神道・神社史料集成(古代) 乙訓坐火雷神社

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乙訓坐火雷神社(山城国乙訓郡)

 

『続日本紀』大宝2年7月癸酉(8日)条(702)

詔、伊勢太神宮封物者、是神御之物、山背国乙訓郡火雷雨、大幣及月次幣
 

『続日本紀』宝亀5年正月乙丑(25日)条(774)

山背国言、去年十二月、管内乙訓郡乙訓狼及鹿多、野狐一百許、毎吠鳴、七日乃止、

『続日本紀』宝亀5年6月壬申(5日)条(774)

-幣於山背国乙訓郡乙訓犲狼之也、黒毛馬於丹生川上旱也、
 

『続日本紀』延暦3年11月丁巳(20日)条(784)

近衛中将正四位上紀朝臣船賀茂上下二社従二兵部大輔従五位上大中臣朝臣諸松尾乙訓従五位也、

『続日本紀』延暦3年11月乙丑(28日)条(784)

使-理賀茂上下二社及松尾乙訓

『日本紀略』延暦13年12月庚戌(11日)条(794)

-置山城国乙訓社仏像於大原初西山採-息此便刻衆会集故遷、

『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)

神封部
合四千八百七十六戸
(略)
乙訓神 六戸 山城国 天平七年四月十四日符
(略)
 

『日本紀略』弘仁13年8月庚申(3日)条(822)

乙訓、広湍、龍田等従五位

『日本紀略』弘仁14年6月丁亥(4日)条(823)

使-幣貴布禰、乙訓、広湍、龍田四-幣帛馬吉野川上雨師神也、
 

『続日本後紀』承和5年8月癸丑(28日)条(838)

降雨殊切、-幣賀茂上下、松尾、乙訓、垂水、住吉等焉、

『続日本後紀』承和7年4月庚午(29日)条(840)

勅、頃者、炎旱未幾、嘉苗殆枯、-幣松尾、賀茂、乙訓、貴布禰、丹生川上雨師、垂水等焉、

『続日本後紀』承和8年4月己巳(29日)条(841)

勅、頃者、時雨不降、農夫輟耕、-幣松尾、賀茂、乙訓、貴布禰、垂水、住吉、雨師

『続日本後紀』承和9年3月丁巳(22日)条(842)

使-幣松尾、鴨御祖、鴨別雷、乙訓也、

『続日本後紀』承和9年7月戊戌(6日)条(842)

勅、-幣於貴布禰、乙訓、丹生川上雨師也、

『文徳天皇実録』嘉祥3年7月丙戌(11日)条(850)

山城国火雷神従五位遠江国任事、鹿苑両神、並従五位大和国丹生川上雨師神正四位龍田天御柱命神、国御柱命神、若宇加乃売命神、並従五位策命曰、 天皇詔旨坐、天御柱国御柱神等広前申賜倍止、国家鎮護賜布爾、御位奉天乃後、年月久成多利、因茲、神祇少副正六位上大中臣朝臣久世主差使、御位上奉称奉、今風雨随五穀豊登之女、天下平安、天皇朝庭堅磐常磐、護賜助賜倍止申賜波久止申、

『文徳天皇実録』仁寿元年6月甲辰(3日)条(851)

使伊勢、賀茂、松尾、乙訓以祈霽、策文曰、天皇詔旨、掛畏大神広前、近来雨降己止、百姓農業流損奴倍之、掛畏大神厚助、此災之止所念行天奈毛、去五月廿七日御馬進、雨止祷申賜比之、而卜定多留日促爾之天、御馬取己止堪、後日必進、故是以差使、太幣奉出、此状聞食、降雨忽晴五穀不損、秋稼豊登之女、天皇朝庭、常磐堅磐、天下平安、護幸助賜矜賜倍止、恐美毛申賜久止申、又別辞申、此雨左留由縁卜求礼波、春祭供奉世留使等中介利、因茲、大神不志己理賜倍利止卜申世利、而祭使御卜合倍留止奈毛、所念行世留、此事聞食天奈毛懼畏御坐、大神神那我良聞食、今弥益護助賜倍止、恐美毛申賜久止申、

『文徳天皇実録』天安2年7月辛未(12日)条(858)

-命雨師、乙訓、水主、貴布禰也、入天陰小雨、
 

『日本三代実録』貞観元年正月27日甲申条(859)

京畿七道諸神進及新叙、惣二百六十七社、奉淡路国無品勲八等伊佐奈岐命一品、備中国三品吉備都彦命二品、神祇官無位神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神並従一位、無位生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神、櫛石窓神、豊石窓神、生島神、足島神並従四位上、宮内省従三位園神、韓神並正三位、大膳職正四位下御食津神従三位、左京職従五位上太祝詞神、久慈真智神並正五位下、大膳職従五位下火雷神、大炊寮従五位下大八島竈神八前、斎火武主比命神、内膳司従五位下庭火皇神、造酒司従五位下大戸自神等並従五位上、無位酒殿神従五位下、山城国正二位勲二等松尾神従一位、葛野月読神、平野今木神並正二位、正四位下稲荷神三前並正四位上、正四位下大若子神、小若子神、酒解神、酒解子神並正四位上、平野従四位下久度古開神従四位上、正五位上貴布禰神、正五位下乙訓火雷神、従五位上水主神等並従四位下、正五位下合殿比咩神正五位上、従五位下樺井月読神、木島天照御魂神、和支神並正五位下、従五位下祝園神、天野夫支売神、岡田鴨神、岡田園神、樺井月神、棚倉孫神、許波多神、出雲井於神、片山神、鴨川合神等並従五位上、正六位上与度神、石作神、向神、簀原神、鴨山口神、小野神、久我神、高橋神、双栗神、水度神、伊勢田神、無位小社神並従五位下、大和国従一位大己貴神正一位、正二位葛木御歳神、従二位勲八等高鴨阿治須岐宅比古尼神、従二位高市御県鴨八重事代主神、従二位勲二等大神大物主神、従二位勲三等大和大国魂神、正三位勲六等石上神、正三位高鴨神並従一位、正三位勲二等葛木一言主神、高天彦神、葛木火雷神並従二位、従三位広瀬神、龍田神、従三位勲八等多坐弥志理都比古神、金峰神並正三位、正四位下丹生川上雨師神従三位、従五位下賀夜奈流美神正四位下、従五位下勲八等穴師兵主神、片岡神、夜岐布山口神並正五位上、従五位下都祁水分神、都祁山口神、石寸山口神、耳成山口神、飛鳥山口神、畝火山口神、長谷山口神、忍坂山口神、宇陀水分神、吉野水分神、吉野山口神、巨勢山口神、葛木水分神、鴨山口神、当麻山口神、大坂山口神、伊古麻山口神並正五位下、従五位下和爾赤坂彦神、山辺御県神、村屋禰富都比売神、池坐朝霧黄幡比売神、鏡作天照御魂神、十市御県神、目原高御魂神、畝尾建土安神、子部神、天香山大麻等野知神、宗我都比古神、甘樫神、稔代神、牟佐坐神、高市御県神、軽樹村神、天高市神、太玉命神、櫛玉命神、川俣神、波多甕井神、坐日向神、巻向若御魂神、他田天照御魂神、志貴御県神、忍坂生根神、葛木倭文天羽雷命神、長尾神、石園多久豆玉神、調田一事尼古神、金村神、葛木御県神、火幡神、往馬伊古麻都比古神、平群石床神、矢田久志玉比古神、添御県神、伊射奈岐神、葛木二上神並従五位上、無位水越神従五位下、河内国従一位勲三等枚岡天児屋根命正一位、正三位勲六等恩智大御食津比古命神、恩智大御食津比咩命神並従二位、正四位上勲六等枚岡比咩神従三位、従五位下杜本神正四位下、従五位上丹比神正五位下、従五位下春日戸神、高宮神、弓削神、志紀長吉神、狭山堤神、狭山神、菅生神並従五位上、和泉国正五位下勲八等大鳥神従四位下、摂津国従三位勲八等広田神正三位、正五位上勲八等生田神、従五位上勲八等長田神、従五位上垂水神、従五位下勲八等大依羅神、難波生国魂神、下照比女神、坐摩神、従五位下勲八等新屋天照御魂神並従四位下、従五位下名次神正五位下、従五位下中臣須牟地神、伊射奈岐神、伊和志豆神並従五位上、伊賀国無位穴石神従五位下、伊勢国従三位多度神正三位、従四位下阿射加神従四位上、尾張国正三位熱田神従二位、駿河国従三位浅間神正三位、伊豆国従四位下三島神従四位上、従五位下楊原神従五位上、武蔵国従五位下氷川神従五位上、安房国従三位勲八等安房神、天比々理刀咩命神並正三位、近江国従二位勲一等比叡神正二位、従五位上勲八等伊香神従四位下、従五位下伊富岐神、佐久奈度神、水口神、川田神、三上神、奥津島神、小比叡神並従五位上、美濃国従三位中山金山彦神正三位、信濃国正三位勲八等建御名方富命神従二位、従三位建御名方富命前八坂刀売命神正三位、上野国正五位下勲八等貫前神従四位下、下野国従三位勲四等二荒神正三位、陸奥国正五位上勲四等計仙麻神、正五位下勲四等志波彦神、勲五等拝幣志神、勲六等零羊埼神、従五位上勲四等志波姫神並従四位下、従五位下計仙麻大島神従五位上、若狭国従二位勲八等若狭比古神正二位、正三位若狭比咩神従二位、越前国正二位勲一等気比神従一位、従四位上勲六等推前神、勲六等剣神並正四位下、加賀国白山比女神正三位、能登国正二位勲一等気多神従一位、越中国従三位高瀬神、二上神並正三位、丹波国従五位下小川月神、麻気神並従五位上、丹後国従五位下大川神、大宮売神並従五位上、出雲国従三位熊野神、勲八等杵築神並正三位、播磨国従五位下勲八等粒坐天照神、伊和坐大名持御魂神並従四位下、従五位下海神従五位上、安芸国正五位下伊都岐島神、従五位上速谷神並従四位下、従五位下多家神従五位上、長門国従五位下住吉荒魂神従五位上、紀伊国従四位下伊達神、志摩神、静火神並正四位下、従五位下勲八等丹生都比売神、伊太祁曽神、大屋都比売神、神都摩都比売神、鳴神並従四位下、従五位下須佐神、熊野早玉神、熊野坐神並従五位上、阿波国従五位下大麻比古神、忌部天日鷲神並従五位上、土佐国従五位下都佐坐神従五位上、筑前国正三位勲八等田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神並従二位、正五位下竈門神、従五位下筑紫神並従四位下、従五位下織幡神、志賀海神、美奈宜神並従五位上、無位住吉神従五位下、筑後国正三位高良玉垂命神従二位、従四位下豊比咩神従四位上、肥前国従五位下田島神従四位下、肥後国従二位勲五等健磐龍命神正二位、従四位下阿曽比咩神従四位上、壱岐島従五位下海神、住吉神、兵主神、月読神並従五位上、対馬島従五位下和多都美神、高御魂神、住吉神並従五位

『日本三代実録』貞観元年7月14日丁卯条(859)

使諸神宝幣参議正四位下行左大弁兼左衛門督美作守藤原朝臣氏宗賀茂御祖別雷両社使散位従五位下正峯王松尾社使正五位下守右中弁兼行式部少輔大枝朝臣音人平野社使従五位下行主殿権助藤原朝臣水谷大原野社使右兵衛佐従五位下源朝臣至乙訓社使従五位下守右兵庫頭藤原朝臣四時大神社使掃部頭従五位上藤原朝臣貞敏石上社使従四位下行兵部大輔藤原朝臣仲統春日社使従五位下守図書頭当麻真人清雄当麻社使中務少輔従五位下源朝臣包住吉社使散位従五位下丹墀真人縄主丹墀社使少納言兼侍従従五位下良峯朝臣経世杜本社使神祇大祐正六位上大中臣朝臣豊雄気比気多両社使散位従五位下紀朝臣宗守日前国懸両社使

『日本三代実録』貞観元年9月4日丙辰条(859)

使、-幣賀茂御祖、別雷、松尾、貴布禰、乙訓、稲荷等也、

『日本三代実録』貞観9年9月11日丁未条(867)

使於賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、貴布禰、丹生川上、住吉、水主大神、長田、乙訓奉幣、先月今以賽焉、

『日本三代実録』貞観15年5月20日癸未条(873)

-幣於賀茂、松尾、乙訓、稲荷、貴布禰、丹生川上雨師也、

『日本三代実録』貞観15年7月9日辛未条(873)

使於賀茂、松尾、稲荷、乙訓、貴布禰奉幣、祈也、

『日本三代実録』貞観17年6月3日甲寅条(875)

-遣使者於山城国賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、乙訓、貴布禰、大和国丹生川上七奉幣、丹生川上也、

『日本三代実録』貞観17年7月2日壬午条(875)

使-幣賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、乙訓、木島、貴布禰、丹生川上八也、

『日本紀略』貞観17年8月25日乙亥条(875)

-幣伊勢及賀茂御祖別雷社、松尾、稲荷、木島、乙訓、丹生也、

『日本三代実録』元慶元年6月14日癸未条(877)

-幣石清水八幡大菩薩宮并賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、木島、乙訓、大依羅、垂水、広田、生田、長田也、

『日本三代実録』元慶2年6月3日丁卯条(878)

此、亢陽不雨、名山大川能興雨、並班雨、賀茂御祖別雷、松尾、稲荷、貴布禰、丹生川上、乙訓、水主八是也、丹生川上-奉黒馬一

『日本三代実録』元慶3年5月21日庚戌条(879)

-幣賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、貴布禰、乙訓也、

『日本三代実録』元慶4年5月16日己巳条(880)

廼者膏雨難得、農民稍憂、是日、使者於賀茂御祖、別雷、松尾、稲荷、乙訓、貴布禰、丹生川上等雨、丹生川上-奉黒告文曰、云々、

『日本三代実録』元慶7年5月22日丁亥条(883)

夜、-遣使者於松尾、賀茂御祖、別雷、稲荷、貴布禰、水主、乙訓而雩、以也、

『日本三代実録』元慶7年9月2日乙丑条(883)

-幣於賀茂御祖、別雷、松尾、貴布禰、稲荷、乙訓、丹生河上也、

『延喜式』3(臨時祭) 祈雨神祭条〔26〕

祈雨神祭八十五座、並大、
賀茂別雷社一座、 賀茂御祖社二座、 松尾社二座、
稲荷社三座、 水主社十座、 樺井社一座、
木島社一座、 羽束石社一座、 乙訓社一座
和伎社一座、 貴布禰社一座、已上山城国、
大和社三座、 大神社一座、 石上社一座、
太社二座、 一言主社一座、 片岡社一座、
広瀬社一座、 龍田社二座、 巨勢山口社一座、
葛木水分社一座、 賀茂山口社一座、 当麻山口社一座、
大坂山口社一座、 胆駒山口社一座、 胆駒社一座、
石村山口社一座、 耳成山口社一座、 養父山口社一座、
都祁山口社一座、 都祁水分社一座、 長谷山口社一座、
忍坂山口社一座、 宇陀水分社一座、 飛鳥社四座、
飛鳥山口社一座、 畝火山口社一座、 吉野山口社一座、
吉野水分社一座、 丹生川上社一座、已上大和国、
枚岡社四座、 恩智社二座、已上河内国、
大鳥社一座、和泉国、
住吉社四座、 大依羅社四座、 難波大社二座、
広田社一座、 生田社一座、 長田社一座、
新屋社三座、 垂水社一座、 名次社一座、已上摂津国、
座別絹五尺、五色薄絁各一尺、糸一絇、綿一屯、木綿二両、麻五両、裹薦半枚、毎調布二端、軾料、夫一人、丹生川上社、貴布禰社加黒毛馬一自余社庸布一其霖雨不祭料亦同、但馬

『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕

名神祭二百八十五座、
園神社一座、 韓神社二座、已上宮内
賀茂別雷神社一座、 賀茂御祖神社二座、 松尾神社二座、
稲荷神社三座、 貴布禰神社一座、 鴨川合神社一座、
御井神社一座、 葛野月読神社一座、 木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、 梅宮神社四座、 乙訓神社一座
酒解神社一座、山崎已上山城国、
春日神社四座、 大和神社三座、 石上神社一座、
多坐神社二座、 飛鳥神社四座、 高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、 大神神社一座、 太玉神社四座、
穴師神社一座、 高屋安倍神社三座、 大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、 金峯神社一座、 鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、 葛木一言主神社一座、 高鴨神社四座、
高天彦神社一座、 葛木火雷神社二座、 片岡神社一座、
火幡神社一座、 広瀬神社一座、 龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、 枚岡神社四座、 杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、 大依羅神社四座、 難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、下照比 新屋神社三座、 垂水神社一座、
広田神社一座、 生田神社一座、 長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、 多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或大作多、 真墨田神社一座、 大県神社一座、
熱田神社一座、 日割御子神社一座、 孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、 敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、 伊古奈比咩命神社一座、 物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、 楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、 金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、 大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、 筑波山神社一座、 吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、 稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、 日吉神社一座、比叡神同、 佐久奈度神社一座、
建部神社一座、 川田神社二座、 御上神社一座、
奥津島神社一座、 伊香神社一座、 水尾神社二座、或水作三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、 穂高神社一座、 生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、 伊加保神社一座、 赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、 苅田嶺神社一座、 志波彦神社一座、
鼻節神社一座、 志波姫神社一座、 伊達神社一座、
東屋沼神社一座、 零羊崎神社一座、 拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、 多珂神社一座、 伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、 大高山神社一座、 子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、 月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、 大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、 小川月神社一座、 麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、 籠神社一座、 大虫神社一座、
小虫神社一座、 大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、 夜夫神社二座、 伊豆志神社八座、
山神社一座、 戸神社一座、 雷神社一座、
欘椒神社一座、 海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、 杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、 宇受加命神社一座、 水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、 粒坐天照神社一座、 中臣印達神社一座、
家島神社一座、 伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、 伊都伎島神社一座、 多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、 日前神社一座、 国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、 大屋都比売神社一座、 都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、 伊達神社一座、 志磨神社一座、
静火神社一座、 須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、 大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、 天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、 大山積神社一座、 野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、 住吉神社三座、 志加海神社三座、
八幡神社一座、 筑紫神社一座、 竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、 豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、 兵主神社一座、 月読神社一座、
中津神社一座、 天手長男神社一座、 天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、 和多都美御子神社一座、 高御魂神社一座、
和多都美神社一座、 太祝詞神社一座、 住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若者、絁五丈五布一糸一

『本朝月令』・4月中酉賀茂祭事

中酉賀茂祭事、
秦氏本系帳云、正一位勲一等賀茂大神社、賀茂者、日向曽之峯天降坐神、賀茂建角身命也、神倭石寸比古之御前立上坐而宿-坐大倭葛木山之漸遷、山代国岡田之賀山代下坐、葛野河賀茂立坐、-廻賀茂而言、然石川清川在、仍号石川瀬見小、自-坐久我国之北山、従也、 建角身命丹波国神伊賀古夜日子、曰玉依日玉依日、於石川瀬見小遊為時、丹塗矢流下、乃取-置床遂感孕、至成人外祖父建角身命八尋、堅八戸、醸八腹而神集々而七日七夜楽遊、然与語言、汝父将人、令祭、分穿屋而升天、外祖父之、号賀茂別雷所謂丹塗矢者、乙訓郡社坐大雷命在、賀茂建角身命也、丹波神伊賀古夜日売也、玉依日売也、三柱神、蓼倉三井社坐也、妋玉依日子者、今賀茂県主遠祖也、其祭祀日乗矣、志貴島宮御宇天皇之御世、天下挙国、風吹雨零、爾時卜部伊吉若日卜、乃賀茂神祟也、四月吉馬繋鈴、而駈馳、以五穀成熟、天下豊年、乗馬也、
又云、初秦氏女子于葛野、澣-濯衣流下、女子取還来、-置於戸女子無懐妊、既而也、父母怪責問、爰女子答云、不知、再三詰問、雖遂云知、父母以謂、雖也、我家往来近親眷族、隣里郷党之中、其夫応在、茲弁-備大、招-集諸、令彼児一レ盃、祖父母命云、父思人之、于時此児不仰観行戸上之即便、坼-破屋而去、故鴨上社別雷鴨下社御祖也、戸上矢者松尾大明神是也、是以秦氏-祭三所大明而鴨氏人秦氏之婿也、秦氏婿譲与之、故今鴨氏祭、此其縁也、鴨祭之日楓山之葵挿頭、当日早朝、松尾社司等令挿頭、参-候内蔵祭使既来、楓山葵於庭詔戸申使等、各挿出立、禰宜祝等又走馬、近衛二人、与禰宜松尾神是乃父母子愛之義、芬芳永存之心也、
右官史記云、天武天皇六年二月丙丁、山背国賀茂神
神祇令云、天神地祇、神祇官皆祭之、義解云、天神伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神等
国史云、文武天皇二年三月、山背国賀茂祭日会 和銅四年四月詔、賀茂神祭日、自今以後、国司毎年親臨𢮦察焉、 神亀三年三月、衆人会集、一切禁断、 天平四年四月、任之、 天応元年四月、賀茂神二社禰宜祝等始把
又或記云、延暦十二年癸酉、北野山中、天皇行幸、而諸臣却奉各去也、于時給、祈申、始鴨上下両神大祭、率供奉諸斎内親
又説云、嵯峨天皇平城天穆、于時嵯峨天皇祈祷有感、云々、
大同二年三月、従一位勲一等賀茂御祖神奉正一
弘仁格云、太政官符、新置斎院司官位職事、長官一員、次官一員、判官一員、主典一員、中納言兼左近衛大将従三位行春宮大夫陸奥出羽按察使藤原冬嗣 件定弘仁九年五月九日、
弘仁神式云、凡四月中申酉賀茂二斎内親王向社、史一人、左右史生各一人、官掌一人𢮦-校諸 山城国司預状、少納言奏聞、差使幣、内蔵及左右馬寮其日、宮門閤門前立守衛、前一日、大臣殿諸衛府於殿前警固後日解却亦准此、
弘仁内蔵式云、賀茂祭上社下社、松尾社社別禰宜祝各一人、上下両社、各物忌一人、云々、使等装束料云々、右当日平旦、内侍已下退出、寮庁使官人共解除、訖松尾社幣便禰宜祝即使等再拝両段、退各就座、寮家供乃発、山城国司騎兵、於京外前駈祗承、
国史云、弘仁十年三月、勅、山城国愛宕郡賀茂御祖并別雷二神之祭、宜 承和十五年二月、正一位勲一等賀茂御祖大社禰宜外従五位下鴨県主広雄等款云、去天平勝宝二年十二月十四日、奉御戸代田一以降、未加、年中用途乏少、望請別雷、加-増御戸代田一勅許之、
貞観主税式云、凡賀茂祭使食料稲四百束、山城国正宛之、
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