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神道・神社史料集成(古代) 健磐龍命神社
健磐龍命神社(肥後国阿蘇郡)
『日本書紀』景行天皇18年6月丙子(16日)条到二阿蘇国一也、其国郊原曠遠、不レ見二人居一、天皇曰、是国有レ人乎、時有二二神一、曰二阿蘇都彦、阿蘇都媛一、忽化レ人以遊詣之曰、吾二人在、何無レ人耶、故号二其国一曰二阿蘇一、
『類聚国史』5(神祇5八幡大神) 延暦13年3月戊寅(5日)条(794)遣二少僧都伝灯大法師位等定等於豊前国八幡、筑前国宗形、肥後国阿蘇三神社一読経、為二三神一度二七人一、
『日本後紀』延暦15年7月辛亥(22日)条(796)詔曰、朕以二眇身一、忝承二司牧一、日旰忘レ食、憫二一物之向一レ隅、昧□求レ衣、懼二五行之紊一レ序、比来、大宰府言、肥後国阿蘇郡山上有レ沼、其名曰二神霊池一、水旱経レ年、未二嘗増減一、而今無レ故涸減二二十余丈一、考二之卜筮一、事主二旱疫一、民之無レ辜、恐レ蒙二其殃一、方欲二修レ徳施レ恵消レ妖拯一レ民、其天下鰥寡惸独不レ能二自存一者、量加二賑給一、兼令二毎レ寺三日斎戒読経悔過一、庶恤隠之感、格二於上天一、霊応之徴、被二於率土一焉、
『日本紀略』弘仁14年10月壬寅(22日)条(823)坐二肥後国阿蘇郡一従四位下勲五等建磐神特奉レ充二当郡封二千戸一、此神、亢旱之時祈即降レ雨、護レ国救レ民靡レ不レ頼レ之、
『類聚国史』173(災異7疾疫) 天長2年4月庚辰(7日)条(825)詔曰、天地造レ物、覆燾之徳以弘、帝王済レ世、卹隠之仁斯深、故能務レ穡矜レ獄、登二群黎於富寿一、陶レ風湛レ紀、致二一代之雍煕一、朕恭承二叡託一、嗣二-守鴻基一、而誠慙二経遠一、明謝二燭幽一、通宵輟レ寝、軫二納隍之情一、日旰忘レ食、懐二臨谷之懼一、如聞、諸国往々疫癘不レ止、又大宰府言上、在二肥後国阿蘇郡一神霊池、遭二旱澇一不二増減一、而無レ故涸渇二十余丈者、去延暦年中有二此怪一、当時卜レ之、旱疫告レ咎、前事不レ忘、取二鑑今日一、疑是政術有レ乖、戒以二不祥一歟、昔周文引レ過、消二震地之災一、宋景厲レ精、移二妖星之咎一、乃知、徳必勝レ妖、善克除レ患、欲レ攘茲殃一、唯資二法力一、宜三毎レ寺斎戒、以修二仁祠一、鰥寡孤独不レ能二自存一者、量加二振贍一、其臥病之徒、無レ人二救養一、多致二死亡一、凡国郡司、為二民父母一、棄而不レ顧、豈称二子育一、宜下一一到レ門給二穀与一レ薬令上レ得二存済一、又免二-除去弘仁十三四両箇年調庸未進一、宜下告二遐迩一、使上レ知二此意一焉、
『日本紀略』天長2年閏7月乙亥(4日)条(825)奉レ遣二使柏原山陵一、其詞曰、云々、肥後国阿蘇郡爾在留神霊池涸渇多利云々、
『続日本後紀』承和5年3月甲申(27日)条(838)勅曰、遣唐使頻年却廻、未レ遂二過海一、夫冥霊之道、至信乃応、神明之徳、修善必祐、宜下令二大宰府監已上一、毎国一人率二国司講師一、不レ論二当国他国一、択二年廿五以上精進持経心行無レ変者一、度レ之九人上、香襲宮二人、大臣一人、八幡大菩薩宮二人、宗像神社二人、阿蘇神社二人、於二国分寺及神宮寺一、安置供養、使等往還之間、専心行道、令レ得二穏平一、云々、
『続日本後紀』承和7年4月丙寅(21日)条(840)奉レ授二肥後国従四位下勲五等健磐龍神従四位上一、余如レ故、筑前国従五位下竈門神、筑後国従五位下高良玉垂神並従五位上、又勲八等宗像神従五位下、余如レ故、
『続日本後紀』承和7年9月癸未(21日)条(840)大宰府言、在二肥後国阿蘇郡一健磐龍命神霊池、洪水大旱未二嘗増減一、而涸竭卌丈、
『続日本後紀』承和7年12月己酉(7日)条(840)遣二使於伊勢大神宮一、宣レ詔曰、頃日之間、御心有レ所レ思、将レ奉レ供二幣帛一、而国家諒闇、不レ果二御意一、加之、今年在二肥後国一神霊池涸尽卌余丈、足三以為二国異一、因レ茲令レ祈二-祷之一、
『続日本後紀』承和8年3月己亥(28日)条(841)詔曰、聖哲凝レ範、応二天心一以運行、昊穹演レ鑑、随二人事一而通感、故殷王修レ徳、桑穀自枯、宋景崇レ善、法星遽退、朕以二寡昧一、祗膺二宝図一、虚レ己励レ精、日慎二一日一、先王経国之道、永言渉求、列聖綏レ民之方、載深追採、期レ所下-以人無二疵癘一、世致中雍煕上、而明信未レ孚、咎徴斯応、大宰府言、肥後国阿蘇郡神霊池、涵二一定之盈科一、歴二水旱一以自若、而今無レ故涸減卌丈、静思二厥咎一、朕甚懼焉、詢二之著亀一、告以二旱疫一、今欲下因二-循往烈一、則二-象前規一、施以二徳政一、防中茲災眚上、宜下毎レ寺斎戒、共致二薫修一、毎レ社奉レ幣、式祈中霊祐一、天下蒸民今年雑徭、縦雖二事多一、莫レ過二廿日一、至二於有一レ閑、逾亦省レ之、鰥寡惸独不レ能二自存一者量加二振済一、凡厥国宰咸自策勉、詳求二人瘼一、使レ無二冤滞一、且夫旱暵之来、或闕二恒数一、自非二巨変一、唯在二勤救一而已、宜下修二-理陂池一、勿上レ乏二漑潅一、又大宰府者、匪二亶古来鎮遏之区一、兼復当時怪見之地也、最須三先慎以備二不虞一、布二-告遐迩一、俾レ知二朕意一、
『続日本後紀』承和8年5月壬申(3日)条(841)詔曰、天皇我詔旨爾坐、掛畏支神功皇后乃御陵爾申賜へ止申久、頃者在二肥後国阿蘇郡一神霊池、無レ故涸減卌丈、又伊豆国爾有二地震之変一、乍驚問求礼波、旱疫之災及兵事可レ有止卜申、自レ此之外爾毛物怪亦多、依レ此左右爾念行爾、挂畏支神功皇后乃護賜比助賜牟爾依天、無レ事久可レ有止思食天、参議大和守従四位下正躬王乎差レ使弖、奉出状乎聞食天、天皇朝廷乎無レ動久大坐之米、国家乎平遣久護賜比助賜倍止、恐美恐ミ毛申賜久止申須、
『続日本後紀』承和8年6月辛酉(22日)条(841)詔曰、天皇我詔旨止、掛畏支伊勢度会乃五十鈴之川上爾坐大神乃広前爾申賜ヘ止申久、先爾肥後国阿蘇郡爾在流神霊池、常与利涸竭卌丈、又伊豆国爾有二地震之変一、是乎卜求礼波、旱疫及兵事可レ有止卜申、自レ此之外爾母物怪亦多、依レ此天左右爾念行爾、掛畏支大神乃護賜比、矜賜牟爾依天、無レ事天可レ有止思食天、令レ択二吉日良辰一弖、大監物従五位下島江王、中臣民部大丞正六位上大中臣朝臣榲雄等乎差レ使天、礼代乃大幣乎令二捧持一天奉出、此状乎聞食弖、国家乎平介久有志女、天皇朝廷乎宝位無レ動久護賜比助賜止、恐美恐美毛申賜久止申、又遣二使於賀茂御祖社一、祈申亦同焉、
『続日本後紀』承和9年7月乙未(3日)条(842)遣二使於筑前国宗像神、竈門神、肥後国健磐龍神等諸社一奉レ幣、縁レ有レ祟也、
『続日本後紀』承和10年6月乙丑(8日)条(843)肥後国阿蘇郡従三位勲五等健磐龍命神社神主、河内国河内郡従二位勲三等平岡大神社神主等、永預二把笏一、
『文徳天皇実録』嘉祥3年10月辛亥(7日)条(850)進二山城国稲荷神階一授二従四位上一、授二摂津国広田神従五位下一、進二大和国大和大国魂神階一授二従二位、石上神、及大神大物主神、葛木一言主神等並正三位、夜岐布山口神従五位下、河内国恩智大御食津彦命神、恩智大御食津姫命神等並正三位、丹比神従五位上、伊勢国阿耶賀神従五位上、尾張国熱田神正三位、越前国気比神正二位、筑前国宗像神従五位上、竈門神正五位上、筑後国高良玉垂命神従四位上、肥後国健磐龍命神正三位、伊豆国三島神従五位上一、
『文徳天皇実録』仁寿元年10月丙午(8日)条(851)進二肥後国健磐龍命大神階一加二従二位一、長門国鹿集、福賀磨、能峯、壬生等四神、並授二従五位下一、
『文徳天皇実録』斉衡元年6月壬午(29日)条(854)加二肥後国健磐龍命神封卅戸一、
『日本三代実録』貞観元年正月27日甲申条(859)京畿七道諸神進レ階及新叙、惣二百六十七社、奉レ授二淡路国無品勲八等伊佐奈岐命一品、備中国三品吉備都彦命二品、神祇官無位神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神並従一位、無位生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神、櫛石窓神、豊石窓神、生島神、足島神並従四位上、宮内省従三位園神、韓神並正三位、大膳職正四位下御食津神従三位、左京職従五位上太祝詞神、久慈真智神並正五位下、大膳職従五位下火雷神、大炊寮従五位下大八島竈神八前、斎火武主比命神、内膳司従五位下庭火皇神、造酒司従五位下大戸自神等並従五位上、無位酒殿神従五位下、山城国正二位勲二等松尾神従一位、葛野月読神、平野今木神並正二位、正四位下稲荷神三前並正四位上、正四位下大若子神、小若子神、酒解神、酒解子神並正四位上、平野従四位下久度古開神従四位上、正五位上貴布禰神、正五位下乙訓火雷神、従五位上水主神等並従四位下、正五位下合殿比咩神正五位上、従五位下樺井月読神、木島天照御魂神、和支神並正五位下、従五位下祝園神、天野夫支売神、岡田鴨神、岡田園神、樺井月神、棚倉孫神、許波多神、出雲井於神、片山神、鴨川合神等並従五位上、正六位上与度神、石作神、向神、簀原神、鴨山口神、小野神、久我神、高橋神、双栗神、水度神、伊勢田神、無位小社神並従五位下、大和国従一位大己貴神正一位、正二位葛木御歳神、従二位勲八等高鴨阿治須岐宅比古尼神、従二位高市御県鴨八重事代主神、従二位勲二等大神大物主神、従二位勲三等大和大国魂神、正三位勲六等石上神、正三位高鴨神並従一位、正三位勲二等葛木一言主神、高天彦神、葛木火雷神並従二位、従三位広瀬神、龍田神、従三位勲八等多坐弥志理都比古神、金峰神並正三位、正四位下丹生川上雨師神従三位、従五位下賀夜奈流美神正四位下、従五位下勲八等穴師兵主神、片岡神、夜岐布山口神並正五位上、従五位下都祁水分神、都祁山口神、石寸山口神、耳成山口神、飛鳥山口神、畝火山口神、長谷山口神、忍坂山口神、宇陀水分神、吉野水分神、吉野山口神、巨勢山口神、葛木水分神、鴨山口神、当麻山口神、大坂山口神、伊古麻山口神並正五位下、従五位下和爾赤坂彦神、山辺御県神、村屋禰富都比売神、池坐朝霧黄幡比売神、鏡作天照御魂神、十市御県神、目原高御魂神、畝尾建土安神、子部神、天香山大麻等野知神、宗我都比古神、甘樫神、稔代神、牟佐坐神、高市御県神、軽樹村神、天高市神、太玉命神、櫛玉命神、川俣神、波多甕井神、坐二日向一神、巻向若御魂神、他田天照御魂神、志貴御県神、忍坂生根神、葛木倭文天羽雷命神、長尾神、石園多久豆玉神、調田一事尼古神、金村神、葛木御県神、火幡神、往馬伊古麻都比古神、平群石床神、矢田久志玉比古神、添御県神、伊射奈岐神、葛木二上神並従五位上、無位水越神従五位下、河内国従一位勲三等枚岡天児屋根命正一位、正三位勲六等恩智大御食津比古命神、恩智大御食津比咩命神並従二位、正四位上勲六等枚岡比咩神従三位、従五位下杜本神正四位下、従五位上丹比神正五位下、従五位下春日戸神、高宮神、弓削神、志紀長吉神、狭山堤神、狭山神、菅生神並従五位上、和泉国正五位下勲八等大鳥神従四位下、摂津国従三位勲八等広田神正三位、正五位上勲八等生田神、従五位上勲八等長田神、従五位上垂水神、従五位下勲八等大依羅神、難波生国魂神、下照比女神、坐摩神、従五位下勲八等新屋天照御魂神並従四位下、従五位下名次神正五位下、従五位下中臣須牟地神、伊射奈岐神、伊和志豆神並従五位上、伊賀国無位穴石神従五位下、伊勢国従三位多度神正三位、従四位下阿射加神従四位上、尾張国正三位熱田神従二位、駿河国従三位浅間神正三位、伊豆国従四位下三島神従四位上、従五位下楊原神従五位上、武蔵国従五位下氷川神従五位上、安房国従三位勲八等安房神、天比々理刀咩命神並正三位、近江国従二位勲一等比叡神正二位、従五位上勲八等伊香神従四位下、従五位下伊富岐神、佐久奈度神、水口神、川田神、三上神、奥津島神、小比叡神並従五位上、美濃国従三位中山金山彦神正三位、信濃国正三位勲八等建御名方富命神従二位、従三位建御名方富命前八坂刀売命神正三位、上野国正五位下勲八等貫前神従四位下、下野国従三位勲四等二荒神正三位、陸奥国正五位上勲四等計仙麻神、正五位下勲四等志波彦神、勲五等拝幣志神、勲六等零羊埼神、従五位上勲四等志波姫神並従四位下、従五位下計仙麻大島神従五位上、若狭国従二位勲八等若狭比古神正二位、正三位若狭比咩神従二位、越前国正二位勲一等気比神従一位、従四位上勲六等推前神、勲六等剣神並正四位下、加賀国白山比女神正三位、能登国正二位勲一等気多神従一位、越中国従三位高瀬神、二上神並正三位、丹波国従五位下小川月神、麻気神並従五位上、丹後国従五位下大川神、大宮売神並従五位上、出雲国従三位熊野神、勲八等杵築神並正三位、播磨国従五位下勲八等粒坐天照神、伊和坐大名持御魂神並従四位下、従五位下海神従五位上、安芸国正五位下伊都岐島神、従五位上速谷神並従四位下、従五位下多家神従五位上、長門国従五位下住吉荒魂神従五位上、紀伊国従四位下伊達神、志摩神、静火神並正四位下、従五位下勲八等丹生都比売神、伊太祁曽神、大屋都比売神、神都摩都比売神、鳴神並従四位下、従五位下須佐神、熊野早玉神、熊野坐神並従五位上、阿波国従五位下大麻比古神、忌部天日鷲神並従五位上、土佐国従五位下都佐坐神従五位上、筑前国正三位勲八等田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神並従二位、正五位下竈門神、従五位下筑紫神並従四位下、従五位下織幡神、志賀海神、美奈宜神並従五位上、無位住吉神従五位下、筑後国正三位高良玉垂命神従二位、従四位下豊比咩神従四位上、肥前国従五位下田島神従四位下、肥後国従二位勲五等健磐龍命神正二位、従四位下阿曽比咩神従四位上、壱岐島従五位下海神、住吉神、兵主神、月読神並従五位上、対馬島従五位下和多都美神、高御魂神、住吉神並従五位上一、
『日本三代実録』貞観6年12月26日己卯条(864)大宰府言、肥後国阿蘇郡正二位勲五等健磐龍命神霊池、去十月三日夜、有レ声震動、池水沸二-騰空中一、東南洒落、其落二東方一者、如レ布延縵、広十許町、水色如レ漿黏二-着草木一、雖レ経二旬日一、不二消解一、又比売神嶺、元来有二三石神一、高四許丈、同夜二石神頽崩、府司等決二之亀筮一云、応レ有二水疫之災一、
『日本三代実録』貞観7年2月10日壬戌条(864)詔曰、皇乾播レ徳、亭毒之功自高、哲匠裁レ規、撫臨之道斯広、是知、致二庶績於和平一、唯資二恵愛一、駆二黎元於富寿一、実在二憂労一、朕以二庸虚一、恭承二緒業一、位雖レ尊二於宸極一、化未レ洽二於域中一、所以宵衣愓レ慮、旰食兢レ懐、欲レ使下四海無二凶札之嗟一、八荒絶中烽燧之警上、然素情弗レ顕、玄感猶賖、孤二-負霊心一、招以二変異一、去冬大宰府言上、在二肥後国阿蘇郡一神霊池、経二淫雨一而無レ増、在二亢陽一而不レ減、而今無レ故沸騰、衍二溢他県一、亀筮所レ告、兵疫為レ凶、朕之中腸、氷谷最切、夫修レ徳嫁レ禍、既有二前聞一、行レ善攘レ殃、非レ無二往鑑一、宜二毎寺薫修、毎社走幣一、頼二茲冥祐一、防二彼咎徴一、又鰥寡孤独不レ能二自存一者、量加二優賑一、使レ得二支済一、又天安二年以往租税未納、皆勿二詭責一、一従二蠲除一、所レ冀至精広被、消二霧露於無形一、潜衛傍通、静二風塵於未兆一、布二-告遐迩一、俾レ知二朕意一、是日、太政官頒二-下詔書於五畿七道一曰、今稽二詔書一、毎寺薫修、毎社走幣、頼二茲冥祐一、防二彼咎徴一、又鰥寡孤独不レ能二自存一者、量加二優賑一、使レ得二支済一、又天安二年以往租税未納、皆勿二詭責一、一従二鷁除一、夫仏法所レ崇、尤在二誠信一、神明所レ感、寔是資二潔清一、今須丙国司講師相斎戒、従二符到日一一七箇日、於下国分寺及有供定額寺上、令レ転二-読金剛般若経一、読経之間、禁乙-断殺生甲、又国内所レ有大小諸社長官、躬親潔斎奉幣、其幣料用二正税一、又鰥寡孤独不レ能二自存一者、以二救急義倉内一、国司相量給レ之、又天安二年以往租税未納、載二所司文簿一者、咸従二原免一、
『日本三代実録』貞観7年2月14日丙寅条(865)勅遣二従五位下行木工権助和気朝臣彜範一、奉二-幣於豊前国八幡大菩薩一、告文云、天皇我詔旨爾坐、掛畏岐八幡大菩薩乃大前爾申賜倍止申久、大菩薩乃護賜爾依天、天下無レ事、然乎去年与利、天変地災今月万天爾不レ止、加以、肥後国阿蘇郡爾在留神霊池無レ故沸溢太利、乍レ驚卜求礼波、兵疫乃事可レ有止申利、自レ此之外爾毛、物怪亦多、依レ此天、左右爾念行爾、掛畏岐大菩薩乃護賜牟爾依天、無レ事久可レ有止思食天、去正月爾差レ使天、大幣乎奉出無止志岐、然乎忽爾依レ有レ穢天、奉出古止不レ得奈利爾岐、今吉日良辰乎択定天、木工権助従五位下和気朝臣彜範乎差レ使天、礼代乃大幣乎令二捧持一天奉出須、此状乎聞食天、天下平介久、群臣忠心乎懐岐、上下有レ序利、兵疫不レ発之天、宝祚無レ動久護賜比、常磐堅磐爾矜幸倍賜倍止、恐美恐美毛申賜波久止申、
『日本三代実録』貞観7年2月17日己巳条(865)勅遣二参議従四位下守右大弁大枝朝臣音人、従四位下行中務大輔忠範王等一向二山階山陵一、告以三神霊池水沸騰、預防二災害一、告文云、天皇我詔旨爾坐、掛畏岐山階乃御陵爾申賜倍止申久、自二去年一至二于今月一、天変地災不レ止、加以、肥後国阿蘇郡爾在流神霊池無レ故沸溢太利、乍レ驚卜求礼波、兵疫乃事可レ有止申利、自レ此之外爾毛物怪亦多、依レ此天左右爾念行爾、掛畏岐御陵乃護賜牟爾依天、無レ事久可レ有止思食天、去正月爾差レ使天奉出無止志岐、然乎忽爾依レ有レ穢天奉出古止不レ得奈利爾岐、今吉日良辰乎択定天、参議従四位下守右大弁大枝朝臣音人、従四位下行中務大輔忠範王等乎差使天奉出須、此状乎聞食天、天下平気久、群臣忠心乎懐岐、上下有レ序利、兵疫不レ発之天、宝祚無レ動久護賜比、堅磐常磐爾矜幸倍賜倍止、恐美恐美毛申賜波久止申、参議正四位下行右衛門督兼讃岐守藤原朝臣良縄、従五位上行兵部少輔源朝臣直等向二柏原山陵一、従三位守権大納言兼右近衛大将藤原朝臣氏宗、従五位上行民部少輔源朝臣頴等向二嵯峨山陵一、大納言正三位兼行民部卿太皇大后宮大夫伴宿禰善男、散位従四位上茂世王等向二深草山陵一、参議正四位下行左大弁兼勘解由長官南淵朝臣年名、従四位上行侍従利基王等向二田邑山陵一、告文一同二山階山陵一、
『日本三代実録』貞観8年2月14日庚申条(866)神祇官奏言、肥後国阿蘇大神懐二-蔵怒気一、由レ是、可下発二疫癘一憂中隣境兵上、勅、国司潔斎、至誠奉幣、并転二-読金剛般若経千巻、般若心経万巻一、大宰府司於二城山四王院一、転二-読金剛般若経三千巻、般若心経三万巻一、以奉レ謝二神心一消二-伏兵疫一、
『日本三代実録』貞観9年8月6日壬申条(867)大宰府言、肥後国阿蘇郡正二位勲五等健磐龍命神、正四位下姫神所レ居山嶺、去五月十一日夜奇光照耀、十二日朝震動乃崩、広五十許丈、長二百五十許丈、
『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)発二-遣大神宝使一、
『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕名神祭二百八十五座、
園神社一座、韓神社二座、已上坐二宮内省一、
賀茂別雷神社一座、賀茂御祖神社二座、松尾神社二座、
稲荷神社三座、貴布禰神社一座、鴨川合神社一座、
御井神社一座、葛野月読神社一座、木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、梅宮神社四座、乙訓神社一座、
酒解神社一座、亦号二山崎神一、已上山城国、
春日神社四座、大和神社三座、石上神社一座、
多坐神社二座、或号二大社一、飛鳥神社四座、高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、大神神社一座、太玉神社四座、
穴師神社一座、高屋安倍神社三座、大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、金峯神社一座、鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、葛木一言主神社一座、高鴨神社四座、
高天彦神社一座、葛木火雷神社二座、片岡神社一座、
火幡神社一座、広瀬神社一座、龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、枚岡神社四座、杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、大依羅神社四座、難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、亦号二下照比売一、新屋神社三座、垂水神社一座、
広田神社一座、生田神社一座、長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或太作レ多、真墨田神社一座、大県神社一座、
熱田神社一座、日割御子神社一座、孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、伊古奈比咩命神社一座、物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、筑波山神社一座、吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、日吉神社一座、比叡神同、佐久奈度神社一座、
建部神社一座、川田神社二座、御上神社一座、
奥津島神社一座、伊香神社一座、水尾神社二座、或水作レ三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、穂高神社一座、生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、或作二抜鋒一、伊加保神社一座、赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、苅田嶺神社一座、志波彦神社一座、
鼻節神社一座、志波姫神社一座、伊達神社一座、
東屋沼神社一座、零羊崎神社一座、拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、多珂神社一座、伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、大高山神社一座、子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、小川月神社一座、麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、籠神社一座、大虫神社一座、
小虫神社一座、大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、夜夫神社二座、伊豆志神社八座、
山神社一座、戸神社一座、雷神社一座、
欘椒神社一座、海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、宇受加命神社一座、水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、粒坐天照神社一座、中臣印達神社一座、
家島神社一座、伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、伊都伎島神社一座、多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、日前神社一座、国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、大屋都比売神社一座、都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、伊達神社一座、志磨神社一座、
静火神社一座、須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、大山積神社一座、野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、住吉神社三座、志加海神社三座、
八幡神社一座、筑紫神社一座、竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、兵主神社一座、月読神社一座、
中津神社一座、天手長男神社一座、天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、和多都美御子神社一座、高御魂神社一座、
和多都美神社一座、太祝詞神社一座、住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若有二大祷一者、加二絁五丈五尺一、以二布一端一代二糸一絇一、
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21世紀COEプログラム 神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成
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