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神道・神社史料集成(古代) 松尾神社
松尾神社二座(山城国葛野郡)
『続日本紀』天平17年9月癸酉(19日)条(745)天皇不予、勅二平城恭仁留守一固二-守宮中一、悉追二孫王等一詣二難波宮一、遣レ使取二平城宮鈴印一、又令三京師畿内諸寺及諸名山浄処行二薬師悔過之法一、奉二-幣祈祷賀茂松尾等神社一、令二諸国所レ有鷹鵜並以放去一、度二三千八百人一出家、
『続日本紀』延暦3年11月丁巳(20日)条(784)遣二近衛中将正四位上紀朝臣船守一、叙二賀茂上下二社従二位一、又遣二兵部大輔従五位上大中臣朝臣諸魚一、叙二松尾乙訓二神従五位下一、以二遷都一也、
『続日本紀』延暦3年11月乙丑(28日)条(784)遣レ使修二-理賀茂上下二社及松尾乙訓社一、
『続日本紀』延暦5年12月辛巳(26日)条(786)叙二従五位下松尾神従四位下一、
『日本紀略』延暦13年10月丁卯(28日)条(794)鴨、松尾神加階、以二近郡一也、
『日本後紀』延暦15年11月辛丑(14日)条(796)始用二新銭一、奉二伊勢神宮、賀茂上下二社、松尾社、亦施七大寺及野寺一、賜二皇太子親王已下職事正六位已上、僧都律師等一、各有レ差、
『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)神封部
合四千八百七十六戸
(略)
松尾神 四戸 山城二戸 神護景雲元年 因幡国二戸 三年奉レ充
(略)
『日本紀略』大同4年5月庚午(25日)条(809)奉二-幣於松尾、鴨御祖、鴨別雷等社一、為レ止二霖雨一也、
『続日本後紀』天長10年閏7月壬午(28日)条(833)霖雨渉レ旬不レ息、仍令下大和山城二国介以上親奉二-幣於丹生川上雨師神、松尾、賀茂上下及貴布禰社一、以祈上レ霽焉、
『続日本後紀』承和3年6月癸酉(6日)条(836)奉二松尾、賀茂御祖、住吉、垂水等社幣一、祈レ雨也、
『続日本後紀』承和5年8月癸丑(28日)条(838)降雨殊切、奉二-幣賀茂上下、松尾、乙訓、垂水、住吉等名神一、以祈レ霽焉、
『続日本後紀』承和6年4月戊辰(17日)条(839)勅、頒二幣於松尾、賀茂上下、貴布禰、丹生川上雨師、住吉諸社一、令レ祈二澍雨一、又限二七箇日一、令レ読二仁王経於十五大寺一、兼通二城外崇山有験之寺一、同俾二転経一、並以二自レ春迄レ今不一レ雨也、
『続日本後紀』承和7年4月庚午(29日)条(840)勅、頃者、炎旱未レ幾、嘉苗殆枯、宜下奉二-幣松尾、賀茂、乙訓、貴布禰、丹生川上雨師、垂水等社一、祈二甘雨一防中風災上焉、
『続日本後紀』承和7年6月己未(15日)条(840)奉二幣帛於伊勢大神宮及賀茂上下、松尾等社一、祈二霈沢一、又令三内外諸国奉二-幣神祇一、祈二-請甘雨一、
『続日本後紀』承和8年4月己巳(29日)条(841)勅、頃者、時雨不レ降、農夫輟レ耕、如レ非二祷祈一、恐レ傷二嘉苗一、宜下奉二-幣松尾、賀茂、乙訓、貴布禰、垂水、住吉、雨師神一、令レ祈二甘雨一、兼防中風災上、
『続日本後紀』承和9年3月丁巳(22日)条(842)遣レ使奉二-幣松尾、鴨御祖、鴨別雷、乙訓等名神一、祈レ雨也、是日雨降、通宵不レ緩、
『続日本後紀』承和12年5月庚午(24日)条(845)奉レ授二従四位上勲二等松尾神正四位下一、余如レ故、
『続日本後紀』承和14年6月丁酉(4日)条(847)遣下レ使奉二-幣於松尾大神一祈上レ之、
『続日本後紀』承和14年6月甲寅(21日)条(847)先レ是、左相撲司伐二葛野郡々家前槻樹一作二大鼓一、有レ崇、由レ是、奉二幣及鼓於松尾大神一以祈謝、用レ鼓牛皮十二張、一面六張、
『続日本後紀』承和14年7月己丑(26日)条(847)奉レ授二正四位下勲二等松尾大神従三位一、余如レ故、
『続日本後紀』嘉祥元年6月庚子(13日)条(848)大臣就二八省院一、奉二幣帛於伊勢大神宮及賀茂上下、松尾社一、並告二依レ瑞改一レ元、兼令レ祈レ防二水殄一也、
『続日本後紀』嘉祥元年7月己未(2日)条(848)奉二幣帛於松尾、賀茂上下社、貴布禰、雨師社一、以祈二甘雨一、
『続日本後紀』嘉祥2年2月壬辰(7日)条(849)勅、従三位松尾大神社禰宜祝等、並預二把笏之例一、
『続日本後紀』嘉祥3年2月甲寅(5日)条(850)御病殊劇、召二皇太子及諸大臣於床下一令レ受二遺制一、遣二四衛府及内竪等一、或齎二御衣一、或齎二綿布一、分二-散四方一、誦二-経諸寺一、左右馬寮御馬六疋奉二鴨上下松尾等名神一、放二諸鷹犬及籠鳥一、唯留二鸚鵡一、又下二-知近江国一、禁二諸殺生一、縁三梵釈寺修二延命法一故也、請二僧綱十禅師及有験者於御簾外一、令レ奉二加持一、以二絹十二疋一為二続命幡一、懸二十二大寺刹一、左右馬寮各調二走馬十疋一、候二於八省東廊下一、
『文徳天皇実録』嘉祥3年8月丁巳(12日)条(850)遣二右中弁従四位下藤原朝臣氏宗一向二賀茂社一、中宮亮正五位上藤原朝臣良仁向二松尾社一、並告以二即位之由一、
『文徳天皇実録』仁寿元年6月甲辰(3日)条(851)遣二使者一向二伊勢、賀茂、松尾、乙訓等神社一、以祈レ霽、策文曰、天皇我詔旨止、掛畏支大神乃広前爾申久、近来雨降己止渉レ旬天、百姓乃農業流損奴倍之、掛畏支大神乃厚助爾依天、此災波可レ止之止所念行天奈毛、去五月廿七日爾御馬進牟、雨止女賜止祷申賜比之、而卜定多留日促爾之天、御馬取爾遣己止不レ堪、後日爾必進牟、故是以差レ使天、太幣乎令二捧持一奉出須、此状乎聞食天、降雨忽晴天五穀不レ損、秋稼豊登之女、天皇朝庭乎、常磐爾堅磐爾、天下平安爾、護幸倍助賜比矜賜倍止、恐美恐美毛申賜久止申、又別辞申、此雨乃不レ止左留由縁乎卜求礼波、春祭爾供奉世留使等中爾有二穢事一介利、因レ茲、大神不志己理賜倍利止卜申世利、而祭使波御卜合倍留人乎令二供奉一止奈毛、所念行世留、此事乎聞食天奈毛懼畏利御坐須、大神神那我良聞食天、今毛弥益爾安爾護助賜倍止、恐美恐美毛申賜久止申、
『文徳天皇実録』仁寿2年5月甲戌(8日)条(852)加二山城国松尾神正二位一、
『文徳天皇実録』仁寿2年7月乙亥(10日)条(852)遣二使者一、向二賀茂、松尾、稲荷、貴布禰等名神一、奉レ幣祈レ雨、即日得二甘澍一、
『文徳天皇実録』仁寿2年閏8月壬辰(29日)条(852)遣二左近衛少将従五位上藤原朝臣仲統、右近衛少将従五位上在原朝臣行平等一、向二賀茂松尾大神等社一奉レ幣、請以レ止レ雨、
『文徳天皇実録』斉衡3年3月戊午(15日)条(856)移二山城国葛野郡月読社一、置二松尾之南山一、社近河浜、為二水所一レ囓、故移之、
『文徳天皇実録』斉衡3年5月庚戌(9日)条(856)請二僧二百五十人於大極殿、及冷然院、賀茂、松尾神社一、分読二大般若経一、限二三日一訖、攘二災疫一也、
『文徳天皇実録』斉衡3年9月壬戌(22日)条(856)請二僧於賀茂、松尾大神社一、読二金剛般若経一、限二三日一訖、
『文徳天皇実録』天安元年5月己亥(3日)条(857)請二僧百五十人於賀茂上下松尾大神社一、令レ転二-読金剛般若経一、限以二三ケ日一、
『日本三代実録』貞観元年正月27日甲申条(859)京畿七道諸神進レ階及新叙、惣二百六十七社、奉レ授二淡路国無品勲八等伊佐奈岐命一品、備中国三品吉備都彦命二品、神祇官無位神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神並従一位、無位生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神、櫛石窓神、豊石窓神、生島神、足島神並従四位上、宮内省従三位園神、韓神並正三位、大膳職正四位下御食津神従三位、左京職従五位上太祝詞神、久慈真智神並正五位下、大膳職従五位下火雷神、大炊寮従五位下大八島竈神八前、斎火武主比命神、内膳司従五位下庭火皇神、造酒司従五位下大戸自神等並従五位上、無位酒殿神従五位下、山城国正二位勲二等松尾神従一位、葛野月読神、平野今木神並正二位、正四位下稲荷神三前並正四位上、正四位下大若子神、小若子神、酒解神、酒解子神並正四位上、平野従四位下久度古開神従四位上、正五位上貴布禰神、正五位下乙訓火雷神、従五位上水主神等並従四位下、正五位下合殿比咩神正五位上、従五位下樺井月読神、木島天照御魂神、和支神並正五位下、従五位下祝園神、天野夫支売神、岡田鴨神、岡田園神、樺井月神、棚倉孫神、許波多神、出雲井於神、片山神、鴨川合神等並従五位上、正六位上与度神、石作神、向神、簀原神、鴨山口神、小野神、久我神、高橋神、双栗神、水度神、伊勢田神、無位小社神並従五位下、大和国従一位大己貴神正一位、正二位葛木御歳神、従二位勲八等高鴨阿治須岐宅比古尼神、従二位高市御県鴨八重事代主神、従二位勲二等大神大物主神、従二位勲三等大和大国魂神、正三位勲六等石上神、正三位高鴨神並従一位、正三位勲二等葛木一言主神、高天彦神、葛木火雷神並従二位、従三位広瀬神、龍田神、従三位勲八等多坐弥志理都比古神、金峰神並正三位、正四位下丹生川上雨師神従三位、従五位下賀夜奈流美神正四位下、従五位下勲八等穴師兵主神、片岡神、夜岐布山口神並正五位上、従五位下都祁水分神、都祁山口神、石寸山口神、耳成山口神、飛鳥山口神、畝火山口神、長谷山口神、忍坂山口神、宇陀水分神、吉野水分神、吉野山口神、巨勢山口神、葛木水分神、鴨山口神、当麻山口神、大坂山口神、伊古麻山口神並正五位下、従五位下和爾赤坂彦神、山辺御県神、村屋禰富都比売神、池坐朝霧黄幡比売神、鏡作天照御魂神、十市御県神、目原高御魂神、畝尾建土安神、子部神、天香山大麻等野知神、宗我都比古神、甘樫神、稔代神、牟佐坐神、高市御県神、軽樹村神、天高市神、太玉命神、櫛玉命神、川俣神、波多甕井神、坐日向神、巻向若御魂神、他田天照御魂神、志貴御県神、忍坂生根神、葛木倭文天羽雷命神、長尾神、石園多久豆玉神、調田一事尼古神、金村神、葛木御県神、火幡神、往馬伊古麻都比古神、平群石床神、矢田久志玉比古神、添御県神、伊射奈岐神、葛木二上神並従五位上、無位水越神従五位下、河内国従一位勲三等枚岡天児屋根命正一位、正三位勲六等恩智大御食津比古命神、恩智大御食津比咩命神並従二位、正四位上勲六等枚岡比咩神従三位、従五位下杜本神正四位下、従五位上丹比神正五位下、従五位下春日戸神、高宮神、弓削神、志紀長吉神、狭山堤神、狭山神、菅生神並従五位上、和泉国正五位下勲八等大鳥神従四位下、摂津国従三位勲八等広田神正三位、正五位上勲八等生田神、従五位上勲八等長田神、従五位上垂水神、従五位下勲八等大依羅神、難波生国魂神、下照比女神、坐摩神、従五位下勲八等新屋天照御魂神並従四位下、従五位下名次神正五位下、従五位下中臣須牟地神、伊射奈岐神、伊和志豆神並従五位上、伊賀国無位穴石神従五位下、伊勢国従三位多度神正三位、従四位下阿射加神従四位上、尾張国正三位熱田神従二位、駿河国従三位浅間神正三位、伊豆国従四位下三島神従四位上、従五位下楊原神従五位上、武蔵国従五位下氷川神従五位上、安房国従三位勲八等安房神、天比々理刀咩命神並正三位、近江国従二位勲一等比叡神正二位、従五位上勲八等伊香神従四位下、従五位下伊富岐神、佐久奈度神、水口神、川田神、三上神、奥津島神、小比叡神並従五位上、美濃国従三位中山金山彦神正三位、信濃国正三位勲八等建御名方富命神従二位、従三位建御名方富命前八坂刀売命神正三位、上野国正五位下勲八等貫前神従四位下、下野国従三位勲四等二荒神正三位、陸奥国正五位上勲四等計仙麻神、正五位下勲四等志波彦神、勲五等拝幣志神、勲六等零羊埼神、従五位上勲四等志波姫神並従四位下、従五位下計仙麻大島神従五位上、若狭国従二位勲八等若狭比古神正二位、正三位若狭比咩神従二位、越前国正二位勲一等気比神従一位、従四位上勲六等推前神、勲六等剣神並正四位下、加賀国白山比女神正三位、能登国正二位勲一等気多神従一位、越中国従三位高瀬神、二上神並正三位、丹波国従五位下小川月神、麻気神並従五位上、丹後国従五位下大川神、大宮売神並従五位上、出雲国従三位熊野神、勲八等杵築神並正三位、播磨国従五位下勲八等粒坐天照神、伊和坐大名持御魂神並従四位下、従五位下海神従五位上、安芸国正五位下伊都岐島神、従五位上速谷神並従四位下、従五位下多家神従五位上、長門国従五位下住吉荒魂神従五位上、紀伊国従四位下伊達神、志摩神、静火神並正四位下、従五位下勲八等丹生都比売神、伊太祁曽神、大屋都比売神、神都摩都比売神、鳴神並従四位下、従五位下須佐神、熊野早玉神、熊野坐神並従五位上、阿波国従五位下大麻比古神、忌部天日鷲神並従五位上、土佐国従五位下都佐坐神従五位上、筑前国正三位勲八等田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神並従二位、正五位下竈門神、従五位下筑紫神並従四位下、従五位下織幡神、志賀海神、美奈宜神並従五位上、無位住吉神従五位下、筑後国正三位高良玉垂命神従二位、従四位下豊比咩神従四位上、肥前国従五位下田島神従四位下、肥後国従二位勲五等健磐龍命神正二位、従四位下阿曽比咩神従四位上、壱岐島従五位下海神、住吉神、兵主神、月読神並従五位上、対馬島従五位下和多都美神、高御魂神、住吉神並従五位上一、
『日本三代実録』貞観元年7月14日丁卯条(859)遣二使諸社一、奉二神宝幣帛一、参議正四位下行左大弁兼左衛門督美作守藤原朝臣氏宗為二賀茂御祖別雷両社使一、散位従五位下正峯王為二松尾社使一、正五位下守右中弁兼行式部少輔大枝朝臣音人為二平野社使一、従五位下行主殿権助藤原朝臣水谷為二大原野社使一、右兵衛佐従五位下源朝臣至為二乙訓社使一、従五位下守右兵庫頭藤原朝臣四時為二大神社使一、掃部頭従五位上藤原朝臣貞敏為二石上社使一、従四位下行兵部大輔藤原朝臣仲統為二春日社使一、従五位下守図書頭当麻真人清雄為二当麻社使一、中務少輔従五位下源朝臣包為二住吉社使一、散位従五位下丹墀真人縄主為二丹墀社使一、少納言兼侍従従五位下良峯朝臣経世為二杜本社使一、神祇大祐正六位上大中臣朝臣豊雄為二気比気多両社使一、散位従五位下紀朝臣宗守為二日前国懸両社使一、
『日本三代実録』貞観元年9月4日丙辰条(859)分レ頭遣レ使、奉二-幣賀茂御祖、別雷、松尾、貴布禰、乙訓、稲荷等神社一、祈レ止二霖雨一也、
『日本三代実録』貞観7年4月17日丁卯条(865)勅奉レ充二諸明神神田一、松尾神五段、賀茂御祖神五段、別雷神五段、稲荷神三段、平野神五段、大原野神五段、並以二山城国愛宕、紀伊、乙訓、葛野等郡得度除帳田一充レ之、
『日本三代実録』貞観8年7月14日丙辰条(866)班二-幣賀茂御祖別雷、松尾、丹生川上、稲荷、水主、貴布禰神一、賽二前日祷一、兼祈二嘉澍一也、告文云、天皇我詔旨止、掛畏岐松尾大神乃広前爾恐美恐美毛申給久止申久、不慮之外爾天下爾有二旱災一天、農稼枯損奴、因レ茲、掛畏岐大神乎奉レ憑天、大幣帛奉出給牟止祈申岐、而爾祈申志毛験久、甘雨令レ零米賜へ利、因歓奈我良、散位従五位下大中臣朝臣国雄乎差レ使天、大幣帛乎令二捧持一天奉出賜布、此状遠平久聞食天、今毛今毛風雨調和米給比、五豊登米賜比、天下饒足米賜比、天皇朝廷乎宝祚無レ動久、常磐堅磐爾夜守日守仁護幸奉賜へと申給波久止申、自余社告文並同焉、
『日本三代実録』貞観8年11月20日辛酉条(866)進二山城国従一位勲二等松尾神階一加二正一位一、授二従四位下水主神従四位上一、
『日本三代実録』貞観9年9月11日丁未条(867)遣二使於賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、貴布禰、丹生川上、住吉、水主大神、長田、乙訓等神社一奉幣、先月祈二五穀一、今以賽焉、
『日本三代実録』貞観9年10月13日戊寅条(867)勅加二松尾神社封二戸一、
『日本三代実録』貞観12年6月27日戊申条(870)松尾神社物忌一人充二月粮一、立為二永例一、
『日本三代実録』貞観12年11月17日乙丑条(870)分二-遣使者諸社一、奉二鋳銭司及葛野鋳銭所新鋳銭一、賀茂御祖別雷両社使前安芸介従五位下大中臣朝臣是直、松尾社使神祇権大祐正六位上斎部宿禰高善、稲荷社使神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道、石清水社使主水佑正六位上大中臣朝臣坂田麿、平野社使神祇少副正六位上大中臣朝臣有本、梅宮社使大監物従五位下橘朝臣茂生、春日社使雅楽少允従七位上大中臣朝臣冬名、大原野社使主水正正六位上大中臣朝臣鹿主、
『日本三代実録』貞観14年3月23日癸巳条(872)今春以後、内外頻見二怪異一、由レ是、分二-遣使者諸神社一奉幣、便於二近レ社道場一、毎レ社転二-読金剛般若経一、以二参議民部卿正四位下兼行春宮大夫南淵朝臣年名一、為二賀茂両社使一、参議正四位下行右兵衛督兼近江守源朝臣勤為二松尾梅宮両社使一、参議正四位下行左大弁兼勘解由長官近江権守大江朝臣音人為二平野社使一、参議右大弁従四位上兼行讃岐権守藤原朝臣家宗為二大原野社使一、従五位上行少納言兼侍従和気朝臣彜範為二石清水社使一、神祇伯従四位下藤原朝臣広基為二稲荷社使一、石清水社告文曰云々、又辞別天申、去年陰陽寮占申久、就二蕃客来一天不祥之事可レ在止占申世利、今渤海客随二盈レ紀例一天来朝世利、事不レ獲レ已、国憲止之天可召、大菩薩此状乎毛聞食天、遠客参近止毛、神護之故爾、無レ事久矜賜倍止恐美恐美毛申賜波久止申、自余社文一准二此例一、
『日本三代実録』貞観15年5月5日戊辰条(873)神祇官陰陽寮言、雨雹之怪、賀茂松尾等神成レ祟、於レ是遣二使社頭一奉二幣并走馬一、以謝二神怒一、其走馬、賀茂御祖別雷両社各十疋、松尾五疋、並装二-飾人馬一、足レ悦二神明一、告文曰云々、従五位下行伊勢介良岑朝臣晨茂乎差レ使天奉出須、
『日本三代実録』貞観15年5月20日癸未条(873)転二-読経巻一、更延二二日一、奉二-幣於賀茂、松尾、乙訓、稲荷、貴布禰、丹生川上雨師神一並祈二嘉澍一也、
『日本三代実録』貞観15年7月9日辛未条(873)遣二使於賀茂、松尾、稲荷、乙訓、貴布禰神社一奉幣、祈レ雨也、
『日本三代実録』貞観15年10月6日丁酉条(873)遣二使於賀茂、松尾、平野、大原野一奉レ幣、告文曰、天皇我詔旨止掛畏岐賀茂大神乃広前爾申賜倍止申久、頃月之間、物怪頻見己止在利、仍令二占求一爾、御病事可レ在止占申世利、此乎聞食天驚恐御坐須、今所念行久、先々爾毛如レ此岐不祥乎波、皇大神乃矜賜爾依天、災咎消除太利、因レ茲、参議従四位上行左兵衛督兼美濃権守源朝臣能有乎差レ使天、礼代乃大幣乎令二捧持一天奉出須、皇大神此状乎聞食天、未然之前爾災咎乎消滅賜天、御体無レ驚久、常磐堅磐矜守利幸賜天、天下平久護賜此助賜倍止恐美恐美毛申賜久止申、参議正四位下行左衛門督在原朝臣行平為二松尾社使一、参議従四位上守治部卿兼行備前守藤原朝臣仲統為二平野社使一、従四位上行兵部大輔兼備中守藤原朝臣諸葛為二大原野社使一、其告文詞並准此レ焉、
『日本三代実録』貞観17年6月3日甲寅条(875)分二-遣使者於山城国賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、乙訓、貴布禰、大和国丹生川上七社一奉幣、丹生川上奉二黒馬一、以レ祈二嘉澍一也、
『日本三代実録』貞観17年7月2日壬午条(875)遣レ使班二-幣賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、乙訓、木島、貴布禰、丹生川上八神社一、祈レ雨也、
『日本紀略』貞観17年8月25日乙亥条(875)奉二-幣伊勢及賀茂御祖別雷社、松尾、稲荷、木島、乙訓、丹生社一、祈二秋稔一也、
『日本三代実録』貞観18年5月4日庚辰条(876)勅遣二参議従三位民部卿藤原朝臣冬緒一向二松尾社一、参議正四位下行勘解由長官兼式部大輔近江守菅原朝臣是善向二賀茂御祖別雷両社二、同告二大極殿災一、
『日本三代実録』元慶元年4月9日庚辰条(877)巳四剋始構二-造大極殿一、以二正五位下行内蔵頭和気朝臣彜範、従五位上守権左中弁藤原朝臣春景、従五位下守木工権頭藤原朝臣維邦、左京亮従五位下坂上宿禰斯文、右大史正七位上時統宿禰当世一行レ事、先レ是、奉二-幣於伊勢大神宮及石清水八幡大菩薩宮、賀茂御祖別雷、松尾、平野、稲荷等神社一、告文曰云々、
『日本三代実録』元慶元年6月14日癸未条(877)奉二-幣石清水八幡大菩薩宮并賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、木島、乙訓、大依羅、垂水、広田、生田、長田神社一、祈二甘雨一也、
『日本三代実録』元慶元年7月19日戊午条(877)遣二従五位上守刑部大輔弘道王於伊勢大神宮一、并分二使賀茂御祖別雷、松尾、平野、大原野神社一奉幣、告以レ改二年号一、告文曰、天皇我詔旨止、掛畏松尾大神乃広前爾申賜倍止申久、食国之法止之天、即位之後爾波必改二年号一、而爾備後国貢二白鹿一、但馬国献二白雉一、尾張国言二木連理一利、如レ是嘉瑞波、是薄徳乃令二感致一倍岐物爾毛非須、掛畏岐皇大神乃慈賜比示賜倍留物奈利止為天奈毛、貴喜比受賜利天、御世乃名乎改天為二元慶元年一留事乎、左京大夫従四位上忠範王乎差レ使天奉出須、須二早申奉出一之、而乎有二事妨一天暫間延怠利、掛畏皇大神、此状乎平聞食天、天皇朝廷宝位無レ動久常磐堅磐爾守幸倍賜倍止申賜止申、辞別申久、頃月不レ雨之天、百姓農業皆焼損太留由、先申奉出已了太利、而至レ今未レ雨、因レ茲重亦其由乎祷申奉出賜布、皇太神助賜比天、風雨随レ時倍天矜賜比、所二焼残一乃五穀全登之女賜倍止申波久止申、
『日本三代実録』元慶2年3月9日乙巳条(878)分二-遣使者一、奉二幣馬於賀茂御祖別雷、松尾、石清水、稲荷、住吉、平野、大原野、梅宮一、及班二幣五畿七道諸名神一、賽二旧祷一也、告文曰、天皇我詔旨止、掛畏岐平野乃広前爾恐美恐美毛申賜倍止申久、去秋御体不予爾御坐之時、去八月十九日爾祈申之久、御体平安爾護助奉賜比、宝位無レ動久御坐賜波、礼代大幣爾御馬牽副天奉出无止祈申之岐、祈申之毛験久、平安爾護助奉賜倍利、因レ茲今所二祈申一乃大幣帛爾、御馬令二牽副一天、参議正四位下行左大弁兼左近衛中将近江権守源朝臣舒乎差レ使弖奉出須、此状乎平久聞食天、天皇朝廷乎、今毛今毛常磐堅磐爾護幸倍奉賜比、天下平安爾五穀豊登之米賜倍止、恐美恐美毛申賜波久止申、自余社告文並准レ此、
『日本三代実録』元慶2年6月3日丁卯条(878)自二去月一至レ此、亢陽不レ雨、名山大川能興レ雲致レ雨、並班レ幣祈レ雨、賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、貴布禰、丹生川上、乙訓、水主八社是也、丹生川上加二-奉黒馬一疋一、
『日本三代実録』元慶3年4月庚申朔条(879)停下平野松尾等祭、及賜二宴侍臣一之儀上、以二太皇大后崩一也、
『日本三代実録』元慶3年5月21日庚戌条(879)奉二-幣賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、貴布禰、乙訓等神社一、祈二膏雨一也、
『日本三代実録』元慶4年2月5日己丑条(880)遣二正四位下行右京大夫兼山城権守基棟王一向二於賀茂御祖別雷両社一、従四位上行山城守棟貞王於松尾社、散位従四位下和王於平野社、従四位下行右馬頭藤原朝臣門宗於大原野社、正五位下行神祇大副大中臣朝臣有本於稲荷社、並奉幣、告以二大極殿成一、告文曰、天皇我詔旨止、掛畏支賀茂大神乃広前爾申賜倍止申久、去貞観十九年四月九日、大極殿并東西楼廊等作始之時仁令レ祈申之久、如レ是岐国家大事乎波、皇大神乃厚助仁依天奈毛可二成立一止、令二祈申一賜岐、祈申之母之留久無レ事久平久令二作竟一賜倍利、仍今吉日良辰乎択定天、正四位下行右京大夫兼山城権守基棟王乎差レ使天、祷乃大幣帛乎令二捧持一天奉出給不、此状乎平久聞食天、今毛往前毛無レ驚久無レ事久護矜賜比、天皇朝庭乎宝位無レ動久常盤堅盤爾護幸倍賜比、天下国家乎毛平久護矜賜倍止申、
『日本三代実録』元慶4年5月16日己巳条(880)廼者膏雨難レ得、農民稍憂、是日、遣二使者於賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、乙訓、貴布禰、丹生川上等社一、奉レ幣祈レ雨、丹生川上加二-奉黒馬一、告文曰、云々、
『日本三代実録』元慶4年5月20日癸酉条(880)快雨、勅録下公卿及近衛兵衛衛門六府官人已下見二-在陣頭一者上、以二穀倉院調布一賜レ之、公卿加二-賚内蔵寮御服絹一各有レ差、外記内記侍二仗下一者亦預焉、賀二甘澍一也、先レ是、有レ勅議定、始レ自二廿二日一、三ヶ日間、於二賀茂松尾等社一、将レ修二潅頂経法一、為レ祈レ雨也、崇朝遍雨、故暫停止、是時右大臣摂政、毎レ遇二水旱災異一、側レ身修レ職、欲レ消二-去之一、密勿祗畏、恭事二神明一、
『日本三代実録』元慶6年4月22日甲午条(882)於二朱雀門前一修二大祓一、以二去八日大膳職人死、十日大蔵省人死、平野、松尾、賀茂等祭停止一故也、臨時大祓於二建礼門前一行レ之、因レ穢不レ可レ用二大蔵省幄一、仍用二朱雀門一也、
『日本三代実録』元慶7年5月22日丁亥条(883)夜、分二-遣使者於松尾、賀茂御祖、別雷、稲荷、貴布禰、水主、乙訓七社一、奉レ幣而雩、以レ旱也、
『日本三代実録』元慶7年7月13日丁丑条(883)遣二従四位上行神祇伯棟貞王一、奉二-幣於伊勢大神宮一、賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、貴布禰、丹生河上、大和等神社、遣二レ使班一レ幣、丹生河上加奉二白馬一、先レ是、六月廿七日鷺集二大極殿鵄尾一、今月三日已往霖雨淹レ旬、河水溢漲、内外略愁、陰陽寮占奏言、主上可レ患二疫病一、且天下将レ憂二風水一、故予祈二神明一、至レ是賽焉、
『日本三代実録』元慶7年9月2日乙丑条(883)奉二-幣於賀茂御祖、別雷、松尾、貴布禰、稲荷、乙訓、丹生河上神社一、祈レ止レ雨也、
『日本三代実録』仁和元年9月22日癸卯条(885)分二-遣使者於賀茂上下、松尾、稲荷、住吉、石清水、高賀茂、平野、春日、大原野、梅宮十一神社一奉幣、告文曰、天皇我詔旨止掛畏支賀茂大神乃広前爾申賜倍止申久、頃間天皇我御為爾、不祥之事可レ有之止、就レ事天所レ示奈毛有留、如レ此之事乎波、掛畏支皇大神乃広恵爾依天之、予防倍岐物奈利止奈毛所念行須、故是以、参議正四位下行近江権守源朝臣是忠乎差レ使天、礼代乃大幣乎令二捧持一天奉出須、掛畏支皇太神、此状乎平久聞食天、天皇朝廷乎宝位無レ動久、常磐堅磐爾、夜守日守爾護幸賜比、諸不祥事乎波未然爾防除賜比天、風水之災不二発賜一天、五穀豊稔爾天下平安爾守護賜倍止、恐美恐美毛申賜久止申、余社告文又復准レ此、
『日本三代実録』仁和2年8月7日癸丑条(886)自二去四日一霖雨、至レ此大風雨洪水、分二-遣使者於賀茂上下、松尾、稲荷、貴布禰、丹生河上六社一、奉レ幣祈二止雨一、告文曰、天皇我詔旨止、掛畏支松尾大明神乃広前申賜倍止申、方今秋稼乃登熟須留時奈利、大神乃厚護爾依天之、風雨乃災不レ起之天、五穀豊稔倍之止奈毛所念行須、故是以正親司少令史従八以上斎部宿禰岑吉乎差レ使天、礼代乃大幣帛乎令二捧持一天奉出須、此状乎神奈可良毛聞食天、風雨之災防除給比、五穀茂盛仁天下饒足之女給比、天皇朝廷乎宝祚無レ動久、常磐堅磐爾夜守日守利爾護幸奉賜倍止、恐美恐美毛申給久止申、自余社告文准レ此、丹生河上貴布禰二社加奉二白馬各一疋一、
『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)発二-遣大神宝使一、
『日本紀略』寛平3年2月19日己亥条(891)今日七社奉幣、
『本朝月令』・4月上申日松尾祭事先代旧事本紀云、次大山咋神、此神者坐二近淡海之比叡山一、亦坐二葛野郡之松尾一、用二鳴鏑一神也、
国史云、承和十四年六月、霖雨止息、先レ是左相撲司伐二葛野郡家前槻樹一作二大鼓一、有レ崇、由レ是、奉二幣及鼓於松尾大神一以祈謝、用レ鼓牛皮十二張、一面六張、
口伝云、松尾社禰宜秦真足、祝秦興主、依レ犯二-用大鼓輪鉄一、解二-却見任一、興主之男一人大膳職掌、一人沙弥住二神宮寺一也、真足無子、初深草天皇之御時、伐二葛野郡四方之槻木一、作二相撲司之大鼓一、明神忿怒、託宣云、此樹者我時々来遊之木也、而伐取不レ可レ然云云、其伐レ木囚人多死去也、行事官人墜レ馬傷レ身、時人云、嘉祥元年、洪水、為流二彼材一、所二出災一也、神明之祟猶不二休止一、奉二-為公家一数々有二視現一、遂牽二彼鼓一、進二神社一、其鼓経レ年破損、爰真足興主窃取二彼輪鉄一作二雑釘馬鍫等一、宛二売買料一、于時神明示レ祟、公家仍勘発、解二-却禰宜祝之職一、又右大臣源多卿為二奉幣一参二神社一、見二此鼓管無一レ皮、意謂将レ張二此鼓一可レ善也、後日大臣病患之時、令レ占二祟由一、陰陽家告云、有二神明之祟一、心中反覆、是尤鼓事也、将レ張無レ輪、因以レ釘張レ之、張レ鼓之後、音楽之奏、百二-倍他時一云々、
秦氏本系帳云、正一位勲一等松尾大神御社者、筑紫胷形坐中部大神、戊辰年三月三日、天二-下坐松埼日尾一、又云二日埼岑一、大宝元年、川辺腹男、秦忌寸都理、自二日埼岑一更奉二-請松尾一、又田口腹女、秦忌寸知麻留女、始立二御阿礼一畢、知麻留女之子秦忌寸都駕布、自二戊午年一為レ祝、子孫相承、祈二-祭大神一、自レ其以降、至二于元慶三年一、二百卌四年、
国史云、延暦三年十一月、遣レ使修二-理松尾社、同五年十二月、叙二従五位下松尾神従四位下一、嘉祥二年二月、勅、従三位松尾大神社禰宜祝等、並預二把笏之例一、
神名帳云、仁寿二年五月、加二山城国松尾神正二位一、
国史云、加二山城国正二位勲二等松尾神従一位一、貞観十二年八月、松尾社物忌一人宛二月粮一、立為二恒例一、
『本朝月令』・4月中酉賀茂祭事中酉賀茂祭事、
秦氏本系帳云、正一位勲一等賀茂大神社、賀茂者、日向曽之峯天降坐神、賀茂建角身命也、神倭石寸比古之御前立上坐而宿二-坐大倭葛木山之峯一、自レ彼漸遷、至二山代国岡田之賀茂一随二山代河一下坐、葛野河与二賀茂河一所レ会立坐、見二-廻賀茂川一而言、雖二狭小一然石川清川在、仍号曰二石川瀬見小川一、自二彼川一上定二-坐久我国之北山基一、従二爾時一名曰二賀茂一也、 建角身命娶二丹波国神伊賀古夜日売一、生レ子、曰二玉依日子一、次曰二玉依日売一、於二石川瀬見小川一遊為時、丹塗矢自二川上一流下、乃取挿二-置床辺一、遂感孕生二男子一、至二成人時一、外祖父建角身命造二八尋屋一、堅二八戸扉一、醸二八腹酒一、而神集々而七日七夜楽遊、然与レ子語言、汝父将レ思人、令レ飲二此酒一、即挙二酒坏一向レ天為レ祭、分二穿屋甍一而升レ天、乃因二外祖父之名一、号二賀茂別雷命一、所謂丹塗矢者、乙訓郡社坐大雷命在、賀茂建角身命也、丹波神伊賀古夜日売也、玉依日売也、三柱神、在二蓼倉里一三井社坐也、妋玉依日子者、今賀茂県主遠祖也、其祭祀日乗レ馬矣、志貴島宮御宇天皇之御世、天下挙国、風吹雨零、爾時勅二卜部伊吉若日子一令レ卜、乃賀茂神祟也、撰二四月吉日一馬繋レ鈴、人蒙二猪影一而駈馳、以為二祭祀一、能令二祷祀一、因レ之五穀成熟、天下豊年、乗馬始二於此一也、
又云、初秦氏女子出二于葛野河一、澣二-濯衣裳一、時有二一矢一、自レ上流下、女子取レ之還来、刺二-置於戸上一、於レ是女子無レ夫懐妊、既而生二男子一也、父母怪レ之責問、爰女子答云、不レ知、再三詰問、雖レ経二日月一、遂云レ不レ知、父母以謂、雖レ然無レ夫而無二生レ子之理一也、我家往来近親眷族、隣里郷党之中、其夫応レ在、因レ茲弁二-備大饗一、招二-集諸人一、令二彼児執一レ盃、祖父母命云、父止思人爾可レ献レ之、于時此児不レ指二衆人一、仰観行指二戸上之矢一、即便為二雷公一、坼二-破屋棟一、升レ天而去、故鴨上社号二別雷神一、鴨下社号二御祖神一也、戸上矢者松尾大明神是也、是以秦氏奉二-祭三所大明神一、而鴨氏人為二秦氏之婿一也、秦氏為二受婿一以二鴨祭一譲与之、故今鴨氏為二禰宜一奉レ祭、此其縁也、鴨祭之日楓山之葵挿レ頭、当日早朝、松尾社司等令レ齎二挿頭料一、参二-候内蔵寮一、祭使既来、置二楓山葵於庭中一、詔戸申使等、各挿レ頭出立、禰宜祝等賜二禄物一、又走馬、近衛二人捧二謝幣一、与二禰宜祝一倶参二松尾神社一、是乃父母子愛之義、芬芳永存之心也、
右官史記云、天武天皇六年二月丙丁、令三山背国営二賀茂神宮一、
神祇令云、天神地祇、神祇官皆依二常典一祭之、義解云、天神謂二伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神等類一、
国史云、文武天皇二年三月、禁二山背国賀茂祭日会レ衆騎射一、 和銅四年四月詔、賀茂神祭日、自今以後、国司毎年親臨𢮦察焉、 神亀三年三月、衆人会集、一切禁断、 天平四年四月、任レ意祭レ之、 天応元年四月、令二賀茂神二社禰宜祝等始把笏一、
又或記云、延暦十二年癸酉、北野山中、天皇行幸、而諸臣却奉各去也、于時遣二大火一給、祈申、始奉二鴨上下両神大祭事一、率二供奉諸司一并奉二斎内親王一、
又説云、嵯峨天皇与二平城天皇一有レ隙不レ穆、于時嵯峨天皇祈祷有レ感、初奉二斎王一云々、
大同二年三月、従一位勲一等賀茂御祖神奉レ授二正一位一、
弘仁格云、太政官符、定二新置斎院司官位職員一事、長官一員、次官一員、判官一員、主典一員、右被二中納言兼左近衛大将従三位行春宮大夫陸奥出羽按察使藤原冬嗣宣一、奉レ 勅宜二依レ件定一弘仁九年五月九日、
弘仁神式云、凡四月中申酉祭二賀茂二社一、斎内親王向レ社、史一人、左右史生各一人、官掌一人向二祭所一、𢮦-二校諸事一、 山城国司預申二祭日一録レ状、少納言奏聞、差二勅使一令レ奉レ幣、并有二走馬一、事見二内蔵及左右馬寮式一、其日、宮門閤門前立レ仗守衛、前一日、大臣侍二殿上一召二諸衛府於殿前庭一、而仰二警固事一、後日解却亦准レ此、
弘仁内蔵式云、賀茂祭上社下社、松尾社社別禰宜祝各一人、上下両社、各物忌一人、云々、使等装束料云々、右当日平旦、内侍已下退出、於二寮庁前一与二使官人等一共解除、訖松尾社幣便附二禰宜祝等一、即使等再拝両段、退各就レ座、寮家供レ饌行レ酒乃発、山城国司率二騎兵等一、於二京外路一、前駈祗承、
国史云、弘仁十年三月、勅、山城国愛宕郡賀茂御祖并別雷二神之祭、宜レ准二中祀一、 承和十五年二月、正一位勲一等賀茂御祖大社禰宜外従五位下鴨県主広雄等款云、去天平勝宝二年十二月十四日、奉レ宛二御戸代田一町一、自レ爾以降、未レ被レ奉レ加、因レ茲年中用途乏少、望請准二別雷社一、加二-増御戸代田一町一、勅許レ之、
貞観主税式云、凡賀茂祭使食料稲四百束、以二山城国正税一宛之、
『延喜式』1(四時祭上) 松尾祭条〔16〕松尾祭、
五色絁各一丈、絹一丈、倭文一丈、糸二絇、綿二屯、木綿大四両、麻十両、裹薦一枚、銭二百文、贄直、調布二端、軾料、貲布二端、当色、朸一枚、夫一人、
右、夏四月上申日祭之、弁史各一人、向二社頭一行事、
『延喜式』2(四時祭下) 相嘗松尾社条〔11〕松尾社二座、
絹四疋、糸二絇二両、綿六屯、調布七端三丈八尺、庸布二段二丈六尺、木綿三斤四両、鮑一斤四両、堅魚五斤四両、腊八斤、海藻四斤、凝海藻六斤、塩二升、筥二合、瓼、缶、水盆、山都婆波、小都婆波、筥瓶、酒垂、匜、等呂須伎、高盤、片盤、短女坏、小坏、筥坏、陶臼各二口、酒稲百束、神税、
『延喜式』3(臨時祭) 祈雨神祭条〔26〕祈雨神祭八十五座、並大、
賀茂別雷社一座、 賀茂御祖社二座、 松尾社二座、
稲荷社三座、 水主社十座、 樺井社一座、
木島社一座、 羽束石社一座、 乙訓社一座、
和伎社一座、 貴布禰社一座、已上山城国、
大和社三座、 大神社一座、 石上社一座、
太社二座、或作二多社一、 一言主社一座、 片岡社一座、
広瀬社一座、 龍田社二座、 巨勢山口社一座、
葛木水分社一座、 賀茂山口社一座、 当麻山口社一座、
大坂山口社一座、 胆駒山口社一座、 胆駒社一座、
石村山口社一座、 耳成山口社一座、 養父山口社一座、
都祁山口社一座、 都祁水分社一座、 長谷山口社一座、
忍坂山口社一座、 宇陀水分社一座、 飛鳥社四座、
飛鳥山口社一座、 畝火山口社一座、 吉野山口社一座、
吉野水分社一座、 丹生川上社一座、已上大和国、
枚岡社四座、 恩智社二座、已上河内国、
大鳥社一座、和泉国、
住吉社四座、 大依羅社四座、 難波大社二座、
広田社一座、 生田社一座、 長田社一座、
新屋社三座、 垂水社一座、 名次社一座、已上摂津国、
座別絹五尺、五色薄絁各一尺、糸一絇、綿一屯、木綿二両、麻五両、裹薦半枚、毎レ社調布二端、軾料、夫一人、丹生川上社、貴布禰社各二加黒毛馬一疋一、自余社加二庸布一段一、其霖雨不レ止祭料亦同、但馬用二白毛一、
『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕名神祭二百八十五座、
園神社一座、 韓神社二座、已上坐二宮内省一、
賀茂別雷神社一座、 賀茂御祖神社二座、 松尾神社二座、
稲荷神社三座、 貴布禰神社一座、 鴨川合神社一座、
御井神社一座、 葛野月読神社一座、 木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、 梅宮神社四座、 乙訓神社一座、
酒解神社一座、亦号二山崎神一、已上山城国、
春日神社四座、 大和神社三座、 石上神社一座、
多坐神社二座、或号二大社一、 飛鳥神社四座、 高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、 大神神社一座、 太玉神社四座、
穴師神社一座、 高屋安倍神社三座、 大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、 金峯神社一座、 鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、 葛木一言主神社一座、 高鴨神社四座、
高天彦神社一座、 葛木火雷神社二座、 片岡神社一座、
火幡神社一座、 広瀬神社一座、 龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、 枚岡神社四座、 杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、 大依羅神社四座、 難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、亦号二下照比売一、 新屋神社三座、 垂水神社一座、
広田神社一座、 生田神社一座、 長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、 多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或大作レ多、 真墨田神社一座、 大県神社一座、
熱田神社一座、 日割御子神社一座、 孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、 敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、 伊古奈比咩命神社一座、 物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、 楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、 金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、 大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、 筑波山神社一座、 吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、 稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、 日吉神社一座、比叡神同、 佐久奈度神社一座、
建部神社一座、 川田神社二座、 御上神社一座、
奥津島神社一座、 伊香神社一座、 水尾神社二座、或水作レ三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、 穂高神社一座、 生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、或作二抜鋒一、 伊加保神社一座、 赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、 苅田嶺神社一座、 志波彦神社一座、
鼻節神社一座、 志波姫神社一座、 伊達神社一座、
東屋沼神社一座、 零羊崎神社一座、 拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、 多珂神社一座、 伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、 大高山神社一座、 子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、 月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、 大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、 小川月神社一座、 麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、 籠神社一座、 大虫神社一座、
小虫神社一座、 大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、 夜夫神社二座、 伊豆志神社八座、
山神社一座、 戸神社一座、 雷神社一座、
欘椒神社一座、 海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、 杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、 宇受加命神社一座、 水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、 粒坐天照神社一座、 中臣印達神社一座、
家島神社一座、 伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、 伊都伎島神社一座、 多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、 日前神社一座、 国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、 大屋都比売神社一座、 都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、 伊達神社一座、 志磨神社一座、
静火神社一座、 須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、 大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、 天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、 大山積神社一座、 野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、 住吉神社三座、 志加海神社三座、
八幡神社一座、 筑紫神社一座、 竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、 豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、 兵主神社一座、 月読神社一座、
中津神社一座、 天手長男神社一座、 天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、 和多都美御子神社一座、 高御魂神社一座、
和多都美神社一座、 太祝詞神社一座、 住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若有二大祷一者、加二絁五丈五尺一、以二布一端一代二糸一絇一、
『延喜式』3(臨時祭) 松尾社封条〔80〕凡松尾社因幡国封租穀者、停レ収二此官一、収レ社充二供神料一、
『延喜式』11(太政官) 松尾祭条〔70〕凡松尾祭者、四月上申、弁史并左右史生官掌各一人参行事、其幣物者、神祇官請レ自二大蔵省一供之、諸司同供奉、
『延喜式』13(中宮) 賀茂祭条〔18〕凡四月中酉、奉二賀茂上下松尾三社幣一使者、五位已上官一人、若大夫帯二参議一不レ須、史生一人、已上啓二名簿一、舎人二人、仕丁六人、
其日遅明、使史生率二舎人等一、裹二幣六捧一、社別二捧、賀茂上下社別五色帛各六尺、糸一絇、曝布一端、木綿、麻各大二斤、已上幣料、商布一丈三尺五寸、裹レ幣料、五色絁各三疋、阿礼三具料、楊筥三合、盛二阿礼一料、絁一疋、糸一絇、曝布一端、已上禰宜軾料、絁一疋、曝布一端、已上祝軾料、松尾社、五色絁各六尺、糸一絇、曝布一端、木綿、麻各大二斤、已上幣料、商布八尺、裹レ幣料、絁一疋、糸一絇、曝布一端、已上禰宜軾料、絁一疋、曝布一端、已上祝軾料、使官率二史生等一、令レ持二幣帛一、入レ自二玄暉門一、安二左腋庭門案上一、預樹二高案二脚於簀二枚上一、史生及舎人惣八人、共挙二幣案一進、使官相副扶之、付二蔵人一候二常寧殿東一、次宮主奉二御麻一、解除畢退出、即蔵人持レ案授、使者受取罷出、更於二庁前一宮主解除、畢使官已下向二内蔵寮一就二庭座一、松尾社禰宜祝候二於内蔵寮一、史生一人、舎人一人、各捧二幣帛一、進授二禰宜等一、即内蔵寮給レ饌、畢各達二前所一、
装束料、
絹一疋、纐纈三丈、裙表料、帛一疋、三丈裙裏料、三丈下裙料、表裙一腰、直、帯一条、直、沓一両、直、紅花四斤、已上上社物忌料、下社亦同、絹五疋、細布五端、曝布五端、当色一具、已上五位使料、若四位者加二絹二疋一、絹一疋、細布五端、曝布一端、当色一具、已上史生料、八丈貲布二端、紅花二斤、已上舎人二人料、紺布四端、袍料、曝布一端三丈、一丈六尺布帯料、以二八尺一充二二人一、一端四尺袴料、人別一丈四尺、並持レ幣仕丁六人料、細布二端、調布六端、紅花二斤、左右馬寮御馬騎者喚継二人料、絹廿六疋五丈、縑二疋四丈三尺、紅花卌八斤、紗一疋、細布七端、銭十七貫六百廿文、已上命婦料、絹八疋、一疋五丈二尺、紗四丈、細布四端二丈、紅花卅八斤、銭十貫三百廿文、已上蔵人料、
右依二前件一、男官料請二大蔵内蔵等省寮一、但賜二馬人并女使一料、以二職庫物一充之、
『延喜式』15(内蔵) 賀茂祭条〔13〕賀茂祭、
下社、上社、松尾社、社別禰宜、祝各一人、下上両社各物忌一人、社別五色薄絁各六尺、糸一絇、曝布一端、安芸木綿、麻各大二斤、已上幣料、裹料商布一段二丈一尺、二社各二丈三尺、松尾社八尺、阿礼料五色帛各六疋、下社二疋、上社四疋、盛二阿礼一料筥八合、下社三合、上社五合、並方一尺六寸、布綱十二条料、調布一端一丈四尺、明櫃四合、已上官物、
物忌装束、人別夾纈三丈、袍料、表裙一腰、充直、帛一疋、袍裙裏并裙腰料、已上官物、下裙一腰、紫糸十二両、白紗一丈八尺、赤紫帛四尺二寸五分、両面一尺五寸、糸四両、並寮物、帯一条、履一両、紅花四両、已上官物、禰宜、祝人別当色料貲布四丈、絹一疋、糸一絇、祝除「綵」レ糸、調布各一端、
使儲幣、五色帛各五丈、調布一端、安芸木綿大三斤、麻大一斤、紙七十張、已上寮物、
使等向レ祭日解除料、曝布一端、商布二段、安芸木綿、麻各大一斤、鍬二口、白米三升、酒四升、盛腊一籠、塩一升、已上官物、
使等装束料、
寮官人五位已上一人、絹七疋、細布五端、曝布五端、已上官物、緋貲布一端、四位深緋、下同、寮物、
史生二人、各絹一疋、細布二端、曝布一端、蔵部一人、絹一疋、貲布一端、曝布一端、紅花大一斤、持二幣帛一衛士四人料、紺調布二端、衫料、曝布一端、布帯并袴料、已上官物、
近衛府五位已上官人一人、絹五疋、細布五端、並官物、緋貲布一端、寮物、近衛十二人、二人松尾社其料充二寮物一、各絹一疋、綿一屯、
曝布一端、細布一丈四尺、釼緒八尺、左近緋、右近緋纈、已上官物、
馬寮官人五位已上一人、絹五疋、細布五端、並官物、緋貲布一端、寮物、馬部一人、貲布一端、紅花大一斤、並官物、御馬十二疋、二疋松尾社料、結レ額料緋糸二絇、轡并腹帯料曝布三端一丈四尺四寸、並官物、
中宮五位已上官人一人、絹五疋、細布五端、並官物、緋貲布一端、寮物、史生一人、舎人二人装束料、同二寮使一、持二幣帛一衛士、同レ御、
女使料、白縑四疋、色縑四疋、緋絹二疋、縹絹二疋、縹油絁一疋、銭五貫文、竹大笠一盖、已上内侍料、白縑二疋、色縑二疋、白絹一疋、絹一疋、白綾一丈五尺、緋絹一疋三丈、縹油絁一疋、望陀布一端二丈、銭四貫文、已上命婦料、白縑一疋、色縑一疋、白絹一疋、絹一疋、白綾一丈五尺、緋絹一疋、縹油絁一疋、望陀布一端一丈、紺細布三端、已上蔵人料、白縑一疋、色縑一疋、已上闈司料、並用二寮物一、
右夏四月中酉祭之、当日巳一尅、寮使就二内侍一申二罷状一給二宣命一、然後使内侍已下退出、於二寮庁一前、与二使官人等一共解除、訖松尾社幣便附二禰宜祝等一、即使等再拝両段退各就レ座、掃部主水等寮司並供奉、寮家供レ饌行レ酒乃発、
山城国司率二騎兵等一、於二京外路一、前駈祗承、
『延喜式』32(大膳上) 松尾雑給料条〔14〕松尾神祭雑給料、
折櫃卌五合、大笥卌三合、東鰒十斤、熬海鼠、烏賊各十六斤五両、雑鮨、腊各六十四斤十二両、雑平魚廿一斤、鮭八隻半、鯖卌斤、芥子一升、海藻廿斤六両、塩一斗一升六合二勺、醤五升一合、韲酒、酢各五升七合、机別二合、折櫃別一合、陶大盤、叩戸各五口、調布三端九尺、折櫃敷料各三尺、曝布一端六尺、机敷料別五尺、覆料別六尺、篩料絹三尺、商布五端、襅并巾料、覆レ瓫柏卅把、机別五把、食薦五十枚、青菜一斛、内膳司所レ奉、漬椒子五升、韲料、油一斗一升、八升菓子料、三升炬料、干柏卅俵、裹レ飯料、片埦八十七口、机別八口、折櫃別一口、窪坏二百四口、机別六口、折櫃別四口、平坏三百口、折櫃別八口、筯竹五十株、調布三端、鮮物并雑菓子等料、糯米四斗二升、机別一升、折櫃別八升、白米二斗六升一合、菓子料、机別六合、折櫃別五合、大小豆各一斗、胡麻子一斗、小麦六升、糯糒、糖各五升一合、机別二合、折櫃別一合、炭一斛、薪二荷、夫五人、請二京職一、雑魚卌斤、滓醤二斗、已上机六前、折櫃卌五合、大笥卌三合、裹飯百廿口等、及百度料、
『延喜式』34(木工) 著幣帛木料条〔4〕著二幣帛一木卅六枝、長各八尺、方一寸五分、
四枝賀茂上下祭料、各二枝、二枝松尾、四枝春日、四枝率川、二枝大原野、四枝大神、二枝山科、四枝当麻、二枝杜本、二枝当宗料、就中四枝賀茂臨時祭、二枝同松尾祭料、
『延喜式』35(大炊) 松尾祭料条〔13〕松尾祭料、
米二石九斗二升八合、一石四斗二升八合机六前、折櫃卌五合、大笥卌三合、裹飯百廿口料、一石五斗百度料、飯椀五十一口、覆レ瓫柏卌五把、薪五荷、夫五人、
『延喜式』35(大炊) 親王已下月料条〔35〕親王已下月料、
無品親王、内親王、妃、夫人、女御、日米各五升、幼親王乳母、日二升、乳母子各五斗、小月亦同、七歳以後停止、
賀茂斎内親王料、日米一斗、稷八合、同院雑色人料、米月廿二石六斗八升、小月廿一石九斗二升四合、
平野古開久度三神、各物忌一人、日一升二合、松尾社物忌一人料、米三斗六升、小月三斗四升八合、
采女卅七人料、米十八石九斗、小月十八石二斗七升、中宮女孺廿七石六斗、小月亦同、女官厨一百五十六石、小月一百五十石七斗六升二合、内教坊米廿石、小月十九石三斗三升三合六勺、
諸得業生、人別日二升、観天文生、日二升、漢語師、日一升二合、
大蔵縫女卅人、惣日四升、長人、日五升、
中務史生十人、省掌一人、監物史生四人、大学寮官人六人、博士十五人、史生四人、学生五十人、民部史生廿人、宮内史生十人、春宮坊史生二人、舎人五十人、左右近衛府生各六人、番長三人、近衛二百人、左右兵衛府生各二人、番長二人、兵衛百五十人、左右衛門府生各二人、門部五十人、
右依二前件一、人別日米一升、但大学官人、博土并諸衛府生以下日各二升、大学史生学生日各一升二合、
『延喜式』36(主殿) 松尾祭料条〔6〕松尾祭料、
続松卅把、炭一石、
『延喜式』40(造酒) 松尾祭料条〔18〕松尾神祭料、
酒二斛五斗、曝布三丈八尺、貲布三尺、篩絹五尺、八足机二前、缶八口、匏十五柄、酒台二具、坩二合、窪坏、盤各五十口、黒葛二斤、
『延喜式』40(主水) 諸祭雑給料条〔10〕諸祭雑給料、
園韓神祭料、春冬並同、
漿料米四升、高盤四口、土椀四合、陶椀六合、瓫四口、布篩一口、四尺、匏二柄、炭五斗、
春日祭料、春冬並同、
漿料米一斗、盤五口、高盤二口、土埦四合、瓫四口、巾二条、別五尺、布篩一口、四尺、杓二柄、炭五斗、
平野祭料、夏冬並同、
漿料米四升、高盤二口、土埦二合、瓫三口、匏一柄、炭三斗、
大原野祭料、春冬並同、
漿料米四升、高盤二口、土埦二口、瓫三口、匏一柄、炭三斗、巾料調布一丈、
松尾祭、料物同二平野祭一、
右五祭官人一人、率二水部二人、及仕丁等一、向二祭所一供レ事、
『延喜式』43(春宮) 賀茂松尾社条〔15〕凡同月中酉奉二賀茂上下、松尾三社一幣帛、社別五色薄絁各三尺、調布一端、裹以二調布并薦一、差レ亮令レ奉、亮若有レ障差二学士一、若加二史生一人、走馬舎人二人一、即申二-送弁官一下二-知当国一、其日遅明、使史生率二舎人一裹二幣六捧一、社別二捧、使官率二史生等一令レ持二幣帛一、入レ自二東門一安二東細殿南案上一、預樹二二高案於二簀上一、主殿署設二東宮座於前殿南廂一、北向、史生及舎人惣八人、倶舁二幣案一進昇レ自二南階一、使官相副扶之、樹二廂座北一、使官降侍二階下一、史生、舎人退出、東宮服二朝服一就レ座、宮主捧レ麻入跪二庭中一、解除退出、即東宮両段再拝、史生舎人入舁二幣案一、使官随即退出、東宮待三使人過二細殿南一、即復二本座一、使官更集二於坊廳前庭一、宮主捧レ麻解除、畢使官以下向二内蔵一就二庭座一、松尾社禰宜祝二人候二于内蔵一、史生一人、舎人一人、各捧二幣帛一進授二禰宜祝等一、即内蔵給レ饌、畢各達二前所一、
『延喜式』45(左右近衛) 諸祭供走馬条〔41〕凡諸祭供二走馬一者、春日社使少将已上一人、但帯二参議一者不レ須、賀茂亦同、近衛十二人、大原野社将監一人、近衛十人、大神社将監一人、近衛十人、賀茂社少将已上一人、近衛十二人、二人先参二松尾社一供二走馬一、並毎レ祭左右逓供之、其装束預奏請受、色数見二内蔵式一、
『延喜式』48(左右馬) 賀茂祭走馬条〔10〕凡賀茂二社祭走馬十二疋、松尾二疋在二此内一也、馬別韁鞚料調布四尺二寸、表腹帯七尺、結二額髪一糸二両、余祭馬装准レ此、其使五位已上官一人、使者装束之数見二内蔵式一、皇后宮走馬二疋、馬装同レ上、並二寮逓供奉、余祭准レ此、又女騎料四疋、内侍已上料、前レ祭二日経二御覧一、両寮之間点二-定能否一、斎院女騎料八疋、属馬医史生各一人、共預供之、
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