神道・神社史料集成(古代) 八幡大菩薩宇佐宮

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八幡大菩薩宇佐宮(豊前国宇佐郡)


『日本書紀』神武天皇即位前紀甲寅年10月辛酉(5日)条

天皇親諸皇子舟東征、速吸之一漁而至、天皇招之、因問曰、汝誰也、対曰、臣是国神、名-魚於曲天神子故即奉迎、又問之曰、汝能為導耶、対曰、導之矣、天皇勅漁人椎-納於皇海導乃特賜椎根津椎、此此即倭直部始祖也、行筑紫国菟菟狭者地名也、此菟狭国造祖号菟狭津彦、菟狭津菟狭川一柱騰而奉焉、一柱騰宮、此阿斯毘苔徒鞅餓離能濔是時、勅以菟狭津媛、-妻-之於侍臣天種子天種子命、是中臣氏之遠祖也、

『続日本紀』天平9年4月乙巳朔条(737)

使於伊勢神宮、大神社、筑紫住吉、八幡二社及香椎新羅無礼之

『続日本紀』天平12年10月壬戌(9日)条(740)

大将軍東-八幡焉、

『正倉院文書』続々修15-1 天平13年3月11日一切経納櫃帳(741)

丁樻  紫檀軸十八枚依令旨着、
小乗経并論四百九十五巻、又目録二糾、欠一
天平十三年三月十一日  勘「赤万呂」
辛国「人成」
紫檀軸十八枚奉請、八幡神宮最勝王経十巻法華経八巻借着、大棲炭経、発智論者、
天平十三年閏三月廿四日「小野国堅」
(略)

『続日本紀』天平13年閏3月甲戌(24日)条(741)

八幡神宮秘錦冠一頭、金字最勝王経、法華経各一部、度者十人、封戸馬五又令三重塔一宿也、

『続日本紀』天平17年9月甲戌(20日)条(745)

播磨守正五位上阿倍朝臣虫麻呂幣帛於八幡神京師及諸国大般若経合一百薬師仏像七躯高六尺三経七

『正倉院文書』続々修47-5 種々収納銭注文

合収納銭
(略)
「神」「六十」「七十」
「合」三百七十文、八幡太神奉納米運功銭、即米之内五俵買、即漕功用耳、「所残」
(略)

『続日本紀』天平20年8月乙卯(17日)条(748)

八幡大神祝部従八位上大神宅女、従八位上大神杜女並外従五位

『類聚三代格』2 年分度者事 天平感宝元年6月26日官符(749)

太政官符
豊前国八幡神戸人出家事
今月廿二日 件神戸人毎一人彼国弥勒
天平勝宝元年六月廿六日

『続日本紀』天平勝宝元年11月辛卯朔条(749)

八幡大神禰宜外従五位下大神杜女、主神司従八位下大神田麻呂二人大神朝臣之

『続日本紀』天平勝宝元年11月己酉(19日)条(749)

八幡大神託宣向京、

『続日本紀』天平勝宝元年11月甲寅(24日)条(749)

参議従四位上石川朝臣年足、侍従従五位下藤原朝臣魚名使路次諸国-発兵士一百人以前後駆除、又所之国、-断殺其従人供給不道路清掃、不

『続日本紀』天平勝宝元年12月戊寅(18日)条(749)

五位十人、散位廿人、六衛府舎人各廿八幡神於平群是日入京、宮南梨原殿僧卌悔過七日、

『続日本紀』天平勝宝元年12月丁亥(27日)条(749)

八幡大神禰宜尼大神朝臣杜女、其輿紫色、一輿東大天皇、太上天皇、皇太后、同亦行幸、是日、百官及諸氏人等咸僧五礼仏読経、大唐渤海呉楽、五節田舞、久米大神一品、比咩神二左大臣橘宿禰諸兄奉曰、天皇御命坐申賜、去辰年河内国大県郡智識寺坐盧舎那仏礼奉、則朕登毛得不、豊前国宇佐郡広幡八幡大神申賜我天神地祇率伊左奈比必成奉事立不有、銅湯成、我身草木土、障事無奈佐牟止勅賜奈我良奴礼波美奈毛念食、然猶止事不家礼登毛御冠献事美毛申賜久止申、尼杜女従四位主神大神朝臣田麻呂外従五位下、東大寺封四千戸、奴百人、婢百造東大人、随差、

『続日本紀』天平勝宝2年2月戊子(29日)条(750)

一品八幡大神封八百戸、前四百廿戸、今三百八十位田八十町、前五十町、今二品比売神封六百戸、位田六十

『続日本紀』天平勝宝2年10月丙辰朔条(750)

正五位上藤原朝臣乙麻呂従三大宰八幡大神也、

『続日本紀』天平勝宝6年11月甲申(24日)条(754)

薬師寺僧行信、八幡神宮主神大神朝臣多麻呂厭魅、推勘、罪是、中納言多治比真人広薬師詔、下野薬師

『続日本紀』天平勝宝6年11月丁亥(27日)条(754)

従四位下大神朝臣杜女、外従五位下大神朝臣多麻呂並除名杜女於日向国、多麻呂於多褹因更神宮禰宜其封戸位田、并雑物一事已上、大宰検焉、

『続日本紀』天平勝宝7年3月丁亥(28日)条(755)

八幡大神託宣曰、神吾不請取封一千四百戸、田一百卌町、徒無用、常神耳、之、

『続日本紀』天平勝宝8年4月壬子(29日)条(756)

従五位下日下部宿禰古麻幣帛于八幡大神

『続日本紀』天平宝字8年9月癸亥(29日)条(764)

八幡大神戸廿五

『続日本紀』天平神護2年10月甲申(2日)条(766)

無位大神朝臣田麻呂外従五位豊後員外田麻呂者本是八幡大神宮禰宜大神朝臣毛理売時、授神宮毛理売詐至是

『続日本紀』神護景雲3年9月乙丑(25日)条(769)

詔曰、天皇良我御命良麻止、夫臣下云物明心助護奉、対天方幣利仁波謗言無姦偽諂曲心無之天奉侍倍岐在、然物従五位下因幡国員外介輔治能真人清麻呂其姉法均甚大妄語法均物奏、此流仁色形口云言猶明云言大神御命所知、問求朕所念之天大神御命爾波聞行定、故是以法乃麻爾麻退給御命衆諸聞食宣、復詔此事仁毛在、唯言其理、面幣利毛之天己事納用与止在、是天地与利無、然此諸聖等天神地祇現給悟給爾己曽、誰奏給猶人等毛心中悪在人必天地現示給都留、是以人人己奉侍御命衆諸聞食宣、復此事清麻呂等相謀家牟人在止方所知止毛天下行給物伊麻世波奈毛免給、然行事重在乎波乃麻爾麻収給、如是状悟清麻呂等之天一二相謀家牟人等心改在心奉侍御命衆諸聞食宣、復清麻呂等奉侍所念天己曽治給天之可、今穢奴止之弖退給奈毛幣利之別部成給穢麻呂法均広虫売還給御命衆諸聞食宣、復明基広虫売止毛所知弖奈毛取給退給御命衆諸聞食宣、始大宰主神習宜阿曽麻呂希旨、-事道八幡神言、道教天下太平、道鏡聞之、深喜自負、天皇清麻呂於床勅曰、昨夜夢、八幡神使来云、大神事、尼法宜汝清麻呂相代而往発、道鏡清麻曰、大神-使者、蓋為我即位之因重募清麻呂行大神託宣曰、我国家開闢以来、君臣定矣、以君、也、天之日嗣必無道之人、早掃清麻呂来帰、奏道鏡大怒、清麻呂本因幡員外尋有詔、除名於大其姉法均還俗於備

『続日本紀』宝亀元年8月庚寅朔条(770)

参議従四位下外衛大将兼越前守藤原朝臣継縄、左京少進正六位上大中臣朝臣宿奈麻幣帛及赤毛馬二疋於伊勢太神若狭国目従七位下伊勢朝臣諸人、内舎人大初位下佐伯宿禰鹿毛馬於若狭彦神、八幡神宮、各一

『続日本紀』宝亀3年4月丁巳(7日)条(772)

下野国言、造薬師寺別当道鏡死、道鏡、俗姓弓削連、河内人也、略聞、由内道宝字五年、従廃帝常以為言、相中天皇乃平城別而居焉、宝字八年大師恵美仲麻呂謀反伏誅、太政大臣禅居頃之、崇輿衣服飲食一政之巨細莫決、其弟浄人、八年中従二位大納一門五位者男女十人、時大宰主神習宜阿曽麻呂詐八幡神-耀道々々信之、-覦神高野天皇于宮車晏威福御葬礼畢、奉先帝寵、法、造下野国薬師寺別-之、

『類聚国史』5 神祇5八幡大神 延暦13年3月戊寅(5日)条(794)

少僧都伝灯大法師位等定等於豊前国八幡、筑前国宗形、肥後国阿蘇三神読経、

『新抄格勅符抄』10 神事諸家封戸 延暦17年12月21日官符(798)

太政官符 太宰府
一応八幡大菩薩封一千四百戸位田百卌町事
去天平勝宝七歳三月廿八日下符偁、偁、豊前国司解偁、宇佐郡司解偁、部下百姓津守比刀申云、八幡大神宣、吾不用、徒如於山封戸朝庭返奉、常所神田之乃美者、府遣使覆勘毎実、仍具申送者、官判其封戸調庸及位田、暫造神宮寺者、自今以後、宜
延暦十七年十二月廿一日

『日本後紀』延暦18年2月乙未(21日)条(799)

贈正三位行民部卿兼造宮大夫美作備前国造和気朝臣清麻呂薨、本姓磐梨別公、右京人也、後姓藤野和気真清麻呂為高直、匪躬之節、姉広高野天右兵衛少神護初従五位近衛将封五十姉広虫-嫁従五位下葛木宿禰戸既而天皇落飾、随出家御弟法名法均、進守大夫尼四位封并位禄位宝字八年大保恵美忍勝叛逆伏誅、連及当者三百七十五人、法均切諌、天皇納之、乱止之後、民子草八十三葛木此時僧道鏡幸於天出入警蹕、一輿大宰主神習宜阿蘇麻呂-事道八幡神言、道鏡天下太平、道鏡聞之、情喜自負、天皇清麻呂於牀曰、夢有来、八幡神使云、為尼法朕答曰、法均軟弱、難其代清麻早参道鏡復清麻大臣之路真人豊永道鏡之清麻云、道鏡若何面二三今日之伯耳、清麻呂深致命之託宣云々、清麻呂祈曰、今大神教、是国家之大事也、託宣難信、即忽然現形、其長三丈許、色清麻呂消度、託宣、我国家君臣分定、而道鏡悖逆無道、輙是以神霊震怒、不汝帰之、天之日嗣必汝勿道鏡之吾必相済、清麻呂帰来、奏天皇不誅、因幡員外別部穢麻于大隅尼法均還俗、別部狭于備後道鏡又追将清麻呂於雷雨晦暝、未行、俄而勅使来僅得免、于時参議右大弁藤原朝臣百川其忠便備後国封郷廿-充於配宝亀元年聖帝践祚、有京、姓和気朝本位姉広虫又従四位正四位帝従容勅曰、諸侍従臣、毀誉紛紜、法均友于天至、姉弟同財、孔懐之義、見延暦十七年正月十九日薨、約期云、諸七及服闋之日、勿二三行耳、後世子孫、吾二天長二年、天皇-思旧正三位之告弟清麻呂脚痿不八幡輿路、豊前国宇佐郡楉田野猪三百而列、徐歩前駈十許里、-入山見人共異之、之日、始託宣神封綿八万余-給宮司以下国中百始駕輿而往、後馳而還、累路見人、莫清麻呂之先出垂仁天皇々子鐸石別三世孫弟彦王、神功皇凱旋、明年忍熊別皇子皇后弟彦針間吉備堺之、藤原因家焉、今分美作備前両也、高祖父佐波良、曽祖父波伎豆、祖宿奈、父乎麻呂、墳墓者、拱樹成林、清麻呂被之日、帰来上疏陳状、詔佐波良等四人并清麻美作備前両国々天応元年従四位民部大摂津大中宮大夫民部従三延暦十七年上表優詔不許、功田廿其子清麻呂於庶民部省例廿伝焉、中宮和氏之、帝甚善之、長岡新都、功、費不清麻呂潜奏、葛野清麻呂摂津大河内西巨多、功遂不成、私墾田一百町備前振給郷民恵之、薨時正三年六十七、六男三長子広世、起文章延暦四年坐少判従五位式部少便大学別墾田廿町入勧学-闡明経四科之又大学-論陰陽書新撰薬経大素大学南辺弘文内外経書数千墾田卌町永焉、

『新抄格勅符抄』10 神事諸家封戸 延暦18年11月5日官符(799)

太政官符 太宰府
八幡大菩薩宮并比咩神封一千四百一十戸
偁、民部省符所封戸、其数如件、而太政官去年十二月廿一日符偁、件封一千四百戸、宜者、未省符所十戸若者、今十戸之封、於官
一比咩神封六百一十戸、同前一千四百十戸之内、
右同前解偁、豊前国司解偁、神宮司申云、前件封物、大艹艹春秋祭料者、所実、者、右大臣宣、奉勅、府官検校-充祭雑物便仍即府官宮司相共出納、
延暦十八年十一月五日

『日本後紀』延暦23年6月丙辰(13日)条(804)

制、常陸国鹿島神社、越前国気比神社、能登国気多神社、豊前国八幡神社等宮司、人自今以後、神祇官氏中堪擬補申官、

『新抄格勅符抄』10 神事諸家封戸 大同元年牒 神封部 大宰神封(806)

八幡神 一千六百六十戸 二千四百卅
田百卌六町九段二百卌四歩 神田六町九段二百卌四歩、位田百卌町、
一品八幡大神 封八百戸 四百廿三百八十 位田八十町 五十
二品比咩神 六百戸 位田六十町

『類聚三代格』1 神封物并租地子事 大同3年7月16日官符(808)

太政官符
国司-八幡大菩薩宮
太宰府偁、太政官去延暦十八年十一月五日符偁、府解偁、太政官去年十二月廿一日符偁、大菩薩并比咩神封一千四百十戸、宜者、豊前国解偁、神宮司申云、比咩神封六百十戸之物大菩薩春秋祭料無者、所実、者、右大臣宣、奉 勅、府官検校-充祭雑物便仍即府官宮司相共出者、府相共出納、而道路稍遠有使、加以神宮当国等司相共-掌出望請、但年終用状勘録令申、 官者、右大臣宣、奉 請、
大同三年七月十六日

『日本後紀』大同4年閏2月丁酉(21日)条(809)

制、越前国気比神、豊前国八幡大菩薩宮司等、遷替之日、国司与解

『日本後紀』弘仁元年12月壬午(16日)条(810)

参議正四位下巨勢朝臣野幣帛於八幡大神宮樫日静乱之

『類聚国史』19 神祇19神宮司 弘仁12年8月戊寅(15日)条(821)

大神宇佐二八幡大菩薩

『東大寺要録』4 諸院章 弘仁12年8月15日官符(821)

太□□符 太宰府
応令大神宇佐二氏□八幡大菩薩宮□事
大宰府偁、府去弘仁六年十二月十日解偁、神主正八位下大神朝臣清磨等解偁、件大艹艹是亦太上天皇御霊也、即磯機島金刺宮御宇天国排開広庭天皇御世、豊前国宇佐郡馬城始現坐也、爾時大神朝臣比義、歳次戊鷹居瀬而即奉孫夕更改-建菱形小掠山天平三年-顕神諸男之子田麿相承為祝、天平十二年、大軍-遣勅使封廿戸兼神宝及造寺度天平十八年、天皇不予祷祈有験、封四百戸度僧五十口水田廿町、為東大寺盧舎那仏使神、即詫宣、-率神又為使於大即詫宣、所黄金将使爰陸奥国百廿大神於京之日、禰宜大神朝臣社女、祝神主大神朝臣田麿等、乗東大告、是日社女従四位下、田麿外五位賞翫賜有差、中間正六位上辛島勝従七位下宇佐公池守神宮宝亀二年、和気朝臣清麿豊前此時大神詫宣、麿吾宮仍申官、即田麿大宮池守少宮天応之初、-量神護国霊験威力神通大艹延暦二年五月四日詫宣、無量劫中、-生三便-済衆名是大自在王艹艹、宜号、護国霊験威力神通大自在王艹者、如之験不大政官去延暦四年六月十六日大神朝臣種々麿大宮大神朝臣雄黒麿然則大神朝臣田麿時始置祝神主補大小宮□、是田麿之族祝神主大宮也、宇佐公池守之胤少宮相承、黒□~□其祖考之労所被〃且也、而比年他□-任此望請具□~□依者府加□~□所実、 官者、□~□年未加以-検古之時、神宮寺家置是牢固修理猶勤、而延暦十七年五月二十八日従六位下津島朝臣県守大宮七位下大神朝臣家依少宮相続以爰修理自後頽損過多、怪異之祟触事滋聞、比事管内災害頻発飢饉荐、□官裁者、右大臣宣、奉請、
弘仁十二年八月十五日 格外

『類聚国史』5 神祇5八幡大神 弘仁14年11月甲戌(24日)条(823)

左兵衛督従四位上藤原朝臣綱使、幣帛於八幡大神樫日便大宰府綿三百使、

『類聚国史』179 仏道6諸宗 天長元年9月壬申(27日)条(824)

高雄得度経業正五位下行河内守和気朝臣真綱、従五位下弾正少弼和気朝臣仲世等言、臣聞、父構子終、之大可、之至惟忠惟孝、不者也、昔景雲年中、僧道鏡佞邪之玄扈之法王之窺覦之邪幣於群権譎於佞八幡大神天嗣之傾狼奴之興、神兵尖鋒、鬼戦連年、彼衆我寡、邪強正弱、大神自威之当、仏力之奇使勅、-引臣等故考従三位行民部卿清麻御夢之清麻呂宇佐神大神託宣、夫神好悪不同、善神貪神-隆皇-済国-造一切経及-誦最勝王経万一伽凶逆於一社稷於万清麻呂誓云、国家平定之後、必時不後田原天皇宝亀十一年数天皇感嘆親之間譲位之天応二年亦之柏原先延暦年神願天皇追神願今此寺地勢汚穢、不伏望、-替高雄神護国祚真言仏像一大悲胎蔵及金剛界僧二七-行三密法其僧有闕、補之、又貞操沙弥二七-読守護国界主経及調和風雨成熟五穀経昼夜更代不七年之後一則大神之大二則国家之災者、勅、一代之間毎又備前国水田廿町、賜者、充、者、更自余依請、

『類聚三代格』2 年分度者事 天長元年9月27日官符(824)

太政官符
高雄得度経業
右正五位下行河内守和気朝臣真綱等上表偁、昔景雲年中、僧道鏡辱法王之窺覦之邪幣於群権譎於佞八幡大神天嗣之傾狼奴之興、神兵交鋒、鬼戦連年、彼衆我寡、邪強正弱、大神自威之当、仏力之奇使勅、臣等故考従三位行民部卿清麿御夢之清麿宇佐神大神託宣、夫神好悪不同、善神貪神-隆皇-済国-造一切経及-読最勝王経一万一伽凶逆於一社稷於万清麿誓云、国家平定之後、必-時不宝亀十一年奏此天皇感歎親之間譲位之天応二年亦之柏原先前詔延暦年神願天皇追神願今此寺地勢砂泥不伏望、-替高雄神護国祚真言仏像一大悲胎蔵及金剛界僧二七-行三密法其僧有者、之、貞操沙弥二七-読守護国界主経及調和風雨成熟五穀経昼夜更代不七年之後得度一則大神之大二則国家之災者、右大臣宣、奉 勅、得度一代之間毎自余依請、
天長元年九月廿七日

『宮寺縁事抄』 宇佐4 天長4年9月壬子日宣命(827)

柱下
宇佐
辞別、前よりせは、去閏四月□~□此聞食悦賜ひ天なん□□幣帛□~□捧奉出賜、掛畏大菩薩御□~□安穏万り、天皇常石堅石夜守日守護給矜賜へと美毛□~□申、
天長四年九月 日壬子

『類聚国史』5 神祇5八幡大神 天長6年5月丁酉(19日)条(829)

僧十口-読一切経八幡大菩薩

『類聚三代格』2 年分度者事 天長7年7月11日官符(830)

太政官符
-八幡弥勒寺年分事 三箇条之第二
右別当観音寺講師伝灯大法師位光豊、弥勒寺講師伝灯大法師位光恵等牒偁、大神之威無二、大覚之徳最一、是以 聖朝-立弥勒年分一彼神智行羯磨剃頭請師授而承前宮司不度補、法会之庭法用有闕、転経之日経文訛雑、徒曽住 聖願既闕、神感何有、望請、神山若弥勒三年已六時行心行已定之講師宮司共然後度補者、左近衛大将従三位兼守大納言行民部卿清原真人夏野宣、奉 勅、請、
天長七年七月十一日

『類聚三代格』3 諸国講読師事 天長7年7月11日官符(830)

太政官符
八幡弥勒寺講読師法服布事 三箇条初条也
別当観音寺講師伝灯大法師位光豊、弥勒寺講師伝灯大法師位光慧等偁、件寺元無講読太政官去年二月一日、五月十日両度望請、正月并安居等法服布施、諸国大神者、
以前左近衛大将従三位兼守大納言行民部卿清原真人夏野宣、奉 勅、請、
天長七年七月十一日

『類聚三代格』3 定額寺事 天長7年7月11日官符(830)

太政官符
神封仕八幡弥勒事 三箇条其一也
右別当観音寺講師伝灯大法師位光豊、弥勒寺講師伝灯法師位光慧等牒偁、件寺元来不荊棘満況復風雨猛烈誰以防護、今神封仕丁廿四望請、彼六使者、以前左近衛大将従三位兼守権大納言行民部卿清原真人夏野宣、奉 勅、請、
天長七年七月十一日

『続日本後紀』天長10年4月壬戌(5日)条(833)

従四位下行伊予権守和気朝臣真御剣幣帛於八幡大菩薩宮及香椎新即也、

『続日本後紀』天長10年10月戊申(28日)条(833)

景雲之年八幡大菩薩告、天長年大宰-得一切便-置弥勒今更復令之神護

『続日本後紀』承和4年9月戊辰(8日)条(837)

勅、式部少輔良岑朝臣木連、八幡大神天皇元有祷、今以奉也、

『続日本後紀』承和5年3月戊寅(21日)条(838)

于弥勒堂舎五

『続日本後紀』承和5年3月甲申(27日)条(838)

勅曰、遣唐使頻年却廻、未夫冥霊之道、至信乃応、神明之徳、修善必祐、大宰府監已毎国一人国司講当国他年廿五以上精進持経心行無香襲宮二人、大臣一人、八幡大菩薩宮二人、宗像神社二人、阿蘇神社二人、国分寺及神宮安置供養、使等往還之間、専心行道、令云々、

『続日本後紀』承和8年5月己丑(20日)条(841)

従四位下勘解由長官和気朝臣仲-八幡大神及香椎

『続日本後紀』承和9年7月辛亥(19日)条(842)

頃者炎旱渉旬、秋稼焦枯、諸卜伊勢八幡等大神為祟、神祇伯大中臣朝臣淵祈祷焉、

『文徳天皇実録』嘉祥3年8月戊辰(23日)条(850)

散位従五位下高原豊前筑前両宝剣明鏡名香綵帛八幡宮及香椎

『文徳天皇実録』仁寿元年10月己酉(11日)条(851)

大蔵少輔従五位下藤原朝臣良香椎八幡大菩薩

『園城寺文書』 仁寿2年11月15日肥前国講師某解案(852)

奉読
法華経三百八十四巻、毎日一巻
金剛般若経三百八十四巻、毎日一巻
金剛寿命経一千九百二十巻、毎日五巻
不動尊真言十一□七千遍、毎日三百遍
延命真言十一万七千遍、毎日三百遍
右、十禅師円珍、始仁寿二年正月一于帰朝之-為聖八幡明沙弥二-住城山四王-修件今年料、筑前国権介紀朝臣愛宕麻言上如件、
仁寿二年十一月十五日  勾当肥前国講師伝燈住位僧

『園城寺文書』 仁寿2年12月14日僧円珍書状案(852)

法花経一巻、法為八幡大神、因亦始、
不動呪千遍、三百三百春宮中宮、右大臣殿、三百中納言殿一百内蔵大
金剛経二巻、一巻一巻中将殿
寿命経十巻、半半如上、
延命呪一千遍、三百三百中納四百-為宮中宮、右大臣殿二百内蔵大
仁寿二年十二月十四日  記上
修和上 法院

『文徳天皇実録』仁寿3年5月壬寅(13日)条(853)

大宰観音弥勒両寺、并四王院、香椎廟、管内国分大般若

『文徳天皇実録』斉衡2年9月壬子(6日)条(855)

少納言従五位下利見八幡大菩薩策命曰、天皇詔旨、掛畏八幡大菩薩広前牟毛申給倍止、東大寺盧舎那仏、佐保天皇御世大菩薩知識倍利、而時代久経爾天、自然毀損礼天、去五月廿三日、頽落給爾太利、今本志奴倍支爾無止須、今、亦大菩薩相助護賜牟爾、仏、天下平安介久倍支、故是以少納言従五位下利見王使、宇豆太幣帛奉出須止、恐牟毛申賜久止申、別、大宰府申、前与利波世、去閏四月奴止、此聞食、悦賜比天奈毛悦、太幣帛、掛畏大菩薩、如安隠万利、天皇常磐堅磐、夜守日守利爾、護給矜賜倍止、恐牟毛申賜久止申、

『文徳天皇実録』斉衡2年9月甲戌(28日)条(855)

修理東大寺大仏司検校伝灯修行賢大法師位真如、大納言正三位兼行右近衛大将藤原朝臣良相等奏言、謹案、去天平勝宝四年勅書偁、朕菩薩大盧舎那法界知天下之者朕也、天下之者朕也、此富彼尊事也易成、心也難至、恐徒有労、人預諸知識者、至誠各人招福、毎日-拝盧舎那自当-念各盧舎那仏如更有人、一枝花一合者、勿障、者、即知先皇本願、一切人善知其福於一而今件大仏、已修理所須、説、-厳仏-理旧功徳、於新而独以充給、恐弘済之本望請天下人、不一文銭一合力多又一切神祇、不功徳勝者蓋寡矣、故先皇始八幡大善知其冥彼大若諸神祇、望件功者、其所-送料然則先皇大願、始終不違、人神福利、古今如一、勅許之、是、郡国米及軽齎便

『文徳天皇実録』天安元年10月癸巳(29日)条(857)

冷然院南大庭大祓、奉幣八幡大菩薩宮使進也、
 

『日本三代実録』貞観元年2月30日丙辰条(859)

-祓於建礼門明日奉幣八幡大菩薩使也、

『日本三代実録』貞観元年3月丁巳朔条(859)

散位従五位下和気朝臣巨豊前国八幡大菩薩幣帛財宝神馬即位之也、

『日本三代実録』貞観3年正月21日丙申条(861)

詔山城、河内、和泉、摂津及七道諸国近来東大寺大毘盧遮那仏像、功夫既成、仍来三月十四日無遮之大荘厳之妙十一廿-断殺于会国分二-集部内僧其料物便其大宰府観音之、導師具会集僧尼、倶-讃盧舎那仏乃至無知小民教我寺知識所毘盧舎那、今日至心応我亦運心、専念同就、広但先帝-拠本願天皇之弘八幡大菩主、天下名神及万民知識此事遂成、始終雖殊、徳業惟一、然則使八幡大菩薩別諸余名神々力自本願天皇及先帝御霊、乃至開闢以来登遐聖霊、同表裏夷晏、風雨順時、年穀豊稔、以基、焉、

『日本三代実録』貞観3年3月14日戊子条(861)

東大無遮大-養毘盧舎那大二品治部卿賀陽親王、三品中務卿諱光孝天皇親王、四品弾正尹本康親王、正三位行中納言兼民部卿皇太后宮大夫伴宿禰善男、従四位下行右中弁藤原朝臣冬緒、左京大夫従四位下在原朝臣行平、従五位下守左衛門権佐紀朝臣春枝、散位外従五位下布瑠宿禰清貞、外従五位下行左大史三善宿禰清江、少外記正七位下御室朝臣安常相率向寺、-修会此是仏像、感神聖武皇帝天平十五年創造、文徳天皇斉衡二年、頭傾頚断、頓年来修理、鎔鋳復旧、是日、即便開眼仏師入籠、轆轤引上、乃凡其荘厳之儀不殿廊之柱衣壇場之上其朱七宝-栽庭-飾幡-批香麗、人目-覧梵処々荘飾、観者不厭而抛衲衣宿徳、振眉、威儀具足、-噎堂大唐、高麗、林邑等之楽、鼓鐘肆陣、糸竹方羅、先内舎人端貌者廿人次近衛壮歯者廿人東舞、後梵唄接響、衆楽逓奏、大仏殿第一層上-構棚天人天女、彩衣霓裳、音伎聒空、南北両京、貴賎士女、充陌、肩、人不顧、是、従四位下行文章博士兼播磨権守菅原朝臣是呪願曰、粤若天国押開広庭天皇十三年壬申、仏像西還眷、釈教東来、于感神聖武皇帝天平十五年癸毘盧舎那大二百有余載、金姿誕耀、-輝百億之玉相宏開、-動三千之一草一壌、而争先、一日三拝、以競進、人神感慶、光跌已成、兜率之下須弥之高開眼車駕親臨、旌旗払天、鐘皷震地、四夷間奏、万楽更陳、自斯而後、一百余祀、先皇斉衡二年乙亥秋九月、寂滅之為諸法之必千株之扶一時之傾霊顔頓落、満月之西宝髻倶投、遊雲之真容特峙、儼若思惟、玉座無驚、宛然禅定、先皇大鈎無事、神器有帰、尭曦倶懸、軒車同転、刑罰措而不用、功徳因以同施、諸仏之衆庶之以為神力不於大四禅不於三勾海将留、魔風可返、即傍公輸班之雲張平子之参周官揆日之荊容成風之則道龍王水府之星客天国之紅粟朽廩、而有贏、青鳧委貫、尽、一切偕心、衆生共助、一粒攸捨、金剛之珍半銭所施、銅山之陶神霊致感、知識之外道帰心、恭敬之何况施身童子、忍辱仙人、天女持花、山神献菓、三槐九棘、而従帰、桂殿椒房、以靡惜、無量無尽、荷担争馳、自西東、車馬競至、遂使銀縄運転、飛頭於虚璧相全還、円面於宝殿漢帝之日再秦王之鏡更星豪一点、而宵光、花簪四照、以暁発、前仏後仏、非前身後身、是一如去如来、不生不滅、豈此之謂哉、若使陰陽為炭、万物銅、-量功豈如哉、鼎湖龍去、梧岫雲藻繢有遺、供養未畢、爰今上垂化、功、而無為、以有截良図之竟、善業之成、-先百此、貞観三年歳次辛巳春三月十四日、青蓮湛目、而高臨、赭菓涵脣、以密咲、三十二相、煥八十四儀、巍即便-厳金光護国之香-弁天平勝宝之旧層甍四注、奔電於彫複屋三休、浮烟於繍瓊廡清英之地、鶖鷺成行、琪樹恢廊之庭、鵷鸞致態、飛箏列鐸、上妙之奇調清唄梵鐘、中天之異初虹曳綵、瑞鳳翻金、香煙花雨、三世仏之虚玉饌瓊漿、十方僧之現天籟地籟、参差万殊、南音北音、鏗鏘九変、宝螺獣吼、法皷雷鳴、蕩邪、鬼、激楚陽河之曲、俳優狄鞮之偶、莫風雲者矣、於閭閻霧撲、士女雲趍、車不旋、人不顧、而遊目、翠簾啓窓、而翕肩、紅袖成帳、夫含焉能動而行之、-修百億覆護三誰敢静而当之、然則金鍾四海之能潅頂者曰師、玉斗七耀之独臨胸者称聖、-済神威怒之慈善之斯功感神之山此勝田邑之霊遍周法界之願行円満之茲景福而斉儀、而比寿、愕夢無甘寝有璇璣不廃、玉燭恒照、九土開謳、千廂発詠、太皇大后、中宮、摩耶之徳、而無銷、章徳之規、以等、又親王諸王、相府卿門、而無移、以不動、百僚之臣、千城之宰、比屋流祥、闔門契福、十方之三界之曰、
蓮華法蔵、荘厳世界、祇園重閣、開演勝義、 十重法身、遍周法界、不可思議、盧舎那仏、 感宝天皇、敬造金容、天人合応、祥符顕彰、 一切弘誓、万方捨財、塊壌盈握、枝葉捧手、 銑鎔已畢、藻飾具成、光焔槩天、跏跌連地、 楡芒暁点、桂影宵臨、神宮不夜、寰宇長秋、 一日三拝、千年六時、霜鐘遠響、風鐸長鳴、 至誠欽仰、精進供養、香花無数、伎楽自在、 爰及斉衡、円首忽頽、叡情悲感、黎庶栖遑、 因循旧迹、補綴先儀、功未具足、先帝昇遐、 聖皇継体、文思欽明、垂拱無為、優遊有道、 股肱寧済、補相粛雍、赤県同文、蒼甿胥悦、 貞観三年、歳次辛巳、暮春之月、十四日晨、 荘厳洽尽、頭顱端正、慧眼重開、霊豪更照、 乃勅境内、禁断屠漁、預勧会衆、受十善戒、 請三世仏、供養上饌、屈十方僧、布施妙財、 虹幡製綵、雲幢揚光、鼉鼓群鳴、鳳簫倶叫、 琴瑟克諧、金石殊調、似夢鈞天、疑生浄土、 天神帰依、地霊来集、覩者如堵、来者如雲、 都雄野老、雁行連袖、趙美燕余、魚貫継履、 如是景祐、先資七廟、滌想三明、恬神八解、 感神天皇、遠慮斯基、早叶宿誠、当成今仏、 田邑聖霊、深図始啓、速遊六天、遂登十地、 両皇大后、母儀堅固、中宮淑徳、霧露無侵、 方今聖朝、宝祚延長、恒沙入寿、刧石添身、 風調舜暦、雨浹尭旬、万民康楽、四境恬静、 天官冡宰、全保金剛、袞職名臣、永断災難、 文武百官、霑斯法味、牧守千里、沐此良縁、 梵釈四王、龍神八部、増光日月、倍勢風雷、 八幡菩薩殊資妙因、依善知識、成菩提果、 部類神祇、或幽或顕、倶乗梵筏、早脱煆宅、 山林聚落、河海諸神、扶持白業、愛護黄図、 三千法界、十二因縁、共出煩昬、同遊覚照、

『日本三代実録』貞観7年2月14日丙寅条(865)

従五位下行木工権助和気朝臣彜-幣於豊前国八幡大菩告文云、天皇詔旨坐、掛畏八幡大菩薩大前申賜倍止大菩薩護賜、天下無事、去年与利、天変地災今月万天爾止、加以、肥後国阿蘇郡神霊池無沸溢太利、乍卜求礼波、兵疫事可、自之外爾毛、物怪亦多、依、左右念行、掛畏大菩薩護賜牟爾、無思食、去正月使、大幣奉出無止志岐、然、奉出古止奈利爾岐、今吉日良辰択定、木工権助従五位下和気朝臣彜範使、礼代大幣奉出、此状聞食、天下平介久、群臣忠心、上下有、兵疫不之天、宝祚無護賜、常磐堅磐矜幸倍止、恐美毛申賜波久止申、

『日本三代実録』貞観9年12月19日甲申条(867)

故律師静安弟子東大寺僧伝灯法師位賢護申牒言、承和年中、静安奏始仏名懴悔之便賢護聊一万三千仏像八舗、高一丈八尺、広一丈四請一舗-納豊前国八幡大菩薩七舗-置北陸道諸太政官処分、依請、

『日本三代実録』貞観12年2月15日丁酉条(870)

従五位下行主殿権助大中臣朝臣国-八幡大菩薩宮、及香椎廟、宗像大神、甘南備告文曰、天皇詔旨坐、掛畏八幡大菩薩広前申賜倍止、去年六月以来、大宰府度々言上多良久、新羅賊船二艘、筑前国那珂郡荒津到来、豊前国貢調船絹綿掠奪逃退太利、又庁楼兵庫等上大鳥之卜求、隣国兵革之事可卜申、又肥後国地震風水災在、舎宅悉仆顛、人民多流亡多利、如之災古来未故老等言上多利、然間陸奥国又異奈留地震之災言上太利、自余国々又頗言上多利、伝聞、彼新羅人、我日本朝世時与利相敵多利、而今-来境-取調懼憚之其意、兵寇之萌自而生、我朝久多利、兵乱之事尤然我日本朝、所謂神明之国奈利、神明之助護賜、何兵寇、况掛大菩薩、我朝顕祖御座、食国天下護賜助賜、然則他国異類倍岐、何聞食驚賜拒却波須、故是以従五位下行主殿権助大中臣朝臣国雄使奉出、此状聞食、仮令時世禍乱止之天、上件寇賊之事在倍岐那利止毛、掛畏大菩薩、国内諸神多知乎唱導比天之前沮拒排却賜、若賊謀已熟兵船必来倍久、境内入賜須之天逐還漂没比天、我朝神国畏憚礼留故実多之布奈、自之外仮令止之天、夷俘逆謀叛乱之事、中国盗兵賊難之事、又水旱風雨之事、疫癘飢饉之事万天爾、国家大禍、百姓深憂良牟乎波、皆悉未然之外払却銷滅、天下、国内平安鎮護救助賜、皇御孫命御体常磐堅磐天地日夜守昼守護幸矜奉給倍止、恐美毛申賜久止申、又曰、天皇詔旨坐、掛畏香椎廟広前申賜倍止、去年六月以来、大宰府度々言上多良久、新羅賊船二艘、筑前国那珂郡荒津到来、豊前国貢調船絹綿掠奪逃退多利、又庁楼兵庫等上大鳥之卜求、隣国兵革之事可卜申利、又肥後国地震風水災在、舎宅悉仆顛、人民多流亡多利、如之災古来未故老等言上多利、然間陸奥国又異那留地震之災言上多利、自余国々又頗言上多利、伝聞、彼新羅人、我日本朝、久世時与利相敵多利、而今-来境-取調利天懼沮之其意兵寇之萌自而生、我朝久、専多利、兵乱之事尤然我日本朝所謂神明之国奈利、神明之助護、何兵寇、况亦彼新羅人相敵礼利介留、掛畏御廟威徳降伏訖賜、若干代時歴来太利、而今如狎侮気色露出事、最是御廟聞驚怒恚倍岐奈利、故是以、従五位下行主殿権助大中臣朝臣国雄使、礼代太幣帛奉出、此状気久聞食、仮令時世禍乱止之天、上件寇賊之事在倍岐奈利止毛、掛畏御廟、国内諸神太知乎唱導比天之前沮拒排却賜、若賊謀已熟、兵船必来倍久、境内入賜須之天、逐還漂没比天、我朝神国畏憚礼留故実多之布奈、自之外仮令止之天、夷俘逆謀叛乱之事、中国盗兵賊難之事、又水旱風雨之事、疫癘飢饉之事万天爾、国家大禍、百姓深憂止之良牟乎波、皆悉未然之外払却鎖滅、天下、国内平安鎮護救助賜、天皇朝廷宝位無、常磐堅磐夜守昼守護幸矜奉給倍止、恐美毛申賜波久止申、又曰、天皇詔旨、掛畏宗像大神広前申賜倍止申、去年六月以来、大宰府度々言上多良久、新羅賊船二艘、筑前国那珂郡荒津到来、豊前国貢調船絹綿掠奪逃退太利、又庁楼兵庫等上大鳥之卜求、隣国兵革之事可卜申、又肥後国地震風水之災在、舎宅悉仆顛、人民多流亡多利、如之災古来未、古老等言上多利、然間、陸奥国又異那留地震之災言上多利、自余国々、又頗言上多利、伝聞、彼新羅人、我日本朝世時与利相敵多利、而今-来境-取調利天懼沮之其意兵寇之萌自而生、我朝久、専多利、兵乱之事尤然我日本朝所謂神明之国那利、神明助護、何兵寇、亦我皇太神大帯日姫、彼新羅人降伏賜時、相共加、我朝救賜守賜奈利、而今如狎侮気色露出事乎波、最是皇太神聞驚怒恚倍岐奈利、故是以、従五位下行主殿権助大中臣朝臣国雄使、礼代大幣帛奉出給、此状介久聞食、仮令時世禍乱止之天、上件寇賊之事在倍岐奈利止毛、掛畏皇大神、国内諸神太知遠唱導比天之前沮拒排却賜、若賊謀已熟、兵船必来倍久、境内入賜波須之天、逐還漂没比天、我朝神国良礼礼留故実多之失賜布奈、自之外仮令止之天、夷俘逆謀叛乱之事、中国盗兵賊難之事、又水旱風雨之事、疫癘飢饉之事万天爾国家大禍、百姓深憂止之良牟遠波、皆悉未然之外払却銷滅、天下国内平安鎮護救助賜、天皇朝廷宝位無動、常磐堅磐夜守昼守護幸矜奉給倍止、恐美毛申賜波久止申、又曰、天皇詔旨甘南備神広前申賜倍止、去年六月以来、大宰府度々言上多良久、新羅賊船二艘、筑前国那珂郡荒津到来、豊前国貢調船絹綿掠奪逃退多利、又庁楼兵庫等上、依大鳥之卜求、隣国兵革之事可卜申利止言上多利、件事保之可比憂歎御坐、又言上多良久、新羅寇賊調、我朝之地掠侵須止、皇神託宣在、又牟止太万布止言上多利、依、従五位下御位記礼代幣帛奉出給、今国家慇懃助守坐、如災難倍岐乎波、未然警悟排鎮坐、弥高弥広栄飾崇奉牟止申給天皇詔旨申、又使於諸山新羅寇参議正四位下行皇太后宮大夫藤原朝臣良世、従五位上行下野権守紀朝臣有常深草山参議正四位下行右衛門督兼讃岐権守源朝臣生、右兵庫頭従五位下久賀朝臣三常田邑山参議正四位下行右兵衛督源朝臣勤、侍従従五位下藤原朝臣高範楯列山告文八幡大菩薩

『日本三代実録』貞観16年閏4月25日癸未条(874)

六十僧於紫宸殿以三-読大般若是日、金字仁王経七十一云々五畿七-置一下野国薬師寺、大宰府観音寺、豊前国弥勒寺、別各一

『日本三代実録』貞観17年3月28日辛亥条(875)

伝灯大法師位安宗於大宰弥勒-置一切経三千四百卅二巻、大乗経二千二百十四巻、大乗律五十巻、小乗律五百卌巻、録外経百六十七是、故太政大臣藤原朝臣欲垂拱而無為而-八幡大菩豊前一切故伝灯大法師位行教-校其繕写功成、始安宗、相共供養安置焉、

『類聚三代格』1 神宮司神主禰宜事 貞観18年8月13日官符(876)

太政官符
石清水山八幡宮神事 山城国久世
従八位上紀朝臣御豊
護国寺偁、去貞観二年故伝灯大法師位行教-為国特以懇誠、-大菩此山以降、道俗男女集会祈祝非件御豊権-奉祭望請、宇佐-置件者、右大臣宣、奉 請、
貞観十八年八月十三日

『日本三代実録』貞観18年8月13日丁巳条(876)

石清水八幡護国寺申牒偁、故伝灯大法師位行教、去貞観二年-為国-大菩望請宇佐従八位上紀朝臣御之、勅従之、

『日本三代実録』元慶元年2月21日癸亥条(877)

従五位下行主殿権助在原朝臣友豊前国八幡大菩薩宮、香椎幣剣等天皇即

『日本三代実録』元慶2年3月5日辛丑条(878)

詔、大宰府豊前国規矩郡彼郡徭夫百採銅客作先潔清斎戒、-八幡大菩薩

『日本三代実録』元慶2年12月24日乙酉条(878)

民部少輔従五位下兼行伊勢権介平朝臣季大宰-幣橿日、八幡及姫神、住吉、宗形等大其橿日、八幡、姫神、別綾羅御衣各一襲、金銀装宝剣各彼府託宣云、新羅凶賊、欲并肥後国大鳥河水変等之也、

『日本三代実録』元慶3年3月16日丙午条(879)

豊前国八幡大菩薩宮前殿東一神功皇后御前瓶、無破裂、九十破裂之時、其鳴犢細又肥後国菊池郡城院兵庫戸自鳴、

『日本三代実録』元慶8年4月25日乙卯条(884)

従四位下行山城守和気朝臣彜大宰宇佐八幡大菩薩幣帛綾錦等天皇践也、
 

『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)

-遣大神宝使

『宮寺縁事抄』 宇佐部 寛平元年12月26日八幡大菩薩宮行事例(889)

八幡大菩薩宮行事例
合四十九箇条
大少宮司大神宇佐二氏正胤銓
右、太政官宝亀四年大神託宣并同八年七月廿九日府(符)偁、右大臣宣、奉勅、豊前国宇佐八幡比咩神社顔(預)例、又大神朝臣比岐氏、永社大宮司禰宜門宇佐公池守少宮司副門同姓之大神宇官民敢不令(合)上下之太政官去四月廿三日符并貞観十年九月十四日偁、諸国行専氏人并神-補課之政大納言正三位藤原朝臣氏宗偁、是氏人并神戸、先八位已上六十已上堪元(者)無人、勘定其氏言上、永監(濫)先(者)、而雖(因)擬補解文頻右大臣宣、奉勅、更仰早-先(者)、宜承知、依施行先(者)、若雖競望之大神正擬補言上、乱勿之、
大宮寺(司)遷宮大事且著(糸の右に貳)(貸)-与位
右、大菩薩宮於余必可也、若言上間、行程遙遠、忽雖先符且令緋、亦追言上之、
宮政禰宜忌子-縫御
右、-縫御之旨、符(府)府(符)御供之莫旨穢徒之、
一応-止正胤之外-任宮
右、某(其)子細具
大少宮司全(令)-易御服
右、件御服売買之間、為神物賢慎言、
先例件
記本尽第三条、
南細殿
儛人次-入内院御
一応儛人禄
右、-置当為長先前次第受捧、参-入儛庭-給宮司之等座南廊
一応二季祭及諸神熊(態)日、賜会集国司禄各(下欠?)
右、守介掾目之外、不郎等雑仕代
一応御杖人四十人書生廿人鎰取二人(事脱)
右、宮帳立用御杖四人書生六人也、而事繁劇処定増加、但鎰取如旧、又須御杖人四十人之中、情操可申、容儀可者十人已-入同御杖人書而不
国司宮司共-造年中用度年終
右、大同三年七月十六日格并
鎖子御諸臨事開
右、匙宮司行之、但奉幣者、唯南中門及西脇其市(事?)
東西垣外少(小)宿
右、宿直人夜中三四度諸垣合(令?)凡人-宿内
宮及寺人火天火以守
右、人火者可埴(慎)人事之過失、天火者可埴(慎)行政不法、
一応奉幣之時、御杖人雑宮人等、之間、不背負殿南向岸事、
右、各-奪幣如在之
勅使及府国司等参来者、南中於前細殿
勅使府国司参輙開
右、宮司神主祝禰宜忌子臨時有市(事?)、及御杖人就掃除参入者、莫西脇
-非宮司神主祝忌子御杖人宮之外、不-入内事、
-入内人、高声諠
-咲戯
-入四至内
諸節殿
右、若殿者、禰宜忌子退、禰宜忌子随殿上、勅使府国司参来、及諸人日者、只扇(扉)
禰宜忌之外-入御殿
右、雖禰宜忌諸節会祭日及臨時献須、
一応児女-入宮
右、-入内其人有限、諸節日、張湿於内院児女観之、自以後有如(此脱?)者、宮司大禊、
(一脱)府国司等二季并諸節之日、随身統領選士郎等、-入院
御杖(人脱?)-掃内外
一応諸節会及臨時奉幣帛女(令?)立雁(甕?)開瓺、旧、
右、不宮人等赴奪等
僧侶若有者、之事
嗷々闘者、
放生会日府国司等宿処、郡司并事、
宮司等能修理破
弥勒寺僧毎月六時行道
真僧四十口永之事、具見府符、
御宮及寺四方随近山野不
右、六斎日寺于此宮及他、六斎二里一切禁之、
一応国司与宮司礼法事
右、国宰-者、六位宮司者郎等宮司(宮司郎等?)者立、五位宮司者不互追之、
宮司著座、不勅使并府国皆対事、
一応宮司禰宜忌子装束事
右、宣旨文偁、官長宮司-准蔵人五位六皆免也、
一応府国牒移事
右、府者可牒、国者可移、国者返牒、
一応宮検非違使-糺諸国宮人
右、神所検非違使令-糺於盗国、検非違使追捕、若使者、事国郡宮司召是非状国郡司輙神人召
豊前豊後日向国封宮返
右、三所大菩薩御封千四百卅余戸也、而天平勝宝七年二月十五日託八百造宮造寺遣(遺)封六百余戸也、追年三箇国司入封、宮返-会公其来已久、若不国司者神事永之、
宮司-知弥勒寺御願并僧徒不信不
右、僧心不信、宮司常若不擯出之、
一応-諸封内武芸
右、内外封者潔斎之地、専不武芸之其由官符下知先畢、而国司宮司等矯飾不遂令上毛郡多布郷封民田部永澄之以後、雖年来住-退他盗犯殺潔斎之郷努力勿之、
一応-止諸封并宮寺堺地-入府国使
右、-請堺之日、是宮寺使之外、為-入公私使也、而如聞者、-巻公之後、或称公験之外田-徴国之由云々、是専公験之本以後-止封郷并堺地出入使-行公之、
先大菩薩御領治田并桑
右、御託宣偁、諸国二種祖(租)田、地子田、皆而公家彼田内并民我私千四百余戸其外国々上下浪人土人等以已貯治田開田等進之、自然数百町之田少所物多、仍為八百戸-奉公遣(遣)今六百余戸封并国々彼(被?)開治田等又府検社領物未来喧(口の右に花)之-跡於神者、自領物之妨者、託宣之旨尤以後先宮又本公田之外、治田悉不輸祖偏一(可)国郡方附
一応-止諸国諸郡宮人強臨時雑
右、大菩薩宮於余仍不諸宮任宮(官?)者、是為也、-済官之外、皆悉-除新
一応諸封郷作
右、封内之作田、国使然而追年国宰宮返-備公者、-知封田作否并損之由、若由之者、国宰憤(擯)之、令宮返検田使用、清浄廉(直脱?)之官使相共令之、右宮人等門々間若殴戦者、随上中下之、
一祓料物廿七種、上祓
大刀一口、弓一張、矢一具、刀子三枝、木綿三斤、庸布三端、鍬三口、鹿皮三枚、酒三斗、米三斗、稲三束、鰒三斤、雑腊三斤、塩三升、滑海藻三升、食薦三枚、薦三領、坏四口、盤四口、柏十把、枚手卌枚料、匏二柄、楉二枝、長各一丈、廗一領、
一中祓料物廿二(一)種、
刀子二枝、木綿二斤、庸布二端、鍬二口、鹿皮二枚、酒二斗、米二斗、稲二束、鰒二斤、堅魚二斤、食薦二枚、塩二升、新腊二斤、海藻二斤、滑海藻二斤、薦二領、坏四口、盤四口、匏一柄、栢(柏)五把、枚手廿枚料、楉二枝、各高一丈、
一下祓料物廿二種、
刀子一枝、木綿六両、麻六両、庸布一段、鍬一口、鹿皮一張、酒四升、米四升、稲四把、鰒六両、魚六両、雑腊六両、塩二升、海藻六両、滑海藻六両、食薦一枚、薦一領、坏二口、盤二口、匏一柄、栢(柏)五把、枚手廿枚料、楉二枝、長各一丈、
一応
右、御料并御装束料物凡貢御及宮人射殺者、不之、
一所
榊百廿本、高一丈、桃楉九十枝、長三丈五尺、切口一寸、桑楉九十本、上同、藁注連三条、長五尺、葦注連三条、前、木綿十五斤、五色綿帛卅捧、同紙帛卅捧、金人形卅、長三寸、銀人形卅、上同、鉄人形卅、上前(同)、絹卅疋、綿卅連、綾卅疋、縑卅疋、大刀三柄、金銀飾造、桙三枝、弓三張、矢三具、鹿皮三枚、各七尺、豹虎皮、各三枚、同前、蚤皮一斗五升、虱皮一斗五升、散供米卅石、酒三石、油三石、名香三升、用紙卅帖、莚廿一枚、薦卅九枚、鍬六口、(卄の下に鉋)六柄、桶三口、杓三口、荒炭三石、
以前条々雑事、或官符宣託宣并旧件、
寛平元年十二月廿六日
従四位上行大弐藤原朝臣保則  正六位上行少典和爾臣安身
奉行
寛平七年十一月十七日
守 藤原朝臣会  掾藤原
介 藤原  権掾国前守利
大目紀

『日本紀略』寛平2年6月4日戊午条(890)

宇佐八幡宮香椎廟幣帛使

『日本紀略』寛平4年9月1日壬寅条(892)

宇佐香椎使掃部頭藤原恒求-

『日本紀略』寛平6年9月29日戊子条(894)

-宇佐使左衛門佐源朝臣当

『日本紀略』寛平9年8月22日乙丑条(897)

幣使散位従五位下和気真興於石清水八幡宮、并豊前国八幡大菩薩、香椎廟

『日本紀略』昌泰元年8月23日庚申条(898)

-遣使者於伊勢大神宮并五畿七道諸名又豊前国宇佐宮
 

『延喜式』3 臨時祭 八幡宮司条〔93〕

八幡神宮司、大神宇佐二補之、不補他

『延喜式』18 式部上 把笏条〔142〕

凡内外諸司、史生、官掌、省掌、台掌、職掌、坊掌、寮掌、使掌、司掌、伊勢大神宮司、同度会神宮禰宜、賀茂二社禰宜、祝、住吉神主、宇佐宮司、祝、気比神宮司、筑摩長等、雑色補之、並把笏、

『延喜式』18 式部上 解由日限条〔169〕

凡諸司諸国者、諸司長官六十日、次官以下及史生卅日為限、諸国長官百廿日、任用六十日為限、但長官任用同時解任者、交替了後、-上其与不之其諸国装束行程之者、始計、限内其季禄位禄皆亦聴諸節若限満未者、具官、其伊勢大神宮、豊前宇佐宮、越前気比神宮司、諸神主亦但遥任及陰陽、大学、典薬等諸博士、諸司不之類、並不

『西宮記』臨時1 進発宇佐使 裏書 宇佐奉幣事

御記云、延喜十六年八月廿五日、云々、(略)祓了両段再拝云々、内蔵此使発遣時御祓有寮申云、或時有、或時無云々、自想像、去昌泰元年、自所之時、此奉拝発遣、即今以為臨時祈奉拝并祓清、於宜、故今日奉拝并供祓、

『政事要略』23 年中行事8月 石清水放生会事所載旧記

旧記云、養老四年、豊前守宇奴首男人将軍止志弖大御神、大隅日向国在、向拒隼人等伐殺大神託宣、吾此隼人多殺都留、毎年放生会奉留部之

『本朝世紀』天慶元年10月9日条(938)

巳二剋、-宇佐宮奉幣使小野朝臣好古(略)去天安三年三月宇佐宮大宮司大神田仲麿、
21世紀COEプログラム 神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成
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