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神道・神社史料集成(古代) 日前神社
日前神社(紀伊国名草郡)
『日本書紀』持統天皇6年5月庚寅(26日)条(692)遣二使者一奉二-幣于四所一、伊勢、大倭、住吉、紀伊大神、告二以新宮一、
『日本書紀』持統天皇6年12月甲申(24日)条(692)遣二大夫等一奉二新羅調於五社一、伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足、
『続日本紀』養老7年11月丁丑(16日)条(723)下総国香取郡、常陸国鹿島郡、紀伊国名草郡等少領已上、聴レ連二-任三等已上親一、
『続日本紀』神亀元年10月壬寅(16日)条(724)賜二造離宮司及紀伊国国郡司、并行宮側近高年七十已上禄一、各有レ差、百姓今年調庸、名草海部二郡田租咸免之、又赦二罪人死罪已下一、名草郡大領外従八位上紀直摩祖為二国造一、進二位三階、少領正八位下大伴櫟津連子人、海部直土形二階、自余五十二人各位一階一、又詔曰、登レ山望レ海、此間最好、不レ労二遠行一、足二以遊覧一、故改二弱浜名一、為二明光浦一、宜下置二守戸一勿上レ令二荒穢一、春秋二時、差二-遣官人一、奠二-祭玉津島之神明光浦一之、
『続日本紀』天平元年3月丁巳(27日)条(729)以二正八位上紀直豊島一為二紀伊国造一、
『続日本紀』延暦9年5月癸酉(8日)条(790)以二外従八位上紀直五百友一為二紀伊国造一、
『日本後紀』延暦23年10月癸丑(12日)条(804)上御レ船遊覧、賀楽内親王及参議従三位紀朝臣勝長、国造紀直豊成等奉献、詔曰、天皇詔旨良万止勅命乎、紀伊国司郡司公民陪従司々人等諸聞食止宣、此月波、閑時爾之弖、国風御覧須時止奈毛、常母聞所行須、今御坐所乎御覧爾、礒島毛奇麗久、海瀲毛清晏爾之弖、御意母於多比爾御坐坐、故是以御坐坐世留名草海部二郡乃百姓爾、今年田租免賜比、又国司国造二郡司良爾、冠位上賜比治賜布、目已下及郡司乃正六位上乃人爾波、男一人爾位一階賜布、又御座所爾近岐高年八十已上人等爾、大物賜波久止詔布勅命乎、衆聞食止宣、授二守従五位下藤原朝臣鷹養従五位上、介外従五位下葛井宿禰豊継、掾従六位下小野朝臣真野、刑部大丞正六位上紀朝臣岡継、中衛将監正六位上紀朝臣良門従五位下一、遣二使於名草海部二郡諸寺一、施レ綿、
『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸) 大同元年牒(806)神封部 合四千八百七十六戸 (略) 日前神 五十六戸 紀伊国 (略)
『令義解』2(神祇令) 仲冬条(上卯相嘗祭)(833)謂、大倭、住吉、大神、穴師、恩智、意富、葛木鴨、紀伊国日前神等類是也、神主各受二官幣帛一而祭、
『続日本後紀』嘉祥2年閏12月庚午(21日)条(849)先レ是、紀伊守従五位下伴宿禰龍男、与二国造紀宿禰高継一不レ愜、於レ是不レ忍二怒意一、輙発レ兵捕二高継并党与人等一、仍可二勘申一状、官符下知已畢、而今日掾林朝臣並人馳来申云、守龍男分二-遣従僕一、各帯二兵仗一、暗中放レ鏑、威二-脅衆庶一、或被レ執二囹圄一、日夜叨呼、或東西奔走、中途流離、並人諫曰、百姓有レ犯レ過者、雖レ云二長官一、須下委二之傍吏一、任レ理勘決上、而躬捕二前人一、事乖二物情一、龍男固拒不レ聴、仍脱レ身入レ京者、又高継所レ進之国符偁、国造紀宿禰高継犯罪之替、擬二-補紀宿禰福雄一者、勅、国造者、非二国司解却之色一、而輙解二-却之一、推二-量意況一、稍渉二不臣一、宜下停二釐務一、任レ法勘奏上、
『文徳天皇実録』嘉祥3年10月甲子(20日)条(850)遣二左馬助従五位下紀朝臣貞守一、向二紀伊国日前国懸大神社一、策命曰、天皇我詔旨止、掛畏大神等乃広前爾申給倍止申久、先先爾神財奉レ進牟止祈申賜比支、故是以、種種乃神財乎潔備天令二捧持一天奉出須、此状乎聞食天、天皇朝庭乎常磐爾堅磐爾護幸奉賜比、天下平安爾矜賜比助賜倍止、恐見恐見毛申給波久止申、同日、遣二同貞守於坐伊太祁曽神社一、策命曰、天皇我詔旨爾申給久、御冠授奉牟止祷申賜比之爾依天、従五位下乃御冠乎授奉利崇奉留状乎、御位記令レ持天奉出須、此状乎聞食天、天皇朝庭乎常磐爾堅磐爾護幸奉賜倍止申給久止申、
『日本三代実録』貞観元年7月14日丁卯条(859)遣二使諸社一奉二神宝幣帛一、参議正四位下行左大弁兼左衛門督美作守藤原朝臣氏宗為二賀茂御祖別雷両社使一、散位従五位下正峯王為二松尾社使一、正五位下守右中弁兼行式部少輔大枝朝臣音人為二平野社使一、従五位下行主殿権助藤原朝臣水谷為二大原野社使一、右兵衛佐従五位下源朝臣至為二乙訓社使一、従五位下守右兵庫頭藤原朝臣四時為二大神社使一、掃部頭従五位上藤原朝臣貞敏為二石上社使一、従四位下行兵部大輔藤原朝臣仲統為二春日社使一、従五位下守図書頭当麻真人清雄為二当麻社使一、中務少輔従五位下源朝臣包為二住吉社使一、散位従五位下丹墀真人縄主為二丹墀社使一、少納言兼侍従従五位下良峯朝臣経世為二杜本社使一、神祇大祐正六位上大中臣朝臣豊雄為二気比気多両社使一、散位従五位下紀朝臣宗守為二日前国懸両社使一、
『日本紀略』仁和4年11月8日己丑条(888)発二-遣大神宝使一、
『類聚三代格』8(調庸事) 寛平6年6月1日官符(894)太政官符 応三同率二神戸官戸課丁一事 右得二紀伊国解一偁、検二案内一、官戸課丁少レ数常煩二所司勘出一、尋二彼由緒一、官戸悉為二神戸百姓一之所レ致也、何者此国有封神社総十一処、所レ充封戸二百卅二烟、可レ有二正丁千二百七十六人一、此則依レ式毎戸以二五六人一所レ率之数也、而今神戸所レ領正丁之数、或戸十五六人、或戸二三十人、官戸所レ有課丁之数、或戸僅一二人、或戸曽無二課丁一、詳検二其由一、神戸課役頗軽、官戸輸貢尤重、因レ斯脱二彼重課一入二此軽役一、謹案レ式云、戸以二正丁五六人一為二一戸一、其神寺封丁、若有二増益一者随即減レ之、死損者不レ須二更加一、而国造并禰宜祝等、寄二事神祇一曽無二改正一、積慣之漸忽然難レ変、望請、不レ論二神戸官戸一、総二-計国内課丁一、毎戸同率貫附、弁定之後、若有二輙改替一者、尋二其所由一、依レ法科レ罪、謹請二官裁一者、右大臣宣、依レ請、 寛平六年六月一日
『古語拾遺』於是、素戔嗚神、欲レ奉二-辞日神一、天照大神、昇レ天之時、櫛明玉命、奉レ迎、献以二瑞八坂瓊之曲玉一、素戔嗚神、受之、転奉二日神一、仍、共約誓、即感二其玉一、生二天祖吾勝尊一、是以、天照大神、育二吾勝尊一、特甚鍾愛、常懐二腋下一、称曰腋子、今俗、号二稚子一、謂二和可古一、是、其転語也、
其後、素戔嗚神、奉二-為日神一、行甚無状、種々凌侮、所謂、毀畔、古語、阿波那知、埋溝、古語、美曽宇美、放樋、古語、斐波那知、重播、古語、志伎麻伎、刺串、古語、久志佐志、生剥、逆剥、屎戸、如レ此天罪者、素戔嗚神、当二日神耕種之節一、窃往二其田一、刺レ串相争、重二-播種子一、毀レ畔、埋レ溝、放レ樋、当二日新嘗之日一、以レ屎塗レ戸、当二織室之時一、逆二-剥生駒一、以投二室内一、此天罪者、今中臣祓詞也、蚕織之源、起二於神代一也、
于時、天照大神、赫怒、入二于天石窟一、閉二磐戸一而幽居焉、爾乃、六合常闇、昼夜不分、群神愁迷、手足罔レ措、凡厥庶事、燎レ燭而弁、高皇産霊神、会二八十万神於天八湍河原一、議二奉レ謝之方一、
爰、思兼神、深思遠慮、議曰、宜レ令下太玉神、率二諸部神一造中和幣上、仍令下石凝姥神、天糠戸命之子、作鏡遠祖也、取二天香山銅一、以鋳中日像之鏡上、令三長白羽神、伊勢国麻続祖、今俗、衣服謂二之白羽一、此縁也、種レ麻、以為二青和幣一、古語、爾伎弖、令三天日鷲神与津咋見神、穀木種殖之、以作二白和幣一、是木綿也、已上二物、一夜蕃茂也、令三天羽槌雄神、倭文遠祖也、織二文布一、令三天柵機姫織二神衣一、所謂和衣、古語、爾伎多倍、令三櫛明玉神作二八坂瓊五百筒御統玉一、令下手置帆負、彦狭知二神以二天御量一大小斤雑器等之名、伐二大峡小峡之材一、而造二瑞殿一、古語、美豆能美阿良可、兼作中御笠及矛楯上、令三天目一箇神作二雑刀斧及鉄鐸一、古語、佐那伎、其物既備、掘二天香山之五百筒真賢木一、古語佐禰居自能禰居自、而上枝懸レ玉、中枝懸レ鏡、下枝懸二青和幣白和幣一、令二太玉命捧持称讃一、亦天児屋命相副祈祷、又令下天鈿女命、古語、天乃於須女、其神強悍猛固、故以為名、今俗、強女謂二之於須志一、此縁也、以二真辟葛一為鬘以蘿葛為二手繦一、蘿葛者、比可気、以二竹葉、飫憩木葉一為二手草一、今、多久佐、手持二着鐸之矛一、而於石窟戸前覆二誓槽一、古語、宇気布禰、約誓之意、挙二庭燎一、巧作二俳優一、相与歌舞上、
於是、従二思兼神議一、令三石凝姥神鋳二日像之鏡一、初度所レ鋳、少不レ合レ意、是、紀伊国日前神也、次度所レ鋳、其状美麗、是、伊勢大神也、儲備既畢、具如レ所レ謀、爾乃、太玉命、以二広厚称詞一啓曰、吾之レ所捧宝鏡明麗、恰如二汝命一、乞、開レ戸而御覧焉、仍太玉命天児屋命、共致二其祈祷一焉、于時、天照大神、中心独謂、比吾幽居、天下悉闇、群神何由如此之歌楽、聊開レ戸而窺之、爰令下天手力雄神引二-啓其扉一、遷中座新殿上、則、天児屋命、太玉命、以二日御綱一、今、斯利久迷縄、是、日影之像也、廻二-懸其殿一、令三大宮売神侍二於御前一、是太玉命、久志備所生神、如今世内侍善言美詞、和二君臣間一、令二宸襟悦一得也、令三豊磐間戸命櫛磐間戸命二神守二-衛殿門一、是、並太玉命之子也、
当二此之時一、上天初晴、衆倶相見、面皆明白、伸レ手歌舞、相与称曰、阿波礼、言二天晴一也、阿那於茂志呂、古語、事之甚切、皆称二阿那一、言二衆面明白一也、阿那多能志、言二伸レ手而舞一、今指二楽事一謂二之多能志一、此意也、阿那佐夜憩、竹葉之声也、飫憩、木名也、振二其葉一之調也、爾乃、二神倶請曰、勿二復還幸一、仍帰二罪過於素戔嗚神一、而科之以二千座置戸一、令下抜二首髪及手足爪一、以贖之上、仍解二-除其罪一、逐降焉、
『令集解』7(神祇令) 仲冬条(上卯相嘗祭)謂、大倭、住吉、大神、穴師、恩智、意富、葛木鴨、紀伊国日前神等類是也、神主各受二官幣帛一而祭、釈云、大倭社、大倭忌寸祭、宇奈太利、村屋、住吉、津守、大神社、大神氏上祭、穴師、神主、巻向、神主、池社、池首、恩智、神主、意富、太朝臣、葛木鴨、鴨朝臣、紀伊国坐日前、国県須、伊太祁曽、鳴神、已上神主等、請二-受官幣帛一祭、古記無レ別、
『令集解』16(選叙令) 同司主典条(不得用三等以上親)謂、其非二三等親一者、縦得二相隠一、猶須二任用一也、釈云、養老七年十一月十六日太政官処分、伊勢国渡相郡、竹郡、安房国安房郡、出雲国意宇郡、筑前国宗形郡、常陸国鹿島郡、下総国香取郡、紀伊国名草郡、合八神郡、聴レ連二-任三等以上親一也、
『延喜式』2(四時祭下) 相嘗日前社条〔44〕日前社一座、
絹四疋、糸三絇四銖、綿八屯五両、調布六端八尺、木綿二斤八両、酒稲百束、神税、
『延喜式』3(臨時祭) 名神祭条〔28〕名神祭二百八十五座、
園神社一座、韓神社二座、已上坐二宮内省一、
賀茂別雷神社一座、賀茂御祖神社二座、松尾神社二座、
稲荷神社三座、貴布禰神社一座、鴨川合神社一座、
御井神社一座、葛野月読神社一座、木島坐天照御魂神社一座、
平野神社四座、梅宮神社四座、乙訓神社一座、
酒解神社一座、亦号二山崎神一、已上山城国、
春日神社四座、大和神社三座、石上神社一座、
多坐神社二座、或号二大社一、飛鳥神社四座、高市御県神社一座、
気吹雷神社二座、大神神社一座、太玉神社四座、
穴師神社一座、高屋安倍神社三座、大名持御魂神社一座、
丹生川上神社一座、金峯神社一座、鴨神社二座、
葛木御歳神社一座、葛木一言主神社一座、高鴨神社四座、
高天彦神社一座、葛木火雷神社二座、片岡神社一座、
火幡神社一座、広瀬神社一座、龍田神社二座、
平群坐紀氏神社一座、已上大和国、
恩智神社二座、枚岡神社四座、杜本神社二座、
飛鳥戸神社一座、已上河内国、
大鳥神社一座、和泉国、
住吉神社四座、大依羅神社四座、難波生国魂神社二座、
比売許曽神社一座、亦号二下照比売一、新屋神社三座、垂水神社一座、
広田神社一座、生田神社一座、長田神社一座、已上摂津国、
阿射加神社三座、多度神社一座、已上伊勢国、
太神社一座、或太作レ多、真墨田神社一座、大県神社一座、
熱田神社一座、日割御子神社一座、孫若御子神社一座、
高座結御子神社一座、已上尾張国、
角避比古神社一座、敬満神社一座、已上遠江国、
浅間神社一座、駿河国、
三島神社一座、伊古奈比咩命神社一座、物忌奈命神社一座、
阿波命神社一座、楊原神社一座、已上伊豆国、
寒川神社一座、相模国、
氷川神社一座、金佐奈神社一座、已上武蔵国、
安房神社一座、安房国、
玉前神社一座、上総国、
香取神宮一座、下総国、
鹿島神宮一座、大洗磯前薬師菩薩神社一座、
静神社一座、筑波山神社一座、吉田神社一座、
酒烈礒前薬師菩薩神社一座、稲田神社一座、已上常陸国、
小野神社二座、日吉神社一座、比叡神同、佐久奈度神社一座、
建部神社一座、川田神社二座、御上神社一座、
奥津島神社一座、伊香神社一座、水尾神社二座、或水作レ三、已上近江国、
仲山金山彦神社一座、美濃国、
南方刀美神社二座、穂高神社一座、生島足島神社二座、已上信濃国、
貫前神社一座、或作二抜鋒一、伊加保神社一座、赤城神社一座、已上上野国、
二荒神社一座、下野国、
都都古和気神社一座、苅田嶺神社一座、志波彦神社一座、
鼻節神社一座、志波姫神社一座、伊達神社一座、
東屋沼神社一座、零羊崎神社一座、拝幣志神社一座、
計仙麻神社一座、多珂神社一座、伊佐須美神社一座、
宇奈己呂和気神社一座、大高山神社一座、子負嶺神社一座、已上陸奥国、
大物忌神社一座、月山神社一座、已上出羽国、
若狭比古神社二座、若狭国、
気比神社七座、大虫神社一座、已上越前国、
気多神社一座、能登国、
伊夜比古神社一座、越後国、
出雲神社一座、小川月神社一座、麻気神社一座、
櫛石窓神社二座、已上丹波国、
大川神社一座、籠神社一座、大虫神社一座、
小虫神社一座、大宮売神社二座、已上丹後国、
粟鹿神社一座、夜夫神社二座、伊豆志神社八座、
山神社一座、戸神社一座、雷神社一座、
欘椒神社一座、海神社一座、已上但馬国、
宇倍神社一座、因幡国、
熊野神社一座、杵築神社一座、已上出雲国、
由良比女神社一座、宇受加命神社一座、水若酢命神社一座、
伊勢命神社一座、已上隠伎国、
海神社三座、粒坐天照神社一座、中臣印達神社一座、
家島神社一座、伊和神社一座、已上播磨国、
中山神社一座、美作国、
安仁神社一座、備前国、
吉備津彦神社一座、備中国、
速谷神社一座、伊都伎島神社一座、多家神社一座、已上安芸国、
住吉荒御魂神社三座、長門国、
丹生都比女神社一座、日前神社一座、国懸神社一座、
伊太祁曽神社一座、大屋都比売神社一座、都麻都比売神社一座、
鳴神社一座、伊達神社一座、志磨神社一座、
静火神社一座、須佐神社一座、已上紀伊国、
淡路伊佐奈岐神社一座、大和大国魂神社一座、已上淡路国、
大麻比古神社一座、天日鷲神社一座、已上阿波国、
粟井神社一座、讃岐国、
村山神社一座、大山積神社一座、野間神社一座、
阿治美神社一座、已上伊与国、
宗像神社三座、住吉神社三座、志加海神社三座、
八幡神社一座、筑紫神社一座、竈門神社一座、
美奈宜神社三座、已上筑前国、
高良玉垂命神社一座、豊比咩神社一座、已上筑後国、
八幡比売神社一座、豊前国、
田島坐神社一座、肥前国、
健磐龍命神社一座、肥後国、
住吉神社一座、兵主神社一座、月読神社一座、
中津神社一座、天手長男神社一座、天手長比売神社一座、已上壱伎島、
和多都美神社一座、和多都美御子神社一座、高御魂神社一座、
和多都美神社一座、太祝詞神社一座、住吉神社一座、已上対馬島、
座別絁五尺、綿一屯、糸一絇、五色薄絁各一尺、木綿二両、麻五両、裹料薦廿枚、若有二大祷一者、加二絁五丈五尺一、以二布一端一代二糸一絇一、
『延喜式』18(式部上) 郡司条〔112〕凡郡司者、一郡不レ得レ併二-用同姓一、若他姓中無レ人レ可レ用者、雖二同姓一除二同門一外聴レ任、神郡、陸奥縁辺郡、大隅馭謨、熊毛等郡者、不レ在二制限一、謂伊勢国飯野、度会、多気、安房国安房、下総国香取、常陸国鹿島、出雲国意宇、紀伊国名草、筑前国宗形等郡為二神郡一、
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