、未夫冥霊之道、至信乃応、神明之徳、修善必祐、大宰府監已毎国一人国司講当国他年廿五以上精進持経心行無香襲宮二人、大臣一人、八幡大菩薩宮二人、宗像神社二人、阿蘇神社二人、国分寺及神宮安置供養、使等往還之間、専心行道、令云々、

『続日本後紀』承和8年5月辛巳(12日)条(841)

神功皇后御陵宣曰、天皇詔旨、挂畏山陵申賜倍止、頃者渉佐流波、如有天河止卜求礼波、山陵奉遣太流例貢之物闕怠礼流祟見香椎廟同為倍理登卜申勢理、驚而尋検、所司申以往、両年間、荷前便輙陵戸人付奉遣志与理必供ケ無可止布止申、今恐畏将来之天香椎廟爾毛使謝申武止参議従四位上和気朝臣真謝申祈申状、平聞食、時左須甘雨令倍止、恐美毛申賜倍止申、是夜暁、雨降、

『続日本後紀』承和8年5月己丑(20日)条(841)

従四位下勘解由長官和気朝臣仲-幣八幡大神及香椎

『続日本後紀』承和10年10月癸酉(18日)条(843)

使-幣於香椎宝位無国家大也、

『続日本後紀』嘉祥元年12月甲寅(29日)条(848)

使-香椎其由不詳、

『文徳天皇実録』嘉祥3年8月戊辰(23日)条(850)

散位従五位下高原豊前筑前両宝剣明鏡名香綵帛八幡宮及香椎

『文徳天皇実録』仁寿元年10月己酉(11日)条(851)

大蔵少輔従五位下藤原朝臣良香椎八幡大菩薩

『園城寺文書』・仁寿2年4月13日十禅師円珍牒(852)

(端裏)「御祈祷転経牒状
謹牒 府衙
-為 国
法華経一部八巻
仁王経一部二巻
大毘盧遮那真言二巻
金剛頂真言二巻
右、四月四豊前香美神読、
法華経一部八巻
仁王経一部二巻
大毘盧遮那真言二巻
金剛頂真言二巻
右、同月七日、筑前国竈門神読、
法華経一部八巻
仁王経一部二巻
大毘盧遮那真言二巻
金剛頂真言二巻
右、同月九日、同国住吉神読、
法華経一部八巻
仁王経一部二巻
大毘盧遮那真言二巻
金剛頂真言二巻
右、同月十日、香椎名博太読、
以前、志伏望一人快予、方石之八道安泰、維城之旱澇於未秋実於豊謹録、
仁寿二年四月十三日  十禅師伝燈大法師位円珍

『文徳天皇実録』仁寿3年5月壬寅(13日)条(853)

大宰観音弥勒両寺、并四王院、香椎廟、管内国分大般若

『日本三代実録』貞観6年8月15日己巳条(864)

制、筑前国香椎廟司、

『日本三代実録』貞観12年2月15日丁酉条(870)

従五位下行主殿権助大中臣朝臣国-幣八幡大菩薩宮、及香椎廟、宗像大神、甘南備告文曰、天皇詔旨坐、掛畏八幡大菩薩広前申賜倍止、去年六月以来、大宰府度々言上多良久、新羅賊船二艘、筑前国那珂郡荒津到来、豊前国貢調船絹綿掠奪逃退太利、又庁楼兵庫等上大鳥之卜求、隣国兵革之事可卜申、又肥後国地震風水災在、舎宅悉仆顛、人民多流亡多利、如之災古来未故老等言上多利、然間陸奥国又異奈留地震之災言上太利、自余国々又頗言上多利、伝聞、彼新羅人、我日本朝世時与利相敵多利、而今-来境-取調懼憚之其意、兵寇之萌自而生、我朝久多利、兵乱之事尤然我日本朝、所謂神明之国奈利、神明之助護賜、何兵寇、况掛大菩薩、我朝顕祖御座、食国天下護賜助賜、然則他国異類倍岐、何聞食驚賜拒却波須、故是以従五位下行主殿権助大中臣朝臣国雄使奉出、此状聞食、仮令時世禍乱止之天、上件寇賊之事在倍岐那利止毛、掛畏大菩薩、国内諸神多知乎唱導比天之前沮拒排却賜、若賊謀已熟兵船必来倍久、境内入賜須之天逐還漂没比天、我朝神国畏憚礼留故実多之布奈、自之外仮令止之天、夷俘逆謀叛乱之事、中国盗兵賊難之事、又水旱風雨之事、疫癘飢饉之事万天爾、国家大禍、百姓深憂良牟乎波、皆悉未然之外払却銷滅、天下、国内平安鎮護救助賜、皇御孫命御体常磐堅磐天地日夜守昼守護幸矜奉給倍止、恐美毛申賜久止申、又曰、天皇詔旨坐、掛畏香椎廟広前申賜倍止、去年六月以来、大宰府度々言上多良久、新羅賊船二艘、筑前国那珂郡荒津到来、豊前国貢調船絹綿掠奪逃退多利、又庁楼兵庫等上大鳥之卜求、隣国兵革之事可卜申利、又肥後国地震風水災在、舎宅悉仆顛、人民多流亡多利、如之災古来未故老等言上多利、然間陸奥国又異那留地震之災言上多利、自余国々又頗言上多利、伝聞、彼新羅人、我日本朝、久世時与利相敵多利、而今-来境-取調利天懼沮之其意兵寇之萌自而生、我朝久、専多利、兵乱之事尤然我日本朝所謂神明之国奈利、神明之助護、何兵寇、况亦彼新羅人相敵礼利介留、掛畏御廟威徳降伏訖賜、若干代時歴来太利、而今如狎侮気色露出事、最是御廟聞驚怒恚倍岐奈利、故是以、従五位下行主殿権助大中臣朝臣国雄使、礼代太幣帛奉出、此状気久聞食、仮令時世禍乱止之天、上件寇賊之事在倍岐奈利止毛、掛畏御廟、国内諸神太知乎唱導比天之前沮拒排却賜、若賊謀已熟、兵船必来倍久、境内入賜須之天、逐還漂没比天、我朝神国畏憚礼留故実多之布奈、自之外仮令止之天、夷俘逆謀叛乱之事、中国盗兵賊難之事、又水旱風雨之事、疫癘飢饉之事万天爾、国家大禍、百姓深憂止之良牟乎波、皆悉未然之外払却鎖滅、天下、国内平安鎮護救助賜、天皇朝廷宝位無、常磐堅磐夜守昼守護幸矜奉給倍止、恐美毛申賜波久止申、又曰、天皇詔旨、掛畏宗像大神広前申賜倍止申、去年六月以来、大宰府度々言上多良久、新羅賊船二艘、筑前国那珂郡荒津到来、豊前国貢調船絹綿掠奪逃退太利、又庁楼兵庫等上大鳥之卜求、隣国兵革之事可卜申、又肥後国地震風水之災在、舎宅悉仆顛、人民多流亡多利、如之災古来未、古老等言上多利、然間、陸奥国又異那留地震之災言上多利、自余国々、又頗言上多利、伝聞、彼新羅人、我日本朝世時与利相敵多利、而今-来境-取調利天懼沮之其意兵寇之萌自而生、我朝久、専多利、兵乱之事尤然我日本朝所謂神明之国那利、神明助護、何兵寇、亦我皇太神大帯日姫、彼新羅人降伏賜時、相共加、我朝救賜守賜奈利、而今如狎侮気色露出事乎波、最是皇太神聞驚怒恚倍岐奈利、故是以、従五位下行主殿権助大中臣朝臣国雄使、礼代大幣帛奉出給、此状介久聞食、仮令時世禍乱止之天、上件寇賊之事在倍岐奈利止毛、掛畏皇大神、国内諸神太知遠唱導比天之前沮拒排却賜、若賊謀已熟、兵船必来倍久、境内入賜波須之天、逐還漂没比天、我朝神国良礼礼留故実多之失賜布奈、自之外仮令止之天、夷俘逆謀叛乱之事、中国盗兵賊難之事、又水旱風雨之事、疫癘飢饉之事万天爾国家大禍、百姓深憂止之良牟遠波、皆悉未然之外払却銷滅、天下国内平安鎮護救助賜、天皇朝廷宝位無動、常磐堅磐夜守昼守護幸矜奉給倍止、恐美毛申賜波久止申、又曰、天皇詔旨甘南備神広前申賜倍止、去年六月以来、大宰府度々言上多良久、新羅賊船二艘、筑前国那珂郡荒津到来、豊前国貢調船絹綿掠奪逃退多利、又庁楼兵庫等上、依大鳥之卜求、隣国兵革之事可卜申利止言上多利、件事保之可比憂歎御坐、又言上多良久、新羅寇賊調、我朝之地掠侵須止、皇神託宣在、又牟止太万布止言上多利、依、従五位下御位記礼代幣帛奉出給、今国家慇懃助守坐、如災難倍岐乎波、未然警悟排鎮坐、弥高弥広栄飾崇奉牟止申給天皇詔旨申、又使於諸山新羅寇参議正四位下行皇太后宮大夫藤原朝臣良世、従五位上行下野権守紀朝臣有常深草山参議正四位下行右衛門督兼讃岐権守源朝臣生、右兵庫頭従五位下久賀朝臣三常田邑山参議正四位下行右兵衛督源朝臣勤、侍従従五位下藤原朝臣高範楯列山告文八幡大菩薩

『日本三代実録』貞観18年正月25日癸卯条(876)

是、貞観十六年大宰府言、香椎廟宮毎年春秋祭日、志賀島白水郎男十人女十人風俗衣裳、去宝亀十一年大弐正四位上佐伯宿禰今毛人所也、年代久遠、不府庫之、至太政官処分、依焉、

『日本三代実録』元慶元年2月21日癸亥条(877)

従五位下行主殿権助在原朝臣友豊前国八幡大菩薩宮、香椎幣剣等天皇即

『日本三代実録』元慶2年12月11日壬申条(878)

大宰少弐従五位下島田朝臣忠臣等奏言、橿日宮託宣云、新羅虜船欲茲、従五位下守民部大輔弘道伊勢大神-請冥

『日本三代実録』元慶2年12月24日乙酉条(878)

民部少輔従五位下兼行伊勢権介平朝臣季大宰-橿日、八幡及姫神、住吉、宗形等大橿日、八幡、姫神、別綾羅御衣各一襲、金銀装宝剣各彼府託宣云、新羅凶賊、欲并肥後国大鳥河水変等之也、

『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)

-遣大神宝使

『日本紀略』寛平2年6月4日戊午条(890)

宇佐八幡宮香椎廟幣帛使

『日本紀略』寛平9年8月22日乙丑条(897)

幣使散位従五位下和気真興於石清水八幡宮、并豊前国八幡大菩薩、香椎廟

『万葉集』6〔957-959〕

冬十一月、大宰官人等-香椎訖退帰之時、馬于香椎各述作懐歌、
帥大伴卿歌一首、
去来児等 香椎乃滷爾 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六
大弐小野老朝臣歌一首、
時風 応吹成奴 香椎滷 潮干汭爾 玉藻苅而名
豊前守宇努首男人歌一首、
往還 常爾我見之 香椎滷 従明日後爾波 見縁母奈思

『延喜式』18(式部上) 神宮司条〔143〕

凡諸神宮司、并橿日廟司、

『延喜式』18(式部上) 橿日廟条〔222〕

橿日廟宮舎人一人、大臣武内宿禰資人一人、得考之
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